英雄よりも騎士になりたいと思うのは間違っているだろうか 作:琉千茉
「……本当に行くのかい?」
心配そうに訊ねてきたヘスティアに、布袋に金貨を入れながらああと頷く。
現在、ベルはベッドで眠っている。治療を終えた後、プツンと糸が切れたように眠りに着いてしまった。
一晩中ダンジョンを駆け回り、モンスターを相手にしていたのだから仕方ないと、チヒロとヘスティアは彼をそのまま寝かせて、チヒロは酒場での事とダンジョンでの事をヘスティアに話した。
チヒロが話し終えるまで、彼女は静かに偶に相槌を打ちながら聞いていた。
そして現在は、元々昨日から予定として立てていた借金を返しに行く為の準備をしていた。
「別に明日だって構わないんだ。何ならボクが行ってくるよ! ボクの借金も返してもらっているわけだし……」
「ヘスティアは寝てろ。どうせ寝ずに待ってたんだろ?」
金庫を閉じて本棚で隠す。そして、大量に詰め込んだ金貨の入った布袋と換金せずに置いておいたドロップアイテムが入った布袋を持ち上げる。
振り返れば、不安そうな、心配そうな表情をしているヘスティアがそこに立っていた。
「……眠っていないのはキミも同じだろ」
「俺は慣れている」
「でも!」
「今は眠りたくないんだ」
酷く傷ついたような彼に、ヘスティアは言葉に詰まる。
先程と同じ顔だった。
ベルが強くなりたいと言った時に見せたチヒロの顔も、こんなふうに酷く傷ついた、今にも泣きそうな顔をしていた。
すると、そんな彼の大きくて温かな手がヘスティアの頭に乗せられる。
「そんな顔するな。俺は大丈夫だから」
「……っ」
ヘスティアは、ベルが出会いを求めて冒険者になった事を知っている。ベルがチヒロに憧れている事を知っている。
でも、チヒロのことは何も知らない。
彼が何故冒険者になったのかも、何を思って今もダンジョンに潜っているのかも、一年前のあの日何があったのかも、何をその背中に抱え込んでいるのかも。
ヘスティアは何も知らないのだ。
「チヒロ君!」
扉から出ていこうとするチヒロを、ヘスティアは呼び止める。
チヒロは振り返りはしない。
「ボクは待ってるよ……ずっと待ってるから」
「……」
その言葉を背に、チヒロは何も言わずに地下部屋から出て行った。
そんな彼を見送ったヘスティアは、少しだけ潤んだ瞳を伏せる。
「クロ……キミになら彼は話してくれるのかい?」
思い出すのは、いつも自分の事をドチビだの駄神だのと馬鹿にしてきた
口が悪く上から目線な俺様ではあったが、根は悪い奴ではなかった。
現に、チヒロの事を自分に頼んできた時、彼は自分の今までのプライド全てを捨てて頭を下げてきたのだ。
丸くなったと思った反面、ここまで彼を変えたチヒロという子供の存在も気になった。
神々からつけられた二つ名は【異端児】。その名と共に彼は同業者からも畏怖の目で見られる程強いと噂では聞いていた。
そんな彼を見つけたあの日。畏怖の欠片もその彼からは見られなかった。
只々、今にも崩れてしまいそうな子供。それがヘスティアの彼に対する第一印象だった。
それからボロボロの彼を介抱し、目が覚めるまで傍にいた。そして、友神との約束通り彼に手を差し伸べた。
でも、それは約束があったからだけではなかった。
自分の大切な場所で泣き続ける彼を放っておいてはダメだとあの時思ったのだ。だから自分の意思で彼に手を差し伸べた。この子を守ってあげたいと。
ただ、彼にそう言えばきっと離れていくとヘスティアは分かっていた。
だから、ずっとヘスティアは待ち続けている。彼が自身の事を自ら打ち明けてくれる事を。彼が自ら助けを求めてくる事を。
そして、その時が来たら絶対に全力を持って彼に応えようと。
「キミは彼が背負っているものを知っているのかい? ……もし知っているのなら、ボクは堪らなくキミが羨ましいよ、クロ」
ここにはいない友神に、悔しさと羨ましさを滲ませながら、ヘスティアは小さく呟く。
自分と彼ではチヒロと過ごしてきた月日が違うのだから、当たり前だとは思う。だけど、どうしてもそう思わずにはいられなかった。
◆◆◆
お金とドロップアイテムを抱えながらチヒロが歩んでいるのは、北西のメインストリート。通称『冒険者通り』。
その名の通り、冒険者には必要不可欠なギルドの本部が面していて、多くの武器屋や道具屋、酒場などが軒並み広がっているそこは、冒険者の往来が激しい。
時刻は朝の九時。多くの者がダンジョンに向かう為に、前準備としてそれぞれ必要としているお店へと入っていく。
そんな中を歩きながらチヒロは昨日アイズ達と合流した時間か、などと呑気な事を考える。
考えて後悔した。昨夜アイズに取った酷い態度を思い出した事で。
あのまま話をしていればアイズが謝ってきたであろうことはチヒロも分かっていた。だが、チヒロはアイズに謝って欲しいわけでも無ければ、アイズに何かをして欲しかったわけでもない。
だが、それが彼女を傷つける事になる事も理解していた。それでもチヒロはああすること以外の方法をあの場で思いつかなかった。
先程のヘスティアとの事に関してもそうだ。
相変わらずな自分に、チヒロは小さく溜息をつく。
「(……アイズと何かあった時、必ずクロにバレて問い詰められてたっけ)」
ホント不器用だよな、お前はって爆笑しながらも、ちゃんと――チヒロは頼んでない――助言をくれた彼。
ちょっとどころじゃなくどうでもいい助言も入っていたが、最終的にはいつもそれのおかげで解決していた。
だが、今回はそうもいかない。現在その厄介アドバイザーはチヒロの横にはいないのだ。
自分の重い空気が更に重くなった所で、ある建物の前で足を止めた。
周りのお店と比べて、ふた回りほども大きな武具店。炎を思わせる真っ赤な塗装は、一際目を引いていた。
そのお店の看板には【Hφαιστοs】というロゴが刻まれている。
ここは【ヘファイストス・ファミリア】。世界でも名高い鍛冶師の【ファミリア】だ。
陳列窓に飾られている一級品の武器を尻目に、チヒロはそのお店の扉を潜った。
「何で来て早々そんな空気重いのよ」
「別に……」
彼が突然やって来るのはいつものことなので気にはしないが、あからさまに落ち込んでいますという雰囲気を纏いながらソファーで丸くなっているのは、仕事中の者からしたら気が散って仕方がなかった。
ぷいっとそっぽを向いた彼――チヒロに、目の前に立っている女性は、小さく苦笑する。
彼女の名はヘファイストス。
燃えるような紅い髪と左眼、そして右眼を覆い隠す黒い眼帯が特徴的な、かの有名なヘファイストス・ファミリアの主神であり、ヘスティアの神友、そしてチヒロとも何かと付き合いが長い女神様だ。
ヘファイストスは、備え付けてある棚からカップを取り出しながら、チヒロに声をかける。
「ココアで良かったわよね?」
「……うん」
小さく返ってきた返事に、ヘファイストスは小さな笑みを自身が浮かべたのを感じる。
彼が甘党だというのは、彼の前主神から何度も聞かされた事だ。それを思い出しながら、常人が飲むそれよりも甘くする。
自分の分のコーヒーも忘れずに淹れる。
淹れたココアを机に置いて、チヒロと対面に位置するソファーに腰掛けて、自分の分のコーヒーに口を付ける。
そうすれば、チヒロも少し間を空けて出されたカップを手に取り、ゆっくりとココアを飲んだ。
「体の調子はどう?」
「問題ない」
「それならいいけど……でも、無理はダメよ? あなた、半年も眠ってたんだから」
「その節はお世話になりました」
そう言ってチヒロは、ソファーの後ろに置いていた布袋をドンと机の上に置く。
それには持ってきた金貨とドロップアイテムが入っている。
「別に催促した訳じゃないんだけど……というか、私要らないって言ってるでしょ?」
「俺の気がすまん」
「そういう所は頑固よね」
引く気はないという空色の瞳に、溜息をつく。
一年前、チヒロの前主神であるクロノスに「もしもの事があればチヒロの事を頼む」とヘファイストスはヘスティアと共に頼まれた。
『もしも』という言葉に、違和感を感じて追求したが、彼はその事について答えてはくれなかった。前もって彼が行方不明になるという事が分かっていれば、言うまで問い質したというのに、今では後の祭りだ。
そして、事件は起きた。ヘスティアがボロボロになったチヒロを連れて駆け込んできたのだ。
何があったのかと困惑したが、すぐにチヒロを介抱して、クロノス・ファミリアがホームとしていた場所に数名の眷属を連れて向かって見れば、そこはまるで元々何も無かったかのように焼け野原となっていた。
クロノスがどこかに居るのではないかと至る所を探したが、どこにもクロノスの姿はなく、最終的にギルドが出したのは『神クロノス天界へ送還。それに伴い、クロノス・ファミリア消滅』というものだった。
チヒロの事に関しては、ギルドに報告はしたが、Lv.6のチヒロとあのクロノスの現状に、チヒロが生存しているという事は伏せられる事になった。万が一、クロノス・ファミリアが何者かに奇襲を受けたとして、チヒロが生きていると知ったその者が再びチヒロを襲ってくるのではないかという危険性を考慮しての事だ。
黒髪から色が抜け落ち、白髪へと変わってしまったチヒロが目を覚ましたのは、それから半年が経ってからだった。
「私は彼に頼まれたからあなたを介抱しただけよ」
「『彼に頼まれたから』……ね」
「な、何よ、その言い方……」
「好きな相手に頼まれたらそりゃ断れないよなって」
「ぶっ!?」
飲んでいたコーヒーを思いっきり、目の前に座っていたチヒロに吹き出した。
紅い髪のように頬を赤くしている彼女を見ながら、チヒロはタオルを創り出して、白髪から滴るコーヒーを拭く。
「だ、だから、それは違うって……!!」
「そんな赤い顔で言われても説得力ない」
「~~ッ」
顔を真っ赤にしながら半眼で彼を睨んでも全く効果がない事は、ヘファイストスも分かっている。
下手に言い訳するよりも、この話を切るために目の前に置かれた物を、受け取ろうと決心する。
「わ、分かったわよ、受け取ればいいんでしょ! 受け取れば!」
思った事をそのまま口にしただけで、別にからかっていた訳ではないが、どこか必死な彼女にチヒロは小さな笑みを浮かべる。
「ヘファイストスって本当にクロに弱いよな」
「それはあなたも一緒でしょ?」
「何だかんだちゃんと見てるからな、あの俺様」
「ホントよね。普段は自分以外興味ないって感じなのにね。それで何人の
「つまり、ヘファイストスがクロを好きになったのは神様達がよく言うギャップ萌えってやつか」
「私の事はもういいでしょ!!」
真剣になるほどと納得しているチヒロに、ヘファイストスが顔を真っ赤にしながら突っ込む。
このままでは埒があかないと、彼女は無理矢理話を変える。
「それより、チヒロはどうなのよ? 昔から女の子に言い寄られてたけど」
「え? 何で俺の話?」
「あら、気になるじゃない。噂の【剣姫】とはどうなの?」
その二つ名を聞いた瞬間、チヒロがずーんと重たい空気を醸し出す。その姿は、この部屋に入ってきた時のチヒロと一緒で。
これは地雷を踏んでしまったかと、ヘファイストスは苦笑する。きっと
だが、ヘファイストスはそれをしない。というより、あんな変神にはなりたくない。あの顔を思い出すだけで、同じ神である事を否定したくなる。
その時だけは彼の眷属であるチヒロを可哀想に思えた。
「あなたの事だから聞いても話さないと思うけど……まぁ、頑張りなさい」
小さくコクンと頷いた彼に微笑んで、彼が持ってきたドロップアイテムを確認する。
そこには鍛冶師にとって目を輝かせる程の武具の素材となるドロップアイテムが揃っていた。
「さすがと言うべきかしらね」
それからヘスティアの借金返済の金貨へと目を向ける。
これは本来ヘスティアが返すものであり、チヒロが気にする事ではないと言ったのだが、ヘスティアは今の自分の主神だから眷属としてそれを一緒に背負うのは当然だと言われて押し切られた。
彼ばかりに甘えていられないとヘスティアも頑張っているようなので、彼女にとってはいい刺激剤となったのかと、ヘファイストスは思っている。
それでもチヒロから受け取るのは後ろめたさを感じるが。
「……ん?」
そこで違和感を感じた。
いつもよりも多い気がするのだ。
「ねえ、チヒロ。これちょっと多くない?」
「『内金』」
「え?」
意味が理解できず、キョトンとした顔を彼に向ければ、彼はココアを飲み干して立ち上がった。
その顔には珍しく悪戯めいた笑みを浮かべている。
「ヘファイストスって何かと苦労人だよな」
「……嫌な予感しかしないんだけど」
「クロの事もそうだけど、俺の主神達が毎回迷惑かけてすまないな。よろしく頼んだよ」
そう言ってチヒロは颯爽とその場を立ち去る。
「ちょっとそれどういう事よーーっ!!」
そんな女神の声を無視して、チヒロはヘファイストス・ファミリアを出て行った。
そして、一人残されたヘファイストスは嘆息する。
「もう……何なのよ、『内金』って」
『内金』とは売買や請負などにおいて,売買代金や報酬の全額支払いに先だって支払われる一部の支払いをいう。
つまり、彼は自分に後々お金のかかるような何かをさせようとしているのか。否、彼ではない彼女だ。
彼は『主神』が『迷惑』と言った。つまり、彼の主神である
頭痛がしてきた頭を押さえる。
「……何を企んでいるのかは知らないけど、考えても埒があかないわ」
今から彼女に会いに行くかと考えたが、大手ファミリアの主神として仕事を放り出す訳にはいかない。
何よりも、もし彼女が何かしら自分にお願いをしてくるのだとしたら、彼女から動き出すはずだ。自分を探すために。
そして、もうすぐ神々が集まる『神の宴』が開かれる。きっと彼女はそこに自分を探しに来るだろう。
嫌な予感しかしないが、『内金』をもらってしまった――無理矢理渡された――以上、聞くだけ聞いてみようと自分を納得させる。
「……チヒロのああいう所はクロに似てしまったのかしらね」
きっとヘスティアはこの『内金』の事を知らない。それはチヒロの性格からして予想が出来る。彼は絶対に言ってないと。
裏でコソコソと動き回るのはクロノスの専売特許だとヘファイストスは思っている。まるでそんなクロノスの性格を受け継いでしまったかのようなチヒロのやり口に、溜息しか出てこない。
そしてチヒロがこうなった原因であるクロノスは、現在も裏で何かやっている。
クロノスが消失した後に、ヘスティアがチヒロを眷属にしようと、チヒロの背中を見れば、クロノスが刻んだステイタスがまだ生きていた。
普通なら、主神が天界へ送還されれば、眷属はその恩恵を失う。だが、チヒロはそれを失ってはいなかった。それは即ち、クロノスがまだ下界にいるという事。
なのに、彼はチヒロの傍にいない。何をしているのかと頭が痛くなる。
思い出すのは、自分のプライドを捨ててまで頭を下げてチヒロの事を自分達にお願いしてきたクロノス。
「……ホント、どこにいるのよ」
ニッと口角を上げて得意気に笑う彼を思い出して目を伏せる。
只々、早く帰って来て欲しいという思いだけが、自分の中で積み上がっていくのを感じていた。
ヴェルフすまん!
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