姫と兎の聖譚曲   作:eldest

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「魔法だけではない。オラリオでならきっと、お嬢ちゃんの探し物も見付かるはずだ」

 

 別れ際、老魔法使いウォーレンは、餞別とばかりにそんな言葉を少女に贈った。

 

「――おじさまの言う事を信じ……いえ、口車に乗せられてみたわけですけど!」

 

 そんな言い訳めいた事を口にしながら、小さく切り分けたローストポークを口に運ぶ。

 あれから更に数週間掛け、少女はオラリオ近辺のとある村までやって来ていた。神聖ハイランド王国の首都アルケニアからここまで実に何千里もの道のりを走破してきた事になる。

 

「残りの弾数は二ダースと六発……。はぁ~……心許ないですわね」

 

 また、少女はこれまでの道中、何体もの魔物と戦い、そして確実に仕留めてきた。だが、当然の事ながら殺した分だけ弾薬も消費された。これからオラリオへと入り、上手い事神と契約を果たして冒険者になれたとしても、弾薬の問題は今後もついて回る事になるだろう。

 

「そもそもの問題として、火薬が手に入るかどうか……」

 

 フォークを口に咥えた恰好のまま、テーブルの上に突っ伏したくなる衝動に少女は駆られる。

 迷宮都市オラリオ。曰く、世界の中心。世界で唯一迷宮(ダンジョン)を有するオラリオは、その内部で発生する魔物(モンスター)の胸部に存在する『魔石』なるものを摘出、加工、輸出し、巨万の富を得ているのだと言う。実際、宿に隣接するこのレストランの天井にも『魔石灯』と呼ばれる照明器具が取り付けられていた。

 

「アルケニアでは城はおろか大学の研究室にもありませんでしたわよね……」

 

 ハイランドで照明と言えば専ら燭台である。少なくとも、少女が魔石を材料とした工業製品を見掛けるようになったのは、旅を始めて暫く経ってからの事だった。

 これらの事を踏まえて考えてみると、今まで見えなかった事が見えてくるような気がする。ハイランドにおいて様々な分野で技術発展がなされているのは、恐らく神と魔石が存在しない(、、、、、)からだ。

 魔石という万能の資源、そして神の恩恵(ファルナ)の存在によって、結果的に選択の幅が狭められてしまっている。そもそも道具というのは必要であるからこそ発明され、生産され、大衆へと根付くのだ。だが、オラリオでは魔石をエネルギー源とする事で大抵の事が可能であり、更には魔法という『大量破壊兵器』を個人レベルで運用する事が出来る為、そもそも火薬が発明される事も――仮に発見されたとしても見向きもされないだろう――、大砲や銃を製造する必要性もありはしないのだ。また、医療関係も『ポーション』と呼ばれる液体の存在によって同じ事が言える。飲めば立ち所に傷が癒える魔法の薬があれば、軟膏なんて必要なかろう。

 そこまで考察しておきながら、少女はそれ以上考えるのを止めた。

 

「――まあ、この際その手の面倒な問題点は脇へ置くとして、オラリオに入ったらまずは火薬の原料から探してみましょうか」

 

 世界の中心と言われているくらいだ。木炭は当然として、硫黄も苦労せず手に入れる事が出来るだろう。問題は、酸化剤か。

 あればいいですけどねぇ、と最後に少女はそう呟いてから、すっかり冷えてしまった豚肉へとフォークを突き立てた。

 

     ×     ×     ×

 

 夜風に当たりたい。そう思い立ち、少女は宿へは戻らずにふらふらと大通りを歩き始めた。通りはまだ早い時間という事もあって、疎らながら人々が行き交っている。

 頭がボーっとする。この歳で知恵熱なんてありはしないのだが、論文を一本書き上げた後のようないい意味での倦怠感を少女は感じていた。

 ――まあ、そんな状態であったから、起こるべくして起こったと言える。

 前をよく見ていなかったとか、足元がふら付いていたとか、そういった月並みな理由で少女は前を歩いてきた通行人とぶつかった。そして――。

 

「痛ってぇなぁ! 何処見て歩いてやがんだ!? これ骨にひび入っちまってるよ。どう責任取るつもりだ? あぁ!?」

 

 ぶつかった理由が月並みなら、ぶつかった後に起こる事象もやはりまた月並みであった。

 チンピラというのは何処にでもいるらしい。まるで鼠である。

 

「あらあら……それは申し訳ありませんでしたわ」

 

 肩と腕がぶつかった程度で折れてしまうなど、どれだけカルシウム不足なのだろうか。きっと、この男の骨は相当にすかすかである。まあ、あくまで折れたというのが本当であればの話だが。

 そんな事を少女が内心考えていると、ぶつかった男の連れらしき男が軽薄そうな笑みを浮かべて、まるで嘗め回すかのように少女の全身に視線を這わせた。

 

「……いやぁ、それにしても君、可愛いねぇ~。どう? オレらと一晩遊んでくれたら水に流してやってもいいよ。楽しい事しようぜ? お前もそれでいいだろ?」

「そうだな、それで許してやるよ。オレは寛大だからな」

 

 そう言って、男二人は舌舐めずりをする。

 そして、ここに至ってようやく、少女の頭は正常に機能し始めた。

 てっきりこちらの不注意だとばかり思っていたのだが、どうやら向うの方から態とぶつかってきたらしい。

 

(……やれやれ、ですわね)

 

 本来ならこの場で射殺――いや、そこまでしないにしても、脅すなりして追い払うところなのだが、生憎と銃も含めて荷物は全て宿に置いてきてしまっている。

 どうしたものかと周囲の様子を伺ってみるが、皆一様に見て見ぬ振りをして遠ざかっていくばかりだ。

 

「ふっ……」

 

 その光景を見て、少女は思わず鼻で笑ってしまった。

 ――誰だって自分の身が可愛い……。

 まさかオラリオを前にして、再びその結論を突き付けられる事になろうとは。

 

(全く……わたくしは、何を期待していたのでしょうね……)

 

「もしかして、お二人ともわたくしと交わりたいんですの? でも、残念ですわ。わたくし、面食いなんですの。貴方がたには全く食指が動きませんわ。申し訳ありませんが、他を当たってくださいまし」

「あ?」

「何だってこの野郎!?」

「……っ」

 

 自暴自棄になった少女の挑発に乗り、男の一人が少女の細い手首に掴みかかった。少女は痛みで顔を顰めるが、抵抗はしなかった。

 ここで純潔を散らす事になるのなら、それもまた運命だったのだろう。都合よく助けが現れるはずもない。ここは現実で、御伽噺の中ではないのだから。

 

(……だけど)

 

 それでも、と少女は思う。

 それでも、もしこの状況で自分を助けてくれる人が現れたとすれば、それはきっと――。

 

「あの、すみません! その人僕の姉です! それと僕ら急いでるんで、これで失礼します!」

「あっ! おい待て!」

「姉弟とか絶対嘘だろ!!」

「ごめんなさいぃぃぃ~!」

 

 ――それはきっと、王子様に違いない。

 

     ×     ×     ×

 

 少女は走った。腕を引かれるままに、只ひたすらに。

 こんなに一生懸命に走ったのは、一体いつ以来の事だろう。

 苦しい。脇腹が痛い。なのに、こんなにも笑みが溢れる。

 

「はぁっ……はぁっ……。こ、ここまで来れば、多分もう大丈夫だと思います」

 

 そして、少女をここまで引いて走ってきた少年は、背後を振り返って追手がない事を確認してから、息も絶え絶えにそう言った。

 少女は改めて、自分を窮地から救ってくれた少年の姿を見詰める。

 身長は少女よりも幾分大きい。しかし、恐らく歳は下だ。処女雪のような白髪に、少女のそれにも似たルべライトの瞳。何処となく、兎のような印象を与える少年だった。

 

「……!? ご、ごめんなさい!」

 

 と、突然少年が真っ赤になって謝罪する。何事かと少女は首を捻るが、やがて手を握り合ったままである事に気が付いた。少し名残惜しくもあったが、何時までもこうしているわけにもいかず、少女の方からそっと手を離す。

 

「こちらこそ申し訳ありませんでしたわね。それと、ありがとうございます。危ないところを助けていただいて」

「い、いえ! 僕は、別に、そのっ……」

 

 少女が(あで)やかに微笑むと、少年は再び顔をかぁぁっと真っ赤に染め上げる。

 そして、そんな少年の様子を見ていると、どうにも心が色めき立つのだ。その意味を、少女はまだ測りかねている。

 

「何かお礼をさせてほしいのですけど、ご希望はございまして?」

「い、いや! そんな、受け取れませんよっ!」

 

 少女は思う。少なくともこの少年は、何か下心があって自分を助けたわけではない。まるで、その髪色と同じように穢れを知らない純真さ、そして純朴さ。誰もがこの少年と同じ心の持ち主ならば、きっと全ての争い事がこの地上から消え去ってしまうだろう。

 

「なら、せめてお名前を伺っても……?」

「は、はいっ……! ベル・クラネルって言います!」

 

 どうにも少年――いや、ベルは先ほどから緊張しているのか、語尾を上擦らせながらも名を名乗った。

 

「ベル・クラネル……」

 

 対して、少女はテイスティングでもするかのように、瞼を閉じて彼の名前を口の中で反芻する。

 

「素敵な名前ですわね。特に、音の響きが」

「……あ、ありがとうございます」

 

 どうにかそれだけ言ったベルだったが、彼は知らない。

 

(本当にいい響きですわね……(ベル)だけに。……ふふふっ)

 

 少女が神妙な面持ちで、内心そんな下らない事を考えているなど露ほどにも。

 

「――ああ、わたくしったらいけませんわね。相手に名乗らせておいて、自分は名乗らないだなんて。……大変失礼致しましたわ」

 

 そして、少女は両手でスカートの裾を摘まんで、軽く持ち上げお辞儀してみせる。

 

「わたくしは、アリス。アリス・フランシスと申しますわ。以後、お見知り置きくださいましね、ベル」

「…………」

 

 少女の堂に入った立ち振る舞いに、ベルは今度こそ言葉を失ってしまった。しかし少女は気にした素振りもなく、にっこりと笑んで尋ねる。

 

「ところで、大きな荷物を背負ってらっしゃいますけど、ベルはこの村の方ではないのかしら?」

「え? ――ああっ……!!」

 

 すると、何か重要な事でも思い出したのか、ベルは素っ頓狂な声を上げた。

 

「ごめんなさいアリスさん! 僕冒険者になる為にオラリオに向かってる途中で! もうすぐ今日最後のオラリオ行きの乗合馬車が出るところで……!」

「まあ、それは一大事ですわ! わたくしには構わず、早く行ってくださいまし!」

「で、でも……」

 

 尚も心配そうにこちらを見詰めるベルに、少女は言い聞かせるように言った。

 

「さっきの今で何を言っているのかと思われるかもしれませんけど、わたくしなら大丈夫ですわ。ですから、ね?」

「……解りました」

 

 実際、出発まで残りあと僅かなのだろう。ベルは頷き、少女に背を向けて走り出した。しかし、途中で振り返ってから、こちらに向かって大きく手を振って叫ぶ。

 

「気を付けてくださいね~!」

 

 そして、今度こそ振り返らずに少年は走り、やがて姿が見えなくなった。

 

「……またお会いしましょうね、ベル」

 

 少年の行き先はオラリオ。それは少女も同じである。同じ街にいれば、いずれ近いうちに再び出会う事になるだろう。

 

「ふふっ。今から楽しみですわね」

 

 再会のときを夢見て、少女は一人宿への道を歩き始める。

 きっとオラリオは、自分の期待を裏切らない。そんな確信も、胸に抱きながら。




【アリス・フランシス】

年齢:18
身長:158cm
スリーサイズ:B85/W58/H88

所属:神聖ハイランド王国
ホーム:城
種族:ヒューマン
職業:王女
武器:マスケット銃
所持金:不明

《フリントロック式.69口径マスケット銃》

・神聖ハイランド王国で開発された先込め式の滑腔式単発歩兵銃。
・命中精度が悪く、長距離狙撃には向かない。
・散弾も発射可能である。
・『紙製薬莢』を使用する事で射撃間隔をある程度短縮する事が可能。

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