【完結】Fate/stay nightで生き残る 作:冬月之雪猫
「こうなったら、方法は一つしかないな……」
士郎が一歩前に足を踏み出す。不吉な予感が走り、セイバーが手を伸ばすが、彼はその手を取らずに更に一歩前進し、呟くように言った。
「俺が固有結界でサーヴァント達を纏めて隔離する。その間に二人で臓硯を頼む」
「な、何を言ってるんだ!? そんな真似、させられるわけがない!」
「他に方法が無いんだ! このままじゃ、逃げる事も出来ない! だったら――――」
「犠牲になるなんて許さない!」
瞳に涙を溜めて叫ぶセイバー。そんな“彼女”に士郎は口付けをした。
「犠牲になるつもりは無い。俺は絶対に生き延びる。信じてくれ」
その言い方は卑怯だ。愛しているから信じたい。愛しているから止めたい。源を同じにしながら、相反する二つの感情の板挟みになり、言葉が出て来ない。ただ、涙だけが止め処なく溢れ出す。
士郎は静かに丘を降りて来るサーヴァント達を見据え、祝詞を唱え始める。
――――体は剣で出来ている。
生き延びる。何があろうと、絶対にセイバーを悲しませない。腕が捥げようと、目が潰れようと、背骨が折れようと、脳が潰されようと、心臓を貫かれようと、必ず生き延びる。
不可能などと諦めを口にする事は許されない。理想を捨てた以上、この上、セイバーに対する愛まで捨てたら、それこそ終わりだ。何の価値も持たない骸と成り果て、ただ彼女に絶望を背負わせてしまう。
――――血潮は鉄で心は硝子。
祝詞を唱え切るまでに少し時間が掛かる。足止めをしようと、可能な限り多くの剣を投影し、射出する。
剣の投擲に合わせ、凜が宝石剣を振るう。士郎の剣は弾かれ、往なされ、躱されたが、彼女が放った七色の極光は彼等の足を一時的に止めさせた。
この隙を逃すわけにはいかない。
――――幾たびの戦場を越えて不敗。ただ一度の敗走もなく、ただ一度の勝利もなし。
一瞬の停滞の後、再び時は動き出す。セイバーが前に躍り出た。涙が宙を舞う。苦悩と嘆きを叫び声に変え、剣を片手に走り出す。
「リン! わたしに構わず宝石剣を振るえ!」
凜は迷わなかった。宝石剣が放つ光は凜の魔力を強引に攻撃力に変換したものであり、一見すると宝具の真名解放のようでいて、その実、魔術の範疇内だ。汚染の影響か、アルトリアは対魔力が劣化している為に宝石剣が通用したが、セイバーの対魔力ならば完全に無効化する事が出来る。
エクスカリバーの真名解放にも匹敵する極光斬撃の乱れ撃ち。そんな悪夢のような波状攻撃を敵は易々と越えてくる。ただ、破壊力に優れた武器があれば倒せるなら彼等は英雄になどなっていない。
絶望的な状況、圧倒的な戦力差、それらを覆し、勝利して来たのが彼等なのだ。だが――――、
「ハァァァアアアアアア!!」
今の彼等は聖杯による汚染や臓硯による令呪の効果でステータスこそ上昇している反面、戦闘技術が大幅に劣化している。
凜の波状攻撃を乗り越えた時点で既に奇跡。その先で構える最優の力を万全に発揮したセイバーを打倒する余力など残っていない。
とは言え、多勢に無勢。アルトリア、ライダー、アサシン、バーサーカーの四騎を相手にセイバーは足止めがやっとの状況。だが、それで十分……。
――――担い手が立つは剣の丘。唯一人の為に鉄を鍛つ。
彼女が作ってくれた時間を詠唱と追憶に浪費する。
彼女との出会いの日から今に至るまでの輝きに満ちた日々を思い、涙を零す。
ああ、己は彼女を愛している。彼女も己を愛している。その事実が奇跡のようだ。
生きたい。彼女と共に在りたい。愛してあげたい。愛されたい。一分一秒を共に分かち合いたい。
だけど、その祈りは叶わない。いくら頑張っても出来ない事はある。サーヴァント達を固有結界内に隔離したとしても、恐らくもって一分足らずだ。その先に待ち受けるのは避けようの無い死。
――――この心に住まうは一人。
愛している。心の底から愛している。
あらゆる幸福を彼女に与えたい。あらゆる不幸を彼女から取り払いたい。
生き延びなければならない。
生き延びる事は出来ない。
彼女を絶望させたくない。
彼女を絶望させてしまう。
――――この体はきっと……。
ああ、この苦悩をどうしたら……――――、
「――――安心しな。俺が守ってやるよ」
――――……無限の剣で出来ていた。
瞬間、士郎を中心に大地が燃え上がる。地面を走る紅蓮の炎は瞬く間に凜とセイバー、そして、臓硯以外の全てを悉く呑み込んだ。
赤々と燃え盛る炎が視界を覆い、暗黒の光が満ちる大空洞を“赤”で塗り潰したかと思うと、次の瞬間、理性を無くした者達ですら息を呑む光景が忽然と視界に広がった。
それは、一言でいうならば剣の墓場。地平線には燃え盛る紅蓮の炎。見上げた先には彼女の衣を思わせる蒼穹。視線を下げた先の草一本生えていない見果てぬ荒野には、担い手の無い剣が整然と無数に突き刺さっている。
大地に連なる刃は全て名剣揃い。アーチャーの記憶から引き出した古今東西の剣が並んでいる。
無限とも言える武具の投影。まるで畑のように夥しい程の武器が立ち並ぶその光景は圧巻であり、数少ない理性ある者は称賛の笑みを零す。
ああ、これは正に“剣戟の極致”だ。なんと寂しく、なんと落ち着く場所だろう。
「……凄ェ」
士郎の前に立ち、彼を守るように槍を構えながら、彼は感動に打ち震えている。
これほどの光景を見せられて、感銘を受けない者など居ない。数々の英雄がその伝説を共に作り上げた相棒達。ここには数多くの伝説があり、同時に何も無い。ここにあるモノは全てが偽物であり、全てがいずれ英雄となる男を支える為に存在している。
「参ったな……。思わず、惜しんじまいそうだ」
だが、彼等が伝説となる事は無い。英雄となれる筈の男は愛に生きる決意を固めた。
それを罪とは思わない。むしろ、一人の女の為に自らを変え、命を張り、運命を捻じ曲げようと戦う少年を彼は好ましく思う。
「ラ、ランサー……」
士郎は驚きに目を見開く。彼はついさっきまで、バーサーカーと戦っていた筈だ。なのに、どうしてここに居るのだろう?
彼が問うと、ランサーは口元に笑みを浮かべた。
「ランサーのサーヴァントは敏捷さがウリなんだよ。なあ、シロウ。お前はもうちょっと生きろ。お前達の未来は俺の槍が切り拓いてやる」
ランサーは魔槍を手に歩き出す。ラインを通じて、己が主に謝罪する。
彼女を勝たせると言った約束を反故にしてしまった事だけが心残りだった。
『……構いませんよ。これまで、散々窮屈な思いをさせてしまいましたからね。最後に気が済むまで大暴れしなさい』
ランサーは唇の端が吊り上るのを堪え切れなかった。
なんと良い女なのだろう。なんと、良い主なのだろう。
『感謝するぜ、バゼット。……あばよ』
彼の別れの言葉に対する返事は令呪だった。膨大な魔力が彼を包み込む。
「そんじゃ、いっちょ、暴れ回るとしようか!」
◆
士郎の固有結界が桜の前に立ちはだかっていた障害を根こそぎ掃除してくれた。
セイバーが走り出す。その後ろを凜が追う。臓硯は焦燥に駆られ、影の巨人を次々に繰り出す。けれど、それらは悉く凜に一層され、瞬く間にセイバーは臓硯の前に辿り着いた。
容赦無く、セイバーは剣を振り上げる。この元凶さえ始末すれば、全てが終わる。
「や、やめろ!」
桜の口から臓硯の悲鳴が響く。直後、鮮血が舞った。
斜めに切り裂かれた自らの肉体を見下ろし、臓硯は絶叫した。
「き、貴様!!」
地面に倒れ伏しながらもしぶとく逃げ出そうとする臓硯の眼前にセイバーはエクスカリバーを突き立てた。
呼吸が荒くなる。殺さなければならない。それが分かっているのに、桜の顔が恐怖に歪むのを見て、躊躇ってしまった。
もう、随分と昔の事のような気がするが、彼女と共に食事をした記憶が甦る。あの光景は士郎にとっての日常だった。彼の大切な宝物だった。それを今から壊そうとしている。その罪深さにうろたえ、致命的な隙を見せてしまった。
「――――馬鹿が! 来い、アルトリア! 儂を守れ!」
光が走り、セイバーは吹き飛ばされた。
アルトリアの出現にセイバーは言葉を失う。最悪の事態だ。折角、士郎が作ってくれたチャンスを無駄にしてしまった。彼女と戦えば、間違いなくタイムリミットを迎えてしまう。士郎が死に、臓硯は配下を集合させる。
己の愚かさで全てを台無しにしてしまった。その事実に絶望し、膝を折るセイバー。そんな彼女の隣に凜が立つ。額から冷たい汗を垂らしながら、彼女は目の前の絶望を見据え、尚も戦おうと宝石剣を振り上げる。
そして――――、
「――――あがっ、がぁ?」
信じられない光景が目の前に広がった。
アルトリアが己が聖剣で主である筈の臓硯の心臓を貫いたのだ。驚愕に目を剥く臓硯にアルトリアは静かに呟く。
「……サクラの体で好き勝手な真似をするな、下郎」
「ヒィ……、ヒギィィィイイイ!?」
まるで蟲の囀りのような悲鳴を上げ、臓硯……、桜の体から何かが飛び出した。
それをアルトリアは平然と掴み取る。男性の陰茎を思わせる姿をした蟲が必死にもがいている。
「き、貴様! マスターである儂を裏切るつもりか!?」
「……笑わせるな。貴様を主などと思った事は一度も無い。だが、一つだけ感謝してやろう」
アルトリアは嗤った。
「貴様の愚かさに感謝してやる。貴様が命令を変更してくれたおかげで再び再現した人格を取り戻せた。もう幾許も無く消えるだろうが、その前に貴様をこの世から抹消してやる」
「は、放せ! 何を考えておるのだ!? 貴様は聖杯が欲しかった筈だろう!?」
「ああ、聖杯は欲しいさ。だが、私は止めたのだ」
「な、何を言って……」
「人の心を軽視する事を止めたのだ! それが我がブリテンの滅びに繋がったのだからな! その事を私に教えてくれたのはシンジとサクラだ! その二人の為ならば、私は聖杯を諦める!」
「ば、馬鹿を言うな! 桜も慎二も既に死んでおるのだぞ!? あの二人を思うならば尚の事、聖杯を取り、蘇生させてやるべきだろう!」
「馬鹿は貴様だ、臓硯。あの二人は元々未来を生きようなどと思っていなかった。ただ……、今を生き、今に死のうとしていた。彼等が望んだ終わりをこれ以上邪魔など――――」
その時だった。かすかな声が皆の耳に届いた。
「……アル、トリア」
それは桜の声だった。臓硯が桜から逃げ出した事で再び意識を取り戻したのだ。
既に虫の息の彼女に臓硯はコレ幸いとばかりに叫んだ。
「桜! アルトリアに自害を命じよ!」
「臓硯……、貴様!」
アルトリアが桜の声に意識を取られた隙を突き逃げ出した臓硯が桜に命令を下す。
激昂するアルトリアに臓硯は嗤う。そして――――、
「アルトリアを……」
魂にまで刻み込まれた臓硯への服従。慎二亡き今、彼女に対する命令権は臓硯に戻っていた。令呪を発動しようとする桜にアルトリアが静止を呼び掛ける。
その直後、再びありえない声が響いた。
「……やめろ、桜」
誰もが息を呑んだ。そこにはアーチャーに魂を喰わせた筈の慎二が居た。
彼の肉体に残留していた僅かばかりの魂が彼の口を動かしている。彼を運んで来たキャスターが彼を桜の隣に横たわらせる。
「僕以外の命令を聞くな……。そう、言っただろ?」
「……おにい、ちゃん」
桜は血の涙を流しながら、必死に手を伸ばそうとする。けれど、上手くいかない。顔を歪める桜。その手を温かい手が取った。凜は桜の手を取り、慎二の頬に宛がう。
「……お兄……ちゃん」
「桜……。悪かったな。俺……、負けちゃったよ」
力無く微笑む慎二に桜は首を僅かに振る。
「おにい、ちゃん。わた、しは――――」
「ああ、分かってる。もう、全部分かってる。だから、無理をするな」
「……わた、し……、わたしは……」
桜は必死に何かを言おうとしている。けれど、既に意識が遠退き始めているらしく、声が徐々に掠れ始めている。
そんな彼女に臓硯は喚く。
「何をしている、桜! 早く、令呪を!」
「……黙りなさい」
凜は憎悪に満ちた瞳を臓硯に向け、宝石剣を乱暴に振るった。
最後は悲鳴すら零す暇無く、数百年を生きた妖怪は死んだ。
そして――――、
「おに……ちゃん、わ……た、し……、おに……ちゃんの……事が……だい、すき……だよ」
「……俺もだよ。誰よりも愛してるよ、桜」
「……うれ、し……い……――――」
僅かな間を置いて、桜はゆっくりと息を引き取った。健やかな笑顔のまま……。
直後、虚空から士郎達が姿を現した。傷だらけながらも生きている彼にセイバーが駆け寄る。その隣で彼以上にボロボロなランサーをいつからか入り口に佇んでいたバゼットが寄り添う。
バーサーカーは静かに佇み、ライダーはアサシンを拘束している。どうやら、桜が死亡した事で令呪の効果が切れたらしい。ライダーはアサシンの心臓に釘剣を突き立て殺した後、よろよろと桜の下に向かった。
彼女の後を追うように士郎もセイバーに寄り添いながら歩く。
ライダーは桜の亡骸の傍に座り込むと彼女を抱き締め静かに微笑んだ。
「……思いは遂げられたようですね、サクラ」
そう言って、彼女は光となって消えた。気がつくと、バーサーカーの姿も無い。
マスター無き後、彼等を現世に縛り付ける鎖は無く、彼等自身もまた、留まる理由を失い去って行ったのだ。
「……慎二」
士郎が呼び掛けると、慎二は力無く微笑んだ。
「……謝らないぜ」
やりたいようにやった。だから、誰にも許してもらおうとは思わない。
慎二は正義の味方を目指していた少年に呟く。
「柳洞寺の本殿に藤村と美綴を寝かせてある。軽い暗示を掛けただけだから、夜明けには目を覚ます筈だ。ライダーが隠匿の為の結界を張ってたけど、それもアイツが消えた時点で消滅してる筈だ」
「美綴も生きているのか!?」
「……最低最悪ここに極まった感じだよ。いっぱい殺した癖に知り合いだからって理由で殺せなかった。ほんと、醜悪極まりないな」
心底吐き気がする。そう、慎二は表情を歪めて言った。
「……そろそろ時間だな」
慎二は呟いた。
「時間をくれた事に感謝する」
視線をキャスターに向け、ゆっくりと瞼を閉ざす。
「いいの?」
「ああ、もういい。悪党として、惨たらしく死ぬべきなんだろうけど、衛宮に余計なトラウマを持たせたくないしな」
「……馬鹿言え」
士郎は慎二の軽口に溜息を零す。
「十分トラウマを植え付けられたよ」
「……ハハ、悪いな」
慎二は小さく息を吐くと、再び目を開き、士郎を見た。
「あばよ、衛宮」
「……ああ、あばよ、慎二」
再び目を閉ざした慎二が再び目を開く事は二度と無かった。
「さて、私も逝くとするか……」
「アルトリア?」
士郎は思わず目を瞠った。彼女の体もまた、消えようとしている。
「色々と思う事はあるが……、シンジとサクラの死出の旅路を穢すわけにもいかん。潔く消えるとするさ。さらばだ」
何かを言う暇さえ与えずに消えた彼女にセイバーは唇を噛み締めた。
士郎はそんな彼女の手を取り、キャスターに近寄る。
「さあ、終わらせよう」
彼は全ての因縁の始まりである暗黒の柱を見上げ呟いた。
「……ええ、終わらせましょう」
キャスターが大聖杯に手を伸ばし、作業を開始する。それを後ろからぼんやりと眺めながら、士郎はセイバーの肩を抱いた。
「……終わったな」
「……うん。終わったね」
そして、時は流れていく――――……。