剣鬼の歩く幻想郷   作:右に倣え

20 / 21
月の勢力の思惑も書く、紫らの思惑も書く、渦中にいる剣鬼はそんなこと知らんと斬るだけ。
それでも書いていたら結構な文量になりました。普段の倍近くありますのでご注意を。


閑話 剣の鬼は月に降り立つ

「月に侵略ぅ?」

 

 盃を傾けながら、剣鬼は机の向こう側にいる相手を怪訝そうに見やる。

 

「とうとうボケたか、スキマ」

「これだから自分の狭い世界に生きる男は。世界は広いのですわよ?」

 

 扇子で口元を隠しながらも、嘲笑していることがありありとわかる少女――八雲紫は、酒を飲み続ける剣鬼を愚かな男と嗤う。

 

「私たち妖怪の勢力圏が徐々に、本当にゆっくりとであるけど狭くなりつつある。それはあなたもわかっているでしょう」

「知らん。ここ数年は山にこもって剣を振っていた」

 

 だからこうして神便鬼毒酒以外の酒を呑むのも久しぶりなのだ。一人で楽しみたかったところを紫に邪魔された形になるため、剣鬼の機嫌はあまり良くなかった。

 しかしそれは紫も同じだったようで、自分の話を理解する姿勢を見せない剣鬼に紫は微かに目を細め、不快感を表す。

 

「……まあよろしいですわ。あなたに私の話が理解できるとも思えませんし」

「その俺に理解させなきゃ月に向かわせるのは無理なんじゃねえか?」

 

 こちらを見下す紫を揶揄するように笑い、酒を呑む。神便鬼毒酒もあれはあれで美味いのだが、たまには別の酒も呑みたくなるのだ。

 

「俺を動かす方法なんてわかりきっているだろ。それを真っ先に言わないのはお前の個人的趣味以外の何物でもないだろうが」

 

 物事を迂遠に言い、話を複雑にすることを好む紫の話し方が剣鬼には気に入らなかった。

 今回の話に限って言えば、どう取り繕ったところで紫は剣鬼を月に行かせたいという目的に収束するのだから。

 最初から頭を下げてお願いする――誠意を見せるなら剣鬼も相応に誠意を返すというのに、この賢しい妖怪はなかなかそれを理解しない。

 

「……こちらが頼む側ですからね。そこは譲りますわ。ですが少々、月に関しては講釈を述べさせてもらうわよ」

「いらん。俺の質問に一つ答えてもらえればそれでいい」

「……何かしら」

「――勝てるのか?」

「……ええ。あなたと違って、勝ち目のない戦いをする趣味はありませんもの」

 

 嘘だな、と剣鬼は内心で紫の言葉を否定する。

 根拠があるわけではないが、彼女の言葉にはあまりに重さが足りない。

 先ほど少しだけ話していた妖怪の勢力圏の話から考えるに、妖怪側からすれば乾坤一擲の大勝負のはずだ。

 その割に紫の態度には追い詰められた者特有の焦燥感というものが感じられなかった。

 

(となれば、これは勝つための勝負じゃない。さて、そんな戦いに俺を誘うってことは……)

 

 目的もある程度絞れるというものだ。少なくとも紫の言葉は信じない方が良いだろう。

 だが――

 

「……まあいいさ。山で剣を振るのにも些か疲れたところだ。たまには刺激が欲しい。月への侵略とやら、付き合ってやるよ」

 

 剣鬼は紫が嘘をついていることを見抜いた上で、彼女の提案に乗ることにした。

 もしも剣鬼の推測が外れ、彼女が本気で月を攻めようとしているのであれば、末期戦特有の血で血を洗う戦いが楽しめる。

 これが剣鬼を殺す罠でしかなかったとしても、その罠を踏破する楽しみが出来る。

 どちらに転んでも楽しいのは間違いないはずだ。

 

「――助かりますわ。あなたの力があれば百人力。きっと月面侵略も無事に終わるでしょう」

「おだてても何も出ないぞ」

 

 無事に終わると言う辺り、本人はこの侵略が成功するとは微塵も思っていないようだ。

 むしろ侵略以外の目的があることがありありと伺え、剣鬼はこの誘いを罠であると考えることにした。

 

 ――人を罠にハメるのだから、多少は大きく出てもバチは当たらないだろう。

 

「この借りは大きいぜ? 覚えておけよ」

「ええ、もちろん。鬼を相手に約束を破るほど命知らずではありませんわ」

 

 どの口が言うか、と内心でツッコミを入れながら剣鬼は盃に新たな酒を注いでいくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 指定された場所に剣鬼が到着すると、頭頂部に二つの山――まるで獣の耳でもそこにあるような――が出来た帽子を被った道士服の少女が待っていた。

 

「フン、来たか。下郎」

 

 少女は剣鬼の姿を見つけると、苦虫を噛み潰した顔で吐き捨てるように口を開く。余程嫌われているようだが――

 

「……? どこかで会ったか、俺ら?」

 

 剣鬼には見覚えがなかった。冗談やからかいなどではなく、本心から首を傾げて不思議そうな顔をする。

 

「貴様は……! 忘れたとは言わせんぞ、この九尾を見て思い出さないか!!」

「……ああ! スキマの式だったなお前! いやぁ、襲われることなんて日常茶飯事だしすっかり忘れてたわ」

 

 この時代はまだ妖怪の勢力もそれなりに保たれている時代だ。妖怪の縄張りだろうとお構いなしに踏み入っていく剣鬼は、それなりに喧嘩を売られることも多かった。

 

 ――無論、その殆どを斬り捨てて今に至るわけだが。

 

 ともあれ、剣鬼は八雲紫がだいぶ前に式に加えたという少女――八雲藍のことを思い出す。

 

「確かあいつに代わって邪魔者を倒そうとしたんだったな。どうだ、あれから少しは腕を上げたか?」

「貴様……ッ!!」

「っくくく、ここでお前とおっ始めるのも楽しそうだ」

 

 藍から溢れる殺気を受けて、剣鬼は心地良さそうに笑う。

 それを見た藍は自分がどんな対応をしてもこの男を喜ばせるだけだと気づき、深呼吸を一つ入れて意識を切り替える。

 

「……ここに来たということは、紫様の頼みを聞いて月面に向かうということだな」

「おう。俺以外の連中はどこに?」

「すでに向かわせてある。紫様のありがたいお言葉とともにな。お前には必要ないと仰っていたが」

「そりゃそうだ。俺、今回はあいつ信じてねえし」

「……ッ!」

 

 ギリ、と微かに歯軋りの音が藍の口元から聞こえてくる。主思いなことだ、と剣鬼は内心で辟易する。

 

 もともと剣鬼と紫との間に信用などあってないようなものだ。

 紫が持ってくる話がだいたい厄介事に繋がっている点は信じているが、それ以外の彼女の口から語られる内容は八割以上情報操作されていると考えた方が良い。

 とはいえ、それは向こうも同じである。剣鬼が紫を信用しないように、紫も剣鬼を信用はしていないだろう。要するにお互い様である。

 

「ま、そこはどうでもいいさ。アテもなくうろつくくらいなら、月を見に行くのも悪くない」

「……ではこれよりお前を月に運ぶ。そこの泉に身を投げろ。紫様から譲渡されている力でお前を月に運ぶ」

 

 藍の顔から感情の色が消える。私情を排し、主から頼まれた仕事に全力を注ぐつもりなのだろう。

 しかし、先ほどまでの激昂など見る影もない無機質な表情になった時点で、剣鬼には彼女が無理をしているのが手に取るようにわかった。本当に公私を区別するのなら、最初からそうしておけば良いのだ。

 

「わかったわかった」

 

 剣鬼は藍の様子に微笑ましさすら覚えつつ、彼女の言う通り満月を映し出している泉に向かって歩き、微塵も躊躇することなく身を投げ出す。

 月光を反射する水面が迫り、剣鬼の視界は湖面の月で埋められていく。

 金色とも、白銀とも言い表せない色に輝く月を見て――次の瞬間には固い地面に着地していた。

 

「っと」

 

 意外と固い地面の感触にほんの少し驚く。月の地面は結構固いようだ。

 足場を確かめた剣鬼は周囲を見回す。自分の後ろにあった青い星に目を奪われるも一瞬。次の瞬間には視界全体を埋めるように大小様々な妖怪が蠢く一角を見つけていた。

 

「ふむ……」

 

 これから自分も混ざって進むことになる妖怪の集団を見定めるように、剣鬼は視線を鋭くする――が、すぐにそれは気怠げなものに変化した。

 

(――強いのはいない。ま、ある程度目端の利くやつならこんな怪しいもんに首は突っ込まないか)

 

 強ければ相応に頭も回ることが多い。そして頭が回るものなら、紫の唱える月面侵略がどれほど怪しいのかすぐに理解できる。

 

(……まるで間引きだな)

 

 自分の目的の邪魔になる、なりかねないものを先手を打って排除する。紫の行いからは、そんな意思が透けて見えた。

 

 紫の姿はない。彼女は後ろで指揮でも取るつもりだろうか。

 ……いいや、集められた連中は自分含めて他人の言うことを素直に聞く性格ではないだろう。高みの見物をしている可能性の方が高い。

 

 血気に逸る妖怪たちの群れに、剣鬼も静かに紛れ込む。

 月を奪ったら何をしてくれよう、月の住民は美味いだろうか、などと言った話で盛り上がっている妖怪をどこか冷めた目で見ながら、剣鬼は自分の死に時を考え始めていた。

 どうせ帰り道などないに等しいのだ。せめて月の住民が相応に強いことを祈りながら玉砕するのも、自分の終わりとしては悪くなかった。

 

「――」

 

 と、その時だった。剣鬼の視界が空に浮かぶ何かを捉える。

 他の妖怪たちも気付いたのかそちらに視線が向かい、次の瞬間には困惑したような声が広がっていく。

 そう――空に浮かぶ巨大な船があったのだ。

 

 光の極端に少ない月面においてなお理解の出来る、黒い金属質の光を身に纏い、地に降りてきたのならこの場にいる妖怪たちなど残らず踏み潰されてしまうほどの巨大な戦艦だ。

 

「おっと、これはこれは……」

 

 周囲の動揺を他所に、剣鬼は興味深そうにそれを観察する。

 

(能力……じゃ、ないだろう。単一の能力で作るにはちと複雑に過ぎる。よしんば複数人で作ったにしても、あの大きさなら動かす人員が必要になるはず。――群れの力を引き上げる武器、と見るべきか)

 

 この場面において出てきた理由、その他もろもろの観点から戦艦の推察をしていく剣鬼。ある程度有力と思われる推測がいくつか立った時点で、戦艦の方も動きを見せる。

 

 ゆっくりと、これから行われる攻撃の威容を知らしめるように大仰に戦艦の一部が動き、細い筒のようなものがこちらに向けられる。

 

(パッと見の印象じゃ吹き矢みたいだが……この群れ相手にそんなもの使うか? まず最初にすべきは最大威力をぶちかまして鼻っ柱をへし折ること。俺がこいつらを倒す側ならそうする)

 

 ここは地上ではない。月は月の理由で動く。下手に思考を固定させては命を縮める結果にしかならないと判断した剣鬼は、目で見える情報ではなく自分の勘を信じることにした。

 付近にいた大柄な妖怪の背中に隠れるように立ち位置を変える。並大抵の攻撃なら多少は耐えてくれるだろう。一瞬で蒸発するようならその時はその時。

 

 そして――全てを滅する光が地上の妖怪たちを舐め尽くす。

 

 

 

 

 

 戦艦から発射された光が妖怪たちを呑み込んでいく光景を見ていた存在は大きく分けて二つ。

 

「あらあら、凄まじいものね。地上の生物が持つ穢れそのものを浄化する光。あれを受けて無傷でいられる――いえ、命を落とさない存在は地上にはいないわね」

 

 一つは八雲紫とその式たる八雲藍。光の射程から大きく離れ、安全圏と呼べる場所からスキマを開くことでその様子を眺めていた。

 

「あれを浴びれば私とて無事では済まない。やはり月に侵攻を仕掛けるのは無謀ね。彼らは私に貴重な情報をもたらしてくれました」

 

 光の中で足掻く間もなく命を散らしているであろう妖怪たちに、紫は何の気持ちもこもっていない感謝の言葉をつぶやく。

 もとより彼らは捨て石。捨て石が捨て石としての役割を全うしたとして、そこにどんな感慨を持つ必要があるというのか。

 

「では、撤退なさりますか?」

「もう少し待つわ。見たところ全部の妖怪を薙ぎ払ったわけではないし、多少は月の恐怖を知る者もいないと」

 

 紫の目的は剣鬼の予測通り、間引きだった。

 これから行う事業――人と妖怪が共存できる領域を作り出すにあたり自身の障害となる、もしくはその領域にそぐわない性格の妖怪を集め、一網打尽にする。

 これは地上では出来ないことだった。というより、紫の仕業であるとバレた際の危険が大きすぎた。少なくとも人と妖怪の共存など唱えられなくなることは確実である。

 

 だからこのような手法を取った。月への侵攻を隠れ蓑に消すべき妖怪を集め、勝ち目のない戦いに向かわせる。そうすれば彼らの死は彼ら自身の選択の結果であるとうそぶくことが出来る。

 何の間違いか月に勝ったなら、その時はその時で帰り道のスキマを開かなければ勝手に自滅するだろう。戻る手段は紫のスキマただ一つだけなのだ。それに頼ってしまっている時点で、彼らの死は必定と言えた。

 

「……あの男は」

「光に呑まれたわね。死んだかしら?」

「そうであることを心より願っています」

「藍ったら、本当にあいつが嫌いなのね。服を斬られて放置されたのがそんなに業腹?」

「当たり前です! あの男、私を路傍の石でも見るような目で……!!」

 

 他愛のない話に興じ、彼女らは自らの策が成ったことを信じて疑わなかった。

 

 

 

 

 

「第一射、着弾。続けて第二射の用意に入ります」

「そのまま続けろ。穢れをこれ以上持ち込ませぬよう」

 

 月の都。その中でも軍部に当たる場所において、二人の少女が指揮官としての役割を果たしていた。

 軍の最高責任者――綿月依姫は隣に立つ少女に話しかける。

 

「どう思います、姉上」

 

 政において辣腕を振るう少女は名を綿月豊姫と言う。

 仔細は省くが、彼女ら二人が妖怪の月面侵略に対して、矢面に立って戦う側の存在であることは確かである。

 

「そうねえ……体の良い押し付け、かしら」

「やはり、そう思われますか」

 

 彼女らもこの状況のおかしさにはとうに気づいていた。

 目的もほぼ理解できている。できているが――それでも月に穢れを持ち込むことだけは避けねばならないことだった。

 故に彼女らの取るべき行動はただ一つ。どこの誰とも知れない存在が連れてきたであろう、穢れの塊を浄化し尽くして清浄な月を取り戻すことだけだ。

 

「下手人は見つけられたら始末する。恐らく引き際も弁えているでしょうからあくまで努力目標。優先すべきは穢れを都に持ち込ませないこと。こんなところかしら」

「ですね。掌の上というのは業腹ですが、致し方ありません。そこは守る側のジレンマとしておきましょう」

 

 大雑把な方針を決めた二人は、改めて眼前の投影型のスクリーンを見据える。

 そこには穢れを浄化する光――生物が持つべき穢れを全て祓うため命も消えてしまう――をまともに受けて恐慌状態に陥っている妖怪たちの姿が映されていた。

 隠れ場所を求めるもの。錯乱して右往左往するもの。対抗できると勘違いし、気炎を上げるもの。千差万別の対応ではあるが、彼女らからすれば愚か以外の感想が持てないものだ。

 

「……ん?」

 

 その中で、依姫が一人の男に目をつけたのは果たして偶然だったのか。

 恐らく大きな妖怪の影に隠れたのだろう。ほぼ爆心地に近い場所に無傷で佇む男。

 他の妖怪たちに見られるような恐れも逸りもなく、ただただ喜色を満面に押し出すそれに依姫の背筋が粟立つ。

 

「あら、どうかした?」

「……第二射、発射急ぎなさい! 狙いは今しがた映った刀を持つ男!」

「依姫ちゃん?」

「私の杞憂ならばそれで構いません。ですが、あの男……」

 

 論拠など何もない、ただの勘。しかし、杞憂であればと願いながらも依姫は自身の勘が間違いではないことを心のどこかで確信していた。

 

「第二射、発射準備完了。撃ちます!」

 

 管制の玉兎が告げると同時、再び戦艦から光が放射される。

 穢れを打ち払う浄化の光。しかし清浄過ぎる光の渦中において生存を許されるのは、月の民だけであった。

 

 そう、あった――

 

 

 

 ――男が刀に手を添えた瞬間、浄化の光が縦に断ち割られるまでは。

 

 

 

「な……っ!?」

「管制、能力の使用は感知できたか」

「い、いえ! 何の予兆も感知できませんでした!」

「……当たって欲しくない予感ばかり当たるな」

「依姫ちゃん、能力の使用もなしに光を消すって出来ることなの?」

「光の性質を理解した上で、それのみを斬ることに専念すれば不可能ではありません。刀を振るって、斬る。結果はさておき、あの男が行ったことはそれだけです」

 

 依姫の目には男――剣鬼が何をしたかハッキリ見えていた。すなわち、純粋な剣術のみで彼が光を斬り裂いたことを見抜いていた。

 

「どうやれば被害を減らして勝てるかしら?」

「私が出るしかないでしょう。数攻めでもなんとかなるでしょうが、被害が読めない」

 

 光を斬る剣術の持ち主だ。あれが一発芸で終わる、と考えるのは楽観的に過ぎる。

 それに玉兎たちは実戦経験が皆無と言っても良い。優勢ならば問題なく動いてくれるが、向こうが反撃に出てからも同じ行動が取れるかどうか、怪しいところがある。

 

「良い実戦経験だと思ったんですけどね。ほぼ無傷で戦場の空気を学べるのはありがたいとすら考えていましたが、向こうも好きにはさせてくれないようだ」

 

 そう言って依姫は踵を返す。手に直刀を携えて、あの男を仕留めるために。

 

 

 

 

 

「ふむ……」

 

 そして渦中の存在である剣鬼は、苦もなく斬り裂いた光の感触を確かめる。

 

(やっぱ浄化、だな。俺が盾にした妖怪が血も何も流さず死んで、その上死臭すら残さず消えると来た。血の穢れや死の穢れ、そういったものを諸共に消し飛ばす代物か)

 

 初撃を生き残れたのは純粋に運が良かった。肉盾にした妖怪に多少の感謝をしておこう。

 

「あれさえ使えば俺たちは簡単に死ぬ。――だけど、あれだけで勝てると思われるのも業腹だ」

 

 一太刀。それで剣鬼の視界に映っていた戦艦は光を発する箇所が斬り取られてしまう。

 あるべきものがなくなり、行き場をなくした力が黒煙となって戦艦から立ち上る。

 

「存外に軽いな。その割に硬い。不思議な斬り心地だ」

 

 あの光と言い、やはり月の技術は地上のそれとは一線を画す――いや、文字通り次元が違うと言っても過言ではないのだろう。

 しかしそんなことは剣鬼にとってどうでも良かった。もう一度戦艦の攻撃を待ってやる理由もなし、返す刃で墜としてしまおうと刀を振るい――

 

 

 

 ――横合いから飛んできた斬撃によって、軌跡をズラされた。

 

 

 

「ほう?」

 

 両断する予定だった戦艦だが、軌跡をズラされたことにより一部が寸断されるだけになった。

 無論、それでも戦闘を続行するのは不可能な損傷を与えているが、剣鬼にそれを知る由はない。そんなことより自分の剣を防いだ存在だ。

 

 自身の刃が回避以外の方法で対処されることなど、久しぶりだった。

 剣鬼の前に一人の少女が直刀を片手に降り立つ。

 紫陽花を連想させる薄紫の髪を後頭部でまとめ、こちらを鋭い眼差しで睨む少女は剣鬼の方へ一歩近づく。

 

(こいつはヤバいな)

 

 剣鬼は自身の経験から来る直感――ではなく、生物的本能でその存在の脅威を理解する。

 勝つとか負けるという問題ですらない。蹂躙するかされるか。勝負という土俵に立つことすら許されない力量差。

 

「――地上の民にしては凄まじい技量ね。体勢を崩して終わらせるつもりだったのに、出来なかった」

「お褒めに預かり恐悦至極、って言えばいいのか? 完璧に防がれて嫌味にしか聞こえねえがな」

「完璧ではないわ。本当なら戦艦に傷一つ許すつもりはなかったもの。心底からの言葉よ? ――下賎な民の割によく研がれている」

 

 殺気。両者の周囲を取り巻く恐慌状態の妖怪たちが残らず黙るほど強烈なもの。

 しかし、その殺気を一身に受ける剣鬼は恐怖を浮かべることもなく、むしろ禍々しい笑顔を作る。

 

「っくっくっく、ずいぶんと物騒なもんをぶつけてくるじゃねえか。下賎な地上の民にそんな本気になっていいのか?」

「――勘違いしているようだけど、私は力の半分も出してないわ。この程度、私にとっては児戯のようなもの」

「そうかい。だったら――こいつは俺が勝てるものみたいだ」

 

 重圧。剣鬼の凶笑から発せられる殺意もまた、妖怪を押し黙らせる――永遠に。

 彼らを直視した者達は皆、あらゆる方向から放たれる架空の斬撃にその身を斬り裂かれ、命を終えていた。

 周囲の妖怪が次々と死んでいく光景に少女――依姫は顔をしかめる。

 

「穢らわしい。仮にも味方ではなくて?」

「ハッ、放っておいてもお前らが殺すだろうが。多少順番が前後しただけだ」

 

 尤も、彼女が血の穢れを厭悪していることはわかっていたので、ちょっとした嫌がらせも兼ねているのは事実だが。

 

「さて、話してばかりでも拉致があかない。――剣鬼だ。そっちの名はお前の敵になったら聞かせてくれ」

「そう。ではさようなら、下郎。気が向いたら名前も覚えてあげる」

 

 一閃。依姫の振るった刃を剣鬼も自らの剣で受け止め、戦いは始まった。

 

 

 

 

 

 強い、速い、巧い。まさにこれらの体現と言っても良かった。

 剣鬼の目に追えない速度。多少の打ち合いなら強引にぶち抜ける膂力。そして――技巧もまた、剣鬼と打ち合えるだけのものを備えている。

 

 勝負にすらならない。順当に強いものが、順当に勝つ。それだけの予定調和にすら見える攻防。

 すでに剣鬼は自身の血に塗れ、そんな剣鬼と打ち合っているにも関わらず返り血の一滴も浴びていない依姫。優劣は明らかだった。

 だが、剣鬼の目に恐怖はない。あるのはかつてない強敵と見えることの出来る喜びのみ。

 

 何より――勝ち目がない程度で諦めるほど、この男は殊勝な存在ではなかった。

 

(速度、膂力、どちらも桁違い。あんな細腕のどこにこんな力があるんだか。技に関しては経験の差を感じる。年季そのものが違うと考えれば筋は通る。――経験に差があるだけで、技量そのものは俺が上だ)

 

 猛攻に晒され、秒と気が抜けない激戦の渦中にいながら、剣鬼の口元には微かな笑みが浮かぶ。

 連れて来られた時は罠だの間引きだのごちゃごちゃ考えたが、今は感謝しかない。こんな強い奴と戦わせてもらえるなら、命の一つや二つ安いものだ。

 

「ハ――ハハッ、ハハハッ! 凄えなお前! こんなに強い奴となんて久しぶりだ!」

「あら、私と同等に強い存在が地上にいるのかしら?」

 

 気安い言葉とともに振るわれる刃が剣鬼の皮膚を裂き、肉に――届かない。

 徐々に、本当に徐々にであるが、剣鬼が依姫の剣を見切り始めたのだ。

 

「いいや? だけど、一番強い奴は人間だって思ってるんでね!!」

 

 一太刀。これまで通り依姫は苦もなくそれを避けて距離を取る。

 

「――届いた」

「……そのようね」

 

 しかし、これまでと違う点が一つだけ存在した。

 彼女の着ている服のスカート部分に切れ込みが入っている。

 すなわち、剣鬼の剣が初めて彼女に届いた瞬間だった。

 

「クククッ、どうやらお前さんも完全無欠ってわけじゃなさそうだ。下賎な剣でも斬ることが出来るみたいだしな」

「……認めない方が危険、か。いいでしょう。――力の片鱗を見せてあげるわ」

 

 裾が少し斬れた。言葉にすればただそれだけであり、実際に皮膚に剣を届かせられるかは別問題だ。

 だが、微かであっても自身に剣を奔らせたという事実が、依姫が持っていた地上の民という色眼鏡を壊す。

 

 順当に戦いが推移すれば勝つのは依姫であるという確信は揺るがない。それは剣鬼にも共通している認識だ。

 そして――順当に動かなければ、勝敗はわからなくなることも依姫は理解していた。

 万に一つ、億に一つ、兆に一つ、あるいは那由多の彼方とも呼べるほどのものかもしれないが――確かに存在しているのだ。

 

 依姫が直剣の刃を額に当てるように構え――空気が変わる。

 

「っ!!」

 

 戦いの最中で驚愕に身を固めることがどれほど危険であるか、骨身に染みて理解している剣鬼であっても瞠目してしまうほどの変化。

 

(本気を出した、なんて生易しいもんじゃないぞこれは。もっと根本的な部分が違う。まるで――彼女の身体に彼女以外の誰かがいるみたいだ)

 

「綿月依姫。喜びに打ち震えなさい。この――祇園様を降ろした私の手にかかることを!」

 

 

 

 

 

 刃の嵐が吹き荒び、剣鬼の立つ場所を蹂躙せんと暴れ狂った。

 

 

 

 

 

 暴威の蹂躙に呑まれる直前、剣鬼は限界まで開かれた双眸でそれを見つめていた。

 比喩や誇張などというものではない。文字通り剣が無数に生み出され、剣鬼へと殺到している。

 

(祇園様――素盞嗚尊(スサノオノミコト)が神仏習合で姿を変えたもの! 素盞嗚尊の方ならいざしらず、わざわざそっちを出す意味は? いや、それより素盞嗚尊と来れば――最古の武神!!)

 

「ハ、ハハハハハハハハハ!! まさか俺が素盞嗚尊と打ち合える日が来るとは!! 長生きってのはしてみるもんだな!!」

 

 刀の一振りで迫り来る刃を打ち払い、串刺しにせんと大地から生える刃も斬り払い、無数の刃に紛れて斬りかかってくる依姫の斬撃を笑いながら紙一重で避け――かつてない格上との戦いで剣鬼の技量は更に研がれていく。

 

「おいおいおいおいおい、戦えてんぞ!! 千年も生きてねえ俺の剣が! 神話の時代に生きた神に通じているってのか!! ――そんなはずあるか!! お前の本気で来い!! 下らねえ出し惜しみするなら、その祇園ごとお前を斬り裂くぞ!!」

「化物か、貴様……!」

 

 神々の依代になる程度の能力。

 確かに破格の能力であることは剣鬼も認めるが――ただ使うだけであれば脅威には成り得ない。

 例え幾千幾万の刃の雨が降ろうとも、そこに技術がない限り、担い手の意志がない限り、剣鬼には届かない。一振りで全て散らしておしまいである。

 

 依姫は自身の悪手を認めざるを得なかった。この男に対して迂闊な攻撃は無意味どころか、相手の技量を高める手助けになりかねない。

 最初に打ち合った時点でも剣術では剣鬼に分があった。身体能力、経験に圧倒的な差があったから優位に進められたが、今も同じ条件であるかはわからない。

 否、先述の優位自体は変わらないはず。しかし、剣術の差はどれほど開いたのかについては少々予測がつかなかった。

 

 

 

 少なくとも――剣鬼と同じ土俵で戦った場合、依姫に何かが起こる可能性は無視できない領域になっていた。

 

 

 

 自身の勝利は揺るがない。それは断言できる。

 百万回戦えば百万回依姫が勝利する。それだけの力量差が両者には存在する。

 しかし、無傷で勝利できるか。軽傷を負って勝利するか。あるいは重傷を負うか。万に一つだが、ほぼ相討ちになる可能性ももはや否定できなかった。

 

(私が相討ちになる可能性は……排除しなければならない)

 

 自分が倒れたら実戦経験のない玉兎たちの部隊など総崩れになるだろう。

 妖怪の群れもほぼ壊滅状態だが、裏で糸を引く者が立て直すくらいは出来るはずだ。

 勝利が目的でないにしても、目前に転がってきた勝利に手を伸ばさないほど機に疎いことはないだろう。

 

 剣を放つのを止め、依姫は空中で剣鬼を見下ろす。

 対して剣鬼は動かない。お前の一挙手一投足全てを見逃さないと、爛々と輝く双眸が語っていた。

 

「……事情が変わったわ。悔しいけど認めましょう。あなたは――強い」

「そういうのは傷の一つでも負ってから言うもんだぜ。依姫に追いつこうと腕を上げているってのに、一向に届かねえ」

 

 気安く名前を呼ばれることに依姫は顔をしかめるものの、剣鬼は自身の血に塗れた顔に笑みを浮かべるだけだ。心底から彼女の反応を楽しんでいる顔である。

 

「そういう風に動いているもの。……地上の民に負けることなどあってはならない。その考えからあなたと剣を合わせたけど……卑怯卑劣の謗りは受けるわ」

「あん? 何を――っ!!」

 

 血の乾く熱。依姫と剣鬼の距離は相当離れているはずなのに、剣鬼は彼女から熱を感じ取る。

 なんだこれは、と剣鬼が訝しむ時間は不要だった。

 依姫の身体が炎に包まれ、その身体から直視することが難しいほどの熱が発せられていたのだ。

 

「っくく、なんだよそりゃ。反則もいいところだ」

「――愛宕権現。世界で初めて死をもたらした原初の炎に焼かれて消えなさい!!」

「相手に不足なし!! 俺の剣は神々をも殺せるものだと証明してみせる!!」

 

 激突――ではない。依姫は剣鬼の刃が届かない空中からその炎を放ち続けるだけ。

 直撃せずともその熱量だけで剣鬼の肌は焼け爛れ、刀を握る手が焼け溶けて柄と一体化していく。

 しかし、剣鬼の顔に苦痛の色はない。あるのは大いなる炎に挑める歓喜と、それを乗り越えて依姫に刃を奔らせるという隠す気もない殺意。

 

「ハハハハハハハハハハハ――――――ッッ!!!」

 

 けたたましい哄笑が口から零れる。こんな相手に挑めるのだ。笑わずして何を笑う。

 負けるかどうかなどもはや視野の外。無論、自分の死など歯牙にもかけない。

 例え死んだとしても、この炎が斬れるならば喜んで差し出そう。それくらいの心境だった。

 

 依姫から発せられる末端の炎ならば斬れた。次は彼女が身にまとう炎だ。

 

 地上から空中の存在へ。絶えることのない猛火の弾幕に身を晒しながら、剣鬼は呵々と笑って剣を振るっていく――

 

 

 

 

 

「…………」

 

 そしてこの光景を、紫と藍は無言のまま眺めていた。

 月全体を照らすほどの炎熱の光が降り注ぐ中、銀の剣閃が幾筋も閃いて炎を斬り散らす。

 

 遠目から眺めて――勝負になっていない。それが藍の出した結論だった。

 剣閃の主は全力なのだろうが、とても依姫には届いていない。自分の生存圏をギリギリで確保しているに過ぎない。それでもここまで届くほどの熱を身近に受けているのだから、遠からず焼け死ぬだろう。

 

「……あの男も終わりですね。さすがにこれは無理です」

 

 正直な心境を話せば、藍は剣鬼が祇園様を降ろした依姫と互角の勝負を見せた時は戦慄すら覚えていた。

 あの男はどこまでこちらの予想を裏切れば気が済むのか、と見当違いな怒りすら感じたほどだ。

 しかしそんな男であっても出来ないことは存在する。今の状況から生き残ることは、彼一人では不可能だ。

 これで主の本命である剣鬼を殺す目的も達成し、後は適当な頃合を見計らって逃げるだけ。藍は主に声をかける。

 

「紫様、あの男が死んだら撤退しましょう。これ以上は向こうも勘付く可能性があります」

「…………」

 

 藍の言葉に紫は反応しない。食い入るように開かれたスキマから彼らの戦いを眺めていた。

 スキマ越しに届く熱が紫の髪や服をチリチリと焦がしていることにすら気づいていない。それほどに集中している。

 

「紫様?」

「……きれい」

 

 もう一度声をかけた藍に返ってきた言葉は、独り言にも等しいもの。とてもではないが藍に向けた言葉ではないだろう。

 本人にも自覚はないはずだ。思わず口から零れ出ただけであり、彼女の視線は未だ彼らの戦いから外されていなかった。

 

「……っ」

 

 藍の心にジクリと痛みが染み出す。だからあの男は嫌いだ、と心の中で思いつく限りの罵詈雑言を浴びせる。

 剣鬼という男は傍若無人で、出鱈目で、愚かで、敬愛する主の高尚な考えになど全く興味を示さないくせに、良くも悪くも紫の心を独占する。

 今回だってそうだ。この月面侵攻にはいくつかの目的があったが――本命は剣鬼を殺すことただ一つである。

 多くの根回し、多くの力。紫自身もこれだけの人数を月に送ることで決して少なくない消耗をして――そうまでして剣鬼を消そうとした。

 

 その事実が気に食わない。しかも当の本人はそんなことつゆ知らず呑気に剣を振って――今また主の心を奪おうとしていた。

 

「…………」

 

 だが、藍は自分から何かをするつもりはない。自分は八雲紫の式であり、何より優先すべきは彼女の意思だ。

 彼女が剣鬼を殺したいと言えばそのために尽力し、今ここで彼を助けると言い出せば躊躇わず死地に身を投げ出す。

 木石ではないのだから思うところはもちろんある。むしろ山のようにある。

 あるが――優先すべきは主の命令であって、自分の心ではない。その点を履き違えるつもりはなかった。

 

 故に藍は待ち続ける。告げられる紫の命令がいかなるものであったとしても、完璧に遂行することが式の義務であると信じて。

 

「……藍」

 

 やがて、食い入るように見つめていた紫の口から従者の名が出てくる。

 独り言で呟いたものではない。明確な意思を見せるそれに藍は頷く。

 

「はい。なんなりとご命令を」

「逃げる準備をして頂戴」

「わかりました。生き残っている妖怪たちを引き連れて撤退を開始します」

 

 穴が空くほど見ていたのに、紫の口から剣鬼の名は出てこない。そのことに藍は紫への尊敬を深める。

 

(さすがは紫様。感情に流されることなく、決断なさることの出来るお方だ)

 

「紫様はどうされます?」

「もちろん、私も一緒に――ッ!!」

 

 その先の言葉を紫が言うことはなかった。

 視界の端に捉えた何かをギョッとした顔で見ると同時、弾かれたようにスキマに身を投じていたのだ。

 

「ゆ、紫様――ッ!!?」

 

 咄嗟に手を伸ばしても間に合わない。

 閉じられるスキマの向こう、最後に藍が見た光景は――

 

 

 

 ――今まさに焼かれようとしている、憎き男の姿だった。

 

 

 

 

 

「ハッハッハ……。動きが鈍くなって嫌になるね。全く、軟弱な身体だ」

 

 全身に重度の火傷を負い、焼け爛れた皮膚を鬱陶しそうにしながらそれでも笑う。

 

「……あなたはよく戦ったわ。私もなりふり構わず戦わなければ危うかったかもしれない」

 

 空中から見下ろす依姫の顔に嘲りはなかった。下賤な男であるという印象は変わらないが、同時に自身に刃を届かせ得る可能性の持ち主であることも認めていた。

 故に油断はしない。骨一つ、チリ一つ残すことなく完全に滅する。

 その考えから、依姫は頭上に一際大きな炎を作り出す。紅炎と雷火を発するそれは、まさしく小さな太陽と呼べるもの。

 

「――言い残すことはあるかしら」

「――その炎を斬ればお前さんも斬れそうだ」

 

「……そう。さよなら」

 

 軽く頷いた依姫が炎を落とそうと手を振りかぶり、剣鬼がそれに応えるように最後の力を振り絞って刀を握り――

 

 

 

 

 

 ――横から突如現れた金と紫の少女が、剣鬼を横からかっさらっていった。

 

 

 

 

 

「……は?」

 

 何だ今のは。依姫の思考に一瞬の空白が生まれる。

 が、そこは依姫も軍部を束ねるもの。正確な答えは出せずとも、あの男を逃がすことが非常に不味いことだと本能に近い領域で判断した。

 

「しまっ……!」

 

 どこまで逃げられるかはわからないが、この炎をぶつければ無事では済まないはず。

 慌てて振り下ろされた炎が、一塊になって戦域を離れようと飛んでいる男女へと向かっていく。

 

「っ、おい紫、テメェ、何を――」

「あああああああああああもうっっっ!! 何やってんのよ私ィィィ!!」

 

 負けの見えていた勝負とはいえ、横槍を入れられたことに怒りをぶつけようとした剣鬼だが、すでに紫が自分で自分に怒りをぶつけていた。

 

「おいコラ!! お前がバカなのはどうでもいいから早く戻――」

「せるなら苦労しないわよ!! あんたは早くあの炎を斬りなさい!! あれが磁気やら何やら乱してスキマが開けないのよ!! というかあんた失敗したら私も死ぬわよ何してくれてんのよバーカバーカ!!」

「あああああクソっ!! テメェ後で覚えてろよバーカバーカ!!」

 

 もう色々と滅茶苦茶だった。

 自分で自分の行動が理解できていない紫に当てられたのか、それともあの炎に挑まずして死ねないと思ったのか。剣鬼にもよくわからないまま剣を振るう。

 混乱の極致にあった剣鬼だが、振るわれる刃はかつてないほどに鋭く、鮮烈に、炎の球を断ち割る。

 

「よし斬ったわね!! はいサヨーナラ!!」

 

 いやに興奮した状態のまま紫は急いでスキマを開き、その中に剣鬼とともに飛び込んでいく。

 残されたのは愛宕権現の炎を顕現させ、ぽつねんと立っている依姫の姿だけだった。

 

「…………」

 

 真っ当に考えるなら、あの女は間引きを主導したものだろう。

 だがなぜあの男を助けたのか。そもそも助けるならもっと良い瞬間がいくらでもあっただろうに、なぜ両者が危険に晒されるあの瞬間を狙ったのか。失敗したら二人とも焼け死んでいた。

 考えてもわからないことだらけだった。

 

「……脅威を排除したのでこれより戻る。穢れの浄化は念入りに行え」

 

 とりあえず剣鬼との戦いで避難させていた部下を呼び戻すことにした。戦闘の余波で吹き飛ばされた妖怪たちの血や死が穢れとなって辺りに充満している。これらは早急に対処する必要があった。

 

 なんだかドッと疲れてしまった。戦いそのものは依姫をして認めざるを得ないほど全力を出した非常に真剣なものであったがために、余計にあの終わり方が際立つ。

 

(事後処理はお姉さまに任せて寝よう。そうだそうしようそれがいい)

 

 どこか気の抜けた気分になって、依姫はゆっくりとやってきていた戦艦に指示を飛ばしていくのであった。

 

 

 

 その際、一人の玉兎が逃亡したという報告があったが、すでに終わった話と気にすることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「っはあ、はあ、はあっ!!」

「っぜぇ、ぜっ、ぜっ!」

 

 その頃、地上に戻ってきた紫と剣鬼はどこかの森に投げ出され、荒い息をどうにか整えているところだった。

 やがて息が整うと、剣鬼は改めて紫の胸ぐらを掴む。

 

「テメェ、何してくれてんだ!! 死ぬ覚悟は出来てんだろうな!!」

「――あんたこそ何してんのよ!!」

 

 紫から胸ぐらを掴み返される。焼け爛れ、皮膚と一体化しているそれを掴まれたことによる痛みで僅かに怯む。

 

「ええそうよそうですよ確かに私はあんたを殺そうとしたわよ!! それも私がやったと思わせず殺せる月に放り出せばいいと考えて実行したわよ!!」

「だったらそれで――」

 

 いいじゃねえか、と言おうとした剣鬼の声にかぶせるように紫の声が続く。

 

「その後はあんたが死ぬ様子を高みの見物して酒が美味い! ってするつもりだったのに、あんな、あんな……!!」

「じゃあ今からでも戻せよ!!」

「ざっけんじゃないわよ!!」

 

 およそ少女が使うとは思えない荒い言葉で否定される。

 あまりの剣幕に剣鬼も呆気にとられる。この女がこんな感情的に話すところなんて、見たことがあっただろうか?

 

「いい!? あんな、あんな……!!」

 

 いつの間にか胸ぐらを掴んでいる側が逆転しており、剣鬼が紫に胸ぐらを掴まれていた。そしてその体勢のまま、紫が剣鬼に詰め寄って大声で叫ぶ。

 

 

 

「あんなもの見せられて、殺せるわけないでしょう!! いいかげんにしなさいよ!!」

 

 

 

「死んでしまえと思った! 殺してやると考えた! だってのにあんたときたら……! もしかしたら、なんて希望を見せて! その希望を信じたい私がいて!! あああああもう!! 私の計算をどれだけ狂わせれば気が済むのよ!!」

「俺が知るかよ……」

 

 剣鬼はうんざりした表情になる。自分もかなり頭に来ているつもりだったのだが、紫の怒髪天を衝く怒りっぷりを見ていると自分のそれが萎えてしまった。

 

「とにかく! 私が言いたいのは、あんたの剣だったらもしかしたら月の連中に勝てるかもしれないって思ったのよ!! この私が思わされたのよ!! そんなやつをあんな捨て石に出来るもんですか!!」

 

 紫もだいぶ落ち着いてきたのだろう。支離滅裂な言葉から徐々に長い言葉になっていた。

 剣鬼の胸ぐらから手を放し、少しだけ距離を取った彼女に剣鬼も口を開く。

 

「じゃあもう一回俺を連れて行けよ。今回のはもういいわ。怒る気にもなれん」

「嫌よ!! 誰があんたをもう一度連れて行くもんですか!!」

「月に行ってほしいのかほしくないのかどっちなんだよお前!!?」

 

 なんだろう。この女、ここまで面倒くさかっただろうか、と剣鬼は内心で頭を抱える。

 こんな調子ならもっと普段の胡散臭い顔の方が、まだ与し易かった。

 

「月に行かせたら勝手に特攻して玉砕するでしょうが!」

「それしかやらないしそれ以外求めてもいねえだろ」

「私がまたさっきみたいに助けに行くかもしれないでしょう!?」

「だったらスキマを消しときゃいいだろう。そうすりゃ俺がどう死のうとお前にゃ見えない」

「それじゃ私が見物できないじゃない、何考えてんのよバーカ!!」

「お前が一番バカなこと言っとるわバーカバーカ!!」

 

 もうわけがわからない。色々な感情に振り回されているのは理解できるのだが、そこから先が今ひとつ読めなかった。

 情動や理屈を考えて相手の思考を読むことなら朝飯前だ。しかし――

 

(自分でも持て余しているものが他人の俺にわかるわけねえだろ)

 

 さすがに当人の自覚していないものまで察しろというのは難しい。気づいて目をそらしているだけならわかるのだが、全く理解できていないものでは無理だった。

 

「……よし、まとめよう。お前は今後俺を月に行かせるつもりはない。理由は俺が月の連中に一矢報いることが出来るかもしれないから。こうだな」

「……ええ、そうね。概ね正しいわ」

 

 何を今さら取り繕ってんだ、と心の中でツッコむが言葉にはしない。これ以上話をこじれさせるのはゴメンだった。

 

「……言いたいことは多々あるが、まあいい。それで納得しておくか」

「……いいの? 勝負を邪魔したのは事実でしょう?」

「ああ、ものすごく腹が立った。けど仕方がない。お前がいなきゃ月には行けん」

 

 それにあの一際大きな炎を斬ったことで剣鬼も確信が持てた。

 

 

 

 自分の剣は――愛宕権現の炎だろうと斬ることが出来る。

 

 

 

 依姫との戦いに決着がつかなかったのは残念だが、非常に残念だが、もっと腕を磨く時間が得られたと考えよう。

 あの勝負に自分が負けるとは今でも思っていないが、地力に大きな差があるのも事実。それを埋める努力をする準備期間とでも捉えれば良い。

 例え次がなくても、それはきっと無駄にはならないだろう。

 

 思考を切り替えた剣鬼は焼け爛れて掌に張り付いた剣を無理やり剥がし、そのまま手近な樹の幹に背中を預けてもたれかかる。

 

「俺は寝る。お前は次に会うまでにその支離滅裂な言動をどうにかしてこい」

「うっ……。その……これまで悪かったわね、色々と」

「そいつに関しちゃお互い様だが……今回の貸しは本当にデカイぞ。覚悟しておけ」

 

 それこそしばらくは紫を問答無用で足に使っても構わないと思うほどだ。

 何やら掛ける言葉に迷っているように見える紫を他所に、剣鬼は徐々に意識を眠りへと落としていく。

 なにせ斬られまくってからの全身火傷だ。しばらくは休まなければならない。

 実はこれまでの紫は全て夢で、目が覚めたら再びあの胡散臭い雰囲気に戻っていることを願おうとして、

 

(……やっぱないな。あれよりは今の方が好ましい)

 

 すぐに却下する。

 

 色々と吹っ飛んでいるが、素直に感情をぶつけてくるのは剣鬼としてはありがたい。

 ある意味、今回の件が彼女と自分の付き合いに対する奇貨になったのかもしれない。

 

「……私、どうしてこんな奴相手に必死になったんだろう」

(……それは俺が知りたいわバーカ)

 

 実に今さらな疑問に首を傾げ始めた紫の声を子守唄に、剣鬼は深い深い眠りへと落ちていくのであった。

 

 

 

 

 

 これは、一人の鬼と不思議なスキマ妖怪が本当の意味で対等になった出来事だった。




ということでゆかりんが剣鬼(の剣)に惚れ込むきっかけとなったお話でした。
まだこの時点ではゆかりんは自分が何に惹かれたのか、そもそもなんであそこで飛び出したのか、全く自覚していませんから先は長いです。

ちなみによっちゃんは0ダメージしか出せない連中の中に10ダメージ出せる奴がいたからそいつを警戒していた、というある意味身も蓋もない理由です。会心の一撃が出たら一気に持って行きますが。

Q.ぶっちゃけよっちゃん相手に勝ち目あるん?
A.那由多の彼方にあるものを余人が勝ち目と呼ぶなら存在します。
 ですが普通、そんなか細いどころではないものに全てを懸けるバカは当人以外いないでしょう。何を血迷ったのか、今回のお話でゆかりんがそのバカになりましたが。



さて、これにて私の中にある剣鬼のお話は全て放出いたしました。
もしかしたらなにか思いついたものをチラホラと載せていくこともあるかもしれませんが、基本はないものと考えてください。
このお話を持ちまして剣鬼の歩く幻想郷は完結とさせていただきます。小説(連載中)から小説(完結済み)に変わるわけです。

こんなキチガイ主人公を処女作で書こう! などと最初の一歩から盛大に血迷った私ですが、剣鬼という主人公の物語を楽しんで頂けたなら幸いです。
最後までお付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。