Chaos Garden   作:藤原久四郎

1 / 7
さて、ここは一つ初めての御客人には少々退屈かもしれないが、長めのお話をさせていただこう。
なぁに、安心してくれたまえよ。ここは安全なんだ、私がいる事が何よりの証明だろう?
さぁ、始めようか。終わるまでは、ゆっくりしていってくれ。


鉱山の恐怖

 人類を創り出した創造主の唯一の失態を一つ言えと言われるなら、私は一点の迷いもなく想像力であると言おう。その逞しい想像力故に人は経験した事でなくとも自然と理解でき、そしてその未知性に冒険心を震わせられるのだ。だがそれ故に身に覚えのない、もしくは自身の経験以上の恐ろしく矮小な人間の理解の範疇に留まらないモノと出会ってしまったとしたらどうなるだろうか。きっと宇宙の広大さの様な漠然とした恐怖に打ち震え、そして例えようのない迫りくる無限の恐怖に心の安寧を脅かされる事になるのは間違いないだろう。

 今尚つんざくように聞こえてくる音はまるで耳元で生理的嫌悪感を催す蚊の羽音によく似ている……いや、似ているだとか似ていないだとかそういう話ではないのだ。仮にそうであってもそうでなくても私はただ震え、怯え、己の身に訪れた不幸とそれを招いた自分の愚かしさを残りの人生をかけて呪わねばならない。やはり私は知ってしまったのだ、そして見てしまったのだ、想像してしまっているのだ。人間である事を捨てなくてはならない領域、深淵への片道を。

 まただ、あの音だ。私は見てしまった、聞いてしまった、理解してしまった。あの理解したくもない、我々の理解の範疇を越えた……我々の信ずるところの神ですら矮小にしてしまうあの『存在』を。そして魅入られてしまった、無限に広がる宇宙に広がっている計り知れないほどの未知と恐怖に。彼らの存在を知ってしまった私は未来永劫、死に絶えても尚彼らにつけ狙われるのだろうか、それとも……。あぁ、来ないでくれ来ないでくれ、なんなんだその翅は。もう嫌だ嫌なんだ近寄るな近寄るな、俺をその両手のモノで何をするつもりだ。やめろやめろやめろ、そのケースに入った脳のようなモノは一体――

 

 ミスカトニック大学病院 精神科 患者番号107254の手帳より解読可能箇所より一部抜粋。

 

 

 

 ここか、例の鉱山とやらは。現在私の目の前には古く、それでいて崩れかかった誰も近寄らないであろう寂れたとある地域にある鉱山がある。辺りは酷く暗く、それでいて打ち付けるように雨も降りしきっており、暗い雰囲気かつ実際暗い鉱山が何倍増しにも暗さを増しているようにも見える。

 そしてそんな暗黒の扉を思わせる入口の穴には誰も入っていないであろう証明、そして入らせないであろうための警告テープはいつに貼られたかもわからないくらいにボロボロになりながらも、その役割を果たさんとばかりに伸びきってる。だがそんなものは私の道を阻む障害にはまるでならず、私はそのまま強引に破るようにして薄暗い鉱山内に入っていく。

 私の装備は所謂登山に向かうような仰々しいものでも、そこいらにピクニックに出かけるような軽々しい装備でもなく、それら中間の様な荷物だけを持っていた。唯一の明かりであるハンディライト、そして中身のあまり入っていないナップザックだ。ここに来てわかった事だが私はここに到達した段階で、心をとても高揚させていたようだ。不覚にもきっと笑顔を顔に貼り付けている事だろう。何しろ、冒険だ。このそろそろ年齢が女性なら言うのをはばかる年になっても、やはり心だけは少年である様だ。

 

 そんな今にでもこの廃鉱の入口より深く入ろうという所で、そういえばとここに来る前には辺り一体の村人たちに、やけにここへ来ることを止められた事を思い出した。無論私とてそんな妄言を聞いてやる程気も長くなく、殆どの話を右から左へ流していたが、幾つか気になることを言っていた者もいた。

 

『あそこは祟りがある』

『神のおられる庭なのだ』

『何人も死んでいる』

 

 全く持って馬鹿らしい。そんなありきたりな言葉で止まる程軽い覚悟で私はここに来ていない。ここの鉱山には未だに発掘されていない人類史以来類の見ない貴金属が眠っているとも、無名者の莫大な財宝が眠っているとも、私の決して狭くはないコミュニティでは言われているのだ。どちらかと言えばオカルト寄りのそのコミュニティだが、その情報網は時折恐ろしく感じる程広く正確で、何度も私とその仲間達でその信頼性は確かめているのだ。

 そして今回もまさにそのコミュニティからの情報で、それはつい最近コミュニティ内で大きな動きがあったのが始まりだった。勿論私としてもそんな美味い話を放っておけるほど聖人でも、冒険心の欠けたくたびれた大人になったつもりもなかったのだ。

 

 そして鉱山の入口らしきところから入った私は、思ったよりも大きい廃鉱内の空洞を進もうとしたところ、案の定暗かったのであらかじめ手元に用意しておいた少し強めのハンディライトで足元を照らしながら当てもなく道なりに進んでいく。今回も情報通りであるならある程度進んだ辺りで情報提供者の『ナイアー』というグループの、実質的管理者から出されていた五芒星の中に目の書かれた印があるはず。

 数分程歩いただろうか、進むにつれて外からの明かりも失せて気が付けば手元の煌々と光を上げるハンディライトだけが頼りになっていた。だが、私は行き止まり……ではなく分かれ道にたどり着くことができた。そこには情報にも出されていた五芒星の中に目のように見える印が確認できたのだった。

 

 ここまでこれば後はそんなに遠くもない、確か右だったな、そちらへ向かおう。私がハンディライトを右側に伸びる通路に光を当てた瞬間、ほんの一瞬だが、何かがその光を遮ったのだ。まさかこの中に人がいるのか? 一瞬、動揺が走るものの、冷静に私は思考を巡らす。いや、ここの鉱山には誰も近寄っていないはずだ。というよりも、こんな所に私の様な者以外に用事があるものか。仮にいるとすれば、それは私のコミュニティの人間である事は間違いないだろう。そうではないならこんな場所に人がいるものか、そうに決まっている。何故か私はここに居る人間の存在を頑なに否定しながら歩みを進めていったのだった。まるで、何かの存在を否定しているかのように。

 

 結果として、やはり先程の影は私のコミュニティ内の人間であるという結論が出た所で鉱山内の陰鬱とした暗闇に包まれ少し暗くなっていた私の心も、仲間らしきモノの存在を感じたことで少し晴れたのだが、そんな心持ちで更に私がまた一歩、と足を踏み出すと先程までと足元の感触が違う事に気が付いた。なんだろうか、少し濡れている。

 疑問に思った私は何の気なしに足元を照らすが、相変わらず何の変哲もない少し赤みがかった黄土だけが私の視界に入ってくる。先程より少し赤色が強くなっているようにも見えたが気にせず歩こうとするも、踏み出す足に抵抗するかのような湿気った感触に先程までの乾いた土とは違う事が嫌でもわかってしまう。

 それに、鉄臭い錆びついた不快な匂いが私の鼻孔を突き刺すように刺激する。急激な環境の変化は私の心持ちをまたしても曇らせ、一刻も早く帰りたい、日の光を浴びたいという欲求を体が訴え始めた。

 

 だからと言ってここで帰ればコミュニティ内でも臆病風に吹かれた小心者とでも言われてしまう事だろう。それだけは私の数十年の中で形成されたちっぽけな威厳が赦しはしない。私は意を決し、不快な匂いと感触に抗いながら更に深くなる暗影の中を歩んでいった。印のある分かれ道を曲がってからというもの、進むにつれて徐々に私の身にかかるストレスは高まっていっていた。

 元々閉鎖的であるがために起こる不安感のものと、ここまでの道のりから一貫して変わらない風景。そして時折聞こえる何かがはばたくような羽音や何かが床を勢いよくする音。どれもこれも私のストレスを悪戯に増していくものばかりであった。私は無意識の内に床の土を蹴っていた。

 

 更に変わり映えのない道を進んでいくと、もはやどこまで来たのかもわからないが少し開けた場所に出た。私は一部屋分ほどしかない空間に異常なまでの安堵感を覚え、どうやら私の感覚以上に疲労とストレスがたまっている事を自分のことながら客観的に理解した。という事で私は少し壁に持たれて床にへたり込んだ。

 すると面白いくらいに力が抜け、そのまま倒れこむように背後の壁に背中を預けて座り込んだ。やはり、自分のことながら他人事のように思えるがよほど疲れていたらしい。一旦私はライトの光をけし、しばしの間ここで休むことにした。

 

 私は開けた空間のぼんやりと見える天井を仰ぎ見ながら大きな溜息を吐いた。過去にも探索事はコミュニティ内で行ってきたが、ここまで疲労したことも緊張したこともなかった。

 今までの事が赤子の遊戯のように感じる程度には、私の今の心持は穏やかではない。逆にだからなのだろうかむしろ今の私は、新しいおもちゃを与えられた子供のようにあくなき好奇心が心の中を支配していた。これだけの探索だ、きっと目当てのモノを見つけた時の達成感はすさまじいものだろう、と。再び私の心にはハンディライトよりも輝く明かりが付くような思いだった。

 

 少しの時間休憩した私は、再び探索を続けるべく開けた空間の先に進んでいくことにした。私は立ち上がるべく相変わらず明かりがハンディライトだけの中、床に手をついて力を入れようとすると、何か硬質な物が手に触れたことに気が付いた。なんだろうと思いそれを手に取ってハンディライトの明かりを当てると、私は自分の触ったものに思わず息を飲んだ。

 なんと、拳銃であった。それもまるで錆びた様子のないものだ。その人類の殺意の結晶ともいえるそれを見て、私は思わず辺りを見渡してここに人がいない事を確認していしまった。その無機質な物体はこんな所にあるはずのものではないから、もしやここにこの物の所持者がいるのではという焦りからだ。結果として、その不安は早とちりに過ぎなかったのだが、私の全身はひんやりとした汗で濡れていた。

 私は銃の知識は人並み、というよりは辛うじて扱える程のものしかなかったが、そんな素人目に見ても明らかに使用できないものではなく、偽物である様子もなかった。そして私にはそれがリボルバータイプのモノ、という以上にわかることはなく、どうしようか迷ったが、結局持って行くことにした。何故だか今の私にはこれが必要になると、漠然とした予感だけが我が身を支配していたから、という事以外に説明は必要ないだろう。それはきっとこの異常ともとれる時間に、少なからず精神が毒されてる証拠だったのだ。

 

 私はいざという時のおまもりを懐にしまい込む前に、一応発砲をしてみようと思い立った。もし仮にいざというときに使えないのでは意味がない。それにここでの発砲音はだいぶ深くまでやってきているので外まで漏れる事はないだろうと判断しての行動だ。冷静に考えれば、私が異常なまでに警戒心を高めている事がわかるのだが、この時私はもはやそんな事に気をかけるだけの余裕がなかったのだろう。

 私は記憶通りにリボルバータイプである拳銃の撃鉄を起こし、そのまま特に的をつけずに引き金を引き絞る。火薬の炸裂する衝撃と耳をつんざくような轟音が狭く暗い鉱山内に響き渡り、私の体と聴覚を襲うが、これが銃を撃つというのが初めてではないのでさほど動揺はしなかった。そして放たれた銃弾は、壁に当たると共に壁を少し抉ったようだった。どうやらこの拳銃は使えない不良品などでは無いようである事がわかった。私は、謎の緊張から一度息を大きく吸っては吐き、その後拳銃を懐にしまってから立ち上がったのだった。

 

 私は拳銃の信頼性を確認してから探索を再び開始した。かと言って特に変わり映えも相変わらずなく、当てなくひたすらに伸びる道を歩んでいくこと以上に何も起こりはしないのだが、いい加減この通路はどこまで続くんだと不安や焦燥感ではなく苛立ちが募り始めていた。

 そんな不快感を解消するかのように、開けた空間から少し歩いたところでまたしてもハンディライトを遮る壁、行き止まりではなく別れ道が確認できた。そしてここにも、例の五芒星の中に目の書かれた印が描かれていた。もしや、これは私のコミュニティ内の誰かが目安として書いたものだろうか。だとすれば情報の中で目印として言われていた理由も納得できる。

 

 確かここも右だったはず、私は壁の先に続く右の分かれ道へ曲がった瞬間、何か大きなものに躓き、突然の事だったがためにどうすることもできずそのまま勢いよく地面に転んでしまった。倒れる瞬間、思わず私は少しだけ体を捻って顔からは倒れないようにしたが、その衝撃でハンディライトを道の先に手放してしまった。突然の出来事に頭が追いつかないまま、私は立ち上がるべく手を赤の濃くなった黄土色の土に手をつくと、その土が不自然なほどに濡れている事に気が付く。いったい何だ、使用されていない鉱山に湧き水のでるところでもあったのか? だが現在私の頼りであるハンディライトは道の向こうをチカチカと照らしているので、私は自分の状況をまるで確認できない。

 

 とりあえずハンディライトを取らなくては。それに落とした衝撃だろうか、あのハンディライトもこちらではなく深淵を思わせる暗黒の蔓延る通路を照らしているが点滅を繰り返しており、どこかいかれてしまった事を嫌でも理解してしまった。私はハンディライトの所へ向かってそれを拾うと、とりあえず戻って先程の私がぶつかったものと、湧き水らしき何かを確認しに戻った。何かはわからないが、取り除いておかねば帰り道に難儀することはわかりきっていたからだ。

 私はやはり少しいかれていた点滅をくりかえすハンディライトを私の転げた場所へ向けると、そこにはここにあってはならないモノを発見してしまった……そしてそのあまりにも衝撃的なそのモノを見てしまった事でまたしてもハンディライトを地面に投げ出してしまったのだった。

 なんということだ……! そこには人と思わしき影と、その影から際限なく溢れだす湧き水……真紅の血液が絶え間なく地面に吸い込まれていたのだ!

 

 私はその異常なまでの現実離れした光景に、初めは酷く動揺し取り乱した。呼吸は乱れ、心臓は痛い程に脈打ち、止めどなく広がるその痛々しい現実に理解がとてもではないが及ばなかった。

 しかし数分程の時間をかけると先程までの冷静さを取り戻した。いや、取り戻さなくてはならなかった。そうでもしなければ、私は今ここで懐にしまい込んである拳銃で自分の頭をこの亡骸と同じようにしなくてはいけないだろうからだ。

 そして私はその光景の異常さを改めて理解したところ、まずどうしてこの様になってしまっているのかをまず理解しないといけないと思った。もしも拳銃で撃たれた痕跡があるのなら、今私の懐にある拳銃がこの者を死に至らしめた凶器である事も否めないからだ。私は恐る恐るピクリとも動かない死体に近づき、その様子を可能な限りの平静を保ちながら観察していく。

 

 なんということだ。私の目の前に横たわっている亡骸の正体、それは私の所属しているコミュニティのメンバーの一員だった。名前はアルフレッドと言い、彼の勇敢さや猪突猛進さは私たちの孤独な探索時にも励みになっていたというのに。そんな彼はきっと今回も、持ち前の芯の太さでここまでやってきたに違いない。そんな彼ともあろうものが何故このような無残な姿に……。

 それにこの拳銃、もしや彼のモノだったのだろうか。それだとしたら何故あの様な場所に? それに何故彼はこんな通路の途中で。不穏な予感を感じながら様々な思考を重ねつつ、もう手遅れだろうが一応脈も確認しておくことにした。案の定、というよりも一目見ればわかる事だが、彼はその体から魂を切り離していた。悲しむべきか、やはり彼は死に絶えていたようだ。だがそんな事をしなくても一目見ればわかる、無残にも彼が絶命した理由だが脈を確認した時にはわからなかったのだが、その死因と思わしきモノが、全身をくまなく調べた時に見つけられたあまりにもおかしい異常性で塗り固められたような箇所があった。

 頭部だ、それも酷く大きい穴が開いているのだった。ぽっかりと、奥が見えるくらいに。まるで科学室に置かれている人体模型のようにだ。そしてその人体模型とは違う所は、完全に穴になっている。つまり何もないのだ、本来あるべきものがそこに存在していなかった。言うまでもない、脳だった。それが彼の死因……ないし犯人の目的、であるならあまりにも意味がわからない、理解し得ない程に常軌を逸している事であった。そして私は彼の無残な姿と、その彼がこの場で亡くなったという現実を受け入れるとともに、少し離れてまたしても心の安寧を取り戻す必要が出てきたのだった。

 

 私は酷く心を動揺させ、決して浅くない関係だった知人の死に悲しみを覚えざるを得なかった。するとどうだろうか、私の心の中には知人の死を悼む人情の表れとも取れる心ともう一つ、二つの気持ちが渦巻いていた。彼の死因、どう見てもこのような閉鎖された空間で鮮やかに行える手口ではない。その人間離れした手口によって亡き者にされた、そんな彼の死に方を、このように物言わぬモノとして死に至らしめた理由を知りたいという好奇心だった。自分でも、今の私は火を見るよりも明らかに異常であった。だが、それ以上に知りたかったのだ、純粋な好奇心だ、穢れを知らぬ少年の様な。未知のものと出会う時はいつだってそうだ、だから私はここにいる。だからこそ私はあのコミュニティに所属しているのだ! 『Chaos Garden』に!

 

 私はかつて知人だったモノに近づき、その姿を整えてやる。決して幸福ではなかったであろうその苦悶に満ちた表情を、丁寧に直していく。絶望を奏でたであろうその口を優しく閉じ、驚愕と悲哀が混じりながら見開かれていた、もはや何もうつさない瞳を閉じてやる。

 そしてその体を申し訳なく思いながら隅にやり、手を胸の前で組ませてやる。私はその抜け殻となったそのモノに手を合わせ、もうここにはない魂に冥福を祈る。あぁ、安らかに眠れアルフレッド。君の探し求めたモノは必ず手に入れ、君の亡骸と共に埋める事を約束しよう。だから、少しの間眠っていてくれ。

 

 私は気持ちの切り替えを行うべく、彼の亡骸を離れて先を急いだ。一刻も早く彼の死に報いるモノと、そして彼を日の当たる場所に帰してやりたいという気持ちが、私の浮き足立っていた、そして臆病になっていた心を奮い立たせ、足を進ませた。

 私は走り、走り、走った。平静を装っていたものの、事実親しかった者の明確な『死』というものは私の心を酷く痛めつけていたのだ。だが、悲しんではいられない。もしかするなら、彼をこの世で生きられなくした張本人が、まだここに潜んでいるかもしれないのだ。そうなれば私はその者に容赦はしないだろう、彼の味あわされた苦痛以上の報復を行ってしまうに違いない。だがそれは悪い事ではないと異常な状況下でそう思い、私は心に歪な目的を掲げながら、先を急いで駆け足で土を踏みしめていった。

 

 そしてあてのない通路を走っていると、地獄の深淵すらを生ぬるく思わせる暗黒世界であった鉱山内に光の差し込んでいる所が目に入ってきた。駆け抜けた通路の先、距離で言えば大したことのない場所に、一本道の脇に部屋があるようだった。

 もしかするとそこに、アルフレッドを亡き者にした犯人が潜んでいるのかもしれない、と漠然とした予感で私はそう思った。私は息を飲み、懐に仕込んでいた拳銃を取りだすと、極力音を立てないようにその光の漏れている、先の続く道の中の脇にある部屋らしい箇所に近づいていった。

 

 私が丁度光源の寸での所に来た瞬間、私の目の前には信じられないものが飛び込んできた。私が頼りにしていた光、その漏れる先の反対側の壁面に人間とは思えない、産まれてこの方見たこともないような謎のシルエットが突如浮かび上がったのだ!

 私はあまりの驚きから後ろに飛びのく勢いで後ずさり、尻餅をついた。そして再びその漏れる光源の先の壁に何かが写っていないか見ようとするも、そこには相変わらずの長方形型の光の跡が見えているだけだった。

 

 な、なんだ今のは。ほんの一瞬の出来事だったが、明らかに人間の姿をした影ではなかった。でなければいったい何なのだ、あの簡潔に言うなれば……そう、昆虫を思わせる謎の影は。私は呼吸を乱し、あまりの動揺に立つことすらできず、ただそこに人間ではない何かがいるというだけで全身に震えが走っていた。

 その震えは人間にとっての本能、遺伝子レベルで刻み込まれた原初の記憶ですら上回る程の圧倒的な理解しがたいものから来る恐怖によるモノであった。

 

 私は未だ理解できぬあの影に酷く心を乱され、呼吸もままならないままよろよろと覚束ない足取りで立ち上がる。このまま座り込んでいられたらどれだけ幸せだろうか、そうも考えたがそれでは何も解決しない。私にはアルフレッドの死に報いるという義憤と、この鉱山に何があるのかを確かめるという義務があるのだ。

 まさに今見えた謎のシルエットも、私の知るべき謎の一つだ。故にこんな所で止まってはいられない、きっとあの影は何か……そう、きっと布や何かの類に違いない。そうでなくて一体どのようにしてあのシルエットに説明がつけられようか。私は無理矢理自分を納得させると、もたついていた足が再び動いてくれる事を理解し、再び光の漏れる通路の脇の部屋へ歩いていった。

 

 私か丁度脇の光源の漏れる部屋へ入ろうとした瞬間、部屋を包む光が一際強く光り私の視界を理解できない程に覆い隠してしまった。何事かと思い、私は思わず瞼を覆い隠してその光から自分の瞳を守る。そして数秒ほどその光が猛威を振るい、光が収まったと思われる所でおずおずと開いていくとまたしても驚愕のモノが私の視界一杯に入りこみ、握っていたハンディライトを思わず落としてしまったのだった。

 

 私の貧弱な語彙力では絶対的に、圧倒的に表現のしようがない超近未来的創造物が、まるでSF小説の様ではなく狂おしい程の現実感を帯びてそこには存在していた。先程拳銃を拾い休憩していたあの少し開けた所と同じくらいのこの部屋には、辺鄙かつ排他的な空気を催す廃坑には似つかわしくない機械……いや、機械と形容するしかないモノが部屋を囲むように、円を描くように大量に鎮座していたのだ。私はこの飲み込めるわけのない、そして説明しがたい機械の群れを一応、できるはずもないのが持ちうる可能な限りの語彙と表現で表すことにしよう。

 

 まず、目に留まったのは見るからに管理をしているであろう無数にも感じる機械の中で圧倒的な存在感を誇るモノだ。それは私の知っているPC、と呼ばれる物のディスプレイとそして巨大な管理システムだと思われる四角形の様な物で出来ていた。それは例に挙げたPCに酷く似てはいるものの、どこか決定的に違う……やはり言い表せはしないものの、明らかに『違う』という事だけがありありと理解できただけだ。

 他のモノは謎のコードやホースの様な物が伸びていたり、ボタンらしきものがいくつも不規則にならんでいたり、何やら光のついていないディスプレイのついているものなど、常識にとらわれない形容しがたい機械と呼ぶしかないモノがスペースを開けながらいくつか置かれているのが見られた。

 

 私は潜在的恐怖に怯えながらも、落としたハンディライトを再び手に取ると電源を一度きって周りのモノを観察する事にした。だが後のモノも同じく数十年生きてきた過去の記憶の検索で理解し得るモノは一つもなく、やはりこれらは私の知りえない世界の、現実に存在するものである事がひしひしと現実として私の中に染み込んでくるのだった。私の知りえる世界の常識とは違うものがそこに現実として存在する。それだけの明確な情報から私は、ある一つの疑問に辿り着き、背筋が痛々しい程に凍る思いを感じたのだ。

 

 『誰』がこんなものを……

 

 単純かつ複雑、明確かつ不明瞭。決して重なるはずのない言葉が、この現状を残酷なほどに理解させた。あまりにも単純これは私が、少なくとも大衆の目に触れるものではない。それでいて酷く複雑……ならこれは誰が、一体何のために。だがそれでいて明確……明らかに表立って公表のできないモノである。そして最終的に感じるのはその不明瞭さ……やはりこれは一体何のために。

 無限とも思える思考の迷路に迷いながら、私は何か手がかりがないものかと部屋を落ち着きなく歩きながら機械……ここではそう呼ぶ事にしたそれら一連のモノを探っているとほんの一瞬、何かが物音を立てて私の背後で動いた事を張りつめる緊張の中で感じ取った。

 

 どうやらその音は私の背後にあった、幾つか確認できる何やら複雑にコードらしきモノがいくつも伸びている、円柱状のガラスらしきモノに覆われながら中で気泡を立てて泡立っている様子の緑色の不審な液体の満たされたモノであった。どうやら先程までは明確に動いている様子ではなかった機械群が何やら動きだしたようである。

 私は注意深く、唯一変化を見せるガラスケースらしい気泡を立てる透過性のある謎の緑色の液体から目を離さずに観察を始めた。握る拳が痛い程になり、汗も滲みながらも私はそれから目が離せなかった。その当たり前とも取れる注意深さ故に、私はそのガラスケースを注視した事を酷く後悔することになってしまうのだが。

 

 ゴポゴポと不気味に泡立つその液体の中では、何かが浮かび上がってきた様だった。私は気泡でその正体がわからないながらも、必死にその浮かび上がったものからこの部屋の正体がわからないものかと出来る限り集中し、ガラスケースに現れたソレにじっと視線を注いだ。数分経った頃だろうか、次第にその泡立ちが沈静化していくことで徐々にガラスケースの中身が自然と初めのように見えるようになってきたのだ。

 なんとそこには、きっといつかに本で見たことのある、そして生涯平穏に包まれているなら絶対に目撃する筈のないモノ。人間の、脳が浮かんでいるのだった。それも一つではない、周りにあった複数の同じモノからも同じように人間の脳が浮かび上がってきていたのだ。

 

 私はそこにあるはずのない宿主を失い、悲哀に満ちながら浮かんでいるソレに、あまりにも現実離れした光景を見てしまった事で、勢いよく尻から地面に転んでしまった。だがそんな地面に叩きつけられた痛みでさえ、穏やかでない心持ちの私の、圧倒的な存在感を誇りながら私の視線を釘付けにするソレから注意を引くことはできなかった。せわしなく脈打つ心臓が危険信号を鳴らすが、私の考える事はそんな事をまるで気にさせなかった。

 何故、なぜこんな所に、人間の脳が。理由が、意味が、意図が、まるでわからない。もしかすると、私は迷い込んでしまったのだろうか。正常と呼べる人の踏み込んではいけない、狂気の世界に。すると初めにここに入った時に見かけたあの影は、何かの科学者だろうか。するとこの場所はその科学者の秘匿された研究所だとでも言うのだろうか。馬鹿馬鹿しい。そんな狂気じみた事が、そして起きてはならない事が簡単に起こるものか。考えてもみろ。仮にこのような狂った理解不能な行動を起こすにしても、このような寂れた廃坑で行うものだろうか。一般人の私でもわかる事だ、メリットはあるにしてもデメリットの方が確実に多いに決まっている。

 

 私はありうる可能性を思考に反映しながら、目の前の非日常性をたたえるソレの衝撃から少しずつ冷静さを取り戻していった。酷く心をかき乱されたものの、私にはやるべき事……義務感にもにた感情がふつふつと湧き上がってきたのだった。アルフレッドと、この名も知らぬ犠牲者の魂の安らかな眠りのために、一刻も早くこの事を外の世界に公表し、犯人を一生日の当たらぬ地獄に叩きこんでやらねばと。私はもう探索の事などすっかり忘れ、いつかに忘れてしまった正義感の火を灯し、元来た道を戻ることにしたのだった。

 

 私は謎の機械の蔓延る部屋から出ると、元々来た方の道を再び戻りながら歩いていくのだった。力強く握るハンディライトを片手に戻ることになった道は以前より明るく見え、恐るべき暗闇に対し、喜ぶべきなのか今や私の恐怖の原点でない事を感じさせた。部屋、と呼べばいいのだろうか。あの理解不能な機械達のあった部屋を出てからというもの、私の中では友人の死体を見た時の恐怖以上の言い表せない焦燥感が逆巻いていたのだ。

 故にこの暗闇も最初の頃と比べたら恐怖感を抱かず、だが代わりに汗は止めどなく溢れ、呼吸は乱れ、視線も点滅を繰り返すハンディライトの頼りない光の中で、見えもしないのに辺りを必要以上に見回していた。私の一般的思考が当てはまるとすれば、普通来た時とは違い、戻るだけの道は通常ならその一度と通ったという漠然とした安心感があるとしてもおかしくないはずである。だがそれがないというのはどういうことだろうか、それどころかこの一度通ったからこそともとれる体にじわりと浸透するかのような不快感は。

 

 チカチカと点滅を繰り返すライトの頼りがいのない明かりだけで歩いていく私は、ふと耳にここまで来るとき聞こえていたあの音が聞こえている事に気が付いた。羽音だ。まるで蚊が耳元で飛んだ時の様な、生理的嫌悪感を催す音である。だが、その音は近すぎず遠すぎずというくらいの位置、距離を感じさせながら私の歩みに合わせてずれている様だった。

 私が歩こうとその不審感から止まろうと、その音はまるで私に張り付いているかのように同じ大きさで聞こえ続けているのだ。あまりにも不自然、かつその不明瞭さに私はまたしても心の安寧を悉く妨害され、一刻も早く、早くここから出たいと、なによりも願いだしたのだった。

 

 焦燥感が募りながらも早足に戻る途中、体感だがそろそろアルフレッドの亡骸があるであろう箇所に近づいた時、私の戻り歩いた道の方から何やら音が聞こえてきた。ここからではわからないが、もしかすると先程の部屋からなった音だろうか。その狭い廃鉱に響き渡った音はほんの一瞬で、その後は元の不気味なまでの静寂が再びこのハンディライトだけが頼りの暗闇に戻ったのだった。私はその謎の音に気を取られて足を止めたが、その瞬間にもどうするかを考えていた。

 

 もしや、先程の機械達の置かれていた部屋の主が、何か異常を察知したのだろうか。それだとすると今もこうしてここに居るのは危険なのだろうが……何の音沙汰もないという事はそうではないのか? するとあの機械達がまた活動を開始したのか……だとするならば私には関係が無い、一刻も早くここから出た方がいいに決まっている。

 

 だが……

 

 何故か、私は戻り来た道を、またしても戻ってしまっていた。もはや、正常とは呼べる精神状態ではないのだと。私はここに来て、理解してしまった。私は少年だったのだ、好奇心に満ちた。だから、戻るのだ……未知の詰まった、あの場所へ。何があっても後悔はしない、してはいけない、未知への探求とはそういうものであるから……。

 きっと、私の口角は酷く醜く、吊り上がっていた事だろう。そして、先程からずっと聞こえていた羽音の様な音は聞こえなくなっていたのだった。

 

 また一歩、また一歩と着実にあの機械の群れのある部屋へ戻る私だったが、ふと異常なまでにこの場所が寒くなっている事に気が付いた。肌は鳥肌が立っているし、何度かかいていた汗で濡れた服が、酷く冷たくなっているのだ。これは私の精神状態だけではなく、この廃鉱自体が冷えてきたという事なのだろうか。

 それにしてはあまりにも突然すぎるのではないだろうか、ここに私が来てからは一度も体が耐えられぬ寒さを訴えたことは一度としてなかったではないか。それにいくら廃鉱とはいえども、このように突然温度が下がる事などありえないだろう。私は、寒さゆえか冷静になる思考の中、この状況の異常性を湿り気のある土を踏みしめながら実感していくのだった。

 

 そして、とうとう私の視界の先に光の漏れた道の脇に小部屋が確認できたのだった。距離としてはまだ離れており、手の平程度の大きさの光源が確認できるだけである。私は一度大きく呼吸をし、波立っていた精神を落ち着けた。そして意を決するとまた私は歩みを進め、今度は立ち止まることなく例の機械達の蔓延る部屋を入っていた。

 

 何事もなく入ったその部屋は、依然として理解不能な機械達が存在するだけで何も変わった様子は見受けられなかった。強いて言うならば、先程までは動いていたのが人間の脳が納められていたガラスの様な物で出来た大量のケーブルの接続されたケースだけであったのだが、今はこの部屋に存在する機械全てが動いているようだった。どうやら、先程通路で聞こえた音の正体は、この機械達が動きだした音であると思われた。ここにある機械は何の操作も動き出した前例があるため、私も成る程、とすっと現実として理解することができたのだった。

 

 私は物音の正体を理解し、結局は自身の不安を取り除くことができたので内心胸をなで下ろしながら部屋を後にしようとしたところ、突如として機械達が尋常ではない轟音を鳴り響かせた。私は何事かと辺りを見渡そうとするも、足元がおぼつかず床に倒れこんでしまった。違う、動揺してふらついて倒れたわけではない……部屋が、機械達が大きな揺れを伴って動いているのだ!

 私はその揺れに翻弄されながらも、可能な限り何かの変化があるかと思い、辺りを警戒しながら乱れる体のバランスを床に任せながら見る事にした。一体何が起こっているのだ、地震でも起きているのか? それにしては機械達は倒れる様子も、不規則に動く様子も……いや、まさか規則的に動いているのかこれは!

 

 私はその十分にあり得る結論に至ると、未だに揺れの収まらない地面を這うようにしながら出口の方へ体をすり寄らせ、部屋全体を注視した。どうやら私の予想は的中したようで、部屋の機械達は一定の速さかつ少しだけ開いていた感覚をピッタリと詰め、こちらへ、出口の方へ一斉に動いていたのだ。だが、特筆すべき点はそこではなかった。その動き出した機械達はこちらへ向かっている、するとどうだろうか奥の方に、つまり私のいるで口の方とは逆側に謎の空洞が少しずつ見受けられるようになってきたではないか。数分と立たず機械達の動きは止まり、気が付けば私の目線の先に合った空洞はこちらの出口と同じように人が用意に通れる程度の大きさになっていた。どうやらこの先にも道は続いている、という事だろうか。しばし私は考え、その先に進むかやはり戻るべきかを考えた。

 

 どうするか……一刻も早く外に出るべきだというのは、アルフレッドや、名も知らぬ犠牲者のためになるというのに……わかっているのだが、わかっているのに私の足はすっかり揺れのおさまった床を確かに踏みしめ、先に行こうとしているではないか。もしかすればこの先には私の求めていた物があるかもしれないのだ、彼らには悪いが私とて人間だ、すぐ為すべき事を変えようと仕方がないだろう? それに、君らには関係ない(・・・・)事だろう……? 私はまだ見ぬ未知に心震わせ、息を乱しながら血走った目で先をにらみながらハンディライトを深淵を讃える暗闇の空洞へ向け、歩き出し――。

 

 キィィィィィィィィィィィィィィィィィン

 

 そんな私を差し止めようとでもしたかのように、突如機械達の動きだした時の音とは比較にならない耳に突き刺さる音がこの廃鉱全体に響き渡った。私はあまりの衝撃、そしてその尋常ならざる不快感(・・・)に体を丸めてなりやむまで赤子の様に身を屈め包まることを余儀なくされた。なんだ一体……この空洞の先からか? 私は少しずつ沈静化する音を不快に思いながらも、状況を把握すべく再び空洞の方へライトを当て、様子を伺う。

 

 空洞の方からは、依然として正体不明の音が鳴り響いており、それは確実にこちらへと近づいているようである。だが私は危険信号とも取れるその音を聞きながらも、何故か逃げる事ができずにいた。きっとわかっていたのだろう、私の望むものがきっとそこにあると、幼いときから夢想し焦がれていた真なる未知がそこにあることを。きっと私はその時、無邪気で穢れを知らぬ赤子の様な顔をしていたことだろう……だが、その音がピタリと空洞の暗闇近くで止まった瞬間、その顔は死に怯え、未知に怯える愚者の様な醜い顔に変わった事だろう。

 

 気が付いてしまったのだ。何故、機械達が勝手に動き出したと思った? 何故、突然空洞が現れた? それも人が容易に(・・・)……それどころか大きすぎる程の空洞ができたことを。今思えばこの廃鉱の通路は酷く大きかったのだ……まるで、そうまるで――

 

 地獄すら生ぬるく、漆黒よりも深い暗黒から無音でじわりと現れたその未知の片鱗が現れた瞬間。それはまるで、蟷螂(カマキリ)の鎌を人間大まで、つまらない赤子の落書きのように信じられぬほどに肥大化した異形ともとれるソレを見た瞬間、理解した……してしまった。

 

 真なる未知とは、知らぬままであるからこそ幸福であると。

 

 私はその全貌を見る事なく、奇声かはたまた悲鳴ともとれぬ言葉にならぬ声を上げ、その場から力の許す限りで全力で駆け出していった。息はこれでもかというくらい上がっている筈であるのに、まるで気道を止められたかのように実感はなく、無茶苦茶に走らせる両足は限界を越えている筈であるのに、まるで両足の神経が消失したかのように何も感じられない。

 全身は暗い廃鉱内をライトの光も使わずになりふり構わず走るものだから、どこもかしこもぶつけているのに、まるで痛みという感覚が脳まで伝わってこない。これらの異常を全身に纏いながらも、私は余計な事は何も考えられず、ただひたすらに一つの目的に向かって全力を尽くして駆け抜けていく。きっともう、私の脳には全ての答えが出てしまったのだ、それを認められず理解できず、最終的にもっとも原初的な本能で。

 

 恐ろしい恐ろしい何だあれは怖い怖い怖いクソクソクソふざけるな何なのだあれは! 早くここから出ねば、ふざけるなふざけるな! まだ私は私は死にたくはない!

 

 思考が恐怖で延々と回転をしながら、ひたすらに外を目指し駆け抜けていく私は、突然何かに足を掠め取られ、受け身を取ることも出来ずに思い切り地面に叩きつけられた。私は突然の事に異常なまでに恐怖を覚え、ひぃひぃと情けない声を上げながら倒れてもなお醜く地面を這いながらひたすらに先を急ぐ。そしてここの土は、やけに赤みがかって、湿っていた。

 

 キィィィィィィィィィィィィィィィィィン

 

 ま、まただ! あの音だ! 来る、来るヤツが来る! 私は思うように動かない足を必死に立てようとするも、何故か動かない足を恨みながら地面を必死に這いずり回り、ここから一分一秒でも早く離れようと地面に爪をたて、もはや痛みなどわからないくらいに外への渇望からひたすらに逃げていく。

 

 少しずつ、少しずつ、私の必死の逃走も虚しくあの音が近づいてくる。強烈な不快感を示す、羽音などという生易しいモノではない、宇宙から飛来する無音にして破滅をもたらす不協和音。矛盾などではない、そんなものではない、早く逃げねば。

 

 私は、何かの力によって後ろに力を入れようと無残にも引っ張られていく。嫌だ嫌だやめろやめろ!! こんなところで私は死にたくない死にたくない! あんな脳だけになりたくないアルフレッドのように死にたくない嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!

 

 手を地面に突き立ててもその手の抵抗は虚しく爪ごと剥がされ、指は無残にも変形しても私は地面に食らいつき連れていかれまいと抵抗するも、後ろに引きずる力は、そんなことお構いなしにと引っ張っていく。私は全ての抵抗手段を無為にさせられようと意地で必死で体をくねらせ、惨めに生に縋りつく。そして、私は体をねじっている間に、無意識の内に見ないようにしていた、私を引きずっている謎の影の方へ、人とは思えない程に歪んでいる自分の顔を、向けてしまった。

 

 私の両目が、謎の影を捉えようとしたまさにその瞬間、私の体は謎の力から解放され、その身を投げ出された。そしてその影は、私の……足に絡まっていたアルフレッドの亡骸を引きずって、もはや暗闇とは呼べぬその混沌の中へその正体を沈ませていった……。私の目に映ったのは、理解不能な構造を……もはや言葉では表せない混沌にして原初の存在であり、遥か彼方の銀河より飛来したソレは私の意識にその存在をやきつけていった。鎌と、翅と……考えるだけで意識が滅茶苦茶に掻き回される名状しがたい存在は。

 

 私は、体を引きずった。一時間だろうか、二時間だろうか、それとも一日だろうか。強烈な振動に時折襲われながらも、もはやモノですらない自分の全身を引きずりながら外を目指した。私の両目はもはや機能をなしておらず、ぼんやりとした景色の中をひたすらにただ惰性で映していた。

 

 私は、その身にひんやりとした風を感じた。外だ。私は虚ろな目で空を見上げた。星、月、雲。久しく見た、世界。私は倒れこんだ。いや、元々倒れていたかもしれないが、そんな事は些細な事だ。伏せた地面は、酷く冷たく……それでも正常な世界の温もりを感じた。

 

 自分でも気が付かない内に私の手には、拳銃が握られていた。その冷たさも、今となっては正常な人間の心の温かさすら感じさせた。

 

 私は撃鉄を静かに下ろし、ここに来た事を悔い。

 

 銃口をおもむろに口に咥え、一人の人物の歪んだ笑みを思い出し。

 

 その引き金に手をかけて、恐怖に怯え。

 

 最後の瞬間、脳裏に思い出されたのは……人間の脳の詰まったガラスケースを携えたあの存在。そして最後に私の耳に聞こえてきたのは酷く機械的な……『タスケテ』という声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「院長、あの患者は?」

「あぁ、日記を必死にとっているだろう。あれは自分が正常であることを確認しているのだ」

「はぁ、ですが彼は……」

「そうだ、そういうことだ」

「何が、彼をそこまでさせるんですか?」

「さぁ、私にはわからんよ。彼が夜な夜な何かに怯えていたり、春になれば、カマキリに酷く怯えて、夏になれば異常なまでに蚊に怯えて……それだけしかわからんよ」

「ですが……あまりにも……」

「いいや、同情することはない。きっと、あれは彼がそう望んだのだ。壊れてしまうことを……それに、笑顔じゃないか。歪んではいるがね」

「……私には、わかりかねます」

「あぁ、わからなくてよいのだ。あと、彼の日記は絶対に見てはいけないからね。では、頑張りたまえよ」




さぁ、お楽しみ頂けただろうか。

私としても、このお話は中々に興味深くてね……誰も近寄らない鉱山に何がいたのか。そしてそれが近隣住民になぜ神と崇められていたのか。
そしてコロコロと変わる語り手の精神状況はいかがなものだったのだろうか……今となっては確認の取りようもないがね。

あぁ、御客人。お帰りの際は気を付けて……貴方の傍にも、現れるかもしれないのだから。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。