カチャリ、と撃鉄の上がる音が聞こえた。
その感触は、味わったことがない訳ではない。それどころか、最も忌まわしき記憶のうちの一つに入っている。
冷たい鉄の筒が、己の頭に密着するその感覚。
銃口だ―――
「碇シンジだな……大人しく、手を上げろ」
「な、何を……」
「動くな!」
「いや、だから……」
けれど、シンジは特にそれに抵抗しようとするつもりはなかった。
何故ならば、その声には聞き覚えがあったから。
雨の降り注ぐ中ではあったが、それは忘れるはずもない声だった。
「……何してんのさ、ケンスケ」
「あっちゃ~、やっぱりバレたか」
「声でバレバレだよ……」
そう、相田ケンスケ。学校での友人。
前史でも何かと世話になった彼は、普段の彼と様子は変わらない。
手に持ったモデルガンをポケットに収めると、モデルガンの代わりに、今度は持っていた傘をシンジの方に向けた。
「びしょ濡れじゃないか……。そうだ、近くでキャンプやってるんだ、来なよ」
「え、ちょっ」
ケンスケに手を引かれるがままに、草むらの中、道なき道を進んでゆくと、
ザッザッ、と雨に濡れた草が、一歩踏みしめる度にその存在を音で示してくる。
そういえば、前史でもこのような草むらでケンスケと出会ったような記憶がある。
あの時は確か、ごっこ遊びをしていたはずだ。
今回もこんなところで、それも逃走中に巡り合うとは、とんだ偶然である。
いや、果たして偶然なのだろうか?
それは分からない。
ただ一つ今の状況で分かるのは、どうやらケンスケの言う「キャンプ」に到着したらしいということだ。
そこには確かにキャンプと言われて想定されるものがあった。
入り口には灰色の屋根とやや透け気味の布の壁付きの食事スペースと思しき空間があり、その奥に白色の、所謂テントがある。
「ちょっと待ってな」と言うや否や、テントの奥の方に潜り込むケンスケ。
再び戻ってきたときは、その腕の中に深緑色の少し変わった布の塊が入っていた。
「とりあえず、冷えちゃってるだろうから風呂入って来ようぜ。服はこれで我慢してくれよな」
「……何これ?」
「見ての通り、迷彩服だよ。服は別のところに干しておくからこの袋に纏めといて」
「なんか、ごめん」
「いいってことよ。じゃ、着いて来いよ」
再びケンスケの案内を元に、今度は風呂場へと向かう。相変わらず雨は止まない一方で、明るかった空が少しずつ暗くなり始めていることに気が付いた。
もうそろそろ六時を回る頃だろうか。
風呂場は意外と大きなロッジにあった。浴槽もそれに合わせて割と大きなサイズだ。
用意がいいのか、既に適温の湯がそこに張られている。
二人とも服を脱ぎ捨てると、ドアを開く。すると忽ち湯けむりが中から放出され、生暖かな空気が肌を包み込んだ。
それから、暫く無言で身を洗う。響くのは外の雨音と内の水音のみである。
初めに洗い終えたのはケンスケらしい。シンジがボディソープを落とそうとした時には既に背後からバシャン、と音が聞こえてきた。
やがてシンジも身体を流し終えると、静かに湯船に浸かった。そこそこ広く、密着するということはない。
さながら修学旅行のような雰囲気すら感じられた。
「いやはや、まさかシンジと一緒に風呂に入る日が来るなんてな。しかし……風呂はいいねぇ。人の生み出した文化の極みだ。そう思わないかい? 碇シンジ君」
「そ、そうかな」
「そうさ。風呂は命の洗濯だって、父ちゃんも言ってたけど。今はその意味も理解できるってもんだよ」
「……」
奇遇にも自分がとてもよく知っている二人の人物の発言を、思いがけずケンスケが発言したことにシンジは少し苦笑いを浮かべた。
今回はミサトにそう言われる機会もなかったのだが、結局は誰かにそう言われる運命だったのだろうか。
想えば、放浪中に草むらでケンスケと出会うのも、やはり前史でも起こったことだ。
前史で起こったことは、ある程度の範疇ではあるが何らかの形で今史でも起こるということなのだろうか。
そんなことを考えていると、ケンスケが再び口を開いた。
その話題は、至極当然なもので、予想も容易いものだ。
「……それより、一体何があったんだよここ数日は」
「……? ここ数日?」
「あの日、例の化け物がやってきたのを境にお前が来なくなった。そして、山岸さんは転校してしまった。」
「……」
「……何か、あったんだろ?」
「……何も、ないよ」
ケンスケの鋭い指摘に、そう返し俯くしかなかった。
そしてシンジのいつもとはまた少し違うその態度に、ケンスケもやはり違和感を覚えたようである。
「……なぁ、シンジ」
「……何?」
「お前って、隠し事。下手だよな」
「……」
「へへ。シンジって結構超人! って感じあったけど、やっぱり完璧って訳でもないんだな。少し安心した。
……分かるんだよ。こう、人が何か、隠してるの。
うちの両親もそうだったからな……隠し事があると、本人は平然としているつもりで居ても、第三者から見れば微妙に雰囲気が変わるんだ。隠し事の大小は問わず、ね。
……シンジが何を隠しているのか、俺には分からない。想像は幾らでも出来るけど、結局それは想像に過ぎないから真実は分からない。そして、その真実も知る権利すらあるか怪しいと思う」
「それは……」
もしかすると横にいる彼は、ある程度感付いているのかもしれない。
彼の呟いた客観的に見たシンジの状況、そして彼の妙に長けている観察眼、そうした要素からそれを感じさせる。
けれど、ケンスケは続けた。その表情は、真剣なものがあった。
友人、いやそれ以上の、親友に向ける視線。
「でもな。お前が何を隠していても、そのことについて別にお前を責めるとか、そういうつもりもない。これも本当だよ。
感謝こそすれど、文句を言おうなんて俺は思わない。
それはトウジもそうだし、委員長だってそうだし、他のクラスの皆だって、ひいてはこの第三新東京市に居る人間全員が、いや人類全員がそれは同じはずだ。
……そうじゃない奴が居たとしたら、俺もトウジもそいつを許さないさ」
「……」
「……いつものようにさ」
「?」
「いつものように……でっかい化け物を、エヴァンゲリオンに乗ってやっつけてくれたんだろ?
ドカーン! バコーン! ズガーン! 状況終了! すごく、凄くかっこいいじゃないか!」
先ほどから一転して、再び何時ものテンションに戻る。
エヴァンゲリオンでの戦いに、あこがれを抱く少年。前史から彼は、変わらない。
そんな彼の様子に、シンジは驚きすら抱く。あくまで一人の友人として、自分に接してくれる彼を。
いや、自分がやってしまったことが分からないから、こうなのか?
けれど、そのテンションは長く持つことはなかった。
ケンスケ自身、それを長く持たせる気はなかったようだ。
「そう、だから……お前に何があったかは分からないけど俺たちは、
いつでもお前が、シンジが戻ってくるまで待ってるからさ。
俺たちとふざけてるシンジも。何かとモテモテなシンジも。パイロットとしてのシンジも。どのシンジも、俺たちが味方になる」
「……ケンスケ」
「だからさ……な。元気、出せよな」
ケンスケの、やや消え入るような声を聴いて……そして、その目を見て。
少しだけ、ハッとさせられる。
目を見て人を知るほどに成長できたわけではないが、その目にはきっと、濁りはなかったのだろう。
本能的に、そう感じられた。
もし、ケンスケが自分の業を知っていた、もしくは感付いていたとしても、彼は変わらず、接してくれるのかもしれない。
あるいは、そう勤めようとしてくれるのかもしれない。
身の回りの大人でもなければ、レイやカヲルといったほぼ全面的に味方してくれる者でもない。
相田ケンスケという、一人の友人。
その間に特別な条件の課されていない「全く対等な存在」が、自分を受け入れてくれているのだ。
その事実は……少しだけ。
少しだけだが、シンジの救いになった。
「ごめんな。月並みなことしか言えなくて」
「……いいんだ。ありがとう」
「……」
「……」
再び、無言になる。
外からは、先ほどまでの雨音は聞こえなくなっていた。
湯の暖かみが、じわじわと自分の体温を取り戻している感覚がする。
あたたかい。
とても、あたたかい。
その暖かみを享受していると、
「……そうだ! もう、こんな時間だ」
「あ、本当だ……もう、七時になるのか」
風呂の中に設置された時計は、既に七時に針を進めていたらしい。
入ったのは、六時を少し回ったころだっただろうか。無言であった時間は短いようでそこそこ長かったようだ。
「丁度いい。シンジ、良かったらここ、泊まってけよ」
「え、でも」
「いいからいいから。飯だって食ってないだろ? メッチャクチャ美味いカレー、作ってやるからさ!」
「え、あ、う、うん」
風呂から上がり、テントへ戻ると気付いたらケンスケは消失していた。
どこに行ってしまったのだろうかと思いつつも待つこと数十分。大鍋を持って彼は戻ってきた。
大鍋は蓋こそ閉じていたが、その隙間からは黄土色のルーが見え隠れしていた。
忽ちスパイシーな匂いも漂い始め、食欲を煽り始める。
そういえば、昼食を食べていなかったのだった。
カレーの匂いが漂い出すと同時に、シンジの腹もそのことを思い出したかのように主張を始めた。
ケンスケから上手く白と黄の分かれたその器を受け取ると、半ばがっつくように喰らいつく。
ホカホカと暖かな白飯と、スパイシーさの内に旨味を存分に秘めたルーが口の中で絡み合い、カレー独特の絶妙なハーモニーを生み出していく。
客観的に見ればその出来は「普通」なのだが、抱く絶望の闇に光を差すには先ほどのやり取りも相まって十二分な力があった。
「……おいしい」
「そっか、そりゃよかった。……こういうの、あこがれだったんだよなぁ。月の下で同じ釜の飯を食っている友と語らう夜!」
「そ、そうなんだ?」
「ああ」
「というか、月って……あ、本当だ。さっきまで降ってたのに」
気付けば確かに、雨は既に止んでいる。
雲は少しずつ切れ始め、その合間からは確かに月が煌々と輝き始めていたのだった。
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「じゃ、俺は学校に行ってくるから。……気が向いたら、来てくれよ」
「うん」
「じゃ、また後でな」
雨の日にケンスケと出会ってから、数日が経過した。
あの晩からは特に込み入った話をするでもなかった。なんとなく、ケンスケのキャンプで寝泊まりしている状況が数日間続いていたのだ。
ここ最近は特に、割と早く眠りに落ちてしまったような気もしている。
目覚めると、既にケンスケは朝支度を整えていた。
いつもはややシンジの方が早く目覚めてはいたので、寝坊してしまったのかと思った。
ところが時計の針はまだ割と早朝であることを示していた。
いわく、最新のモデルガンの試し撃ちも兼ねて早出するのだという。
ケンスケの後姿を見送ると、踵を返しテントの中へ戻ろうとした。
その時、
「友達との会話は済んだか、碇シンジ君」
後ろから男の声が聞こえてきた。
しかし今回は何か撃鉄の動く気配もない。
そして何より、今回もまた聞きなれた声だった。
警戒を解いて後ろを振り向くと、予想通りの人物がそこにいる。
「……加持さんですか」
「よっ、数日ぶりだな」
「よく、ここが分かりましたね」
「そこは企業秘密だ。強いていうなら、大人をそう侮るなってことかな」
加持の声色や表情は、いつもと違わなかった。
突然いなくなった自分に対して怒りの感情を伴うだとか、そういうこともない。
飽くまで、普段通り。彼としては普通にやっていることが、彼からすれば少し意外であった。
「……やっぱり僕は、連れ戻されますか?」
「さてな。俺も最初はそのつもりで来たんだが、その様子を見るともう大丈夫みたいだしなぁ」
「……」
「いや、そうだんまりにならなくても分かるさ。さっきの子、相田君って言ったか。彼、友達だろ?
勿論まだ完全ではないにしても、友達と会話が出来るなら充分だよ」
「はあ……」
「一応リッちゃん達からは経過観察の義務もあるから連れ戻せーって言われていたんだが、
君のこの様子を見るにそこまで憂慮する事態でもないのかもしれん。
何より朝の起き抜けであの二人に会うのも、なかなかしんどいだろ? そこで、だ……」
加持は先ほど以上に飄々とした様子で、どちらかというと女性に対して何か口説くような態度にすら変化した。
その声色もむしろ、少しばかり男の色気を孕みつつある。
無言を貫いていたシンジも少しばかりそれにたじろぐ。
「どうだい、デートでも」
「……僕、男ですよ」
「ノー・プロブレム。愛に性別は関係ないさ……」
「え、ちょっ、待っ……あぁぁぁ!?」
シンジの拒否をまるで聞かないでその顔の距離を狭める……が、その顔の距離が零になることはなかった。
すっ、と側面を掠めて、今度は耳元で囁く。
「冗談だよ」
何か弄ばれたような気がして、少し気に食わない。
シンジは少しだけむくれるが、特に気にしない様子で加持は続けた。
「そんだけ元気なら、やっぱり大丈夫だな。すぐそこに車を止めてある。ちょっと息抜きにドライブでもどうだ?」
「……ドライブ?」
「ああ。心配するな、ネルフに連れ戻そうとかそういうつもりはない。
実は最近、ある場所とコネが出来てな。心が疲れた時は、ああいうところに行くのが一番いい」
加持リョウジという人物の、この根拠のない自信は果たしてどこから来るのか、と思わないではないが、しかし一方で騙すつもりもまた、毛頭ないのだろう。
少し腑に落ちないところはあったが、シンジはゆっくりと頷いてみせた。
「よし、決まりだ。相田君の方には俺のツテで連絡させて貰うよ。書き置きだけしておいで」
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「どうだ?」
「えっと……ここは、水族館ですよね?」
連れてこられたのは、第三新東京市を少し離れたところにある水族館である。
シンジは水族館の存在こそ知っていたが、セカンドインパクト以降少なくとも日本国内で生き残っている水族館はほんの僅かであったこともあり、実物を見るのはこれが初めてだった。
「そう。セカンドインパクト以前の南極近海からオーストラリア近海、生命の失われた海域の生き物たちがここに集められ保護されている」
「なるほど」
「セカンドインパクト以降、海の環境も大きく変化しているからな。
残念ながら彼らは、ここでしか生きることを許されていない。他の海……そうだな、東京湾にでもぶち込めば、たちまち全滅してしまうだろうね」
いつもと変わらない飄々とした口調から放たれる、おどろおどろしい事実。
けれどそれは抗えるものでもない、淡々とした無慈悲な事実にすぎない。少なくとも加持はそういうスタンスなのだろう。
やがて二人は、魚たちの一つのパラダイスが形成されたその水槽を静かに見つめ続けた。
目の前を泳ぐ、見慣れない魚たち。
野生であれば脅威となる、サメもシャチもクジラもいない、そして彼らを漁獲する人間もいない。
何者にも脅かされることなく、悠々と泳ぎ続けている。
いや、本当に脅かされていないのだろうか? 脅かされていないのは、あるいはヒトのエゴか。
その答えの主は何も語らない。
右往左往に泳ぎ回ることで口から発生する気泡が、唯一彼らの生を物語るのみであった。
そんな魚たちを暫く観察していると、加持が口を開いた。
「で……だ。単刀直入に聴くが、一体何があったんだ?」
「……?」
「あの使徒の中で、何かが起こったというのは明白だ。大丈夫、リッちゃん達には話さない……男同士の密談と行こうじゃないか」
迷いは生じた。
しかし、目の前の男なら、何か解決策を持っているのではないか。彼はそういう男だということを、シンジは知っている。
藁をも掴む思い。
シンジが再び頷くのに、時間は掛からなかった。
「分かり、ました」
内部で起きたことを、ぽつりぽつりと無理のない範囲で話し始める。
使徒の中に、マユミが居たこと。
使徒の主が、マユミであったこと。
マユミを倒すか、人類が滅びるかの二択であったこと。その二択を迫られたこと。
そして……
マユミを、殺してしまったのではないか、ということ。
加持はそれを遮るでもなく、黙ってその全てを聞きとおした。
と言っても、起こったこと自体は客観的に見れば、そう複雑なものではない。
時間にして十分も経たぬうちに、その全てを語り終えた。
「なるほど、な……」
加持は暫く考え込んだ風を見せると、改めてシンジに向き直った。
「シンジ君」
「はい」
「まず、悔やむ気持ちは分かる……クラスメイトの、それも仲良くなった女の子だというじゃないか」
「……」
「しかしだ、俺たちは、その君のお蔭で救われている。その君にこの結果を悔やまれたら、俺たちはどうすればいい?
額面としてみれば、人類と山岸さんを天秤にかけて、そして君は人類を選んだ。
しかし君がこの態度、
ということは……人類を滅ぼす選択肢もまた、君にとっても存在しない選択肢ではなかったということじゃないか? あるいは世界がどうなってでも山岸さんを助けたかった、とすら取れる。
山岸さんはいいだろうが……俺たち残り二十億人あまりの人類はどうなる?」
「そ、それは……」
「すまない。責めよう、というつもりはないんだ。ただ、そういう見方も出来うる、ということは忘れないでほしい」
「はあ……」
現実を突き付けつつも、加持の語り口調に大きな変化はない。
しかしそれだからこそ、シンジにはうなだれるということしかできない。
加持はシンジの様子を見るでもなく、あくまでも淡々と続けた。
あくまでも言い聞かせるように、続けた。
「それに、その山岸さんが、君にこんな風になっていてほしいと思っているだろうか?」
「……」
「君の話が事実であるとすれば、山岸さんはシンジ君にシンジ君や俺たち人類を託した。そう考えるのが、自然じゃないか?」
「……それは、そうかもしれませんが」
「だったら、君は生きなくてはならないんじゃないかな。
生きると言っても、今のように塞ぎ込んで生きるんじゃない。
あの魚たちのように、閉ざされた世界で生きるんじゃないんだ。
山岸さんが俺たちに残してくれた、楽しいこと、つらいこと、嬉しいこと、悲しいこと、そして、素晴らしいこと。あらゆる事物に満ち満ちた世界で生きられるんだ。
君はあの魚たちのように制限されていない、自由な生き方が約束されているんだ」
「自由な、生き方……」
「そうだ。今でこそ、君にはまだエヴァンゲリオンのパイロットという使命がある。
使徒がいつまでやってくるのかは分からない。終わりがあるのかもしれないし、ないのかもしれない。
あるいは終わりがなかったとしても、次にやってくるのはずっと何百年も先かもしれない。
終わりがあったとしても、もしかしたら残りの使徒が今にでも総勢で乗り込んでくるかもしれない。
しかし、いずれにせよ君はいずれエヴァンゲリオンを降りる日がやってくる。
その時に君が出来る生き方は、自由なんだ。山岸さんはその命を以って君に自由を与えてくれたんだ。
その自由……君は享受する「義務」もあるんじゃないかな」
「義務……」
「辛い気持ちは分かる。だが、進むべき道がそこに用意されている以上は、それを歩むのがいいと俺は思う。
進むべき道すら見えていない人間も、この世には山ほど居るからな」
加持の双眸は、どこか遠くを見つめていた。
表情こそいつもと変わらないが、それでも何か違う。
それが何なのか、シンジにはまだ分からない。分かるほど、成長出来ていないのかもしれない。
だが、それでも時の流れは進んでいくのだ。それを示すかのように、加持の話も進んでいく。
「それに、君は一人じゃない。君はエヴァンゲリオンのパイロットである以前に一人の中学生……いや、一人の人間でしかない。
単純な個人の能力としては君は確かに凄い面がある。それは認める。
でもな、君は一人なんだ。
人間は単体で攻めてくる使徒とは違って、群れを成して生きていく生物だ。
個人の生き方としてみるならば最低限のつながりで生きていくという選択肢もあるが、
完全に誰とも関わらずに生きていくのは不可能。仲間と辛さを共有して、乗り越えていくことも大事なファクターではないかな」
先日ぶりに、ハッとさせられる。
「あんたね……自分の力を過信しすぎ。少しは、人を頼るという事も覚えなさいよ」
かつてのラミエル戦の前に、ミサトに言われたその言葉。
気付くと再び、自分だけでなんとかしようとしている。
けれど、その度にどうだったか。
ラミエル戦では、レイに助けられた。
イスラフォン戦では、マリとレイに助けられた。
レリエル戦では、マユミに助けられた。
そして何より、カヲルにも日常的に助けられた。
そして今、ケンスケと加持、この二人によって再び、自分は助けられようとしている。
そう……結局自分一人で出来ていることは、微々たるものだった。
自分一人の殻にこもっても、結局いいことはなかった。
一人になってもなにもいいことはなかった。赤い世界でも自覚したその事実を、再び忘れかけてしまっていたのだ。
皆のいる、世界を望む。
何のために戦うのか?
今、それを思い出した。
「……加持さん」
「何だい」
「僕は……僕は……その、まだ、自分が、何を出来るかは……分かりません。
でも、……頑張って、みようと思います。山岸さんが、残してくれたこの世界。俯いているだけでなく、前を向いて。生きていければ……いいのかも、しれない」
「……そうか。それじゃあシンジ君……最後に一つだけ。君に、ヒントをあげよう」
「え?」
「君が少しでも何か足掻こうとしなければ、言うつもりはなかった。けど今の君は……足掻こうとしている。その位は、俺にも分かる。だから君にヒントをやろう」
加持の表情や雰囲気は、既に今日出会った時のそれと同じだった。
普段通りのポーカーフェイス。けれどもどこか、柔らかさも感じられた。
「……テレビのニュースだ」
「え?」
「行方不明者関連のニュースを洗い出してみろ。そうすれば……君は一つ、希望というものを持って生きていけるかもしれない」
「と、……言うと?」
「そいつは俺からの宿題だ。なぁに、難しくはないよ。それじゃあ俺はちょいと館長に用事があるから少しだけ魚を見て暇潰ししていてくれ」
そう言い残すと、加持は再び飄々とした様子で何処かへと消えてしまった。
その後ろ姿を見て、何か感じるものがある訳ではなかった。
ただ一つ、口から自然と出る言葉は、誰に届くでもなく消えていく。
でもそれで、よいのかもしれない。加持もまた、それが届くことを望んだわけではないだろうから。
「……ありがとう、ございました」
----
「じゃあシンジ君は無事で、ある程度は回復の兆しもあると。そ、ありがと。じゃあまたね」
手持ちの携帯端末を放り捨てたところで、見慣れた黒髪が翻るのをリツコは目にした。
「リツコ」
「あらミサト、またそんなところにいたの。そんなに愛しのシンジ君が心配?」
「アンタねぇ……」
「はいはい分かってるわよ。加持君の話によると、健康状態は勿論精神状態も悪くはないみたいね」
「ホント?」
「ええ」
「ならよかった……」
心底安心した様子を見せるミサト。
「本当よかったわね、ここ数日の貴女はとにかく本部内をウロウロウロウロ、何があったかと思えばシンジ君は何処、って。一部ではショタコン疑惑が立ってたわよ?」
「流石に自分の半分の年齢の男の子にホの字なんて。犯罪じゃないの」
「あら、その言い方ではまるで犯罪じゃなかったら手を出すかのようね」
「え? ええっと、それはその……って、出さないからね? 私少なくとも同年代以上がいいからね?」
「はいはい。まぁそれはそれとして」
「違うからね」
「分かってるわよ。……シンジ君は暫く療養ね。
使徒がやってきたら止むを得ないけど、ある程度の期間休学。訓練も休止。
……まぁ彼の実力ならもはや中学どころか高校すら行かなくても大丈夫なんじゃないかと思うし訓練も自発的にやってるから、あまり気にしなくてもいいかもしれないけど」
「そうも行かないわよー。あの子、一人で突っ走る癖があるもの。ブレーキになる人間は必要だわ。出来れば明日からでも」
「そうも言ってられない事情があるのよ。……もうすぐ、来るのよ。アレ」
「へ? 来るって……まさか」
「そう、そのまさかよ」
リツコの表情が先ほどより少し真剣さを帯びたものになる。
その目を見て、ミサトはハッとした。
そうだ。これは。
「……リツコ」
「……何?」
「もしかして本当はアンタの方がシンジ君狙ってるんじゃなくって?」
「は?」
「だって……もうすぐ来るアレって言ったら、アレしかないじゃない。作るもん作って駆け落ちしようと」
「はぁ? ……あぁ。あのね、シンジ君より貴女の方が精神汚染されてるんじゃなくて?」
ミサトの言わんとしたいことが一瞬飲み込めなかったが、MAGIと毎日睨めっこしている明晰な頭脳は瞬く間に答えを導きだした。
しかしそれは大外れであったようで、リツコの冷たい視線がミサトに突き刺さる。
ミサトもふざけすぎた、と少しだけ小さくなった。
「ま、おふざけもここまでにして……
アレ、ってのは、かねてから噂されていたエヴァンゲリオン三号機。ついにアメリカからご到着だそうよ」
「あら。三号機と四号機はあっちが建造権を主張して強引に作っていたんじゃない。いまさら危ないところだけうちに押し付けるなんて、虫のいい話ね」
「命が惜しいのは人間誰もが同じってことよ。あの惨劇の後じゃ誰だって弱気になるわ……開発費は全部あっち持ち、それだけでも儲けものよ」
「なるほどね……じゃあ事情、ってのはもしかして、三号機にシンジ君を?」
「いいえ。三号機に乗せられるのは事実上マリだけよ。
レイは特性上零号機以外はほぼ乗れないし、シンジ君はもってのほか。今の精神状態で彼を新しいエヴァに乗せて暴走でもされたら危険すぎるわ」
「なるほど、テストパイロットはマリな訳ね。じゃあ、どうしてシンジ君を?」
「三号機は新型とはいえ、今回が初の実戦テストよ。マリが乗るとなれば、三号機が暴走か何か引き起こしたときに頼りになるのは初号機と零号機しかないの。
本当は新たにフォースチルドレンを見つけられるのが一番良いけど、生憎ながらまだ適格者が見つかっていない」
「待機役って訳?」
「有り体に言えばそうなるわね」
「……まぁ、やむを得ないか」
少し腑に落ちないところはあるが、それでも理由は明白だし、
それを頭ごなしに否定してしまう程ミサトも子供ではなかった。
話に一段落がついたところで、コーヒーを口に含む二人。待ちわびた無事の報告で聊か浮足立っていた心が、そのほろ苦さによって少しずつクールダウンされていく。
その頃、とある名もなき場所の雷鳴轟く黒雲を、一機の巨大なウイングキャリアーが突っ切っていた。
目的地はまだ遠い。が、目覚めの時は刻一刻と迫っている。
ウイングキャリアーに搭載されたソレの目が、一瞬だけ赤色に輝いた……が、それに気づく者は、何一つとなかった。
はい、如何でしょうか。
今回は一応シンジ復帰編というか、本編で言えば「雨、逃げ出した後」の後編と言ったところでしょうか。
但し時系列としては前回とそこまで時間は変わらず。
次回からは前回からも匂わされていたようにいよいよ「あの話」に入っていきます。
ただ、流れ的に少し短くなる予定です。というかここまでのんびりとレリエル編前後の時系列を流していた反動……ではありませんが、割と一気に話が進みます。
ただ……実は今日は5/12ということですが、5/8、5/13も本当は色々とイベントがあるんですよね。
しかしながら時系列的にはレリエルになってしまっておりズレも大きいので、次回更新は7月4日。
但し、バルディエル辺の時系列通りに進んでいくので連日更新を予定します。
それでは次回「選ばれた者」。
さぁ~て次回も、サービスサービス。