世の中クソだな in ダンまち 作:アレルヤ
「アダチさん、その髪は何ですか?」
エイナは頬を引き攣らせながら、目の前の男を睨む。
厳しい視線を受けたアダチは、困ったように頬をかきながら、曖昧な笑みを浮かべた。
「何って……髪だけど?」
「ええ、寝ぐせまみれの髪ですね」
「……いやぁ、そのさ、朝はやっぱり忙しいでしょ?それでどうしてもね」
「ええ、そういうこともあるでしょうね。ですが毎日毎日、髪に寝ぐせがあるのはどうしてですか?」
苦笑いを浮かべるアダチに、冷めた顔でそれを見つめるエイナ。
ギルドにおいては、最早見慣れた光景であり、日常ともいえるものであった。
周囲の職員たちも、最初はアダチとエイナの喧騒にあたふたとしていたものの。
毎日飽きること無く繰り返される光景に、やがて「ああ、いつものか」と慣れてしまったのだろう。
エイナとアダチの横を興味を持つこと無く、チラリと見ては通り過ぎて行く。
「ともかくッ!ちゃんと寝ぐせを直して来てくださいね」
「そうだね、うん、検討するよ」
「実行してくださいッ!」
「あ、そろそろ仕事場にいかないとさ、ほら」
逃げ出すかのようにその場を後にするアダチに、エイナはまるで威嚇する犬のように、小さな唸り声をあげたのであった。
『ギルド』。
それは迷宮都市オラリオの管理機関である。
冒険者の登録といった役所的な役割から、迷宮から回収される魔石の利益管理まで。
さらにはダンジョンの情報提供や、未熟な冒険者へのサポートなど、実に幅広い役割を担っている。
言ってしまえば、このギルドは行政機関そのものであり、街の中心であった。
エイナはギルドの受付、かつ冒険者のサポートや相談が仕事。
一方でアダチは事務仕事等を行う、完全な裏方であった。
ようやくエイナと離れることができたと、疲れた様子でアダチは所属する部署の扉を開ける。
「おぉ、アダチ。おはよう」
「また朝から派手にエイナさんに言われてたようだな」
軽い挨拶とばかりに、同僚から飛ばされるやじ。
顔を顰めながら放っておいて欲しいと言うと、カラカラと笑いながら彼らは仕事に戻っていく。
まったくやになるなぁとボヤきながら、アダチは自分の机にカバンを置く。
そして疲れた老人のように椅子に深く座り込み、あくびをして書類を手にとった。
「お、おはようございます」
女性の声に首を動かすと、書類を抱えた職員の姿があった。
青色の髪を後ろにひとまとめにした、気の弱そうな、まあ美人。
確か彼女は他部署の職員であるはずだが、何か用があったのだろうか。
「そ、その、これ、私のところで分かる人がいなくて。それで、アダチさんならって」
差し出される資料の束。
明らかに自分の管轄ではないそれに、思わず顔を僅かばかり顰めてしまった。
それが悪かったのか、気の弱そうな女性職員は肩をびくっと跳ね上がらせる。
そしてついには目の端に涙を浮かべ始めた。
あ、これは不味いな。そう思ったところで感じる周りからの視線。顔をゆっくりと動かす。
野郎職員からは、てめぇ美人に話しかけられ、挙句に泣かせやがってという嫉妬の視線。
女性職員からは、女の子を泣かせるとか酷いわねという冷たい視線。
「あ、ごめんね。ほら、自分は朝が弱くてさ。ちょっと貸してくれるかい?」
ひったくるようにして、書類を受け取ると、パラパラと見流していく。
たくさんの数字が翻る書面を見ながら、アダチは「ここと、ここが計算間違っているね」と指摘を重ねる。
そのまま手元の紙で計算式を書き出すと、正しい数値を割り出して記入。
これで問題はもう無いよ、放るように差し出した。
女性職員はオドオドといった様子で受け取り、目を見開く。
そのまま何度も頭を下げ、御礼の言葉を言って嬉しそうに去っていった。
アダチは胡乱な目でそれを見送った後、肩を鳴らしながら自らの仕事にとりかかる。
気だるげに仕事を済ませていくアダチに、先ほどの光景を見つめていた同僚の一人が声をかけた。
「あれ、会計課の資料だろ?お前よくわかったよな」
「……はぁ。まぁ、そのね。何となくやったらできたみたいな、ね?」
なんじゃそりゃ、そう言って笑う。
「お前、記憶喪失って言ってるけどさ。やっぱりあれじゃない?名の知れた商家の息子だったんじゃないか」
興味のままに飛び出た言葉。
しかし彼はいけないとすぐに口をつぐむ。
「すまん、忘れてくれ。あんまりいいもんじゃないよな」
「……いや、別に。忘れた過去より生きる今ってね」
飄々と変わらない様子に、安心したのか。
その同僚は今度昼飯でも奢るよと改めて謝罪した後、仕事に戻っていった。
「生きる今……ねぇ」
何かを思うように呟くアダチ。
普段の軽薄な様子とは打って変わって、その顔には一種の感情が浮かび出ていた。
握られたペンが、軋んで悲鳴の音を上げる。
「おい、アダチ。ちょっといいか?」
「へ?ああ、何ですか先輩」
そう言って席を発ったアダチには、先程まであった剣呑な様子が一切感じられなくなっていた。
普段と変わらない、どこか抜けている覇気のない雰囲気と共に、アダチは上司の下へと向かった。
トオル・アダチという男は記憶を失っている。それはこのギルドで周知の事実であった。
見慣れない生地の衣服を身につけ、気がつけばダンジョンの低階層に、たった一人で倒れていたのだという。
通常ではありえないことだった。
魔物から身を守るための武器や防具を装備しておらず、さらには着る物以外何一つ持っていなかったのだ。
幸いにも魔物に見つかる前に、人が良い冒険者に発見されたからいいものの。
通常であれば魔物に殺されるか、素行の悪い冒険者に身ぐるみを剥がされて捨て置かれるか、そのどちらかであっただろう。
ギルドに運び込まれてからも、彼の存在にはいろいろな推測が飛び交っていた。
体の線が細く、さらに神からの恩恵を受けていない彼は冒険者ではないだろう。
身なりが整っており、しっかりとした布地の服を着ていることから、恐らくどこかの商家の息子が、興味本位でダンジョンに潜ったのではないかと言われていた。
実際、そのような無謀極まりない人間は後を絶たない。
いくらギルド側が目を見張っていても、その隙をつこうとするものはいくらでもいる。
誰かが手引したのだろうか、ともかく起きた後に話を聞かなければどうしようもないだろう。
ギルド職員たちはそう考えて、彼が起きるのを待った。
だが本当の問題は、男が起きてからであった。
亜人や獣人の存在に驚き、ギルドの存在に首を傾げ、ダンジョンの存在に笑い、神の存在に目を見開いた。
さらには文字を理解できず、大陸や国の名前、この世界の常識ともいえる知識を知らないという。
男は自身の名前が「トオル・アダチ」ということ以外、この世界のありとあらゆる知識を失ってしまっていたのだ。
「そういえばさ。アダチさんが記憶を失ってから、もうすぐ一年は経つよね」
ふと気がついたように、隣で受付の業務を行っていた女性のギルド職員から、そのような言葉が飛んできた。
エイナが顔を向けると、感慨深そうに当時の事に思いを馳せている。
「ギルド側はもうほっぽり出すつもりだったけどさ。エイナが必死になってアダチさんを庇ってあげて、身元引受人にまでなって」
ニヤニヤと笑いながら、さらに続けて口を開く。
「文字やら何やら、全部教えたのもエイナでしょ?はっきりいって、どうでも良かったらそこまでしないよね?ほらほら、お姉さんにちょっと本音を語ってみたら?」
明らかに妙な事を考えている同僚に、エイナは呆れてその頭を小突いた。
「目の前に困っている人がいたら、出来る限り力になるのは当然じゃない。貴方が考えているようなことは何もありません」
「え、なにそれつまんない」
「うわっ、こいつマジか」と言わんばかりに、顔を引き攣らせる。
他人の色恋沙汰に関する話は、女性にとっては大好物であることが多く、このギルド職員もその例に漏れなかった。
特に目の前のハーフエルフの友人は、綺麗な割にまったく浮いた話がない。
ついでに、本人もまったくそのことを気にしていない様子であった。
だからこそ、アダチとの関係に期待している自分がいたのだが……。
「いや、でもさ。あれだけ毎日アダチさんに世話やいてるじゃない?」
「身元引受人として当然です。彼が一人前になるよう、最善を尽くすのが何かおかしいことですか?」
「そ、それにしては接する回数とか、態度がさ」
ね、とひと押し。
すると何か考えるところがあったのか、豊満な胸の下に腕を組んで考えるエイナ。
やがて思い至ったのか、「ああ、なるほど」と納得する。
「犬……かなぁ」
「……は?」
「ほら、お腹を空かせて鳴いている野良犬を見ると、一生懸命助けてあげないと……みたいな。ほら、アダチさんて、どこか犬に似ていませんか?」
ああ、なるほどね。駄目だこりゃ。
持ち前のお節介焼きと、頼りないだめ男好きを、何をどうなってか二つ合わせて拗らせてしまったらしい。
本人は間違いなく否定するだろうが、自分ではなく他人の方が解ることもあるのだ。
「ま、いいけどさ。でもアダチさん、あれでも人気あるのよ?」
「まーた話を盛って」
「いやいや、本当なんだなぁ。これがさ」
一年間も同じ職場で働けば、トオル・アダチがどのような人間なのかは周りもわかってくる。
本人は「優秀なギルド職員」を自称しているが、お調子者でおっちょこちょい。
いい加減なところも多く、気を抜けばよく仕事を抜け出す。制服にはいつもシワが残っている。
そのために頼りない男と思われがちだが、実際のはそれだけではない。
文字を僅か一ヶ月で覚え、口を開けば弁も立つことから頭は悪くない。
仕事も最初の三ヶ月は、それこそ四苦八苦していたものの、今では他の部署の仕事まで見れるほど要領が良い。
「あの人はあんな性格だけど、意外といい相談相手になってくれるって人気なんだよ。話すのが上手いっていうかさ」
「誤魔化すのが上手いってことじゃないですか」
「それも話し上手の一つだよ。実際、最近は交渉事もいくつか任されているらしいじゃん。上司との仲も悪くないしさ。買いって思っている子も多いよ」
エイナは眉を顰めた。
彼女はやや浮かれ気味にアダチのことを、非常に高く評価している。
いや、事実彼女の言うことに間違いはない。
処世術に長けているというべきか。
能力も有り、口も達者。皮肉交じりなところもあるが、基本的には誰でも受け入れる鷹揚さを持ち合わせていた。
我が強い者には、どうしても肩肘を張ってしまいがちになる。
だが、アダチのように抜けていて砕けていると接しやすく話しやすい。
そういうところも、彼の美点の一つとして、周囲に受け入れられていることは分かっている。
だが……。
「私は、アダチさんのあの振る舞いは好きじゃないかな」
エイナは、決してそうは思っていなかった。
普段らしからぬ様子に驚いた女性職員は、目を見開いてエイナを見つめる。
自然に飛び出してしまった言葉だったのか、エイナ自身も驚きを顔に浮かべた。
数瞬の間。
常に明るさと前向きな態度を崩さないエイナが、その時ばかりは顔を暗くして俯いた。
心配した同僚が、気遣いの言葉をかけるも反応が悪い。
「え、えーと、エイナはどうしてそう思うの?」
「それは……」
そこから先の言葉は生まれなかった。
それを言ってしまえば、これまで自分がアダチと共に築き上げてきた何かが、あっという間に崩れ去ってしまう気がしたからだ。
エイナはそれを恐れてしまった。
重い沈黙がしばらく続く。
エイナは躊躇いがちに口を開く。しかし、続く言葉は出なかった。
彼女を信頼する冒険者が、彼女の下へと訪れたからだ。
「エイナさん、お疲れ様です」
「……あ、ベルくん」
「おーい、ちょっといいか?」
「ん、お疲れ様でーす。本日はどのようなご用件で?」
それは、となりでエイナの言葉を待っていた女性職員も例外ではない。
先ほどあった時間の余裕が嘘のように、多くの冒険者が受付へ押しかけてくる。
目の前の冒険者をサポートするために、一人一人親身に相談にのっていく。
エイナは、先ほど自分が考えてしまった事を振り切るように、普段以上に仕事に力を入れる。
しかし、それでも拭いきれぬ言いようのない、もやもやとした感情は心に残ってしまう。
『もしかしたら、アダチさんは私を、私達を信用していないのかもしれない』
その言葉を飲み込み、心の奥に押しのけるようにして。
エイナはいつも通りの姿を演じて、その日も立派にギルド職員としての義務をなし終えた。
その何かに苦悩する姿が、どこかアダチと同じモノであることを。
エイナが気がつくことは、最後の最後まで無かった。
迷宮都市オラリオは、いくつもの顔を持つ。
南北のメインストリート近辺。その第三区画から第四区画にまで広がっている『歓楽街』も、オラリオが持つ黒き一面であった。
冒険者は、命を削って金を得ていると言っても過言ではない。
迷宮に潜り、数多の魔物と相対し、時には同業者すらも出し抜いて生と金を掴む。
見返りは、賭ければ賭けるほどに、命を削れば削るほどに大きいのは知っての通り。
自身の冒険者としての名誉と結果を表す者の一つが、膨大な『金』であった。
それを誇示するかのように、装備や衣服、趣味等に多大な金銭を費やす事は、冒険者の一種の美徳として考えられている。
酒、女もまたしかり。
生を賭けて金を掴みとるからこそ、生に金を還元することは人の世のコトワリである。
ここには東方・砂漠といった様々な文化が融合した、オラリオでも珍しい外観の建物が並び立つ。
扇情的な格好をした女が行き交い、道には甘い香の香りが漂う。
ありとあらゆる種族が集められ、世界中の様式の娼館と賭博場が立ち並ぶ。それがオラリオの『歓楽街』であった。
そんな中、鼻を擽る香りに眉を顰める男がいた。
男であれば情欲がくすぐられる格好も、蠱惑的な女性の微笑みも、艶がノッた声すらも、男は全て煩わしそうに払いのける。
やがてついたある立派な娼館に足を踏み入れ、案内された先には三つの影。
対面した足立は猫のように背を丸めながら、伺うように彼らに笑いかけた。
「……というわけで、これがうちのギルドとしての見解なんですよね」
アダチはそう言って、頭を書きながら手元の書類を差し出した。
殺伐とした雰囲気に、アダチは内心毒を吐きながら天を仰ぐ。見えた景色は彩色に彩られた天井。細かい金細工が施されたそれに、金の周りがいいなと目を細めた。
「ロイマンの奴が、どう考えているかっていうのは解った。まぁ、これぐらいなら許してあげる」
「いやぁ、それはこっちも助かりますよ」
イシュタル様、そう言ってアダチは笑った。
二人をアマゾネスを側に控えさせ、豪華絢爛な椅子に座す神がそこにいた。
彼女こそ美の象徴、性愛の根源とした信仰を集めた神。娼婦たちの主神。
狂気すら感じさせる蠱惑的な色気を漂わせながら、イシュタルはアダチをじっと見つめる。
「……おまえ達は下がりなさい」
自らの敬愛する主人の言葉に、二人のアマゾネスは、迅速に、かつ静かに部屋から出て行く。
残されたのは、神と一人の人間。
「……それでアダチ、前に話した誘いに対する考えはまとまった?」
優雅に微笑むイシュタル。
そしてそれに対して、誤魔化すようにアダチは笑みを顔に貼り付けた。
アダチは顔でこそ笑って入るものの、その目の奥には漆黒の深い闇が感じられた。
それを知っているからか、イシュタルは、益々嬉しそうに笑みを深める。
「ええと、どういうご用件でしょうか?ああ、当方ではもちろん秘密裏に支援させていただくご用意は……」
「このイシュタルのファミリアに入りなさい」
そう言って、イシュタルは身を乗り出す。
体を強ばらせるアダチの頬に手を添えると、額が密着しそうになるほどに顔を近づけた。
神の深い嫉妬と狂気の瞳が、アダチの闇を見つめていた。