ある日妹が増えまして   作:暁英琉

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だから、比企谷八幡は家族になろうと提案する

 幸福と不幸は紙一重である。片方が勝利という幸福を味わえばもう片方が敗北という不幸を味わうように、誰かが幸福になるということは誰かが不幸になることを意味する。

 そして、その機会は等しく皆に与えられていて、逃れようとしてもきっと逃れることはできないのだ。しかし、人はそれを否定する。たとえテレビで事故のニュースが流れようと「かわいそう」と思いこそすれ、次は自分の番と思うことはない。その可能性をすべからく否定する。

 家族や友人や知り合い、自分の周りにいる人間はきっと特別で、不幸なことなんて起こらないのだと都合よく解釈する。なぜならその方が楽だから、楽しいから。不幸にビクビクおびえる人生など無価値だから。

 しかし、どんなに否定しようと不幸のルーレットは回り続ける。結果が分かるまで、ルーレットの針がどこに止まったのか、俺達は知る由もない。

 

 

*   *   *

 

 

「ひどいもんね……」

 珍しく出勤時間が遅めのお袋がテレビを見ながらポツリとつぶやく。テレビでは本業芸人の司会者が真面目な顔で事件の感想を言っている。

 

 ハイジャック。

 

 どうやらイギリスから羽田に向かうはずだった旅客機がハイジャックにあったらしい。犯人が指定した目的地は天候の都合上非常に危険で、機長や警察などが説得を試みても冷静さを失った犯人は聞く耳を持たず、強行的に嵐の中を進ませた結果、墜落。海上に叩きつけられた旅客機はバラバラになってしまったらしい。ハイジャック犯を含めて多くの乗客乗務員が亡くなった。むしろ数名とはいえ生還者がいたのは奇跡だったと言えるだろう。

 そのニュースに俺は痛ましいと感じながらも、それ以上の感情は湧いてこない。なぜなら結局自分には関係がないからだ。しかも、明らかな人災なのに旅客機の安全性がなどと的外れなことを言っている知識人(笑)を見ていると白けてくる。この事故も数年もしたら皆から忘れ去られて、思い出したように世界が仰天するようなニュースバラエティや、アンビリーバボーな番組で美談増し増しで取り上げられたりするのだろう。酷く吐き気がする。

「あ、お兄ちゃん。そろそろ行かないと遅れちゃう!」

「……そうだな」

 そして、俺自身もそうだ。中東で戦争が起こっても休日はぐーたら過ごすし、こんな事件が起こって、日本人が何人も死んでもいつものように学校に行く。けど、それが人間というやつだ。所詮は他人事、自分たちには蚊帳の外の出来事。

 だから今日もただ自転車を走らせる。

 

 

*   *   *

 

 

 学校も授業もいつも通り進む。たまに休み時間にニュースの話題が上がったりもするが、そもそも友達との楽しい会話に暗いニュースは好まれない。すぐにすり替えられ、淘汰される。それが普通なのだ。

 そうしていつもと変わらない時間はいつもと変わらず過ぎていく。いつも通りベストプレイスで昼食を摂っているときに、ふと今日は一色に放課後生徒会の仕事を手伝ってほしいと頼まれていたことを思い出した。相変わらず責任だのなんだので脅してくるから断るに断れない。このままだと一生パシリとして使われそうで怖い。その役目はぜひとも戸部に押し付けたいところである。

 どうでもいいことに思考を割いていると、遠くから予鈴の音が聞こえてくる。ハッ、一色と戸部のせいで天使の舞をあまり見れなかった。もう一年もしないうちに戸塚もテニス部を引退するのだから少しでも目に焼き付けていたいというのに。

 気がつくと放課後になっていた。なにこれキンクリ? あ、午後が数学と自習だったから寝てただけだわ。由比ヶ浜に一色の手伝いをしてくると断りを入れて生徒会室に向かう。

「うっす……あれ?」

「ああ、比企谷か」

 生徒会室の扉を開けるとそこにいたのは一色ではなく副会長だった。室内を見渡しても一色の姿はない。

「あー、生徒会長に呼ばれてたのか。なんか今日は休みらしいぞ」

 普段と違う状況に困惑していると、状況を察した副会長が説明してくれる。

「そうか……」

「いつも悪いね。今日は俺がやるから帰ってもらって構わないぞ」

「わかった」

 軽く会話をして生徒会室を出た。

 しかし、一色が休むなんて珍しい。人にちやほやされるために身に付けたのか、一色の自己管理能力は結構高かったと思うのだが。まあ、予防してても引く時は引くのが風邪だからな。由比ヶ浜あたりは引かなそうだけど。

 用事もなくなったので奉仕部に行ったらゆりゆり空間だった上にすごい白けた目を向けられた。俺部員のはずなのに酷くない? 性の方向性の違いでやめるよ? やめれないけど、平塚先生怖い。

 まあ、今日手伝うことがなかった分明日手伝わされるだろう。病み上がりな奴に無理させるわけにもいかないし、手伝ってやるか、などと考えながら本を取り出しいつものように読みだした。

 

 

 しかし、次の日も、その次の日も、一色が学校に来ることはなかった。

 

 

*   *   *

 

 

 おかしい……。

 一色が休みだして一週間が経った。さすがに長引きすぎではないだろうか。時期的にインフルエンザか? なんだかんだ一番接点のある後輩のことだ、多少不安になる。不安なせいで授業の内容もいまいち入ってこない。クソッ、全部一色のせいだ。文句の一つでも言ってやりたい。

 そこまで考えて、メールという手段があったことを思い出した。一色が俺をいつでもパシらせられるように(本人は否定したが)この間交換したのだ。このままではいつ生徒会の手伝いをすればいいのか悶々……戦々恐々しなくてはいけないし、いつ学校に来れるのか連絡をしてみてもいいだろう。

 

TO:一色いろは

件名:大丈夫か?

本文:だいぶ休み長引いてるみたいだけど大丈夫か? インフル?

 

 まあ、こんなもんで大丈夫だろう。「メールで体調の心配してもしかして口説いてるんですか~~ごめんなさい」などと帰ってくる可能性は無視だ無視。このままだと俺自身の予定も立てられないのだから仕方あるまい。立てる予定なんてないけど。

 昼休みの頭に送ったメールは、昼休みが終わるまで返ってくることはなかった。

 

 

*   *   *

 

 

そのまま放課後になった。相変わらず一色から返信はないが、女子からの返信がないとか俺にとっては日常茶飯事なのでそこまで気にしない。風邪なら寝ていたとしても不思議じゃないしな。いつものように奉仕部に行き、本を取り出す。

「今日も一色さんお休みなのね」

「そうみたいだな。長引いてるし、インフルとかじゃないのか?」

「心配だね……」

 雪ノ下も由比ヶ浜も心配しているようだ。まあ、こいつらにとってもかわいい後輩だからな。この部活一色に甘すぎではないですかね。

「インフルでも普通の風邪でも今の薬なら問題ないだろ。あいつが復活したらいつもどおり弄ってやれば……?」

ポケットでスマホのバイブが震えた。取り出してみると一色からのメールだ。ほら、ちょっと性質の悪い風邪引いてるだけ――

 

FROM:一色いろは

件名:Re:大丈夫か?

本文:せんぱい

 

 ぞわりと、背筋が震えた。“せんぱい”。ただそれだけの単語が記載されただけのメールに言い知れぬ不安を感じたのだ。なにか異常が起こっている。そう思った時には身体は弾かれるように動きだしていた。後ろで雪ノ下や由比ヶ浜の声が聞こえるが構っている余裕はない。まっすぐに職員室へ向かう。

「平塚先生!」

 入口近くの定位置には平塚先生が座っており、俺の突然の訪問に目を見開いている。

「どうしたんだ比企谷、そんな怖い顔をして」

 俺はそんなに怖い顔をしているのだろうか。いや、今はそんなことは関係ない。

「先生、一色の家の場所、分かりますか?」

 いくらある程度交流があるとはいえ生徒の個人情報だ。普通に考えて教えてくれるものではない。しかし、平塚先生は何かを察したように浅く息を吐くと、さらさらとメモ帳にペンを走らせて渡してきた。

「これが一色の家の住所だ。スマホの地図アプリで調べれば場所も出るだろう」

「ども」

 メモを受け取ると即座に踵を返す。扉を閉めるすら面倒だった。

「比企谷、一色を受け止めてやれよ?」

 先生が言った意味を考えることはなかった。思考を置いていき、身体だけは急げを俺を急かしていた。

一足飛びで廊下を駆け抜け、自転車を引きだし、ペダルに思いっきり力を込めた。

 

 

*   *   *

 

 

「ここか……」

 地図アプリを終了する。目の前の一軒家には『一色』の表札。ここが一色宅で間違いないようだ。息を整えてインターホンを鳴らす。

 …………。

 出ない。二回ほど鳴らしてみたが結果は同じだった。もう日も傾いて室内はだいぶ暗いはずだがどこにも電気は付いていない。ひょっとして、家にはいないのだろうか? そう思いつつ試しにドアノブに手をかけてみると――。

「開いてる……」

 少し考えて、玄関を開ける。光のない廊下は薄暗く、人の気配は感じさせなかった。

「一色……?」

 俺の声に返答の声は返ってこない。田舎じゃあるまいし、鍵をかけないなんてことはないはずだ。寝ているのだろうか。いやしかし、俺が一色のメールを受け取ってから三十分と経っていない。それで熟睡するというのはそんなに風邪は酷いのだろうか。

 そろりと家の中に入る。傍から見れば完全に不審者だが、緊急事態故いたしかたない。もし警察を呼ばれた時は一色に弁護してもらおう。玄関が開いていた理由は空き巣の可能性もある。警戒しつつ、ゆっくりと足を進めた。

 おそらくリビングと思われる一番近い扉を開け、中を覗き――

「一色!?」

ソファでぐったりしている一色を見つけて思わず駆け寄る。うつ伏せになった一色を抱き起こすと、熱はないがその顔色は真っ白だった。

「おい! 一色! しっかりしろ!」

「……ぁ、せんぱぃ……」

 軽く身体をゆすると一色はうっすらと目を開ける。意識があることに少しほっとするが、その目は虚ろで焦点が合っていなかった。

「一体、なにが……」

 改めて部屋を見渡して明らかにある異変。埃まみれのテーブル、散乱したカップ麺やお菓子のゴミ。これは果たして、女子校生が家族と住む家の状況だろうか。

「一色、家の人は……」

 口にして、失敗したと気付いた。

「いえ……おとうさ……おか、さん……」

 さっきまで表情のなかった一色の顔に悲壮、絶望、恐怖、あらゆる負の表情が混ざる。目には涙があふれ出し、小さな口からは嗚咽が漏れる。

「ひぐっ……ぐすっ……」

 泣き出してしまった一色に俺ができることは、ただなにも言わず抱きしめてやることだけだった。

 

 

*   *   *

 

 

「すみませんでした……」

 長い間止まらなかった嗚咽が止むと、一色はぽしょりと謝ってくる。

「気にすんなよ」

 そう、気にしなくていいのだ。きっとこいつはずっと、今の感情を表に出せずにいたのだから。それは一重に一色のせいではなく、そんなときにそばに誰も居られなかったせいなのだから。

 一色は俺に抱きついたまま、ぽつり、ぽつりと話してくれた。一色の両親はそこそこ大きな多国籍企業の社員で、二週間前からイギリスの支社に出張していたらしい。仕事熱心な人たちで一色にもたくさんの愛情を注いでくれていた。その幸せが永遠に続くと信じていた。けれどそれは幻想で、その幻想はあっけなく崩れ去った。

 一週間前のハイジャック事件。一色の両親は運悪くその機に居合わせてしまった。数名の生還者の名前にその名はなく、帰ってきたのはしゃべらぬ骸だった。

「私、もう身内なんていないんです。おじいちゃんやおばあちゃんももう死んじゃってるし、親戚もいません。もう、頼れる人なんて……」

 いつもはふてぶてしいくらいあざとく、悲しみなんて感情を持ち合わせていないのはないかというくらい明るい一色の背中は、少し触れば壊れてしまうくらい弱々しく、赤子のように小さかった。

 この一週間、この少女はどれだけの虚無感を味わったのだろうか、どれだけ世界を呪っただろうか。一色いろはではない俺には、想像もできない。

「私、学校辞めなきゃいけませんね。お父さんたちの蓄えがあるとは言っても、働かないと生活できませんし。そしたら、せんぱいとも、もう……」

 しかし、想像もできないからと言って、俺にはこの小さな背中を逃がすことはできなかった。

「せ、せんぱい?」

 一色の身体を強く抱く。一色と会えなくなるなんて俺には考えられなかった。そう思ってしまうほど、俺の中で一色いろはという存在は大きくなっていたのだ。

「俺に任せろ」

「え……?」

 この存在を離すわけにはいかない。それがただの俺のわがままだったとしても、エゴだとしても。そう思うと、自然と口が動いていた。

「まだ生徒会長の任期が残っているのに、勝手に辞めたら許さねえぞ? 責任、取らすんだろ?」

「そ、それは言いましたけど……今の私には学校に通い続ける財力なんて……」

「だから、任せろって言ってるだろ?」

 一つ、考えがあった。あまりにも突拍子もない、アホらしいと一蹴すらされそうな考え。それでも、可能性があるのなら形振り構ってはいられなかった。

「ただ、これを実行する前にお前に聞かなきゃいけないことがある」

「なんですか……?」

 ここで拒絶されたら終わり。きっと俺達の関係も終わる。そう考えると恐怖で震えあがりそうになる、弱い自分がやめろと叫ぶ。けれど、それでも、俺は言葉を紡いだ

 

 

「一色…………俺と、家族になってくれ」

 




とりあえず導入部分

今回は小町の出番がありませんでしたが、ちゃんと出します

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