Side和人――とある駅の近くの大通り
「――僕の語れる物語はこんなところかな。所々豪快に飛ばしたけれど、だいぶ長くなっちゃったね。何か質問はあるかい?」
吸血鬼の語る鬼の物語を聞いて、和人は愕然としながらも、必死に事態を呑み込もうと努力した。
「……その、ナノマシーンウイルスとかいう……お前の灰は、どんな人間も吸血鬼にしてしまうのか?」
「いいや? どうやら適応する人間とそうでない人間がいるみたいでね。適応する人間は、本当に数%さ。まぁ人間っていうのはうじゃうじゃいるから――というより増えたから、数%って言っても相当な人数になるんだけどね。その適応率も個人差があるみたいだし」
適応率――それは、剣崎が言っていた幹部という奴だろうか。
同じ灰を取り込んで吸血鬼もどきとなった彼等でも、その吸血鬼度に差があるのだろう。
そして、その適応率が高いほど、よりリオンの灰に――細胞に適合し、よりオリジナルの吸血鬼に近づける。より、化け物の力を引き出した、化け物となれる。
「…………お前達は――何が、目的なんだ?」
「ん? 目的?」
和人が俯きながら発した問いに、リオンが首を傾げる。
顔を上げ、蒼白した顔を向けながら、和人は始祖の吸血鬼に噛み付くように言った。
「意図してなかったとはいえ、結果的に――もどきといえ、お前はたくさんの
「いいや、全然」
リオンは訳が分からないというきょとん顔で、和人の問いを否定した。
「――え?」
「いや、こっちがえ? だよ。そんなことして今更どうしようっていうのさ。暮らしにくくなるだけじゃん。あ! もしかして、この戦争は僕が命じたって思ってる? 違う、違うよ、全然違う。酷い冤罪だ。これは黒金の独断。僕は基本的に放任主義で、難しいこと全部篤に任せてるから、そういうのは興味ないよ」
まぁ殺されそうになったら殺すけどさ~と、リオンは首を振る。
「じゃ、じゃあ! お前達は、此処に――池袋に何しにきたんだ? まさか、俺にさっきの話を聞かせにきたんじゃないんだろう?」
「そりゃあそうだよ。ぶっちゃけ、もうハンターはみんな死んでると思ってたからね。それでもここに来たのは、何体かは殺されてるかもと思ったから、その回収に来たんだよ」
「……回収、だと?」
そこでリオンは、初めてよっと狂死郎の肩から飛び降りて、地面に立つ。
そして、てててと和人の横を走っていき、地面に倒れる剣崎の傍に寄った。
「吸血鬼もどきは元が人間だから、結構あっさり死んじゃうし、その引き出した吸血鬼性によってそれなりに寿命も延びるけど、不老不死には程遠い――でも、それでも吸血鬼ではあるから、死んだら吸血鬼の黒灰を出すんだよ」
生粋の吸血鬼のようにすぐに灰になる訳ではないが、死体が腐敗していくにつれ、徐々にその黒灰を屍が発していく。
それが、吸血鬼もどきの――本物の吸血鬼に成りそこなった、それでも人間ではなくなってしまった、化け物の、成れの果て。
そして――
「――その灰が、また風に乗って世界の何処かへ運ばれ、新たな吸血鬼を生み出すんだ」
「っ!!? そ、それじゃあ、何体殺したところで――」
吸血鬼は、生まれ続け、絶滅しない。滅び、絶えない。
その明かされた真実に絶望しかけ、俯いた和人を余所に、リオンは軽く、可愛く告げる。
「だから――いただきます♪」
ガブチャァ!! と、生々しい――捕食音が響いた。
「え……………」
和人は、その音にゆっくりと振り返る。
そこでは、紅蓮の髪の幼女が、獣のように四足を着いて――剣崎の死体を貪っていた。
死肉を、屍を、食い散らしていた。
「な――な、何を――ッ!!」
和人は止めさせようとして駆け出すが、その肩を狂死郎に掴まれる。
「――ッ! 何で止めるんだ!?」
「言っただろ。回収だ」
狂死郎の言葉は余りに言葉が足らない。
ぎんっ! と睨み付ける和人の表情から、それを狂死郎も悟ったのか、更にこう言葉を続けた。
「リオンがああして死体を体内に戻すことで、黒灰を放つ前に回収する。言うならば、元々は“自分”だった黒灰を、ああやってリオンは自分の身体に戻しているんだ」
まさしく、回収。
リオンという【始祖】から世界に撒き散らされた黒灰を、リオンが自ら回収して回っている。
これが、このアフターケアが、基本的に世俗と係わらずに傍観主義を通している始祖と懐刀が、こんな都会の戦場に現れた理由。
「だ、だからって!! アイツは……あの体は……元々は人間なんだぞ! それを食うなんて――」
「何を言ってる?」
狂死郎は、ただ淡々と冷たく、その氷のような蒼眼で和人に告げる。
「剣崎を殺したのは、お前だろう?」
「――ッッ!!」
和人は狂死郎の言葉に、肩を掴まれた腕を思い切り振り払い、拳を握り締めて、歯を食い縛る。
(………その通りだッ!)
決して後悔しているわけではない。殺さなければ、こちらが殺されていた。それが決闘で――それが戦争なのだから。
それでも、化け物として――化け物相手として、ある種割り切っていた自分の行いが、剣崎が元は人間だったという事実で、揺らいでいる。揺らいでしまっている。
和人のそんな姿をどう捉えたのか、狂死郎は淡々とした言葉で、和人を慰めるようなことを言った。
「気にすることはない。アイツに剣を教えた、俺が保障する。お前は強い。負けた――殺されたアイツが、未熟だっただけだ」
確かに、剣崎もそう言って死んでいった。
剣崎を殺したことを後悔するということは、あの戦いを、剣崎の死に様を否定することになる――だが。
(……これは……そんな風に、カッコつけた言い分で……自分に都合よく受け入れていいものなのか……ッ!?)
和人は、か細い声で、背後から咀嚼音が響く中、狂死郎に言った。
「……お前は……剣崎の師匠なんだろう? ……そんな風に、弟子の死を……簡単に受け入れられるものなのか?」
その言葉を聞いて狂死郎は、和人の若さと青さを微笑むように、小さく笑みを作りながら。
「…………1000年近く生きてきて、初めて取った弟子だったからな。何も思わなくもない――と、思っていたんだが」
その男は、そのまま優しい笑みで、けれど、まったく感情を感じさせない微笑みで、和人に言った。
「弱い奴が死んだ――やっぱり、ただ、それだけのことだな。……随分、俺も吸血鬼に染まった」
その笑みは、弟子の死に何も感じない自分に苦笑しているようで、けれど、そんな自分を悪くないと思っている。そんな笑みだった。
「…………っっ!!」
和人は、そんな狂死郎から一歩、ザッと後ろに後ずさる。
(……ダメだ。こいつは……やっぱり、こいつ等は………化け物だ)
人間とは相容れない、根本から違う異生物。
既に、この男は、元人間ですらない。完全に――只の、最強の、吸血鬼。
「…………そうだな。ちょっと、やろうか?」
「……なに言って――ッ!?」
完全に警戒心を露わにした和人を見て、狂死郎は髭も生えていない顎に手を当て、そうポツリと呟くと――
――ゾッッ!! と、凄まじい殺気を唐突に撒き散らした。
和人は大きく飛び去るようにして距離を取り――着地の際に膝の力が抜けかけ、頭がぐらりと揺れた感覚を覚えた。
(――ッ!? な、なんだ、これ――!?)
それでも和人は、歯を食い縛ってガッ! と、強く一歩を踏み出し、倒れるのを堪える。
それを見て狂死郎は更に笑みを深め、剣崎の腸に顔を突っ込んでいだリオンは口周りを真っ赤に血で汚した顔を上げ、はーと感嘆の声を漏らす。
「凄いね、狂死郎の覇気に耐えられるなんて。まぁ狂死郎も全力じゃないんだろうけど」
「……ああ。剣崎を倒したというのは、間違いなさそうだ」
少なくとも剣崎クラスなら膝を着くレベルの覇気を放ったつもりだった狂死郎だが、それに見事に堪えきった和人に、狂死郎は鷹揚に頷くと、ゆっくりと白鞘からその日本刀を抜き出していく。
「お前、名前は?」
「……桐ケ谷だ」
「そうか、桐ケ谷。悪いけど、君がかなりの数のもどきを倒したおかげで、リオンの食事が結構長引きそうだ」
そして、シャリン! と美しい鈴の音のような音を響かせながら、その刀身を露わにした。
その刀身は、美しい鞘の白とは対照的の、自身の髪のように墨のような黒。
自身のそれとはまた別の美しい黒刀に、和人は目を奪われながら、その狂死郎の言葉を聞いた。
「少し、手合わせ願えるか? ――大丈夫だ、殺しはしない」
和人は二刀を構えはするものの、その表情は険しい。
剣を交えるまでもなく分かる。この男は――
(――俺よりも、遥かに強い………っ)
和人は内心の恐れを隠して、狂死郎に向かって言う。
「どういう……ことだ? 死体回収のついでに、俺達を殺して回るのか?」
「まさか。そんな面倒なことするわけないだろう。お前達は殺しても。殺しても殺しても。あの黒い球体が無限に補充するのだから」
「…………だったら、どうして?」
狂死郎の、これまで何度も黒い球体の部屋の戦士と戦った経験を匂わせる発言に少し引っかかりを覚えるも、和人はそこには触れず、ただ動機を問い返す。
それに対し狂死郎は、黒刀を片手に構えながら「言っただろう。只の手合わせだ」と言い、更にこう続けた。
「お前が剣崎を
「…………修行、だと?」
和人は狂死郎の言葉に眉を険しく顰める。
リオンは「まったく、この剣術馬鹿め」と笑顔で言い、そのままはぐはぐと死体喰いに戻った。
(――――くそッ! やるしかないのかッ!!)
本来なら自分達を狙っているのではないという言質を得ている以上――それを信じるとして――このまま狂死郎達に背中を向け、一目散に逃げ出し、ある程度逃げたところでマップを開き、生き残っている仲間の位置を探して合流に向かうべきだ。
だが、和人はこの男に背中を向けられない。
それは、剣士としての矜持というより――恐怖。
本能として――剣士としてか、生物としてのかは分からないが、とにかく本能的に。
この男に――この剣士に、この化け物に。
隙を見せたら、背中を見せたら、その時点で――
(――ころ、される…………っ)
こんな怖い相手は、今まで出会ったことはなかった。
SAOでのヒースクリフよりも、この男は絶対だ。
GGOでの死銃デスガンよりも、この男は恐怖だ。
二刀を持つ手が震える。
歯がカチカチと音を立てそうになるのを、鍍金の勇者は必死に噛み締めて誤魔化した。
「じゃあ、始めるぞ」
「――ッ!!」
和人はその言葉と共に、反射的に腰を落とし、片足を引いて、二刀をハの字に力強く構える。
(――ッ!! 目を見開け! 動きを捉えろ! 恐怖を消せ! 絶対に――)
気が付いたら、宙を舞っていた。
(――――え?)
そして、その時に、ようやく轟音が耳に――そして、脳に激痛の信号が届いた。
「――――が――――はッ!?」
ガシャァァン!!! という音と共に、ガンツソードと、黒の宝剣が砕け散る。
そして、地面に叩き着けられた。
グシャと落下した和人を見て、狂死郎は思わず呟く。
「……あ」
「あ、じゃないよ、狂死郎。あれは明らかにやり過ぎだろう。君らしくもない」
先程まで和人がいた位置で、振った黒刀を肩に担ぐ狂死郎。
呆れるリオンの言葉に、だが彼は、全く反省の色を見せない笑顔で答えた。
「いや、リオン。……アイツ、俺の剣を――“剣”で受け止めていた」
それはつまり、狂死郎の攻撃に、それでも反応してみせたということ。
結果として二刀を失い、大きく吹き飛ばされはしたけれど、それでも和人は反応してみせたのだ。
狂死郎は、それだけでもいい修行になったと満足して、リオンの方を向いて問いかける。
「……どうだ、リオン。食べ終わったか?」
「けぷ。とりあえず、剣崎はね。まだ、名前も知らない
「……そうか」
なら、あとは剣でも振って待っていようかと思った狂死郎は――
「…………」
気配を感じ、その方向に目を向ける。
桐ケ谷和人が、ゆっくりと立ち上がろうとしていた。
ぐらりと揺れる膝を必死で立て直して、二刀で支えようとするも、刀身を失っているそれにバランスを崩し、前のめりに倒れ伏せる。
キュインキュインと悲鳴を上げるスーツは、その金属部からドロドロとした液体を垂れ流していた。
「……もういいぞ。俺は満足した」
一応狂死郎はそう声を掛けるが、その目と口元は、彼が再び瞬時に臨戦態勢に入っていることを示していた。
今までの経験上、分かる。
こうなった奴等は、剣士という生き物は、意識を失うまで、その剣を振るい続けると。
死ぬまで諦めるのを止めず、瞳から殺意を流し続け、剣から手を離さない――剣士とは、そんな馬鹿で愚かな生物だと。
「…………ま、だ…………だぁ……」
和人の意識は、既に朦朧としていた。
訳も分からず叩き込まれ、吹き飛ばされた謎の一撃。これだけで、和人の心身共に深く刻み込まれた。
今の自分では、この剣士には、遥か遠く及ばない。
どれほど遠いのかも分からない。どれほど高い頂なのかも想像もつかない。
それほどに、剣士として、この男は――強い。強すぎる程に――最強だ。
だが、それでも――勝ちたい。
スーツの力が死んでいく。スーツの魔法が解けていく。
もう、完全に、鍍金の勇者は只の桐ケ谷和人に戻っていた。
力の入らない足を、力を入れただけで激痛が走る身体を、それでも必死に奮起させる。
前すらはっきり見えない。今にもプツンと切れてしまいそうな意識を、唇を噛み締めて――噛み千切って必死に保ち続ける。
勝ちたい――負けたくない。
誰よりも強い剣士で在りたい――
この男が今回のミッションに何の関係もないとか、ここで万が一この二人を殺したら今後も吸血鬼が増え続けるとか、そんなことは最早、頭の片隅にも無くなっていた。
ただ、勝ちたかった。負けたくなかった。やられっぱなしは――悔しかった。
意識が混濁して理性がなくなると、表に出てきたのは、そんな理論を吹きとばした超理論だった。
恐怖が消えて、迷いが消えて、ただ欲望だけが表に溢れ出てきた。
例え勝てなくても、相手が最強でも――いや、勝てないからこそ、最強が相手だからこそ。
「――勝ちたいんだ」
そう呟く和人に、狂死郎は薄い笑みを浮かべた。
木造の柄を握り締めて、墨色の刀身を肩に担いだまま、ゆっくりと、足を引き擦って向かって来る和人を待つ。
和人はぐらりと前のめりに倒れ込みそうになり、そして、ガッ! と強く地面を踏み締め、吠えながら駆け出した。
「…………にッッ!! 勝ちたいんだよ!!」
和人は腰にぶら下げた――光剣の柄を取って、横に一振りし、紫色の刀身で闇夜を切り裂く。
「うぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおお!!!」
これまでの動きと比べて、明らかに精彩さに欠け、動きも鈍重なその特攻。
だが狂死郎は、一切心に油断を持たず、その愚かな剣士の闘志を受け止めた。
それが、1000年もの間、最強の剣士として君臨してきた侍の、最強としての在り方だった。
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「げぷ。うぅん、食べた食べた。こんなに死体が一度に出るのは久しぶりだな。この分だとまだまだ死んでるだろうし……こりゃあ、しばらくダイエットかな。女の子として。っていうか幼女として」
でも、これだけ回収すれば童女くらいには戻れるかな?
と、ルンルン気分で狂死郎の元に戻ると、そこでは――
――ドガッッ!! と和人の腹に木造の柄を叩き込む狂死郎の姿があった。
和人はカランと光剣を落としながら、ガクリと体から力を抜かし、今度こそ完全に意識を手放した。
「……まぁ、そうだよね」
順当な結果だ。当然の結末だ。
だが、リオンには和人を哀れむ気持ちも、ましてや嘲笑する気持ちなどなく、ただいつも通りの狂死郎の勝利に、いつも通りの感想を持つだけだった。
「お疲れ、狂死郎。どうだった、彼は?」
「ん。中々だった」
まぁ、そうだよね。と思いながら、そのままぴょんと狂死郎の肩に乗って――
「――っ! ……狂死郎……それ」
リオンが手を伸ばすと、どろりとした感触の液体が指に付着する。
狂死郎の頬には、一筋の刀傷が出来ていた。
「……ああ」
狂死郎は、その傷を親指でぐっと拭う。
傷はすぐさま何もなかったかのように塞がるが、狂死郎の笑みは変わらず浮かんだままだった。
「――リオン」
「なんだい?」
「長生きは、するもんだな」
そして、その飢えた狼のような笑みのままで、地面に倒れ伏せる和人を見遣り、こう語り掛ける。
「――お前は、強くなる。いつかまた仕合おう」
その、久しぶりに見る狂死郎の本当に楽しそうな顔に、リオンも思わず頬を綻ばせる。
「次は何処に行く、リオン?」
「うん。まだ化野は死んでないみたいだしね。火口と岩倉がやられちゃってるみたいだから、そっちに行こうか」
「了解」
そう言って、リオンが手を翳すと、無数の蝙蝠が出現し、二人の身体を包み込む。
そして、その蝙蝠が何処かへと飛んでいくと――そこには既に二人の姿はなく、この五叉路には、意識を失った一般人達と、うつ伏せに倒れ伏せる敗北者だけが残された。
鍍金の勇者――最強の“剣”に、敗北を刻まれる。