モコモコとした大き目なファーダウンを頭から被せ、マフラーと手袋をしっかりと身に付けた三浦と玄関を出る。
グレーの分厚い雲に覆われていた昨日の空が嘘だったかのように、今日の天候は雲ひとつない晴天だ。
よちよちと、小さな歩幅で歩く小さな彼女の手をしっかりと握ってやると、それに応えるように、その手を力強く握り返してくる。
可愛い…。
……あれ?俺ってガチでロリコンなのか?
などと考えていると、隣を歩くチビ三浦が不思議そうに俺を見つめていることに気が付いた。
「…ん?どうした?もう疲れちゃったか?」
「違うし。…なんか、懐かしいなぁって…」
「あ?」
「あーちが小さかった頃、パパにこうして手を握ってもらってたから」
「へぇ。三浦にもそういう時期があったんだな」
ふっくらとしたホッペを突いてやると、それを嫌がり指を払われる。
それでもからかいたくなるのはこいつが可愛すぎるのがいけないわけで。
俺は再度ホッペに指を近づけてみた。
「…次やったら噛みちぎるかんね」
「怖っ。…反抗期かな」
「あ、もうバス来てるし。ほら、急ぐよ」
三浦はバスの到着を見つけ、ぐいぐいと俺の手を引っ張りながら足を速めた。
普段よりも幾分非力なその腕力に、俺はできるだけ負担を掛けさせないようにと歩幅を合わせる。
こんなのも悪くない。
休日くらいダラダラしたいと思ってたけど、小町の我儘に付き合う親父の気持ちが少し理解できてしまうというか…。
「…娘ってのは可愛いもんなんだな」
ーーーーーー
目的地のショッピングモールに到着すると、午前中の比較的早い時間だというのに、既にモール内は人で混雑し始めていた。
家族やら学生やらでごった返す魔の境地で、俺はこの小さな天使を守らなくてはならないわけだ…。
「…俺は、このダンジョンでおまえを守りきる自信が無い」
「は?あんた何言ってんの?」
懐疑的な視線を向けるチビっこの頭を撫でながら、俺はこの魔境に飛び込む覚悟を決める。
「……っ」
だ、だめだ。
最近の堕落生活に身体が順応してしまっているためか、人混みを見るだけでも吐き気がしてくるぜ…。
「ひ、ヒキオ、あんたまじで大丈夫?顔色悪いけど…」
「……普段から、如何に俺が三浦に頼りっぱなしだったか身に染みるよ」
こんなとき、いつもの三浦だったら先頭切って道をこじ開けてくれるものだが、この小さな三浦にそれを期待するのは酷だろう。
破滅。
全損。
迷子。
嫌な言葉が頭をよぎったその時に。
ふわりと流れる懐かしい空気。
それは綺麗な黒髪をなびかせて。
紅茶の香りを漂わせる。
あの部室で見ていた彼女の横顔は、この雑踏の中でも美しく目立っていた。
「…あら、比企谷くん。こんな所で会うなんて奇遇ね」
「…。雪ノ下…」
.
…
……
………☆
「げっ!雪ノ下雪乃…」
「…?」
突如現れた彼女を見て、三浦は分かりやすいくらいに悪態をつく。
そういえば、三浦と雪ノ下は犬猿の…、火と氷のような仲だったな。
しかし、険悪な雰囲気になるかと思っていたが、雪ノ下の態度がどこか柔和で、困ったように眉を下げて俺を見つめた。
「…あの、比企谷くん。この子は……」
「あ、あぁ、そうか。…いや、まぁな、こいつは…」
こいつは小さくなった三浦だ。
バカなの?
妄想もそこまでいったら病気ね、ロリ谷くん。
はい、ここまで予想が出来ました。
「あー、俺の親戚だ」
「へぇ、小学生くらいかしら。…、誰かに似てるような…」
「あー、あれだわ。小町に似てるのかもな」
俺は不思議そうに三浦を観察する雪ノ下の前に立ち視線を遮ると、雪ノ下は納得しない表情のまま観察を止めてくれる。
なんとなく、こいつとセットで由比ヶ浜も居るんじゃないかとキョロキョロしていると、それに気が付いたのか、雪ノ下が小さく微笑みながら腕を組む。
「今日は私1人よ」
「そうか。…珍しい…、のか?」
「ふふ。本当は姉さんと買い物に来る予定だったのだけれど、土壇場になって予定が出来てしまったみたいで」
「…そうか」
「…お陰様で、仲良くやっているわ」
「…お陰様ね。何のことだかわからんが、良かったんじゃないか?」
「ええ。ありがとう」
自然に出てくる雪ノ下さんの話題に、姉妹に合ったわだかまりが消えつつあるのだと安心する。
……別に俺が安心する理由もないが。
ふと、雪ノ下との会話に気を取られていると、右脚のアキレス腱付近に軽い衝撃と痛みを感じた。
「おいコラ、あーちのことはシカトか?」
げしげしと、右脚のアキレス腱を集中的に狙った三浦の連打。
このクソガキ…。
「…ふふ。お兄ちゃんが構ってくれなくて拗ねているのかしら」
「あ!?誰が拗ねてんだし!言っとくけどヒキオはあーちのっ…むぐ!?」
「あー、はいはい!…早く買い物行こうな?」
「むぐっーーー!!」
三浦は口を抑えるとジタバタと暴れ出した。
それを制するだけの圧倒的な力の差が今はある。
「仲が良いのね…。お名前はなんと言うのかしら?」
「あ、あぁ、えっと、ゆ、ゆみだ。ゆみゆみ、ほら自己紹介しろ」
「むぐっ!ーーっぷは!な、なんであーちが自己紹介しなきゃなんないし!」
「ゆ、雪ノ下、ゆみゆみは少し照れ屋なんだ」
「ゆみゆみ言うなー!」
尚も暴れる三浦の頭を鷲掴み、無理やりに頭を下げさせる。
「ぐぬぬぬーっ」
「どうどう」
はぁ、元に戻ったら大変だな。
いつまでも小さな三浦でいてください。
「私は雪ノ下雪乃よ。…あなたのお兄さんとは……、お友達かしらね」
「…ん。まぁ、そうだな…」
何か意味有り気な視線を向けられつつも、俺は雪ノ下の言う”お友達”に同意した。
何を今更、と言われるかもしれないが、何年経ってもコイツにそう言われるのは少しばかり照れ臭い。
なんて言うの?
親に対してママから母さんに変える時みたいな?
……違うか。
「あの、比企谷くん…。良ければ私もご一緒して良いかしら?」
「…へ?」
「あ!?」
ベシッ、と反射的に三浦の頭を叩きつつ、俺は雪ノ下らしからぬ申し出に驚く。
「わ、私も一緒に行きたいって言ったのよ…。だめ…、かしら?」
不安そうな上目遣いを使う雪ノ下。
あれ?こいつレベル上がった?
なんて冗談を口に出すことなく、俺はゆっくりと首を動かす。
「…ダメじゃねえよ」