世の中クソだな in ダンまち 作:アレルヤ
エイナ・チュールは怒っていた。
ダンジョンを運営管理する『ギルド』の受付嬢のハーフエルフ。
それがエイナという女性であった。
パリっと整ったギルドの制服に身を包み、そこにはしわひとつ見受けられない。
短く切りそろえられたブラウニーウッドの髪は、艶がありしっかりと手入れがされていることが解る。
その佇まいは真面目なギルド職員そのもの。
実際に彼女は自他ともに認めるほど、職務に忠実で非常に真面目なハーフエルフだった。
堅実な仕事ぶりは、他のギルドの職員からの評判もよい。
親身に相談に乗り、的確なアドバイスを行ってくれる事から、冒険者達からも人気が高い。
面倒見が良く、仕事もできる。
そんな彼女は、目を吊り上げて息巻いていた。
「……リア」
「はい、なんで……ひっ!?」
見知った仕事仲間を呼び止める。
リアと呼ばれた少女が、エイナの顔を見て真っ青になる。
「え、あの、その、わ、私、何か、間違いを」
「別にあなたに怒っているわけではありません」
「え、じゃ、じゃあ」
戸惑い気味に疑問の意を表したリアに、エイナは怒りを圧し殺して尋ねた。
「アダチさんがどこにいったのか、知っておりますか?」
ああ、アダチさん。またですかー。
リアの恐怖が、氷が溶けるように消えていく。
原因が自分では無いことに安堵し、同時にここにはいない同僚に呆れた。
よくもまぁ、ここまで彼女を何度も怒らせて懲りないものだと。
「えーと、またですか?」
「またです。それで、ご存知ですか?」
「す、すいません。私は知りません。でもお昼休みの後から、ギルド内では見かけておりません。もしかしたら外に出ておられるのかと……」
「……ありがとうございます」
声がまた一段と低くなったエイナ。
怒気を漂わせながら、歩き去っていくその姿を見送った後。
話をこっそり盗み聞きしていた同僚の一人が、リアに恐る恐るといった様子で声をかける。
「えーと、アダチさん。またなの?」
「は、はい。そうみたいです」
すると同僚が、大きくため息を吐き出す。
「あの人も本当に懲りないよね。それにエイナだって真面目すぎ、いい加減に放っておけばいいのにさ」
まぁ、エイナも意地になっているところがあるよね。
そう言って苦笑する同僚の姿に、リアも乾いた笑いをこぼしながら頷いた。
エイナはそんな事などつゆ知らず、有無をいわさずに外出許可を取ると、ギルドの外へ踏み出す。
女は怒ると非常に怖い。美人であれば尚の事。
というのはどこに行っても、通じる普遍的な真理であるが、容姿端麗なエイナもまたその例に漏れなかった。
屈強な冒険者達が、顔をそむけて自ら進んでエイナの為に道を開けていく。
多くの怯えた視線を向けられていたが、怒りに燃えるエイナはまったく気がついていなかった。
恐らくはそこまで遠くには行っていないだろう。
ギルドの周辺にある屋台で、お茶でも啜っているに違いあるまい。
そう目処をつけていたエイナは、周囲を行き交う人へ男の情報を尋ねる。
彼らも既にアダチという男と、エイナの追っかけっこを十分に理解しているのだろう。
またかい、と慣れたように対応する。すぐに角の店に彼がいる事が解ってしまう。
そこは男の行きつけ、サボり先とも言える茶屋であった。
また、あそこですか。
エイナが思わず笑みをこぼすと、その情報を話した獣人は、怯えた様子でそそくさとその場を離れる。
それから時間にして数分と経たずして、件の茶屋に到着。
エイナが目線を彷徨わせていると、すぐに目的の男が視界に入った。
「……いた」
男はギルドの制服を身につけたまま、椅子にゆったりと腰掛けて、ぼうっと空を眺めていた。
丸机には茶器と、何も乗っていない皿が一つ。茶菓子でもあったのだろうが、既に食べ終えているのだろう。
さらに怒りのボルテージが上がる。
まるで東方に存在するシノビのような足運びで、ゆったりと男の背後に立つ。
そしてエイナは氷のような笑いを浮かべると、冷え冷えするような優しい声をかけた。
「アダチさん」
男は、その声に大きく肩を跳ねる。
数秒の後、恐る恐るといった様子で。ゆっくりと、油の切れたブリキ人形のように背後へ振り向いた。
そこには目の奥に怒りの炎を燃やしたエイナの姿をが。
「あ、あはは……ええと」
「随分とまぁ、寛いでいるようですね」
視線を右往左往させる、東方風の顔立ちをした男性。
この男こそ、アイナが探していた『アダチ』なる人物であった。
「うん、エイナちゃんもお茶を飲むかい?ここは年上として奢ってあげるから」
「へぇ、そうやってごまかすつもりですか」
「い、いや、別にそんなことはないんだけどね」
周囲は何があったとのかと二人へ顔を向ける。
だがそれがエイナとアダチであると判れば、いつものかと言った様子で興味を失う。
この街では、既に珍しくもない光景になっていた。
「あ、あはは。ほら、一応仕事は全部終わらせたからさ。ほんの少しの休憩を楽しみたいっていうか」
「そうなんですか。ですがまだアダチさんの就業時間は終わっていないはずですが」
背を丸めて髪をかくアダチに、エイナは苛立ちが募っていく。
困ったと言い訳を考えているのかもしれないが、困っているのは私だ。
もう何度目になるのか、このどうしようもないやりとりは。
「アダチさん、ギルドに戻りますよ。みっちり、ええ、それこそみっちり今日は仕事をして頂きます」
「いや、今日の僕の仕事はもう無いっていうか」
「ご安心を、ちゃんと私が掛けあってご用意して差し上げますから」
苦い薬を噛み締めた顔に変わったアダチの手を取ると、ギルドへ引っ張り連れ戻す。
アダチはああだこうだと口を動かしているが、エイナはその一切を聞き流しながら、歩みを止めることは決してなかった。
その日の夜。
煤けた背中をさらしながら、アダチは疲れきった様子で帰路につく。
帰り際に同僚たちにからかわれ、今日あったアイナとの遣り取りを揶揄されたためか、余計に疲れてしまっていた。
この迷宮都市『オラリオ』は、昼間とはまったく違った顔を夜に見せる。
明かりを灯すいくつもの酒場からは、酔った男女の喧騒が外にまで響き渡る。
路上では酔った冒険者達が険悪な雰囲気になっていたり、酔いつぶれた獣人が大イビキを発しながら寝ている姿もあった。
アダチは下手に絡まれぬよう道の端を歩きながら、そんな光景を冷めた目で見つめていた。
ポケットに手を突っ込みながら、眠たげな瞳は一つ一つの夜のオラリオを捉えていく。
「……はぁ、何やってんだろうねぇ。僕はこんなところでさ」
その問いかけは、いったい誰に向けたものであったのだろうか。
アダチはギルドの紹介で住まわせてもらっている、集合住宅の自分の部屋にたどり着く。
扉を開けると、そこにあったのはベッドと机、それに数着の私服。必要最低限の物しか無い、飾り気の一切ない部屋。
軽く水で自分の体を拭った後、アダチは黒パン一つを食べると、明かりを消してすぐにベッドに横になる。
暗い中、誰もいないこの部屋で一人目をつむっている。
そうすると嫌でも今日もまた、目をそらし続けた事実と向き合わざるをえない。
何度、これが夢だと思ったのか。何度、起きたらあの牢の中で目を覚ますと思ったか。
しかし何度こうして目を瞑り、朝の光で目を覚ましても、自分がいる世界は変わっていない。
『アダチ』はここオラリオのギルド職員として、これからも、ずっと生きていくことになる。
むっくりと、ベッドの上で背を起こす。
狂気の光を瞳に宿し、手を握りしめ、開く。
一枚の、禍々しく光を発するカードが浮かび上がった。
アダチはそれを胡乱な目で見つめていたが、やがて大きなため息を吐き出す。
つまらなそうに手を振り払ってカードを消した。
「ダンジョンがあろうが、神様がいようが、冒険者や獣人やエルフがいようが、結局―――」
ベッドに身を預けながら、頭の後ろに腕を組む。
意識がゆったりと落ちていくことを感じながら、アダチは気だるげに呟く。
「―――世の中クソだな」
それは悲観的なものではなく、どこか空虚な言葉であった。