再臨せし神の子   作:銀紬

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第二十話 鋼鉄の意思

教室とは不思議なものだ。

自分にとって憂鬱な日であっても、余程の何かが起きている訳でなければ不思議なことにその雰囲気ががらりと変わる、ということはない。

いつも騒いでる面子は騒いでいて、静かな面子は静か。

厳密に言えば一人一人の内面その時々で違うのかもしれない。

ただ、クラスメイトたちという集団を、この集団に限らず人々が形成するあらゆる集団の全体から俯瞰してみると、人数的に考えてみるとそれ程変わりはなく、結果的にどの日であっても雰囲気の平衡が取れているということなのだろう。

 

「素晴らしかったよトウジ。『ダンディハンプティ』で此方の盤面を完全に処理するとは……」

「へっ、どんなもんじゃ」

「でもそれも無意味だったな。『月面都市王・輝夜姫』召喚。ここで死んでいただこうか」

「なにぃっ!? クソッ、『吸血騎士・ヴァイト』出番や! 動きを止めたれ!」

「遅ェっ! 『アレクサンドロス』でヴァイトとその取り巻き撃破! 一斉攻撃でジ・エンド」

「くぅ~っ! 速さが足りひんか……」

 

この二人とて例外ではない。相変わらず元気な様子だった。

 

「おはよう、シンジ」

「おっす」

「ん、おはよう」

 

他愛もない挨拶。

 

「シンジもどうだ? 面白いぜ」

「ううん、いいや」

「なんや、最近ノリ悪いの」

 

この二人からはノリが悪いように見えているのだろうか?

普段と同じようにふるまっているつもりだったのだが、どうにもそうは見えないらしい。

 

「……よっしゃ、もう一回や!」

「いいぞ、何回でも掛かって来い!」

「おい、そこの二人。鈴原、相田。カードゲームは校則違反だぞ」

「どうだっ! 『皇帝のマンモス』召喚。自軍デッキをデストルドーデッキに!」

「鈴原、相田」

「なんややかましい!」

「黙ってろ、今俺たちは男の決闘を……あっ」

「あっ」

 

気付くとチャイムは鳴っていて、教壇にはあの老教師が立っている。

その頭と眼は普段通りの輝きを放っていた。

 

「校則違反はそこまでじゃ」

「ああっ、俺たちのカードが……」

「一日没収とする。それでは今日の授業を始めます……」

 

普段通りの青空を見せるこの一日。

普段通りの授業を行うこの老教師。

普段通りの騒めきを伴うこの教室。

普段通りに笑顔を見せるこの友人。

 

では、一体何が普段通りではないのだろうか?

「神のみぞ知る」とはこの状況によく合致した形容詞であろう。

 

----

 

「前回の精神異常から復帰してまだ間もないところに、今度は使徒からの精神攻撃……幾ら短時間だったとはいえ至近距離で喰らっていた」

「状況は芳しくないわね」

「彼の回復能力に期待するしかないわね。常人だったらまず廃人になっているのだから、会話できただけでも儲けものよ。これ、精神鑑定のログよ」

 

コンピュータの前に、今日も二人。淹れたてのコーヒーを片手に神妙な面持ちでいる。

技術部と作戦部、エヴァンゲリオンでの作戦遂行にあたって最重要となる部門を担う二人は、そのエヴァンゲリオンのパイロットである碇シンジについて、処置を考えあぐねているところであった。

リツコが入力したのは、碇シンジとの対談の一部始終を録音したデータであった。

 

『こんにちは』

『こんにちは』

『私のことは分かるかしら』

『リツコさんですよね』

『じゃあこの写真の娘は何か分かるかしら』

『ミサトさん』

『この男の人は?』

『加持さん』

『これは?』

『初号機』

『このおじいさんは?』

『副指令』

『このおじさまは?』

『グラサンね』

『レイ。今はシンジ君に聞いているのよ』

『グラサンです』

『……あ、そう』

『他には何か?』

『……そうね。記憶には問題なし、と。じゃあこれは何か分かるかしら』

『ペンです』

『これは?』

『ペンペンです』

『これは?』

『ペンペンペンです』

『碇君、現実を見て。これは明らかに薬と拘束具よ』

『……認識能力には問題あり、と』

『これを持ち出すリツコさんに問題があると思います』

 

……

 

「ねぇリツコ、これ精神汚染者のログとして有効なの?」

「問題ないわよ。意思疎通が出来るかどうか、これがまずは重要だから」

「そ、そう……」

 

明らかに問題があると思うのだが、当事者のリツコが問題ないというのだからそれ以上反論が出来ない。

もう暫く精神鑑定のログが流れたところで数回のノックの後に、

 

「よぅ、麗しきお嬢さん方。調子はどうだい」

「あら」

「誰かと思えば……何しに来たのよ」

「働き詰めで疲れてるだろ? 差し入れだよ」

 

差し入れと称してポテトチップスをいくつか手にして現れたのは加持リョウジ。

何を考えているのかの真意が読み取れない、微笑みを貼りつけたその面持ちは相変わらずだった。

 

「よりにもよってポテトチップってアンタ。コンピュータの隙間に入り込みでもしたらどうすんの」

「コンピュータだって腹は減るもんだ」

「意味分かんないんだけど」

「まあまあミサト。働き詰めで食べる時間もろくにないから、簡単にカロリーが取れるのは今は有難いわ」

「いいこと言うねぇリッちゃん」

「で、それだけ?」

「ダメか?」

「当たり前でしょう。仕事の邪魔をするならとっとと帰って頂戴」

「しょうがねぇなぁ。……これを見てみろ」

「何よコレ」

「前回と同じ轍を踏むようなことはしないってことだ」

 

加持の手には、トランシーバーのようなものが握られている。その画面には赤い点一つと幾つかの青い点が輝いていた。

 

「GPS……ということでいいのかしら」

「色合いとしても材質としても目立たない特別仕様、そう簡単にバレないし外れない。何時また行方をくらましてもこれで何とかなる」

「どうかしらね。あの子のことだから気付いてもおかしくない」

「そん時はそん時だ」

「適当ねぇ」

「前回と違ってちゃんと家から学校に通えている。前回よりはダメージの浅い証拠だよ」

「少なくとも日常生活の範疇では、ね。シンクロ率ゼロパーセント、本当に浅いかは大いに疑問ね」

「ほう? ゼロパーセントか」

「エヴァ初号機の運用も現状では不可能、彼自身にとってはともかく人類にとっては大ダメージよ」

「気落ちしているかな、位で見た目はそう大差ないのにね」

「それが精神汚染の恐ろしいところ。外に現れない形でヒトに多大なダメージを与えるのよ」

「原因はともかく、何らかのモチベーション不足にすぎないという可能性とかはないのか?」

「シンクロ率はその場その場で変更できるような代物ではないわ。彼が人間である限りはね」

「なるほどな……」

「それに、原理的にシンクロ率が完全なゼロになるのはありえないのよ」

「どういうこと?」

「エヴァの適性がないというのは単純な話、シンクロ率が起動可能水準に届かないというだけの現象に過ぎないの。小数点以下になるというだけで、全くのゼロではない」

「じゃあ、シンジ君の状況は」

「単純なように見えて、相当なイレギュラー。エヴァという存在そのものを深層的な部分から拒んでいるか、あるいはその逆」

「初号機が彼を拒んでいる?」

「可能性の一端だけどね。使徒は勿論、エヴァにもまだまだ分からないことがあるのよ」

「ブラックボックスの塊ねぇ。今更だけど兵器としての信頼性がないも同然よね」

「でもそのブラックボックスを使わないと、人類は生き延びることすら出来ない」

「ある意味俺達にとっての空気のような存在だな」

 

言うが否や加持はミサトにウインクして見せる。

 

「俺にとっての葛城と同じだ」

「……私はあんなに厳つくないわよ」

 

その様子を見てしまえば、ああまた始まったと第三者は呆れ顔になるしかなくて。

 

「惚気るなら他所でやって頂戴」

 

苦言を呈すのが、その場でできる唯一のことであった。

 

---

 

シンジの精神鑑定が一段落した後、レイは待機指示を出されていた。

誰もいないラウンジ。外からは陽光が差し込んでおり、その静けさや時間帯とありたいていの者はうつらうつらと眠気を誘われることだろう。

 

「で……どうして貴方がここに居るの」

『シンジ君は僕をシャットアウトしてしまったらしい』

「無様ね」

『幾らでも言うといい。それで君の気が済むのなら』

 

ラウンジの隅の席に静かに佇むかのように見えるレイに思念上で話しかけられたカヲルは、半ば投げやりといった様子だった。

とはいえレイの言う通りシンジを守るに至ることが出来なかったのは事実だし、そのことについて何も言い訳する気はなかった。

 

「貴方は私より碇君に干渉出来たはず。なぜしなかったの」

『あの場でATフィールドを張ったら間違いなく初号機からパターン青が出たけど』

「碇君の状態には代えられないわ」

『いや。シンジ君の命には代えられるさ。あそこでパターン青が出現して使徒として殲滅されてしまっては一環の終わりだ』

「でも、今回のことで命すら失っていたかもしれないわ」

『かもしれない、と、確定事項。この二つは天と地ほどの差がある。それに、シンジ君は結局生きているじゃないか。まだマシだよ』

「でも、攻撃の緩衝材になるくらいはできたはず。なぜあなたは精神汚染を受けていないの?」

『受けていてほしかったのかい?』

「……ウジウジしている貴方は普段より鬱陶しそうだからまだマシかもね」

 

この状況でも、まだ互いに憎まれ口を叩きあう。ある意味、喧嘩仲間のような関係だろうか。

 

「赤木博士、相当怪しんでいたわね」

『一瞬だけ覚醒したエヴァ初号機。前史からの意思を継いでいるとすれば、いやそうじゃなくても、きっとシンジ君を守ろうとしたのだろう』

「エヴァの中には碇君の母親がいるわ。母性本能の発揮という結論に持ち運べば」

『レリエルの時の覚醒状態でシンジ君は意識がなかった』

「今回は意識があった中で覚醒状態になったわね」

『そこがネックだ。意図的に暴走を起こせるとでも思われたら』

「ネルフに利用されるかもね」

 

口にする一言一言は、とても棘があって、けれど現実を向いたものだった。

そしてその棘に反して、彼らの表情はそこまで曇る様子はない。

 

『……思ったほど、落ち着いているんだね?』

「貴方こそ」

『前であれば何やかんやと大騒ぎしただろうけど』

「だって彼、無事だもの」

『信頼か。意外ではあるけど、まるで子離れだね』

「碇君と私の本当の関係、知らない訳ではないでしょ。元から恋沙汰などにはなりようがないわ」

『そういえばそうだったね。君は僕と同じだ』

「使徒という点において。でしょう?」

『いや、その他の点でも同じ部分はあるよ』

 

カヲルは、あくまで語る姿勢を変えることがない。

それを妙に思ったレイだが、カヲルの言葉を反芻するうちにその真意が少しずつ分かってくる。

 

「……貴方、それって」

『おや、漸く気付いたのかい? タブリスがヒトの形をしていたのは決して偶然ではない』

「碇君を想う心は、それが元だったのかしら。あの人、思いのほか碇君のことを気にかけていたようだし」

『どうだろう。ただ一つ言えるのは、彼は好意に値する人間だった。これがタブリスとしての本能からなのか、引き継いだからなのかは分からない。

けど、赤い世界でリリン達が溶け合ううちに偶然生い立ちを知った時に全てを知ったよ』

「お互い様だったのね」

『子供が大人になれば親は子離れを始める。同様にして、子供も大人になるにつれてじきに親離れを始める。今回のことは、その一端なのかな。その割には僕はまだシンジ君が心配でならないけど』

「私もそれは同じ。でも、過剰な心配は今の碇君には逆効果ね」

 

ふと外を見つめると、いつもと変わらぬ太陽煌く青空がそこにある。

 

「……でも、今は少し時期尚早ね」

『そうだね。まだ、使徒戦は終わっていないのだから』

「今のところ、全ては碇君の意思に懸かっているわね」

『シンジ君は使徒の攻撃を受けたんだよ』

「いえ、碇君はもう「強さ」を持っている。あとはそれが開花するのを待つだけ」

『……なるほど。子を信じる力は母のほうが強いのだね』

 

この青空がこの日からどれだけの期間保たれ続けるかは、この二人にすら計り知れない。

 

---

 

ふらふらと街の中を彷徨う影が一人。

 

真夏の日差しの中で、ぼうっと歩いている。精神鑑定を終えた碇シンジがその正体だった。

特に何か目的がある訳でもなく、ただ彷徨い続けている。

 

何故こうして彷徨い続けているのだろうか?

自分でもよく分からない。分からないなりにとりあえず歩いている。

 

奇妙な喪失感。今まで何をやってきたのかと考える、いわば時間の無駄を感じているのだろうか?

いや、時間については元々経っていた時間をやり直しているだけなのだからロスも何もない。

 

客観的に見れば明らかにやれてきたことは多い筈だった。

 

トウジの妹も、本人も助かった。

街への被害も、前ほどのものではない。

自身のスペックも、前より明らかに向上はしている。

 

だが、それだけなのも事実だった。

 

今回は、逃げ出した訳ではなかった。

でも、マユミの時に逃げ出した、それは確かな事実だった。

心の中に潜むもう一人の自分との対話……いや、アレは本当に自分だったのだろうか?

 

しかし、本当に自分だったかは正直なところ些細なことで。

この世界にやってきても結局逃げ出してしまう。その事実は確かに自分に叩きつけられたのだから。

 

「あれ? シンジ君?」

 

不意に呼ばれたその声の主は、

 

「……貴女は?」

「お久しぶり。って言っても、大体二週間ぶりくらいかな」

 

どこかで見たことのある少女だった。

二週間前……ああ、そういえば。使徒との戦いの数日前のことだったか。

 

「……どうも」

「元気ないのね、何かあったの? また誰かとぶつかった?」

「そういう訳じゃ、ないですけど」

「ふーん」

 

じいっと、シンジを見つめる少女。

 

「……そうだ。ここで会ったのも何かの縁。お茶でもしましょ?」

「いや、別に……悪いですし」

「拒否権はないよ。シンジ君とは今一度お話したかったし」

「……はあ」

「あっ、また溜め息ついてる。 罰ゲームとして強制連行ね」

「えっ、ちょっ」

 

少女に手を引かれるがままに動く。思いのほか力は強く、唐突なこともあり抗うには厳しい。

 

その行く先は、街外れにある小洒落たカフェだった。

木製のドアを開けるとカランカラン、と乾いた金属の音が鳴り響き、外とは対照的な清涼感を帯びた空気を全身に浴びた。

中では覚えのあるクラシックが耳を癒し、ほんのりとした甘い香りが鼻孔を誘惑する。

 

注文を取り終えたウェイトレスが下がると、再び少女は話し始めた。

 

「あっ、そうだ。此間自己紹介するの忘れてたわね。私はね、マナ。霧島マナ、って云うの。宜しくね」

「そう、ですか。宜しくお願いします。えっと……霧島、さん?」

「マナでいいわよ」

「いや、でも……」

「内気なのね」

「ごめんなさい」

「なんで謝るのよ。むしろ私、いや私たちこそシンジ君には感謝してもしきれないくらいなのに」

「どうして?」

「シンジ君。エヴァのパイロットだもんね」

「知ってたんですか」

「ほめてくれる?」

「え、あ、うーん、はい」

 

意外な真実をサラッと言ってのけるマナだったが、今のシンジは言う程喜怒哀楽がある訳でもなかった。

 

「私ね。自分が生き残った人間なのに、何も出来ないのが悔しい。シンジ君のこと、結構羨ましいんだ」

「そんなもんですかね」

「うん。でも、今はちょっと心配」

「え?」

「前見た時はもっとこう……芯がある人に見えたけど、今はなんだか、魂が抜けちゃったみたい」

「はあ……そう言われても」

「やっぱり、何かあったのね。話してみる気はない?」

「ごめんなさい……今は、まだちょっと」

「そっか」

 

話そうとしないシンジに対して、特に何か咎める様子はなかった。

シンジとしては正直なところ、その態度だけでも大分安心させられるものがあった。

 

ただ、それから続いた若干の沈黙に気まずさを覚えはじめる。けれど、

 

「お待たせしました」

 

こうしてよいタイミングで注文したコーヒーとケーキが運ばれてくる。これは偶然なのか、はたまたマナの店舗選びの審美眼なのか。

 

値段の割にかなり上等なものであるようで、漂う匂いが無音でそれを証明していた。

この少女、カフェなどの店を選ぶ一定のセンスがあると見て間違いない。ある意味、女の子らしいとも言える。

 

「どう。美味しいでしょ?」

「……」

「もう、何か言わなくちゃ分からないよ」

「……美味しい、です」

「ならよし」

 

その後も、他愛のない話は続いた。

生年月日、趣味、出てきたコーヒーの感想、身辺で起きた馬鹿話、これからの予定、その他さまざまだ。

初めのうちはシンジから口を出すことはなく、マナが只管話題を投げかける。よくもまぁ話題が枯渇しないものだと感心すら覚える。

 

感心を覚えたし、疑問をも覚える。

 

もう少しで出ようかという雰囲気になったところで、その疑問を投げかけてみることにした。

 

「あの」

「ん?」

「どうして、僕にこうも……その、気にかけてくれるんですか?」

「どうして……うーん。どうしてだろ?」

「ええ……」

 

質問に質問で返されてシンジは困り顔になる。

一方でマナはその質問になんらかの答えを要求していた訳ではなかったらしく、更に続けた。

 

「気になったから、かなっ」

「はあ」

「うん。それだけ?」

「はい」

「そっか。んじゃあ出よっかぁ……ほら、もう陽が傾いてる」

「……本当だ」

 

マナの言う通り、既に斜陽のオレンジ色の光が周りを囲んでいた。

セカンドインパクトの影響上、まだまだ気温自体は高い。

だが、暦の上では既に秋に差し掛かっている。夏程の日差しの長さではなくなっているのだ。

店内の柱時計もまた、日々の照射時間が短縮されつつあることを無言ながらも訴えていた。

 

----

 

夜が明け、普段通りに学校に向かう。

シンジとレイ、二人の面持ちは、一見してそこまでは変わらない。

 

教室に入ればやはり普段通りの二人が出迎えた。

 

「おはよう、シンジに綾波」

「おはようさん」

「二人とも。おはよう」

「……おはよう」

 

挨拶を交わして席に着くと、トウジとケンスケが二人揃ってシンジの方へと向かってくる。

 

「ん、どうしたの?」

「いや……センセ最近、綾波の奴と喧嘩でもしたんか?」

「どうして?」

「どうしてって。今までめっちゃアツアツだったやんか」

「そ、そんなことないよ」

「はぁ~、これだから無自覚な奴は」

「そう言われても。別に、前から変わらないし」

「そのことに胸なで下ろす女子も多いみたいだけどね」

「なんで?」

「……おい、ケンスケ」

「うん」

 

向き合って頷くと、両手を上げてやれやれと無言で訴える。

その直後バシンとシンジの背中を叩いて、

 

「地球の平和はお前に任せる」

「だからオナゴどもはワシ達に任せい!」

 

大声で宣言。

状況の掴めないシンジはきょとんとした顔をする他なく、その顔を見たトウジとケンスケがまたしてもやれやれ、分かってないと言いたげの様子になる。

そこでチャイムが鳴り、ほぼ同時にいつもの老教師が教壇へと登った。

 

普段の通り、出席を取り、一通りの連絡を行う。しかし、一つだけ普段と違う連絡もあった。

 

「あー、今日は転校生を紹介します」

 

突然の報告に色めき立つ教室。

男か女か、美形かどうか、色々な憶測によるざわめきが忽ち教室を埋め尽くした。

 

「どないな奴やろなぁ」

「可愛ければいいけどなぁ」

 

シンジの二人の友もその例外ではなかった。

一方でシンジはいつも通り、そこまで関心を示しているわけではなかった。誰が来るんだろうな、程度の面持ちでいた。

 

「それじゃあ入って、どうぞ」

 

転校生の姿を、見るまでは。

 

「第二東京から越してきました、……霧島マナ、と言います。宜しくお願いします!」

 

思わず目を見開いた。

 

老教師に促されて入ってきたのは、何と例の赤髪少女、霧島マナ。

シンジからすれば奇妙な少女という印象なのだが、他のクラスメイトからすれば彼女は単に容姿端麗、性格も明るいと絵に描いた理想の少女かのように映っている。

 

朝のホームルームが終わると、このクラスにやってきた転校生の例に漏れず質問攻めになるマナ。

その一つ一つに笑顔で返す姿はまさしく普通の少女。

離れた席のグループも彼女の話題で持ち切りで、シンジ達のグループも例外ではない。

 

「いやあエライ別嬪さんが来たのう」

「だなぁ~。綾波の対抗馬がついに来たかぁ」

「そんなもんかなぁ」

「やっぱわかっとらんのぉシンジは」

「ほっとけよ、こういうことには無神経なんだろ……」

 

どちらかというと、冷めている方ではあったかもしれない。

というより、知っていることが割れてもそれはそれで面倒なことになりそうだったので、表向きは冷めているように見せかけていた。

 

しかし、そうしただんまり作戦の効果が見えていたのも、

 

「シーンジ君♪」

 

と、声をかけられるまでの話で。

 

「!?」

「!?」

「あ、どうも」

「も~、今日も辛気臭いんだからぁ」

「シンジィ! お前どういうことや!?」

「まさか転校してくるのを知っていて俺たちを裏で嘲笑って……!?」

「い、いや。まさか転校してくるなんて僕も知らないよ」

「そりゃ教えなかったもの。驚かせたかったから。実際驚いてたもんね。目をこーんなにおっきくして」

 

嫉妬の炎を上げ続けるトウジとケンスケを他所に、親指と人差し指で丸を作りながら屈託のない笑顔でシンジの方を見つめている。

一般的な男子中学生ほど女に興味のないシンジとしても、その眩しさに思わず顔を赤らめてしまう。

 

その様子を見て満足げに女生徒のほうへと戻っていくマナ。

 

「ねぇ、碇君とどんな関係なの?」

「うーんと……カレカノ!」

「ええ~っ!」

「えへへ~」

 

大きな疑念を生み出す言葉を、誰にでも聞こえるような声で発するとともに。

 

「成る程、そういう訳やなぁ?」

「綾波との不仲は霧島とのただならぬ関係のせいだったかあ」

「美少女二人よりどりみどり、いいご身分やなぁ。のおセンセ?」

「だ、だから綾波とはそういうんじゃないって。ねぇ、あやな……」

 

同意を求めて振り向くその先には、見るからに睨み付けているレイの姿。

 

「元奥様はお怒りみたいだな」

「いい気味や」

「ねぇ綾波、なんでそういう目で見つめてくるかな」

「……これが悪戯心なのね」

「綾波……」

 

本人は悪戯と言っているが、疑惑の目が強まる真似は止めて欲しいと心から思う。

 

「貴女、シンジ君とどんな関係?」

「私はフィアンセよ」

「へぇ~? 貴女が……」

「……」

「……素材は悪くなさそうね。ま、悪いけど私のものだから」

「そう、よかったわね」

「センセ、まさか」

「二股か」

「ち、違うよ」

 

胃が痛くなる一方で、久々に少し感情を露にした気もする。

そんなシンジを少し意外そうに見つめる二人だったが、すぐに三度顔を合わせ、

 

「ま、ワシらは干渉はせえへんで」

「そうだな。シンジがモテるのは今に始まったことじゃないし、彼氏彼女の事情に付き合ってたら馬に蹴られちまう」

 

嫌味を吐いてやると、やれやれとため息をついた。

やれやれと言いたいのはシンジの方だったが、そんなことは誰も露知らず。

 

 

それからの数日。

霧島マナはその社交性に富んだ性格に整った外面と交友を広げるのに障害となる要素は皆無と言ってよかった。

瞬く間に友人関係を広げていったらしく、毎日のように親しげにクラスメイトと過ごしている姿が見られた。

 

しかしそれ以上に話題となったのは、やはり碇シンジとの関連性に他なるまい。

突然転校してきた美少女が、転校早々に世界の平和を担うパイロットのことを「フィアンセ」と公言してみせる。まるで小説のようなこの展開、いくら事実は小説より奇なりと言えど色めき立つ生徒は後を絶たなかった。

 

しかも、それはほかの者からすれば決して噂に見えるものではなく。

 

ある朝は、

 

「シンジ君、今度一緒に「俺の名は」観に行かない?」

 

ある昼は、

 

「そうだ、此間できたショッピングモール行こ?」

 

ある放課後は、

 

「ねぇねぇ、何して遊ぶの?」

 

このような具合で一日一度、必ずシンジを遊びに誘う言葉が彼女の口から飛び出してくる。

彼女の真意は掴み難い。なぜここまでして接近してくるのか。

こうした発言を受けるその度に突き刺さる羨望と嫉妬の入り混じった視線に頭を抱える羽目になるのだ、正直なところ少し面倒でもあった。

 

ただ一方で、満更でもないな、という感覚も共存はしていた。

理由は分からなくとも、今のシンジにとって自分を認めてくれる他者の存在ほど心地よく感じないものはなかった。

 

初めのうちこそぎこちない反応を返していた。けれど、それでもマナの根気は折れなかったし、その接し方には温かみを感じた。

結果としてその緊張が解けるのも時間の問題で。口調からも次第に敬語は失われて、

 

「いいよ」

 

一週間もすれば、この三文字が彼の返す常套句と化していた。

そして、外出先にはネルフ関連のことを除いて、大半がマナ絡みになりつつあった。

 

----

 

そんなある日もまた、

 

『今日もデートかい?』

「カヲル君。デートなんてもんじゃないけど……」

「ついに碇君も私離れを始めたのね」

「綾波さん?」

 

いつも一緒の二人にも茶化される始末。

二人がこれなのだから、事情を知らぬ周りの者からすれば、たいそう愉快なカップルに見えていたことだろう。

 

シンジの律義な性格は、約束よりもかなり早く目的地に到着させていた。それ故、大抵の場合はマナのほうが遅くやってくる。

 

「ごめん、お待たせっ! 行こ?」

「うん」

 

この日は映画館からの、ショッピング。

 

流行には今一つ無頓着なシンジは、最近の流行りは映画も含め今一つ分かっていなかった。

しかし、マナのシンジとは対極に近い流行りに対するリサーチ力がそれを大いにカバーする。

映画を観れば外れはないし、服を選べば必ずその姿が一割増で端正になるし、食事をとれば安く舌も腹も満足するし、音楽を聴けば抵抗なくスッと耳に通っていく。

 

結果として、毎回の「外出」は常に充実を極める形になっていた。

それは今回も然りで、気付けばメインイベントがすべて終わり、また「いつもの」カフェで談笑することとなった。

 

「シンジって、最近ネルフに行く頻度が減ったよね」

「そうかな?」

「うん」

「だとしたら、そうかもね」

「どうして?」

「乗れなくなったんだ。エヴァ」

「そうなんだ。……あっ、それ私に言っちゃってよかったの?」

「え?」

「ほら、守秘義務とか」

「あっ……」

「まぁ、私なら大丈夫だけど。……じゃあ、どうして乗れなくなっちゃったの?」

「どうして……うーん、どうしてだろう。そういうものだから、としか言えないけど」

「どうしてだろうね?」

「守秘義務だからこれ以上はダメだよ」

「言うじゃない」

 

シンジとしても、女子とはいえこの数々の「外出」が功を奏したかマナに対してはある程度フランクに対応出来るようになっていた。冗談を言うのも朝飯前。

女子に対するフランクさは、前史におけるアスカとも割といい勝負かもしれない。

 

「でも、やっぱりカッコいいよね」

「ん?」

「パイロットよ。世界の平和を守るなんて、私には出来ないもの」

「そうはいっても、僕も成り行きでなったようなもんだし」

「でもパイロットはしようと思えば辞退も出来るんじゃないの? 軍隊じゃないし。それでも逃げないのは、やっぱりかっこいいと思うな」

「そんなもんかな」

「そうよ。前も言ったかもしれないけど、貴方は自分を過小評価しすぎ」

「よく、わからないや」

「謙虚なのは悪くないけど、シンジは自信を持ってもいいとは思うよ。この私が保証するわ」

 

ふふん、と言葉通り自信満々の表情で、マナは自分の手に胸を当てた。

 

「僕としては、そんなことよりもマナが不思議だよ」

「私?」

「うん。どうして見ず知らずの僕にあんなに親しくしてくれて、それが今でも続いているのか」

「ダメ?」

「いや、ダメじゃないけどさ」

「ならいいじゃない。それとも……理由がほしい?」

「あ、いや……」

 

会話の主導権は、今に限らず常にマナが握っているに近しい。かといって、シンジの発言を遮るわけではない。

シンジがそこまで発言しないので、結果としてマナのほうが話す量が多くなっている。ただ、それだけだ。

 

けれど、今は少し沈黙があって、それから、

 

「……そうだ。この後、時間ある?」

「え?」

「この辺りでもうすぐ花火やるんだ。一緒に行かない?」

「僕は構わないけど」

「じゃあ決まり」

 

帰りに適当なスナック菓子等をつまみとして購入し連れてこられたのは、近所の公園や広場などのような花火大会にうってつけの場所……ではなく。

 

「いらっしゃい~♪」

「お、お邪魔します……」

「自分の家と思ってくつろいでくれていいからね?」

 

まさかの、マナの自宅だった。

 

入ってみると、いつぞやに入っていった綾波レイの家とはまるで対極だった。

いわゆる、「女の子らしい」家、というべきだろうか。

 

「私ね、まだ一人暮らしなんだ。あとひと月くらいしたら、お父さんとお母さんもこっちに来るはずなんだけど」

「そうなんだ」

「だから今夜は泊まっていっていいよ?」

「そんな。悪いよ」

「冗談よぉ。んー……結構ギリギリに着いたのね。ベランダに出ましょ。灯り、消しといて」

 

言われたとおりに灯りを消しておく。すると、それとほとんど同時に一発目の花火が打ちあがった。

 

それから立て続けに二発、三発と鳴り響く。

その傍らで、マナがふとため息のように呟いた。

 

「花火って、綺麗よね」

「そうだね」

「それに、優しいのよ」

「優しい?」

「そうよ。だって、私たちの為だけに煌びやかなその瞬間を魅せてくれるのよ?」

「そういう見方もあるのか」

「シンジ程じゃないけど」

「僕は、別に」

「謙虚なのね」

 

マナのその言葉から、暫くの間二人は無言であり続ける。

代わりに、花火たちは己をアピールし続けていた。

ドカン、ドカンという爆音とともに、七色、いやそれ以上の種類の色が乱れ交わり、複合する。

その色々は、灯りを消した部屋の中に、音とともに響き渡る。

部屋の中の静寂と絡み合った幻想的なその空間は、感受性の高い思春期の二人の記憶にひとつ、またひとつと刻まれていく。

あるいは二人はその幻想性に沈黙させられていた、とも言えた。

 

しかし、幻想性が生み出すのは沈黙だけではない。

 

「それにしても、綺麗だなぁ」

「そうね」

 

感嘆の声も上げさせる。

 

「シンジ。知ってる? 花火が綺麗なのは、当たり前だってことに」

「どういうこと?」

「人間は八十年生きるけど、花火は精々十秒少ししか見られない。でもその十秒少しの全てが綺麗なんだから、花火の方が人間より綺麗でいられる時間は、一生の割合からすれば何十倍も長い」

「そう言われてみると、そうだね」

「割合的には、人間より何十倍も綺麗なのよ。美しさを求めて作られたんだから」

「なんだか哲学的だ」

「でも相対的にはともかく、絶対的に見れば人間の方が何十倍も綺麗でいられるのよね」

「……今日のマナ、なんだか普段と雰囲気が違うね?」

「シンジこそ」

「僕は普段通りさ」

「じゃあ、私を見て?」

「え?」

「ほら、こっち向く」

 

強引に横を向かさせられる。

マナの姿は、花火の光に照らされ、普段の端正な姿が一層に輝いていた。

けれど、それだけじゃない。それとは別に、感覚的な違いを感じさせられる。微笑みから感じる、ほのかな妖しさと、煌びやかな何か。

 

「どう?」

「……え、あ、その」

「綺麗でしょ」

「う、うん」

「そう言ってもらえてよかった」

 

思わず出会ったばかりのように吃ってしまう。

 

単なるクラスメートに過ぎないと思うには、あまりにも綺麗だったから。

 

「今、あっちに上がった花火。一生のほぼ全てを綺麗でいることは出来たけど、ヒトはこうして花火が上がって、見えなくなって、そして花火より何十倍も、何百倍もこの世界にいる。

ヒトが一生ずっと綺麗で居られる保証はないけど、綺麗でいられる時間は一発の花火より私の方がずっと長いのよ」

 

「ならば、私は少しでも長い時間、美しくいたい。好きな人の、隣で」

 

ラストの一発が、空に上がる。シンジの目線はその音量もあって、完全にそちらへと奪われていた。

その音によって、

 

「……鈍感なのね」

 

少女の呟きはどこかへとかき消されていく。

 

----

 

そんな花火の日から、更に数日程経過したその日。

例年世間が、お祭り騒ぎになっているはずのその日。ハロウィーンとも呼ばれるその日。

碇シンジは、街を歩いていた。

 

この日もまた「外出」の日。

 

「外出」は普段通りの生活のうち、一つのルーティンに組み込まれようとしていた。

けれど、普段通りのことばかりが起きるのは、きっと今のこの世界では有り得ない。

 

 

聞きなれたアラートが、街中を駆け巡る。

 

 

碇シンジの耳にそれが入るのも、時間の問題だった。

 

 

「使徒、か」

 

 

シンジの呟きは、避難を促すアラート音にかき消された。

 

しかし少年は今、使命を果たす力を持っていないと感じていた。

 

そのことに無力感を覚え、アラートを無視して再び静かに歩きだしていた。




はい。遅ればせながらの投稿となります。
次回投稿は一応十一月末を予定していますが、微妙に多忙になりつつあるので保証は出来ません。
方針は決まっているので、年明けくらいになったらある程度定期的な更新が再び見込めるとは思っています。

今回は一応「鋼鉄のガールフレンド」的な構成を予定してはいたのですが、野暮ったさや投稿期間の遅延などを考慮してシンジとマナが親睦を深めていくシーンは大幅にカットしました。

なので、マナのセリフに説得力がなくなっています(ここは反省点)。
後日時間があれば、外伝としてそうしたデート模様なども追加していくつもりです。

それでは次回、第二十一話「男の戦い(予定)」となります。
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