世の中クソだな in ダンまち   作:アレルヤ

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第4話

 「このイシュタルのファミリアに入りなさい」

 

 ほんの少しでも動けば、互いの唇が触れ合う。

 そう思ってしまうほどに近い距離で、目の瞳を見つめ合う二人。

 扇情的な手つきでアダチの顎を撫で上げる。イシュタルは口を三日月のように歪め、自身の唇を舌先でなぞった。

 

 「貴方がいれば、あの女の手駒である最強すらも打ち破れる。貴方がいれば、この迷宮都市だけではなく世界すらも手に入る」

 

 イシュタルは男であれば誰もが虜になるであろう、蠱惑の艶を持たせた声でアダチに呼びかけるのだ。貴方が欲しいと、貴方の全てを私に頂戴と。

 イシュタルは愛欲に濡れた瞳、情欲に滾った感情を隠そうともせずにアダチを誘惑する。

 

 「貴方の力と神たる私の力さえあれば、この地上で私たちに勝てる存在はいない。名誉も、至上の富も、万民万神の喝采も、全て貴方と私で分け合える」

 

 欲無き聖者すらも堕落させるイシュタルという神。

 その欲望を滾らせんとする心振るわせる言葉を――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「悪いけど、そういうのは別にいいから」

 

 ――――アダチは笑顔の仮面と冷めた瞳で受け止めた。

 

 部屋の空気が一瞬にして凍りつく。アダチの一言が時を止めた。

 そこにいるだけで息が出来ぬような張り詰められた緊張感が、二人を中心に室内を蹂躙する。

 

 「……理由を、聞いても?」

 

 己の意識を強引に手繰り寄せたイシュタルは、静かな笑みを顔に浮かべた。ただし、最早冗談は許さぬと言わんばかりに神の圧力を以って問いかける。

 

 イシュタルは熾烈にして傲慢な神である、とアダチはその怠惰な目の奥に、鋭い光を宿して観察していた。

 

 言ってしまえば我儘だ。自分が袖にするならまだしも、袖にされるのは大嫌い。

 実際にかの神話では、己の愛を拒絶したギルガメッシュに対して、特上の災難を送りつけた神であった。

 この世界においても、その本質は変わりが無いのだろう。

 

 今でも平静を保っているように見せかけているものの、内心ではハラワタが煮えたぎっているのはよく解る。

 ああ、結局神だのなんだのいいながらも人間と変わらないじゃないか。そう心の中でアダチはあざ笑いながら言葉を紡ぐ。

 

 「単純に興味がないんですよ。理由はそれぐらいですね」

 

 イシュタルは言葉を返さなかった。以外にも殺気に似た威圧は、イシュタルから消え去っている。

 ほうっと安心して息を吐き出したアダチは、凝り固まった足をほぐしながら力を込める。

 

 「あー……まぁ、今のお話は無かったことにしませんか。これからのお互いのためにも、そうした方が間違いないでしょうから」

 

 軽薄な笑みと共にアダチは立ち上がった。

 沈黙を未だ保ち、静かに自身を見つめるイシュタルに一礼して背を向ける。

 まったく、面倒くさい一日であった。とっとと家に帰って眠ろうと決意を固め、扉に歩き始める――――が。

 

 「……そう、そうなのね」

 

 おかしくてたまらない、そんなイシュタルの声に歩みを止めた。

 

 「解ったわ、ええ、そうなの。そうなのね」

 

 クスクスクスクスクスクスクスクス。

 幼い少女のように、おかしくてたまらないとイシュタルは笑う。嗤う。嘲笑う。

 

 アダチはその笑い声にどうしようもなく不愉快な気持ちにさせられた。

 実際、イシュタルの笑いはアダチを滑稽だと嘲笑う、神故の傲慢さが感じられた。

 思わず立ち止まり、振り返る。

 

 直後、アダチは後悔した。

 

 一瞬でも人間と変わらないと思ったのは大きな間違いだ。

 こいつは人間じゃない。人間がこんな悪辣な顔で笑えるわけがないと。

 

 「空虚ね、本当に空虚だわ。だからこそ私は貴方が愛しいの。ええ、愛しいのよ」

 

 もう付き合えない、無視だ無視。

 

 アダチはこんな所に派遣した豚(ギルド長)を脳内でローストビーフ調理。野犬に放り投げた。

 「あ、あはは。失礼します」と、これまでとは打って変わって余裕を失ってヘタれたように、後ろ姿を見せて足早に去ろうとしたその時。

 

 イシュタルは艶やかな唇を開いて言い放った。

 

 「道化師のようにふらふらと周りを散々に振りまわしてあげなさい。このオラリオを、フレイアを、私すらも。人である限り欲望からは離れられない。貴方はきっと、きっと私の下に来るわ」

 

 神話において女神の予言は絶対だ。数多の英雄は神と女神の予言によって振り回され、殺されてきた。

 イシュタルのその言葉は、間違いなく予言であり、また絶対であると確信する。

 この世界の神は人に乗り越える試練しか与えはしない。そしてこの世界の神は我が子と見定めた命を、思うがままに愉しみたいと考える。

 

 二つの意を乗せたイシュタルの予言。その神の予言をアダチはどう受け止めたのか。

 

 「……って、普通途中で帰る?……もう」

 

 嫌な予感がするからと、大半を聞き逃して逃げ去っていた。

 イシュタルは頬を膨らませて、アダチが逃げ帰った扉を見続けていた。

 

 

 

 

 

 

 ■ ■ ■

 

 

 

 

 アダチは不真面目である。

 

 これはアダチ自身も、周囲のギルド職員も認めている事であった。

 よく仕事を抜け出してお茶を飲みに行く、そのへんを適当にぶらぶらと歩く。面倒事はできるだけ避け、楽な方を好む。身なりはだらしなく、態度もいいかげんである。

 

 だが、アダチは仕事ができないわけではなかった。

 

 一般的に『不真面目』と、『仕事ができない』ことは混同されがちである。

 『不真面目』な人間は物事への取り組み方に問題がある場合があり、結果として『仕事ができない』ことが多いからだ。

 

 しかしアダチはそのいい加減さに反比例するが如く、周囲のギルド職員と比べても彼は仕事がとても上手かったのだ。

 

 より効果的に、より効率的に。ギルド従来のやり方とは異なる場合が多く、最初は上司を初めとした多くのギルド職員から不審に思われた。

 だが時間を経て仕事に慣れ、責任を求められる仕事が任されるにつれて、彼自身の処理能力の高さが発揮されるようになると、彼に対する評価は自然と変わっていった。

 

 交友関係では彼自身の性格の問題もあって、中々人柄や距離感を計りかねているものも多い。

 だが彼を知る者は、皆彼自身をギルドの仲間であると認めていた。その中には、彼を頼り助けられた者も大勢いたのだ。

 

 助けを求められれば、アダチは面倒くさがりながらも、短いながらも的確な言葉と行動で答えを示す。

 ため息を吐き出して嫌そうではあるものの、その本質的な部分ではお人よしなのだろうと周囲は理解した。

 

 実際はそんなことはない。

 アダチはそんな出来た人間ではなく、そもそも周囲を助けるなどやりたくもなかった。

 しかし、これにはエイナの働きが大きく関係していた。

 

 アダチは助けを求められても、当初は面倒臭がって決して動こうとはしなかった。

 しかしアダチが馴染めているか、仕事が出来ているかと、エイナはちょくちょく受付からここまで来て顔を出しており、その場面を見つかってしまうことが多々あったのだ。

 

 その結果は火を見るより明らかであった。

 エイナは頭に怒りの四つ角を浮かべ、アダチは冷や汗をかきながら目を彷徨わせることとなる。

 

 エイナの有難いお話は人の道を説き、ギルド職員としての心構えを説くものであったが、アダチは大半を聞き流そうとするので終いにはエイナのくどくどとしたお説教へと変わった。

 そんな体験を幾度と無く経験したアダチは、大の面倒事より小の面倒事を取ろうと、困った職員に対して手を貸すようになっていった。

 

 そしてそれが体に染み付いてしまい、エイナが来ない今となってもこの環境から抜け出せずにいる。

 

 これじゃ鳴上くんをお人好しと笑えないと、アダチは自分自身に呆れて嫌になった。

 

 「すいません、ガネーシャファミリアの申請書がまとめられているところをご存知ですか?前年度のものが資料室になくって……」

 

 「昨日受付の子が持って行ったよ。人間で紅い髪の子だったかなぁ。返却されてないし、まだ受付にでもあるんじゃないの?」

 

 「ちょっと!この区画は出店が許可できなくなったって、今年から決まったことを忘れたの!?」

 

 「あぁ、それ?いや、上からの命令で今年も大丈夫って事になったみたい」

 

 今、ギルドは『怪物祭(モンスターフィリア)』で大忙しであった。

 ぶつくさと文句を言って走り去っていく職員。それをしりめに頬杖をつきながら、アダチは大きな欠伸をついた。

 最近どうしてか、やたらと周囲の職員が自分に質問をしてくる。同じ部署であればまだしも、他の部署からもわざわざくるのだから、たまったものではなかった。

 

 「前までは嫌な顔すれば帰ってくれたんだけどねぇ……」

 

 「それだけみなさんに受け入れられてきたっていうことですよ。喜んでいんじゃないですか?」

 

 何気なくつぶやいた言葉。それに返された事で、アダチは顔を上げる。

 目の前には書類を抱えた仕事仲間であるエイナの姿があった。思わずアダチの頬が引き攣る。

 

 ただでさえ話したくもない連中に話しかけられて疲れているというのに、エイナの小言にまでまた付き合わされたのでは、たまったものではなかった。

 

 「あ、あはは。エイナちゃん?どうしたの?ほら、僕ちゃんと仕事してるよ」

 

 「知ってますよ、どうしてそんなに慌ててるんですか」

 

 「いや、君が僕のところにくる理由なんてそれぐらいしかないじゃん」

 

 経験から語るアダチに、エイナは眉をしかめる。呆れたように肩をおとした。

 

 「それはアダチさんがいつも仕事を抜け出したり、仕事を真っ当せず楽しようとするからです。それとも、それ以外の理由で来たらおかしいですか?」

 

 「いや、別におかしくはないのだけどね。えーっと、じゃぁ……何か新しい仕事?」

 

 「違います、アダチさん。今日は何の日か知ってますか?」

 

 じとーっとした視線を向けられて、アダチはたじろぎエイナがここへ来たわけを必死に考える。しかし、これがまったく思い浮かばなかった。

 

 「……あーうん、ごめん」

 

 「……何がですか」

 

 「降参」と目を泳がせながらお手上げとばかりに両手を上げる。

 見ようによっては恋人の痴話喧嘩にも間違われかねない様子に、周囲は苦笑しアダチを小声でやじる。

 アダチは周囲を睨んだが、全く効果が無いようだった。むしろ若い女性職員が黄色い悲鳴をあげて笑って茶化す始末。

 

 一方、そんな周囲の流れをまったく理解していないエイナは大きくため息を吐き出した。

 

 「アダチさん、別に悪いことをしているわけじゃないのですから謝らなくていいじゃないですか」

 

 「いやぁ、あはは……だってエイナちゃん顔が怖いし」

 

 最後はものすごく小さな声であった。正面からは怖くて言えない、そんなアダチのささやかな抵抗だった。

 情けないと言うのなら、ここに来て是非とも僕の立ち位置に立ってほしいものだ。恐らく秒にも満たない僅かな時間で後悔するに違いない。

 

 「今日はアダチさんがここに来てから、ちょうど一年目になる日です。それで」

 

 言葉が途切れてしまった。エイナは口を開こうとするが、その度に迷い、声にならないようであった。

 

 この時点でアダチは一刻でも早く家に帰りたいという思いに苛まれた。

 ああ、こういった展開は青春していた鳴上くんみたいな青ガキの専売特許だったはずだ。どうして自分はここにいるのだろうか、しかも当事者で。

 

 気がついたのだが、周囲から一切の物音がしなくなっている。視線を動かすと、部屋にいる全員が自分たちに注目していた。

 固唾をのんで見守られているという気まずい雰囲気に、額から汗がつたい落ちていく。

 「おい、お前ら散々助けてやってるのだから恩を返せよ」と心で叫んでも、もちろん伝わるわけもなく。助けてくれるヒーローが、ヒロインではない自分のところに現れてくれるはずがなく。

 

 仕方がなくアダチは視線を未だ迷っているエイナに戻し、いつも曖昧な笑みを浮かべた。

 

 一方、エイナは躊躇いを覚えて踏み込めずにいた。

 

 アダチは自身の心が覚られてはいないと思っているだろう。しかしエイナには解っていた。アダチが自分を面倒くさい相手だと、好意的に決して見てはいないことに。

 

 昔はいろいろとお節介をやき、仕事だけでなく私生活にまで口を出してしまっていた。仕事が終わった後も、エイナはアダチを食事に誘う事も多かった。

 

 だがエイナがアダチと時間を共に過ごし、彼を知るにつれて、エイナはアダチの心の壁の大きさを知ってしまった。

 皮肉なことにアダチを心配すればするほどに、アダチを知りたいと願えば願うほどに、エイナはアダチに受け入れてはもらえない事を知っていく。二人の関係はより遠いものになっていったのだ。

 アダチが拒絶する態度を取るにつれて、エイナも心を開かないアダチに躊躇いを覚えていった。徐々に私的な時間を共有する回数は減り、ついには完全に仕事だけの関係となった。

 

 これは人付き合いを好まないアダチが望んだ結果であった。

エイナがアダチとの関係の改善を望んでいたことは察していたものの、そこまで彼女に付き合ってあげる理由はないと考えていた。

 エイナもアダチの心のうちを察するからこそ、手が伸ばせない。仕事という隠れ蓑を被っていなければ、アダチに話しかける事すらできなかった。

 

 エイナはいつかアダチが心を開いてくれることを願っていた。

 アダチはお節介焼のエイナが諦めることを願っていた。

 

 そして。

 

 「一緒に、お祝いしませんか?」

 

 エイナは願うだけでは意味が無いことを知り、傷つくことを承知でアダチへと手を伸ばしたのだった。

 

 「……お祝い?」

 

 「はい」

 

 「えーと、誰と?」

 

 「私と、です」

 

 「二人で?」

 

 「……はいッ!」

 

 アダチはその誘いを受けて、天を仰いで嘆いた。

 神様は元々大嫌いであったが、さらに嫌いになった。

 

 アダチにはエイナがどうしてここまで自分に付きまとってくるのか解らない。

 エイナは何やらの持ち前のお人よしを使命感に変えているようであったが、放っておいてほしいアダチからすればいい迷惑であった。

 

 頭をこねくらせて何とか断ろうと、必死に言い訳を探す。

 

 「ああ……気持ちはうれしいけれども、みんな怪物祭で残業だって辞さない覚悟で働いてるでしょ?なのに僕だけが早く帰るっていうのは流石に、ね?残念だけど、また別の機会にしたほうが、今回はいいかもしれないね」

 

 アダチは本当は残業などするつもりは全くなかった。ましてや別の機会などあってもやるつもりもない。

 そんなアダチの心を察して悲し気に目を伏せて「そうですね」とエイナが呟いた、その時であった。

 

 「アダチさん、先に帰っていいですよ?」

 

 不穏な言葉がアダチの耳に飛び込んできた。

 アダチがまるで油の切れたブリキ人形のように首を動かすと、快活に笑う一人の同僚の姿が。

 

 「せっかくエイナちゃんに祝ってもらえるんだからさ、俺たちに遠慮しなくっていいって」

 

 そう言って彼が周囲に同意を求めると、次々と賛同の声が上がっていく。

 それはアダチにとって「死んでくれる?」と言われているに等しかったが、そんなことを周囲の同僚たちが知る由もない。

 

 「これぐらいなら大丈夫だよ~いつもアダチさんにはお世話になってるし~?」

 

 うん、お世話になっている自覚があるなら助けてよ。

 

 「せっかくのエイナちゃんの心遣いなんだ、断られたら見ている俺たちの方が心苦しいぜ」

 

 違うね、今一番心苦しくて死んでしまいそうなのは、間違いなく僕だ。

 

 「わぁ、エイナちゃんもついに!?アダチさん、行かなくちゃダメですよ!絶対です!」

 

 君に至ってはすごーく面倒な勘違いしてない?

 

 おい、何でみんなそんなに楽しそうなんだよ。

 アダチは内心悲鳴をあげるも、祭り事が大好きでお人よしなオラリオの住人達がそんなことを知るわけもなく。

 

 「よっし、俺達も終わったらそっちにすぐに向かうから……。って痛い、誰だ叩いたの」

 

 「馬鹿野郎、野暮な事すんじゃねぇっての」

 

 「まったくもう!空気を読みなさいよね!せっかくエイナが勇気出して誘ったんだから……」

 

 アダチは乾いた笑いを浮かべ、最後には天を仰いで悟ったのであった。

 そうだ、これまでの経験上。周りが楽しい時ってのは大体自分が楽しくない時であったと。

 自分の役回りがまったく改善されてないことに気づき、思わず変な笑い声が口からこぼれ落ちていった。まさか自分が祝福される側にまわってもこんな目に会うとは……。

 

 「このこの、エイナにも春が来たわけね~」

 

 「いいな~私もアダチさんのこと狙ってたのにな~」

 

 「へ……?え、あ、ち、違いますッ!私はアダチさんをお祝いしないとと思って……ッ!?」

 

 「はいはーい、分かってる分かってるって♪」

 

 目の前には周りに応援されてテンパり、冷やかされて顔を真赤にしているエイナ。

 これじゃ帰ってきてからも、何かいろいろと有る事無い事で冷やかされそうだとアダチは肩を落とした。




気がついたら年を越えておりました。
オラリオの陽気な住人が中心であるダンまちのターンの話。
次回でいつも感じに戻ります。

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