帝国辺境、南西バン族領……
そこは地獄と言って差し支えない光景が広がっていた。
帝国の圧政に対して反旗を翻したバン族は辺境で決起した。
すかさず帝国は鎮圧部隊十二万を差し向けたが辺境の地理に詳しく、環境の厳しさに一般兵では歯が立たなかった。
焦った帝国が派遣したのが若いが実力派の将軍二人。
帝国最強の呼び声が高い碧髪の美女、エスデス。
質実剛健な指揮能力を持つ灰色の髪を三つ編みに束ねた麗人、ナジェンダ。
そして最強の右腕と呼ばれる緋色の髪の美男子にして、知勇兼備の副将、ヴァリウス。
この三名の指揮下の下、第二次バン族征伐が行われた。
だが先の討伐戦とは違い、今度は帝国の圧勝であった。
その最大の理由は帝具。始皇帝が帝国を永遠に護るために英知を結集させて作らせた四十八の武具。
その中で今回使われた主な帝具は二つ。
無から氷を生み出し、操る魔法のような力
魔神顕現 デモンズエキス
一度燃えるとその命の灯が消えるまで燃え続ける蒼い焔の剣
業火剣爛 バーナーナイフ
人知を超えた力を持つ武具で地理の有利を圧し潰し、才知溢れる副将の策がバン族の奇襲を屠る。
戦いは1日で終結した。
敗北したバン族達に対して出された命令は虐殺、強奪。
戦士達は殺され、村は焼かれ、奪い、食らい、犯す。人間の七つの大罪を欲望のままに行う姿があった。
その様子を満足げに見下ろすのは氷の魔神の力をその身に宿した女傑。風に揺れる足首近くまで伸ばした美しい青い髪。軍服の下窮屈そうにしている豊満な胸。女性にしてはかなりの長身でスラリとした美しい脚。正に女傑の名にふさわしい姿だ。
彼女が率いる兵達も紛れもなく強者であり、弱者を踏みつける事に快感を覚える人種である。この命令に皆喜んだ。たった二人を除いては……
皆が力に酔いしれる中、まだ人として正しい感覚を持っている人間がいた。
醜悪な死臭と性臭に嘔吐感を感じ、彼らの行いを間違っていると心から思える者。
大きな銃をその背にかけ、灰色の長髪を三つ編みに束ねた美女。名はナジェンダ。まだ彼女はちゃんと人間であった。
………………そしてもう一人……
村の中で一際大きな騒ぎが起こる。まるで何かが爆発したような音。残党がいたか、と女傑が新たに兵隊を送り込み、掃討に向かわせるが、誰も帰ってこない。
この戦いを通して初めて女傑の顔に不信感が浮かぶ。彼女の兵はそれぞれが猛者だ。残党如きにやられる程ヤワではない。異常事態、もしくはまだ見ぬ強者がいたのでは、と現場へと女傑本人が向かった。
そこで見た物は、信じられない光景だった。
バン族の村の家屋、震える可愛らしい娘を路傍に転がる死体から庇うように抱える母の亡骸。その親子を護るように立つ血みどろの幽鬼。
無論バン族の戦士ではない。そうだったなら信じられない光景などではない。聡明な女傑ならば容易く予想出来る範疇である。そうではなかった。
そう、その男は此方側の人間だったのだ。それも雑兵ではない。卓越した戦闘能力を持つ彼女の兵らが一刀の下、軒並み殺されたとしても不思議でない人物。彼女が自身の右腕として最も信頼し、数え切れない戦場を共に背中と命を預けて戦った無二の相棒だった。
彼の代名詞と呼べる燃え盛る剣を片手にだらりと腕を垂らし、虚ろな目で虚空を見上げる。彼の周りにはつい先ほどまで彼の部下であった兵の屍体の山が積まれていた。
その事実が告げるのは反逆。
「何故だ」
氷結の女神から漏れる心が抜け落ちたような言葉。事実彼女の心はここで一度死んだのかもしれない。
「………………どういう事だ?ヴァル。説明しろ、正当な理由をな」
ーーーー何を言っているんだ、私は。
「………………………………」
男は答えない。ただ牙を握りしめ、此方を見やる。
「返答次第ではお前といえど許さんぞ」
ーーーーああ。違うんだヴァル。そんな事を聞きたいんじゃない
「………………悪いな、エディ。限界だ」
ヴァルと呼ばれた男はようやく虚ろな目を来訪者に向ける。謝意と悲哀、そして確かな敵意を込めて。
「もう俺は……お前に着いていけない」
確固たる意志を持って応える。嘗ての猟犬は今や餓狼と成り果てた。
「震えるこの子の目を見てようやく目が覚めた。俺はこんな事をする為に軍人になったんじゃない」
ーーーーだから逆らったと?私との絆よりそんな豚の怯えた目を選ぶと?そんな裏切り、あまりに酷いじゃないか、相棒
あの雪の夜からお互い変わった。それは認める。だがそれでも2人はずっと一緒だと信じてた……いや、今も信じてるのに。
「ーーーーーーそうか」
吐き出された息とともに出たのは諦めたかのような言葉、理解してしまったような言葉。
「それは私に逆らうと理解していいんだな」
言いたくない言葉が出てしまう。強者としての矜持が彼女の意志を無視して言葉を紡ぐ。
「そう聞こえなかったのか、帝国最強。もうゴメンなんだよ。肉が削げ落ちた骨しかない獲物に牙を突き立てるのは」
「強者の誇りを捨て、責務を捨て、弱者に寄り添いたいと?私がそんな事を許すと思うのか」
違う、お前にいいたいのはそんな事じゃない
「あんたがどう思おうと知るかよ………別に許しを請うつもりもない。立ち塞がる者は………燃え散らす」
「この……私であろうとも……?」
答えないでくれ、ヴァル。頼むから
「誰であろうと、だ。エスデス。俺の………親友」
「ふ、ククククク」
笑いが込み上げる。止まらない。嗤う以外に何をしていいかわからない。
「イイぞヴァル!よく吠えた。コレが最後の
剣を抜き放ち、突きつける。もう止まらない、止まれない。友情も、信頼も、それ以上も残っている。それでも炎と氷は止まらない。
「だが、思い上がるなよ炎狼のヴァリウス。勝てると思っているのか?この私に。帝国最強、常勝不敗。私の氷は燃えカスの炎など通さん」
「そうだな。多分正しいのはお前で間違っているのは俺なんだろう。それでももう俺は………正しいだけの人殺しはもう嫌なんだ。たとえ間違っていても………俺は人を護りたい。だから……」
ゆらりと碧く燃える剣を構える。一分の隙もなく、最大の警戒をもって。
「来いよ相棒……燃え散らしてやる」
「ハッ、イイぞ燃えカス。その最後の残り火圧し潰し、惨めな死をくれてやる。誰にも渡さん。お前の全て、私が奪う」
二人の剣に氷と炎が纏われる。お互い実力は知り尽くしている。加減など出来るはずがない。
二人の思い出が脳裏を駆け抜ける。辛い思い出も、憎む思い出もたくさんあった。だがそれを遥かに上回る救いがあった。あの雪の夜から二人で生きてきた。一人では決して得られない暖かさがあの思い出の中にあった。彼女に残った最後の人間らしい温もり。それを斬り捨てるという未来。一瞬だけ泣き顔が浮かぶ。だがそれも咆哮がかき消した。
「エディぃいいいいいい!!!!」
「ヴァルゥウウウウウう!!!!」
焔と氷がぶつかり合う。お互いを溶かし、お互いを消す。発せられるスチームは二人の周りを吹き飛ばす。相反する二つの激突。熾烈の極み。
こうして彼らは間違えた。これが彼が犯した最初の
夕闇の中、村が燃え盛る。それは先ほどの赤い炎とは異なる。碧の炎。一度燃えれば尽きるまでその火は消えないこの世ならざる焔。
焔の周りには数え切れない氷壁が張り巡らされている。もう村があった形跡は跡形もない。残っているのは剣を杖に寄りかかる男と瓦礫を背にもたれかかる美女。蒼炎に護られた子供。そして夥しい血飛沫の跡のみだった。
倒れているのは氷の女神で立っているのは焔の狼。
剣を杖に立ち上がる。もう止めを刺すことは出来ない程狼は満身創痍であった。
「待っ………て」
背を向けて助けた子供を抱き上げ、歩き始める男に女が叫ぶ。いや、叫んだという声量ではない。だがそれでも彼女は命を振り絞って叫んだのだ。
豪火の音で女の叫びはかき消される。たとえ聞こえていてもこの男は歩みを止めないだろう。コレはそういう男だ。わかっている。この世の誰よりわかっている。
それでも叫ばずにはいられない。
「行か………ないで……ヴァル」
焔の中に男が消えていく。行ってしまう。あの美しい思い出と大好きな熱が手からすり抜けてしまう。
ああせめて一度、抱きしめて
最後に浮かんだ一言と共に彼女の意識が消えた。
血みどろの体に鞭を打ち、歩みを始める。もう今すぐ大の字になって寝てしまいたい。だがそれは出来ない。それをするのはせめてこの村から離れてから。
こんな使い方をしてはいけないとは思いつつ剣を杖に歩く。今だけは許してくれ相棒。神殺しをやりきった後なんだ。
ふと右に視線をやる。見られていることに気づいたからだ。満身創痍でも戦士としての本能が新たな襲撃者に身を備えさせた。
「ナジェンダ………将軍」
振り返った先にいたのは銃を構えた帝国の将。何度か軍議で話をした事がある。聡明で、実力もあり、優秀な人物だったと記憶している。
ーーーーーいま彼女と戦ったらヤバイな……
そんな事を思いつつ、壁にもたれ掛かりながら剣を構える。自分を目覚めさせてくれたあの子を助けるまでは死ねない。
「………………まだ戦うつもりなのですか」
もう身体は半分死人だというのに来るなら来いと言わんばかりに目に戦意を漲らせ、剣を構える。
「出来ればもう戦いたくはないが…降りかかる火の粉は燃え散らす」
「………………そうですか」
銃を下ろす。自分ではこの半死人ですら勝てる気がしない。そもそも戦うつもりなどなかった。彼がどういう戦士か知りたかっただけだ。
「これからどうするつもりなのですか」
「さあな。別に帝国を倒そうなんて大志は今の所ないよ。この子を生きて育てなきゃいけないからな」
左手に抱き抱えた子供を見やる。死闘の殺気に充てられたのか、気を失っている。
「アンタこそどうするんだ」
俺を見逃すんだ。彼女は理性を持った人間なのだろう。優秀で正義感溢れる将がこのまま狂った帝国で将軍をやり続けるとは思えない。
「………………」
「アテがないなら一緒に来るか?」
「私もいずれ帝国を離れます。ですがそれは今ではない」
「………………そうか」
それだけで全てを理解した。
ーーーーアンタは帝国と真っ向から戦うのか……
茨の道だ。俺が歩む道より遥かに険しく、長いだろう。彼女が行うのは将軍という立場を最大に利用し、兵力と情報を集めてからの離反。だが組織に属するなら翻意は隠しきれるものでは無い。長くいればいるほど危険だ。
「ならエディも殺せないな」
「はい」
これからもしばらく軍に属するなら将軍に恩を売れるこの絶好の機会を逃せるわけが無い。確かに今ほどエディを殺れるチャンスはほとんど無いだろうが、それでも一度あったのだ。ならば可能性はゼロでは無い。
それにこの事件の証人もなしに一人で帰還するわけにもいかない。部下は何人か生きているだろうが部下ではダメだ。口裏を合わさせたという疑いを晴らすためには自分と同格の証人がひつようとなる。ならば目の前の利益より未来の利益を取るのが将の器だ。
「これからエスデス将軍はお困りになるでしょうね」
ナジェンダも彼の事はよく知っている。エスデスも決して愚かではないが、こと頭の回転や戦略に関しては彼の方が一枚上である事は気づいていた。事実エスデス軍で軍議に出席するのも策を考えていたのも彼だし、相手の策を看破し、戦略を立てるのも彼であった。
ヴァリウスが思考し、エスデスが実践し、取りこぼしをヴァリウスがサポートする。完璧を誇るエスデス軍は彼によって支えられていたといって過言ではない。
「なに、帝国は強い。人材も豊富だ。俺の後釜くらいいるさ。あんたも大変だろうが、頑張れよ」
「副将もお元気で」
ヒラッと手を振ると再び剣を杖に、再び歩き始める。
「……ああ、名前も変えないとなぁ。大丈夫だとは思うがヴァリウスとは名乗っていては危険だ」
さてどんな名前にするか、と思案を巡らせていると腕の中で身じろぎする気配が伝わる。
「よう。お目覚めか?お嬢ちゃん」
「………………お兄さん」
スッと手を伸ばして血で赤黒くなった男の頬をそっと撫でる。殺されそうになっていた彼女を助けたからか、それとも夢うつつなだけなのか、どちらかはわからないが血塗れの彼を警戒している様子はなかった。
「傷だらけ」
「メイクだコレは。お嬢ちゃん、名前は?」
「………………ファン。お兄さんは?」
「俺はヴァリウ……じゃないじゃない。間違えた」
「間違えたさん?変わったお名前」
「ちげーよ!そうじゃなくて………いや、そうだな」
顎に手を当て、考え込む。そんな彼を見てファンと名乗る黒髪の少女は小首を傾げる。
「俺の名前はフェイルだ。よろしくな、ファン」
人が次第に朽ちゆくように、国もいずれは滅びゆく。
千年栄えた帝国も今や腐敗し、生き地獄
こうして間違えた男の間違った英雄譚が始まった
ふと思いつきで書いてみました。連載続けるかどうかは感想で判断したいと思います。因みにバン族討伐の時はまだ三獣士は現れておらず、ヴァリウスの後釜という設定にしています。ファンのモデルは林冲です