悪霊の棲む屋敷
学校の帰り道、道の角でスケッチブックを持ってうずくまる姿があった。
きっと解けば長くすだれるのだろう、奇妙に結った髪を垂らし、いそいそと手元のパステルをその白い手が動かしている。きっとまた、人のパーツばかり早描きしているのだろうと考え、なんとなく素通りするのもそっけないとも考え、僕は声をかけた。
「お疲れ様っす、ツジ先輩」
ぶどうヶ丘高校のセーラー服に身を包む彼女は、色素の薄い肌を少しだけ紅潮させて応える。
「……やあ、康一君。帰りかい?」
ちょっとみない形だけど綺麗に結った髪とか、多分だけどほんのり化粧をした感じの綺麗な見た目の割に、ハスキーで、芝居じみたしゃべり方をする。ちょっと変わった、でもやっぱり可愛いというか、美しいという言葉が似合う美人だ。
ギャップがあるけど、それがなんだかツジ先輩らしくて似合っている。妙に間の開けた話し方といい、なんというか、浮いているのではなくて少しあか抜けているような、まるで一般人ではないのような人なのである。
「そうですよ、今日は日直だったんでちょっと遅めなんです。ツジ先輩は美術部ですか?」
「……やだなあ、康一君。君と私の仲じゃあないか私が帰宅部であることは伝えたと思ったが」
「あれ、そうでしたっけ? というか仲って僕、普通に後輩なんですけど」
「私のことは親しみを込めて『ツジアヤ』さん、もしくはアヤヤと呼ぶといいよ」
「何で逆にフルネームになっているんですか?! それにアヤヤって意味わからないですよ!」
「そういえって囁いてるんだよ。……ああ、単なるキャラ付けだ、そういうお約束なんだ」
「……わかりましたよ、ツジ先輩」
本気かどうかはわからない態度に、やっぱりちょっと踏ん切りがつかなくていつも通りの呼び方をしてしまう。というか、すでにこのやり取りは会うたびにやっているのだから確実に二桁は回数を超えていて、もはや恒例といってもよかった。挨拶みたいなものである。
こうはいっているものの、彼女は本当は下の名前で呼ばれるのは嫌らしいのだ。前に一度アヤさん、と呼んだ時もの凄い渋い顔をされた。
とにかくツジ先輩はその回答に不満はないらしかったので良しとしよう。
「まあいいじゃあないか? 私はキャラが弱いからね。念押しのキャラ付けのためにスケッチブックなんぞを持っているけれども」
そういうといそいそとスケッチをバッグにしまい、立ち上がる。
「僕、先輩ほど印象の強い女の人みたことないですよ」
「そうかな? 平々凡々である自覚はあるんだがね。少なくともそちらの素敵なヘアスタイルの御仁ほどじゃないさ」
先輩はそう言うと興味深そうに、僕の隣を見やった。
やっぱり初見の人は、彼のヘアスタイルが気になってしまうらしい。女子としては高身長な方なんだろうけど、やっぱり彼のほうが大きく、見上げる感じになる。
「ああ、紹介します。こちらは同じクラスの東方仗助君」
「……ちーっす」
紹介されて仗助君はいつもよりちょっとおとなしめだ。
「こちらこそちーっす、かな? 私は聞いての通り二年のツジアヤだよ。親しみを込めてあーやんと呼んでもいいよ」
「さっきと愛称が違うんですけどッ?!」
「ははは……」
明らかにいつもと違う様子の仗助君に視線を送ると、すかさず耳打ちしてきた。
(なんだよ康一、おまえも隅におけねぇな!)
(ち、違うよ仗助君! ツジ先輩はそういう人じゃないんだ!)
(だったらなんだっていうだよ、期待に満ちた目で、心なしか上気した顔でまっすぐお前をみているぜ?!)
(そんなわけ……って、本当だ!!)
「康一君!!」
「はい、なんでしょう!」
突然名前を呼ばれて、大声を出してしまう。
「フフ、いいところに来たね。……フフフ、私も遂に手に入れてしまったんだよ!」
「……な、なんですか?」
突然雰囲気が変わり、ちょっととなりで仗助君が身構えている。
もしかしたらスタンドの話かと思っているのかもしれないが、たぶんもっとくだらない話だ。
「ついに………… 買ってしまったんだ! 岸辺露伴原画集豪華特装版、サイン入りを!」
「えええ、なんだってーッ!」
どんと、学生鞄から出されたのは、煌びやかな、表紙にはピンクダークの少年が描かれた画集だった。
以前欲しいと話していた、版数限定の超激レア画集である。
「すごいじゃないですか! どうやって手に入れたんですか?!」
「知り合いがいてね。ツテをたよってサインまでもらったんだ。みてみるかい?」
「すごい、本誌にしか登場しなかった初期の中表紙もある!」
「だろだろ?」
(なんだよ、オタク仲間かよ。なんていうか、外見だけだとちょっと美人の女子だというのに意外だな)
(もう、勝手に仗助君期待しないでよ。先輩は岸辺露伴のファン仲間なんだよ)
「すげーっ!」
「ふふん、見るがいいよ。私も興奮して昨日は一日中読んでしまったんだ。貸してあげてもいいさ」
「本当ですか?!」
「君と私は同じファン。分かち合うものだろう? 流石に汚したり、失くしたりしたら君をぶっ殺しにいくけどね。そんなことしないだろう?」
「勿論ですよ! うわあ、ありがとうございます!」
「ほめたたえたまえーって、まあ、その御礼じゃないけど一緒に帰っていいかい?」
「ええ! いいですよ! 仗助君もいいよね? いいですよ!」
仗助君の許可は得ていないが、画集にくらべたらそのくらいお安い御用なのである。
偶然にも方向は一緒のようで、三人並んで一緒に歩く。
「ああ、ごめんね東方君。勝手に許可もらっちゃったけど……ほら、君にはつらいはなしだろうけど、凶悪犯罪者がこの町に彷徨っていてまだ捕まっていないというし、何かと物騒だろ? うっかり遅くまで居座ってしまったし、ちょっと怖くてね」
先輩は沈痛な面持ちになるので、慌てて仗助君がフォローし始める。
「いやいや、いーっすよ! そのぐらい全然平気っす。まあ、悪い事は出来ねぇつーっか、アンジェロの奴ももしかしたら警察に怯えてもう一生社会にはでてこれねえのかも知れねえし」
「……そう、だといいんだけど」
小さく呟くと少しほっとしたような表情をみせる。
もちろん、仗助君が言っているのは気休めでも何でもない。仗助君が言うには、この前あった承太郎さんとそのアンジェロをもう二度と悪さができないようにしたらしい。したというだけで、具体的なことは何も言わなかったけれども正義感の強い仗助君のことである、きっとそれ相応の報いを受けたことだろう。
対する、当の本人、仗助君は、
(おい、どうしたらいいんだよ康一! アンジェロのやつはぶっ飛ばして石やってますよ、なーんて言えるわけねぇだろ? なんか余分にシリアスになっているしよぉ)
(えぇ?! そこで僕に振るの? ていうか、石をやってるってなに?! )
なんというか、すっかり元の調子に戻ってしまっている。彼の中ではすでに決着がついている、ということなんだろう。僕にこんな話振るくらいだ。
「だ、大丈夫ですよ!ほら、ここら辺だって見回りありますからね?」
「そうなの? ここ、民家のど真ん中だけど」
「ああっと、そう! ここらへんにも空き家とかってあるじゃないですか! 居座りとかの防止のために定期的に見回ったりするんですよ。特に逃亡犯とか隠れそうですしね」
「へーそうなんだ……ああいう空き家とか?」
そういって先輩は僕の後ろを指差す。
みると、大きな建物があった。
七~八人住めそうな大きな家だ、ちょっと古い感じの洋館。どちらかというと、屋敷という表現のほうが正しいのかもしれない。きっとお金持ちが住んでいたのだろう。しかし今はその高級感はどこにもなかった。
雑草も生えていて荒れ放題、窓は打ち付けられ、外壁がところどころ剥がれおち、屋根の瓦もすこしかけている。入り口の門にも、どこかの不動産屋がかけたのだろう立ち入り禁止とある。
まず昨日から人がいなくなったという様子ではなく、少なくとも一年以上は人が住んでいない、そういう建物があった。
「あ」
だが僕の眼が追いかけたのはそれとは別のところだ。
もちろん、毎日帰宅する通学路の風景であり、入学から一ヶ月ほどたったいまではそれはすでに日常風景とかしている。問題なのは、
その屋敷の廃れ具合ではなく、いつもの日常風景に異物が紛れ込んでいたことだった。
「あれ、今なにか動きませんでした?」
視界の端で、窓で誰かが動くのが見えた。カーテンかとも思ったけど、打ち捨てられた部屋にはすでにカーテンはかかっていない。
「え、そう? どこどこ?」
「ほんとかよー」
僕の言葉に二人とも目を凝らすけど、人影を発見できないでいた。
「仗助君、そもそもここって空き家なの?」
「おー。康一、ここはずーっと空き家だぜ?」
「見間違いかなー、でも確かに今動いた気がしたんだけど」
もう一度目を凝らして見るが、板の打ち付けられた窓に人影はみえなかった。
「本当? もしかして本当に凶悪犯かも?」
アヤ先輩は不安そうにキョロキョロしてる。怖がっている割には彼女の足は空き家に向かっている。恐怖よりかは好奇心の方が優っているのか、だけど、僕を盾にするのはやめて欲しい。
「幽霊かなー」
「どうかな、まさかアンジェロってことはないよね?」
「それはねえとは思うが、幽霊は嫌だぜ。こえーもん」
そういいつつ、仗助君も僕の見た人影に興味を持ったようだった。アンジェロについては自信があるようだけど、それよりも不審者がいるかもしれないというほうが気になるようである。たしかこの辺りは仗助君の家の近くだ。お母さんのことが心配なのかもしれない。
立入禁止という看板が下がった門は少し空いている。小学生一人くらいならかんたんに通れそうなぐらいだ。もしかしたら、僕達より先にこの屋敷に興味を持った小学生が入り込んでいるのかもしれない。これから踏み込もうとしてる僕が言うのもあれだが、人が住まなくなった建物と言うのは本当に危ない。簡単にくちていくのだ。もし小学生とかだったら、軽くでも注意しておくべきだろう。
「さっき確かに見たんだけどなぁ」
それに不審者だったらここで通報しないといけないし、幽霊だったら面白い。何もないならないで、ちょいとした肝試しになる。
僕もちょっと乗り気になって、身を乗り出して扉から覗いた、
瞬間、
「—ーーーッゲグェッ?????!!!!!!!!!!!」
痛みで世界がまわる。
首が痛くて、息ができなくて、体が動かなくて、あまりの痛みに真っ白になった。
早く逃れたくて、身体を動かそうとしても扉はびくともしない。
一瞬して、首が挟まれていることを理解する。
身体を捻ったり、それがだめならとめちゃくちゃに暴れるが、びくともない。喉が押さえられて、悲鳴をあげることすらできないのだ。顔が真っ赤になっているのを感じるのに、頭はだんだんと朦朧としてきて、血液の音のする耳の雑音が、遠くで誰かが話しているらしい声をかきけす。
痛い、
苦しい、
痛い。
息ができない。
脳みそに血が流れなくなっているのか、まともなことを考えることすら出来ない。貧血によるだろう、吐き気とめまいもしてきて、上下すらわからなくなってくる。
このままじゃ死んでしまう。
しぬ。
シぬ。
隣の塀を飛び越えてきたらしい先輩の姿が、グルグルとみえて、それから僕は。
アツ、
息が
それから、
【暗転】
「…………………………………………あ、あれ? 僕は」
「ッ、気がついたか?! 康一!!」
真っ暗で未だ自分が眼を閉じているのかと思ったが、声のする方向をみてそこがうすくらい部屋の中であることに気づく。
僕はいつのまにか、埃っぽい、年季の掛かった、部屋の中に横たわっていた。
なんで僕はここで寝ていたのか。
いや、違う下校中に空き家によって、それからヤンキーが出てきて、首を挟まれたんだ。
「ここはさっきの屋敷の中だよ。それよりまだこの状況を抜け切れていねえ」
仗助君は、警戒してあたりに視線を送っている。
そうだ、首を挟まれて、それから首に何かが刺さったんだ。
仗助君が意識を失っていた話のことを簡単に説明してくれるのをきくと、僕がヤンキーに首を挟まれた後、ヤンキーの兄貴ってのが出てきて僕を矢で射抜いて、ここに連れ込んだらしい。意識がなかったのでわからないが、僕はかなり危ない状況だったようだ。仗助君がいなかったらきっと死んでいた。
ん?
「あれ、ツジ先輩は?!」
そうだ矢なんて危ないもの向けられた横に、ツジ先輩がいたはずなのだ。記憶が確かなら、僕のすぐ隣にまで来ていた気がする。
「無事なの?」
「……あのアマ、よくもやってくれたぜ」
仗助君からドスのきいた低い声がこぼれる。
「え?」
どうしたんだろうか。先にここから逃げちゃったとか。それならそれでいいんだけど。
「あいつはよぉ、間違ってもこの危険な状態でおまえが心配するような人間なんかじゃねーぜ」
「安全ってこと?」
そこでようやく、周囲に向けていたし視線を僕に合わせる。
彼は、怒っていた。
「あの女、お前をさした男とグルだ」
大変遅くなりました。転職先も、プロットも決まったのでまた更新します。
さて、今回の章は広瀬康一君からスタート。前回岸辺露伴相手に勝者としてドヤ顔で要求するという、ある意味死亡フラグ満点の行為をしたツジアヤはどうなったというのか?! 次回乞うご期待!