【完結】Fate/stay nightで生き残る   作:冬月之雪猫

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第二十二話「あの、――――第四次聖杯戦争で」

 キスというものについて、士郎は勿論知っていた。国や値域によって、多少の差異はあるだろうけど、大抵の場合、“ソレ”は好き合う男女が愛を確かめ合う為の儀式だ。人間の五感の中でも際立って敏感な粘膜同士を接触させる行為。この国では時に淫らと揶揄される事もある行為。知ってはいた。けれど、経験するのは初めてだった。唇同士が触れ合った瞬間、稲妻が士郎の体を引き裂いたようだった。鮮烈な感触に抵抗する意思が薄れ、されるがままとなる。

 士郎の体から力が抜けた途端、セイバーの口元は激しく、荒々しくなり、彼の腰に回していた手を顔に沿わせ、引き寄せた。唇同士が急き立てられるかのように馴染みの無い動線を描く。あまりにも強烈な感覚に頭がふらつき、わけがわからなくなっていく。

 肉体と精神は別物だと誰かが言った。心では止めなければいけないと分かっているのに、肉体が理性を押し退ける。静寂が満ちる夜闇の中、二人の息遣いばかりが大きく響き渡る。周囲に大勢の人が居る事や彼等の視線が自分達に向けられている事に頓着している余裕が無い。

 狂おしく乱れるセイバーの吐息に士郎は荒々しく呻く。固まっていた筈の腕が緊張という名の束縛を突き破り、セイバーの髪を指で絡ませる。

 

「――――って、シロウ!! ちょっと、こんな場所で何してるのよ!?」

 

 誰よりも早く立ち直ったのはイリヤだった。それまで、目の前で起きた衝撃の光景に固まっていたが、漸く我に返り、二人の間に小さな体躯を滑り込ませた。

 それで漸く、士郎の瞳に理性の光が戻る。まるで、藤ねえに叱られたかのような錯覚を覚え、体に電撃が走ったかのようにビクリとした。

 腰に手を当て、お叱りモードのイリヤに士郎は慌てて言い訳を考える。そんな彼にセイバーがイリヤを押し退けて近寄る。

 

「……しろう」

 

 まるで、砂糖菓子のように甘ったるい声。一瞬、それがセイバーの発したものとは分からなかった。

 寄り掛かって来るセイバーの表情は甘えに満ちている。

 

「――――説明してくれるのよね?」

 

 イリヤはピクピクと米神を痙攣させながらキャスターに問う。

 吹き飛んだ腹部を既に元通りにしたキャスターが小さく頷く。

 

「――――とりあえず、ここを離れましょう。溜め込んでいた魔力の大部分を消費してしまったし、これからここには聖堂教会の人間が大挙して押し寄せて来るでしょうから……」

「……なら、衛宮邸に向いましょう」

 

 提案したのは凜だった。人前でとんでもない事を仕出かしたバカ共に気を取られている暇は無い。

 ここはキャスターの神殿。いつまでも長居はしたくない。それに、セイバーが洗脳されている可能性もあるし、今のキスで士郎の体に何かを仕掛けられた可能性がある。それを確かめる為にもココに留まるのは愚策。

 

「ほら、行くわよ、しろ――――」

 

 振り向いた凜の視線の先には頬を赤らめ、士郎の腕に自分の腕を絡ませてご満悦な表情のセイバー。

 

「……なんか、イラッと来るわね」

 

 人が真面目にあれこれ考えている時に……。

 

「落ち着きなさい、リン」

 

 嗜めたのはイリヤ。

 

「――――今は余計な事をせずに衛宮邸に向いましょう。今のセイバーは十中八九、キャスターに精神操作されている。下手な事をして、士郎に牙を剥かれても、私達じゃ助けられないわ……」

「……随分な変わりようね。一度は士郎を殺した癖に」

「それは聖杯戦争だったからよ。バーサーカーを奪われた以上、私は敗者。だから、後は傍観に徹するのが筋なんでしょうけど……。私は聖杯の担い手となる勝者がシロウだったら最高だと思ってる。だから、シロウを勝者にする為に動く」

 

 この場合、彼女が口にした“聖杯”とは、“彼女自身”を意味する。いずれ、自らの身を勝者に捧げなければならない以上、その相手を自ら選定したいと思う事におかしな点は無い。

 けれど、あくまで士郎はイリヤにとって、並み居る敵の一人。敢えて、彼だけを特別扱いする理由とは――――、

 

「……何度も外で会って、絆されたわけ?」

「まあ、近いかもしれないわね。ただ、もっと根本的な理由が別にある」

 

 凜の揶揄するような言葉に悠然と笑みを浮べ、イリヤは言った。

 

「今の私はシロウの敵では無く、ただのお姉ちゃんなのよ。だから、弟の為に手を焼きたい。あの子が幸せになれるように全てを尽くす。この命も例外じゃないわ……」

 

 士郎に聞かれないようにする為か、イリヤは声を抑えていった。

 彼女の真意を量りかね、途惑う凜に彼女は言った。

 

「私の母の名はアイリスフィール・フォン・アインツベルン。そして、父の名は――――、衛宮切嗣」

 

 思わず声を上げそうになる凜にイリヤは人差し指を口に当ててシーっと黙らせた。

 

「もう、十数年くらい前の事になるかな。アインツベルンは自らの戦闘能力の低さを嘆いていた。研究をしているだけなら、戦闘能力なんて有っても無駄だけど、聖杯戦争という大儀式において、最も重要視されているのが“ソレ”だから……。だから、お爺様は外来の魔術師を身内に引き入れる事にした。当時はちょっとした話題になったそうよ」

「そうでしょうね……」

 

 話の筋が見えてきた事で凜は頭が痛くなった。

 

「――――その外来の魔術師が衛宮切嗣だった。そして、アインツベルンが宛がった魔術師との間に貴女を産み落としたって事?」

「その通りよ。後は知っての通り。切嗣はアインツベルンが用意した聖遺物を手に、聖杯戦争に参加し、二度とアインツベルンの城に帰って来る事は無かった」

 

 イリヤは悲しげに呟いた。

 

「シロウの事を知ったのは少し前の事だった。私から切嗣を奪い、息子として傍に居る彼の事を憎いと思った事もある。だけど……、実際に会って、話をして……」

 

 イリヤは深く溜息を零した。

 

「憎しみなんて感情を持たせてくれる相手じゃなかったわ。ほんの僅かな時間を共に過ごす内、どんどん憎しみや怒りが愛情に摩り替わっていくのが分かった」

 

 イリヤは疲れたように士郎を見た。

 

「セイバーも……。切嗣が召喚したサーヴァントと同じものだと思ってたから、正直言って、嫌いだったわ」

 

 肩を竦める。

 

「だけど、セイバーも嫌いなままにさせてくれない。本当に困った主従よね」

「まあ……、そこは同意しておくわ。放っておくと、勝手に死んじゃいそうで目が離せないし……、困った主従よ」

 

 凜も苦笑を零した。

 

 

 衛宮邸に戻って来ると、少し安心感が湧いた。さっきから、腕に感じるセイバーの柔らかさに対する戸惑いも少しだけ和らいだ気がする。

 

「ほら、ついたぞ、セイバー」

「う、うん……」

 

 セイバーの様子がおかしい理由を道中でキャスターに教えられた。

 セイバーがどうして召喚されたのかについても……。

 

「大丈夫か?」

 

 キャスターはセイバーに長い夢を見せていたらしい。女の子の体である事を許容出来るように夢の世界でじっくりと時間を掛けて慣らしたのだと彼女は説明した。

 その説明の辺りからだろうか? セイバーの様子が少しずつおかしくなり始めた。

 幸せ一杯な笑顔が徐々に抜け落ちていき、俯いてしまった。今では少し震えているようにも見える。

 

「お、おい、セイバー?」

 

 声を掛けると、セイバーは顔を背けた。

 

「す、すみません、士郎さん。わたくし、少々私用がありまして、先に部屋に行かせて頂きます」

「ちょ、セイバー!?」

 

 士郎からのろのろと手を離した後、セイバーは脱兎の如く走り去った。

 唖然とする士郎を余所に他の面々はどこか悟ったような表情を浮かべている。

 その直後――――、

 

「ギニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」

 

 離れからこの世のものとは思えない絶叫が響いた。

 

「セ、セイバー!?」

 

 慌てて追いかけようとする士郎をアーチャーが押さえ込んだ。

 

「お、おい、何するんだ!! セイバーが悲鳴を上げたんだぞ!?」

「大丈夫だ。大丈夫じゃないが、大丈夫だ。とりあえず、慈悲をやれ」

「何言ってるのか分からねぇよ!!」

 

 肩を抑え付けられながら、尚もジタバタする士郎を尻目に凜とイリヤは白い眼をキャスターに向けた。

 

「貴女……、生粋のサディストね」

「鬼でしょ……」

 

 

 彼の傍に居ると、酷く心地が良かった。安心と幸福。その両方が無償で得られる。

 士郎の肌の香りを吸い込み、ぬくもりを感じる。

 

「――――セイバーの魂は元々――――だから、今は――――」

 

 さっきから、幸福に水を差す雑音が響く。

 今まで、彼以外の声が聞こえる事は無かった。酷く耳障りだ。

 

「――――セイバーには夢を見せていた。女の体である事に抵抗を抱かないように」

 

 何だか、聞き捨てならない言葉が聞こえた気がする。

 そう言えば、今まではずっと彼と二人っきりだったのに、何だか見知った顔がぞろぞろ並んでいる気がする。

 時々、彼女達がチラチラと此方を見てくる。

 何だか、猛烈な不安を感じ、彼の腕をより強く抱き締めた。

 すると――――、

 

「セイバー……」

 

 いつもなら、甘い言葉を囁いてくれる彼が困ったような声を発した。

 案じるような、不安を帯びた声。

 途端、今まで思考をぼやかしていた霧が晴れた。

 ……晴れてしまった。

 

「……あれ?」

 

 おかしい。何で、俺は士郎君の腕に抱きついているのだろう。

 いや、今までの記憶はちゃんと残っている。

 不思議な夢を見ていた。士郎君とまるで新婚夫婦のように只管愛し合うというとんでもない夢を見続けていた。

 何の目的かは定かでは無いが、どうやら、キャスターが見せていたらしい。

 ただ、今の問題はそこじゃない。どうやら、いつの間にか己は夢から覚めていたらしい。

 

「…………ッ」

 

 ちょっと待ってよ……。

 何だか、取り返しのつかない事をしてしまった気がする。

 百歩くらい譲って、士郎君の腕に抱きつくのはいい。限り無くアウトに近い気もするが、まだセーフという事にしておく。

 だけど、キスはまずいだろ。舌まで入れちゃった。ファーストキスだったのに、男にキスして、思いっきり堪能してしまった。

 多分、士郎君もまだ未経験だった筈。桜ちゃんに手を出しているとも思えないし、藤ねえとキスしている姿は想像出来ないし……。

 自分よりも年下の男の子の唇を奪い、あまつさえ舌を入れる……、完全に犯罪者だ。

 自分の仕出かしてしまった事に顔が青褪め、震えが止まらなくなる。何が恐ろしいって、キスした事自体には嫌悪感が皆無だという事だ。

 

「お、おい、セイバー?」

 

 士郎君の声が耳元で囁かれる。それだけで心臓が大きく跳ねた。

 まずい……。非常にまずい……。士郎君の顔をまともに見られない。

 

「す、すみません、士郎さん。わたくし、少々私用がありまして、先に部屋に行かせて頂きます」

「ちょ、セイバー!?」

 

 猛烈な名残惜しさを必死に振り払いながら、士郎君の下を離れて走る。離れまで行き、空き部屋に滑り込む。

 一気にベッドに飛び込み、瞬間、絶叫した。

 

「ギニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」

 

 ベッドの上を転がり、床に落ちても転がり続ける。

 ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ。

 マジでこれからどうやって士郎君と一緒に居ればいいのか分からない。

 というか、凜とイリヤに見られた。男にキスしてるとこや甘える所を見られた。

 

「ミギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」

 

 死ぬしかない。今直ぐに死ぬしかない。

 ああでも、士郎君になんてお詫びをすればいいのか分からない。死ぬ事がお詫びになる相手じゃない。

 困ったぞ、困ったぞ、困ったぞ、困ったぞ、困ったぞ、困ったぞ、困ったぞ、困ったぞ、困ったぞ、困ったぞ、困ったぞ。

 せめてバードキスだったなら、まだ言い訳……立てられなくも無かった気がしないでもない……多分。

 でも、やってしまったのはディープな方だ。言い訳不可能。単なるホモ野郎では済まされない。

 ショタコンという、より業の深い領域に全身でダイブしてしまった。

 

「キャ、キャキャ……キャスター!!!」

 

 全部アイツのせいだ。何の意図があったか知らないが、あんな夢を見せるからこうなったんだ。

 ぶっ殺してやる。アイツを殺して自分も死ぬ。

 

「うおおおおおおおお!! ぶっ殺してやるぞ、キャスター!!」

 

 エクスカリバーを手に魔女の討伐を志す。

 迷いも躊躇いも無い。必死に走り、声のする方に向う。

 

「キャスター!! テメェ、絶対にぶっ殺――――」

「……士郎君バリア」

 

 居間に入った瞬間、キャスターが士郎を立たせて、その後ろに隠れた。

 途端、セイバーは震えだした。彼の顔を見た瞬間、急激に自分の態度が恥ずかしくなった。

 はしたないと思われたくない。そんな奇妙な感情が湧き上がり、セイバーは唇を噛み締めて、泣いた。

 

「ひ、卑怯だぞ、キャスター!!」

 

 駄目だ、こんな所には居られない。

 

「ちくしょう!! キャスターのばかぁぁぁああ!!」

 

 ドタバタと走り去るセイバー。完全な敗者の姿だった。

 元居た部屋に閉じこもり、布団を被って転がり続ける。

 セイバーが漸く落ち着いたのは翌日の朝の事だった――――。

 

 

「だ、大丈夫か、セイバー?」

 

 漸く部屋から出て来たセイバーに士郎がお茶を出しながら問い掛ける。

 どこかやつれた感じのするセイバー。士郎の感謝の言葉を告げながら、一息で飲み下す。

 そして――――、

 

「ごめんなさい、士郎君」

 

 謝った。誠心誠意、心を篭めて頭を下げた。

 

「……え?」

 

 目を丸くする士郎にセイバーはぼそぼそと言う。

 

「……いやもう、本当に色々と迷惑を掛けちゃって」

「迷惑だなんて、思ってない」

 

 実に男らしい事を言い出す士郎。

 

「……や、やるな、士郎君」

「は?」

「いや……、それより、その……キ、キ……キスした事もその……ごめんなさい」

 

 顔を真っ赤にして謝るセイバーに士郎は苦笑した。

 

「別に気にして無い。セイバーだって、キャスターに変な夢を見せられたから錯乱してただけだろ? セイバーだって、被害者なんだ。責める筋合いなんか無い」

「う、うん。そう言ってもらえると……嬉しいです」

 

 許してもらえて嬉しい筈なのに、何だか心がもやもやする。

 とにかく、後でキャスターと話をつけた方がいいだろう。きっと、洗脳の類を施されたに違いない。

 

「とりあえず、セイバーに今起きている事を説明するように言われてる」

 

 居住まいを正して言う士郎にセイバーも慌てて背筋を伸ばす。

 

「まず、セイバーがキャスターに捕らえられた後の事なんだけど――――」

 

 士郎はこれまでに起きた出来事を順序立ててセイバーに語り聞かせた。

 セイバーは影の出現に表情を青褪め、もう一人のセイバーの存在に驚愕した。

 

「つまり……、本物のアーサー王がこの戦いに参加しているって事?」

「ああ、そういう事だ。キャスターから聞いた話によると、それがセイバー……、悟が召喚される事になった理由らしい」

「……どういう事?」

 

 士郎はキャスターに聞かされた“日野悟がセイバーとして召喚された理由”を語った。

 語り終えた後、士郎は深く頭を下げた。

 

「……本当にすまないと思ってる」

「し、士郎君!?」

 

 途惑うセイバーに士郎は言う。

 

「悟がこの戦いに巻き込まれたのは俺が無理矢理召喚を行ったからだったんだ……。本当にすまない……」

 

 彼の顔に浮ぶ表情にセイバーはうろたえた。苦悩などという言葉で表現出来る生易しい表情では無い。

 まるで、誰かに火を放たれたかのような苦悶の表情。よく見れば、彼の顔はどこか痩せて見える。目の下にもクマが出来ている。

 

「士郎君……、ちゃんと寝てるの?」

 

 己がここに召喚された理由などどうでも良い。それより、士郎の体調が心配だった。

 

「……俺の事なんてどうでもいい」

「良くない!! まさか、俺がキャスターの下に行ってから一睡もしてないんじゃないだろうな!?」

 

 否定の言葉が返ってこない。恥ずかしさも申し訳なさも吹き飛んだ。

 

「こんな事をしてる場合じゃない!! ちゃんと体を休めなきゃ!!」

「……俺は」

「言い訳も何も聞く気は無いぞ!! 御飯は食べたの!? まだなら、直ぐに用意するから食べて、寝るんだ!!」

 

 言いたい事や考えたい事が山程ある。だけど、最優先は士郎の体調だ。あんな風にやつれるなんて只事じゃない。

 冷蔵庫を開けて、材料を見繕い、栄養の付きそうなものを用意する。卵は消費期限が過ぎていて使えなかった。

 買出しにも行っていなかった。その事実が重く圧し掛かる。

 

「セ、セイバー。料理なら俺が――――」

「いいから、君は座っていろ!!」

 

 有無を言わさず怒鳴りつけて調理に取り掛かる。

 簡単な物ばかりだが、味は問題無い筈。

 

「ほら、キチンと食べてくれ」

 

 お茶を入れて、士郎に差し出す。

 士郎は堅い表情のまま、箸を手に取った。

 キスしたとか、そんなくだらない理由で一晩を無駄にしてしまった事が悔やまれる。

 もっと早く、士郎の異常に気付いてあげるべきだった。こんな風にやつれているのに気付かないでいたなんて……。

 

「食べ終わったら、直ぐに眠るんだよ?」

「……いや、そんな暇は無い」

「――――何、言ってるの?」

 

 眠る事は暇が無いからと言って、無視していいものじゃない。

 怒りを滲ませるセイバーに士郎は言う。

 

「強くならなきゃいけないんだ……。だから、休んでいる暇は無い」

「……ふざけるなよ。君は自分の姿が見えていないのか!? そんなにやつれて――――」

「ふざけてなんかいない!!」

 

 声を荒げる士郎。けれど、セイバーも引く気は無かった。

 

「ふざけてるよ!! そんな体調で無理をしたって、何の意味も無い!!」

「……でも、もう嫌なんだ!!」

 

 士郎は吐き出すように叫んだ。

 

「俺が弱いせいで、セイバーが傷ついたり、遠くに行くなんて、嫌なんだ!!」

「し、士郎君……」

 

 セイバーはうろたえた。士郎の目から涙が零れていたから……。

 

「――――俺は弱いままじゃ嫌なんだ」

 

 その言葉に言い返す事が出来なかった。

 

「……だから、己の我侭を通し、セイバーを困らせるのか?」

 

 突然、部屋に現れてアーチャーが言った。

 

「……なんだと?」

「セイバーの言う通りだ。今の貴様の体調では鍛錬に時間を割くだけ無駄だ。一度眠り、体調を整えてからにしておけ」

「でも――――」

「焦るな……、と言う方が無茶なのだろうが、それでも焦るな。セイバーを守りたいなら、常に冷静さを忘れるな。一時の感情に踊らされ、間違った選択をしてしまえば、後に残るのは後悔ばかりだ……」

「アーチャー……?」

 

 士郎とセイバーが困惑するのを尻目にアーチャーは静かに姿を消した。

 

「……えっと、アーチャーもああ言ってたし」

「……分かった」

 

 

 夕刻になり、士郎が目を覚ますと居間には一同が勢揃いしていた。

 

「起きたのね、士郎」

「ああ、すまない。こんな時だってのに――――」

「士郎は無茶をし過ぎる性分だから、折角休んでくれたのにとやかく言う奴は居ないわ」

 

 苦笑する凜に士郎は感謝の言葉を伝え、セイバーの隣に座った。

 

「それじゃあ、士郎が起きたところで早速なんだけど、言峰教会から出頭命令が届いたわ」

 

 凜の言葉に士郎が目を丸くする。

 

「出頭命令……?」

「ええ……。今回は騒ぎが大き過ぎたから、監督役が動き出したみたい。まあ、監督役とは知らない仲じゃないし、今回の事はマキリの側に非がある。そうそう悪いようにはならないと思うわ」

「監督役か……」

 

 凜の言葉にセイバーが表情を曇らせる。

 

「どうしたんだ?」

「いや……、何でもない。それより、全員で向うのか?」

 

 セイバーの問いに凜は「もちろん」と応えた。

 

「下手に戦力を分散させるのは避けたいから、教会には全員で向う事にする」

 

 その後、それぞれ身支度を整え、教会に向って歩き出した。

 

「そう言えば……」

 

 道中、歩きながら士郎が呟く。

 

「キャスターのマスターはどうしたんだ? 一緒に居なくて大丈夫なのか?」

 

 その問いに応えたのはキャスター当人だった。

 

「マスターの情報は完璧に隠蔽しているから、むしろ、一緒に居ない方が安全なのよ。まあ、万が一の場合には備えているから大丈夫よ」

「そうなのか……」

 

 二人の会話に小さく舌を打ったのは凜とイリヤ。

 あわよくば、キャスターのマスターの情報を得られるかもしれない、と一瞬期待してしまったが故だ。

 すると、そんな彼女達にキャスターは微笑んだ。

 

「マスターの事が知りたいなら、アーチャーにでも聞いてごらんなさい。彼には教えてあるから」

「え?」

 

 凜とイリヤが同時にアーチャーを見た。

 

「……キャスター」

「教えても構わないわ。それで裏切るつもりは無い。と言うより、それを私が裏切らない証と受け取ってもらって構わないわ」

「――――なるほど、了解した。キャスターのマスターについては帰宅後に話す。すまんな、下手に口にしてキャスターの機嫌を損ねては面倒になると思って黙っていた」

「……教えてくれるなら、構わないわ」

 

 どこか不信な光が宿る眼差しを向ける凜にアーチャーは苦笑した。

 

「すまないな、マスター」

「……フン」

 

 

 しばらく歩いていると、漸く言峰教会が見えて来た。

 士郎がここに来るのは“数年振り”だった。

 

「それじゃあ、行きましょうか」

 

 凜の掛け声に一同が頷く。ただ一人、セイバーだけが警戒心を顕にして周囲を見回しながら歩く。

 そんな彼を不思議に思いながら、士郎は教会の入り口を潜り抜けた。

 途端、ピアノの音が聞こえて来た。

 

「……あら、来たのね、凜」

 

 ピアノの音が止み、代わりに少女の声が響く。

 その姿にセイバーの目を見開かれる。

 白い髪、金色の瞳。彼女をセイバーは知っている。けれど、彼女がここに居る事はありえない筈。

 本来、彼女は聖杯戦争に関わらない筈の人間だ。

 四日間を繰り返す、アンリ・マユの夢。そこに出来た穴を埋める為の存在。

 ここに“本来居る筈の男”の“娘”であり、聖杯戦争の後、どうあっても生き残る事の出来ない彼の変わりに監督役という立場を宛がわれた少女。

 

「――――久しぶりね、カレン。出頭命令に応じたわ」

「感謝します。少々、今回の騒ぎで上から厳しい指摘を受けまして――――。いえ、これは全員が集まってからにしましょう」

 

 そう言うと、彼女は扉に目を向けた。

 再び開かれた扉の向こうから現れたのは――――、

 

「臓硯!?」

 

 間桐臓硯が一人、教会の中を突き進む。全員の警戒レベルがトップになる。

 

「――――そう、構えるでない。今宵は教会の出頭命令に応じたまでの事よ」

 

 呵々と笑う老人にアーチャーが殺気を走らせ、前に出る。

 

「止めなさい、アーチャー。ここで手を出せば、こっちが教会にペナルティーを課される事になる」

 

 今にも飛び掛りそうなアーチャーを凜が諌めた。

 

「……了解した」

 

 そう言いながらも、彼は油断無く臓硯を睨んでいる。僅かでも妙な動きを見せれば、その瞬間に刈り取る腹積もりらしい。

 

「集まったようですね」

 

 そこに新たな人物が登場した。バゼット・フラガ・マクレミッツがランサーを引き連れ、教会の奥から現れた。

 

「……一参加者が教会の奥から悠々と出て来るってのはどういう事かしら?」

 

 凜が問う。

 

「別にやましい事はありませんよ。私は単に先についていたので、奥で他の参加者の皆さんをお待ちしていただけです」

 

 白々しく言うバゼットに凜が舌を打つ。

 

「とにかく――――」

 

 手をパンと叩き、一同の視線を集めながらカレンが言う。

 

「これより、冬木市全体の隠蔽作戦を実行します。それ故、明日一日、全陣営に停戦を命じます」

 

 カレンの言葉は予想通りのものだったらしく、バゼットも臓硯も凜たちすらも異を唱えはしなかった。

 

「これに応じなかった場合、ペナルティーとして令呪の剥奪、並びにマスターの私財の一部没収を行います。皆様の賢い選択を期待しておりますわ」

 

 カレンの言葉に素直に了解の意を伝え、臓硯が扉から堂々と出て行った。次にバゼット。残された凜達もこれで用は済んだとばかりに去ろうとする。

 ただ一人、セイバーだけが愕然とした表情を浮かべたまま、カレンを見つめている。

 

「どうしたんだ、セイバー?」

 

 士郎が問うが、セイバーは応えない。代わりに監督役であるカレンに対して、口を開いた。

 

「……カレン・オルテンシア?」

「ああ、私の名はカレン・オルテンシアです。何か御用ですか? セイバーのサーヴァント」

「……えっと、その――――」

 

 迷いながら、セイバーは思い切った様子で言った。

 

「こ、言峰綺礼はどこに居るんですか!?」

 

 その言葉があまりにも予想外だったのか、カレンは目を見開き、やがて、背後の凜を見た。

 すると、凜も途惑う表情を浮かべ、首を傾げる。

 

「……何故、彼の名を?」

「そ、それはその……」

 

 口篭るセイバー。

 

「そう言えば、セイバーは最初の令呪を使った時にアーサー王の記憶を読み取ったんだっけ?」

 

 助け舟を出したのは凜だった。

 

「そっか……、なら、綺礼の事も知ってるか……。でも、なら何で綺礼がどこに居るか、なんて聞いたの?」

 

 心底不思議そうに問い掛ける凜。

 彼女は言った。

 

「綺礼は十年前に死んでるじゃない。あの、――――第四次聖杯戦争で」


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