混沌が異世界から来るそうですよ?   作:クトゥルフ時計

10 / 27
第十話 「仕込みは上々だ」

「最悪の―――魔王―――――?」

 

黒ウサギは白夜叉言っていることが飲み込めずにいた。それも当然である。なんせ、〝自分の呼び出したコミュニティ復興のための人材が魔王だった〟のだ。こんな事実をどう受け入れろというのか。

 

しかしそんな黒ウサギとは正反対に、十六夜の表情に大きな動揺は見られない。むしろ十六夜は全て合点が行ったとばかりに落ち着いている。

 

これまでの不自然な言動が全てニャルラトホテプの行ったことだとわかったからだ。極端な話だが、ニャルラトホテプは基本的に何でもできるし何でもやる。不可能というものはないのだ。

 

だからこそ納得できる。ナイアが白夜叉に勝つなど常識的に考えて無理な話だが、ここは人外魔境の箱庭。そして目の前にいるのは常識の〝じ〟の字も無い邪神。一体どんな手段を使ったのかはわからないが、ニャルラトホテプとしての手段を行使したのなら、きっとまともな方法ではない。

 

心を折り、砕き、その上で成立する〝最悪〟を使ったのだ。

 

白夜叉がこうして十六夜たちと話せている時点でそれは失敗に終わったことを意味しているが、それでも少なからず影響を及ぼしているはずである。正確には〝傷をつけた〟という形だが。

 

「白夜叉様……それはどういう………」

 

「言葉通りの意味だよ、黒ウサギ。〝最強〟ではなく、〝最上〟でもなく、〝最悪〟。箱庭に害を振り撒く災いそのものとして顕現したのが、このニャルラトホテプという魔王だ」

 

「そんな…………」

 

そういえば、と黒ウサギは思い至る。黒ウサギの記憶ではナイアは〝十六夜と一緒に森で見つけた〟ということになっている。その記憶の通りであれば、ナイアを見つけた森は〝人間とは違う種族のコミュニティのテリトリー〟だったはずなのだ。神霊レベルのメンバーはいなくとも、小さな子供でもただの人間の驚異となりえる力は持っている。時間は昼間、暇を持て余した子供たちがうろついていてもおかしくないはずなのに、()()()()()()()()()()()()()()。その小さすぎる違和感が鍵となり、ナイアが黒ウサギに施した改竄のメッキがボロボロと剥がれていく。

 

思い出す、小鬼のことを。思い出す、ゲームのことを。思い出す、あの十六夜の表情を。

 

そして全てを理解したとき、黒ウサギを襲う恐怖。

 

忘れてた方がよかったかもしれない。ゲームの時、十六夜は自分に何も見せてくれなかった。まるで自分を庇うかのように抱き寄せられたあの十六夜の胸の先に、何か悍ましいモノがあったとしたら――――――――。

 

ゾワリと背筋を駆けていく悪寒。一体どんな姿をしていたにせよ、十六夜があそこまで怯えるなんてことは信じられなかった。たった数時間前の、〝世界の果て〟で見せてくれた笑顔が歪む。返した自分の笑顔も歪む。記憶のどこからどこまでが本当で、どこからどこまでの感情が本物か判別がつかなくなる。その細い指が抱いた自分の二の腕に食い込んで痛みを及ぼしても、狼狽した黒ウサギには気にする余裕が無い。

 

――――なぜ忘れていたんだろう

 

――――なぜ思い出したんだろう

 

その恐怖がニャルラトホテプに仕組まれたものだと気づけない。わざと剥がれやすい記憶の改竄をしていたことにも気づけない。思い出す――――そんな、大きすぎる恐怖というものに飲み込まれてしまってはまともな思考などできるわけもない。容赦なく頭を蹂躙するそれに対抗する術もなく削られていく精神を直視しているような錯覚に陥る。もう少し力を加えれば黒ウサギ自身の指が彼女の柔肌を突き破るであろう、その直前まで来たとき、

 

「――――おい黒ウサギ!」

 

突然の大声によって黒ウサギの意識は現実に引き戻された。開けた視界には肩を揺する十六夜がいて、不安そうな顔をする飛鳥と耀が見える。さっきまでは完全に無意識だったが、今は二の腕に走る痛みもしっかり感じることができた。

 

「え……あ……私は………?」

 

「落ち着け、とりあえず深呼吸だ。ほらひっひっふー」

 

「ひっひっふー………いやこれ違いますよね?!これ出産ですよね?!」

 

スパァァン!と十六夜の頭を襲うハリセン。先程までの様子とは一転して元気になった黒ウサギに、十六夜は安堵する。しかし、ケラケラという不快な笑い声がそんな空気を凍らせる。

 

「いやあ、全く面白いよお前たちは。見ていると笑いに事欠かない」

 

その声の主は当然ナイア。黒ウサギは顔を引き締めてキッと見つめて言う。

 

「ナイアさんが今まで何をしていたか教えてください、と言っても、きっとあなたは教えてくれないでしょう」

 

「当然だな」

 

ナイアははっきりと言い切る。それを聞き届けた黒ウサギは白夜叉に視線を移した。

 

「だからこそ、白夜叉様に聞きます。この場で彼のしたことを知っているのはあなた様だけですから」

 

いつになく真っ直ぐな瞳。それに対し、白夜叉はフッと軽く息を吐いて返した。

 

「………わかった。よいよ、黒ウサギ。教えてやろう。こやつがどうして〝最悪の魔王〟と呼ばれるようになったかをな」

 

それは、とある狂気の歴史でもある。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「まずはおんしらに聞きたい。おんしらは〝ニャルラトホテプ〟というものが何かわかるか?」

 

その問いに対して頭の上に〝?〟を浮かべる飛鳥、耀、黒ウサギの三人。しかし十六夜はスラスラと答える。

 

「………ハワード・フィリップス・ラヴクラフトの築いた神話体系、〝クトゥルフ神話〟に登場する邪神の一柱だ。〝這いよる混沌〟〝無貌の神〟など多くの二つ名を冠し、どのような姿にも変身できる特異な力を持っている、異形の神」

 

「正解。よく知っておったな」

 

「あんまりメジャーなジャンルじゃないけどな。まあ、知識として一応知っておいただけだよ」

 

肩を竦める十六夜。ふむ、と白夜叉は声を漏らす。

 

「更に言うなら、クトゥルフ神話において〝盲目白痴の魔王〟と称される〝アザトース〟、そしてその他の〝外なる神〟の意志を代行する使者でもある。と言っても、やってることは滅茶苦茶じゃがな」

 

白夜叉はチラリと横のナイアを見やるが、本人はそんなのどこ吹く風といった風に呑気な顔をしている。それがなんともイラつくのはナイア本人の所業によるものであるが、今はそんなこと言っても仕方ない。

 

「さて、ここからが本題じゃ。そんなものが箱庭で何をしたのか、話そうじゃないか」

 

白夜叉は顔から一切の表情を消して扇子を畳んだ。

 

「――――あれは、まだ私が魔王だった頃の話だ」

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

――――ある街の一角で、それは囁かれていた。

 

「おい、聞いたかあの話」

 

「ああ、なんか魔王が次々に潰されてるらしいな」

 

「なんにせよ、私たちにとっては過ごしやすくていいじゃない」

 

ワイワイと賑わう街の中に流れる一つの噂があった。どうやら最近になって箱庭に流れ着いた何者かが、魔王と呼ばれる者たちを片っ端から潰して回ってるというのだ。

 

そのおかげで人々は平和を享受し、安心して眠ることができる。

 

ある意味で、その人物は人々の間のヒーローであった。

 

しかし誰もその人物の名前を出したり、特徴を上げたりしない。

 

なぜか?

 

当然である。何故なら―――――誰も、その人物の名前も、貌さえも知らないのだから―――――――

 

◇◆◇

 

――――蠢く肉の中心にそれはいた。燃えるように真っ赤に染まった液体が吹き出る様に目を輝かせ、グジュグジュという湿った音に耳を傾ける。

 

不穏な暗闇、不吉な光。相反する二つが奇妙に入り交じる様は正に混沌と称するに相応しい光景であった。が、その中心にいる者はそれ以上の混沌をその(はら)に宿しているように見えた。

 

右腕はその足元で脈動を続ける肉塊よりもなお悍ましく蠢き、その姿は一度として留まることはない。無数の触手が集まり、うねるその様は吐き気を催すほどだ。

 

音もなくそれは立ち上がり、その右腕と呼んでいいのかすらわからない肉塊に掴んでいた〝何か〟を目の前の高さまで掲げた。

 

闇の中、はっきりとした姿は確認できない。しかし、闇とは違う悍ましい光だけはそれをうっすらと照らし出してくれた。

 

それは人の形をしていたものだった。そう、あくまで過去形である。今現在はその形を歪に歪め、とても人間とは言えない見た目へと変貌していた。

 

よく耳を澄ませば聞こえてくる不気味な吐息。口から流れ出る呪詛がそれに彩りを加えている。

 

――――殺し――てやる

 

――――できるもんならやってみろ

 

それに対する反応。嘲笑うかのような声音で吐き出されたそれを聞き届けた人の形〝だったもの〟は、終止絶望した表情のまま、一切の反応を示さなくなった。

 

ひとしきり嘲笑った後に貌に浮かべたつまらなそうな表情。 反応を示さないただの肉塊に興味などとうに失せていて、あとはどうなろうと知ったことではない。

 

しかし()()()()ではまだ使い道がある。

 

掴んだ肉塊を適当に地面に放り投げる。そのとたんに、地面はグジュグジュとグロテスクにその姿を変えて肉塊を包み込んだ。すると―――――

 

ベキッ

 

バキッ

 

硬いものを砕く音。それと同時に更にその形を歪める肉塊。やがてそれは段々小さくなっていき、ついには先程と同じような平らな地面へと姿を戻した。

 

ケラケラと木霊する嘲笑、脈動を続ける地面。

 

明らかに狂っていようとも、それを許容するかの如く辺りを包みこむ混沌が、どれだけ異常であろうとそれを指摘するものはここにはいない。

 

あるのはただ、狂気だけなのだから。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「魔王狩りじゃと?」

 

団子屋の一角で投げ掛けられた問い。訝しげに振り向くと同時に鈴の音が凛と響く。はい、と近くにいた店員は答えた。

 

「なんでも最近名のある魔王が次々と倒されてるらしくて………。しかも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とか」

 

「ほう?」

 

物騒だな、と心の中で付け加える。団子の最後の一個を食い千切り、串を既に高々と積み上げられた()の新たな材料とする。後に店員に聞いた話では、その魔王たちはなんの前触れもなくピタリと出現しなくなったらしい。さらに、噂を囁いているその誰も彼もが魔王とその〝魔王狩り〟のゲームを見たことがないという。

 

「なんとも可笑しな話よの?して、その〝魔王狩り〟というやつはどのようなやつなのだ?」

 

もっともな疑問。団子屋で大量の串を積み上げてようが、これでも魔王と呼ばれる身である。心配になるのは当然であろう。

 

しかし店員は、

 

「いえそれが……()()姿()()()()()()()()()()………」

 

「誰も?それはおかしいだろう、なら誰が〝魔王狩り〟などという噂を流したのじゃ?」

 

「噂を流した人もわからないらしいんです……。いつからか気づいたら流れてた、みたいな感じなので………」

 

「ふむ………」

 

中々奇妙な事態に陥っているようである。行方不明の数多の魔王、姿が知れない〝魔王狩り〟、発信源の分からない噂。

 

娯楽を求める神仏にとって、好奇心とは天の啓示に等しい。ならば従わない道理は無いだろう。

 

「御馳走様」

 

口を拭いて立ち上がり、懐から出した代金を店に置く。さて〝魔王狩り〟の捜索だ、と意気込んだところで店員から声がかかった。

 

「あのぉ……ところで一つ聞きたいのですが………」

 

「なんじゃ?」

 

「………こんなところで何してるんですか、()()()()?」

 

ピシッ

 

白夜王の表情が固まる。そう、何を隠そうこのお方、お忍びのつもりで団子屋に来ていたのである。魔王と呼ばれても仮にも女の子(?)である。甘いものが食べたいときだってあるのだ。

 

「あ~……バレてた?」

 

「逆によくバレないと思ってましたね」

 

はあ~と、目の前のうっかりした魔王様にため息が漏れてしまったのはきっと店員のせいではないはずである。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

――――仕込みは上々だ。

 

噂で人々の記憶に〝魔王狩り〟は深く根付いた。一部では〝魔王狩り〟を英雄視している者もいるらしく、憧憬の念すらも生まれているらしい。

 

――――()()ももうすぐ集まる。その時は――――

 

ニィと口を三日月に歪める。上を向いても覆い尽くす闇しか見えないが、その目はさらに先の昏き深淵を覗き込んでいるように見えた。

 

〝お前が深淵を覗くとき、深淵もまた、お前を覗いている〟

 

そんなことを言ったのは誰だったか。

 

しかし、この場合はそんなもの当てはまらない。

 

今深淵を覗いたのは、覗き込めるような〝人間〟ではない。

 

同じく昏い、深い深い、覗き込みきれないようなそんな――――混沌なのだから。

 

パチャ、パチャと肉塊から吹き出して溜まった真っ赤な水溜まりを踏み進む。一歩踏み出せば肉塊から液体が飛び散り、二歩踏み出せば肉塊が沈み、三歩踏み出せば肉塊が啼いた。

 

悲鳴と慟哭を合わせたような奇声だったが、肉塊の上に立つ者にとってはプロのオーケストラにも負けないほどの感動だったらしく、喉の奥からクツクツと沸き上がる笑いを圧し殺せていないようだった。

 

――――もうすぐお前は完全となる。

 

――――もうすぐお前は混沌となる。

 

――――もうすぐお前は狂気に染まる。

 

愛おしそうに肉塊を撫でれば、撫でた手は真っ赤に濡れる。それをまるで極上のワインでも啜るように舌の上に乗せれば、また肉塊は奇声を上げる。

 

ケラケラ

 

■■■■■■―――!!!

 

嘲笑と奇声の合唱は続いた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「手掛かり無し、と」

 

あれから数日、様々な人脈を当たっても手掛かりらしい手掛かりは一切掴めずにいた。

 

行方不明の魔王は少なくとも十人から二十人。これだけの数がいなくなっているのに一切の情報が無いなど明らかに異常だ。

 

(一体どうなっておるんじゃ?)

 

あまりにも完璧すぎる隠蔽、あまりにも無さすぎる情報に、白夜王も少し疑問を持ち始めていた。

 

情報という形の無いものは必ずどこからか漏れるものである。にも関わらず〝コレ〟なのだ。勘違いで済ませるには惜しい。

 

(まだ調査が必要かの?)

 

再び歩き出そうとした、その時、

 

カタン

 

「ん?」

 

後ろから聞こえた不思議な音。まるで蓋を閉じたかのような音だった。

 

しかし近くに蓋のついた物など持っている者はいない。気のせいか、と割り切って前を向く白夜王。照りつける太陽の光が妙に心地よくないのは何故だろうか?

 

白夜王は太陽の星霊である。故に太陽とは己自身のようなものであり、分身であるとも言える。そのはずなのに心地よくないというのはどうにも解せない。まるでこれから起こる何かを無意識に予期しているような―――――。

 

悩んでも起こっていない未来などわからない。そう理解してはいてもどうしても頭が晴れない。

 

ふと上を見上げてみる。太陽は視線の先で光り輝き、隣に高く聳える塔を照らしていた。

 

しかし、今日の塔は何かが違った。いや、正確に言えば屋根に誰かいる。屋根に登れる手段などあの塔には備えられていなかったはずなのに。

 

キョロキョロと街全体を見渡すように首を右へ左へ動かすその人影。何を見ているのかは白夜王の位置からは把握できないほど離れた距離にいるというのに、その瞳がこちらに向くと白夜王の背筋に嫌な悪寒が走る。

 

やがて人影は首を動かすのを止め、視線を一点に固定する。その方向は――――――。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

――――さて、クライマックスだ。

 

人影は塔の屋根の上から街を見下ろしていた。

 

――――登場はどこがいいだろう?あそこか、あそこか、あそこもいいな。

 

様々な場所に目移りしながらクツクツと笑う人影。目を彷徨わせるとどこも人の笑顔で満ち溢れていて、彼ら彼女らが幸せを満喫しているのだと容易に察することができる。

 

――――だからこそ――――

 

だからこそ、やりがいがある。そう口には出さずに心の中で呟いた。

 

これから起こる〝ショー〟は、皆が幸せでなければ面白くないのだ。幸せで、笑顔を浮かべて、そしてその現実に溺れていてもらわなくてはならない。

 

――――あそこも魅力的だな。

 

目を向けた先にも多くの幸せがあった。子供の笑顔、戯れる親の笑顔、どれもこれもが素晴らしい美しさを誇っている。

 

右へ、左へ。最も美しい輝きを放つ場所を探す。この街は素晴らしい。不幸など微塵も見受けられず、街を包む光に一点の陰りもない。

 

――――だがやはり――――

 

人影が目を向けたのは先程の子供がいた場所。親子の絆の美しさに勝る物は中々無いだろう。

 

しかし、人影はある事実に気づく。

 

――――あれ?

 

記憶ではあの場にもう一人いたはずなのだ。頭に鈴を着けて、扇子を持っていた女の人が。

 

一体どこへ?と思考を巡らせている人影に、唐突に声がかかった。

 

「ほう、中々良い眺めだな。上から見下ろすとまた違った風景が見える」

 

それは女性の声。凜と鳴る鈴がその女性の優雅さを引き立たせているようにも思える。

 

振り返れば、そこにいたのは先程まで下の街にいたはずの女性であった。一体どうやって一瞬でここまで移動してきたのか疑問が残るところではあるが、今はそんなことどうでもいい。

 

「おんしはどう思う?ここからの眺めは実に良いと思わんか?」

 

「――――そうだね。そう思うよ」

 

女性に対して初めて開いた口。妙に柔らかい口調であったが、その声音に柔らかさなど一切感じられない。

 

女性―――――白夜王は少し不信に思って問いかける。

 

「ところでおんし、ここで何しておったのだ?まさかただ街を眺めておった、というわけでもあるまい?もしそうだとしたら、わざわざ屋根まで登る必要は無いであろうからな」

 

「へえ、流石だね〝白夜王〟。流石の考察、流石の思考力といったところか」

 

ピクリと白夜王の眉が動く。それを知ってか知らずか、人影は得意気に進める。

 

「やだなあ、そんな顔しないでよ。だって貴女有名人だよ?知らない奴がいないわけないでしょ?」

 

「それもそうか………って、そうではなくてだな。おんしはここで何を、しておったのかと聞いておるのだよ」

 

そうだねぇ、と人影は顎を指で押さえた。

 

「これからやる〝ショー〟の場所選びだよ。そうだ、白夜王も見ていってよ。ここは特等席だ」

 

「〝ショー〟……とな?」

 

「そう、〝ショー〟だ」

 

隣に立つ白夜王に対して顔も向けずに言い放つ。

 

一筋の風が二人の間に吹いた時、人影は急に口を開いた。

 

「―――――人と桜って似てると思わないか?」

 

突然の問いに白夜王は首を傾げる。

 

「桜?それがどうしたというのだ?」

 

「だってさ、時を待ち、春になると花を咲かせて皆を湧かせる。まるで人生そのものじゃないか、桜っていうのはさ」

 

「それは確かに言えてるかもしれんな」

 

白夜王は肯定した。しかし、

 

()()()

 

人影が続けた。その言葉に少しの陰りが覗く。

 

「どんなに美しく咲いても、一番映えるのは散るときなんだよ。春の風が全ての花の命を尽く摘み取るからこそ美しい。白い天涯が砕けるのは見てて圧巻だ」

 

散るのが一番美しい。ある意味それも正しいのかもしれない。でなければ、桜吹雪などという言葉が生まれるわけがないのだから。

 

「……何が言いたい」

 

「あれを見てよ」

 

人影が指差したのは仲良く笑い合う親子の姿。

 

「美しいよねぇ。明るく、楽しいのが見ててもわかる。だからさ、今からあそこに春風を吹かせてやろうと思うんだ」

 

「春風?」

 

人影の言う〝春風〟というのは、明らかに今吹いている風ではないだろう。しかし、何故か白夜王には猛烈に嫌な予感がしていた。根拠は無い。しかし、どうしても頭から離れない、嫌な予感が。

 

「さあ、見ててごらん」

 

顔を愉しげに歪めて街を見つめる人影。その視線の先には親子の姿。

 

三日月のように飛びっきりの嘲笑を口に浮かべて、人影は告げた。

 

――――さあ、狂気の到来だ!!!

 

その言葉を口にした瞬間―――――

 

街中のマンホールから、数多の肉塊が飛び出した。

 

『キ―――キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!』

 

その悲鳴を皮切りに、街のあらゆるところで蔓延していく惨状。肉塊に呑まれ、絶叫を響かせる人々。

 

血が飛び散り、肉は引き裂け、絶望が空気を満たす。

 

白夜王はその光景を塔の上から、目を見開いて見つめていた。

 

「なんだ………これは…………?」

 

「〝ショー〟だよ」

 

ハッとして人影の方向に振り向く。その人影は嘲笑を浮かべながら宙に浮き、白夜王を見下ろしている。

 

「ああ、そう言えば自己紹介がまだだったね」

 

まるでこの状況を愉しむかのような声音で告げられたその声は、果たして白夜王に向けられたものだったか。それとも、この箱庭という世界に向けられたものだったか。

 

人影は全てを見下すように、バカにするように嘲笑いながら、人影は告げた。

 

「箱庭の民に告げる!後世まで俺の名前を語り継げ!俺の名前を思い出せ!俺は這いよる混沌〝ニャルラトホテプ〟!!!君たちに、恐怖と狂気を振り撒く者であるッ!!!!!!」

 

声高らかに、堂々と。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。