Fate/zero 混沌より這い寄る者たち   作:アイニ

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001

 問われた龍之介は、現れた『悪魔』の姿に目を丸くした。

 龍之介が想像していた悪魔は恐ろしく、おぞましい、血と死に飢えたようなCOOLな化け物だ。

 だが実際に現れたのは、アラブの踊り子のような煌びやかな衣装を纏う、ちんまりとして可愛らしい中性的な子供である。

 確かにその異様な色素と背に負った翼、額の眼などは人外っぽい。

 しかし、悪魔というにはあまりにも……。

「どうしたんだい、人間。君も早く自己紹介しないか。名前が分からないと少し面倒だからさ」

 まじまじと見つめているとクスリと嗤う悪魔が催促したので、龍之介も悪魔に倣って名乗り始める。

「えと、雨生龍之介っす。職業フリーター。趣味は人殺し全般。子供とか若い女とか好きです。最近は基本に戻って剃刀とかに凝ってます」

「剃刀か……良いねぇ。シンプルな物ほど、自分好みに変えるのが楽しい」

「あ、やっぱアンタもそう思う?」

 同意を受け、龍之介はへらりと軽薄な笑みを浮かべた。

 と、悪魔の視線が下方に向く。

 何を考えているのか分からないオッドアイは、生贄役に置いていた少年と、二つの死体をじっと見つめている。

「龍之介、この子供は?」

「あ、忘れてた」

 まさか本当に現れるとは思ってなかった悪魔の登場により、すっかり意識から消えてしまっていた。

「アンタのために用意したんだよ。早速、食べる?」

 龍之介の何気ないような言葉に、少年は再び悲鳴を上げた。

 色黒の悪魔は少年と死体を何度か見つめたあと、魔方陣から一歩踏み出す。

 だが進む方向は少年のいる方ではない。向かう先にいるのは龍之介だ。

「ん? どしたの、悪魔さ」

 首を傾げながら言い終える前に、悪魔は何事かを唱えて彼の胸を突く。

 途端、龍之介は言葉を失くし、愛嬌を感じさせる眼から正気の色が消えて胡乱になり、心ここにあらずといった状態になる。

 術にちゃんと掛かったのを確認し終えた悪魔――――キャスターは、それからようやく少年の方へ歩を進める。

 少しでもキャスターから離れようと少年はもがくが、それは功を成さず、数秒でキャスターが彼の前まで接近する。

 もう終わりだ。死を覚悟して、少年は目を閉じた。

 そんな少年の耳に届いたのは、ビリッ……という粘着質な何かを外すか破るような音。

「……?」

 怪訝に思い、恐る恐る目を開く少年。

 そんな彼の目に映ったのは、少年を拘束するガムテープを剥がすキャスターの姿だった。

 拘束を外したキャスターは口を塞ぐガムテープも取り、少年の体に自由を与える。

 己を戒めるものから解放された少年は、呼吸を整える。

「ねぇ、ぼうや」

 高くも低くもない不思議な声を持つキャスターは、視線を二つの死体に投げかけながら、少年に尋ねる。

「もしお父さんとお母さんが生き返るとしたら、君はどうする?」

「え?」

「生き返らせて欲しい? 欲しくない? どっちかな」

 キャスターの言葉に、そんなことが出来るのかと、少年は驚愕する。

 少年はまだ幼かったが、それでも死というものが何かを理解出来る年齢ではあった。死んでしまったものは、決して帰って来ないということも。

 しかし、目の前に現れた美し過ぎる存在は、その不可能を可能に出来るという。とても信じられる話ではない。

 だが、もしそれが本当だったならば。

「い、生き返って欲しい……」

 ぽつりと答えて、少年は黒い翼の持ち主に縋る。

「お、お願いします……! 父さんと、母さんを、生き返らせてっ!!」

「良いよ」

 懇願への答えは軽く、しかし奇跡のようなものだった。

 美貌の悪魔は見蕩れるような笑みを湛えると、死体の方へと向かう。

 男とも女ともつかぬそいつは龍之介にしたときと同じように、何事かを唱える。少年には、何を言っているのか、どういう意味の言葉なのか分からない。ただ、先ほどよりも少し長かった。

 それを全て唱え終えたとき、死体の指がぴくりと動く。

 少年はまさか、と思い見守っていると、

 

「う……?」

「一体、何が……」

 

 二つの死体――――父と母が、起き上がった。

 見れば、致命傷となっていた傷は跡形もなく消え去っており、二人は怪訝そうに異様な光景と化したリビングを見渡している。

 生きている。

 嘘でなく、冗談でなく。

 本当に、生きている。

「ぅ、うぅ……うぁぁぁあああああー……っ」

 少年はぼろぼろと枯れたはずの涙を流し、生き返った両親へと駆け寄り、二人に抱きついた。

 わんわんと大泣きする我が子にしばし怪訝にしていた二人だが、次第に記憶が蘇ったのだろう。ハッと息を呑んだ後、二人もまた目尻に涙を溜めて、愛する我が子を抱き締めた。

 そんな親子を見つめていたキャスターは、足音もなく近づき、声を掛ける。

「早くここから出て行った方が良いよ」

 この場にはまるで似合わぬ風貌をしたキャスターに、夫婦は目を見張る。

 だが、直ぐ傍で殺人鬼が佇んでいる姿を見て、キャスターの言葉の意味に気づいた。何やら呆然としているようだが、いつ我に返るか分からない。今の内に逃げないと、今度こそ自分達は死ぬ。

「さぁ、早く。彼が動く前に」

「君は逃げないのか?」

「平気だよ」

 天使のような微笑でそう返すので、彼は何も言えなくなった。

「ありがとう、この恩は絶対に忘れない」

 そう感謝を述べて、三人の家族は悪夢の部屋から出て行き、玄関へ向かう。

「ばいばい。それから……『頑張って』ね」

 彼らの後姿を――――キャスターはニタリと嗤いながら、見送った。

 

  ◇◇◇

 

 ここは一体どこだろう。

 龍之介は、自分以外には何も見えぬ空間を見渡す。

 その空間に、あの悪魔はいない。少年も死体も見えない。あの家に置かれた家具や、血に濡れた壁や床すらない。

 そこは自分以外の全てが存在しない、漆黒の空間だった。

「おいおい、一体何がどうなって」

 少しばかり眉をひそめて周囲を窺っていると、体に異変が起こる。

「なんだ?」

 痛みがないが違和感がある。一体何事かと、龍之介は己の手に目線を下ろした。

 体が、溶けていた。

「え?」

 驚いて眺めている間も、体はだんだんと溶けて――――腐っていく。表面を覆う皮膚が溶け、濁った血が零れ、肉がぐずぐずに崩れ落ち、骨が露出する。

 異常は指先に留まらなかった。龍之介の体は、あらゆる箇所から一斉に腐敗してゆく。

「こりゃ何が起きて……」

 言いながら腐りゆく体から目を離すと、そこに鏡があった。

 なかったはずの、どこから現れたか分からない姿見。

 その鏡面に映る龍之介の顔は、既に半ば崩れていた。

 夜の女性たちに人気だった端整な容貌は、常人ならば目を逸らしたくなる有様と化している。死後硬直を終えて弛緩し、泥状に変化していく腐肉が骨の上を滑り落ちていき、まだ辛うじて残っている肉には蛆が湧いている。茶色の目玉は眼窩から外れて、神経によって辛うじてぶら下がっている状態だ。

 

 己の体が、どんどん、崩れていく。

 その体が、みるみる、腐っていく。

 

 雨生龍之介という存在が、死に、侵されていく。

 

 それは常人ならば、耐え難い惨状だった。

 一体誰が耐えられるというのだろう。生きたまま肉体を殺され、醜くおぞましく朽ち果てていく様。それをまざまざと見せ付けられて、誰が正気を保っていられるというのだろう。

 だが、龍之介は、違った。

「そうか……そうだったのか」

 失くしたものがようやく見つかったかのように、彼は呟く。

 迷い込んだ森から出る道を見つけたかのように、彼は呟く。

 目の前の現状は、例えるならば、死の舞踏。

 どれだけ美しくとも、偉くとも、死んでしまえば皆同じ。最後は何もかもが消え去って、同じ骨だけの死体と成り果てる。

 

 すなわち、死とは平等。

 すなわち、死とは共同。

 すなわち、死とは併合。

 

 死は常に命の傍にあり、生の隣に佇み、死んだ途端に同一と化す。

 

 死は命と共に有り、

 命は死と共に在る。

 

「これだ、これだよ……俺が捜し求めていたのは!!」

 死に行く己が姿に歓喜しながら、龍之介は叫ぶ。

 

 今まで実感出来なかった死。

 今まで理解出来なかった死。

 

 だからこそ、実感したかった。

 だからこそ、理解したかった。

 

 その恋焦がれてきた祈願が、今、達成された――――っ!

 

「そうか! そうだったのか!! 皆、みーんな同じだったんだ!!」

 狂えるほどの喜びを露に叫んだ瞬間、世界が正常に引き戻された。

 何もない空間に色と形が戻り、死にゆく過程にあった肉体が元の形を取り戻していた。

「あれ!? さっきのは……」

 ようやく見つけた、捜し求めていた物がなくなり、龍之介は少し慌てる。

 そんな彼の視界に入ったのは、クスクスと嗤う美しい子供の姿。

「あはは! ぶっ壊して傀儡にしてやろうと思ったのに、まさか、こんな最高にイカレて最高に面白い奴だったなんて!」

 その言葉と共に、龍之介は理解する。

 己が捜し続けていたものを与えてくれたのが、目の前の悪魔であるのだと。

「なぁアンタ! さっきのを、さっきの光景をもう一回俺に見せてくれ!」

 そうすれば、もっともっと、分かるはず。

 実感し、理解し、その先にあるものを知れるはず。

「俺が追い求めて、恋焦がれたものを、アンタの力で魅せてくれよ!!」

「良いよ」

 狂信するような龍之介の願いに、キャスターはあっさりと頷く。

「けど、その前にこっちを見てみようか」

 その後、ゆったりとした付け袖から水晶玉を取り出して、それを龍之介の目の前に差し出した。

 そこには、ある冒涜的な光景が映し出されていた。

「あれ、このぼうやたち……」

「一回蘇らせたあと、偉大にして愚かな王の下に送ってやったのさ」

 嘲りの色を乗せる、紅と蒼の瞳。

 それは狂ったように踊り続ける家族に、殺人鬼・雨生龍之介の魔の手から逃げた家族に、注目していた。

 彼らは死んでいた。

 体は生きている。

 心臓も脳も生きている。

 あの肉体は生きている。

 だけど、心が死んでいた。

「死は大きく分けると、二つの種類になる」

 涎を垂らし、虚ろな眼で壊れたように踊り狂う家族を見下ろしながら、怪物は告げる。

「一つは龍之介、君が与えることを得意とする肉体的な死。だけどね、我が――――僕が好きなのはもう一つの方。精神、つまり心の死なんだよ」

「…………心の、死?」

「そうさ。肉体はね、殺すのは容易い。だけどその分、早いんだよ。すぐ終わってしまう。たった一瞬、刹那の出来事。それもまた儚く美しいね」

だけど、それじゃあつまらない。

「だから僕は、心を殺す」

 何度も何度も追い詰めて。

 希望と絶望を与えてやり。

「延々と、永遠かのように」

 長く、永く、心を甚振り。

 壊れゆくその様を愉しむ。

「それが、僕の求める『死』の形」

 歌うように語るキャスターは、水晶玉から映像を消して袖の中へ戻す。

 と、

「……ねぇ、龍之介。契約をしよう」

 深い闇を孕んだ邪悪な美しい瞳が、スッと青年へ向けられる。

「僕は君の願う通り、何度でも君が腐敗し惨たらしく死ぬいく光景を見せてあげる。君が求める死を魅せてあげるよ」

 薄い唇を三日月のように吊り上げながら、キャスターは甘美に囁きかける。

「代わりに君は、僕を愉しませろ」

 その心奪われるような声音に、傲慢さを滲ませて。

「ありとあらゆる絶望にもがき苦しみ、足掻いて、狂って、壊れて、死ぬ連中の姿を見させろ」

 世界の全てを支配せんとする、罪深き帝王の如く。

「単なる虐殺はつまらない。息つく間もない死は面白みがない」

 退屈を嫌い、遊戯を求める無邪気な幼子のように。

「ゆっくりと、ゆったりと。愛おしく愚かな連中の心を、聖女のごとく慈しむように、聖母のごとく愛するように――――殺すんだ」

 此の世で最も素晴らしき教えを説く、聖者めいた響きをつけて。

「僕たちの手で、その尊き死を与えてやるんだ」

 残酷で、冷徹で、冷酷で、残忍な言葉を――――囁き掛ける。

「……もちろん、一気に潰してしまうのもありだけどね。まぁぶっちゃけてしまえば、僕たちで『面白おかしく愉しいことをしようぜ』ってことさ」

 人生楽しんだもん勝ちだもんね、と最後は茶化すように怪物は言う。

「COOOOOOOOOOOOL!! 最っ高だよアンタ!」

 怪物の言葉に、龍之介は狂喜乱舞した。

「分かった。俺ぁアンタについていくよ! 師匠、アンタの殺しを、アンタの愛を、皆に見せよう。皆を魅せよう! 俺たちで皆みんな、平等に愛してやろうぜ!!」

己の術で壊れるなく、さらにその先を求める狂人の、満足のいく肯定。

「師匠、か。あはは、理解の早い教え子を得られて嬉しいよ、龍之介!」

それを聞いたキャスターは美しく愛らしく、冒涜的な表情で微笑んだ。

 

 平穏と正常から切り離された空間。

 日常を壊され血と狂喜で彩られた場所に描かれた魔方陣と、そこに放り投げられた一冊の書物。

 そして〝此の世全ての悪〟に汚された、穢れた聖杯。

 それは死と殺戮を撒き散らす一人の殺人鬼と、この世全てを冒涜する怪物という、決して出会わせてはいけない者たちの会合を許してしまった。

 

 彼らの進む先には、

 彼らが進む後には、

 

 一体、何があるのだろうか?

 


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