第3罪 潜入観と先入観
人間が派手に転倒した鈍い音がズシャリと上がる。
倒れ込んでいるのは槍を持ったショートボブの黒髪の美少女。槍を肩の後ろに掛けた緋色の髪の青年がその姿をやれやれと言わんばかりに眺めている。
「ハア……戦闘種族のバン族にいただけあって基本は出来ているんだが…………武器の扱いに関する身体の使い方がなっちゃいねえな」
一通りの武器を与えてみたところ、槍裁きに最も才があると判断したフェイルは槍の扱い方を重点的に教え込んでいた。
その稽古方法はフェイルが繰り出す槍を直接その身に受けさせ、痛みと技を身体に叩き込むという荒稽古。
手取り足取りで教えてやる事もできるが、経験上その手の技は稽古でしかその威力を発揮できない。体感する以上の稽古方法をフェイルは知らない。
「また派手にやっているな」
呆れたようにチサトが救急箱を持って此方にやってくる。どうやら今日の問診は終わったらしい。
「ほら立てファン。休憩だ。チサトに診てもらえ」
「………………はい、お師様」
ふらっと立ち上がり、またフラフラ、チサトの元へと向かう。するとチサトが駆け寄ってやり身体を支えてやる。
「もっと優しく教えてやる事は出来ないのか」
「厳しくしてくれって言ったのはコイツだし、こんな教え方しか俺は知らん」
文句があるなら辞めろ、恨みたきゃ幾らでも恨め、とファンには言い聞かせている。その上でファンは不満一つ漏らさない。なあ、と声をかけると力強く頷いた。それぐらいでなければ困ると彼女自身の目が叫んでいる。
「そう、その目だファン。その目をしている限りお前は強くなる。いいかファン。自分の力量を勝手に見極めるなよ。どこまでも誰よりも強くなると思い込み続けろ。歩みを止めるな、諦めるな。世界の誰もが諦めたとしても、この俺すらお前の前で諦めていたとしても、お前だけはそれでも、と立ち上がれる人間であれ」
「ハイ!!」
力強く答える己の弟子に何故か笑いが込み上げる。まだ世界を知らない子供を馬鹿にしているわけでも、侮っているわけでもない。それでもなんとも言えない喜びに似た感情が湧き上がってきた。
「治療が終わったらメシの支度をしておけ」
そう言い置いて自宅を出る。今日はロードのヤツに呼び出されている。内容の予想がつく故にぶっちゃけ面倒だが借りがある分の働きはしなければならない。
剣を腰に差し、歩き始めると追いかけてくる気配が背中を刺した。
「ヴァル」
「お前に俺をフェイルと呼ばせる事を俺はもう諦めたが、頼むからフルネームで呼んでくれるなよ。俺の為だけじゃない、お前の為にも、だ」
「わかっている。私も命は惜しいさ…………で?実際あの子はどうなんだ」
言葉足らずではあるが質問の内容は大体わかる。そしてまだ伸び代が見えないのでなんとも言えないのが本音ではあるんだが……
「筋は悪くない。才能はある方だ。だが、突出はしてない。化物(俺たち)とは比べ物にならん」
「そうか……」
彼女も元とはいえ軍医だ。パッと見て最強クラスとの天凛の差はわかっていたのだろう。意外そうな声はあげなかった。
「この世界には才あるヤツが多い。もちろん凡才の方が圧倒的に多いが、それこそ帝都には天才と呼ばれる戦士が何人もいる。あいつもそこには食い込めるだろう。だが知ってると思うが、天才では魔神には勝てない」
「………………そうだな「とは限らない」
この男にしては珍しい持って回した言い方に不快に感じるというよりは不思議そうにチサトは眉をひそめる。フェイルが瞳に宿す感情はフフンと言わんばかりに愉悦のようなものが混じっている。
「さっき言っただろう。絶対的な才能の差は確かに存在する。が、それは精神で覆せる範囲だ。努力は才能を凌駕しない。だが才能ある者の意地はさらに才ある者を凌駕する事もある。諦めないという力。それが彼女にあればフェンリル(神殺し)がなる可能性はある」
「お前のようにか?」
「まさに」
ふと我に帰る。ガラにもなく喋りすぎた。チサトもその事に気づいたのだろう。ムカつく顔でニヤついてる。
「喋りすぎたな…………夕刻には帰る。ファンの勉強を見てやってくれ」
「何で私が……お前が教えてやればいいだろう」
「俺は勉学は師につかなかった。俺の知識の九割は帝都に来てから読み漁った本から得たものだ」
彼は戦略や戦術を誰かに教わるという事はしなかった。フェイルにとって本こそが勉学の師だった。
「それでいいじゃないか。お前が読んだ本を読ませてやれ」
「脱走兵がそんなモノを手に入れられると思うか?それに俺は書物で手に入れた情報を実践することで生きた知識とした。実践のない知識などクソの役にも立たん。だがあいにく知識を実践できる土壌がここには無い。だからお前の生きた知識を与えてやってくれ」
ーーーーもう完全に時間切れだ。急ごう
それから数日後、太守の館。
自分が追い詰められ始めている事に気づいた太守は宝物庫の財産を集めていた。近い内に大きなパーティを催し、その騒ぎに乗じて姿をくらます算段をつけている。今は信用の置ける側近と金で雇った臨時の使用人に高飛びの準備をさせている。
「む?……この帳簿は……」
不審点がないかチェックをしていた帳簿の中で見事に粉飾されている部分があった。今までの偽証はやはりどこか違和感があり、見つけるたびに太守が手を入れていたのだが、この帳簿は完璧だった。こちらの意思を完全に汲み取り、そして不自然のない記載がなされている。
「おい」
「は、いかがいたしましたか、御主人様」
「この裏帳簿を作ったのは誰だ」
「ああ、彼ですよ」
側近の一人が指差した先にはせっせと荷造りをしている男。背は高く、体格もガッシリとしている。腰に剣を差しているのが少し気になるが、この治安の悪さでは無理もない。
「金で雇ったのか」
「はい、典型的な善悪で動くタイプではなく、金銭で動く賢く醜い人間です。有能ですし、金さえ与えておけば信用出来ます」
「奴を呼べ」
「承知しました。おい、フェイル」
「はい」
燃えるような緋色の髪に紅玉の瞳を宿した青年が振り返った。
ーーーーよし、大丈夫。気付かれてない
太守の側近の一人の格好をした初老の男が同僚に話しかけられた。違和感なく会話を終わらせ、仕事に戻る。何気ない日常の一つであったが、初老の男の心中は安堵と不安で埋め尽くされていた。
この初老の男、実は本人ではない。とある少女の変装である。名はチェルシー。背中まで伸ばした茶髪にヘッドホンが特徴的な可愛らしい美少女だ。
しかし変装した彼女の見た目には全く少女らしさはない。背丈も本来の彼女の物とは全く違う。もちろんこの国にも変装の技術はあるがこんな事は通常不可能だ。
だが通常の不可能を可能に変える武具がこの国には存在する。そう、帝具だ。
変身自在 ガイアファンデーション。
誰にも扱えない故にこの屋敷の地下で封印されていた完璧な変装を可能とする帝具。決して戦闘向きではないが使いようによっては下手な武器よりよほど脅威となる恐るべき道具。
侵入に困難な地下で偶然この帝具を発見した彼女は一目でこの帝具は自分を呼んでいると直感した。
帝具との相性は第一印象をどう感じるかで九割方決まる。強烈な魅力を感じた彼女との相性は抜群だった。
使用して帝具の能力を把握した彼女は常々太守のやり方に不満を感じており、この力を使って太守を害そうと計画していた。
賢明で慎重な性格のチェルシーはいきなり行動に出ることはせず、どの程度自分がこの帝具を扱えるかを試していた。今回の側近との接触もその一つ。側近にすら違和感なく近づける事を証明したチェルシーはいよいよ行動に出る事を決意していた。
ーーーーあ……
視界の端に太守の姿が過る。相変わらず下卑た顔でなにやら喋っている。どうせまた何か悪企みでもしているのだろう。
見られないように気をつけながら睨みつける。
ーーーーいずれ私が……「どうやって姿を変えてるか知らんが、そんな殺気丸出しじゃ変装の意味がないぞ」ーーーーっ!?
ーーーーーこうもアッサリと信用されるとはな……
貰った金貨を手の中で弄びつつ、新たに渡された帳簿を片手に抱え、屋敷の廊下を歩く。ロードのヤツに用意させた身分のおかげで金で雇った使用人を演じれているとはいえ、まさか裏帳簿を一手に任せられるとは思わなかった。こっそり活動している分、有能な人材が不足しているのもわかるが、あまりに迂闊だ。
「バカなのか……焦ってんのか………両方か」
数日前、ロードに呼び出された彼はついに実力行使に出る事を告げられた。結局確たる証拠は得る事が出来なかったらしく、財産を横領している現場を取り押さえる事にしたらしい。フェイルに頼んだ依頼は太守達の動きを把握するため、彼の屋敷に潜入して欲しいというモノ。最新の情報こそが戦況を決めるという事をよく知っているかつての副将はコレを了承。ロードが手を回して潜り込む事に成功した。
下働きとして任された雑務の一つに書類整理があり、その中の不審点を上手く消してやった。仮にも太守を任されたほどの文官だ。結果を知った上でコレを見れば誰かが上手くやったという事は気づく。高飛びするにあたって有能な人材は喉から手が出るほど欲しているはずだ。いずれ重要な役割が回ってくる、最悪でも彼らの動向を掴める程度の位置には行けるだろうと踏んでいた。
しかし、抜擢されるのが想像以上に早かった。
ーーーーどこも人材不足……てわけか。軍人時代の苦労を思い出すな。やはり実際に見てみないとわからん事ってのはあるな
頭に浮かんだのは死者が出る程の厳しい訓練に音を上げた兵隊たち。エディの圧倒的カリスマのおかげで志願者こそ多かったが、ほぼ初日で命を落とした。俺の助手候補もその中にいたのだが、エスデス軍に所属する最低条件は強い事。文官出の兵隊など相手にもされず、事務仕事はほぼヴァリウスで回していた。
ーーーーまああいつに振り回されるのは嫌いじゃなかったがな。
彼女が遠慮なく頼れるのは俺しかいなかったし、何も俺に投げっぱなしにするわけでは無い。共に考え、学び、戦ってくれた。二人なら出来ないことなどないと本気で信じていたし、証明してきた。俺の誇りの一つだった。
そういや俺の後釜見つかったのかな、などと身勝手な心配をした所で過去を振り返るのはやめた。それより今だ。
ーーーー順調過ぎて逆に怖いが…………ま、そこまで警戒がいる相手でもないか。
さて、仕事仕事と書斎のノブに手を掛けると同時に殺気を感じ取る。
気配の主は男だった。ロードから渡された資料で見た事がある。確か太守の側近の一人だ。
ーーーー妙だな、ヤツは太守派の人間のハズ……
未熟ではあるが純度の高い殺気だ。側近が放つモノではない。
ーーーーてことは別人か?変装にしては精度高すぎだけど……
それでもフェイルは十中八九別人だろうと当たりをつけた。戦場で一番やってはいけない事の一つが思い込みだ。先入観は視野を狭める。強敵とは常に非常識に行動する。決めつけは奇襲の格好の餌だ。
ーーーー確かめてみるか……
気配を消し、静かに近づき、睨みつけている男に見える誰かの肩に手を掛けた。
「どうやって姿を変えてるか知らんが、そんな殺気丸出しじゃ変装の意味がないぞ」
チェルシー登場。今後の動きは考え中。酷評でも良いのでコメントよろしくお願いします。