比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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彼のひとりぼっちの戦争は続く。敵を屠り、己の心を殺しながら。


彼は孤の身で多の力に立ち向かう。

《解体せよ》

《解体せよ》

《解体せよ》

《解体せよ》

 

「ぁぁぁぁあああああああああ!!! くそっ!! やめろっ!! 離せっっ!!」

 

 いつの間にか俺の両腕を引くチビ星人は、両サイドにそれぞれ二体ずつ、計4体に増えていた。

 

 俺はなんとか振りほどこうとスーツの力を極限まで引き上げる。その為スーツはどんどん筋張って膨れ上がる。

 

 だが、チビ星人は物ともせず、西部劇の処刑のように俺の体を引き裂こうとする。

 

 それを見届ける保安官のように、ボスのチビ星人は高みから俺の処刑を冷たい目線で見下す。

 

 味方はいない。誰も助けてくれない。

 

 俺は何も、どうすることも出来ない。

 

 プチ

 

――? 何だ、今の――

 

 プチ ブチ

 

 音。何かが、切れる音。

 

 プチ ブチ ピチャ

 

 っ!? その奇妙な異音と共に、頬に温かい液体が付着した。

 

 俺はその発生源に目を向けると――

 

 

――――スーツから、何か液体が漏れ出していた。

 

 

 いつものようなスーツの限界を知らせる金属部から漏れ出すオイルのようなものではない。

 

 もっとどす黒く、まるで血液のようなそれが。

 

 チビ星人に引き裂かれようとしている、腕と肩の付け根から噴き出している。

 

「あ……ぁあ……うぁぁぁああああああああ!!!!!!」

 

 ウソだろ……嘘だろッ!

 

 引き千切られる。引き裂かれる。

 

 捥がれる……殺されるっ!

 

「や、やめろ!! やめろ!! やめてくれ!!」

 

 ブチチ ブチ ビチャ ビシャァ

 

 音がどんどん大きくなる。音がどんどん致命的になる。

 切断面から吹き出す液体が、みるみるうちにその勢いを増す。

 

 引き千切られる。引き裂かれる。

 

 俺の両腕が。俺の命が。

 

 こんなところで。こんなにも容赦なく。

 

《解体せよ》

《解体せよ》

 

 解体。解体される。バラバラにされる。

 

 こんなところで。

 こんなところで。

 

 こんなところで?

 

 ダメだ。俺には。まだ――

 

 

 ブチャァァアア プッッシャッァァァ

 

 

「うあぁぁあぁあぁぁあああぁぁああっっ!!!!!」

 

 

 完全に、引き千切られた。引き裂かれた。

 

 盛大にその生温かい液体を噴出させ、両サイドのチビ星人はそれぞれ己の戦果を高々と上げる。

 

 

 それは、俺の両腕――――部分のスーツ。

 

 

「――かっはぁッ!!」

 

 俺は、その肌色がむき出しの生身の両腕を、眼前に晒した。

 

 ある。ついている。腕だ。俺の両腕だ。

 

「っ!!」

 

 それを確認した所で、俺はすぐさま左サイドの2体のチビ星人に向かって駆け出す。

 

「――!!」

 

 チビ星人達は呆気にとられた様子で一瞬硬直し、俺はその隙を逃さず、二体まとめて渾身の力で蹴り飛ばした。

 

 ドガンッ!!と勢いよくタンクに叩きつけられる2体のチビ星人。

 その威力は、まさしくスーツの恩恵。

 

 よしっ!!両腕部分を引き千切られても、スーツの力は消えていない。

 

 だが、あの2体のチビ星人も、あれくらいでは死なないだろう。

 

 そして、俺の反撃を受けて、硬直していた残り3体も動き出した。

 

 俺は一目散に逃げ出す。

 スーツの力を存分に発揮し、全速力で走り抜け、屋上の銀柵を踏みしめ、全力で跳躍した。

 

 おそらくは地上20m近くはあるであろう眼下の光景には一切目を向けない。

 

 目標は、俺が跳び立った今のビルよりも、更に高いビルの屋上の避雷針。

 

 俺はそれを掴んで急停止。そのまま回転して、自分が居たビルの屋上に目を向ける。

 

《逃がすな》

《許すな》

《解体するまで》

《絶対に》

 

 テレパシーによる怨念の言葉と共に、先程俺の右腕のスーツを引き千切った2体のチビ星人が、俺と同様にこちらに向かって跳躍してくる。

 

 俺は足のホルスターに着けていたXガンを両手に持った。

 

 どうやらあの翼は飛行用ではないらしい。

 

 なら――

 

「――空中じゃ、身動き取れねぇだろ」

 

 今までも何度か使った方法だ。外しはしない。

 

 二発の銃声と発光。

 そして、後を追うように跳んできた二体のチビ星人は、俺にもうすぐ手が届く――――そんな距離まで肉薄して。

 

 バラバラの肉片に変わり果てて、俺にその身を浴びせるようにすれ違い、絶命した。

 

 ボト ボトボト という音が背後に響く中、今度は俺が、アイツを高みから見下ろした。

 

 フラフラという足取りで、ソイツの背後に集まる、先程俺が蹴り飛ばした二体のチビ星人。

 

 ボスは、そんな仲間達ではなく、高みに陣取る俺を見上げて――それでも、その瞳の冷たさはそのままで、俺の脳内に直接宣言した。

 

《お前を許さない》

 

 

《確実に殺す》

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 敵の数は、残り三体。

 

 

 残り時間は、あと40分くらいだろうか?

 確かめている余裕はない。そんな隙はない。

 

 一瞬たりとも目が離せない。アイツから。あの小さな強敵から。

 

 敵は三体。三体まで減らせた。

 連携攻撃を仕掛けてくるコイツ等を相手取るには、とにかく何が何でも数を減らすこと。

 

 一体でも多く。一刻も早く数を削ること。

 

 そう言った意味では、ここまでは順調と言える。

 

 だが、まだ油断は出来ない。

 

《お前を絶対に許しはしない》

 

 アイツの目は、少しも死んではいない。

 

《必ず追い詰め、破壊する》

 

 俺に対する、冷酷な殺意に満ちている。

 

「……そうか。なら、かかってこいよ。逃げも隠れもしない」

 

《同じ手にはかからない》

 

 そう言って、三体はバラバラに、他のビルを回り込むように、転々と移動する。

 ちっ。さすがに同じ手に引っかかってくれないか。

 

 ……なら、こっちも新しい罠を仕掛けるまでだ。

 

 俺は、給水タンクの裏に隠れるように、姿を消した。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 その個体は左手から回り込むようにして、ターゲットに急襲を仕掛ける手筈だった。

 

 数を大きく減らされたとはいえ、まだこちらは三体。相手は一体。十分に数の利を使った攻撃は出来る。

 

 そして、リーダーであるボスが立てた作戦は、その定番ともいえる、挟み撃ち。

 

 まずは、自分が不意打ちを仕掛け、一番早く姿を発見され、注意を引き付ける。

 

 その後、時間差で右手から攻めた仲間が本命の攻撃を仕掛ける。

 

 そんな手筈だった。

 

「――!?」

 

 だが、いない。先程まであの男が立っていた給水タンクの上にも。そして、その裏にも。

 

 確かにあの男がタンクの裏に隠れたのは確認した。ならば、どこかに移動したか、隠れたのか?

 だが、このビルはこの辺一体で一番高いビルで、移動したにしても、ここから見えるはず。

 

 そんなことを考えて、その個体は、そのビルの屋上の上から辺りを見渡すようにして歩く。

 

 

――虚空から、眩く光る光線が発射された。

 

 

「!!」

 

 その光線はチビ星人の体に纏わりつき、先端がコンクリートの地面に固定される。

 

「!?」

 

 捕えられた。

 ガッチリと動きを封じられ、チビ星人は自分が誘い込まれたことを悟った。

 

 だが、それまで。

 

 敵の動きを封じた後に当然来るであろう攻撃が、いつまでも来ない。

 

 その事に知能の高いチビ星人は疑問と、形容し難い不安を感じる。

 

「!!」

 

 その時、目に入ったのは自身を助けようと必死の形相で己に向かって走り寄る、仲間の姿。

 

 本来、敵に対する本命の攻撃役を担っていた彼が、予定を繰り上げて姿を現したことで、一つの結論に至った。

 

《来るn》

 

 そのテレパシーをかき消すかのように、甲高い発射音が轟く。

 彼が仲間を止める前に、再び虚空から、今度は青白い発光が瞬いた。

 

 仲間が、自身の立つ屋上に着地したと同時に。

 

 その仲間は木端微塵に吹き飛んだ。

 

 彼は、絶句した。

 

 自分は、仲間を死地に誘き寄せる、(おとり)に使われたのだと。

 

 仲間を殺す一役を、担わされたのだと。

 

 それを察したのと同時に、目の前が真っ暗になる。

 

 自分達の仲間意識の強さ、チームワークの巧みさを、“絆”を、まんまと最悪の形で利用された。

 

 どれくらい経っただろう。ボスはきっと気づいた。あの男の思惑に。自分の無様な現状の意図に。

 

 もう釣れない。利用価値はなくなった。

 

 そして用済みだとばかりに、囚われのチビ星人の頭に、何か固いものが押し付けられる。

 

 ギュオンという発射音と共に、一筋の光が天から降り注ぎ、そのチビ星人は、呆然自失といった状態で、この世から姿を消した。

 

 それと対比的に、バチバチバチといった効果音と共に虚空から姿を現したのは、全身黒スーツの上に学生服を纏った死神。

 

 その瞳は、闇のように暗く腐っていた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 ……これで、更に二体討伐。

 やはり、こんな思いつきの罠じゃあ、ボスは釣れなかったか。

 

 だが、これで残り一体だ。

 俺が一番警戒していた連携攻撃も、もう使えない。

 

 正真正銘、一対一の――

 

《随分と卑劣な手を使う》

「!!」

 

 唐突に脳内に響くテレパシー。

 俺はそれに動きを一瞬止めるが、すぐに落ち着きを取り戻し、耳を傾ける。テレパシーに効果があるのかは知らないけれど。

 

《我らの結束を利用し、貶めるとは》

「……こっちはぼっちだ。お前らのそういう弱点は知り尽くしている」

 

 嘘だ。実際は、ちょっと感心している。

 

 俺の知っている“多”とは、ああいった場面で無闇矢鱈に突っ込んで来たりしない。

 

 明らかに自分の不利益になると分かっているのに、我が身を顧みず、リスクリターンを度外視で、仲間を助けにくるなんて俺の知っている“多”ではありえない。

 

 彼らの――コイツ等の仲間意識は、少なくとも俺が知っている欺瞞ではないと証明された。

 

 そして、俺はそれを、コイツの言う通り貶めた。

 

《俺はお前を許さない》

 

 チビ星人のボスは、これまで以上に圧倒的な怒りを込めて、俺に呪いのテレパシーを送ってくる。

 これまでのように仲間同士のテレパシーのついでではない。

 

 コイツの仲間は全員、俺が殺した。

 

《同胞たちの命を奪っただけではない。お前は、我らの誇りも貶めた》

 

 ああそうだ。俺は、コイツ等の命だけではなく、最も大事な気高きものも汚したんだろう。

 

《決して許さない。必ず追い詰め、破壊する!!》

 

 コイツ等からすれば、俺は侵略者で、虐殺者。

 

 突然自分たちの前に現れ、自分たちの大事なものを根こそぎ破壊した。

 

 恨まれて当然、憎まれて当然、呪われて当然の――

 

 

「――それが、どうした」

 

 

 俺はXガンを装備する。

 

 それがどうした。

 俺が正義の味方じゃないことなんて、今に始まったことじゃない。

 

 俺は、それだけのことをした。

 

 コイツ等の平和を、誇りを、安寧を、幸福を、台無しにした。

 

 殺されて、当然のことをした。

 

 そんな真似が出来たのは、それでも手に入れたいものがあるからじゃないのか。取り戻したいものがあるからじゃないのか。

 

 コイツ等を殺してでも、自分が生き残りたいからじゃないのか。

 

 生き残らなければならないと、誓ったからじゃないのか。

 

 陽乃さんたちを生き返らせるまで、絶対に死なない。

 

 そう、今度こそ、誓ったんだ。

 

 その願い(エゴ)を遂げるまで――

 

「――俺は、こんなところで死ぬわけにはいかないんだよ」

 

 コイツ等の殺意は、恨みは、憎しみは、怒りは、真っ向から全て受け止めろ。俺はそれをされて当然のことをした。

 

 己の、自分勝手で、自己満足な、圧倒的なエゴの為に、コイツの仲間を残らず虐殺したんだから。

 

 そして、覚悟を決めろ。

 

 それでも、己のエゴを押し通す覚悟を。

 

「来いよ。俺を殺したいんだろう?」

 

 コイツ等の全てを奪い、コイツ等の全てを否定して。

 

 己のエゴを、押し通す。

 

 その確固たる覚悟を。

 

「俺は殺されない。なぜなら、俺がお前を殺すからだ」

 

 俺は、正義の味方じゃない。

 

 圧倒的に悪者(エゴイスト)だ。

 

 それを、受け入れ、受け止めろ。

 

 陽乃さんたち生き返らせる――それを言い訳にして逃げるな。

 

 これは、俺が背負うべき所業(つみ)だ。

 

《……そうか》

 

 そんな、呟くような、押し殺すような、テレパシーが届く。

 

 しばしの、沈黙。ビルの上を吹き荒れる風の音だけが響いた。

 

 

《ならばこちらも一切の情け容赦なく、存分に貴様を破壊しよう》

 

 

「――っ!!」

 

 俺は、背後に感じた殺気に向けて、振り向き様にXガンを向ける。

 

 

 そこには、二丁のXショットガンを構える、ボスがいた。

 

 

「――な!?」

 

 次の瞬間、二発の青白い閃光と甲高い射撃音が、ビルの屋上に響き渡った。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 もはや聞き慣れたと言っていいその独特の射撃音。

 

 その音の数秒後にやってきた破壊を、俺は背後で感じた。

 

 俺はボスにXショットガンを向けられた瞬間に、すぐさま自身の射撃を諦め、逃げの一手に走った。

 

 後ろを振り返らず、隣のビルに跳躍する。目標のビルはこのビルよりもかなり低く、必然的に滞空時間が長くなる。

 

 くそっ。さっき、俺が姿を隠した時に、俺が投げ捨てたXショットガンを回収していたのかっ。

 

 知恵。人間の唯一の武器にして最大の武器。

 それが敵に回るとここまで厄介なのか。数の利を失くしただけで勝てるほど甘くな――

 

「――がはぁっ!!」

 

 突然背中に衝撃。

 俺は目標のビルの屋上のタンクに叩きつけられる。

 

 振り返ると、そこには早々にXショットガンを手放し、俺を追走してきたチビ星人がいた。

 

「くそっ!」

 

 俺はダッシュで特攻し、チビ星人に向かって右跳び回し蹴りを放つ。

 

 だが、チビ星人は左腕で確実にガードし、そのまま右ブローを俺にお見舞いした。

 

「がはっぁ!」

 

 再び吹き飛ばされる。

 ダメだ。肉弾戦だと勝ち目はない。だからと言って、相手に俺の姿がバレていると、透明化は出来ない。あれは時間がかかる。ちっ。あの時、解除しなければよかった。コイツに通用するか分かねぇけど。

 

 なら、答えは一つ。

 

 俺はガンツソードを取り出す。

 

 その剣を見て、ボスは一瞬動きを硬直させるが、すぐに臨戦態勢を立て直し、腰を落とす。

 この剣の威力を一目で見抜いたか。さすがだな。

 

 俺もこの剣を上手く扱える自信はない。ただ振り回すことくらいしか出来ない。

 

 けれど、もうこれしかない。

 

 ジリ ジリとお互い一定の距離を保ち、睨み合う。

 

 ただただ、相手の純度の高い殺気を受け続け、精神がゴリゴリ削られる。

 

 無意識の内に、唾を呑みこむ。

 ……こっちから仕掛けるか?

 

 チャキッとガンツソードを持ち直す。

 

「――!!」

 

 その瞬間、ボスの目が見開かれ、般若の形相でこちらに跳びかかかってきた。

 

 だが、俺も反応出来た。

 

「がぁあ!!」

 

 ガンツソードを渾身の力で振るう。

 

 ズシ

 

 ……あれ?ガンツソードってこんなに重く――

 

 

『……ってか重い。生身じゃ無理だ。銃にしよう』

『何で出したんだよ……』

 

 

 そんな中坊とのかつてのやり取りが頭を過ぎる中。

 

 俺の一閃はボスを捉えることは出来ず――捉えるにはあまりにノロ過ぎて――俺の胸の真ん中に、ボスの跳び膝蹴りが吸い込まれ、激痛共に俺の体は吹き飛ばされた。

 

 

 ドガンッ!!

 

 ボキッ

 

 嫌な音がした。生理的に耳を塞ぎたくなるような嫌悪感を抱く音。

 俺が叩きつけられたのは、屋上によくある小屋のような建物の階段の支柱――鉄の柱だった。そこに、俺の左腕のみが叩きつけられた。

 

 これまでにない激痛。強烈な衝撃。

 

「……あがぁっ……」

 

 叫ぶことも出来ない。口から大量の唾が溢れる。

 

 俺の左腕は折れていた。肘が粉砕され、プラプラと揺れている。

 

 なぜだ?いつだ?いつスーツが壊れた?

 少なくとも、スーツを引き千切られたあれ以降も大丈夫だった。でなければ、ビルとビルの間を飛び越えるなんて真似は出来ない。

 ならば、先程の追い討ちか?だが、あの後俺は特攻出来た。あの時もまだスーツは生きていた。

 なら、その時のボディブローか?だが、それならば異常を知らせる音と、金属部からのオイル漏れがあるはずだ。それもなかった。

 

「――!!」

 

 俺は背後の殺気に振り向く。奴は俺を見ていた。その瞳から放たれる殺気は、まるで衰えていない。

 

 ゾクッ と体温が一気に下がった。気がした。

 

 俺は逃げる。俺は逃げた。

 体が勝手に動いていた。このままでは不味い。逃げろ。殺される。逃げろ。逃げろ。逃げろッ!!

 

 俺は一気にビルの屋上を疾走した。転びながら。足を縺れさせながら。

 

 無様に、惨めに、逃げ惑う。

 

 とにかく今は少しでも、アイツから少しでも遠くに!!

 

 

 すたっと、ソイツは現れた。簡単に回り込まれた。

 

 俺の進行方向に、白い死神が待ち受ける。

 

 

 ブワッ と冷や汗が、恐怖が噴き出す。

 

 俺は無我夢中でコースを変更し、真横に飛び出す。屋上のヘリに足をつけ、これまで何度もやったように、隣のビル――

 

 その時、思い出した。

 

 俺のスーツが、今どんな状態か。

 

 その瞬間、膝に込めた力が抜ける。

 

 だが、すでに前方に飛び出そうとする俺の体の慣性は、そのまま俺の体を中途半端に空中へと送り出した。

 

 無造作に宙に投げ出される。

 

 これまでのように勢いもなく、ただ重力と浮遊感だけが、俺の体を支配する。

 

 しだいにその浮遊感もなくなり、一瞬全てがゼロになる。

 

 俺が背後を向くと、ボスが、やはりあの冷たい目で見ていた。

 

 そんな奴にも、一瞬縋りたくなるような、絶望の瀑布が心を襲い。

 

 俺の体は、地球という星体によって地獄へと引っ張られるように、落下を開始した。

 

 

「あああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

 

 落ちる。墜ちる。堕ちる。

 

 為す術もなく落下する。

 

 地球という、自然という、そういった格が、ステージが違うものに対する無力感が、そのまま恐怖と絶望に変わって襲い掛かる。

 

 怖い。恐い。死ぬ。死ぬ。このままでは、確実に死ぬ。

 

 だが、人は空を飛べない。

 

 この重力という圧倒的な暴力の前では、あまりにも無力だ。

 

 心の中を占める絶望と恐怖は、次第に穏やかな諦念へと変わる。

 

 ……ゴメン。陽乃さん。

 

 俺、また負けた。

 

 俺……また、約束破っちまったよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、そのまま固い地へと墜落した。




 次回で、このミッションは終わりです。

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