昨夜の騒動から一夜明け、今日のキャスター陣営の朝食は和風だ。
主菜は皮までこんがり焼いた鮭と、海苔が入った出汁巻き卵。副菜はキャベツと豚肉のおかか和えに、葱と納豆を入れて焼いた油揚げ。味噌汁の具は三種のきのこに里芋とワカメ。艶々に炊かれた白ご飯は、ちりめんじゃこと桜海老のお手製ふりかけで彩られている。デザートは蕎麦湯の餡包みだ。
意外に思われるだろうが、キャスターは栄養バランスを考えて料理を作るタイプである。というのも、悪戯するにも戦うにも栄養は大事だからだ。そういうことから、色んな栄養を補給しやすくて美味しい日本食を作ることが多い。
反面、イギリスやアメリカの料理が食卓に並ぶことは滅多にない。
「なんか師匠が来てから、体の調子が良い気がするな。俺」
ご飯に乗っかる桜海老とじゃこの旨味を味わった後、龍之介は呟く。
料理が出来ないわけではないが、フリーターと殺人鬼を両立していた頃は色々と忙しくて、自炊をあまりしたことがない。大抵はコンビニ弁当や外食で済ませていたものだ。
そんな当時のことを思い出していると、キャスターはくすくすと笑いながら鮭を突く。
「コンビニ弁当はご飯とおかずのバランスが良いとは言えないからね、当然と言えば当然だよ」
「確かにそうかも知んないなぁ。……ちゃんと料理出来る様、レシピ本でも買って練習しようかな」
「そんなの買わずとも、僕が教えてあげるって」
「マジで?」
「ほんとほんと。龍之介のことだから、やり始めたら案外ハマるかもしれないよ? 料理も下準備とか色々するの、結構楽しいからね」
「へぇ~」
などと何気ない会話を交わしながら、二人は朝食を済ませてお茶を飲む。それから黒文字で蕎麦湯を切って、小さく切ったそれを口に放り込む。柔らかな皮に包まれた餡が口の中で広がる。甘味の風味を楽しみながら茶を啜れば、自然と顔が綻んだ。
抹茶を少し入れた煎茶は、餡包みとの相性が良い。日本茶独特の渋みと苦味が、砂糖で煮詰めた小豆の甘さによく合うのだ。
「ふぅ~。日本のご飯とお菓子は美味しいよね、ほんと」
作った本人も菓子の出来に大満足なのか、幼い顔がいつになく緩んでいる。唇の綻び方も、普段とは打って変わって含みがなく柔和なものだ。
「日本人の、僕らをメディアに取り込む容赦の無さはちょっとアレだけど、食文化は凄く良いよねー。日本人の味覚が凄い発達してるお陰だね」
「え? そうなの?」
「うん。人間が持ってるのは大抵生理学的な五味か、そこに旨味を足した六味だけど、日本人には渋味も加わるからね。五味と七味じゃ全然違うよ」
「そっか七味かー。……七味って言われると、唐辛子が思い浮かぶんだけど」
「そりゃそうでしょ。七味唐辛子作ったのって、日本人だもん」
「マジで?」
「マジだよー。江戸時代に、徳右衛門っていう人が漢方薬を参考にして作ったんだって。だから七味唐辛子は、日本生まれの調味料」
日本人って七って言葉が好きだよねーと言いながら、キャスターは茶呑みを傾け味と香りを楽しむ。抹茶を少し加えると、香りがぐっと良くなるのだ。
「あと日本のお菓子は、甘いだけじゃないのも良いよね。沢山食べてもうんざりしないっていうか」
「ふうん。……師匠の国の菓子は?」
尋ねると、キャスターは困ったように肩を竦める。
「激甘だよ。アメリカもエジプトも、お菓子は甘いのが当然ってばかりでさ。砂糖めちゃくちゃ使うから……特にアメリカは色も派手過ぎるから。日本菓子に慣れたら、ちょっとなぁ」
「あー。アメリカの菓子って、蛍光色が普通にあるんだっけ」
「そうだよ。ちょっと淡く色づいてる程度なら良いんだけど、ド派手な蛍光ピンクとか青とか……緑が普通にあるから。おまけにチョコの中にキャラメルとかクリームが入ってたりするから、日本人はあんまり食べる気しないと思う」
「うわぁ……」
師から聞かされるアメリカの食文化に、さすがの龍之介も引き気味だった。
明らかに着色料を使ったと分かる、激甘のケーキやチョコレート……出来れば食べたくない。
「昔はイギリスの植民地だったから……飯マズが浸透しちゃったとか? 飯の不味さまで受け継がせるとか、ブリテンまじ怖い」
「いや、それだけが理由じゃないよ。元々アメリカは荒野だったからね。開拓するために大量のカロリーが必要だったんだよ。料理する時間も惜しいから、味付けは塩胡椒だけみたいに簡素化したわけ」
「で、出来たのがハンバーガーとかポテトなわけかぁ。そう考えると、日本って恵まれてるんだな。同じ島国でもイギリスとは大違いだ」
「だね。イギリスって、色々と不憫な国だよね。薔薇とか刺繍とか、お茶菓子や紅茶は凄く良いけど……料理だけはちょっと」
言い合う二人の脳裏に浮かぶのは、金髪をお団子にした青い騎士王の姿。あの国で王をするのは、本当に大変だっただろうと少しばかり憐憫を覚える。
まぁ、他人事なのでどうでもいい。
デザートも食べ終え、龍之介は食器を洗いながら今日はどうするのかとキャスターに尋ねた。
昨日はかなり暴れまわったので、ほぼ全陣営が簡単には動かないだろう。表立っての動きはそうないと思われる。ならばこちらが動く他ない。
すると、子供はクスクスッと悪戯っぽい微笑を浮かべる。
「大丈夫だいじょうぶ、今日の標的はもう決めてるから」
「へぇ。そこって一体どこ…………あ。あそこか」
「そう。龍之介の予想してるとこ」
食器の水分を布巾で拭いながら、キャスターは続ける。
「あそこのマスターだけはあんまり被害入れれなかったからね。多分、まだ頭ん中は甘いと思うんだ~。……鼻くらいは圧し折っておかないと」
「やっぱりそう言うと思ったよ師匠。で、いつ行く?」
「お昼。ご飯食べた後ね」
「食後の運動がてらってわけだ、なるほど。準備はどれくらいしとこうか?」
「そう多くなくて良いと思うよ。悪ふざけする程度だし」
「OK。じゃ、午後一時くらいにしよう」
「賛成っ。ランチはスタミナがつく奴にするね」
聖杯戦争において最も性質が悪い陣営は、和やかに洗い物を終えた。
そして午後一時過ぎ、昼食を食べて少しばかり休息を取った二人は、とある場所へと向かった。
訪れた先にあるのは、西洋風の豪勢な屋敷。背の高い樹木の中に、赤茶けた壁の家が威厳を感じさせる程堂々と鎮座している。
二人は門を開き、張られた結界をパパッと解いてから、屋根の上にある風見鶏が目印の家の前まで進む。
そして扉をノックする。
「遠坂さーん、こんにちわー!」
「折角なんで、遊びましょー!」
二人はニコニコと笑いながら、真昼間に敵陣を訪れていた。
◇◇◇
時臣は、キャスターをすぐには殺さず捕獲する予定だった。
綺礼曰く、キャスターの言葉が真実ならば、あの子供は神代の『魔法使い』だ。根源に到達し、根源の渦より死者蘇生という実現不可能な「結果」をもたらす力を引き出した、神秘の使い手。
そんな存在が聖杯戦争で召喚されたのは、今回が始めてのことだった。
遠坂を含めた御三家の目的は、根源に至ること。
その根源に到達した存在が、目と鼻の先にいるのだ。セイバー陣営とバーサーカー陣営……正確には、アインツベルンと間桐は確実にキャスターを捕らえんと動くだろう。子供が持つ神秘を我が物にしようと。
いや、動くのが御三家だけとは限らない。どれだけ蓋をし、戸を閉めていようと情報と言うのは流出してしまうものだ。今回の件をどこからか聞きつけた魔術師たちが、キャスター狙いに動き出す可能性も十分有り得る。
だからその前に――――時臣が捕らえる。
キャスターは今までの例に倣わず強敵だが、こちらにはアーチャーとして召喚された英雄王がいる。そして綺礼のアサシンたちもいる。二騎で攻めれば、殺すことは出来ずとも捕縛なら可能のはずだ。
無論、聖杯への願いは変わらない。魔術師としての目的、根源に至る道を放るつもりは毛頭ない。
それでも、我関せずという態度で野放しに出来る様な存在ではないのだ。あのキャスターは。
――――そんなキャスターが、昼時から屋敷へやって来た。
常に優雅たらんとする時臣も、これには焦る。捕獲せんと考えていた相手が唐突に拠点を訪問し、周辺に張った結界を鼻歌混じりに手早く解除したのだから、焦るのも仕方ない。予想外にも程がある。というか、昼に攻め込んでくるとか非常識極まりない。
『あれ? 返事がない』
『もしかして留守?』
時臣が内心あわあわしていると、扉前に仕掛けている魔術がキャスターたちの声を拾った。訝しげな声が、魔術によって時臣へと伝達される。
『んー、どうしよっか師匠。なんかインターホンついてないっぽいし、これじゃ中に人がいるか分かんないじゃないか? 水温察知、昼だとやりにくいし』
『そだねー。肝心の相手が居ないんじゃ、遊べないし』
そんな会話をする二人に救いを見出し、そのまま一旦帰ってくれと願う。
いくら捕らえようと考えていても、その準備が出来てないのではどうしようもない。むしろこちらが圧倒的に不利だ。
どうかそのまま引き返してくれ、と本気で祈る。
が、
『ま、その場合は本人が帰って来るまで家の中に罠仕掛ければ良いよねー。外出から帰ってきたら、家中トラップまみれ……凄いびっくりすると思う』
『確かに! そういうドッキリすんのもありだよな!』
『よし決まり~っ。そゆわけで、お邪魔しまーす』
そして聞こえたのは、魔術で扉の鍵が開かれる音。
――――勝手に侵入してきた!!
なんてことだ。この陣営、自由奔放すぎる。英雄王レベルで自由過ぎる。
時臣はこういった不慮の事態が大の苦手だ。そんな時臣にとって、我が道を行く彼らはまさに天敵である。こちらの事情も考慮して頂きたい。
厄介極まりない陣営の侵入……これは屋敷に張っておいた罠で待ち構えても安心出来ない。現に今、使い魔の視覚で見た彼らは、わざと罠を発動させながら屋敷内を歩いている。時臣が念のために配置していた罠の数々を、キャスター陣営は嬉々として発動させて楽しんでいるのだ。
これだけでも時臣側が不利だというのに、さらに困った事が今起きていた。
アーチャーである。
アーチャーが今、外出中なのである。
困ったことに、英雄王もまた自由人だった。彼が時臣の言葉をまともに受けるわけがなく、屋敷で酒を飲んだり、街に出て子供と戯れたりするのが常だ。今日もそれに違わず、そうだった。
しかもアーチャーの場合、呼んでも応じない可能性が高い。彼はとても奔放なのだ。街で遊んでいる最中に呼んでも、大方無視される。令呪を持って命じれば可能だろうが、そんなことで令呪を消費するのは賢くない。それに、プライドの高いギルガメッシュの怒りを買うだろう。
結論。現在時臣、大ピンチ。
それでも時臣は考えた。そしてすぐさま、綺礼に通信を繋ぐことを選んだ。
「綺礼、綺礼っ。今時間があるかね!?」
『はい、今は休憩をしていますが……どうしました?』
「すまないが、今すぐ屋敷に来てくれないだろうか。アサシンも連れて」
『構いませんが、本当にどうしたのですか? そんなに慌てて』
「……キャスター陣営が、遊び感覚で襲撃してきた」
『………………はい?』
通信機越しに聞こえた声には、いつになく困惑が滲んでいた。