それでは十五話、どうぞ。
春。
かつて暦の上ではこの時期はそう呼ばれる季節であった。
桜という花が一面に咲き乱れ、指先の感覚が失われるかのような寒さがある訳でもなければ、
汗だくになるような暑さがある訳でもない、適温の心地よい風があたりを優しく包んでいたのだと言う。
が、セカンドインパクト以来、地軸の傾きが変動。結果として四季を失ってしまった日本ではそれは関係ない。
この日も朝からけたたましく蝉達がラブコールを意図した歌を叫んでおり、
太陽は依然としてその熱視線を背ける気はないようだった。
「おーっす、ケンスケ」
「よお、トウジ」
「ん。いやー今日も朝から暑くてかなわんなぁ」
「だな。室内は正に天国そのものだよ」
ケンスケの言う通り、教室内は外とは一転した、人工的かつ涼しげな空気に包まれていた。
外の余りの暑さにしかめられていたトウジの表情も徐々に和らぎ、その浅黒い額についた大粒の汗も見る間に引いていく。
とりとめもない日常会話がしばし続いたが、ここ数日間はいつもある話題に帰結している。
「にしても……」
「ああ……」
さんさんと日差しが降り注ぎ、鈍くその光を反射する一つの机。
そこには普段の主の姿は見当たらない。
そんな一見何の変哲もない机を、二人は見つめるのだ。
「どうしちまったんだろうな、碇の奴」
「せやなぁ。あの日から既に一週間……か」
「山岸さんも転校しちまったし、これじゃバンドも出来ないだろうな……」
この机こそが、その話題の根源であったから。
二人がその机を見つめながらため息を吐いたところで、チャイムが鳴る。
この日は珍しいことにすぐに先生がやってきていた。その後ろからは見慣れぬ金髪の若い女性が入ってきた。
「はい、それでは本日の授業を始めます。えー……今日の英語の授業にはELTの先生としてあのエデン先生をお招きしております……」
普段の二人であれば歓喜の声を挙げたのだろうが、今日に関しては別であった。
馬鹿話を共にする友が居ない。その事実こそが、彼らの元気をも奪っていたのだ。
この日の授業は普段通り午後までであったが、珍しくこの日は二人の声が昼休み中に教室で響いたりするということもなかったという。
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「マヤ、ごくろうさま。初号機はどうかしら」
「一切の異常は見られません」
「そう。ならいいわ」
格納庫には巨大な紫色の顔が一つ。エヴァンゲリオン初号機のものだ。
鋭い目つきに額に生えた一本の角からあたかも鬼のようなその様相、常人であれば見ただけで圧倒されそうな光景だが、ここに居る二人の女はまるで慣れた様子だ。
それもそのはず、彼女らはこのエヴァンゲリオンを毎日嫌という程見ているのだから。
「……センパイ。先日の初号機は、一体」
「そういえばマヤにはまだ話していなかったわね。あの状態はいわば……」
「その話……今日は詳しく聞かせてくれるわね?」
少し不安げな顔をしたマヤの一方で、後ろからもう一人女が現れた。整備音に掻き消されていたのか、二人とも彼女の来訪にはこの瞬間まで気づいてはいなかった。
そしてその声色は普段のものとは違う真面目なものであった。
「あらミサト。此間の戦闘に関する詳細データだったら貴女のデータベースに一通り送っておいたけど」
「そこまで詳しいデータはいいわよ、私としては作戦運用上のメリット・デメリットだけ分かっておけば充分だもの。それに……」
「それに?」
「データベースのパスワード忘れちったのよね」
「はぁ……」
先程までの真面目な声色とは一転し、まるでおちゃらけたような声に戻る。
ミサトのコロコロと変わるその態度にリツコは呆れをその顔に表すことを抑えられない。
とはいえ、仕事は仕事として割り切っている。手元のコーヒーを口に含むと、二人の方を再び向きなおしその口を開いた。
「……この際だからミサトにも説明しておきましょう。
まず、先週の戦いにおいて初号機は……暴走」
「暴走? あのエヴァ初号機が?」
「ええ」
「にわかには信じられないわね……」
「勿論、断定はしていないわよ……それこそ、シンジ君が使徒の中でザ・ビーストを発動させた可能性もゼロではないわ」
「あぁ、確かに彼の異常なまでに正確な予知能力を持ってすれば……あるいは、彼の頭脳を持ってすれば有り得ない話ではないわね? だったら」
「それにしても、初号機に搭載しているのはまだテストタイプ。
理論上発動は可能だけど、マリのように開発に携わっていないと下手すればシステムがダウン、本部でちゃんとメンテナンスを行わないと再起動不可能なんて事態になってもおかしくはなかった。
可能性はあっても、ゼロではないというだけ。確率にして一パーセントもない。
そうなると、先日の状況を説明できるのは……」
「貴女の言う、暴走状態ということね」
「そういうことよ。技術部としても今後、正式にあの事象は「暴走」と称します」
一通り話終えると、再びコーヒーを口に含む。
そのマグカップが口紅が光照り返す艶やかな唇を離れたタイミングで、再びミサトが口を開いた。
「事情は分かったわ。で、暴走状態ってのは結局なんなワケ?」
「暴走状態について思い出してほしいのは、エヴァンゲリオンはただのロボットではない。人造人間であるということよ」
「人造人間……もしや、生存本能が働いたとでも?」
「貴女にしては勘が鋭いわね。勿論人間といってもあくまで人造、通常の生物の定義に収めるのは難しい点もある……けれど、一種の生存本能のようなものが身についていてもおかしくはないということよ」
「はぁ……」
そう、エヴァンゲリオンはそもそも、アダム、ないしはリリスの肉体のコピーである。
このことを現時点でまだ知らないミサトとしては、本当に生き物の片鱗があると言われてもいまいちピンと来ない様子であった。
そんなミサトを尻目にリツコは説明を続ける。
「そしてあの暴走状態は、理論上は相当な火力を叩きだせる……それこそ、下手な軍隊では束になっても敵わないか、もしかしたら人類に抑えつける手段はないかも」
「そんなもんを私たちが三機も。……世界征服も夢じゃないわね」
「やってみる?」
「そのうちね」
「その時はうっすら期待してるわ……で、あの時マリが発動させた獣化第二形態、通称ザ・ビーストはこの「暴走」を応用、制御したもの」
「本能を制御って……人類の科学サマサマねぇ」
「尤も現状では恐らく暴走の十分の一にも満たない戦闘力だけど、それでも見ての通り大幅な戦闘力向上は期待していいわね」
「そのようね」
二人の脳裏には、先日のマリと弐号機の獅子奮迅の戦いぶりが再生されていた。
圧倒的な発生能力を更に圧倒的なその戦闘力で抑えつけ、初号機を使徒の元に送り出したその光景。
「でも、此間も言ったことだけど、その対価も大きい。
エヴァンゲリオンを人為的とはいえ暴走状態に至らせる以上、パイロットへの負荷も通常の比にはならない。
……本来なら何故かぴんぴんしてるマリをとっ捕まえて検査したいところだけど、特に何も異常がないって言い張るものだから」
「そりゃアンタの検査だしねぇ」
「何か?」
「いーえ」
「ま、いいけど……あっマヤ、コーヒーのおかわり淹れて貰える?」
「あっはい、只今」
二人の話を後方で静かに聴いていたマヤは突然声を掛けられたことで一瞬驚いた様子だったが、すぐに言われた通りに近くに設置されたコーヒーメーカーを起動する。
芳醇な香りが格納庫の一角に少しずつ立ち込め始める。
「ちなみに、他にも幾つか裏コードあるけど……聞きたい?」
「あら、リツコにしては大分素直に教えてくれるのね」
「ザ・ビーストの存在が表沙汰になってしまった以上、ある程度のことは貴女にも知る権利があるから」
「そう……まぁ今は、それどころじゃないからまた後日でいいわ」
「あら、ミサトにしては大分素直に引いてくれるのね」
「そりゃあ気にならない訳じゃないけど、それ以上に重要な問題があるもの」
先ほどまで初号機の方を向いていたミサトの目は、方向こそ同じであれど、先程より明確に遠くの方向を見つめてもいた。
「……まだ見つからない訳? 彼」
「ええ、監視の目も振り切ってるみたい。昨日なんて、わざわざ相田君と鈴原君……シンジ君の友達が私の家まで押しかけてきたわよ。一応「訓練」ってことで追い返したけど、この分じゃ何時までも隠し通せるものではないわよ」
「本当何者なのかしらね、彼」
「そんなの私が知りたいわよ……一刻も早く、見つけ出さなきゃ」
此方でもまた、シンジの不在が話題になっていた。
ミサトの言うように、ここ数日間で
「……一応忠告しておくけど、彼の精神状態は最後に観察した時はそれなりの衰弱状態にあったわ。あまり手荒な真似はしない方が吉ね」
「分かってる……私だってそこまで馬鹿じゃないわよ。
……とはいえ彼、あれでも十四歳だもんね……人類の滅亡を背負わせるのは、今更ながら酷よね」
「でも私たちはエヴァの操縦を、その十四歳の子供達に委ねざるを得ないのよ」
「分かってる」
「……勿論、貴方の方に連絡もないのよね?」
「無いわね……最悪な話、彼、もう戻らないかもしれない」
「まさか。本当に彼がその気なら、ネルフIDの抹消くらい一人でやりかねないわよ」
「だといいけど……」
再び、重い沈黙が走る……が、
「コーヒー入りましたっ」
参つのコーヒーカップを乗せたトレイを、微笑みを携え運んでくるマヤの姿がそれを断ち切った。
「あらありがとう」
「あんがとマヤちゃん。コーヒーを入れられる可愛い後輩がこういう時に居るのは助かるわね」
「か、可愛いって……葛城さん」
「ん、そんなに困ることはないよマヤちゃん。
君も勿論可愛いし、此間の葛城もなかなか可愛かった」
「そうねぇマヤちゃん可愛いよねぇ加持ぃ~……って、加持ぃ!?」
「あら、加持君」
「こんにちは」
「よっ、三人とも変わらずお美しい」
「アンタは変わらずおしゃらくさい」
相変わらずののろけた雰囲気で、やはり突然に背後から現れたのはほかでもない加持リョウジだ。
その姿を見るや否や、ミサトはその瞳を鋭くして、まるで親の敵とでも言わんばかりの視線を彼の顔面に全力で叩きつけてやるのだが、
一方のリョウジはそんなものは意にも介さずいつもの微笑みを浮かべたポーカーフェイスをしている。
「それにアンタ、なんでここに居るのよ」
「その科白そっくりそのままさっきの貴女に返すわよミサト」
「そう迫るなよ葛城。俺がここに来たのは、何もここでお前をたぶらかす為だけじゃない」
「たぶらかす目的は否定しないのね。……あぁリツコ、コイツがさっき可愛かったとか言ってたのは妄言だから。八年前以来一切合切何も起きてないから」
「おいおい、俺は否定しなかったのにお前は否定するのか、酷い話だ。
……他でもない、シンジ君のことだよ。広報部、諜報部ともに動かしているが依然として見つかってはいない」
「そんなん私も分かっているわよ。そんなしょーもないこと言いに来た訳?」
「いや、そうじゃない」
ポーカーフェイスを作り出すパーツの一つである瞳が、一瞬少しだけ鋭いものを持つ。
こういう時の彼は、本気だ。リツコは勿論、既に長い付き合いになるミサトからすれば、尚更よく分かる。
マヤは全く分からないが、二人が黙りこくったのを見て只ならぬ雰囲気を感じたのか、同様に何も言うことはない。
やがて三人の視線が向けられたところで、リョウジはゆっくりと口を開いた。
「……俺に幾つか、アテがあるという話さ」
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それは数日前のこと。
パイロット、碇シンジは使徒との闘いから目を覚ますのに時間こそかかったが、目覚めてみるとこれといった支障をきたすでもなく普通に起き上がった。
立ち上がれたし、歩ける。
ヒトとしてのまともな受け答えも出来た。
見てくれだけで言えば、まるで使徒戦など、初めからなかったかのようだった。
それでも数日程寝たきりであったのは確かなので、健康上の配慮として最低限の食事を摂った後に、リツコの部屋に呼び出され診察を受けていた。
相変わらぬ研究室独特の厳かな雰囲気に反したネームプレート:「りっちゃんのおへや」はある意味異彩を放っているともいえ、シンジが数日ぶりにここに辿り着くのにも迷うことはなかった。
「安心して頂戴。少々疲労が残っているという以外、身体的な異常は一切見られなかったわ」
「……そうですか」
白と青のコントラストのプラグスーツに先ほどまで身を包んでおり、今はいつものカッターシャツに黒ズボンを身に纏う少年、碇シンジは、先程初号機が出てきたときにはプラグ内で眠っていた。
気絶していたのではなく、本当にただ眠っていただけだったのである。
ペチペチと頬を叩くと、うっすらと目を開いた。しかしそれからまた、すぐに深淵の眠りへと落ちてしまった。
が、診察の結果としてもやはり、特に異常はない。少なくとも身体の面では。
では、心はどうか。
彼は俯いたまま、自分とはまるで対照的な金髪の女性の前にちんまりと座っている。
「……」
「……」
「……やっぱり、あの中で起きたことは話してくれないのかしら?」
「……先ほどから言っている通りです。僕は……僕は……ヒトを。この手で、殺した」
「貴方が殺したのはヒトではなく使徒よ」
「……」
「……そう……分かった。今日は検査も長時間に渡ったことだし疲れているでしょう。家に帰って休みなさい」
「……はい」
シンジがそこを去るとともに、診察室の扉がゆっくりと閉まる音が聞こえる。そして、部屋のオートロックが掛かった。
「身体にはまるで外傷無し、けれど、いつもの彼の精神状態とは見るからに違っているわね。
そういえば、彼はここに来る前は大分内気な子みたいだったけど……まさかね」
手慣れた手つきでさらさらとカルテに必要事項を書き込んでいくと、手元にあるコーヒーを一口。
すでにぬるま湯になっていたそれは、軽く顔をしかめさせた。
一方で、シンジがネルフから遠ざかっていくのにも時間は掛からなかった。
ネルフから逃げるように出て第三新東京市を彷徨い始めると、
それを狙ったかのように、いつもの声が脳裏に響いてきた。
『おかえり、シンジ君。待っていたよ』
「(……カヲル君か)」
『無事に戻ってきたようで何よりだよ』
「(……)」
『事情はレイ君からそれとなく聞いているよ。彼女、意外と聞き耳を立てるのが上手いようでね』
「(……)」
カヲルの語調は普段とそう大差ない。かつての整ったアルカイックスマイルを満面に湛えながら言っている姿が容易く想像できるというものだった。
それが果たして素なのか、それともシンジを気遣ってのことなのかは、カヲル当人以外は分かりかねる。
しかし少なくとも、それはシンジにあまり効果があるという訳でもないようであった。
彼は口を頑なに開かず……いや、開こうとすらせず、只管黙りこくって歩き続けたからだ。
朝焼けは雨の前兆と言われるが、この日は正にその通りの様であった。
朝には雲一つない晴天だったのが今や一転し、灰色の分厚い雲が空を覆い、
初めはぽつぽつ、やがてざあざあという音と共に大地を濡らし始めたのだ。
先ほどまで周辺を歩いていた人々は忽ち傘を取り出してやや早足になるか、
そうでなければ手に持った鞄を頭上に掲げ、その水から身を守るべく走り出すのだ。
そう、普通の日常を謳歌している、普通のヒトたちならば誰でも。
一方、傘を忘れ手荷物もなく飛び出した少年にその水々をはじく術はない。
だからと言って、どこか建物の中に入ったりするという訳でもない。ただ、ただ歩みを進めていく。
白いカッターシャツは透け、下着で覆われていない肩から先は素肌がまるで透けてしまっている。
が、だからとそれを気に止めるでもなく。
灰色のビル街の中を、一歩、また一歩。ぱしゃり、ぱしゃりと音を立ててゆっくりと進むのだ。
その様子を好奇の視線を以って見る者も居ない訳ではなかったが、かといって何か接触したりするということもなく、
降り注ぐ雨から己の身を護ること考えて足早にその場を去るのみ。
雨だれは髪を伝い、頬の上を一滴一滴、雫となって流れてゆく。
それは確かに雨なのだが、あたかも少年の心の様子をありありと映し出しているようですらあった。
静かだった。とても、とても静か。
雨音や生活音はあった。いや、そういう物音の方ではない。
その静けさを、一つの声が再び破った。
『……レリエルが討伐されてから次の使徒、バルディエルが現れるまでにはまだ少し猶予があるはずだ。
……丁度いい、君には少し、時間が必要かもしれないからね』
「(……)」
『君が何をやってしまったのか、僕には分からない……けれど、一つだけ言えることがあるよ』
「(……?)」
『償えない罪はない。希望は残っているよ。どんな時にもね』
「(…………)」
少年がその答えに応えることはなかった。
そして声の主もそれだけ伝えると、再び口を開くことをやめた。
また、静かになった。
雨が止む気配はない。
けれど、歩みを止める気配もない。
気づけば灰色のビル群は見当たらなくなり、代わりに自然に満ち満ちた緑が見えるようになりつつある。
何時だかも見たような山々。
そういえば、前史でここに来たばかりの頃もそうだった。こうして雨が降る代わりに夕焼け空だったが、それ以外は全く同じ。
ただあてもなく彷徨い続ける。気付くと自分がどこにいるのかもよく分からなくなってくるが、それでも構わずに歩みを進めていくのだ。
道を進み、山を進み、草原を進み。
すると……唐突に、後ろから声が掛かってくるのだ。
尤も、ここからが少し面倒になりそうでもあった。
「…………碇、シンジだな。大人しく手を上げて、……そのまま、此方を向け」
カチャリ、という金属音は、今回が初めてだったから。
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「そういう訳で、わんこ君が消えちゃいました」
「そういうワケってどういうワケよ」
ところ変わって、そこは日本国内のとあるホテル。
外はすっかり暗くなっており、雨音のみが静かに響き渡っている。
一方で、部屋の中ではテレビからバラエティ番組特有の騒がしさがそこにあり、電気も付いているとあり外とはまるで対照的な空間であった。
一仕事終えたという様子の二人の少女は、裸眼の方、朱雀がタンクトップ、眼鏡の方、マリがキャミソール。
そして二人とも、朱雀は赤、マリは青のホットパンツを身に付けたラフなスタイルでツインベッドに寝転んでいた。
この光景たるや、観る者が観れば相当な値打ちものだろう。
「いやだから、さっきから言ってるじゃあん。なんか使徒戦でやらかしてショック受けてるみたいだって」
「それは分かったわよ。そうじゃなくて、私が聞きたいのはそのやらかした「なんか」なんだけど」
「そんなのわんこ君のみぞ知るって感じよ。まぁ、当人以外の人類からすれば使徒殲滅って結果がついてくれば充分なんだけどねぇ」
「たまにいるのよ、そういうナイーブな男。
……しかしまぁあの子、今んとこ全ての使徒戦で一番活躍してるっていうし、
他のことでも結構やり手みたいだから気にはなってたんだけど……少しだけ的外れだったかしら?」
「あれっ姫、やけに詳しいのね」
「ま、ちょっとね」
「ふぅ~ん……姫にもそんなオットコノコと一緒にいる時代がねぇ?」
「殺すわよ」
「姫になら本望にゃ」
「じゃあそこに直りなさい、お望み通りその首掻っ攫ってあげるわよ」
「えーひっどい、冗談に決まってるじゃん冗談」
おどけてみせるマリに対してため息ひとつ。
「で? これからどうなるのよ。初号機なき今のネルフは」
「姫、また仕事の話ぃ? 緊張感ありすぎると男にモテないぞ~」
「大丈夫よ、現状で十二分にモテてるもの。いい加減面倒くさいわ」
「そうね~、全く歯ごたえがない連中ばっかりだったみたいだし」
「厳密には二人居たけどね」
「そうなの?」
「ええ……一人はオッサン、もう一人は赤い髪。晴れなのに傘持ってた奇妙な二人組よ。
オッサンは知らないけど赤い髪の方は結構イケてたし、何より強い……私と対等に立ち回ってくれたわ。
此間の使徒騒ぎで途中中断喰らったけどね」
「へぇー、姫とタイマン張れる奴が居たんだ」
「私も意外だったわよ。でもま、あいつみたいなのになら言い寄られてもいいんだけどねぇ」
「おや、姫にしては珍しく惚気るね?」
「姫にしては、って何よ」
「べっつにぃ~? ああ、ちなみにその人の名前とか知らないの? 名前知ってればまた会えるかもよ」
「あぁそれもそうね、名前は確か……神咒? とか言ってたかしら」
「姫のハートも丸かじりされちゃったってかぁ? うりうり」
「殺しちゃうわよアンタ」
「おおこわいこわい」
言葉こそ怒りの混じりうるそれだが、二人に関してはこれが日常。
特に声を荒らげるでもなく、語調は平然としている。
それからしばらくは静かになった。二人ともベッドに転がり、適当に自前の携帯端末にアクセスしている。
『先月から行方不明になっていた住所不定無職の長谷川鯛造さん三十八歳が今朝、公園のダンボールにくるまっているところを発見され……』
その部屋にはテレビのニュース音声のみが流れていた。
やがて「パタン」という音と共にマリがややアナログ気味な携帯端末を折りたたむと、朱雀の寝転んでいるベッドに転がり込んだ。
「ひーめー。ひーまー。」
「密着しないで暑いから。そういやさっきの話はどうなったのよ」
「なに、私が姫を狂おしいほど愛してるって話?」
「本当だったら付き合いを変えないといけないわね」
「本当だったら?」
「とりあえず部屋は今後は別ね、特に金に困ってる訳でもないし」
「なんでよー」
「襲われたらたまったもんじゃないわよ」
「それじゃあ暇だしどうかにゃ? たまにはデートでも」
「……私女よ?」
「ノー・プロブレム。愛に性別は関係ないさ」
「えっ? あ、あんた、ちょっと……!?」
マリが寝転んでいる朱雀の方に向き直ると、その細い左腕を背中に回す。
そうして抱き寄せると、少女二人の顔の距離が、やがてゼロに限りなく近づいていく。
ここまでの所要時間、コンマ数秒。
突如眼前に迫るマリに、流石の朱雀も避ける間もなく……
いや、避けた。
「……ひゃっ!?」
「おぉ~? 姫もやっぱりヒトだねぇ~。ここ弱いんだぁ」
のではなく、マリがわざと外した。
その代わり、マリは朱雀の左腋を人差し指と親指とで器用に刺激した。
近寄ってくるマリにのみ精神が集中していたところへの擽りは正に不意打ちそのもの。
タンクトップ姿ということもあり完全に露出しており、その刺激は直に神経に伝わってゆく。
まさに、弱点が肉眼で確認できる状態であり、それを逃さないマリではなかったということだった。
その指が一揉み、また一揉みと窪みをゆっくりと蠢くごとに朱雀の身体がびくん、びくんと跳ねる。
表情は初めこそ強張っていたが、徐々に目じりは下がり、口角が半ば強制的に上がりつつある。
「ちょっ……くくっ、や、やめなさっ……ふふふっ」
「え~やだ暇だし姫可愛いもん。それにここんとこあんまり姫が笑ってる顔見てないもの」
「だからって……ひひひひっ……っ!?」
「ほれほれ~、姫の可愛いとこもっと見せなさい♪」
「あんたね……ッ! ……あッ! あはははっ!?」
「もうへたばったのかニャ? 給料分は働いてもらうぞぉ~」
「給料ってなんのことよっあはははははははっ!」
戦闘面では現在無敗、赤髪の男と引き分けたのみという朱雀であっても、痛みとはまた別の次元の刺激には見た目通りの少女らしい反応を見せてくれる。
目じりには早くも涙の粒を溜め、顔は紅潮し始めていた。
何とか振りほどこうにも、先ほどから左腋を介して断続的に伝わる奇怪な感触がそれを許さない。
その反応の良さに気をよくしたマリの責めは更に加速する―――
そう思われた全く同時のタイミングで、
バチンッ!
高周波の音が一瞬だけ部屋を支配した。
その高周波の音は朱雀の悩ましい笑い声と引き換えに、マリの頬にあかあかとした紅葉模様を作り出した。
「いったぁ~!」
「こ、殺さなかっただけ、か、感謝しなさい……っ」
マリはやれやれ、といいたげな顔で、赤くなったほほを手のひらでさすりさすり、自分のベッドに戻った。
一方の朱雀もまた、マリとはまた違った顔の赤みを帯びていた。
左腋を襲う不慣れな感覚。何年ぶりかは分からないが、何年たっても慣れてはいなかったようだ。
攻めから解放されても、暫くの間呼吸が不規則になってしまう。
やっとのことで呼吸を整えたところで再び口を開いた。
「ったく……私の質問に答えないで変なことばっかりするアンタが悪いのよ」
「質問~? なんかしてたっけ」
「だーかーら、これからどうなるのよネルフは」
「あ~、その話ぃ? 私もイマイチよく分からないんだけど」
「分かる範囲でいいわよ」
「んー……そうね、このまんまわんこ君が戻って来なかったら、順当にいけばアメリカからアレが来るよねぇ。今んところ誰も初号機は動かせないし」
先ほどまでの妖しげな雰囲気とは一転して、再び普段の語調に戻り行く二人。
「アレ……あぁ、そうだったわね。確か」
「うん、エヴァンゲリオン参号機。制式タイプになった弐号機の量産テストタイプで、稼働が上手く行けばもっとエヴァを量産できるらしいわ」
「ふーん。しかし……よく分からないタイミングよねぇ。四号機・五号機ともに蒸発してるってのに今になって三号機だなんて。アンタ技術部でしょ? なんか知らないの」
「それなら、四も五も三号機とはまた違うタイプの量産テストタイプだったから」
「なるほどねぇ……五号機、四号機の順で消えちゃってるんだから、このノリで行くと三号機も消えちゃいそうね」
「そいつは神のみぞ知る、ってところねぇ……おっ姫、このホテル色々アイス用意されてるよ」
「そう? じゃあ一本貰おうかしら」
マリがあけた冷凍庫の中には、確かにそこそこたくさんの種類のアイスが用意されていた。
一口にアイスといってもよく市販されているようなカップアイス、子供たちがよく食べているようなアイスキャンデー、コーン付きの所謂普通のアイスクリーム、最中に包まれたタイプなどさまざまである。
「何がいい? 色々あるけど」
「なんでもいいけど……強いていえばオレンジ味がいいわね」
「それじゃあ姫と一緒にコリオリ君のソーダ味で!」
「人の話聞いてる?」
「聞いてたら多分とっくに姫に殺されてる」
「……あっそ」
水色のアイスキャンデーを頬張る少女二人。シャクシャク、というアイスキャンデー特有の食感と共に、どこか懐かしさを感じられる適度な清涼感がたまらない。
マリが自分の言うことを半分しか聞かないのは普段のことなので、リクエストしたオレンジ味ではないことには特に突っ込まない。
「そういや、五号機まで消えちゃったのはいいけど六号機とかってあったりするのかしらね」
「あ~、私も詳しくは知らないんだけどどっかで極秘裏に作ってるみたいな話は聞いたよ? 人目に付かないトコ」
「へぇ~。最近はあの赤髪の奴以外はてんでつまらない男ばっかだから、退屈してるのよね。六号機とかあれば大暴れ出来るわね。作ってるとこ分かれば強奪するのに」
「もし月とかだったら?」
「人類にそんな科学力があったら使徒なんて一瞬でしょ」
「それもそーかもねぇ。……あっ、私あたりぃ!」
「当たり? そんなんあるの」
「おやおや、その様子では姫はどうやら外れのようですなぁ」
何も書かれていない棒を見て不思議そうな顔をする朱雀に対してにやけるマリ。
マリの食べかけのアイスのその棒には確かに「当たり」に続けて細かな文字が色々と掘られていた。
「あっ、それじゃ私当たり棒交換しに下降りるねー」
「じゃあ鍵は閉めとくわね、寝てる間に襲われたらたまらないし」
「姫が寝込み襲われたところで余裕で返り討ちじゃない?」
「あんたに襲われることを想定してんのよ」
「え~、そんなに信用ならない? というかそれ今夜一晩締め出すってことよね、ひっどーい」
「隙あればちょっかい出してくるじゃない」
「さっきが初めてだけど」
「嘘ばっかし。初めてなのは擽るのがでしょ? 此間なんて寝てる隙に唇奪おうとしたくせに」
「えっもしかしてバレてたかにゃ?」
「ひっどい、冗談で言ったのにホントだったの? キスしたのね?」
「えへへ、姫の寝言と寝相が悪かったのが悪いにゃ」
「ホントあんた近いうちにぶっ殺すから」
「冗談よ~姫ってばあ」
「……」
「つれないにゃあ……」
冗談、という言葉も先ほどの一連の出来事からいまいち信憑性が薄れてしまっているのだろうか、今度は特に返事が返ってくるわけでもなかった。
今度ため息交じりだったのはマリだった。
少しつまらなさげな顔をして寝返りを打ったところで、携帯端末が再びテレビしか音源がなくなったその空間で鳴り響く。
今度の携帯端末の持ち主は、マリだった。
「ん? もしもし~。あぁリッちゃん。……え~、分かった。ほいじゃ~ねぇ」
気の抜けた応対を一通り済ませると、先刻ぶりに朱雀から口を開いた。
「どったの」
「リッちゃんから。なんでも数週間後に三号機の実験やることが決まったみたい」
「へぇ~。でもパイロットが居ないんじゃない?」
「ん~そこはあたしか零号機の子が代わりじゃない? あるいは……」
「あっ…………ふふ、そうね。そっちの線もあるわね……」
朱雀は何かを察した様子になるやいなや、少しだけその語調が変わり始めた。
「んー姫、そんなに楽しみ? まぁ私もちょっとは興味あるけど」
「そりゃあ楽しみよ。
だって……もしかしたら、あの碇シンジ、それと此間の赤髪の他にもいるかもしれないじゃない。強い奴。ましてや……」
先ほどまで背中を向けていた、マリの方に向き直る。
その表情は、笑顔。マリと出会う前の貼り付けられた笑顔でもなく、マリの指で強制的に貼り付けられた笑顔でもなく。
マリに出会ったとき同様の、本心からの、妖しげな笑み。
外では相変わらず、雨がざあざあと降り注ぐ。
宵闇の中、地面に己を叩きつけることでのみ、その存在を轟かせることが出来る、夜の雨粒がそこにある。
そして、
「四人目の適格者だってんなら、尚更ね」
戦場の中、強者を己で叩きのめすことでのみ、その存在を轟かせることが好きな、赤い少女がそこにいる。
如何でしょうか。
今回はまぁ、……どんな回というべきでしょうね?
原作の「雨、逃げ出した後」をある程度踏襲もしつつ、
アレンジ要素多め、オリジナルも多数といった様子です。
……って、これでは説明にもなんにもなってませんが、まぁそのうち執筆意図の方でちょっと触れるかもしれませんね。
それでは次回、第十六話「静粛なる偽りの適格」。
さぁ~て次回も? サービスサービス。