混沌が異世界から来るそうですよ?   作:クトゥルフ時計

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第十二話 「神とはなんだ?」

光が……………無い。

 

どこまで行っても暗闇ばかり。手を伸ばそうとしても体が動く気配は無いし、そもそも体が存在するかすらもわからない。

 

いや、そもそもの話、どうしてこうやって思考できているかすらもわからないのが現状だ。

 

自分が誰だかわからない。どこでどうしてどうやって生まれ落ちたかすら思い出せない。なのに体の動かし方は知っていて、しかし体は動かせない。

 

目があるのか、耳があるのか、口があるのか、脳があるのか。今こうやって考えている自分自身は常世に存在するのか。それともただの精神体なのか。

 

たった一つの手がかりすらも今の自分には無い。だが一つだけわかることがある。

 

あるのかわからない耳に聞こえる悲鳴。あるのかわからない口に入る血の味。あるのかわからない目から見える赤色。

 

それは正しく地獄絵図。壊れているとしか思えない惨状。そして、今自分が間違いなく人を殺しているということの証明だった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「……なあ白夜王。これは一体どういう状況だ?」

 

金剛杵を掲げながら男――――帝釈天は傍らで佇む白夜王に問う。しかし、それに対して白夜王は知るか、と返した。

 

「私だってわからん。気づいたらこうなってた。わかるのは、アレが私たちの敵だということだけだ」

 

睨み付けた先。そこでは上から白夜王たちを見下ろすニャルラトホテプが、ただただ冷めたような目で佇んでいた。

 

「なあ白夜王、あいつの名前は?」

 

帝釈天が問う。白夜王はその質問に答えた。

 

「あやつは先程〝ニャルラトホテプ〟と名乗っておった。心当たりは?」

 

「無いな。一切無い」

 

きっぱりと帝釈天は断言する。しかし、この箱庭において名前すら聞いたことがないというのは、実は結構珍しい。

 

ギリシア神群しかり、インド神群しかり、その全ての神群は外界にて発生した神話という概念が箱庭に来たものである。そして人間の信仰によって力を増幅し、その存在というものを増していくのだ。

 

そして、ここで矛盾が発生する。人類最終試練として、天動説を背負っている太陽の星霊〝白夜王〟の力というものは、箱庭に名前すらも届いていないニャルラトホテプでは、到底及びもつかないほどの力のはずなのだ。なのに白夜王はニャルラトホテプを殺せなかった。

 

信じられないことだが、事実こうなっている。理由を探ろうとしても手がかりなどほぼ無いも同然だが、無理矢理こじつけるならこうなるだろう。

 

人間以外のものに信仰されている、と。

 

あんな狂気に染まったとしか形容できないようなモノを信仰するとなれば、きっとそいつもマトモとはいえないだろう。しかしなぜ、人間に信仰されないのか?狂っているから?違う。狂っていても、同じ狂人なら信仰の対象となりえるだろう。だとしたら、残された可能性は二つだ。

 

その可能性とは、そもそも外界で存在が観測されていないか、発祥の文献もしくは資料がまだ出来ていないかという、神の存在を根底から覆す、矛盾しか孕んでいない仮説。

 

ありえない。しかし、それしか他にありえないのだ。

 

考えれば考えるほどにハマる泥沼のような思考が頭を支配するが、それを無理矢理に振り払い白夜王はキッとニャルラトホテプを見据える。ニャルラトホテプは困ったように肩を竦めた。

 

「おいおいそんなに睨まないでくれ。俺みたいな脆弱なヤツだと怖くて恐くて動けなくなっちゃうぜ?」

 

「減らず口をッ………!」

 

歯をギリと噛み締めて殺意を剥き出しにする白夜王。しかし、帝釈天はそれを手で制する。何故、と言いたげに白夜王は横の男を見遣るが、帝釈天の目に映る光から彼の考えを察したのか、すぐにその殺意を抑えた。

 

それを見ていたニャルラトホテプはクツクツと可笑しそうに嘲笑う。

 

「あれぇ?どォォォォォォォしたのかなァ白夜王サマァ?」

 

あからさまにバカにしたようなその口調に苛つきを覚えるも、理性でそれを抑える。挑発が失敗したことで何か思うところがあったのか、ニャルラトホテプはチッと舌打ちをした。

 

「なぁんだ、乗ってくれないのかよツマラナイ。――――で、そっちは何か用でもあるのか帝釈天?」

 

首をグリィと曲げて白夜王から帝釈天へと視線を移す。その問いかけに、訝しげな目で彼は答えた。

 

「…俺は疑問なんだよ、ニャルラトホテプ。お前の事が、不思議で堪らない。こんな惨劇を引き起こしたかと思えば、お前はただ見てるだけ。白夜王を地に落とすだけの力があるかと思えば、挑発するだけで自ら手を下さない。目的が一切見えず、むしろ目的なんて無いように見える。――――単刀直入に聞こうか。()()()()()()()()()()?」

 

「何を、ねえ?」

 

その言葉を受けて、ニャルラトホテプは顎に手を添えて少し考えるような仕草を見せた。

 

「お前らってさ、人形遊びとかしたことあるか?」

 

口を衝いて出てきたのはそんな問い。帝釈天と白夜王は意味を理解できず首を傾げた。

 

「俺はそういうのを見てるのが結構好きでさ。ミニチュアの中でいくつもの登場人物を操って、その人生を見るのが楽しいんだ。でも、破滅させるのはつまらない。

カミサマが人形を壊すのなんて、人が雑草を踏むのと同じくらい無意味なことなんだ。圧倒的な力に蹂躙されるのは見てて飽きないが、蹂躙するのは何も神じゃなくたっていい。

だから俺は考えたんだよ。そして思い付いた。神が手を下すんじゃない。登場人物を一人、増やせばいいんだって。そのために、何人かの登場人物は消えたけどね」

 

そう語るニャルラトホテプの口は可笑しそうに歪んでいて、ケラケラと笑いが漏れていた。

 

帝釈天には、それが気持ち悪くてしょうがなくて、

 

「……お前、本当に神か?」

 

「もちろん。俺こそが、神だ」

 

帝釈天の言葉に、嘲笑いながらニャルラトホテプは答えた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

痛い。

 

体が焼かれる。雷が貫き、心地の悪い痺れを残す。

 

何故。何故。何故。何故。何故。

 

このような痛みを受けねばならない。

 

……これは報いなのか?

 

人を殺した。人を食らった。そんな禁忌を犯した私への、下されるべき罰なのか?

 

かつて太陽を落とした英雄として君臨していたというのに、いつから私は裁かれるべき悪と成り代わった?

 

…………

 

私は、いつから私自身を英雄だと認識した?

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

果たして、神とはなんだ?

 

定義としては、『宗教信仰の対象』だとか、『絶対的、超越的な存在』だとか、様々な考え方があって、一概に神というものは表現できないものだ。

 

それは力であり、知恵であり、災いであり、祝福であり、自然であり、文明であり、人に近いものであり、人とは遠いものである。

 

それではこの混沌は、神と呼べるのか?

 

災いを振り撒き、狂気を齎し、知恵を授け、文明を進める。ある時は人間の味方をして、ある時は人間の敵となる。しかしそれは二面性などではなく、むしろ〝二〟などという数字では計り知れないほどの貌を使った結果生まれてしまった、人間の言う〝化身〟だった。

 

その化身が信仰を得て存在を確立させ、神の名前を冠し、力を増大させ、貌となる。その貌にも名前が付き、千の貌の一つとなって存在する。

 

それは男だったり、女だったり。王だったり、市民だったり。生物だったり、無生物だったり。ありとあらゆるものに姿を変え、ありとあらゆる場所に現れる。それぞれに信仰が伴っているのならば、それは神と言えるのだろう。

 

だが、誰も見たことない化身さえも神と成り得るというのなら、それはきっと、神というものの定義を塗り替えてしまうのだろうか。

 

その答えは、きっと誰も知らない。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「俺はね、帝釈天。メタってのがあんまり好きじゃないんだ。ストーリー上の登場人物たちの間に割って入る現実という矛盾が、とても耐えられない。機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)じゃないんだからさ、思い描いた展開の中に直接入り込むカミサマが、どうも見るに堪えないんだ。まるで子供のお遊びの中に大人が入っていくみたいな、そんな感じがする。

そして今、俺が手掛けたこの箱庭を舞台にしたシナリオの中に、お前というメタが入り込んだ。カミサマが登場人物になって、あまつさえ作者に意見した。これが許せると思うか?ああ許せない、許せないね」

 

ニャルラトホテプはそう口にした。しかしその声に怒りや焦燥は無く、あるのはただ決められたことを言うだけの機械のような、無機質な冷徹。突如出現したイレギュラーに向けられた、明らかな落胆だった。

 

「そういうわけだから早いとこ出ていってくれ。折角面白くなりそうだったのに興ざめだ。それとも何か?お前が新しい登場人物になってくれるのか?」

 

そうは言うものの、ニャルラトホテプの仕草に期待の色は無い。それこそ、面倒なものは早く片付けてしまいたいという、人間に酷似した願望をその貌に張り付けていた。

 

「一つ、聞かせてくれ」

 

帝釈天が言う。いいだろう、とニャルラトホテプは質問を許可する。

 

「お前は何故、こんなことをする。お前は何故、人形遊びに拘る」

 

「そんなこと、決まってるだろう?」

 

まるで小さな子供に当たり前のことを聞かれたかのように返すニャルラトホテプ。しかしその返答は、およそ当たり前とはかけ離れていた。

 

「楽しいからだよ、好きだからだよ。俺の書いたシナリオで、俺の掌の上で踊る人間を見るのが、ね。簡単に言えば趣味だ。それが何か?」

 

「……それだけか?」

 

「ああ、()()()()()

 

「………そうか」

 

帝釈天は短くため息をついて言う。

 

「なら、俺は徹底的に邪魔をする」

 

右手には黄金の紙片が握られ、やがてそれは光輝く槍へと姿を変える。それこそが、インドの叙事詩〝マハーバーラタ〟や聖典〝リグ・ヴェーダ〟に名を残す神インドラの、正真正銘の切り札。穿てば必ず勝利する、最強の武器――――インドラの槍。

 

それを見て、ニャルラトホテプは不敵に笑う帝釈天の意図を理解し、焦った。そして、肉塊に命令を下す。

 

「まずいッ――――早くそいつを殺せ〝ショゴス〟!今すぐだッ!」

 

その叫びに応じたのか、今まで手出ししてこなかった肉塊は一斉にその身をうねらせ、大量の触手を生み出した。それらは全て方向を帝釈天に定め、彼を貫こうと迫る。しかし、

 

「爆ぜろ、化け物――――!!!」

 

それが間に合うことはなく、帝釈天は容赦なく槍を()()へと降り下ろした。

 

■■■■■■■■■■――――――――――!!!!!!!!

 

声とはとてもいえない絶叫が辺り一面に木霊する。空気が震え、風が啼く。しかし、それはまるで歓喜の叫びのようにも、帝釈天には聞こえた。

 

そして、肉塊に明確な変化が現れた。インドラの槍が刺さっている箇所を中心に、まるで枝のように眩い光が肉塊の赤い表面の下を走る。たちまちその光は肉塊全体を駆けていき、やがて内側から大きく膨らみ始め――――――

 

水を入れすぎた風船のように、肉塊はいとも容易く破裂した。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

………ああ、やっと見つけた。

 

光だ。

 

私を灼く光だ。私を滅する光だ。

 

私に科せられた罰だ。私が受けるべき罰だ。

 

かつて羿として、英雄として居た時のように、最後は殺されるのが私にはお似合いだ。

 

……………

 

ああ、そうだ。

 

私は、ようやく気づけた。ようやく気づいた。

 

私は、英雄の残滓。

 

肉の化け物に取り込まれた、太陽殺しの残り滓。

 

消えることさえままならない、犠牲者の一人。

 

……さあ早く、私を解放してくれ。

 

この化け物から解き放ってくれ。

 

あの混沌から逃げさしてくれ。

 

……ああ、この光こそが……

 

私の求めていた、(もの)だったのだ。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

赤い雨が降る。

 

弾けた肉はあちこちに、飛び散った血は降り注ぎ、食われた市民の骨が地面を白く染める。

 

不吉な血の色に彩られた紅の空を見上げる白夜王の、骨のような鮮やかな白銀の髪は今や真っ赤になって、足元全域に広がる血の池と同化していた。

 

その横に佇む、同じくその髪を赤く濡らした帝釈天は、視線の先で髪を乱暴に掻き上げるニャルラトホテプを見つめていた。

 

視線の先では、

 

「あァんのクソがッ!なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでッ!!!なァにが〝求めていた(もの)〟だッ!消え損ないの滓風情がいっちょ前に人と同じようなこと考えてんじゃねえよッ!」

 

これまで見せることのなかった、ニャルラトホテプの明らかな〝激情〟。落胆、嘲笑、それらは何度も見せていたが、それでも見せることのなかった〝怒り〟という感情が、今爆発していた。

 

「どこで間違えた?!〝シナリオ〟は完璧だったはずだ!登場人物(キャラクター)も、舞台(ステージ)も、全て用意した!なのに何故―――――!!!」

 

その時、気づいたようにニャルラトホテプはハッとする。そして、帝釈天の方へ睨み付けるような目を向けた。

 

「ああそうだよ――――てめえのせいだよ帝釈天!てめえさえ………てめえいなければッ!」

 

「悪いが、それは出来ない相談だな」

 

ニャルラトホテプの言葉をそう一蹴し、帝釈天は右手に金剛杵(ヴァジュラ)を握ってニャルラトホテプ(自らの敵)へと向けた。

 

「お前がこれ以上今回のようなことをしようというのなら、俺は護法十二天の長として、そして一つの神として、お前を殺すために全力を尽くす」

 

その眼差しに込められていたのは、やると言ったらやるという、明確な決意。たとえ駄神と呼ばれようとも、けして衰えることのないその威光は形の無い刃となり、ニャルラトホテプを刺した。

 

「……そうかい。決意表明ご苦労さん」

 

ヒョイと軽い動きで塔から飛び降り、ニャルラトホテプはピチャリと地面から血を飛ばす。

 

そして踵を返し、近くの建物の影へと歩いていく。

 

「なら俺も言っといてやるよ」

 

ふと足を止め、振り返った横目で帝釈天を睨み、ニャルラトホテプは告げる。

 

「そう簡単に死ぬんじゃねえぞ。お前は俺が、手ずから殺す。それまで作者に歯向かったメタとして、死の恐怖に怯えてろ」

 

それだけ言って、ニャルラトホテプは再び歩き出した。待て、と帝釈天は言おうとするが、その言葉は上から突如現れた顔から触手の生えた蛙のようなモノに阻まれる。

 

「じゃあな。せめてそいつらの相手でもして暇でも潰してろ」

 

まるで親しい友人にでも別れを告げるかのような口調でそう言い残し、ニャルラトホテプは闇へと消えた。


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