視界に映るのは窓越しに流れる景色。そんな物を眺めながらも、俺は新幹線の穏やかな揺れが誘う甘美な眠気に抗いつつ、指先へと挟んでいる一枚紙へと魔力を籠めていた。いっその事魔力を籠める事を止め眠ってしまいたいが、聖杯戦争に興味を持った我が相棒はそれを許してはくれないだろう。
「なあ旦那、そろそろ教えてくれても良いだろ? 聖杯戦争は冬木市であるって言ってたのに、何で態々離れた東京になんて行く必要があるのさ」
そんな風に問い掛けてくる声を聞き、俺は眠気を堪えながらも視線を動かして前の座席に座る相棒こと雨生龍之介へと視線を向けた。その視線は恐らく随分とやさぐれていただろうと推測出来るが、仕方のない理由とも言える。
「あ、あれ、旦那なんか疲れてる?」
「誰のせのいだと思ってるんだ……。昨日から一睡もさせずに魔術行使させやがって……」
その理由とは、前日から絶えず自作した術式を渡してくる龍之介にあったのだ。
龍之介は限定的とは言え、やはり魔術が使える事が嬉しかったのか、魔道書を渡してから僅か数分後には簡単な術式を作成し俺へと手渡して来た。
元々魔力を籠める事を条件に取り付けた協力関係であった為、勿論俺もそれを了承し魔力を数十分掛けて術式が発動出来る程度に籠めた。
そして、龍之介はその魔力の籠められた術式を受け取り発動すると、想像通りの結果になったのか喜び狂喜狂乱。そのままのテンションで俺が魔力を籠めている間に作っていたらしい術式を再び渡して来ると、魔力を籠めて欲しいとまた頼んで来たのだった。
俺は仕方ないと肩を竦めつつもそれを了承。
それが、この悲劇を生むことになるとも知らずに。
「ふざけやがって、何でどんどん必要な魔力が増えて来るんだよ畜生が……。アンタは知らないだろうけど、魔力生産するのって痛いんだぜ? さっきから魔術回路が悲鳴を上げてるから、本当そろそろ休ませてくれ」
そう言って俺は手に挟んだ紙を龍之介へと投げ渡し、最後に魔力は籠め終わってると告げておく。
その言葉を聞いた龍之介はその紙を嬉しそうに受け取ると、頬を赤くしながら興奮した様子で口を開いた。
「流石旦那。じゃあ次は――」
「――その首すっ飛ばす事にするか? 殺人なんてした事ないけど、今の俺なら英雄だろうと殺せそうだぜ」
勿論そんな事は出来ない為言葉の綾ではあるのだが、龍之介も漸く俺が苛々している事に気付いたらしい。渋々と言った様子ではあったが、大人しく差し出した紙を懐へと仕舞い込んだ。
そんな様子の龍之介を見て俺はため息を吐きながらも、漸く暇が出来た事で最初の質問に答える事にした。
「それで、東京に行く理由だったな。勿論聖杯戦争が起きるのは冬木市だが、別に逃げる訳じゃないから安心しろ」
「旦那の言動からそれは分かるけどさ、俺としては早く生きてる亡霊を殺したいんだけど……。ねぇねぇ、亡霊の中身ってどんな風になってるのかな? 俺スゲー楽しみなんだけど、旦那は亡霊の中身がどうなってるのか知ってるの?」
「そんなの知るか。その内見るかも知れないんだから、それまで我慢して妄想してろ。それで東京に行く理由だが、それは聖杯戦争のルールに関係してるんだ。龍之介には一応説明しておいたよな?」
「あぁ~……確か7人の英雄に殺し合わせるんだったよな。それにも確かクラスってのがあって、同じ種類のは呼び出せないとかなんとか……」
「まあ、かねその通りだ。それで質問だが、狙ったクラスを呼び出すには何が必要となるか。それも説明した筈だ」
「えと、触媒……?」
そう言った龍之介の言葉に頷き、俺はそれを肯定しつつ話を続ける。
「まあ、それで話が戻る訳だな。更に詳しく言うなら、今回東京に向かうのはその狙ったクラスの人物を呼び出す為の触媒を手に入れる為って訳だ。殺人はないけど窃盗はするから、龍之介にはしっかりと働いてもらう」
「うぁ……めんどくさぁ……」
そう言って肩を落とす龍之介ではあるが、完全な拒否をしない所を見ると協力はしてくれるようである。
しかしまあ、聖杯戦争の為とは言っても、国の重要文化財を盗む事になるとは、正直な話予想もしていなかった。警備はとんでもないだろうが、魔術を惜しみ無く使えば突破出来ない事もないだろう。なんたって、今の時代は携帯電話すら入手が困難なんだ。警備の固さ等高が知れている。
問題は、その触媒を手に入れてからだな。
「まあとにかく、他のマスターがサーヴァントを呼ぶ前にさっさと召喚する事にしよう」
俺が召喚するのが早いか、奴が召喚するのが早いか。残念な事に、俺は奴がサーヴァントを召喚した時期を把握する事が出来ていない。しかし、今は半年前である故にまだ聖杯に魔力が満ちていない。
となれば、俺にもまだ賭けに参加する権利は残っている筈だ。
そうしてある程度の考えをまとめた俺は、残り僅かな時間を有効に使う為に旅行鞄から本を取り出し読み始めた。まあ、失敗したらしたで天命に任せる事にするさ。
俺は実家から聖杯戦争の降霊術に対する理解を深める為にと持って来た心霊術に関する本を読みながら、眠気を堪えて東京に着くまで活字を読み続ける事にした。
――――――
体にGがゆったりと掛かり始め事に気付いたと同時。新幹線内にアナウンスが流れ東京へと着いたぜ事を俺に教えてくれた。
「むぅ……もう着いたのか……」
まだ半分程も読み終えていない本に栞を挟む。続きを読むのは暫く後になるだろうが、ある程度の理解は出来た為これ以上読む事に大した意味はないだろう。と言うか、恋人に会いたいが為に降霊術をした女の話とか興味がない処の話ではない。
俺は心霊術の本を旅行鞄へと戻すと、目の前でグースカと寝ている龍之介へと声を掛ける。
「おい、着いたぞ龍之介」
「ふぁ? んんぅ……」
「寝るな。寝たら俺の空気爆発が鼻の穴で火を吹くぞ」
立ち上がり龍之介を揺すりながら声を掛ければ、漸く少しずつ正気に戻り始めた。
こうして龍之介を起こしていると、中々起きない息子を起こす母親の気持ちを少しだけ理解出来た気がするな。全く、俺は龍之介の母親になったつもりはないのだが。
だが、苦労のお陰か漸く目が覚めた龍之介は、気怠そうな表情をしつつもゆっくりと立ち上がり大きな欠伸をする。
「ふわぁぁ……ふぅ……。……おはよう……だんなぁ……」
「ああ、おはよう。鼻穴バーストが出来なくて少々残念ではあるが、それはまた今度の機会にやる事にするよ。まあとにかく、俺はこれから″ある書物″を手に入れる為の下準備とかがあるから、龍之介は俺が準備をしてる間に寝床を探しておいてくれ」
「旦那は容赦って物がないや……。まあ、分かったけど」
そうして了承した龍之介に頷いた俺は、その準備をする為にさっさと新幹線を下りながら龍之介と今後について話を進めて行く。
それにしても、急いでいたとは言え新幹線はやはり高額であった。これからの準備にもかなりお金を使う予定がある為、そろそろ節約しなければならないだろう。
本当に魔術ってのは金食いな職業だ。親父がどうやって生きていたのか非常に気になる所である。まだ親父は死んでないのだけれど。
「さて、高額な料金を一人分多く払ってまで連れて来たんだ。しっかり働け。君が寝床を探している間に、俺は道具の買い込みから始めようかな」
「あ、そっちの方が楽そう。交代してよ旦那」
「俺は別に構わないが、魔術的な観点で品質の良い物を見分け、尚且つ買い込んだ大量の荷物を寝床へと運んだ後、現場に魔術を設置すると言う役目をしてくれるのなら喜んで交代しよう。その為には、先ず龍之介に魔術に使われる道具をどう言う風に見分けるかの勉強を施さなければならないな」
「あぁ……やっぱ良いや」
「ソイツは助かる。時間は効率的に使おうじゃないか」
隙あらばと楽をしようとした龍之介へと釘を刺し、俺達は新幹線から下りて駅のホームへと辿り着く。
本来ならここで別れてお互いのノルマを達成する為に別行動を取るべきなのだろうが、俺はその前に龍之介に更なる釘を刺さしておく事を忘れない。
「そうそう、言い忘れていたが、聖杯戦争が始まるまで人殺しは禁止な。師匠命令だ」
「え……?」
「えっ、じゃない。目立つ行動をしたら動き辛くなるだろ。聖杯戦争が始まれば好きに殺し合えるんだ。それまでの我慢だ」
その言葉を聞いた龍之介は、正に固まると言う表現がピッタリな程に動きを止めた。周囲から聞こえる騒動が俺達の間の沈黙を支配し、俺達は吐き気がする程に見詰め合う。おい、こっち見んな。
そして数秒後、漸くそう言った俺の言葉を理解した龍之介は目を見開き、言葉を理解した途端涙ながらに絶叫し始めたのだった。
「――えっ、ちょっ、そんなのあんまりだ! 人の唯一の娯楽を奪うだなんて、それが人間のする事かよぉぉっ……!」
その声は今まで聞いた事のない位に感情が籠められており、俺は思わず目を瞬かせて驚いてしまう。
崩れ落ちた龍之介は今も嗚咽を漏らし、余りのショックからなのか全く動こうとはしない。
しかし、考えても見て欲しい。今ここがどこであるのかと言う事を。
「何あれ、あの子が泣かしたのかな?」
「大の男が泣くだなんて、何かヤバい事したんだろ」
「カツアゲか?」
「何か脅迫されたんじゃない?」
「警察に通報した方が良いんじゃないか……」
そんな声が周囲から聞こえ始めた事で、俺は冷や汗を流し始める。
今龍之介が崩れ落ちているのは駅のホームなのだ。そんな所で絶叫を上げて、注目を集めない方がおかしい。
一般常識を説いただけだと言うのに、何故こんな事態になっていると言うのか。龍之介といると本当にペースを乱されてしまう。
とにかく、今はここを乗り切るのが先決だろう。
「なあ龍之介、考えても見ろ。お前に取って人殺しは食事見たいな物だろ? それも、食後の最高のデザートだ」
「旦那……」
「分かる。いや正直分からないけど、とにかくデザートなんだよ。そんなデザートを数日食べなかったとする。辛いよな?」
「……うん」
目元を赤くした龍之介は、俺の言葉に頷いた。
うん、何でそれで頷くのか理解出来ないが、まあ流れとしては良い感じだ。理解は出来ないが、理解出来ないなら理解出来ないなりに畳み掛けるとしよう。
「だけど考えても見るんだ。そんな変態的なデザートよりも、更に変態的なデザートが我慢する事によって手に入ると」
「それよりもスゲーデザート……? 一体それって……」
問い掛ける龍之介へと、俺は完全に引きつった笑みを浮かべて言う。
「そのデザートとは――英雄と魔術師だ。どうだ、変態的だろ?」
本当に変態的だ。まあとにかく、今はそれが龍之介に取って一般人とは一線をがすデザート的な何かだと錯覚させなければならないのだ。
龍之介は膝を着いたまま俺を見上げると、俺の言った言葉に頷き返す。
よし、あと一息。
「食事も空腹の時に食べれば最高に上手い。今は腹を空かせて、最高のタイミングまで待つんだ。そう、くーるな豹のように……」
「COOLな豹……」
「そうだ、今の君は豹になるチャンスを得たんだ。なれる、君ならくーるな豹に」
「俺が……豹に?」
そんな俺の言葉を聞いた龍之介は、焦点の合わない目で言った自分でも訳の分からない事噛み締めるように繰り返した。
だが、チャンスは今しかないだろう。暗示は完全に俺の専門外だが、やろうと思えば出来ない事はない。魔術的な方法ではないが、このまま変性意識に刻み込んでやる。
「さあ、立ち上がるんだ雨生龍之介。君は今、豹となる一歩を踏み出す事となる」
「旦那……俺分かったよ。豹も腹を空かせるまで動かない。獲物を狙うあの動きは、空腹だからこその物だったんだな。いつまでも満腹だったら、そりゃ豹になれない訳だ……」
そう言って目元を拭った龍之介の表情は、何かを悟った人間の顔をしていた。
言わせてくれ、訳が分からないよ。俺も途中からなんか適当に喋ってたし、龍之介が何を悟ったのかなんてそれこそ根源に辿り着かないと俺には理解出来ない気がする。
まるで熱血な教師を尊敬したような目で俺を見て来る龍之介ではあるが、それは俺が人殺しだと言外に言っていると受け取るぞ? 必殺魔術の鼻穴バーストしちゃうぞ?
とにかく、これで暫くは龍之介の行動にも安心出来る筈だ。随分と時間を使い、尚且つ注目を集めてしまったが、ここが冬木市でない事が唯一の救いであった。
「さて、時間を無駄にはしたくない。さっさと行くぞ龍之介」
そうして警察が来る前にホームを出る事にした俺は、龍之介を引き連れて意気揚々と駅から去るのだった。
しかし、そうして龍之介と別れ行動を始めようとした時、龍之介は今思い出したと言わんばかりの表情で俺へと問い掛けてくる。
「なあ旦那。聞き忘れてたんだけど、結局旦那はどんな英雄を召喚するつもりのなんだ?」
「む、そう言えば言ってなかったな」
その声が届いた事で、まだ説明していなかった事があったと思い出す。別に教えなくとも影響はないのだが、曲がりなりにも仲間なのだ。これ位の情報を開示しても問題は起きないだろう。
そう結論を出した俺は龍之介へと振り返ると、別れる前に龍之介へとそれを伝えるのだった。
「――俺が召喚するのは、アサシンだよ」
予想するタイムリミットは、綺礼が令呪が発現したからと時臣の弟子を止めるポーズを取るまでの間。
明確な時期を俺が知らないだけなのか表記されていなかったのか知らないが、恐らくそのポーズを取るまではサーヴァントの召喚はしないだろう。
その予想が外れない事を願いながら、今度こそ俺は龍之介と別れたのだった。