剣鬼の歩く幻想郷   作:右に倣え

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人間と巫女と剣鬼

 話しながら移動していたため、青年はいつの間にか博麗神社の階段前まで来ていたことに気付かなかった。

 

「え、あ、もうですか?」

「だいぶ歩いたぞ。足、大丈夫か?」

「あ、はい。大丈夫です……痛っ!?」

 

 剣鬼との会話が予想以上に楽しく、熱が入ってしまっていた。そのために歩いている最中は特に痛みを感じていなかったが、今になってひどくなってきた。

 

「休憩もなしに歩いてきたから当然っちゃ当然か……」

「す、すみません……」

「話に付き合ったんだから俺も同罪だ。さて、その様子じゃ階段を登るのは難しいだろうな」

 

 青年が見上げてもなお終わりが見えないほど長い階段だった。ここに住んでいる巫女さんは大変ではないのだろうか、とぼんやり思う。

 

「ふむ……一応試すか」

 

 剣鬼は顎に手を当てて思案していたかと思うと、腰にぶら下げている瓢箪を青年に手渡す。

 受け取ったそれはちゃぽんと水の音を中で響かせる。どうやら中は満たされているようだ。

 

「酒が入ってる。一口、舐めるぐらいでいいから飲んでみろ」

「酒ですか?」

「ああ。一気には飲むなよ」

 

 このタイミングで何でこのような行動を取るのか。気にならないわけではなかったが、青年は言われた通りに瓢箪に口をつける。

 漂ってくるのはアルコールの強い香り。どうやら相当に度の強い酒らしい。

 友人付き合いなどで飲むことも殆どなかった青年は慎重に、本当に慎重に一口舐めて口に含む。

 

「……っ、っ!?」

 

 口の中で炎が燃え盛るようだった。アルコールそのものではないかと思ってしまうほどの強さ。

 むせ返りそうになりながらも、どうにか喉の奥に流し込む。口腔から喉まで、焼け付いて感覚が麻痺してしまいそうな酒だった。

 

「な、なんですかこの酒!? どれだけ強いんですか!?」

 

 味も何もわからなかった。吐き出さなかったのが奇跡だと内心で自画自賛しつつ、青年は受け取った瓢箪を剣鬼に返す。

 

「度数は知らん。ともあれ、飲んだな」

 

 青年が飲んだものと同じ酒を、剣鬼はグビグビと飲み干していく。妖怪にしたって酒に強すぎるだろうと戦慄していると――

 

「え、お、おぉ!?」

 

 酒が胃の中に流れ込んだ瞬間、口の中だけに存在した熱が全身に伝播し、火でもついているのではないかと錯覚してしまうほど身体が熱く、力が漲っていく。

 怪我の痛みも何もかも消え失せたような開放感。こんな感覚を味わったのは生まれて初めてだった。

 

「ふむ、効果はあったみたいだな。足の痛みはあるか?」

「ないです! 治ったんですか!?」

「気が昂揚して一時的に麻痺しているだけだ。ともあれ、階段は登れそうだな」

「もういくらでも登れそうな気分です!」

 

 気が大きくなり、無性に走り出したくなるような万能感に包まれていた。今ならスキップで階段を登れそうだ。

 

「人間相手なら賦活作用のある酒だ。興奮剤の役目も果たすから、痛みも紛れる。……反動はわからんが多分ない……はず」

「早く行きましょう! もう動きたくて動きたくて仕方ないです!」

 

 ぼそっと呟いた剣鬼の言葉は、青年の耳には届かなかったようだ。知らぬが仏の内容でもあったが。

 

 気分が昂揚し、今すぐにでも走り出したい青年をなだめながら、剣鬼は階段を登っていく。

 落ち葉が残っている箇所がそこかしこに見受けられる。どうやら今代の巫女は神社業務に真面目な方ではないようだ。

 以前に幻想郷に戻ってきたのが数十年前なので、あれから二代、早ければ三代は代替わりをしているだろう。

 

(……どうでも良いか)

 

 考えるのが面倒になってきたので、剣鬼は思考を打ち切る。会えばわかるし、今回の要件は隣の青年を外の世界に送り返すことだ。

 

「あまり張り切り過ぎるなよ。いつバテるかわかったもんじゃねえ」

「大丈夫ですよ! こんなに活力が漲っているのなんて初めてなんです!」

「だから危ねえって言ってるんだ……」

 

 初めてのことならペース配分などわかるはずもない。やはりあの酒を飲ませたのは失敗だったかと思い始めた時だった。

 

「――」

「どうしたんですか?」

 

 ある程度階段を登り、踊り場まで来た時だ。剣鬼が上を睨んだまま動かなくなったため、青年も気になって足を止め、同じ方向を見る。

 

「……はぁ。全く血の気が多い」

 

 青年の目には何も見えないが、剣鬼には何かが見えたらしい。ため息と共に、眼差しを鋭くする。

 

「は?」

「下がってろ」

 

 え、と青年が聞き返す前に、二人の間に何か細いものが突き刺さる。それが針であると気付き、自分たちに襲いかかってきた誰かがいることを青年は理解する。

 

「う、わっ!?」

「落ち着け。足の傷に響かないようにゆっくり下がれ。向こうさんの狙いは俺だけのようだし」

 

 いきなり物騒なものが降ってきたので狼狽した青年だが、剣鬼の平時と変わらない言葉にいくらか落ち着きを取り戻す。

 この妖怪がよくわからない何かを持っていて、少なくとも自分では対処できない妖怪を一蹴した。それは揺るがない事実だ。

 であれば、剣鬼の判断に一任してしまった方が、素人判断で動くよりは安全だろう。

 

「だ、大丈夫ですか?」

「さて、どうなるか……」

「ちょっと!?」

 

 そこは嘘でも大丈夫だ、問題ないぐらいは言って欲しかった。

 ともあれ青年はすでに選択権を剣鬼に委ねた状態だ。自分にできることは下がること以外にない。

 そう考え、それでもいつ針が降ってくるかわからないことに、空を見上げてビクビクしながら慎重に下がっていくと――

 

 

 ――空を飛んでいる少女がいた。

 

 

「女の子……?」

 

 逆光を浴びているため服も顔も何もわからないが、それでも棚引く髪の長さから少女であると判断することは出来た。

 

「巫女だって言ったろ? あれがそうなんだろう」

「襲ってきたのに!?」

 

 なんておっかない巫女だ。まだ言葉も交わしていないがすでに苦手意識が生まれてしまった青年だった。

 

 幻想郷でのトラウマがまた一つ増えてしまった青年を他所に、剣鬼は空を飛ぶ少女を見上げ、目を細める。

 青年は光で見えないだろうが、剣鬼は一応妖怪の端くれ。五感は常人より優れていた。

 巫女というよりは紅白のおめでたい服に袖をオシャレで着けただけの少女にも見えるが、その身に宿る霊力は尋常のそれではない。

 先ほどの針投げのことといい、まだ年若い少女ではあるが、それなりの力はあるようだ。

 

(……ふぅん)

 

 おおよその見立ては一瞬で終わった。どうやら知り合いの彼女(・・)は自分と相対している少女に、剣鬼のことをまだ伝えていないようだ。

 単純に忘れていたか、それとも彼女と会うはずがないと高をくくっていたか。おそらくは後者であると剣鬼はあたりをつける。

 

 さすがの彼女も――博麗の巫女を躊躇なく殺すかもしれない存在を、伝え忘れるなんてことはないだろう。もしそうだったら徹底的に弄り倒す所存だが。

 ともあれ、剣鬼の方針は定まった。後は行動に移すだけである。

 

「ずいぶんとご挨拶じゃねえか。俺は見ての通り――」

「うるさい。人間じゃないのはわかってるわよ」

「…………」

 

 一応ごまかそうとしたのだが、空をフワフワと飛んでいる少女の返答はにべもないものだった。

 

「妖怪っぽくないけど、人間にも見えないから、多分妖怪なんでしょう。そこの人もなんか様子がおかしいし……とりあえずあんたをぶっ飛ばせば解決するでしょ」

「……こいつに酒を飲ませたの失敗だったな」

 

 彼女の視点で見れば、怪しげな人間とは思えない男性と、その隣を異常に興奮した状態で歩く松葉杖の人間の二人組だ。

 とりあえずぶっ飛ばそうという発想に至るのも理解できる。剣鬼だって逆の立場ならそうするだろう。

 

「仕方ない……。お前さんはそこを動くな!」

 

 対処は避けられない。それを悟った剣鬼は青年に対して動かないことを命じて、階段を軽快に駆け上り始める。

 

「遅いわね。本当に妖怪なのかわからないくらい」

 

 剣鬼の動きが自分の知っている妖怪と比べて、あまりに鈍いことにいくらか眉を潜めながらも、少女は空から降りることなく袖から取り出した札を投げつける。先程は松葉杖の人間が近くにいることも考えて威嚇に留めたが、今度は当てる軌道だ。

 どうやら空を飛ぶ手段もないようだし、感じられる妖力もほぼ無いに等しい。少女の札ならば、問題なく痛めつけることができるだろう。様子のおかしい人間の話も聞かないといけないから、殺すつもりまではなかった。

 

 しかし、そんな少女の未来予想は簡単に覆される。

 

「さぁて……」

 

 剣鬼が階段の途中で足を止め、振り返って少女を見据える。

 それだけで――世界が変わった。

 

「え――」

 

 投げた札が力を失い、地面に落ちる。ハラリと地面に落ちたそれは、縦に両断されていた。

 

「いつの間に――」

「考えてる暇があるか?」

 

 自身の攻撃が防がれたことに驚愕する少女に、剣鬼はニヤニヤと笑いながら階段に仁王立ちする。

 

「戦うために場所を変えた、とでも思ったか? 残念。俺が嫌ったのはあそこの人間が万に一つの巻き添えを食らうことだけだ」

「ずいぶんと自信満々じゃない。どんな能力か知らないけど、攻撃を防いだだけで強気に出るなんてずいぶんと愉快なのね」

「くははっ、俺が何をしたかもわからないってか」

 

 嘲るような笑いだった。口では笑っているものの、剣鬼の目は笑っていない。そこにあるのは――失望にも似た諦観の色。

 

「……ムカつくわね、その目」

「そうかい。俺もお前さんにゃ腹が立ってるよ。――こんなものか、博麗の巫女」

 

 

 

 その言葉が聞こえた時、青年は少女と剣鬼の戦い……と呼べるのかはわからないやり取りを眺めていて――

 

 ――呼吸が止まった。

 

 腕が斬られた、足が斬られた、腹が抉られた、横薙ぎに斬り飛ばされた、唐竹割りに両断された、袈裟懸けに斬られた、逆袈裟に斬られた、――首が落ちた。

 

「あ、ひっ……!?」

 

 酒の興奮作用など消え失せた。青年は松葉杖を取り落としたことすら忘れ、その場にへたり込んで己の首を触る。

 ――良かった、無事にある。

 

「な、にが……」

 

 起こったというのか。青年はわけもわからないまま、力のない人間として怯えようとして、思い出す。

 この感覚はすでに一度味わったことがある。あの時のそれも自身が呼吸を忘れてしまうほどのものだったが、あれは児戯のようなものであったと悟る。

 

 これは、剣鬼という妖怪が発している威圧なのだ。

 

「こん、な……!!」

 

 妖怪でも、人間には勝てなかったというのか。こうして相対していなくても、身体全てがバラバラに斬り飛ばされてしまうのではないかと思ってしまうほどの気迫。

 

「……何よ。いきなり睨んじゃって。何か変なことでもしたの?」

(ええっ!?)

 

 青年はまたも仰天する。余波を受けているに過ぎない自分でさえこの有り様だというのに、渦中にいるであろう少女は声音を変化させることすらしていなかった。

 

「お前さんが感じないのも無理はないさ。――もう終わった」

 

 威圧を発している剣鬼の声も、少女の在り方に驚くものではなく、常と変わらぬ平坦なもの。

 勝利をすでに確信しているような剣鬼の言葉に、青年が訝しむ。すると、次の瞬間だった。

 

「え?」

 

 そんな気の抜けた――これまで相対していた厳しい声とはまるで毛色の違う、普通の女の子のような声を空を飛ぶ少女が出す。

 

 何事か、と青年が威圧感の中どうにかこうにか顔を上げると、ヒラヒラと布が二枚落ちてくるのが見えた。

 一枚が目の前に落ちてきたので確かめると、どうやら袖口の部分のようだった。

 中には札やら針やらが仕込まれており、先ほどの威嚇もこれを使って行われたのだと青年は推測する。

 つまり、どうやったのかというタネはわからないが、剣鬼は少女の両袖だけを狙って切断したらしい。

 

「さて、詰みだ」

「が……っ!?」

 

 剣鬼が手を少女の前にかざすと、青年の身体を取り巻く威圧感が霧消する。身体が軽くなった感覚すら覚えるが、それと同時に青年が見上げていた少女が苦しそうに喉を押さえ、身体が徐々に地面に近づいていく。

 やがて、少女は剣鬼の前にひざまずくように降り立つ。青年の視点から見たら何が何だかわからないが、剣鬼が何かやったというのだけは明白だった。

 

「こ、の……!」

 

 苦しそうな声を出しながらも、少女の声から闘志は消えていなかった。だが剣鬼はそれを意に介することなく、少女に手を伸ばす。

 殺す気だ。青年は直感して声を上げて止めようとするも、間に合わず剣鬼の手が少女の頭に――

 

 ポン、と置かれて終わりだった。

 

「は……?」

「別に殺すつもりはねえよ。話をしたいだけだ」

「話……?」

「おう。――まあ場所を変えて神社でやるか」

 

 それだけ言うと、剣鬼は少女の頭から手をどかし、さっさと階段を登って行ってしまう。

 青年と少女はそれを呆然と見送ることしか出来ず、

 

「何なのよ一体……」

 

 少女の口からこぼれた言葉に、青年は心の底から同意するのであった。

 

「えと、大丈夫かしら? あなた、あの妖怪と一緒に行動していたみたいだけど……」

 

 やがて、このままでは埒が明かないと判断したのだろう。少女が青年の方に近寄り、声をかけてくる。

 いきなり針を投げてくるわ、行動を共にしていた剣鬼に襲いかかるわ、青年の方から少女に対して良い印象は持てなかったが、それでも口を開く。

 

「え、ええ……。大丈夫です。外来人、でしたっけ? で迷い込んでしまった自分を助けてくれて……」

 

 青年から見た剣鬼は決してお人好しではないが、自分で決めたことには非常に真摯なタイプに見えた。

 青年個人を助けたいと思ったのではなく、たまたま通りがかったところに襲われていた人間がいたから助けた、程度の認識だろう。

 それでもこうして外に帰るまでの面倒を見てもらっているので、青年としては感謝こそあれど文句はない。

 

「ふぅん……じゃあ早とちりだったのかしら……。さっきは悪かったわね。一応、あの妖怪に脅されているとか操られているとかの線も疑わないといけなかったから」

 

 サバサバと謝る少女に青年も毒気を抜かれてしまう。理由も説明してもらったので、あの行動にも納得ができてしまった。

 

「立てる? 松葉杖が転がってるけど」

「……すみません、ちょっと手を貸してください。さっきのやつで力が抜けて……」

「……ま、あれに当たったなら仕方ないか。境内までもう少しだから頑張りなさい」

 

 少女の手を借りてどうにかこうにか立ち上がり、松葉杖をついて再び階段を登り始めるのであった。

 

 

 

 剣鬼は一人で階段を登り終えてしまうと、近くにあった灯籠にもたれかかり、欠伸をする。

 

(ま、巫女なら人間を無碍に扱いはしねえだろ。あとは事情を説明してもらって帰せば俺の役目は終わりだ)

 

 ようやく剣鬼も幻想郷に来た本来の理由を果たせるというものだ。青年を拾ったのは紛れも無く偶然だが、幻想郷に来たこと自体は剣鬼の意思でもあった。

 数十年は来ていなかった幻想郷であり、変化もあっただろう。冷やかしに見て回るくらいなら悪くないかもしれない。

 外の世界では文明の発展も進み、いよいよ幻想の居場所がなくなりつつあった。あと十年もすれば、本格的に妖怪の住める場所は幻想郷しかなくなるかもしれない。

 

「終わりが近いってことか……」

 

 自分も後どのくらい生きられるのやら。剣鬼は残り少ないであろう己の命について思いを馳せる。

 

「頂は未だ遠く、我が道も途上也……。次は何を斬ろうか」

「ずいぶんと物騒なことつぶやいてるじゃない。やっぱり退治した方が良かったかしら」

 

 剣鬼のつぶやきに反応が返ってくる。首を傾けると、袖をなくした少女が青年と共に階段を登ってきていた。

 

「退治したきゃ、もっと準備を綿密にするこった」

「ふん、次からはそうするわよ。……で、こっちの人からだいたい事情は聞いたけど、この人を外に帰せばいいの?」

「おう。それで俺の要件は終わりだ」

「……本当にこの人を外に出すだけなのね」

 

 警戒したようにこちらを睨む少女にくつくつと笑いをこぼす。

 

「何笑ってんのよ」

「別に。こんな時に嘘はつかねえよ。今の俺が一番困るのはそいつが外の世界に帰れないことだけだ」

「剣鬼さん、大丈夫でしたか?」

「傷一つねえよ。それより、あっちを見ろ」

 

 剣鬼は青年に対し、一つの方向を指差す。そこには先ほど登ってきた階段の側にはなかった鳥居と、その奥に下る階段があることがわかった。

 

「ここは幻想郷と外の世界、両方に跨っている場所でな。鳥居のある側の階段の先に、外の世界が繋がっている」

「……じゃあ、帰れるんですね」

「ああ。そこの紅白が結界を解除すれば、向こうはもう外の世界だ。携帯も通じる」

「紅白言うな。私は博麗霊夢って名前があるのよ」

 

 少女――霊夢がムスッとした顔で言うが、剣鬼は取り合わない。

 

「結界ですか?」

「この場所が外に知られないためと、妖怪が消えないようにするための結界だ。細かいところは俺も覚えてないから聞くな」

「あ、はい」

 

 知識があるようでない。ライト兄弟の話といい、世界で偉人と呼ばれる存在や人間の偉業については事細かに覚えていそうだが、それ以外のことに関してはかなり適当そうだ。

 

「ともあれ、お前は紅白が結界を解除したところを通れば、問題なく帰れる。それだけわかっていれば良い」

「わかりました。剣鬼さん、本当にお世話になりました」

「だから礼なんていらんと……まあいいか、お前さんがそう思うならそれでいいさ」

 

 訂正するのも面倒だと言わんばかりにおざなりに手を振る剣鬼。紅白と呼ばれたことで霊夢がまた顔をしかめるが、そちらも無視。

 

「そんじゃ紅白、後は任せた」

「紅白言うな。……で、階段登ってる時にも聞いたけど、本当に帰るのね?」

「はい。お願いします」

 

 青年が霊夢に頭を下げると、霊夢は無造作に鳥居へ手をかざす。

 すると、何もなかったはずの鳥居の下に円状の空間が現れる。空間の向こうには今まで見えていた景色と何ら変わらない光景が広がっていたが、青年はこれまで自分が生まれ育ち、慣れ親しんだ空気をその先に感じ取る。

 すなわち――青年の帰るべき場所である。

 

「じゃあ、剣鬼さん。どうか壮健で」

「やめとけやめとけ。人間が妖怪の健康を祈るなんてやるもんじゃない」

 

 最後まで剣鬼は変わらず剣鬼だった。こちらを気遣っているようで、その実自分の考えにしか従っていなかった妖怪。

 微かに笑って、青年は空間を潜ろうとする。その時だった。

 

「……未知を恐れるな、恐怖に立ち向かえ」

「え?」

「人間が持つ最強の力だ。それを持つ相手に妖怪は決して勝てない。……ま、妖怪の戯言だ。どう使うかは好きにしろ」

 

 剣鬼の静かな激励。人間の力を誰よりも信じている妖怪の言葉に青年は力強く頷き、今度こそ空間の向こうに消えていくのであった。

 

「……で、いなくなったけどあんたはどうするの? 今から私が武器を準備してくるから、ここにいて欲しいんだけど」

 

 青年と剣鬼のやりとりを見送った霊夢が不機嫌そうな顔で聞いてくる。

 剣鬼は青年が去ったのを見て、一気に気怠げな表情になって瓢箪の酒をあおっていた。

 

「あー、疲れた。自発的な人助けとか久しぶりだったわ」

「……あんた、今みたいなことよくやってんの?」

「やるわけねえだろ。今回がたまたまだ」

 

 好き勝手に生きている自覚はあるので、自分のやったことで誰かが結果的に助かったことはあるかもしれんが、今回のように自分から関わって人を助けるのは滅多にない。

 

「さて、俺はもう行くぞ。俺を倒したきゃもうちっと腕磨いとけ紅白」

「大きなお世話よ」

「つまらん。――本当につまらん」

 

 やや失望の色すらにじませて、剣鬼は霊夢に背を向ける。

 

「あ、ちょっと待ちなさい」

「なんだよ」

「昨日の夜、結界が不自然に揺れたのよ。何か知らない?」

「いや、結界に関しちゃ門外漢だ。知らん」

「……そう。行っていいわよ」

「言われんでも」

 

 人里の方へ続く階段を降り始め、振り返っても神社の境内が見えなくなる辺りまで降りたところで、剣鬼は大きくため息をつく。

 

「楽しめそうだと思ったのは錯覚か……。俺もいよいよ耄碌したかね」

 

 霊夢から磨けば光る資質を感じたのは確かだ。

 だが、それだけである。才能という絶対値で見れば、霊夢以上の存在だって人類の歴史にはチラホラ存在した。

 それに何より――彼女の精神性が気に食わない。

 

「俺が直接ぶつけた気じゃないと効果がなかった。ありゃ精神が逸脱してやがるな」

 

 暖簾に腕押ししているような気分だった。剣鬼の威圧を受けて大丈夫なのは武芸の達人か、あるいは相応の積み重ねをしたものだけだ。

 だが、霊夢はそれを何の努力もなしに可能にしている。それが心底腹立たしかった。

 恐怖がないということは、恐怖に抗う勇気もないということである。

 人間が持つ最も大きな力を投げ捨てているに等しい霊夢を、剣鬼は好きになれそうになかった。

 

「……まあいい。邪魔しないんなら放置だ放置」

 

 もはやあの巫女に興味はなかった。死ぬも生きるもどうでも良い。それより今は自身を呼び出した知り合いに会うことを考えよう、剣鬼は思考を切り替える。

 すでに自分が幻想郷に戻ってきているのはわかっているだろう。だったらどうして接触して来ないのか、と剣鬼は考えようとして、面倒臭くなってやめた。

 

 呼び出したのは彼女の方なのだ。だったら自分はどっかり構えて、向こうが会いに来るのを待った方が良い。さしあたっては、とりあえず人里でメシでも食おう。

 今後の行動が決まった剣鬼は、一人の気楽さを噛み締めながらのんびりと人里へ向かうのであった。




 青年フェードアウト。これからは剣鬼が中心で物事が動いていきます。

 そして狂キャラ呼ばわりは伊達じゃありません。剣鬼という名前の通り、剣以外何も出来ませんが、斬ることだけは誰にも負けません。あと、まだ抜刀はしてませんのであしからず。



 剣鬼は割りと人間を絶対視しているフシが有ります。知略を振り絞り、勇気を持って恐怖に打ち勝つ。そして短い命の間に、己の能力を磨き上げる努力を重ねていき、自立していく存在。
 そんな人間を愛するが故に、逆説的に言えばそうじゃない人間は彼にとって興味の対象外です。

 なのでぶっちゃけると霊夢との性格的相性はかなり悪いです。悪いですが、剣の鬼を名乗る存在に気に入られても百害あって一利なしです。その点で言えば霊夢は紛れも無く幸運な方です。

 そして剣鬼の知り合い……一体何紫なんだ……(適当)

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