世の中クソだな in ダンまち   作:アレルヤ

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第2話

 「アダチさん、その髪は何ですか?」

 

 エイナは頬を引き攣らせながら、目の前の男を睨む。

 厳しい視線を受けたアダチは、困ったように頬をかきながら、曖昧な笑みを浮かべた。

 

 「何って……髪だけど?」

 

 「ええ、寝ぐせまみれの髪ですね」

 

 「……いやぁ、そのさ、朝はやっぱり忙しいでしょ?それでどうしてもね」

 

 「ええ、そういうこともあるでしょうね。ですが毎日毎日、髪に寝ぐせがあるのはどうしてですか?」

 

 苦笑いを浮かべるアダチに、冷めた顔でそれを見つめるエイナ。

 ギルドにおいては、最早見慣れた光景であり、日常ともいえるものであった。

 

 周囲の職員たちも、最初はアダチとエイナの喧騒にあたふたとしていたものの。

 毎日飽きること無く繰り返される光景に、やがて「ああ、いつものか」と慣れてしまったのだろう。

 エイナとアダチの横を興味を持つこと無く、チラリと見ては通り過ぎて行く。

 

 「ともかくッ!ちゃんと寝ぐせを直して来てくださいね」

 

 「そうだね、うん、検討するよ」

 

 「実行してくださいッ!」

 

 「あ、そろそろ仕事場にいかないとさ、ほら」

 

 逃げ出すかのようにその場を後にするアダチに、エイナはまるで威嚇する犬のように、小さな唸り声をあげたのであった。

 

 『ギルド』。

 それは迷宮都市オラリオの管理機関である。

 

 冒険者の登録といった役所的な役割から、迷宮から回収される魔石の利益管理まで。

 さらにはダンジョンの情報提供や、未熟な冒険者へのサポートなど、実に幅広い役割を担っている。

 言ってしまえば、このギルドは行政機関そのものであり、街の中心であった。

 

 エイナはギルドの受付、かつ冒険者のサポートや相談が仕事。

 一方でアダチは事務仕事等を行う、完全な裏方であった。

 

 ようやくエイナと離れることができたと、疲れた様子でアダチは所属する部署の扉を開ける。

 

 「おぉ、アダチ。おはよう」

 

 「また朝から派手にエイナさんに言われてたようだな」

 

 軽い挨拶とばかりに、同僚から飛ばされるやじ。

 

 顔を顰めながら放っておいて欲しいと言うと、カラカラと笑いながら彼らは仕事に戻っていく。

 まったくやになるなぁとボヤきながら、アダチは自分の机にカバンを置く。

 そして疲れた老人のように椅子に深く座り込み、あくびをして書類を手にとった。

 

 「お、おはようございます」

 

 女性の声に首を動かすと、書類を抱えた職員の姿があった。

 青色の髪を後ろにひとまとめにした、気の弱そうな、まあ美人。

 確か彼女は他部署の職員であるはずだが、何か用があったのだろうか。

 

 「そ、その、これ、私のところで分かる人がいなくて。それで、アダチさんならって」

 

 差し出される資料の束。

 明らかに自分の管轄ではないそれに、思わず顔を僅かばかり顰めてしまった。

 

 それが悪かったのか、気の弱そうな女性職員は肩をびくっと跳ね上がらせる。

 そしてついには目の端に涙を浮かべ始めた。

 

 あ、これは不味いな。そう思ったところで感じる周りからの視線。顔をゆっくりと動かす。

 

 野郎職員からは、てめぇ美人に話しかけられ、挙句に泣かせやがってという嫉妬の視線。

 女性職員からは、女の子を泣かせるとか酷いわねという冷たい視線。

 

 「あ、ごめんね。ほら、自分は朝が弱くてさ。ちょっと貸してくれるかい?」

 

 ひったくるようにして、書類を受け取ると、パラパラと見流していく。

 

 たくさんの数字が翻る書面を見ながら、アダチは「ここと、ここが計算間違っているね」と指摘を重ねる。

 そのまま手元の紙で計算式を書き出すと、正しい数値を割り出して記入。

 

 これで問題はもう無いよ、放るように差し出した。

 女性職員はオドオドといった様子で受け取り、目を見開く。

 そのまま何度も頭を下げ、御礼の言葉を言って嬉しそうに去っていった。

 

 アダチは胡乱な目でそれを見送った後、肩を鳴らしながら自らの仕事にとりかかる。

 気だるげに仕事を済ませていくアダチに、先ほどの光景を見つめていた同僚の一人が声をかけた。

 

 「あれ、会計課の資料だろ?お前よくわかったよな」

 

 「……はぁ。まぁ、そのね。何となくやったらできたみたいな、ね?」

 

 なんじゃそりゃ、そう言って笑う。

 

 「お前、記憶喪失って言ってるけどさ。やっぱりあれじゃない?名の知れた商家の息子だったんじゃないか」

 

 興味のままに飛び出た言葉。

 しかし彼はいけないとすぐに口をつぐむ。

 

 「すまん、忘れてくれ。あんまりいいもんじゃないよな」

 

 「……いや、別に。忘れた過去より生きる今ってね」

 

 飄々と変わらない様子に、安心したのか。

 その同僚は今度昼飯でも奢るよと改めて謝罪した後、仕事に戻っていった。

 

 「生きる今……ねぇ」

 

 何かを思うように呟くアダチ。

 普段の軽薄な様子とは打って変わって、その顔には一種の感情が浮かび出ていた。

 握られたペンが、軋んで悲鳴の音を上げる。

 

 「おい、アダチ。ちょっといいか?」

 

 「へ?ああ、何ですか先輩」

 

 そう言って席を発ったアダチには、先程まであった剣呑な様子が一切感じられなくなっていた。

 普段と変わらない、どこか抜けている覇気のない雰囲気と共に、アダチは上司の下へと向かった。

 

 トオル・アダチという男は記憶を失っている。それはこのギルドで周知の事実であった。

 見慣れない生地の衣服を身につけ、気がつけばダンジョンの低階層に、たった一人で倒れていたのだという。

 

 通常ではありえないことだった。

 魔物から身を守るための武器や防具を装備しておらず、さらには着る物以外何一つ持っていなかったのだ。

 

 幸いにも魔物に見つかる前に、人が良い冒険者に発見されたからいいものの。

 通常であれば魔物に殺されるか、素行の悪い冒険者に身ぐるみを剥がされて捨て置かれるか、そのどちらかであっただろう。

 

 ギルドに運び込まれてからも、彼の存在にはいろいろな推測が飛び交っていた。

 

 体の線が細く、さらに神からの恩恵を受けていない彼は冒険者ではないだろう。

 身なりが整っており、しっかりとした布地の服を着ていることから、恐らくどこかの商家の息子が、興味本位でダンジョンに潜ったのではないかと言われていた。

 

 実際、そのような無謀極まりない人間は後を絶たない。

 いくらギルド側が目を見張っていても、その隙をつこうとするものはいくらでもいる。

 誰かが手引したのだろうか、ともかく起きた後に話を聞かなければどうしようもないだろう。

 ギルド職員たちはそう考えて、彼が起きるのを待った。

 

 だが本当の問題は、男が起きてからであった。

 

 亜人や獣人の存在に驚き、ギルドの存在に首を傾げ、ダンジョンの存在に笑い、神の存在に目を見開いた。

 さらには文字を理解できず、大陸や国の名前、この世界の常識ともいえる知識を知らないという。

 

 男は自身の名前が「トオル・アダチ」ということ以外、この世界のありとあらゆる知識を失ってしまっていたのだ。

 

 「そういえばさ。アダチさんが記憶を失ってから、もうすぐ一年は経つよね」

 

 ふと気がついたように、隣で受付の業務を行っていた女性のギルド職員から、そのような言葉が飛んできた。

 エイナが顔を向けると、感慨深そうに当時の事に思いを馳せている。

 

 「ギルド側はもうほっぽり出すつもりだったけどさ。エイナが必死になってアダチさんを庇ってあげて、身元引受人にまでなって」

 

 ニヤニヤと笑いながら、さらに続けて口を開く。

 

 「文字やら何やら、全部教えたのもエイナでしょ?はっきりいって、どうでも良かったらそこまでしないよね?ほらほら、お姉さんにちょっと本音を語ってみたら?」

 

 明らかに妙な事を考えている同僚に、エイナは呆れてその頭を小突いた。

 

 「目の前に困っている人がいたら、出来る限り力になるのは当然じゃない。貴方が考えているようなことは何もありません」

 

 「え、なにそれつまんない」

 

 「うわっ、こいつマジか」と言わんばかりに、顔を引き攣らせる。

 

 他人の色恋沙汰に関する話は、女性にとっては大好物であることが多く、このギルド職員もその例に漏れなかった。

 特に目の前のハーフエルフの友人は、綺麗な割にまったく浮いた話がない。

 ついでに、本人もまったくそのことを気にしていない様子であった。

 

 だからこそ、アダチとの関係に期待している自分がいたのだが……。

 

 「いや、でもさ。あれだけ毎日アダチさんに世話やいてるじゃない?」

 

 「身元引受人として当然です。彼が一人前になるよう、最善を尽くすのが何かおかしいことですか?」

 

 「そ、それにしては接する回数とか、態度がさ」

 

 ね、とひと押し。

 すると何か考えるところがあったのか、豊満な胸の下に腕を組んで考えるエイナ。

 やがて思い至ったのか、「ああ、なるほど」と納得する。

 

 「犬……かなぁ」

 

 「……は?」

 

 「ほら、お腹を空かせて鳴いている野良犬を見ると、一生懸命助けてあげないと……みたいな。ほら、アダチさんて、どこか犬に似ていませんか?」

 

 ああ、なるほどね。駄目だこりゃ。

 

 持ち前のお節介焼きと、頼りないだめ男好きを、何をどうなってか二つ合わせて拗らせてしまったらしい。

 本人は間違いなく否定するだろうが、自分ではなく他人の方が解ることもあるのだ。

 

 「ま、いいけどさ。でもアダチさん、あれでも人気あるのよ?」

 

 「まーた話を盛って」

 

 「いやいや、本当なんだなぁ。これがさ」

 

 一年間も同じ職場で働けば、トオル・アダチがどのような人間なのかは周りもわかってくる。

 

 本人は「優秀なギルド職員」を自称しているが、お調子者でおっちょこちょい。

 いい加減なところも多く、気を抜けばよく仕事を抜け出す。制服にはいつもシワが残っている。

 

 そのために頼りない男と思われがちだが、実際のはそれだけではない。

 文字を僅か一ヶ月で覚え、口を開けば弁も立つことから頭は悪くない。

 仕事も最初の三ヶ月は、それこそ四苦八苦していたものの、今では他の部署の仕事まで見れるほど要領が良い。

 

 「あの人はあんな性格だけど、意外といい相談相手になってくれるって人気なんだよ。話すのが上手いっていうかさ」

 

 「誤魔化すのが上手いってことじゃないですか」

 

 「それも話し上手の一つだよ。実際、最近は交渉事もいくつか任されているらしいじゃん。上司との仲も悪くないしさ。買いって思っている子も多いよ」

 

 エイナは眉を顰めた。

 彼女はやや浮かれ気味にアダチのことを、非常に高く評価している。

 いや、事実彼女の言うことに間違いはない。

 

 処世術に長けているというべきか。

 能力も有り、口も達者。皮肉交じりなところもあるが、基本的には誰でも受け入れる鷹揚さを持ち合わせていた。

 

 我が強い者には、どうしても肩肘を張ってしまいがちになる。

 だが、アダチのように抜けていて砕けていると接しやすく話しやすい。

 そういうところも、彼の美点の一つとして、周囲に受け入れられていることは分かっている。

 

 だが……。

 

 「私は、アダチさんのあの振る舞いは好きじゃないかな」

 

 エイナは、決してそうは思っていなかった。

 普段らしからぬ様子に驚いた女性職員は、目を見開いてエイナを見つめる。 

 自然に飛び出してしまった言葉だったのか、エイナ自身も驚きを顔に浮かべた。

 

 数瞬の間。

 常に明るさと前向きな態度を崩さないエイナが、その時ばかりは顔を暗くして俯いた。

 心配した同僚が、気遣いの言葉をかけるも反応が悪い。

 

 「え、えーと、エイナはどうしてそう思うの?」

 

 「それは……」

 

 そこから先の言葉は生まれなかった。

 それを言ってしまえば、これまで自分がアダチと共に築き上げてきた何かが、あっという間に崩れ去ってしまう気がしたからだ。

 

 エイナはそれを恐れてしまった。

 

 重い沈黙がしばらく続く。

 エイナは躊躇いがちに口を開く。しかし、続く言葉は出なかった。

 彼女を信頼する冒険者が、彼女の下へと訪れたからだ。

 

 「エイナさん、お疲れ様です」

 

 「……あ、ベルくん」

 

 「おーい、ちょっといいか?」

 

 「ん、お疲れ様でーす。本日はどのようなご用件で?」

 

 それは、となりでエイナの言葉を待っていた女性職員も例外ではない。

 先ほどあった時間の余裕が嘘のように、多くの冒険者が受付へ押しかけてくる。

 

 目の前の冒険者をサポートするために、一人一人親身に相談にのっていく。

 エイナは、先ほど自分が考えてしまった事を振り切るように、普段以上に仕事に力を入れる。

 しかし、それでも拭いきれぬ言いようのない、もやもやとした感情は心に残ってしまう。

 

 『もしかしたら、アダチさんは私を、私達を信用していないのかもしれない』

 

 その言葉を飲み込み、心の奥に押しのけるようにして。

 エイナはいつも通りの姿を演じて、その日も立派にギルド職員としての義務をなし終えた。

 

 その何かに苦悩する姿が、どこかアダチと同じモノであることを。

 エイナが気がつくことは、最後の最後まで無かった。

 

 迷宮都市オラリオは、いくつもの顔を持つ。

 南北のメインストリート近辺。その第三区画から第四区画にまで広がっている『歓楽街』も、オラリオが持つ黒き一面であった。

 

 冒険者は、命を削って金を得ていると言っても過言ではない。

 迷宮に潜り、数多の魔物と相対し、時には同業者すらも出し抜いて生と金を掴む。

 見返りは、賭ければ賭けるほどに、命を削れば削るほどに大きいのは知っての通り。

 

 自身の冒険者としての名誉と結果を表す者の一つが、膨大な『金』であった。

 それを誇示するかのように、装備や衣服、趣味等に多大な金銭を費やす事は、冒険者の一種の美徳として考えられている。

 

 酒、女もまたしかり。

 生を賭けて金を掴みとるからこそ、生に金を還元することは人の世のコトワリである。

 

 ここには東方・砂漠といった様々な文化が融合した、オラリオでも珍しい外観の建物が並び立つ。

 扇情的な格好をした女が行き交い、道には甘い香の香りが漂う。

 ありとあらゆる種族が集められ、世界中の様式の娼館と賭博場が立ち並ぶ。それがオラリオの『歓楽街』であった。

 

 そんな中、鼻を擽る香りに眉を顰める男がいた。

 男であれば情欲がくすぐられる格好も、蠱惑的な女性の微笑みも、艶がノッた声すらも、男は全て煩わしそうに払いのける。

 

 やがてついたある立派な娼館に足を踏み入れ、案内された先には三つの影。

 対面した足立は猫のように背を丸めながら、伺うように彼らに笑いかけた。

 

 「……というわけで、これがうちのギルドとしての見解なんですよね」

 

 アダチはそう言って、頭を書きながら手元の書類を差し出した。

 殺伐とした雰囲気に、アダチは内心毒を吐きながら天を仰ぐ。見えた景色は彩色に彩られた天井。細かい金細工が施されたそれに、金の周りがいいなと目を細めた。

 

 「ロイマンの奴が、どう考えているかっていうのは解った。まぁ、これぐらいなら許してあげる」

 

 「いやぁ、それはこっちも助かりますよ」

 

 イシュタル様、そう言ってアダチは笑った。

 

 二人をアマゾネスを側に控えさせ、豪華絢爛な椅子に座す神がそこにいた。

 彼女こそ美の象徴、性愛の根源とした信仰を集めた神。娼婦たちの主神。

 狂気すら感じさせる蠱惑的な色気を漂わせながら、イシュタルはアダチをじっと見つめる。

 

 「……おまえ達は下がりなさい」

 

 自らの敬愛する主人の言葉に、二人のアマゾネスは、迅速に、かつ静かに部屋から出て行く。

 残されたのは、神と一人の人間。

 

 「……それでアダチ、前に話した誘いに対する考えはまとまった?」

 

 優雅に微笑むイシュタル。

 そしてそれに対して、誤魔化すようにアダチは笑みを顔に貼り付けた。

 アダチは顔でこそ笑って入るものの、その目の奥には漆黒の深い闇が感じられた。

 それを知っているからか、イシュタルは、益々嬉しそうに笑みを深める。

 

 「ええと、どういうご用件でしょうか?ああ、当方ではもちろん秘密裏に支援させていただくご用意は……」

 

 「このイシュタルのファミリアに入りなさい」

 

 そう言って、イシュタルは身を乗り出す。

 体を強ばらせるアダチの頬に手を添えると、額が密着しそうになるほどに顔を近づけた。

 神の深い嫉妬と狂気の瞳が、アダチの闇を見つめていた。


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