ばいにんっ 咲-Saki-   作:磯 

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13.ばいにんテール(二)

13.ばいにんテール(二)

 

 

 ▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室・キッチン/ 07:23

 

 

 元の用途が用途であるだけに、キッチンの設備は小料理屋もさながらの充実振りだった。抜け番の客をもてなすためのカウンターには、月子が目にしたこともないような銘柄の洋酒が整然と並んでいる。冷蔵庫に生鮮品は流石に乏しかったが、日持ちのする食材は呆れるほど詰め込まれていた(もちろん酒肴が主である)。電話機の隣には出前のチラシ・メニューも山と積まれている。ピザ、寿司、中華料理、弁当、蕎麦、人妻……。

 

(人妻?)

 

 首をかしげながら、月子は注文の準備に取り掛かる。

 

「ココア、梅こぶ、コーヒー、ココア」

 

 節を回して呟いた。

 電気ケトルに水を入れてスイッチをオンにすると、月子はマグカップを3つと湯呑を1つ、食器棚から取り出した。梅昆布茶の顆粒は一年毎日飲んでも使い切れないのではと思うほど大量にある。花田からはとくにオーダーされていないがとりあえず二袋を開封し、続いて茶菓子の準備に取り掛かる。

 

 キッチンカウンターの鏡越しに、居間で牌を打ち交わす四人が一望できる。月子の位置からはちょうど照の手牌がよく見えた。

 

「ふんふむ」

 

 つまみのドライフルーツを一切れ口の中に放り込み、月子は東二局の推移を見守った。敵情視察とばかりに、照の取捨選択を頭に焼き付ける心算である。

 

 ――東二局二本場、京太郎の大物手に対して照はフリテン塔子落としからの立直を打った。出和了できない役あり三面張と出和了可能な役なし変則二面張の優劣はさておいて、かなり苦しい牌勢からの勝負である。

 けれども結果として、照は当然のように京太郎から和了ってみせた。

 

(あくまで結果。結果的に和了ってる。だから宮永さんは正着――だったのかしら?)

 

 彼女には彼女にしかわからない何らかの直感があったのかもしれない。直感の完全な立証や否定は不可能事である。

 

(宮永さんの打ち筋がセンスと絶対的な幸運に支えられただけのものなら、まだわかりやすい)

 

 と、月子は思う。感性や幸運は(月子の主観では)必ず変動するものである。まったく機能しない場合も異常なほど研ぎ澄まされる場合も、しばしばある。運勢の満ち干きは万物すべてに存在する。それは照でさえも例外ではない。宮永照は月子の眼から見て雲上の龍にも等しい怪物であるが、怪物の好調不調を見分ける目を、月子は持っている。照がただ持って生まれた才覚を振るうだけの少女であれば、組み合う手段は思いつかないわけではない。当然のように圧倒的な負けを重ねることにはなるけれども、絶対に勝てないとは思わない。

 けれども照に対して、月子は勝算を見出すことができない。その意識は論理や感情に基づくものではない。一週間前の対局ではそうだった。自明の理として、月子は照の勝利を受け入れた。思いつく限りの、最後の手段を除いた全ての札を切った。それでも及ばなかった。その事実が格付けを済ませてしまったのかもしれない。

 

 苦手意識は誰にでもある。麻雀に限らず、競技のつき物である。ときにそれは、ジンクスにもなる。面子や自風、特定の牌や待ち。印象的な一度の体験が、その後の全ての経験に影響を及ぼすこともある。

 しかし、

 

(でも、宮永さんの打ち回しには(キズ)がある)

 

 何にも増して月子を戸惑わせる最大の要因は、『宮永照』という少女はどんな観点から見ても完璧な打ち手ではないという事実だった。

 たとえば前局、照は9巡目に和了逃しをしている。

 彼女の東二局二本場時点の配牌は、

 

 {二二四六七八①②④⑥89發南}

 

 であった。

 河は、

 

 {南①9發⑥四}

 {④北8横7}

 

 である。

 そして、立直を打つまでの自摸は「{6二57④③北4一}」だった。

 つまり、この自摸から想定できる最高形は、

 

 {六七八①②③(ドラ)(ドラ)56789}

 ツモ:{4}(9巡目)

 

 ――となる。曲げれば親割れの8000オール、そうでなくとも5200オールの手を、否定する要素が月子には見つからない。月子から見た照の瑕とは、だから2・3巡目の打{①}と{9}にある。この二打が、9巡目の自摸・平和・ドラの和了を挫いた綾になった。

 手順自体に大きな瑕疵はない。むしろ平凡すぎる程である。麻雀には裏目などいくらでもあって、それが照に訪れたことを、本来は疑わしく思うべきではない。

 が、5巡目の打{⑥}から趣を変え始め、9・10巡目の打{87}は完全に暴牌だった。

 確かに放銃はなかった。それが結果である。そして結果が全てというなら、照が和了って見せたことも9巡目の{4}引きで事実上の和了逃しをしたことも含めて結果である。

 

(わたしにも放銃は一回あったから、宮永さんは山や手が透けてるタイプではないと思ってたけど、それにしては放銃率が少なすぎる。前回も結局直撃取ったのはわたしだけだったし……聞いた話だけでいえば、対子を落として一色手の3倍満(トリプル)に刺さったこともあるっていうから、絶対に当たり牌をつかまないとか、他家の当たり牌が完全にわかるひとじゃないんだ)

 

 現時点の照と比較して、楽勝は不可能でも実力的には勝ちを拾えそうな打ち手を、月子はいくらでも思い浮かべることができる。ゴールデンタイムを飾る中継の向こう側にいる華々しいプロ雀士たちは当然として、月子自身の父、兄、昔出会った広島弁の少女――。

 

(指じゃ足りないくらいには、いる。でも、思い浮かべた大抵のひとに、宮永さんは最終的には勝つ気がする。じっさいどうなるかはともかくとして)

 

 その理由がわからない。

 そして、わからない部分こそが照の強さの中核だと月子は思う。

 

(須賀くんは……それ、わかってるの?)

 

 訝る瞳の先で、東二局三本場が始まる。

 照の手牌は、こうだった。

 

 {三四四五六七②⑤⑥344西北}

 

(――仕上がってる)

 

 ドラは{4}――理想的な軽い手である。中ブクレで縺れれば終盤火薬庫と化す手牌だが、たんに和了を目指すだけならば文句のつけようもない。照の打牌は危険牌回避を除けばごく真っ当なものである。

 月子の注視をよそにして、照は打西といく。月子は自分に準えて思考する。

 

(そりゃあ、基本原則は西北だけれど)

 

 照の手順はあくまで直線状だった。自摸に真っ直ぐに、定規で引かれたように道を行く。彼女がその歩みを変えるのは他家の和了を察したときである。しかしどうやってその機を捉えているのかが、月子にはどうしてもわからない。そうこうしている内に、照は{21}を連続で引いた。{①}を引いて自摸切った。

 

 {三四四五六七⑤⑥12344}

 

(1向聴――)

 

 固唾を呑む月子に、

 

「おい」

 

 と、いつの間にか寄ってきた池田が囁いた。親指をケトルに向けた彼女は、

 

「沸いてるぜ」と、いった。

「失礼」頬をかいた月子は、雀卓から目を切って沸いた湯を湯呑に注いだ。

 

 とたんに、梅の香りが場に立った。

 

「あたしも何か飲みたいな」池田がいった。「――そんなに勝負が気になる?」

「そういうわけじゃないわよ。べつにわたしが何を賭けてるわけじゃあるまいし」

「でも、須賀に思いいれを乗せてンだろ。そいつはじゅうぶん、入れ込んでるっていえるし」

「そうかしら」

 

 池田の指摘は、月子の実感を掘り起こさなかった。月子が京太郎へ向ける思い入れはある。むしろ否定する要素がない。

 

「池田さんは、須賀くんのことどう思う?」

「なにそのふわっふわの質問」池田が苦笑する。「いいヤツだと思うよ。麻雀に向いてるとは思わないけど」

 

 意外な評価に、月子は目を丸くした。

 

「どうして?」

「ブレーキ壊れてるのにセンスがないから」と、池田は答えた。「あァ、ブレーキ壊れてるはいいすぎかな。どっちかっていうと、サイドブレーキしか動かない、のほうが近いかな? ま、そんな感じ」

「ぜんぜんわかんないんだけど」

「わからなくていいし」池田は笑う。「でも、あたしがあいつについて思うことに、意味なんかないんだよ。それはあたしだけの気持ちだもん。だから、須賀が向いてないと思うからって、べつに麻雀辞めろとかは思わない。あいつと打つのはそれなりに楽しいし、この先、どんなに可能性が低くたって、須賀が麻雀を自分に向けないともかぎらない。つっきーはつっきーの思うようにあいつと関わっていけばいいんだよ。あたしはそれを変えたいと思ってるわけじゃない。それよりホラ」

 

 そこまで言い切ると、池田は目線で月子を促した。

 

「長い親が終わったみたいだぜ」

 

 卓上で牌を倒していたのは宮永咲だった。

 そして立直宣言と同時に燕返しを受けたのが、宮永照である。

 

 

 ▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室・キッチン/ 07:32

 

 

 東二局三本場 ドラ:4(ドラ表示牌:3)

 咲:{二三六七八①①①②③789} ロン:{四萬}

 

 詳らかになった咲の手牌を見るや、京太郎は彼女の河に目をやった。照から直撃を取った秘訣がそこにないかと勘ぐった。藁にもすがる思いである。

 

(四巡目だ。事故みたいなもんだ。参考になんかならねー。それはおれもよくわかってる――けど)

 

 咲

 河:{南①九白}

 

(事故でだって、おれは照さんから1000点も直取りできてないのが実際だ)

 

 和了形と、咲が並べた河の違和感に、京太郎は目を細めた。

 

「その{九萬}、自摸切りじゃ――」花田が何事かを口走りかけて、首を振った。「いえ。なんでもありません」

 

 京太郎も同じことを考えていた。

 結果として照の打ち込みは打{四萬}である。咲が満貫を和了ることはできなかった。しかし{一萬}はまだ場に一枚も出ていない。親の立直を前に出る保証のない牌を待つかはともかくとして、最初からその可能性を切り落とす打ち筋は理解しがたかった。

 

(完全な高目放棄)

 

 打{①}まではまだわかる。槓子を扱いかねて雀頭と面子に固定したというストーリーがある。しかし京太郎には、打{九萬}だけは理解できなかった。咲の河のうち、手出しは{南①白}の3種である。入り目は判じかねるものの、聴牌を取ったのは照が打ち込む寸前だった。

 

(仮に入り目が{八萬}として)

 

 と、京太郎は牌姿を思い浮かべた。

 

 {二三六七①①①②③789白}

 

(――この形で{九萬}を引いて、自摸切りする理由なんかあるか。打{六萬}はやりすぎにしても、{①}を切り落としておいて{白}をかかえる意味がねえ。……照さんと同じで、こいつもだんだん点を上げてったりするのか?)

 

 かれは瞑目した。いくつかの可能性が頭の中で明滅し、枝葉を伸ばしては剪定されていく。けれども結論は出ない。オカルトめいた麻雀の存在を受け入れた場合の最大の弊害が、ここにある。卓上におけるあらゆる所作が疑わしくなるのである。実証が不可能である以上、かれは対局者が布いているであろうルールを自力で読み解かなくてはならない。そしてルールは傾向からしか読み取れない。つまり検証の手順が必須となる。そして京太郎が咲や照の全てを検証するには、彼女らと重ねた局があまりに少ない。

 

(なら、おれに都合のいいように考える)

 

 嘆息と共に開き直った京太郎は、意識を咲から照へ移した。連荘を止められた彼女の顔色は、京太郎の想像通り不変である。

 

「なァ、照さん」

 

 そんな彼女に、京太郎はいった。

 

「マナー違反でわるいけど、手牌、見せてもらってもいいかな」

「うん」

 

 照に迷いや逡巡はなかった――ただし、京太郎の気のせいでなければ、彼女の瞳には光が湛えられていた。彼女は試せと言わんばかりだった。京太郎が欲する情報を可能な限り与える用意があるようだった。無表情の奥に強者の余裕を見透かすのは、京太郎の弱目の反映でしかない。鎌首をもたげつつある反骨心を意外に思いながら、

 

「なら、お言葉に甘えて」

 

 といって、かれは笑った。

 照が牌を曲げた形を、かれは具に観察する。

 

 {二三四五六七⑤⑥12344}

 

(ダマで5800。それを曲げて11600にしたってことは)

 

 ――今局、照は『前局の和了原点(3900)以上』ではなく『前局の和了点(7800)以上』を目指していたわけである。

 

「ふゥん……」

 

 と、鼻を鳴らして、京太郎は目を細めた。

 

 

 ▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:32

 

 

 東三局0本場 ドラ:{發}(ドラ表示牌:{白})

 【西家】花田 煌  :21300

     チップ:-1

 【北家】宮永 照  :35700

     チップ:+1

 【東家】須賀 京太郎:48600

     チップ:+1

 【南家】宮永 咲  :-5600<割れ目>

     チップ:-1

 

 

 ▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:32

 

 

 東三局0本場 ドラ:{發}(ドラ表示牌:{白})

 配牌

 京太郎:{一四四②③⑦⑦⑨89發東東南}

 

 

 ▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:32

 

 

 指先に血の通う感触があった。

 停まっていた時間がぎこちなく動き始めた。

 宮永咲は呼吸するたびに自分の感覚が整備されていくのを感じる。打ち始めてはや三十分、いまの彼女に鈍りはない。眠気は未だ取りきれないものの、視界も思考も麻雀を打つには支障ない。二分ほど睡眠の欲求に後ろ髪引かれながらも、咲は目の前の卓に意識を払う。

 

(かわばたさんもいってたっけ)

 

 東三局0本場 ドラ:{發}(ドラ表示牌:{白})

 配牌

 咲:{五七七八④⑥⑥⑧1223中}

 

 ――彼女は、花を思い浮かべる。

 

(ひとさしの花は、百輪の花よりも花やかだって)

 

 孤高に咲く一輪。

 それが咲が麻雀に持つもっとも強いイメージである。

 ひそやかに息衝いて、咲は感覚の指を卓上に這わせていく。

 

(もう少しかな――まだまだかな――)

 

 

 ▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:32

 

 

(東場、まっっったく! いいとこナシです! これはいけません、すばらくないっ)

 

 東三局0本場 ドラ:{發}(ドラ表示牌:{白})

 配牌

 花田:{二三四[五]①②⑦79發東西西}

 

(とはいえ、この手――はたして、しかけるにじゅうぶんかどうか――)

 

 

 ▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:32

 

 

 東三局0本場 ドラ:{發}(ドラ表示牌:{白})

 配牌

 照:{一二六六九③⑨245南南北}

 

 

 ▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:33

 

 

 東三局0本場 ドラ:{發}(ドラ表示牌:{白})

 1巡目

 京太郎:{一四四②③⑦⑦⑨89發東東南}

 

(どんなときに、手は透ける?)

 

 京太郎は自問する。

 

(切り出し、副露、手癖、理牌、目線、手順、自分の手元、河)

 

 咲の山を崩して引いた手牌を調えつつ、かれは沈思する。萬筒索を端から並べて牌勢を量る。まずまず、恵まれた配牌といってよかった。面前を押すにはやや重く、急所を残さず立ち回る必要はあるが、連風牌さえ叩くことができればどうとでも進めていける。

 

(そんなもん当たり前の答えだ。そして――)

 

 京太郎:{②8⑦⑨一四東四9發東⑦南③}

 

 調えた牌を無秩序に崩した。

 牌の並びを記憶した。

 

(それだけで、完全に手を見透かすことはできない。できるならそいつはガン牌だ。でもガン付けが完璧なら、そもそも振り込むはずはねえ。つまり照さんは、他家の手を透かし見てるわけじゃない。少なくとも、()()じゃない)

 

 最後にかれは、手牌を全て伏せた。

 

(じゃあ、何が読まれてるんだ?)

 

 打:{四萬}

 

 親番最初の一打を、河に置く。置きながら、かれの口元は綻んだ。

 

(まったく、ばかみてーな麻雀やってんなァ、おれ!)

 

 

 ▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室・キッチン/ 07:33

 

 

「親番にあの手牌で無理染めか?」池田が苦笑した。「なんにしろ、なんかはじめやがった」

「あぁあああ」飲み物を盆に並べながら、月子は頭を抱えた。「ああいうことをやらせたくなくて、ずっとちゃんと教えてたのに!」

 

 

 ▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:33

 

 

(ずいぶん長く理牌してたなあ――手、伏せちゃったけど……いいのかな?)

 

 上家の素振りを横目にしつつ、咲は眉根を寄せて考えた。

 

 東三局0本場 ドラ:{發}(ドラ表示牌:{白})

 1巡目

 咲:{五七七八④⑥⑥⑧1223中} ツモ:{⑨}

 

(いきなり自摸切りしちゃうけど……)

 

 打:{⑨}

 

 

 ▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:34

 

 

(なんか、ヘンテコなこと始めましたね?)

 

 対面の京太郎の動向に注意を払いつつ、花田は一考した。麻雀を始めて数ヶ月、京太郎の手順はおおよそ型にはまりつつあるといってよかった。月子の指導はなるほど理に適ったもので、そうした意味では京太郎は真っ当に成長してきたのである。

 けれども、時おり京太郎は異彩を放つ。自棄や諦観ではなく、大真面目に異常な手順を踏むことがある。それはかれなりのロジックに基づいた選択で、もちろん空振に終わることもままある。ただ奏功する場合も、決して少なくはない。

 基礎力は大事である。その点について月子は声高に主張するし、花田も全面的に支持するに吝かではない。しかし技術や牌理は全局面的な最適解である。網目から零れ落ちる勝ち目を諦めるか掬うかが、麻雀における勝敗の分水嶺だと花田は考える。

 その点で、彼女は京太郎の嗅覚はなかなかのものだと評価していた(池田や月子の同意を得られたことはない)。

 

(そんな須賀くんの目線は下家のおねえさん)

 

 かれの意識は、始終宮永照に向いている。とくに前々局の終盤からは、ほとんど凝視の勢いである。視線に晒されている照はというと、気色はあくまで涼しげだった。京太郎の視線は露骨である。気づいていないはずはあるまい。であれば従容としてその観察を受け入れていると解釈するほかない。

 

(月子さんは、須賀くんの片恋(カタコイ)相手とかいってたけど――なんとも、不思議な関係っぽい)

 

 東三局0本場 ドラ:{發}(ドラ表示牌:{白})

 1巡目

 花田:{二三四[五]①②⑦79發東西西} ツモ:{發}

 

(フ――すばら)

 

 打:{東}

 

 

 ▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室・キッチン/ 07:34

 

 

 叩けば2900が確定する連風牌を、京太郎は当たり前のように無視した。一瞥もなかった。もちろん視界に入っていないはずはないが、その無関心さは演技にしては堂に入りすぎていた。

 

「目線も向けないとか……」池田が呆れた顔でいった。

「ちょっとぶっとばしてくるわ」月子が腕まくりした。

「落ち着きなって」

 

 危うく月子の腕を押さえそうになって、池田はすんでで留まった。この風変わりな友人は、他者の接触を病的に(それは実際に病のような何かとしか表現できない)苦手にしている。

 

「む……悪いわね」

 

 その気遣いを素早く悟った月子が、ため息混じりに矛を収めた。それでも憤懣やるかたないといった様子で唇に人差し指を這わせながら、彼女は京太郎を低い声で詰り始める。

 

「にしても! なんなのあいつ……なにがしたいのかしら? 親番捨てる気?」

 

 けんか雲を吹きだしそうな素振りの月子は、平時と違ってずいぶん幼く見える。初めて出会った頃の不安定さは、ずいぶんとなりをひそめていた。そんなところにも時間の経過を感じて、池田は微笑んだ。

 

「つっきー、四六時中一緒にいる割に、意外と須賀のことわかってないなァ」

 

 と、彼女はいった。

 

「――あいつがヘンなことやるときは、だいたい、珍しくマジで勝ちたがってるときだよ」

 




2013/2/20:牌画像変換

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