姫と兎の聖譚曲   作:eldest

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第二章 ご存知でして?最も重い罪の名を
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「……何か嫌な予感がしますわね」

 

 オラリオへの帰り道。アイリスは胸騒ぎを覚えて独り言ちる。

 アイリスはこの五日間、アパートを留守にし、それどころか街からも離れていた。

 目的は二つ。一つは、オラリオ近辺の地理を自分の目で見て把握する事。そして、もう一つが野草や菌糸類の採集だった。

 それらの目的から野山で活動するにあたって、アイリスは山の麓のとある小さな村を拠点に選んだ。というのも、この村には以前にも一度立ち寄った事があったからである。

 オラリオは確かに大きな街ではあるが、移動手段は専ら徒歩が好まれる。特に冒険者の場合その傾向が強い。ホームと迷宮(ダンジョン)の往復に馬は邪魔になるだけであるし、ステイタス如何で馬よりもずっと速く走れるようにもなるのだ。つまりアイリスの旅の友だった白桃を仮に手元に置いておいたところで、彼女は狭い馬房に押し込められる事になっただけであろう。

 その辺りの事情を伝聞で事前に知ったアイリスは、村で牧場を営んでいる夫婦に白桃を無償で譲った。彼らならば彼女を大事にしてくれるという確信と共に、連れて行けない寂しさを胸の奥に仕舞って。それでも、久し振りの再開に涙を流したのだけれど。

 そんな訳で初日から山での採集に勤しんだアイリスだったが、予想よりも早い段階で多くの収穫を得る事が出来、予定を繰り上げて帰路に着いたのだったが――。

 

「……またしても厄介事の気配。いい加減慣れてきましたわね」

 

 そう愚痴を零し、足を速めようとしたところで――アイリスは小さな違和感を覚えた。

 

「わたくしの勘って……ここまで正確だったかしら……?」

 

 少なくとも以前のアイリスは、自分が隣国であるガレリアの王に嫁がされるなど夢にも思わなかった。ここまで予知能力染みた勘の良さなど発揮した事はないはずだ。

 ――本当にそうだろうか。

 そんな疑問が頭の隅に浮かぶが、そんな事に構っている余裕などなくなった。

 

「全く、前にもこんな事がなかったかしら?」

 

 上空から迫って来る黒い影を注視しつつ、背負っていた革筒の中からマスケット銃を取り出し素早く構え、心の中で短く念じる。

 

(――【装填】)

 

 いよいよ敵の姿がはっきりと見えてきた。鬼女の如き形相を湛えた半人半鳥の怪物――『ハーピィ』という名の魔物(モンスター)である。

 本来はオラリオの真北である『ベオル山地』に生息するはずなのだが、狩りに来たのか、或いは群れと逸れたのか、少なくとも『ハーピィ』の猛禽のような瞳は、アイリスを獲物と見定めた事だけは確かだった。

 

「獲物を狙う狩人の眼、ですわね。……でもね、小鳥さん? 貴方は今回狩る側ではありませんのよ」

 

 憐れむようにそう言って、アイリスは薄く微笑み引き金を引いた。

 

     ×     ×     ×

 

 オラリオに無事到着しアパートに帰宅したアイリスは、荷物を置くと休む事なく部屋を出た。出来れば直ぐにでも旅の垢を落として眠ってしまいたかったが、食料品を買い出しに行かなければならなかった。

 平素よりも幾分か重い足取りで通りを歩いていると、もう充分に見知ったと言っていい後ろ姿が目に留まった。しかし、辺りをきょろきょろと見回している様は少々不審であった。まるで迷子である。

 

「ベル、そんなに慌ててどうなさいましたの?」

「アリスさん!?」

 

 白髪にルべライトの瞳の少年は予期せぬ遭遇に驚いたようだった。

 

「予定だと一週間だったはずじゃ……? それにその恰好は……」

 

 ベルは頬を染めて視線を逸らし――それでも気になるのか、チラチラと遠慮がちにアイリスを見やる。

 今のアイリスは長い黒髪をハーフアップに纏め、ディアンドルと呼ばれる民族衣装を着ていた。普段のドレス姿に比べて僅かに神秘性が薄れ、何処か素朴な印象を与える。只、襟が深く刳ったブラウスからは深い谷間が覗き、どちらにせよ目に毒である事に違いはなかった。

 

「ベルに早く会いたかったから、という理由じゃ駄目かしら?」

「うぇ……!?」

 

 アイリスに蠱惑的に微笑まれ、ベルの口から可笑しな声が漏れ出る。心臓が早鐘のように打ち付け、顔がカッと熱くなる。

 

「え、えっと……駄目じゃないですけど、でも僕は……って――あれ?」

 

 余計な事を口走りそうになるものの、既のところではたと気付いた。似たような台詞を以前にも言われた事を。

 

「アリスさん、もしかしなくてもからかってますよね?」

「あら、ばれてしまいましたわ」

 

 ベルに看破されたアイリスは、しかし悪びれもせずにそう言ってくすくすと笑う。

 

「何なんですかもう……」

「ふふっ、御免なさい。目当ての物が思いの外早く見付かったものだから早めに帰って来ましたの。でも、ベルに会いたかったというのは本当ですのよ? 因みに、この服は泊まらせて頂いた家のご婦人が昔着ていたのを譲ってもらったのですわ」

「そうですか……」

 

 自分で尋ねた事とはいえ、ベルの気分は完全に白けてしまった。それに伴い、返事もぞんざいになってしまう。それでも、アイリスは気分を害したりはしない。

 

「どうやら落ち着いたようですわね。ではそろそろ、一体何があったのかわたくしに教えてくださいまし」

 

 先ほどまでと比べてずっと真剣味の増した調子でアイリスにそう問われ、ベルは自分が何をしていたのか思い出す。

 

「じ、実は――」

 

 ベルが語るこれまでの経緯を黙って聞きつつ、アイリスは頭の中で要点を整理していく。

 アイリスがオラリオを離れてからもベルは単身迷宮に潜っていた。しかし、今朝になってその状況に変化が生じる。サポーターの少女に自身を売り込まれ、アイリスの不在もあって人手不足を補う為に取り敢えず一日限りの短期契約で雇う事にしたらしい。因みに、少女の種族は犬人(シアンスロープ)なのだそうだが、その時点でアイリスには余りいい印象を与えない。

 少女のパーティー加入により、迷宮探索は飛躍的に楽になったとベルは言う。それにはサポーターと冒険者の役割分担による効率化という側面も勿論あるのだが、何より役立ったのは少女の経験に基づく知識だった。

 そして今日の探索を無事に終えたベルは少女と別れ、少女の事をベル担当のアドバイザーであるハーフエルフの少女――エイナ・チュールに相談する為ギルドの本部へと向かった。ベルは他派閥のファミリア所属である少女をパーティーに加入させる事に問題はないのか不安に思ったのだという。取り敢えずその不安は払拭されたのだが、別れる直前、エイナの指摘によってより大きな問題が露見した。それは――。

 

「《ヘスティア・ナイフ》の紛失――この事実に誤りはありませんのね?」

「……はい。念の為バックパックの中も確認したんですけど、やっぱり何処にもなくて……」

 

 何処かに落としてしまったんです、とベルは沈痛な面持ちで項垂れる。

 だが、アイリスは既にもう一つの結論を導き出していた。いや、そこまで大層なものではない。大人(、、)なら、誰しもが思い付く当然の帰結だった。

 

「話を聞く限り……ベル、それは落としたのではなく、その犬人に――」

「違う……っ!」

 

 しかし、結論を口にする前にベルの怒声によって遮られ、アイリスはビクリと肩を揺らす。ベルが声を荒げるのをアイリスは初めて耳にした。

 

「ごめんなさい、アリスさん……怒鳴ってしまって……。でも、僕が落としたんです。僕の不注意です」

 

 悲愴の滲んだ声でそう言いながら、ベルは何度もアイリスに頭を下げた。その姿を呆然と見詰めながら、そうか、と今更ながらにアイリスは気が付く。

 ベルはお人好しではあっても決して馬鹿ではない。本当に落としたと思っているのなら、真っ先に最も可能性の高い迷宮に向かっているはずなのだ。こんな処をいつまでも彷徨いているはずがないのだ。

 

「……落とした処に心当たりはありまして?」

「アリスさん……?」

 

 ベルには最初、アイリスが何を言っているのか解らなかった。しかし、その問いの意味を理解するに連れ、余計に解らなくなってしまった。アイリスは言外に、ベルの嘘に付き合うと言っているのだ。

 鴉に白いペンキをぶちまけるかのように、偽りで真実をねじ伏せる。その行いは決して褒められたものではないだろう。間違っているだろう。それなのにどうしても、ベルには差し出された手を払い除ける事が出来ない。

 

「間違っていてもいいではありませんの」

 

 そんなベルの内心を見透かすように、アイリスは最後の一歩を踏み出させる。

 

「たとえ問いが間違っていようと、正しい答えを導き出す事は出来る。そしてベル、貴方は既に答えを出しているのではなくて?」

「……はい!」

 

 ベルは決意を込めて頷いた。間違ったまま突き進む――その覚悟を決めたのだ。

 

「多分、『冒険者通り』――北西のメインストリート辺りで落としたんだと思います。アリスさん、付き合ってもらえますか?」

「ええ、喜んで」

 

 こうしてベルとアイリスは、《ヘスティア・ナイフ》を取り戻す為、北西のメインストリートに向かって走り始めた。




※11.11

面倒事→厄介事に修正。内容そのものに変更はありません。

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