朝日を存分に浴びて輝いてた筈の海が、突然真っ黒に染まった。
いや、海ではない。
月が沈み、太陽が昇って真っ青になっていた空が、再び強制的に夜へと戻されたのだ。
宙に月が浮かぶ。
それも数時間前までの半月ではなく、禍々しい程に不気味に輝く満月が。
「………………」
男は何も言わず、早朝の散歩の足を止めて、ぼんやりと空を眺めるだけだった。
蒼い月の周りに光輪が出現し、様々な形の光の筋が天空に出現する。
何億何十億という魔法陣が、更に巨大な魔法陣を築き上げる。
正しく――『神の力』。
その名にふさわしい天使が、その名にふさわしい力を、たった一人の人間を殺す為に振るおうとしている。
「…………世界の、終わりか」
まるで死刑を執行される直前の囚人のような、なにもかもを達観したような口ぶりで、そう男が呟くと。
「終わらせねぇよ。世界も――アンタも」
海を、空を眺めていた男が、ゆっくりと後ろを振り返る。
そこには、男にとって見ず知らずの少年がいた。
会ったのはたった数度――このわだつみの家に、
それだけに過ぎない筈の少年は、今にも怒鳴り散らしそうな怒りの篭もった目で、今にも泣き出しそうな悲しみに満ちた目で――そして。
今にも死んでしまいそうな、罪悪感でいっぱいの瞳で――男を見詰める。
「君は誰だい?」
男は言う。
写真よりもずっと痩けた頬、伸びた髭、濃くなった隈――疲れ切った、老けた顔で。
なにもかもを諦めたような声で、少年の名前を問う。
「――
少年が自らの名前を告白する。まるで、罪を認めて自首するかのように。
疲れ切った男は、少年の名前を聞くと、世界の終わりの光景にも動かなかった表情を動かし――瞠目した。
「……そうか。君が」
それは、怒っているかのような、悲しんでいるかのような、申し訳なさそうな――そして何より、疲れ切ったように呟かれた言葉だった。
やっぱり、結局の所、最後には、こうなってしまうのかと言わんばかりに。
上条はそんな男に――
「……もう、やめにしようぜ」
少年の言葉に、疲れ切った男は、疲れ切ったように――力無く笑った。
×××
簡単な真相だった。
答えはずっと、自分達の目の、手の、届く場所にあったのだ。
考えてみれば、考えてみるまでもなく、それは確定的に明らかだった。
この『
それこそ、前回の犯人が上条刀夜だったように――上条当麻の傍に居た人物だったように。上条当麻の視界の中に居続けた登場人物だったように。
今回の犯人たる、神定剣もまた、上条当麻の視界の中にいた。
上条当麻が気付かなかっただけで。上条当麻が気にも留めなかっただけで。
上条当麻が――この物語の登場人物だと、認めていなかっただけで。
彼はずっと――
この物語の、この世界の、重要な登場人物だった。
その筈――だった。
「………………」
上条は、なにもかもを諦めたような顔で、頭上に広がる世界の終焉を眺める男を見る――しっかりと、見る。
前の世界の『
しかし、今回の世界に置いては、店主も、その息子も、妻も、皆、上条の知らない人物の姿になっていた。
正直に言うと、正直に罪を告白すると、上条当麻はわだつみの家の主人の本来の姿――つまり、前の世界でいうところのステイル=マグヌスになる前の姿がひどく曖昧だ。
後者の印象が強すぎてというのもあるだろうが、前の世界で学園都市の
これは上条当麻が特別に薄情な人間というわけでもない。
一般人でも、これまで訪れたホテルや旅館のスタッフの顔を全てはっきりと記憶しているといった人間の方が珍しいだろう。特に、上条にとっては、既に十年以上前の記憶なのだ。魔神オティヌスとの体感時間数万年の時間の戦いを含めたら、それこそ遙か過去のことだ。
そんな前の、
もっといえば、今回の『
知らない一般人の姿から――知らない一般人の姿へ。
だが、上条当麻は、彼等のことを疑いもしなかった。
入れ替わりの有無の確認――それを確かめようともしなかった。
前の世界において彼等は無関係だったから? 前の世界の、逆行前の知識が役に立たないということは、とっくに分かっていた筈なのに。
彼等は一般人だから――魔術師でもなく、学園都市の住人でもない、只の一般人だから。
上条当麻の物語には関係ないと、無意識に排除していた。
だからこそ、ずっと視界の中にいた犯人に気付けなかった。
知らない一般人の中に紛れ込んでいた、どこにでもいる普通のおじさんに気付けなかった。
知らない一般人から知らない一般人へと入れ替わっていた管理人一家に紛れていた――
上条当麻がスタッフの一人だと思っていた。そう文章として認識するまでもなく、無意識にそう思っていた。
それが、自分達と
上条が宿泊していた部屋へと向かう時にすれ違ったことに、ミーシャの方が早く気付くような有様だった。
上条が写真立ての裏に隠れていた日記帳を発見したあの後、上条はあの時の男こそが今回の犯人であること、ミーシャはこの男を殺して事態の解決を図ろうとしていると――そして、
『ミーシャの中に、天使が……っ!?』
『ああ。土御門に調べてもらった。ロシア成教の殲滅白書に、ミーシャ=クロイツェフなんて奴はいない。サーシャ=クロイツェフって奴ならいたらしいけどな。……それに、ミーシャってのは、ロシアだと男の名前なんだろ?』
『っ!? ……たしかに、偽名だとしてもおかしいとは思ってはいましたが……そうなると、ミーシャは……いえ、彼女の中にいる天使の正体は――』
『……ああ。そこでだ、神裂。お前に頼みたいことがある』
上条が頼んだのは、天使『神の力』の足止め。
前の世界でも神裂火織が成し遂げた偉業だが、だからといって、今回の世界でも上手くいくとは限らない。
いくら神裂が『神を裂く』力を持つ聖人だからといっても、天使の力は文字通り位が違う。
天使は容易く世界を『一掃』する力を備えている。その気になれば、簡単に世界を滅ぼせる。簡単に世界を終わらせた魔神に破れた戦歴の持ち主である上条にとっては、正しく恐怖そのものだ。
しかし、上条はそれを、神裂に託した。
かつて上条刀夜と向き合うのは上条当麻の役割であると吠えたあの時のように、神定剣と向き合うのも、上条当麻の役割であると、そう思ったのだ。
上条当麻の役割――上条当麻の業、か。
向き合うのは、上条当麻という存在の罪であるかもしれないけれど。
まるで崖の上での真相解明パートであるかのような、この状況。
追い詰められているのは――果たして、どちらなのか。
奈落の底へと堕ちるのは、
「…………日記、読ましてもらった。アンタの家にあった、二枚の写真の裏にあった日記だ」
車よりも速く走れる神裂を、ミーシャの追跡の為に先に行かせ、普通の人間の速度しか出せない上条は、行きと同じようにタクシーでこの海岸に帰ってきた。
そして、その道中の車内、他人の家の、他人の日記を、他人の分際で熟読していた。
だが、書かれていた内容は、とても他人事とは思えない――人生だった。
上条は日記帳を剣に返した。
剣は、それを受け取ると、やはり疲れ切ったような顔のまま答えた。
「……そうか。あの家を見たのか。さぞかし滑稽だったろうね。家族の為に何も出来ず、何も救えず、ただ『お守り』に縋ることしか出来なかった、哀れな男の哀れな末路は」
疲れ切った男は、目の前の少年が己が住居に不法侵入したことも、日記を盗み見たことも、何も咎めずに、ただ自嘲するように笑うだけだった。
その全身をずたずたにするような痛々しい笑みに、上条の方の表情が歪む。
男は、世界の終焉の空を眺めながら「……さて。どこから
彼の、
「僕の息子はね、『疫病神』と呼ばれていたんだ」
×××
「僕の息子は、生まれつき『不幸』な子供だった。
「息子が買うくじは当たることなく、引いたおみくじは全て大凶。これくらいならなんてことのない笑い話だが、ことはそんなレベルではなかった。笑えない話だ。誰も、誰もね。
「息子がボールを道路に出してしまったらほぼ確実にトラックが通りすがる。息子が電車に乗ろうとしたら人身事故が起こる。工事中の道を通りすがると頭上からレンチが落下する。……僕と妻は、常にびくびくしながら過ごしていたよ。運が悪い子だなぁなんて微笑ましくいられたのは本当に初めだけだった。周囲もだんだんと不気味な子を見るような目で見てきた。――そして、ある日、決定的な事件が起きた。
「幼稚園の遠足で配られたおやつだ。それを食べた、息子を含めた園児全員が食中毒になった。
「幸い、全員命は助かった。原因もそれを用意した近所の菓子店の不手際だった。だが、それでも、彼等は口を揃えて息子にこう言った。
「お前のせいだ、疫病神――とね。
「理解出来なかったよ。だが、息子の同級生だけじゃない。彼等の父兄、幼稚園の先生、果ては当の菓子店の店主まで、息子を悪魔か何かを見るような目で見てくるんだ。
「それからの数年間は、まさしく地獄だった。
「噂は街中に広がり、テレビカメラまで来た。今ほどSNSが普及していない時代だったが、だからこそ、かな。文字通りの口コミで広がる風評被害はとても生々しく、禍々しいものだったよ。世界そのものが息子の敵のように思えた。
「息子は不幸なだけで、何もしていないのに。
「僕が変わってやれればと何度も思った。果てには、妻は不幸に生んでごめんなさいと息子に謝る程だった。
「このままでは本当に息子は『不幸』になる。僕は、決意したよ。根拠のない迷信や風評被害には流されない、世界で最もそんなものからは縁遠い街へと、息子を送ろうとね。
「そう、僕は、息子が幼稚園を卒園したと同時に――学園都市の小学校へと、息子を入学させたんだ」
×××
神の力と神を裂く者との激闘の音が、ここまで響いている。
「………………」
その詳細を知っている上条はともかく、何も知らない筈の剣は、それでも何も動じることなく、何もかもを諦めているかのような口ぶりで、己の息子の物語を語り続ける。
「――だが、あの科学の街でも、息子の不幸は治らなかった」
疲れ切った男は、言葉程に失望の込められていない調子で言う。
否――既に失望など、絶望など、飽きる程に、諦める程にやり尽くしたと言わんばかりに。
「いや、不幸の頻度は比較的に下がったと言っていた。それでもなくなったわけではなく、そして学園都市という特殊性故か、巻き起こる不幸は、巻き込まれる不幸は、外の世界よりも遙かに厄介で、恐ろしいものになったという」
同じく、幼稚園卒園から学園都市に入り、それから十年もの間を過ごし――数々の不幸に巻き込まれてきた上条は、その光景が嫌という程に理解出来た。
まるで同じ時を過ごしてきたかのように――その物語を、一緒に体験してきたかのように。
「そして、何よりも僕が間違ってしまったのは――息子を一人にしてしまったことだ」
この時、初めて神定剣は、言葉に感情を込めて、拳に力を入れて握り締めた。
唐突に男の表面に浮かび上がってきたそれは――父親としての、何かに対する激情なのか。
「息子にとって、この世界で味方と言えるのは、僕と妻だけだった。あんな幼少期を過ごしてきたんだ。友達の作り方など知る由もなかった息子は、案の定……新天地で孤立してしまった。不幸がなくなったならばまだしも、息子はトラブルに巻き込まれ続けたからね。……そんな息子に手を伸ばしてくれた者達もいたらしいが……やがて、己の傍で巻き起こる不幸で傷ついていく彼等を、息子の方が遠ざけるようになった」
そして――神定剣は、天を仰ぐのをやめて、振り返り、上条当麻の方を向いた。
だが、その瞳は、終焉の空を眺めるのと同じように。
達観と、諦念と――そして、僅か以上の。
「数年経ったある日のことだ。今と同じくらいの時期に、私は息子を『
上条は息を吞む。
疲れ切った男の顔が、真っ黒に染まった。
痩けた頬も、伸びた髭も、濃い隈も、全てが彼の――神定剣という男の絶望を表していた。
上条当麻は知っている。
彼の
この世界は――悲劇がある。
失恋もある、借金もある。事件も――起こる。
上条当麻が見ないふりをしてきた、悲劇的な不幸で満ちている。
「――――妻が、死んだ」
どこか遠くで、世界を滅ぼす攻撃を放つ音が聞こえる。
それを神裂が防いだのか、超常の戦争の轟音が、どこか男の話から現実感を奪う。
しかし、男の痛々しい微笑みが、上条の胸に激痛を送り、諭す。
これは間違いなく、上条が防げなかった不幸だと。
「……旅行に出かけようと思ったんだ。息子が学園都市へと帰る前に、家族で思い出を作ろうとね。……この旅行を楽しんでもらって、息子に帰る場所があるということを……いつでも帰ってきていいんだよと、そう思ってもらえるように」
それは、父親が電車の切符を買おうと家族から離れた時だった。
地元の駅の人混みの中から、包丁を握った男が、息子に向かって唐突に一直線に飛び出してきた。
犯人は何でも希望の大学に合格できずに落ちぶれ、気が付いたら借金で首が回らなくなった男だったらしい。
何もかもに絶望し、どうして人生が上手くいかないんだと嘆いていたら、そこに楽しそうに笑う、かつて自分が受験生だった時に話題になっていた『疫病神』を見つけたという。
元凶を見つけたと、男は警察の取り調べで供述した。
己の『不幸』は全て――あの『疫病神』のせいだと。
「息子を襲った凶刃は――息子を庇った妻の腹に突き刺さった。……私が駆けつけた時には、男は周りにいた大人達に押さえつけられながら哄笑していて……息子は血塗れの妻に抱かれていた」
救急車で病院に運ばれた神定
旅行に行くことも、それどころか家に帰ることも出来ず、見知らぬ病院のベッドで最期の時を迎えた。
「息子は――謝り続けた。僕に、そして、妻の遺体に。不幸に生まれてごめんなさいと、世界中の罪を、その小さな身体に背負っているかのように」
神定剣は、上条当麻に――微笑みながら言った。
「――何故なんだ? どうして、僕の息子はこんなにも不幸なんだ?」
上条は、強い波を背にする、真っ暗な瞳の父親を見詰める。
何も言えない。
ヒーローは、壊れたように微笑むヴィランとなった男に。
どこにでもいる普通の父親――であった筈の男に、その幻想をぶち殺すことしか出来ない右手を握り込むことしか出来ない。
「……息子は、そのまま『学園都市』へと帰って行った。まるで檻の中に逃げ込むように。妻の……母親の葬儀に出席することもなく。……以来、一度も『外』の世界に出て来たことはない」
母の葬儀に出席しなかった息子を責めるようなニュアンスはまったくなかった。
むしろ出席しないでよかったと、剣は思っていたことを、上条は知っている。
その葬儀は、遂に疫病神が母親をも殺したという陰口で満ちていたと――日記を読んだ、上条は知っているからだ。
そのページに残っていた何粒もの涙の痕は、果たしてどのような涙であったのか。
上条当麻は、それを想像することも出来ない。
「何も出来なかった。僕は、何も出来なかった。妻の命を守ることも。息子の心を守ることも。……何も出来なかった僕は、一心不乱に仕事に明け暮れた。世界中を飛び回り、時折、息子が送ってくれる手紙だけを頼りに生きていた。……そんな息子の手紙の中に、君のことが書かれていたんだよ」
上条当麻くん。君のことがね――と、神定剣は、微笑みながら言った。
神定親子の物語に、上条当麻が登場した、その時のことを。
不幸に押し潰されるような人生を送っていた少年の前に現れた、不幸だと喚きながら学園都市を駆け回る少年の存在を。
「その少年は、息子に負けず劣らず不幸な少年だったらしい。……いや、信じ難いことだが、あの息子よりもその少年は、常にとんでもないトラブルに巻き込まれ、命がいくつあっても足りないような、波瀾万丈の日々を送っている少年だったそうだ」
それこそ、同じ学区内とはいえ、別の小学校にもその伝説が届くような存在だったという。
少年は、当然のように興味を持った。
これまで出会ったことのない、同じ境遇の少年――同じ不幸を背負った少年。
もし、そんな存在がいるのならば。
その少年ならば、その少年だけは――生まれて初めての期待を胸に、その少年がいるという小学校をこっそりと訪れ、待ち伏せ、そして観察を続けた。
僅か、一週間だった。
少年は、思った。
彼は、自分と同じ、
違う――違う――違う。
彼は、自分とは、全く違う。
「
その少年は、笑っていた。
降りかかる不幸を嘆きながらも、最後には周囲の人間を笑顔にしていた。
その少年は、強かった。
どれだけ理不尽な騒動に巻き込まれようとも、その困難を己が力で乗り越えて解決してしまう程に強かった。
その少年は、優しかった。
誰よりも己が窮地に陥っているのに、まず第一に泣いている人間に手を差し伸べた。
その少年は、不幸に負けず、世界を相手に戦っていた。
「ただただ不幸を嘆き、ただただ不幸に負けて、ただただ不幸を憎んでいた自分と違い……その少年は、まるで世界の中心にいるような輝きを放っていたと。――まるで」
その少年の父親は。
上条当麻のようになれなかった少年の父親は、言った。
「息子は言っていた。僕は、なれなかったと。『
どうして、君のような存在がいるのだとね――神定剣は言った。
上条当麻になれなかった少年の父親は――もしくは、上条当麻になれたかもしれなかった少年の父親は。
この世界に突如として現れた異分子に。別の世界からやってきた主人公に。
真っ暗な、何もかもを諦めたような瞳を向ける。
「……すまない。理不尽だとは分かっている。君は息子に何もしていない。ただ、僕らには出来なかったことを、平然と当然のように行っているだけでね」
眩しすぎるんだ。
「息子の心は完全に折れてしまった。手紙の頻度も段々と減っていった。……大覇星祭などのタイミングで僕から学園都市を訪れても、息子は会ってさえくれなくなった。……無力感で押し潰されそうになった僕は――ニコチンとアルコールとオカルトに縋った。……その末路が、あの家だ」
そう言って、男は懐から取り出した煙草を咥えて火を点けた。
煙を吸い込んだ瞬間、痛々しく咳き込んだ。それでも、男は煙を肺一杯に吸い込む。まるで、自らの身体を痛めつけるように。
「……君のような
「……あの家は、『
「……そうか。天使、それに世界を終わらせるときたか。なるほど――
神定剣は、煙草の灰を携帯灰皿の中に落としながら、ゆっくりと上条の方へと振り返る。
「――僕は、ヒーローに倒されるべきヴィランというわけだ」
「…………」
上条は、ゆっくりと神定剣の元へと歩み寄っていく。
剣は、抵抗らしい抵抗も見せず、ただ諦めたように微笑んでいた。
「……僕を、殺すのかい?」
「…………どうして、こんなことをした?」
両手を広げて無抵抗のヴィランは、ヒーローの最後通牒にこう微笑んで答えた。
かつては誇りを持って言えていた――今では空虚に響いてしまう言葉を。
「愛すべき、息子の為に」
主人公の拳が、空しい音と共に、一人の父親の頬に突き刺さった。
×××
身の丈以上の日本刀を振るうポニーテールの侍は――神を裂く者という真名を持つ魔術師・神裂火織は、それを見た。
天使『神の力』が作り出した夜空、何億何十億という魔法陣が描かれた、この世の終焉たる光景。
その海の中を泳ぐように、一体の竜が世界へと飛び出した。
ミーシャは一度そちらの方へと目を向けたが、竜は『神の力』など目も向けずに、そのまま頭上を飛び去っていく。
その竜の尾の先は、かの少年がいるべき、わだつみの家の前の海岸から伸びているような。
(……これは……あなた、なのですか? ――上条、当麻)
かつてインデックスに施されていた『
その光景を思い出した神裂火織は、天を翔る竜を見て、ただ
やがて竜は、地平線の彼方へとその身を伸ばし――全てを終わらせた。
巨大な満月が焼失し、真っ暗な海が元の眩い青色を取り戻していく。
とある一軒の民家に竜が降り注いだ――そんな都市伝説が、一時のみ世界を駆け巡ったが、すぐに飽きたのか風化し、その民家は有り触れた煙草の消し忘れによって焼失したことになった。
こうして、全世界を巻き込んだ魔術事件――『
少年の小さな右拳が、ちっぽけな父親を空しく打ち抜く。
天を駆ける竜が、とあるちっぽけな民家を喰らう。
こうして――世界は救われた。
救われぬ者を、救えぬままに。