比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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本当に――恐ろしいね、お前は。

 Side東条――とある60階建てビルの通り

 

 

 笹塚衛士は、一歩たりとも、その足を動かすことは出来なかった。

 

 否――斧神の覇気を受けて、意識を失っていないだけでも、笹塚が只者ではないことの証明には十分だった。

 

 しかし、笹塚は歯を食い縛り、その光景をただ見ていることしかできない自分を無言で恥じていた。

 

 突如現れた二人の新たな吸血鬼――いや、その山羊の頭を被った巨大な怪物は、その形容からもまさしく悪魔と呼ぶに相応しく、そしてロイドメガネにフードとマスクの男、姿形は人間そのもののもう一人の男でさえ、今の笹塚からは恐ろしい悪魔にしか見えなかった。

 

 何故なら、あの東条英虎が、これまで圧倒的な強さで怪物を圧倒してきたあの強者が、只の一撃も与えることが出来ず、そして一撃も防ぐことが出来ず、一方的に蹂躙されているのだから。

 

「……はぁ……はぁ……は、はは、ははは!! つえぇ……やっぱ、つえぇな! 篤さん!!」

「…………お前もな」

 

 篤はそう言うが、傍目から見て、東条は篤にまるで届いていないように見えた。

 

 攻撃も、そして――強さの、格のようなものも。

 

 東条が強く地面を蹴り出し、篤に向かって猛獣の如く突っ込んでいく。

 

 だが、その硬く握り込まれた右拳は、篤の左手によって容易く叩き落されてしまう。

 

「――――ッ! ――――ッッ!!!?」

 

 そして、篤は右手に持つ丸太をぐるりと右回りに回転させ、東条の後頭部に強烈に叩き込んだ。

 

 ドガンッッ!! と、吹き飛ばされる東条。

 

 笹塚は、丸太などという鈍重な武器を、あそこまで軽々と使いこなす篤という男に、途轍もない底知れなさを見た。

 

 そしてその時、篤と斧神の傍に、突然、無数の蝙蝠が飛来し、通りのある一か所に集結した。

 

(……な……なんだ……?)

 

 笹塚がそれを注視していると、やがて蝙蝠達は再び何処かへと飛んでいき、その場所から、紅蓮の髪を持つ幼女と、その幼女を肩に乗せる墨色の髪の浪人のような男がいた。

 

「おうおう、やってるねぇ。お前がバトるなんて珍しいじゃないか、篤」

「……リオンか。剣崎は――」

「死んでたよ。美味しく頂いてきた」

「……そうか」

 

 そう言うと篤は、視線を辺りで息絶えている岩倉と火口に移した。

 

「……アイツ等も、回収してやってくれ」

「了解。まったく、僕も女の子なんだから、っていうか幼女なんだから、スイーツならともかく、こんな胃に重たい吸血鬼ばっかり食べたくないんだけど。まぁ、しょうがないよね。僕が発端なんだし」

 

 リオンが岩倉の方にてててと走っていくと、弾丸のように突っ込んだテナントから、再び東条が立ち上がった。

 

「……もう止めろ、トラ。お前は十分に戦った。俺達はお前等のミッションのターゲットじゃない。だから――今ここで、俺とお前がこれ以上戦う理由なんてないんだ」

「――理由? そんなものは……俺にはどうでもいいんっすよ、篤さん」

 

 東条英虎は、スーツの制御部からだらだらとオイルを流しながら、それでも獰猛な笑みで、篤を、斧神を、狂死郎を、リオンを、そのギラギラと輝く瞳に捉えて、楽しげに笑う。

 

「――篤さん達が吸血鬼だとか、化け物だとか、敵だとか味方だとか、そんなのはどうでもいい。んなこたぁ、どうだっていい」

 

 東条は拳を握る。牙を見せつけるような笑みのままに、ただ沸騰する己の血潮の衝動に任せて。

 

「こんなに強そうな奴がいるんだ。だからケンカしてぇ。そんだけだ」

 

 金髪を闘志で逆立たせる獣は、グッと力を溜め、再び篤に向かって突っ込んでいく。

 

 その時、篤の肩を掴んで、前に出る一体の怪物がいた。

 

「――下がれ、篤。……あの馬鹿は、俺が止める」

 

 野生の笑みを浮かべて、猛獣のオーラを放ちながら突っ込んでくる東条を、その怪物は――斧神という鬼は、片手でその顔面を掴み、そして――

 

 

「――――ッッッ!!!!!」

 

 

――地面に、強烈に叩きつけた。

 

 

「……好きなだけ、付き合ってやろう、トラ。……これが、俺達がお前に吹かすことの出来る、最後の先輩風だ」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 殴り合いの鈍い音が響き続ける戦場に、再び新たな怪物が飛来した。

 

「――貴方(あなた)か。……頼んでいたことは?」

「……これで……満足か?」

 

 黒髪の短髪に彫りの深い端正な顔立ち――雪ノ下豪雪は、己の変形させた――スピアではなくピンク色の帯のように――両腕で纏めて運んでいた吸血鬼達を、どさっと乱雑に地面に落とす。

 

「…………」

「……とりあえず……見つけた限りの……吸血鬼だ。……原型を留めてないものや……人間と区別がつかなかったもの……既に燃えて灰になってたものは……回収していないが……」

「……いや、十分ですよ。ありがとうございます。……どうやら、間もなく警察や自衛隊によって魚人型の邪鬼が討伐されるという知らせを部下から受けていまして。全ての戦場を回収して回るのは不可能だと思っていた所ですから、大変助かりました」

 

 その時、既に岩倉と女吸血鬼に対する“食事”を終えて口元を血で真っ赤に汚したリオンが、とてとてと豪雪に向かって問い掛けてきた。

 

「そうだそうだ、黒金はどうだった? 君も何回か会議であったことがあるだろう? まぁアイツは篤と違って出席率は著しく悪かったから覚えてないかもしれないけど」

 

 リオンの問いに、篤が、そして狂死郎も豪雪の答えを傾聴する。

 

 豪雪は、無表情のまま、淡々と――だが、どこか、誇らしげに答えた。

 

「既に死んでいた……私の娘が勝利したようだ。……さすがに……これらに加えて……回収は出来なかったが」

 

 その言葉に対して、篤は神妙な顔をし、狂死郎は無表情のまま揺るがず、リオンは怪しげな笑みを漏らした。

 

「……そうか。ううん、いいよ。黒金に関しては、後で僕が直接死に場所に出向こう。なんだかんだで、彼は頑張ってたからね。だから君は奥さんだけを回収してきなよ。もうお仕事は終わりでいいから。ありがとう、助かったよ」

「分かった」

 

 そう端的に告げて、シュバッ! と豪雪は姿を消した。

 リオンは「はやっ!? 相変わらず、奥さんのことになると凄いねぇ、彼は」と呟くと、篤を振り向く。

 

「……まぁ、気配でなんとなく察してたけど、まさか本当に黒金を倒すハンターがいるだなんてね。うん、素直に驚きだ」

「……そうだな。……アイツは、敵を作り過ぎた」

「なんせ世界そのものを敵だと思ってた節があったからねぇ。……まぁ、それはそれとして、だ」

 

 リオンは黒金の死の話題を早々と切り上げ、篤に不敵な笑みを浮かべながら問う。

 

「――いいのかい? こんな所で、“彼女達”に借りを作っちゃって。……それが向こうの狙いだということに、君なら気付いているんだろう?」

「……貸し借りを作りたいということは、俺達と関わりを持ちたいということさ。どんな思惑があるにせよ、繋がりを作るということは重要だ。そこから信頼できる仲間になっていけばいい」

「ふふ、まったく、君は口にする言葉はいつも美しいのに、その実しっかりと腹黒いんだから性質が悪いよ」

「……俺達も、必死なのさ。なまじ知能が高い故に、分かってしまう。……人間というものの、地球人というものの――恐ろしさが。……彼女達も同じだ。……必死なんだよ。生き抜く為に。このどうしようもなく生き辛い人間達の世界で、生き残り続けることに……必死なのさ」

 

 東条と斧神の戦いを――否、薙ぎ倒し続ける斧神に対し、それでも笑みのままに立ち上がり続ける東条を眺めながら、ロイドメガネの奥の目を細める篤に、リオンは言う。

 

「――もう、すっかり、吸血鬼側の台詞だねぇ、篤」

「…………」

「まあ、そこら辺は責任を感じてはいるよ。だから出来る限りの協力はするさ。でも、人間のことはよく分からないから、難しいことはこれからも、篤! 君に任せた!」

「……ご協力、痛み入りますよ姫君」

 

 ビシッ! と指を突きつけて屈託なく笑う始祖に、篤はそう素っ気なく応える。 

 

 そして、そのまま火口の死体を貪るべく走っていったリオンの小さな身体を、篤は無言で見遣る。その表情は、マスクとメガネとフードで誰にも分からなかった。

 

「…………」

 

 その篤の背中を、狂死郎が無言で眺めていると――

 

 

――ドゴォォォォン!! と、一際凄まじい音が響いた。

 

 

 斧神の容赦ない両手を組んだ拳での一撃に、東条が地面に沈んだ効果音だった。

 

 既に、これで何度目のノックアウトだろう。

 スーツは壊れ、顔は無残に腫れ上がり、血だらけで碌に前も見えていない。

 

 それでも、東条英虎は立ち上がる。何度でも、何度でも、何度でも。

 

 脆弱な人の身で、強靭で、強大な、絶対の吸血鬼に。

 

 斧神――氷川、黒金、篤と並んで、吸血鬼組織の最高幹部の一人であり、こと戦闘力に置いては、最強の黒金よりも、天才の氷川よりも、そして実質的なリーダーである篤よりも、強い。

 

 絶対の力を誇る無敵の吸血鬼――斧神。

 

 その、余りにも強過ぎる、絶対過ぎる強者に向かって、東条英虎は挑み続ける。

 

 東条英虎は屈さない。

 

 例え、誰かを守る為の、本物の強さを身に付けても、その根本は変わらない。

 

 彼の中に眠る単純明快な本能は、それを常に欲し続ける。飢えた猛獣のように、喉を鳴らし、唾を垂らす。

 

 勝ちたい。強い奴に勝ちたい。

 

 それが楽しいから、東条は拳を握り、そして笑うのだ。

 

「…………勝つのは………」

 

 だから、東条英虎は、どこまでも――強くなれるのだ。

 

「俺だぁぁああああああああああ!!!」

 

 再び、己の全てを振り絞り、斧神に向かって東条は襲い掛かる。

 

 背中に猛虎を幻視させる程に、剥き出しの殺意を迸らせる東条英虎の特攻に、斧神は――

 

「……見事だ、トラ。……そんな強きお前に、俺も俺の最強を以て答えよう」

 

――じゃらと音を鳴らす巨大な鎖を握り締め、そして、それを豪快に引っ張った。

 

 

「――俺の元へ辿り着け、トラ。……お前が殺しに来るその日を、俺は心から待ち望む」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 シュタ、と着物の美女を姫抱きで抱えた短髪上裸の美男子が、篤と狂死郎の元に静かに着地した。

 

「あらあら、皆さんお揃いで。首尾の方は順調ですか?」

「……ええ。今――」

 

 ドゴォォォン!! と轟音を立て、鉄球の一撃を正面から食らった東条が、喀血しながら吹き飛ばされる。

 

「――…………終わりました」

 

 何度もバウンドしながら荒れ果てた路上を転がった東条は、がくっと、今度こそ遂に完全に意識を失った。

 

 普通の人間ならば、間違いなく死んでいるだろう。東条英虎だとしても、このままでは数分もしない内に息絶えてしまうかもしれない。

 

 それまでに、ガンツの転送が始まるのか――東条英虎という男の天運が試されるだろう。そして、もし、生きていた時は――

 

「………………」

 

 篤は倒れ伏せる東条を一瞥すると、そのまま視線を雪ノ下陽光へと移した。

 

「そちらはどうでしたか?」

「ええ、無事に生き返っていました。それで、どうやらうちの娘がそちらの黒金さんを殺してしまったようで。申し訳ありませんね」

「……いえ、いつかは、こうなっていたでしょうから」

 

 黒金が危険な思想を抱いていたのは、篤も当然、知っていたことだ。

 

 だが、それでも、今の――大きな戦いを控えているこの時期に、最大派閥である黒金組と明確に対立してしまうことは、篤はどうしても避けたかった。

 

 結果として、その黒金組を丸々失うことになってしまったが、それでも、一組織を預かる者として、篤はいつまでもこの失敗に囚われているわけにはいかない。

 

 もし、黒金組と本格的に拳を交えるようなことになっていたとしたら、自分のグループのメンバーも無事では済まなかっただろう。そうなっていては、これよりも更に甚大な被害になっていたに違いない。

 

 ならば、この事態を、()()()()()()()()()組織から危険分子を排除出来たと考える。そして、黒金が抜けた穴を埋め、組織をより強固にするチャンスだと考えるのだ。

 

 黒金組が消えたことにより、穏健派の自分達のグループが最大派閥だ。よって、まずはこの黒金組の失態を理由に、氷川グループの単独行動を制限する。困難な仕事だろうが、もう同じ失敗は繰り返さない。

 

 氷川は当然納得しないだろうが、奴は黒金のように革命思想の持ち主ではなく、強い敵――つまり狂死郎を超える為に全てを懸ける求道者だ。その辺りの欲を上手く満たしてやれば、野心がない分、黒金よりも制御し易いだろう。

 

 そして、陽光達のような別星人組織と同盟を結んでいく。知能が高く、人間達と――地球人達との“共生”を望む星人同士で、より大きな組織を作り、管理するのだ。

 

 更に、奴の死が齎す効果は、奴の死の使い道は――

 

「………………」

 

 篤はちらりと、あの女吸血鬼の死体があった場所、リオンが食い散らかし、血の跡しか残っていない、その場所を見遣る。

 

 自分が救えなかった同胞。見殺しにした同族。自分は一体、どれほどの犠牲を、防ぐことが出来ず、この手で生み出してきただろう。

 

 だが、篤はそこから目を逸らし、前を向く。

 

 失敗から目を逸らすことも、背を向けることも、過去を切り捨てることも――リーダーに求められる重要な役割で、資質だ。

 

 進むしかない。例えどれだけ屍を積み上げたとしても、己はそれを踏みしめて進まなくてはならない。失敗を利用し、そこから利益を見出して、仲間の死を有効活用しなくてはならない。

 

 自分は、一つの種族の存亡を担っているのだ。

 

 ここで、止まるわけには、いかない。もう自分は――自分達は、後戻り出来ないのだから。

 

 そこにてててとててと、この種族の始祖であり、広義的には主でもある、リオン・ルージュが口周りを血で真っ赤に染め直してやってきた。

 

 陽光がそれに気づき、どこからか真っ白なハンカチのようなものを取り出して口元を拭いた。

 

「あらあら、リオンさん。お口が汚れていますよ」

「ふふふ、僕って本当は1000才超えてるから、こんなことをやられても屈辱なだけなんだけど、僕はそんなことで一々目くじらを立てない器の大きな吸血鬼だから大目に見てあげよう~」

「ありがとうございます。流石は始祖様ですね」

 

 そう言ってリオンの口を拭き、真っ赤に染まったハンカチを、そのまま懐に入れようとして――篤が手を差し伸べた。

 

「…………」

「ウチの始祖がご迷惑を。そのハンカチはこちらに。次の機会までに、新しいのを買っておきます」

「……そうですか? ふふ、なんだか悪いわね。若い男の子からプレゼントだなんて、年甲斐もなくときめいちゃうわ」

 

 そう言って陽光は、微笑みのまま大人しく篤にそのハンカチを渡す。

 

 こんなところで仲間の“血”を、いずれは同盟相手にと思っている相手とはいえ渡すつもりなど篤にはなかった。

 陽光もこんなところで無駄に食い下がり、疑いを持たれるようなことになることは避けたかった。

 

 篤はハンカチを握りつぶしてズボンのポケットに乱雑にツッコミ、それを陽光はふふふと微笑みながら見詰める。

 

 お互いが、一つの星人組織を預かる主導者(リーダー)である。

 

 全ては、()()()の安寧の為に。それだけが、篤の、陽光の、互いに譲れない確固たる根幹であった。

 

「それにしても、まさか最後まで生き残るのは化野だとはね。流石の僕でも、これは予想外だったよ」

「……それでも――」

「うん、死ぬだろうね。確実に負けるだろうね」

 

 篤の小さく呟いた言葉に、リオンは冷たく酷薄に告げる。

 

「この戦争は、完膚なきまでに黒金達の負けだよ。だから、篤達はもう帰っていいよ。もう、そうかからない内に、国家権力がこの街に踏み込んでくる。僕と狂死郎はギリギリまで粘って回収してみるけど、たぶん全部は無理だと思う。火口が燃やしちゃった分もあるだろうしね。まぁ最悪でも、黒金と化野は回収するよ」

 

 邪鬼はいけるかな~。あれ、重いんだよね。胃袋的に。

 と、幼女である自らのお腹をぽんぽんと叩きながら呟くリオンに、篤は言う。

 

「……そうだな。俺達はリオン達のように、蝙蝠を使って瞬間移動なんて出来ない。どうしても目立ってしまう。……この辺りが潮時だな」

 

 黒金達の革命の顛末は、この眼で確認することが出来た。

 

 彼等は負けたが、黒金が勃発させたこの戦争は、吸血鬼と人間の――否、星人と地球人の関係を、大きく変える、まさしく革命の一夜となっただろう。

 

 最早、【星人(じぶんたち)】の存在を、一般人に隠し通せるとは思えない。

 

 この夜が明けてから、世界はどのように変革されるのか。

 

 どちらにせよ、自分達が出来ることは――生き残ること。死に物狂いで、生き延びること。ただ、それだけだ。

 

「――ああ、リオン。……最後に一つ、頼まれて欲しいことがある」

 

 そう言うと篤は、リオンの元へと歩み寄って、片膝を着き、幼女である彼女と視線を合わせて、ロイドメガネとマスクで窺えない表情で、何かを語り掛けた。

 

 リオンは、彼の言葉を聞いていく内に徐々にその表情を、無邪気な幼女から、凄惨な吸血鬼の笑みへと変えていく。

 

 彼女は笑う。幼女は凄惨に笑う。

 

 己のせいで吸血鬼と――化け物になった人間を見て。

 

 その化け物を見て、その化け物を聞いて、誰よりも化け物だった始祖は――嗤い。

 

「本当に――恐ろしいね、お前は」

 

――この、化け物め。

 

 リオンの裂いたような笑いを受けて、篤は何も答えない。

 

 狂死郎は、こちらに向かう為に篤に背を向けた彼女の、小さな幼女の背中を見る、ロイドメガネとマスクとフードによって一切その中身を窺えない篤の表情を、無表情でじっとその中を覗き込むようにして見ていた。

 

「それじゃ、皆様どうかお元気で。また今度――とか」

 

 そしてリオン達が再び自分達の周りに蝙蝠を呼び出し何処かへと瞬間移動すると、篤は陽光と豪雪を見渡して言った。

 

「……それでは、行きましょうか。――帰るぞ、斧神」

「……ああ」

「それでは、私達も帰りましょうか。陽乃さんの為に腕によりをかけたご馳走を用意しなくては」

「帰ろう。今すぐに。全力で」

 

 それでは、また。と言って、陽光を抱えたまま超スピードでいなくなった豪雪に、そんなに妻の手料理が食いたいのかと呆れながら、篤はそのまま来た道を戻ろうとする。

 

 だが、そこに掠れた声で、それでも、必死に縋りつく声が聞こえた。

 

「…………ま……て」

 

 その声は、笹塚衛士の発したものだった。斧神の覇気に耐えながら、座り込んでも、その銃口だけは篤達に向け続けていた刑事が、静かな声で彼等に問い掛ける。

 

「…………お前達……は…………何……なんだ?」

 

 その言葉に、篤は静かに答える。

 

「……すぐに分かります。……けど、一つだけ。……こんなことになってしまい、全く説得力はないと思いますが――」

 

 篤は、笹塚に背を向け、遠ざかりながら答える。斧神も篤の横に続いた。

 

「――俺達は、人間(あなたたち)の敵じゃない。……敵でありたくないと……いつも、そう願いながら……生きてます」

 

 笹塚は、その背中が見えなくなるまで、遂に、その引き金を引くことは出来ず――ドサリと、意識を手放し、倒れ込んだ。

 




垂涎の猛虎――最強の“力”の前に、敗北を叩き込まれる。

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