ある日妹が増えまして   作:暁英琉

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だからお兄ちゃんはお兄ちゃんでいられなくなる

「さて、行くか」

 また社畜のような平日が過ぎた。終業式関連の手伝いだの平塚先生の命令だので勉学以外もこなしていて、帰ってきたら高校入学までのモラトリアムを享受している小町が夕飯を用意して待っているのだから完全に社畜である。

 いろはがうちに来てから、土曜日は二週に一度くらいの頻度で外出をする。日曜はヒーロータイムがあるので出かけるなら土曜日が適任である。

「あれ、お兄ちゃん出かけるの?」

 玄関で靴を履いていると、寝ぼけ眼の小町が下りてきた。去年は受験勉強のためか嫌に規則正しい生活を送っていたが、その反動か最近の小町の生活リズムがやばい。先週の土曜日なんて三人そろって昼まで起きなかったが、来年までに生活リズムを戻させないと小町のせいで俺も遅刻しそうで怖い。

「あぁ、ちょっとな」

「ふーん……わかった」

 俺が話したくない空気を出しているのを察したのか、小町は特に追及してこない。いつもなら「お兄ちゃんが休みの日に出かけるとか、小町的に超々ポイント高い!」とか言って、誰とどこに行くのか聞いてくるんだが。いや、休みに出かけるだけでポイント貯まるとか普段の俺どんだけ引きこもってんだよ……引きこもってますねすみません。

 まあ、小町に言うと何かの拍子でいろはにも漏れそうなので言わないわけだが、空気の読める妹でよかった。

「じゃ、いってくる」

「ほーい、いってらっしゃい」

 小町に見送られながら玄関を出て、自転車にまたがる。朝方の冷えた空気を切りながら自転車を漕いでいると、やけに思考がクリアになる。

 無意識に思考してしまうのはここ最近の妹たちのことだ。家族が増えて一カ月半ほど、俺達の関係性は安定しているようで、危うい。

 俺といろはの関係性は一週間前から大きく変化していない。いや、変化していないことが問題と言える。昼間はところ構わず抱きついてくる明るい妹だ。多少わずらわしく感じることや、TPOをわきまえろと思わんこともないが、そこは大した問題ではない。なぜなら、“兄妹のスキンシップの範疇”であるからだ。頻度はどうあれ俺と小町の間でも発生していた他愛のないイベントであるため、多少の視線は気になるが問題視するほどではないだろう。

 問題は夜だ。あの日以降、いろはの救済行為は毎日欠かさず行われている。同じベッドに潜り、抱きついてきてキスをする。満足するとあの諦めたような笑みを浮かべて眠りにつく。俺はその間、何もしないし何も言わない。この行為が日課になってほぼ一カ月、そこに変化は存在しない。いや、変化しないことが異常と言えた。行為に変化がないということは、この救済行為によって精神的安定を保っていると見れる半面、この行為だけでは根本的な解決になりえないという側面も持っていることになる。それではただの依存だ、薬物だ。「葉山隼人のことが好きないろはという少女」を捻じ曲げて行われるこの救済は、停滞ではなく解決のために行われるべき行為なのだ。

 しかし、これに代わる救済を俺は知らない、わからない。だから、せめて停滞させるしかないのだ。それしかできない自分が、歯がゆい。

 そして、末の妹にして実妹である小町の様子も少しおかしい。変化を感じたのは一週間ほど前だっただろうか、いろはのように小町のスキンシップも少々過剰になっているように感じている。確かに昔から仲のいい兄妹を自負していた。しかし、小町は人前だとやっても手を繋ぐ程度で腕に抱きついてきたりというボディランゲージ的スキンシップはあまり取ってこなかったはずである。それがここ最近はまるでいろはに対抗するかのように接触してきていた。なんというか、らしくない。

 それでいて急に赤くなったり歯切れの悪い返答をすることもある。何かあったのかと聞いてもなんでもないと返すばかりで、何も分からないのだ。何か一人で溜めこんでしまっているのではないかと心配になってしまう。

 そうして思考を巡らせている間に目的地に着く。一軒の民家、その表札には“一色”の文字がはめ込まれている。

 いろはを養子にするよう親に頼みこんだ後、この家は比企谷家の所有物として預かることになった。うちの親もお人よしと言うか親バカと言うか、正直この家は所有権を破棄されてしまうと思っていただけに「十六年間過ごした場所を失うのは悲しいでしょう?」と言った母親に再び土下座で謝辞を述べたほどだった。

 俺は二週間に一度程度ここに足を運ぶ。所謂定期メンテナンスだ。定期的に掃除してやらないといざいろはに返す時に埃まみれになっていたら、こちらもいい気はしないものな。

 しかし、さすがに一軒家を一人で丸々掃除するのは一日では終わらない。毎回少しずつ掃除をしている状態だ。もう受験生ではないのだから小町を呼べば効率は上がるだろうが、いろはを一人にすればまた彼女の思考がネガティブ方面に落ちる可能性もあるため、一緒にいてもらっている。

いろは自身はまだここに来る決心はつかないだろう。この家に来るときっと実の両親のことを思い出してしまうだろうから。だから俺一人でやるのだ。妹のためだと思えばこの程度苦でもない。

 前回もやったリビングや水回りなんかはさっと軽く埃を取り除く程度で済ませ、二階に足を運ぶ。ずっと一階の掃除をしていたので二階に足を運ぶのは初めてだ。階段と廊下をクイックルなワイパーと雑巾で拭いて、顔を上げると一つの扉が目に入る。「Iroha’s ROOM」と書かれたそこは間違いなくいろはの自室だろう。

 はて、と俺の動きが止まる。

 掃除をするからには家中の隅から隅までやるべきなのだが、年頃の少女の部屋に無断で入るのはいかがなものだろうか。いかなお兄ちゃんと言えど勝手に入ったら怒られるのである、ソースは小町。緊急事態だったと説明してもプリプリ怒る姿はかわい……宥めるのが大変だった。つまり乙女心は緊急事態をも凌駕するのである。

 しかし、どんなに元がきれいでも生活していない部屋というものは予想以上に埃がたまるものである。つまり掃除しないと埃やハウスダストが将来的にいろはを襲いかねない。それはダメだ!

「よし」

 怒られる時は怒られる時である。意を決して扉を開けた。

 部屋の中は意外とすっきりしている。比較対象が小町の部屋しかないのだが、どことなくさばさばした雰囲気の室内。自室とはおのれを映す鏡であると言うが、これが本来のいろはの世界ということになるのだろうか。全体的に家具が落ち着いた色合いなのに対して、棚の上にはかわいらしいぬいぐるみなどが大量に置かれていてどこかちぐはぐ。そのほとんどがもらいものなのだろうか、少し乱雑に扱われているように感じるのがつい笑いを誘う。

「あいつ露骨すぎるだろ……」

 見比べてみるとその棚だけ明らかに他よりも埃を被っている。つまり、このスペースはいろはにとって「どうでもいい場所」なのだろう。少しぬいぐるみたちが不憫に思える。後ついでにこれを送った男たちも、ついでね、ついで。

 ぬいぐるみに付いた埃をはたき落して、掃除機で細かい埃も吸い取る。ぬいぐるみは特に埃を溜めこみやすいので、全て段ボールに詰めて蓋をして脇に置いておく。床に掃除機をかけて布団を干そうとして、ふと枕元に目がいった。

「え……?」

 枕元の時計の隣あった小さな写真立て。シンプルなデザインのそれには男女のツーショット写真が収まっていて、女の子の方はいろはだと認識できた。そのいろはとのツーショット、だから相手は葉山だと思って最初は気にも留めなかった、留めなかったはずなのに、気がつくと男の姿を認識していた。

 少し猫背の姿勢にぼさぼさの黒髪、そして死んだような目。

 それは紛れもなく俺だった。

 背景を見るにコミュニティセンターの会議室で二人で書類に目を通しながら何か話しているようだ。そういえば、クリスマスイベントの時に書記の子が作業記録のために写真を撮っていたが、その時撮られたのか。まとめられた総括書類にこの写真はなかったから全く気付かなかった。

 しかし、なぜそんな写真がこんなところにあるんだ……。

 部屋を見渡す。机の隅に似たような写真立てがいくつか置いてあった。中学時代のものであろう写真、文化祭、体育祭の時の写真、サッカー部の集合写真。いくつも写真はあったが、その中にツーショット写真は一枚もなかった。おそらく、あの時ディスティニーランドで撮ったであろう葉山とのものも。

 どうして俺との写真だけが、しかも枕元に置いてあるのか。きっとなにかいろはなりの戦略があるのだと、例えば葉山が来た時に嫉妬させるようにとかそういうものがあるのだと思考を巡らせる。

 しかし、思考をいくら巡らせても答えが出ない。八方塞がり、無限ループ、出口のない迷路だ。そもそも葉山を嫉妬させる目的なら葉山が来た時にだけ置いておけばいいし、あいつは見た目に反して身持ちが堅い。そこそこ交流のある同性の由比ヶ浜すら行ったことのなかったこの家に葉山を招くとは思えない。

 いや、本当は気づいているはずなのだ。これは迷路なんかじゃない、綱登りのステージを迷路だと自分に偽り続けているだけなのだ。

 上を見上げれば出口への綱が簡単に目に入るのに、頑なに見ようとしない。ただ下を見つめて迷っている振りをしているだけ。滑稽で、狡猾で、残酷。

「俺は……俺は……」

 けれどもう、ああもう逃げられないのだ。

 俺は、もう顔をあげてしまったのだから。

 

 

*   *   *

 

 

 割と遅い時間まで掃除がかかってしまったため夕食は外で済ませ、帰ってからシャワーを浴びてすぐにベッドにもぐりこんだ。昼間からずっと頭にまとわりついている靄は、シャワー程度ではぬぐえなかった。思考しては打ち消され思考しては打ち消され、打ち消された思考の破片が靄をより濃くする。

 いつものように扉が開き、いろはが入ってくる。救済の時間、いや俺が勝手に救済だと思っていた時間が始まるのだ。

 俺はいろはにとって頼れる兄貴、近くにいて安心できる兄であろうとした。本物の兄妹であろうとした。それが、いろはを救う方法だと信じて。だからいろはが俺を、比企谷八幡を好きという兄妹にあるまじき感情を持っているという事実から目をそむけ、他の存在しない方法の代替として“救済”を受け入れていた。

 しかし、いろはが俺に求めていたのは兄妹や家族とは違う、もっと別の大切なものだったのだ。だが俺の性格が、理性の化物なんていうふざけたものがそれを受け入れない。だから、いろはは俺と兄妹であろうとした。偽物でも、破綻しそうでも、俺との関係を壊さないために、本音を覆い隠して。破綻しそうな心を繋ぐために兄妹から逸脱した行為で自分を繋ぎとめて。

「お兄ちゃん……」

 同じベッドにもぐりこみ、俺の背中に手を回して物欲しげに見つめてくる。その目の奥に“お兄ちゃん”ではなく“せんぱい”が見えてしまって、胸が締め付けられるほど痛くなる。きっとこの痛みをいろははいつも抱いていたのだ。キスの後に見せていた、あの諦めたような笑みはそういうことだったのだから。

 だから、そんな関係は、自分で自分を傷つける行為はやめさせねばならない。“お兄ちゃん”ではなく、比企谷八幡として、そうして弱っていくいろはから目は背けられない。

「いろは……」

「っ……」

 名前を呼ぶとびくっと身体を震わせる。“救済”をするようになってから、一度も俺は最中に声を発することはなかった。俺の表情から何かを察したのか、いろはは逃げだそうとする。それを俺は腰に腕を巻きつけて離さない。今言わなければ、ちゃんと言わなければきっとこいつはいなくなる。だから、今ここで……。

「っ!?」

 口を開こうとした時、ギっという小さな音に思わず振り向いた。

「ぁ……」

 振り向いた先で、二つの目が、俺達を見ていた。

 




別のシリーズでは一色と呼んでいるせいで書いてて一色といろはを間違えるマン

たぶんだけどこのお話は次かその次くらいで最終回になると思うの

しかしですね
これはあくまでチラ裏的独り言なんですが
二部とかも無きにしも非ずかなーって思わなくもなかったりそうじゃなかったり

ひょっとしたら第二部ではR-18とかもあったりするかもなかったりするかもなーとか考えていたり

まあ、予定は未定

※UA20000、お気に入り500件ありがとうございます!

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