悪徳の都に浸かる   作:晃甫

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 今回よりヘングレ編です。


008 泥の妖精

 

 

 

 ――――ぐちゅ、くち、ぐちゃり。

 水分を多量に含んだ柔らかい物体が、強い圧力を受けて潰されたような音が室内に響き渡る。照明の点いていない薄暗い室内を目を凝らして見渡してみれば、その音の正体に気がつくだろう。

 それは、赤黒い肉塊だった。元は人間の一部だっただろうそれは、幾つものパーツに切り刻まれ、無惨にも室内に散らかされていた。

 鼻をつく血の臭いが充満するその室内にある死体は一つではない。少なくとも複数人の死体が、まるでおままごとの延長線のように切り刻まれていた。

 

 この凄惨な現場を作り出したであろう張本人たちは、返り血にその身を染めながら悦に浸った表情を浮かべていた。

 

「楽しいわ、兄様」

「楽しいね、姉様。昨日は殺せなかったから」

「中々しぶとかったものね、あのロシア人たち」

「あれで部下だっていうんだから、きっと目的のロシア人はもっと強いんだろうね」

「じゃあもう片方の東洋人もかしら」

「きっとそうだよ」

 

 今し方殺戮の限りを尽くしたとは到底思えない、無邪気な二つの声が室内に響く。

 プラチナブロンドの髪の毛をした二人は、あどけなさを未だ残した子供だった。

 喪服のような真黒な衣服に身を包み、見るからに手に余る凶器を握って口角を持ち上げている。

 

「でもこの人たち、貰ったリストには載っていなかったわね」

「気にすることじゃないよ姉様。この人たちも僕らの命の一部になれてきっと満足しているはずさ」

「ええ、そうね兄様」

 

 そう言って、二人は静かに唇を重ねる。

 相手を慈しむキスをしながら、互いの細くしなやかな指を絡める。

 血生臭い殺戮現場にそぐわないその行動は、背徳的な美しさを纏っていた。

 

「僕らは永遠の命(ネバーダイ)

「殺した分だけ、私たちは生き続けるの」

 

 悪徳の都の一角で、邪悪な芽が育つ。

 

 

 

 2

 

 

 

「ダウト」

「チッ、バレてたか」

 

 夜の帳が広がりつつある夕暮れのロアナプラ。ラグーン商会が拠点としている建物で、俺は商会の面々とカードゲームに勤しんでいた。

 四角い机の中心には無造作に散らばったトランプ。たった今ダッチが切ったカードは俺の手元にあったため、なんの躊躇いもなくコールしたところである。

 不満そうな顔をして机上のカードを手持ちに加えるダッチを、横のベニーが面白そうに眺めている。

 

「ほんとカードゲーム弱いねダッチ」

「俺が弱いんじゃねえ。ウェイバーやお前が強すぎるんだよ。俺とロックの二人負けじゃねえか」

「顔に出過ぎなんだよお前ら。百面相してんじゃないんだから」

 

 このカードゲームを始めてもうすぐ一時間。戦況は俺とベニーの二人勝ち。ダッチとロックは見るも無残に大敗状態だ。一応言っておくと現在レヴィはじゃんけんに負けて買出し係に任命されているためにこの場にはいない。つまるところ、このゲームはレヴィが戻ってくるまでの暇潰し目的で始められたのだ。

 掛け金なんて皆無に等しいお遊びのレートで、レヴィが戻ってくるまでの余興として。

 最初はそのつもりだったのである。……が。

 

「もう一回、もう一回だウェイバー」

 

 ご覧のとおり、ダッチが鼻息荒く再戦を申し出てきた。これでもうリベンジマッチは二桁目に突入である。普段はクールなマッチョマンだというのに、どうしてこう一度熱くなると止まらなくなってしまうのだろうか。しかもこんなカードゲームで。

 

「俺としては望むところだけど、ロックはいいのか?」

「俺としては遠慮したいんですけど。もう所持金が底を付きそうだ」

「おいおいロック。男なら負けっぱなしで終われるか」

 

 そう言うダッチは既にカードをシャッフルし、俺たちの前に素早く配り始めている。

 

「でもダッチ、このカードゲームはウェイバーさんに有利すぎる」

「彼は顔に一切出ないからねえ」

「うぐ……」

 

 言葉を詰まらせるダッチ。

 元より気付いてはいるだろうが、俺はこうした心理戦には滅法強いきらいがある。それはひとえにこの十年で面の皮が厚くなっただけのことであるが、これが存外役に立つ。

 こうしたカードゲーム然り、命を賭けた銃撃戦然り。相手に自分の心情を読ませないというのは、それだけ重要なことなのだ。

 そして意外なことに、心理戦になると途端に弱くなるのがラグーン号の船長ダッチだった。普段の仏頂面はどこへやら、サングラス越しでもその喜怒哀楽が見て取れるほどだ。

 ベニーなんかは終始へらへらしているため、表情からは読みづらい。ロックは良くも悪くも純粋なのか、微妙な所作に現れている。

 

 というかいい加減このゲームお開きにしたい。

 そもそも俺が今ここにいるのもとある予定までの時間潰しなのだ。目的の時間まではもう暫く余裕があるものの、ダッチの様子を見るにまだ続きそうだ。頃合いを見て離れるのがいいだろう。

 未だ買い出しから戻らないレヴィに挨拶も無しに場を離れるのは少し気が引けるが、彼女のことだ。気にすることもないはずだ。

 ダッチの配ったカードが俺の前に置かれるがそれを手に取ることはせず、ソファから腰を持ち上げる。

 

「悪いなダッチ。時間切れだ」

「なんだよ、もう一回くれえやれるんじゃねえか?」

「あの会合に遅刻してみろ。周りから罵詈雑言の嵐だぞ」

「周りの声なんか気にしねえくせによく言うぜ」

 

 煙草を咥えながらそう言うダッチに軽く手を挙げ、ソファに掛けてあったジャケットを肩に掛ける。

 

「続きはまた今度な」

 

 

 

 3

 

 

 

 ラグーン商会のオフィスを出て向かったのは、メインストリートから一本外れた場所に居を構える一軒のクラブだ。

 ここは幾つかある黄金夜会の会合に使用される場所の一つで、仕切っているのは確かコーサ・ノストラだったと記憶している。

 会合の時間までは十五分程あるが、周囲に停められた高級車を見るに殆ど集まっているようだ。まぁ徒歩でやって来ているのは俺くらいだろうし、そもそも個人で参加してるのがおかしいと言われればそれまでなんだが。

 クラブの入り口に立つ警備の人間らしき人間に手だけで挨拶をし、開かれた扉の内部へと足を踏み入れる。

 

 やはりというか、俺以外の主要な面子は勢揃いしていた。

 何人かは俺の姿を視界に収めた瞬間に顔を強張らせているが、支部長たちはどこ吹く風と飄々としている。

 

「調子はどうだ、ウェイバー」

「この鬱屈した空気はどうにかなんねえのか張」

「言ってくれるな。今ロアナプラで起きてることを考えりゃあこんな空気にもなるだろう」

 

 高級そうな椅子に背中を預けたまま、俺に声を掛けてきたのは張維新。ロアナプラで多くの利権を有する黄金夜会の一角、三合会のタイ支部のボスを務める男だ。

 オールバックにした黒髪にサングラス、黒のジャケットと全身が黒で統一されたこの男と俺は知り合ってもう十年になる。付き合いの長さだけで言えばバラライカよりも長いくらいだ。

 彼の後ろにはやや長い黒髪をした張の腹心、(ビウ)の姿もある。

 

 と、俺と張がそんな会話に勤しんでいる所に割って入ってくる声があった。

 

「よぉウェイバー、相変わらずちまちまと小遣い稼ぎをやってんのか?」

 

 タバコを加えたままやって来たのはコーサ・ノストラのタイ支部ボス、ヴェロッキオだ。ブランド物のコートと人を見下したような目付きが特徴的なこの男は、こうして俺に事あるごとに突っかかってくる。

 

「俺に大金なんて必要ないからな。生きてく金さえありゃ十分だ」

「かっ、夢が無えなぁオメエはよ。欲ってもんが足りねえ」

 

 その欲に溺れて死んでいった人間が、この街に一体何百人いると思っているんだか。

 

「全く、目先の金しか見えないなんて可哀想ねヴェロッキオ」

「ああ?」

 

 カツン、とヒールを鳴らし奥から姿を見せたのはバラライカ。後ろには当然のようにボリスが控えている。彼女は俺に視線だけで挨拶を済ませると、再びヴェロッキオへと向き直る。

 

「言うじゃねえか焼傷顔。田舎者のロシア人(イワン )風情がよ」

「イタ公ってのはどうしてこう短慮なのかしら。同じ人間とは思えないわ」

 

 なんで会合が始まる前からこんなに険悪な雰囲気なんだ。いや、これまでだって決して良好な仲だったわけではないし、そもそも同盟なんて結んでいないけれど。それにしたって今回はどこもかしこも殺気立ちすぎてやいないだろうか。

 

「よさないか二人とも。何の為に今日こうして集まったと思ってる」

 

 張の制止の声に、ヴェロッキオは口角を吊り上げて。

 

「少なくともこのロシア人の顔拝むためじゃねえな」

「ヴェロッキオ、そこまでだ」

 

 俺の声に、尚も軽薄な態度を崩さないヴェロッキオは視線を向けて。

 

「何だウェイバー。オメエはこのロシア人の肩を持つってのか?」

「話が始まんねえだろうが、ちっとばかしそのうるせえ口を閉じてろ。それとも何か、喋り足りねえなら俺が顔に幾つか穴開けてやるぜ」

「……チッ」

 

 苛立たしげに後頭部を掻いて俺から距離を取るヴェロッキオ。

 今の脅しは口から出任せを言っただけだったが、案外効果はあったようだ。これで退いてくれなければ俺にはもうどうしようもなかった。タイ支部を預かる身とあって、そこらへんの線引きはきっちりしているのかもしれない。いや、ないか。あいつのところのマフィアはやることが派手でうるさいと住民から苦情が殺到しているらしいから。

 一先ず話し合いの場が整ったことで、黄金夜会に名を連ねる組織のトップたちが一つのテーブルに集まり、そのままソファに腰を下ろす。その後ろには一人から二人の側近が控えているのだが、当然俺の周りには誰ひとりいない。

 ……別に寂しくなんてない。たまにボリスや彪のような優秀な人材が欲しいとか思ったりもするが、全然寂しくなんかないのだ。

 

「さて、話を始めよう。といっても、既に君らには情報が回っていると思うが」

「情報もクソもあるか。身内の手配師が殺られてんだぞ」

 

 口火を切った張に、すかさずヴェロッキオが眉根を寄せた。

 

「こっちも会計士が襲われたわ。うちはツーマンセルで行動させていたから殺されるようなことはなかったけど」

 

 うおう。バラライカが言外に『お前のところは警戒が微温いんじゃないか』と言っているような気がする。ヴェロッキオも言葉の端々に挑発の匂いを感じたのだろう。額にうっすらと青筋が浮かんでいる。それでも先程のように口論に発展しないのは、今回場を持たれた連絡会の本題の最中だからだろうか。

 

「……ミス・バラライカ。こいつは初耳だろうが、三合会(こっち)の手の者も殺された。組員と直属の幹部が一名、ラチャダ・ストリートの売春窟でだ。昨日の夜のことだ」

 

 張、バラライカ、ヴェロッキオ。三人の言うことが本当ならば、この街そのものに喧嘩を売るような愚行だ。

 黄金夜会という勢力がロアナプラでどういった立ち位置にあるのか、ここに住む人間であれば老若男女を問わず皆知っている。

 尚も行われる会話を流し聞く程度に抑えながら、はてと考える。

 黄金夜会を狙う。ソイツの目的は何なのだろうか。名を上げたい、金目当て。ポツポツと思い浮かぶだけでも幾つかあるが、それらと黄金夜会とを天秤に掛けて果たして名声や金を選ぶ馬鹿がいるだろうか。少しでも張やバラライカのことを知っているなら、そんな自殺行為には走らない。名声や金欲しさであっても、黄金夜会を狙うには余りにもデメリットが大きすぎるからだ。

 となると、この街の流儀を知らない余所者の線が高くなる。

 もしくは、その余所者を雇って黄金夜会で保たれている均衡を崩そうとしているこの街の人間かもしれない。今の話を聞いていると、都合よく構成員が襲われていない組織があるようだし。

 そこまで考えた俺と、どうやら同じ結論に辿り着いたらしいバラライカは。

 

「天秤を動かそうとしている奴がいる。……私を見ろアブレーゴ」

 

 びく、と肩を震わせた男の名はアブレーゴ。つい先日ガルシアの誘拐をラグーン商会に依頼した、マニサレラ・カルテルのタイ支部ボスだ。褐色の肌に口髭、サングラスに派手な柄のシャツなんて着てるもんだからたまに陽気なおっさんにしか見えなくなる時がある。

 

「冗談よしてくれバラライカ。確かに俺たちゃアンタと揉めたが、もう手打ちは済んでる筈じゃねえか」

「どうだか。この間の報復という可能性だってあるんじゃない?」

「兵隊の数も揃わねえのにドンパチなぞぶり返すかよ」

 

 もっともな意見だ。

 この間の一件でマニサレラ・カルテルの本拠地はほぼ壊滅状態となってしまっている。構成員は激減、各支部は総出で復旧に当たっていると小耳に挟んでいたのを思い出す。誰から聞いたんだったか、ああそうだ、ヨランダとこの前お茶会をしたときだ。

 そんな状態にも関わらず、このタイミングで兵を動かすなど確かに有り得ない。カルテルの連中が殺されていないのは偶然だった、ということなのだろう。

 

「ま、外部勢力ってことなんじゃねえの」

 

 後頭部で指を絡め、天井を見上げて呟く。

 俺のその意見にはヴェロッキオも賛同しているようで。

 

「ウェイバーの言うとおりだ。張、こいつは流れ者の仕業だよ。ココの仕組みを知らねぇ奴だ」

「つうかよバラライカ。お前んとこの会計士生きてんだろ? 人相とか分かんねえの?」

「生きてはいるけど二人共顔削がれちゃっててね。まともに口をきけるような状態じゃないの。少なくとも三週間はミイラ男よ」

 

 顔削ぐって。どんだけグロテスクなんだ。猟奇的殺人者みたいなのは勘弁してほしいんだが。夜飲みに行く時に異常に警戒してしまいそうだ。

 

「……ではこの件は外部勢力と断定し、連絡会は連携して犯人を狩る。共同で布告も出す、誤解による流血を防ぐためだ。異存は?」

 

 張が話を纏めるためにそうした案を出した。

 外部勢力ってのは俺もほぼ間違いないとは思う。が、何か引っかかるものを感じているのも事実だった。いきなり黄金夜会のみを狙って人殺しを行う人間が現れた、何の脈絡もなしにだ。それがただ犯人単独の犯行だと断定するには証拠が少なすぎる。裏で誰かが糸を引いているという可能性だって大いに有り得るのだ。

 まあそれにしたって、これといった証拠がないので俺個人の勝手な憶測に過ぎないが。

 そんな中で、そろそろ終わりを迎えようという場の空気をぶち壊しにかかる女が一人。

 

「くだらないわね」

「なんだとテメエ」

「軽率な行動は控えてくれバラライカ」

「張、私たちは親睦会をするためにわざわざやってきたんじゃない。そしてそれは多分、ウェイバーも同じでしょう」

 

 ボリスから軍服にも似たジャケットを受け取り、バラライカは席を立つ。

 

「我々がここに来たのはな、立場を明確にするためだ」

 

 切れ長の瞳が、より一層鋭くなる。

 

「ホテル・モスクワは、行く手を遮る全てを容赦しない。それを排除し、撃滅する。どこの馬の骨か知らんが、突き立てた牙ごとへし折ってやるまでだ」

 

 それだけ言って、バラライカと彼女の部下数人は身を翻してその場を後にする。

 残された張はやれやれと息を吐き、ヴェロッキオは忌々しげに彼女の後ろ姿を睨んでいる。俺はといえば特になんのアクションも取ることなく連絡会が終了してしまったので、若干手持ち無沙汰な感があった。

 一応連絡会は終了という形になったので、俺は席を立ち張のもとへと歩み寄った。

 

「張、これから一杯付き合わねえ?」

「悪いな、これから帰って本部に通達と資料の受け渡しだ」

「なんだよつれねえな。そんなんだから酒強くなんねえんだ」

「お前が強すぎるんだ」

 

 懐から煙草を取り出し、慣れた手つきで火を点ける。

 本当なら張と久しぶりに飲みに行きたいところだったが、振られてしまった。今日も一人寂しく飲むことになるんだろう。まぁそれはいいのだ。いつもひとりだし。

 さて、問題はどこで飲むかである。

 昨日新築で生まれ変わったイエローフラッグは店主バオから立ち入り禁止令が出されてしまっているので(三日間)候補から除外。となると後に残るのは……おかしいな、ロアナプラには酒場なんて腐る程あるはずなのに、行ける酒場が片手の指で足りてしまう。

 

 となれば仕方がない。

 今日は久しぶりにあのバーで飲むことにしよう。

 そう決めた俺は、足取り軽くクラブから出て行った。

 

 

 

 4

 

 

 

 カリビアン・バー、というバーがある。

 メインストリートを西へ進んだブランストリートの交差点横に建てられた、この街にしては珍しく小奇麗なバーだ。

 このバーはバラライカ率いるホテル・モスクワの系列の店舗だが、そんな事知るかとばかりに俺は使わせてもらっている。というかイエローフラッグとここを除けば本当に常連と言えるような酒場が存在しないのだ。

 時間は深夜二時とそこそこ深い時間だが、店内の明かりが外に漏れているのでとりあえず営業はしているだろう。

 ここの店主は気分で閉店時間を変えるから厄介なんだ。

 木製のドアを押せば、上部に取り付けてあった小さなベルが鳴る。その音に気がついてこちらを見たマスターは、きょとんとした表情を浮かべ、そしてすぐに声を掛けてきた。

 

「こりゃまた珍しい来客だ」

「久しぶりだなメリー」

「アンタだけだかんね、あだ名で呼ばせてやってんの」

 

 バーカウンターの奥でグラスを磨いていた店主の正面の席に座り、とりあえずはとウォッカをボトルで頼む。

 

「大方バオんとこ追い出されたんだろ?」

「なにお前エスパー?」

 

 笑いながらグラスを磨く店主に対して目を丸くする。

 

「アンタがここ来るのって決まって出禁になってるときでしょうが」

 

 ああ、納得です。

 

「はいよ、ウォッカ。ベーコンはおねーさんのサービスだ」

「何がおねーさんだよ俺より年下のくせに」

 

 出されたベーコンを摘んでそう返す。

 このカリビアン・バーの店主、今俺の目の前に立っている女、メリッサは二十そこそこのアメリカ人だ。

 いや、年齢のことを言えば俺より実年齢が年上のやつなんて多分この世にいないんだろうが。

 

「アンタにゃわかんないかなあー、この溢れ出る色気ってやつが」

 

 そういって首と腰に手を回すメリー。確かに彼女はスタイルがいい。仕事のためか後ろで纏めてある金髪は綺麗だし、仕事服であるにもかかわらず給仕服がコスプレの衣装に見えてくる。

 だがしかし、俺にとってはお子様も同然、欲情なんて間違ってもしないのである。

 

「(……ニブチンが)」

「あん? 何か言った?」

「なーんも」

 

 んべっ、と舌を出して、メリーは再びグラス磨きの作業に戻る。

 なんとはなしに店内を見てみれば、どうやら客は俺ひとりのようだった。

 

「悪いな、もう店閉めようとしてたか?」

「いいよ。アンタが来なくても今日はホテル・モスクワが集金に来る予定だったから」

 

 空になったグラスに、ボトルに残っていたウォッカを注ぐ。溢れそうになってしまったため、慌ててグラスに口を付ける羽目になってしまった。

 しかし美味いな。イエローフラッグは良くも悪くも大衆酒場というイメージが強いせいか、こういった高級な酒は中々置いていない。逆にここはどちらかといえば高級感があり、揃えてある酒も安物ではなく有名どころをきちんと押さえて置いてあるのだ。故に客層もそこいらのチンピラでなく、金に余裕のある人間がやってくることが多い。

 

「そういえばさーウェイバー」

 

 グラスを磨き終えて暇になったのか、メリーが口を開いた。

 

「聞いた? 他所者がこの街で暴れまわってるって」

「まあな、さっきもそれで会合があったんだ。三合会とコーサ・ノストラからも死人が出てるみたいでな」

「え、ねえそれ私が聞いてもいい話なの?」

「知らん。まあ口外しなきゃいいだろ、多分」

「アンタほんとそういう適当なところ治さないといつか痛い目見るわよー」

 

 まあアンタにそんなこと出来るやついないでしょうけど、とメリーは笑う。

 俺も彼女もこの話題をさして引っ張ることなく、他愛のない会話へと移る。ウォッカが空いたので次は大吟醸に手を出すことにしよう。ロアナプラで大吟醸が飲めるところなんてここくらいなんじゃないだろうか。まぁ俺がバラライカ経由で入れてもらってるんだけど。

 出されたのは菊理媛。

 大吟醸を十年以上寝かせて熟成させたものだ。これが美味い、とにかく美味い。なんならラッパ飲みできそうな勢いだ。

 やはり日本人の血が流れているからなのだろうか。洋酒もいいが、やっぱりこうした日本の酒のほうが美味いと感じる。

 

 店内にたった二人、俺とメリーだけの酒盛りはその後暫く続いた。

 

 

 

 5

 

 

 

 ギイ、と木製のドアが軋む音が明け方の店内に響く。

 次いでベルの音。

 カウンターには寝てしまったのかグレーのジャケットを着た男と、在庫の確認に忙しいのかカウンターと奥とを行ったり来たりする女店主。

 現れたのは、二人の人間だった。

 

「メリッサ、景気はどうだ?」

「ああサハロフさん。今日はこのおにーさんが沢山飲んでくれたからね、上々ってとこかな」

「ウェイバーさんがここで飲んでるってことは、イエローフラッグは出禁中なのか」

「ご名答~」

 

 どうやら彼らの中ではこの場に居る=イエローフラッグは出禁、という図式が既に完成しているらしい。一体これまで何度出禁になったのか聞いてみたいような気もするが、彼がこのカリビアン・バーもかなりの常連だという時点でその回数はお察しである。

 やってきた二人と女店主は、ちょっとした世間話に興じ始める。カウンターで突っ伏した男は動く気配がない。彼の周りに空になったボトルが無数に散らばっているところを見ると、しばらくは寝たままだろう。

 

「っと、すまない。電話だ」

「ついでだ、大尉殿にも集金回収の連絡を入れておいてくれメニショフ」

「了解した」

 

 会話に華を咲かせていたところに突然の着信音。メニショフと呼ばれた男は携帯を取り出し、一度店の外へと出て行った。

 数分して、再びドアが開かれる。先程サハロフたちがやってきた時のように、軋む音を立てながら上部のベルが小さく鳴る。

 ただ、やけにそれはゆっくりに見えた。

 

「こちらは終わったぞメニショフ。連絡は――――」

 

 サハロフは、二の句が告げなかった。

 眼前に飛び込んできた光景のあまりの衝撃に、一瞬何が起きたのかすら理解することが遅れる。

 

 開いた扉の先は、血の海だった。

 扉の先には、メニショフだと思われる首を掴んだ幼い少年が立っていた。

 左手に同志の生首を持ち、右手には戦斧らしきものを握っている。

 

 声にならない叫びを上げるメリッサと、瞬時に懐から銃を抜き構えるサハロフ。

 黒い衣服を返り血で赤く染め上げた少年は、サハロフを視界に捉えて無邪気に笑う。

 

 

 

「ねえおじさん。――――遊ぼうよ」

 

 

 

 

 

 

 

 




レヴィ「なんかここんとこアタシ影薄くね?」
ロック「俺なんか原作主人公なのに」

ウェイバー「あ、ロック君。君の出番もう無いから」

 
 というわけでヘングレ編です。感想いただく中にも双子生存希望! とかウェイバーの秘書に! とかいろいろ希望や予想していただいていたのですが。
 こ の 展 開 は 読 め た か ? (ゲス顔)

 残り二、三話で終了予定です。

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