剣鬼の歩く幻想郷   作:右に倣え

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嵐は去り、残された者達は肩を寄せ合う

 剣鬼が最初に行ったことはレミリアに対しての弁明――ではなかった。

 倒れたフランドールの身体を抱きかかえ、すでに寝具としての役割を果たしていないベッドに丁寧に寝かせる。

 

 乱れに乱れたフランドールの髪を整え、なんとか見られる程度にした後、剣鬼はゆらりと立ち上がってレミリアたちと相対する。

 

「……さぁて、俺は頼まれた仕事をキッチリやり終えたつもりだが、こりゃどういうことだ? なんか見ない顔もあるし」

 

 剣鬼は目を細めて、レミリアの隣にいる紫色の髪を持つ少女を見る。

 

(……魔法使いだな。フランドールに魔法を教えたのもこいつか? ……研究者気質。戦う存在じゃない。というかここに来る時点で息切らしているんだから肉体労働は一切ダメだな)

 

 苦しそうに息を吐きながら、それでも剣鬼をじっと見つめる紫の少女を剣鬼はそう評価する。

 少なくとも戦って面白いタイプではなさそうだった。

 

「……フランをどうした」

「狂気を斬れといったのはそっちだろうが。話して、見極めて、確かに斬ったさ」

 

 その際にフランドールの渇望を言い当て、戦闘に持ち込んだのは剣鬼の趣味である。

 実のところ、見極め自体は会話の最中に終わっていたので、不意打ちで斬ってしまう方法もあったのだ。剣鬼の好みではないため、まず行われない方法だが。

 

「ではどうしてフランは眠っている! 私が見た未来では……!」

「未来? ふぅん……なるほどねえ」

 

 レミリアの頼み事を剣鬼が断らない可能性を考えているようには見えなかったため、僅かな違和感を残していたのだ。

 あの時は妖怪の頂点とか言っていたので、それ故の傲慢だと考えていたが、彼女なりの根拠は持っていたらしい。

 

「お前さんが俺に任せた理由にようやく合点がいった。――見たな? 俺が狂気を斬る瞬間を」

「そうよ。それでフランはあの忌々しい狂気から解放されるはずだった!」

 

 

 

「忌々しいって、誰にとって?」

 

 

 

 剣鬼の顔は俯いて影になって見えない。しかし、禍々しい笑みになっていることは三日月の形を作る口元でわかってしまう。

 

「なあ、教えてくれよ。俺にはわからないんだ。――どうしてフランドールが誇っていた狂気をお前が語る?」

「え、な、それは……」

 

 悪魔の言葉だ。耳を傾けることは破滅を意味する、と場にいる全員が直感する。

 だが、いやだからこそ、彼の言葉には聞き入ってしまう何かがあった。

 

 レミリアの顔がさっと青くなる。いけない、その先を言ってはならないと言外の拒絶が聞こえてくる。

 剣鬼はそれを見て更に口元を歪め、言葉を続ける。

 

「言えないか? だったら俺から言ってやるよ、紅魔館の主。お前のそれは――」

 

 決定的な言葉を言ってしまおうとした剣鬼だったが、突如現れたナイフに遮られてしまう。

 

「っとと。おっかねえな、咲夜」

「囀るな、下郎。お嬢様に口を開いた時がお前の時間の終焉と思え」

「それも悪くない、と言いたいところだが……フランドールとの約束だ。お前さんらに手を出すつもりはねえよ」

 

 剣鬼は殺気走った目を自分に向ける咲夜を横目に、再びレミリアと視線を合わせる。

 

「お前さんの疵瑕を突っつくのも悪くないんだが、これ以上傷つけると咲夜が怖い。……それに、フランドールとの約束も違えることになる」

 

 レミリアが口でどう言おうと妹を遠ざけて、対話を恐れたのだ、という事実を突きつけて、彼女が目をそらし続けてきたものに無理やり光を当ててやるのも、剣鬼としては面白い選択肢だった。激昂して襲いかかってくれれば万々歳である。

 ……が、やり過ぎるとレミリアが壊れかねない。ちょっとした揺さぶりだけで面白いくらいに青ざめた辺り、精神的な打たれ弱さは見た目相応なのかもしれない。

 紅魔館の面々を傷つけないよう頼まれた身として、剣鬼は極力言葉を選ぶことにした。

 

「フランの……?」

「そうだ。あいつが負けた理由、お前さんならわかるだろ」

「……っ! 私が、声をかけたからでしょう」

 

 激痛を堪えるような表情で囁くレミリア。

 視界の隅で咲夜が飛びかかろうと力を溜めているのを、剣鬼は横目で見ながら口を開く。

 

「ご明察。……時にお前さん、フランドールからはどう思われていたと思う?」

「……ロクな理由も説明せずにここに押し込んで、顔を見に行くのも咲夜に任せて、それで姉を名乗ろうとしていたのよ! 

 ふざけるんじゃないわよ、何が狂気を斬ってよ!! 何が狂気さえなくなれば姉妹の時間が取り戻せるよ!! 全部、全部、全部私の都合!! 私がフランの立場ならこんな愚かで醜い女、本気で殺しているわ!!」

 

 剣鬼の言葉を切っ掛けにレミリアは徐々に感情を昂らせ、最後は激情のままに叫ぶ。

 自分はどれほど愚かなことをしてしまったのか。効率、合理を謳って、最も大切にすべきことを蔑ろにしてしまったのだと。

 

「私がどうしようもなく馬鹿だったのよ!! ずっと地下に押し込めて、殆ど顔も合わせない妹のため? 違うでしょうレミリア・スカーレット!! 私は!!」

 

 激情が涙となって流れ落ち、それを拭うこともせずレミリアは拳を握りしめて剣鬼に向かう。

 それに対し、剣鬼は動かない。もしも彼女が本気で殴りかかってきたならば、死は避けられないのに、微動だにしない。

 

 

 

「私は!! 妹と向き合うのが怖かっただけなのよ……」

 

 

 

 放たれた拳は力なく剣鬼の胸に当たる。何の痛痒も与えないそれを受けて、剣鬼は静かにレミリアを見下ろす。

 

「そこまでわかってんのか。俺に頼み事をしてきた時のお前の顔からは想像もできなかったな」

「うるさい……。ここであんたに当たったら、私は本当にただの馬鹿になってしまうじゃない。それに、フランの言葉をまだ聞いていないわ」

 

 レミリアは剣鬼の横を通ると、フランドールの身体が横たわっているベッドに近づいていく。

 剣鬼はチラとそれを目で追い、何も言わずに視線を戻す。

 

 これでもし、レミリアがフランドールの狂気がなくなったことを喜んでいたら、剣鬼は彼女をフランドールには近づけさせないつもりだった。

 それはフランドールを認めないことと同義であり、剣鬼が斬った彼女を侮辱する行為であったからだ。

 

「フラン……」

 

 レミリアはフランドールの頬を優しく撫で、頭を自身の膝に乗せる。

 剣鬼がある程度は見られるように整えていたのだが、それでも大雑把な男の手作業。レミリアは改めてフランドールの髪を優しく梳く。

 

「……ずっと、こうしてあげたかったのよ。どうして気づかなかったのかしら。本当に、どうして……もっと早く、フランと向き合う勇気が持てなかったのかしら」

「……さあな。あんたの事情に興味はない。――レミリア・スカーレット。フランドールの言葉だ」

 

 剣鬼はレミリアの感情を酌量しない。彼にとって大事なのは己の敵として戦ったフランドールであり、レミリアは二の次三の次である。

 

 

 

 

 

 ――しかし、遅きに失したとはいえ、レミリアはフランドールと向き合おうとした。その強さは認め、尊ぶべきだと剣鬼は考えた。

 

 

 

 

 

「俺に斬られた時、あいつはこう言った。――どうでもいいと思っていたつもりだったが、家族に名前を呼ばれるのはやはり嬉しい、と」

「……っ!!」

 

 剣鬼の言葉を聞いて、レミリアは悔恨を噛み締めて顔を俯ける。

 だが、その顔に涙は零れていなかった。

 

「……ねえ、剣鬼」

「なんだ」

「狂気を斬ったあなたの見立てを教えて欲しい。フランは目覚める?」

「…………」

 

 即答できなかった。というより、斬った相手が再び目覚めるか聞かれるなど初めての経験だった。

 殺したくて斬っているわけではなく、斬りたいものを斬った結果として殺してしまうので、剣鬼自身と戦って生き残った相手は僅かながらに存在する。

 だが、その場合褒められるべきは彼と戦って生き残った相手であり、剣鬼自身が何かをしたというわけでは決してない。

 そのため、剣鬼の目から見てフランドールがどうなるか、ハッキリとしたことはわからなかった。

 

「……俺の感じたところで良ければ」

「構わないわ。多分、あなたが一番フランと向き合った存在だから」

 

 レミリアの声には強い意志が含まれており、これから告げられる真実がどれほど残酷なものであったとしても、決して逃げることはないだろうと剣鬼の目から見ても確信できるものだった。

 

「……目覚めはするだろう。俺は狂気を斬っただけで、精神そのものを全て斬り殺したわけじゃない」

 

 肉体自体は戦闘で受けたダメージ以外にないのだ。それにしたって吸血鬼の再生力のおかげでほぼ治っている。

 自分は今でも血を流しているというのに、と剣鬼は呆れるばかりだった。

 

「だが、いつ目覚めるのか。そもそも目が覚めた時、それはお前の知っているフランドールなのか。そこまでは保証しかねる。ついでに言えば一時的な記憶障害ぐらいはあるかもしれん」

 

 精神の一部を斬ったのだ。衝撃でフランドールの記憶が混乱することは大いに考えられる可能性だろう。

 

 剣鬼の推察を静かに瞑目して聞いていたレミリアは、目を開くと咲夜に視線を向ける。

 

「咲夜」

「承りました。すぐに修復いたします」

「ん。フランは私が見るわ。……パチェも悪いわね。着いてきてもらったけど、何もすることがないわ」

「……妹様のことで気に病むなら私も同罪よ。合理、効率、理屈ばかりを追いかけて、あなたたちが家族だということを忘れていた」

 

 剣鬼は自分がいるべきではないと壁際にもたれかかり、レミリアが咲夜とパチェと呼んだ魔法使いに声をかけていくのを見守る。

 

「……剣鬼。あなたには迷惑をかけたわ」

「フランドールの狂気は斬る価値があった。だから斬った。それだけだ。別に気にするこっちゃない」

「それと、ありがとう。あの子と向き合ってくれて」

「お前に言われてやったわけじゃない」

 

 おざなりに手を振る。仕事として受けたのは事実だが、それ以上にフランドールの狂気が斬りたかった。そして剣鬼は己の欲望に忠実に動いた。

 恨まれる理由こそあれど、感謝される理由はなかった。

 たとえ恨まれても、ここで去れば彼女たちとの縁は途切れるだろう。残された時間の少ない剣鬼にとって、再会出来る可能性は限りなく低かった。

 

 とはいえ――感謝されるのであれば、それに少しくらい応えるのもやぶさかではない。

 フランドールの約定がある以上、彼女たちと戦うことは実質的に不可能だ。

 剣鬼からすれば、彼女たちがどのように生きようと、己の邪魔にならない限りはどうでも良かった。

 

 

 

 なので――邪魔にならない範囲で助言をすることを剣鬼は選んだ。

 

 

 

 手間にならない言葉で彼女たちが幸せになり、紅魔館の面々で完結できるならば、剣鬼に面倒事が行く可能性が減ってくれる。

 どうでも良くなったからこそ、そのどうでも良いものに邪魔をされるのは勘弁して欲しいのだ。

 世の中、なるべく幸福に回ってくれた方が剣鬼としては都合が良い。好きに剣を振る時間が増えるのと同義と言えるのだから。

 

「んじゃ、最後に一つ言っておいてやるよ」

「…………」

「嫌がらせじゃねえから安心しろ、咲夜」

 

 無言で飛びかかる溜めを作る咲夜に、一応の制止を入れておく。

 

「レミリア。お前は吸血鬼だ」

「……? あなた、いきなり何を?」

「フランドールも吸血鬼だから時間があるって言ってんだよ。

 妖怪なんだ。どんくらい生きてきたかは知らんがな、お前さんらよりよっぽど短い寿命の人間にだって、取り返しの付かない失敗なんてそうそうないんだ。

 ……だから、次はフランドールと向き合うことだな」

 

 そう言うと、レミリア、咲夜、パチェと呼ばれた魔法使いは目を丸くする。

 彼女らの想像の外にあるセリフを言った自覚はあるので、皮肉げに口元を歪めて笑う。

 

「突っついて面白そうな連中は煽るし抉るけどな。手が出せない連中に邪魔されんのはゴメンなんだよ」

「手が出せない? ……私にも?」

「悲しいことに咲夜にもだ。フランドールと交わした約束だから、絶対に破らん」

 

 こればかりは仕方がない。剣に真摯であるがゆえに、斬ったものに対しても真摯であり続ける。

 それが剣鬼の矜持でもあった。これすら守れないのでは、畜生以下に堕ちてしまう。

 

「さて……言いたいことも言ったし、俺は帰る。ああ、見送りならいらん」

「そう。……感謝はしないけど、あなたのことは忘れないわ」

「どうでも良い。もう会うこともないはずだ」

 

 そう言って剣鬼はパチェと呼ばれている紫色の少女の横を通り過ぎようとして――

 

 

「……細すぎだろ身体。最低限の健康は備えておいた方が喉にいいぞ」

 

 

 思わず素でそんなことを言ってしまう。特に興味もなかったのだが、あまりにも貧弱な肉体過ぎて、つい口が動いてしまった。

 

「余計なお世話よ。……あら? どうして喉が悪いって?」

「呼吸音聞きゃ一発だ」

「ふぅん……」

 

 ジロジロと無遠慮な視線が剣鬼を這い回る。不快とは思わないが、気持ち良いとも思わないそれを受け流して出て行こうとする。

 

「……信じられないわね。読み取れるカタログスペックでは妹様相手に秒と持たないはずなのに、こうして生きて、しかも勝っているなんて」

「ハッ、いかにも理屈を重んじる魔法使い様のお言葉だな。――理屈や条理を越えた先にあるもんだろ、強さってのは」

 

 剣鬼の強さは通常では到底考えられない密度と時間を、剣術一つに費やし続けた狂気とも呼べる執念にある。

 狂気が彼の剣を磨き上げ、理屈や道理を越えたものすら斬る力を剣鬼に与えた。

 

「それは否定しないわ。魔法使いは世界を理で見るけれど、それで測れないものも世界には存在する。いいえ、それを測るために私たちは存在するのでしょう。いつかあなたの剣も解明してみたいわね」

「出来るならやってみろ。その時にはもっと先に進んでいるだろうがな」

 

 ニヤリと笑うが、嘲笑っているそれではなかった。

 挑戦し続ける者を剣鬼は決して否定しない。その可能性がどれほど低くても、挑戦する者にしか可能性の実現は不可能なのだから。

 

「ま、俺が会うことはもうないだろうから、フランドールと咲夜にでも見せてやれ」

「……? 隠すようなものでもないから構わないけど……」

「それならいい」

「ちょっとあなた、パチュリー様にまで粉かける気じゃないでしょうね」

 

 長話に入りかけていたところを咲夜に見咎められる。

 手を出さないと言ったのに信用のないことだ、と剣鬼は肩をすくめた。

 

「そんなつもりはねえよ。面白いと思ったのは事実だが、斬って楽しいとは思わん」

 

 剣鬼とは違った意味での求道者気質だろう。

 道が交わらないために斬る価値は見出だせないが、一つのものをひたむきに追い求め続ける姿勢は好ましいと感じていた。

 

「それに言ったことはお前への手向けだぜ? そこのもやしが俺の剣を調べてくれるそうだから、何かわかったら聞いてみるといいさ」

「もやしって……」

「嫌だったら身体鍛えろ」

 

 ジトッとした目を向けるパチュリーに剣鬼はケラケラ笑い、今度こそ扉を開けて部屋を出て行くのであった。

 

 

 

 

 

「……む」

 

 道を辿ってエントランスまで戻ると、美鈴が佇んで待っていた。

 

「なんだ、出迎えか?」

「いえ、ただあなたはいきなり出現したんで、出口を知らないだろうなと」

「そりゃ出迎えと何が違うってんだ」

「妖精メイドとかに手を出されたら問題ですので」

「んな雑魚、相手にもしないっての……」

 

 どれだけ劇物扱いされているんだ、と剣鬼は自分の行いを棚に上げて面倒な表情を隠さない。

 険しい顔でこちらを見つめてくる美鈴に改めて向き直り、剣鬼はダルそうに口を開く。

 

「……レミリアから頼まれた仕事はこなした。もうやることもないから帰るだけだ。残った事情はレミリアに聞け。地下室に集まってる」

「あなたが行ってからにします」

 

 本当に信用されてないな、と剣鬼は思わず笑ってしまう。

 

「そいつは結構。見上げた忠誠心だこって。出口はあっちでいいんだよな」

「? 襲いかかってこないんですか?」

 

 美鈴の忠義を褒めたところ、身構えられた。

 来た時のやり取りから、剣鬼が相手を褒める時は斬りかかる時だとでも思っていたのだろうか。当たっているから否定もできない。

 

「約束がある。もう手は出さねえ」

「…………」

「信じてないって目だな。鬼、嘘、吐かない」

「なんで片言なんですか……」

「俺が何言っても信じないだろうし、後でレミリアにでも咲夜にでも確認を取れば良いだろ。じゃあな」

 

 剣に誓うなり、戦ったフランドールに誓っても良かったが、判断は向こうがするのだ。信じてもらえない可能性の方が高い。

 であれば馬鹿正直に地下で起こったことを話す必要性は感じず、適当なことを言ってごまかしてしまった方が楽だった。

 

 剣鬼は刺すような視線で睨んでくる美鈴を背に、出口へと歩いて行くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 剣鬼は外に出ると門の方には向かわず、途中の庭で立ち止まる。

 

「……紫ー」

 

 小さな声で腐れ縁の名を呟いてみるも、反応はない。スキマに潜む独特な気配も感じなかったので十中八九いないとは思っていたが、念のためである。

 

「いないんなら安心して呼び出せるな」

 

 剣鬼が右手を刀の柄に添えると、目の前に紫が操っているものとは別種のスキマが開く。

 縁がリボンで飾られていないそれは、空間そのものを巻き込むように不安定に揺れ、今にも消えそうなものだった。

 

「早く察知して来ないと境界の裂け目が広がっていくぞー」

 

 もう一度柄に手を添える。一度は消えかかったスキマが更に大きく斬り開かれ、空間の歪みが大きくなっていく。

 これを放置し続ければ、スキマの揺らぎは際限なく広がっていき、最終的には幻想郷の結界にも揺らぎを及ぼすものになるだろう。

 当然、剣鬼はそれを理解して行っていた。幻想郷を愛する紫ならばこの状況ぐらい確実に察知しているはずだ。

 要するに、呼び出すのにちょうどいいから使っているのである。

 

「さて、三秒数えて来なかったらもう一回広げるか――」

「ちょっと何やってんのよあんたバカじゃないのバカだったわね!!」

 

 横から突如として現れた紫が剣鬼の作ったスキマに手をかざすと、空間を巻き込んで揺れていたそれが徐々に安定していく。

 最終的には紫が普段使うスキマと同じように左右の縁をリボンで飾られ、完全な安定に至った。

 

「さすが紫。ここまで早く気づくとは思ってなかったぜ」

「そりゃ嫌でも気づくわよこんな大規模なスキマ自然に生まれるはずないじゃないのバーカバーカ!!」

 

 慌てたのだろう。紫は息継ぎなしに剣鬼への罵倒を並べ立ててまくし立てる。バカとしか言ってこないのは、もはやそれ以外に剣鬼を表す言葉がないからだろうか。

 

「ハッハッハ、問題なかったんだから良いだろ。本気で気づかなけりゃ、いよいよヤバくなる前に俺が消してたし」

「はぁ……はぁー……はぁぁーー……」

 

 紫は剣鬼の前でこれ見よがしにため息を連発する。なんかもうお前本当アレだな!! という言葉が態度から伝わってくるようだ。

 

「……次やったら問答無用で殺しますわ」

「なに、本当か?」

「そこで嬉しそうにするからあなたの相手は嫌いなのよ!! 殺さないわよ絶対に手を出さないわよ悔しいでしょうバーカバーカ!!」

 

 こうなりゃ意地でも戦わないと気炎を上げる紫に、剣鬼は苦笑してしまう。

 

「そいつは残念だ。……で、だ。俺からお前に頼みがある」

「頼み? 普段は命令なのに……どういう風の吹き回しかしら」

「この頼みを聞いてもらうんなら、俺は今後幻想郷に戻らない」

「っ!!」

 

 紫が瞠目し、剣鬼を見る。

 つい先程、剣鬼とともに歩いていた時に聞かされた残りの寿命。そして今の頼み。結びつけるのは誰にでも出来た。

 

「……やっぱり、死ぬつもりなのね」

「そうは言わん。が、ここで生き永らえるつもりもない」

 

 強い人間に対してちょっかいをかけることはあっても、それ以外の人間を害することは決してしない。

 それが自身の生命活動に繋がるとわかっていて、剣鬼は生き方を変えるつもりにはなれなかった。

 

「今回が最期の幻想郷だ。思い残すことはなくしていきたい」

「……それまでの足になれと」

「おう」

「…………」

 

 紫は口元を扇で隠し、どこか遠くを見つめる目をする。

 剣鬼との付き合いは千年以上に及ぶ。接触したのは自分からで、斬って欲しいものがあったから付きまとったのだ。

 ……妖力の少ない鬼ということで小馬鹿にしていたらスキマごと斬られかけた、なんて思い出したくない部類の思い出もあるが、それはさておき、彼との付き合いは相応に長い。

 

 大体剣鬼が一方的にやってきては一方的に迷惑をかけ、たまに紫が剣鬼を頼る。取引相手と言うには傍若無人に過ぎ、友人と言うには憚られる。

 腐れ縁、というのがピッタリなのだろう。こんな奴相手に表面を取り繕うのもバカバカしいと、素の自分で接することが出来る相手としては有用だった。

 

 そんな相手が死ぬ。紫とて大妖怪の一角なのだから別れなど相応以上に経験しているが――千年以上の付き合いとなる妖怪との別れは初めてだった。

 それが紫の心に妙な軋みを生み出し、実際の別れの時でもないのに胸が締め付けられるような哀しみを覚えてしまう。

 

「……あなたが死んだら、私としては頭痛の種が消えて万々歳なのに、ねえ」

 

 合理的に考えれば剣鬼の死は百のメリットがあれど、一のデメリットしかないものだ。

 なのに、デメリットの方が気になってしまい、胸を痛めてしまう。

 境界の賢者と呼ばれ、多くの物事を知っているつもりだった。

 だが――知っていても、わからないことというのは存外に多いのだと、紫は理解した。

 ……剣鬼に教えられたと認めるのは癪なので、絶対に口には出さないが。

 

「わかったわ、受けましょう。幻想郷の管理者ではなく、八雲紫個人としてあなたをサポートしますわ」

「……ん、感謝する」

 

 剣鬼は頼みを引き受けてくれた紫に頭を下げる。

 

「では、行きましょうか。まずはどちらへ?」

「おう。――傷の手当したいからお前んとこ頼む」

「……あなたって、本当にアレよね」

 

 いきなり身も蓋もないことを言い出した剣鬼に紫は肩の力を落とし、スキマを開くのであった。

 

 

 

 

 

「……あ、そうだ。藍はどうするつもり?」

「は? 面白くなってりゃ斬るに決まって――」

「藍に出かけておくよう指示しておくからちょっと待ちなさい」

「えー」

「えー、じゃない! 手塩にかけて育てた私の藍にちょっかい出されてたまるもんですか!!」

 

 

 

 やはりこいつは死んだ方が私の精神衛生上マシだ、と紫は先ほど感じた胸の痛みを気の迷いだと断じるのであった。




紅魔館編はこれにて終了です。その後のお話はエピローグに乗せるかもしれません。

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