力なら負けません。それだけです。   作:中棚彼方

4 / 6
駆け逃げ撤退、暴風怒濤

 重なる世界のその舞台で

 

 

 平行線を辿る道筋は、確かに一つへと絡み合った

 

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

 

 吹き上がる気流が落ちる力に反発し、髪を乱暴に振り回す。服から覗く血濡れの肌は、地上と異なる気温に加え、常時殴りつけるような風の暴挙に神経が刺激され、疼痛と寒気を及ぼした。

苦しい、傷口に響く。

 常人とは根本から異なる構造をした肉体を持つ彼女にも、慣れないそれは堪えるものがある。

 

 しかし。

 

 そんな状況でも、"彼"から眼を離すことはしなかった。

 

 

「……?」

 

 

 彼が首を傾げる。この状況に何の違和感も猜疑心も抱いてないかのような、泰然とした様子で。それが、そこはかとなく異質に感じた。

 

 第一印象という理念における基盤とは、容姿や体格などの視覚から認識し得た情報を統合し、そこから導き出した結果を基に相手を定めるもの――――以前から、彼女はそう考えていた。

 だから、最初に受けた印象はその後の関わりにも影響を与える。それが当たり前なんだと、彼女は思っていた。

 彼女は"霊力"や"妖力"、"魔力"といった、『一般的概念に反映されない固有の価値を持つ力』を見極め、操作も出来るという、常人が持たない一種のアドバンテージを有してる。

 生きとし生ける者全てが持つその力は、それぞれ一つ一つに異なる性質があり、相似することは数あれど、全くの同一は無二に等しい。

 

 そのスペックを行使することで、彼女は相手の性質を定め、かなりの広範囲で他者の本質や価値を限定することが可能であった。実際、今までそうやって初対面の相手を知る際にその方法を当てはめていた。いざとなれば戦闘にも、相手の位置の特定や気配の察知に転用してきた。

 とどのつまり、人並み以上に相手を『知る』ことに長けていた筈だった。

 

 その筈なのに、その事実が今、揺れている。

 

 

(……何、これ?)

 

 

 ()()()()()、彼が。目では見えているのに、その身は間違いなく人のソレなのに。

 

 容姿はおかしいところはない。肩まで伸びるアホ毛が一本の黒髪だとか、スラッと伸びた眉と優男の印象を受ける黒い双眸を持つ均整のとれた、幼げの残る容貌だとか、見たことも無い印を刻んだボタンを縦一列に並べた黒い服を着用しているとか、多少個性的ではあるものの特筆すべき点は一つも無い筈。

 

 では、どうして。

 

 

(どうして、そこにあるはずの力が『視えない』の?)

 

 

 五万と視てきたのに、何故か彼の深奥――力を視ようとした瞬間に"(もや)が掛かった"。もちろん、こんなことは今まで経験したことが無い。

 本来なら霊力妖力魔力問わず、隠匿するのは不可能。ましてや、自分の前では。

 確かに気配を曝さない為に意図的、人為的に隠すことは出来る。しかしそれもある程度距離を離隔しなければ効果は発揮しない。

 そもそも気配を曝さない為とあるが、少年からは隠れようという気など微塵も感じない。むしろ、彼は今自分を抱き寄せている。つまりは零距離、これでもかと曝け出している。

 本来の実力を隠しているという可能性もある。が、例えそれが出来たとしても、少なくとも今ここで隠す必要など無い。この状況を鑑みれば、もう既に彼は別の方面で隠すべき実力を露見してしまっている。空への規格外な浮上、妖怪が(ひしめ)く地上を掻い潜り、自分の下へ辿り着くという形で。

 その行為がどれだけ逸脱しているかを本人が自覚しているならば、隠す必要性の有無を知るなど造作もないだろう。

 ならば、この靄の正体は何なのか。だからこそ、分からない。一体、彼は――

 

 

「おい、大丈夫か?」

 

「――!」

 

 

 不意に聞こえた声に、思考が強制的に中断させられる。どうやら、ずっと視線を送る自分を不審に思い、話しかけてきたようだ。

 戸惑いを覚え、応答出来ずにいると、再び声をかけてくる。先程よりも柔和な声で。

 

 

「大丈夫か?」

 

「……ん、ええ。大丈夫、だけど……っ」

 

「本当か? 痛むんだろ。震えてんぞ、声」

 

 

 声色からして、本気で心配してくれているのだろう。

 もしかすれば、これが彼の見えざる性質の一端なのか。はたまた自分を騙す為の体裁か。気遣ってくれる相手に対して失礼だとは分かっていても、満身創痍のこの身体では思考がどうしても悲観的になるらしく、そんなことを考えてしまった。

 心を落ち着かせ、考えを改める。仮にも、この男は一時的とはいえ自分を窮地から救ってくれたのだから、と。

 

 

「……心配ないわ。それよりも――」

 

「?」

 

「――あなたには、聞きたい事が山ほどある。あなたが何者なのか、どんな力を使ってここまで飛んだのか、あの状況で、私をどうやって助けたのか。()()()()()()()()()()()とか、他にもたくさん、ね」

 

「……そりゃあ、いったい何の話――」

 

「後、状況が状況だったとは言えなんで私の胸をしっかり鷲掴みにしているのか」

 

「ブッフォッ!?」

 

 

 目にも留まらぬ速さで顔を朱に染め、慌てて左手を胸から腹部の辺りに置き換える少年。気づいてないようだが、実は妖怪の攻撃の際に胸の辺りの服が破れて霰もない姿になってしまっていた訳なのだが、そこをがっちり掴んでいたことを今伝えたらもっと大変なことになるのは明白だと判断し、黙っておくことにした。

 

 

「うへぇ……違うんだ、これは。不可抗力な訳で……決して狙った訳では」

 

「鼻の下が伸びてるのはこの際気にしないで置いてあげる、咎めてたらキリがないし、地面に落ちるのも時間の問題だから。でもその代わり、今から私がする最低限の質問に答えて」

 

「山ほどあるんじゃないのか?」

 

「言ったでしょう?時間が無いの。あとのは事後に聞かせてもらうわ」

 

「事後とかなんかエロいいや何でもありませんごめんなさい手の甲抓んないで痛たたた!」

 

 

 一拍置いて。

 

 

「ここから落ちた後、どうするの?まさか何も考えずに飛んで、このまま着地できずに肉塊になるなんてないわよね?」

 

 

 はっ、と。彼は一笑する。

 

 

「んなわけあるかってんだ。決まってんだろ? 脱出だよ脱出。あいつら全員張り倒すのも考えたけど、何かあいつら出遭った時より強くなってるし、あんた抱えたまんまあいつら全部倒すのはちときついんだよ。空飛んだとき都市も見えたし、逃げ道は確保してる」

 

「……張り倒すのも考えた、ね。でも待って。もし逃げるとしても、その際に下のアレを一緒に連れて行くってヘマをされるのは困るわ。都市には結界を張ってるから位置はばれてないけど、今の奴らなら近づいた途端結界を看破されかねない。そうなったら中の皆が危険に晒される」

 

「あー、結界だかパッパラパーだか知らんが大丈夫だ。|撒く自身はあるから。でも、もしかしたらあんたにも動いてもらうかもしんない。無理させるけどいいか?」

 

「それで皆を守れるなら、それでいい。でも、信じていいのね?」

 

「豪華客船に乗ったつもりでいればいいさ」

 

「……何でかしら? それだと何かにぶつかって沈みそうな気がして凄い心許ないんだけど……」

 

 

 そう言っても、彼はまた軽く笑うだけだった。それを見て口から軽く息が漏れ、つられてこちらも軽く笑む。

 

 

「あのさ、俺も一つ聞いていい?」

 

「? 何?」

 

「――『幻想郷』、それと『八雲紫』って単語、聞いたことある?」

 

「……? 聞いたことないわ。物覚えは良い方だとは思ってるけど……」

 

「……そっか。ホントに知らない?」

 

「大事なこと?」

 

「うん、まあ。それなりに」

 

「……ごめんなさい」

 

「いや、謝らなくて良いけど……そーかー、あの顔、そういう事なのかー、そーなのかー」

 

「恋人さん?」

 

「それはない」

 

「そう……」

 

 

 言葉と裏腹に、少年の顔は暗い。対して彼女は、それ以上触れなかった。

 

 

「質問はもう良いのか」

 

「……本当ならもう二、三個答えて欲しかったけど……これじゃあね」

 

 

 見下ろすと、そこは多くの魑魅魍魎の遍く叫喚地獄。その全てが今か今かとそのときを待っている。

 幸い、空を覆う妖獣の群れは先程の連弾からの疲労があるのか、襲う素振りはない――が、依然その数が増してるように見える。数えるのも億劫で、陰鬱になる。

 

 

(――なら)

 

 

 十中八九、彼は人の類から除外される人外。先程の口ぶり含め、この高さで着地を考えている時点でそれを物語っている。人間なのかも疑わしい。

 だから、彼の能力や素性云々を時間がない今聞くのは、愚の骨頂で時間の無駄。

 

 

「じゃあ最後に一つ、いいかしら」

 

「ん」

 

 

 

 

「あなたの名前を教えて」

 

 

 

 

「……俺の名前、ね」

 

「そう、あなたの名前」

 

「――んー、ちなみに何故?」

 

「今後のため、と言ったら?」

 

「…………」

 

 

 一度目線を逸らし、天を仰ぐ。

 そして、

 

 

 

「俺の名前は―――――――――――」

 

 

 顔を戻した少年は、笑んだ。月に負けない輝きをもって。

 

 

 

『宍戸相馬』

 

 

 

 シシドソウマ

 

 

 

 夜を覆う闇と、その闇を照らす月の下。彼女は確かにそう聞いた。

 

 

 

 

 

        ▼        ▼        ▼

 

 

 

 

 

「しっかり掴まってろよ。気づいた時には手元からすっぽ抜けてたなんて、笑えねぇ冗談だからさ」

 

「あら。もしそうなったらどうなるか、分かってるんでしょうね?」

 

「……どうなんだ?」

 

「……………………………………ふふっ」

 

「やばい、両手折れても落とせねぇぞこれ」

 

 

 ひざ関節を右手で持ち上げると、それは所謂お姫様抱っこ。これから来る衝撃が、少しでも彼女の負担にならないようにと、両足に力が入る。その力の源に少量の恐怖(主に黒い微笑を放つ彼女が誘因)がどろどろに溶け込んでいる事に、彼は分かっていても触れないようにする。

 

 

「……これ、結構くるものがあるんだけど……」

 

「安心しろ、俺も人生初体験なんだ。顔赤らめてる女性をお姫様抱っこなんて、未経験の俺にとっちゃ感極まって涙腺崩壊モノだよ」

 

「あなたって見た目に反して中々に弾けてるのね?」

 

「よく言われる」

 

 

 想像を実体に具現する。

 スポンジに垂らした水が浸透する様を。過程を。その結果を。

 猫が高台から着地する際に面の反作用を吸収する、その様を。過程を。その結果を。

 剛ではなく柔。筋肉を弛緩させ、かといってだらけきるのではなく、地面と足裏の接合の瞬間に緩んだ筋肉を一気に奮い起こし、威力を受け流す。

 たったそれだけ。動物が普段無意識に行うこと。

 しかし、今回は一人で飛ぶときと違い、人を抱えての試み。加わる重力加速度は計り知れない。彼女へ与えない分の負担はそのまま両足を通し全身へ加算することになる。油断はできない。

 

 

「準備は?」

 

「いつでも」

 

「うし、じゃあ――いくぞ!」

 

 

 時間にして数分に満たない程度の短い空中遊泳が、終わりを告げる。

 

 

「っ!」

 

 

 着地。

 

 音はしなかった。強いて言えばふわりと、風船が落ちたような有って無い感覚がそこには有った。彼女の驚嘆する声が相馬の耳に届く。

 

 

(ふぅ……つぅっ!?)

 

 

 彼女自身に影響はないらしい。"驚く声"からにじみ出る心身の余裕がそれを教えてくれる。束の間の安心からか、肺から重い何かが吐き出された。

 しかしその分、想像以上の苦痛が下半身全体、それから腕、肩、首の順に上半身に染み渡る。動けない程ではないにしても、何度も同じ行為を繰り返していたら肉体は耐え切れないだろう。

数瞬、耐え切れずに表情を歪ませる。

 

 だが。

 

 

(……どうってこと、ない……っ)

 

 

 自らを鼓舞し、すぐに戻した。不安を(さと)られないように。悲愴を生みださないように。

 

 

「っ……痛みはないか?」

 

「私は……でも、私よりあなたが――」

 

「問題ないよ。これくらい、今まで幾度となく経験してきたしな」

 

「分かりやすいのね、相馬? 取り繕ってるのが見え見えよ?」

 

「ホントに大丈夫だって」

 

「……存外――ううん。想像通り、あなたっていじっぱり――っ!?」

 

 

 なのね、と続けようとした彼女を遮り、動き出す。すぐ其処まで肉薄する『ソレ』目掛けて。相手は二人を待つ寛容的なキャパシティは(おろ)か、それを詰める脳髄すらあるのかも怪しい存在故に。

 だから、振向きざま――

 

 

(――――今更だけど)

 

 

 見切った。

 

 

(こいつらもあいつと同じ、妖怪って言うんだな――――ッ!!)

 

 

《グボァァアアアッ!!》《ヴェアッ!!》

 

 

 同時だった。

 後方、左方から二体の妖怪が咽喉笛を鳴らし飛び掛ったのと、相馬がまだ痛む右足を横一閃に振り抜いたのは。

 

 

《――――っ!!??》《ギ――――》

 

 

 静かな、しかし醜悪な音が響く。

 音を発した二つの物体は、そこにあるはずの胴をごっそり刈り取られ、『四つ』に分かれた。何をしたか? 答えは単純かつ明快。

 蹴り飛ばしたのではなく、()()()()()。それ、ただ一つ。

 最初に居場所を喪失した上半分が、次いで上半分を喪失した下半分が、ぼたぼたと崩れ落ちた。

 時間にして、刹那の間の出来事。

 やってのけた結果を目視し、相馬はごく平然と切り出す。

 

 

「さ、行くぞ?奴らは待ってくれない」

 

「――」

 

「どした?」

 

「――いえ、なんでもないわ……はぁ」

 

「? まぁいいけど、ちょっと動き激しくなるから酔っても文句言うなよ――っと、危ね!」

 

「きゃっ!?」

 

 

 周りが急に暗くなったのが見え、急加速。腕の中の彼女の悲鳴を置き去りにして前に飛び出し、回避する。直後、先刻まで二人のいた場所が『落ちてきた』肉の塊に踏み砕かれた。悲鳴を押しつぶす轟音と共に、大地が揺らぐ。

 まさかあんなデカブツが跳躍したとでも言うのかと、多少驚愕を露にする相馬。

 捻じ伏せるかとそちらに意識を向けようとして、しかしすぐに制止する。一つに集中する事は周囲を囲まれた状況においては自殺行為以外の何者でもないことを、相馬は誰よりも知っている。

 

 ならばどうするか? 少年は自分に問いかける。

 

 

(――決まってんだろ?)

 

 

 答えを待つまでもなかった。

 

 

「しっかり掴まってろよ!!」

 

 

 加速した両足を止めずにそのまま走り出す。別に何も全てに対処しようと考えなくてもいい。最優先は逃走。数を減らすのは体勢を立て直した次に備えればいい。

 縦横無尽に、しかし確実な道筋を探して疾走する。

 

 

(方角はこっちで合ってるはず、なら――っ)

 

 

 速度をそのままに、目の前で行く手を阻む成人の平均的体形三つ分を縦に繋げたような細長い群れの一体の、土手ッ腹へ飛ぶと同時に横回しに足を振るう。

 直撃。意識を刈り取るにはあまりに過充分な一撃が、突風を吹き鳴らして尚本体を貫いた。

 カフッ、と。くの字に変形した化生から吐き出された異臭が顔に当たる。

 相馬は露骨に眉を(ひそ)めた。

 

 直後、一時的に衝撃を内包した化生の肉体が、耐え切れずに内から弾け飛ぶ。

 それに重なるように、暴虐の限りを尽くさんとする衝撃の波が、皮を破って放射状に飛散した。

 

 膂力のみでは生み出せるはずのない常識を超越した莫大な衝撃波。まさに質量を持った暴風。周囲の大小問わない化生全てを薙ぎ倒し、吹き飛ばし、蹂躙する。地を抉り、余波でさえ受けた者は瓦礫へ突き刺さり、津波のように破壊の連鎖を巻き起こす。

 溢れていた目の前の群れが、ただの一蹴、それだけで消え去った。

 

 

「すごい……」

 

「ありがとさん。だが相手の数が減った気がしないのは俺だけか?」

 

「むしろ増えてるわね」

 

「骨が折れるわいな」

 

 

 「丸で老輩みたいな物言いね」と返す彼女を見据えた相馬は、軽く一言返しながら地上へ足を下ろした。そして再び飛躍。

 先のように過剰に標高を上げず、あくまで移動を最優先に。目下数メートルの低空で、今出せる最高速を維持して跳び、力強く飛ぶ。風を越すイメージを頭で重ねながら、上空の敵も充分に警戒して。

 足場を見つけながら着地と跳躍を反復し、絶え間なく襲い掛かる障害を両足を駆使して退ける。時には踏んで足場とし、時には重力を利用した上段から下段への振り下ろし――かかと落としで周囲を捻じ伏せ、時にはウェイトの大きい妖怪の足を払い敵の進行の妨げにする。

 着実に、確実に、目的へと距離を縮めていく。

 

 

「森に入ったとして、どれくらいで目標に着く?」

 

「歩けば多少掛かるけど、あなたの足ならすぐに着くはず」

 

「なら、このまま――」

 

「――? 待って……何か膨大な妖気が――――っ!?」

 

「――何? て、うおぁッ!?」

 

 

 あと少し。距離で言えば百メートル弱の残り間際で、それは起きた。

 地面に足が触れるか触れないかのコンマの変わり目に、突如として地面が急激に隆起したと同時、何かが硬い地表を突き破って現れた。

 人一人が丸ごと縦に収まりそうな巨大かつ強靭な大顎をもつ何かが、他者を圧倒する凄まじい声量を込めた咆哮を木霊しながら、二人を呑み込まんと口を裂き、天へと衝き上がる。

 

 

《ゴォオオオオオオオオオオオオオオアアアアアァアアアアアァァアアアアアアアア!!!!!!!!》

 

「ぐぬっ、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!?」

 

 

 反応に多少遅れるも、地盤を破壊した頭部が突き出る数瞬に相馬が上顎と下顎に足を突き出し大口の進行を阻止、足をつっかえ棒のようにして丸呑みを抑える。しかし大なる者は構わず、反抗する鼠を咀嚼しようと空へ二人を連れ去った。

 高く、雲を越しかねない高みへと上り詰めていく。

 

 長い胴体に蜥蜴(とかげ)の鱗を思わせる表皮を貼り付けたような形態は、固有名詞を借りて呼称すれば『蛇』とするのが最も的確と言える。

 だが、巨躯。

 あまりに巨躯。

 頭の直径だけで人の身を越しかねない超弩級。一体、胴を合わせれば全長はどれ程のものになるのか、全く以って計り知れない。これだけ大きい生物を見た経験など、そうそう無い。

 

 

「いやいや待て待て待て待てでか過ぎんだろおかしいだろおいこれまだ昇ってんぞどこまで行く気だドンだけ長ぇんだ!?」

 

狼狽(うろた)えてる暇じゃないでしょう!? ――でも、確かにこれはいくら何でも大き過ぎる……。今までこんな震え上がるほど強力な妖力と肉体を持つ妖怪や妖獣なんて、見たことも聞いたことも、気配を感じたことすらなかった。何で今になって? やっぱり今回の活性と何か関係が……それとも、それを巻き起こした全ての元凶である()()()()に、他の妖獣と同じように今まで身を隠していた妖獣も触発されて……いや、それとも――――」

 

「おいこら。あんたもあんたで自分の世界に逃避してんじゃねえよ、一人だけ逃げようたってそうは問屋が卸さねぇかんな!! ――て、何だよ。そんな俺の顔を見つめて。まさか惚れた?」

 

「『誰かさん』に疑念を持っただけ。それと、そういう台詞は胸を触った程度で顔を赤らめないくらいに成長してから言うものだと思うけど?」

 

「すいませんでした以後気をつけます自重しますむしろ自嘲します」

 

 

《ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!》

 

 

「ぬぉお!?」

 

「あっ――!?」

 

 

 雷鳴の如き怒号が会話を中断させる。次いで、『蛇』の顎の力が強まった。ミシミシと、強い力が両足を圧迫する。

 漏れた舌打ちを隠さない。させまいと、その足へさらに力を注ぐことで、それを防いだ。

 

 

(うかうかしてっと飲み込まれる、か。いっそ干物にして財布にしまってやろうかこいつ?)

 

 

 真偽の測れない表情で、そんな大言を心中(うそぶ)いた相馬の元へ、鼓膜を掻き乱すような不快な音色が新たに届いた。

 顔をそちらへ向ける――必要はなかった。

 それは二人の退路である空を覆い被さる様に、全方位を取り囲んでいたから。

 闇に紛れたそれ。月の光が照らすことでようやく見えた、目を見張る物的総量。真紅の眼光をぎらつかせ、今にも迫らんとするそれは……それらは――、

 

 

「――っ、あれは!?」

 

「いつの間に、だな。まあ、どう考えたってここは奴等のテリトリーだもんな」

 

 

 鳥。

 鳥の皮を被る異形。

 当初より数が数倍に膨れ上がっているのが目測で分かる。それが、今だ上昇を続ける二人を追うように、ぴったりと張り付いて離れない。

 二人が気づいたのが合図であるかのように、それらは意図せず動き出す。

 

 金属同士を擦り合わせた際の不快音にも似た叫声が、数十、数百と混ざり合い、大音量となって空を支配した。その波に乗って、化生は再びその身を刃へと変貌させ、急加速。全方位から獲物を求め押し寄せた。

 

 彼女の声が、焦りを含んで相馬へ届く。

 

 

「気をつけて! アレは――」

 

「分かってるよ。だからこそあんたに頼みがある」

 

「――?」

 

 

 訝しげに眉を下げる彼女。その間にも、刃は虚空を裂いて接近する。それが見えてはいるのだろうが、ただ超然と相馬は言う。

 

 

「この足場、ちょっとでいいから揺さぶること、できないか?」

 

「……それでこの状況を脱することが出来るのね?」

 

「言ったろ? あんたにも動いてもらう、そしたら助かるって」

 

「どんな方法でもいいの?」

 

「対処する」

 

「なら――」

 

 

 速度が緩和する。それはあと少しで臨界点に到達する事を意味する。

 つまり、『蛇』がただ上昇するだけで済んだ行為を終えて、次へと行動を移すのと同義。だから、される前にこちらが移す。

 彼女の手には、いつの間にか弓と矢が握られていた。

 

 

「……いつ出した?」

 

「乙女の秘密よ」

 

「……さいですか」

 

 

 もうすぐ距離を零にするであろう化生を彼女は顧みず、番えた弓の矛先を『大きく開いた蛇の口の中へ向けた』。

 どうするのか、相馬には察しがついた。が、敢えて聞く。何をするのかと。対して彼女は、決まってるでしょう? と答えた。

 続けて、簡潔に述べる。

 

 

「わざわざ柔い所を見せてくれてるんだから、小突くしかでしょう?」

 

 

 言えてると、相馬が思った矢先、彼女が射出。一直線に弓は『蛇』の中へ吸い込まれた。

 刹那。

 

 

《オオゴオオオオオオオオオオオオオオオオォォオオオオオ!?!?》

 

 

 遥か下方で響いた爆音と、それをかき消す悲鳴が混ざり合う。そして、『蛇』が痛撃に悶えるように、その身を大きく揺るがした。

 好機と、相馬が歓声を上げる。

 

 

「よっし!」

 

「きゃっ!?」

 

 

 弱まった顎の力をここぞとばかりに足で押す、というより踏み砕く。痛撃の重複に再度上乗せされた『蛇』の短い悲鳴。

 その隙を見逃さず、相馬は『跳んだ』。

 

 

「舌噛むなよぉっ!!」

 

 

 痛みで身を歪曲させた『蛇』の、地面にほぼ垂直な胴体に足を着け、滑り落ちるように加速度を上げる。

 或いは、ただ落ちるよりも速いかもしれない常軌を逸するフルスピードで、風を裂き、闇を裂き、彼女や化生から聞こえる声を全て引き裂いて、あっという間に地上が迫る。

 二人を狙い突貫する弾幕――鳥妖怪の身を投げ打つ弾幕が、『蛇』の胴に突き刺さるたび、後方から辛苦を吐き出す大音量の絶叫が、そこにある者の身体と精神を震撼する。

 降り掛かる弾幕は、彼女が弓の大量照射で凌ぎ、防ぎきれなかった分は相馬が身を捩る、器用に体勢を変えることで回避する。

 

 

(もうすぐ……っ)

 

 

分に満たない空中徘徊は終わりを告げ、地上が、もうすぐそこまで来ていた。しかし、思い出されるのはつい数刻前の着地の代償。またアレをこなすとなれば、アレ以上の激痛が全身を覆いかねない。

だから、伝える。風に掻き消されない声量で彼女へ叫び、意思を開示する。

 

 

「あのさ!」

 

「何!?」

 

「最初に謝っとく! 約束破ってすまん!!」

 

「!? それってどういう――」

 

 

了承を待たず、相馬は空を見上げる形で体ごと、重力を無視するように廻転する。

そして、

 

 

「ふんッ!!」

 

「待っ――――――!?!?」

 

 

 両手で抱え体を反らし、大きく振りかぶって、投げた。――上に。彼から見れば前に。

 声にならない悲鳴を、相馬は聞いた。

 一瞬顔が見える。が、すぐに目線を背後の地上に戻した。怨嗟に塗れた彼女の表情を、見るに堪えなかった所為である。

 それでも、彼女が予定通り滞空するのを確認した相馬は、人一人分軽くなったGと、可能となった両手の行使に意識を向け、再び体を回し、両手両足を広げる。

 

 

(負荷はもうない――今まで通りだ。なら!)

 

 

 衝撃を和らげる必要性は消失した。()()に、()()()()()やればいい。

 破砕音と礫を撒き散らし、獣のそれと違わない低い姿勢をした『怪物』が、地上に降り立った。足の痛みも腕の痛みも一切無い。二つが一つ減るだけで、こんなにも違うんだと、彼は改めて自覚する。

 見上げた先には彼女がいた。心臓が、血液が、躍動する。

 再び、彼女をこの腕で受け止めなくては。

 体勢を整える。それを待たず接近してきた妖獣の顔面を片目で捉え、手持ち無沙汰となった右手で捕縛し握り潰す。ぐちゃりと、忌み嫌う感触と凄惨な異臭が器官を這い回る。慣れたものだと諦観の意を込め、首を振った。

 こと切れた命なき塊を近くの化生に投擲、結末を見ずに駆ける。その先には、二人を圧殺しようとした巨躯の妖怪が相馬を睨み、道を阻害していた。

 そこへ、跳ぶ。狙うはその膨れ上がった頭部。その上。

 

 

《グピュッ!?》

 

 

 踏む。驚愕を交える奇怪な音が飛ぶが、知ったことではないと足裏のブヨブヨした土台ごと力任せに踏み抜いた。生み出された無意識の膂力が、ギリギリ形を成していたそれの原型を(ことごと)く破壊したが、構わず、空へと向かう。

地上から乖離した彼女が落ちてくる。それへ手を伸ばし――、

 

 

「あうっ!?」

 

 

 彼女が腕の中へ、声を上げて収まった。あるべき場所へ再び還って来た彼女が、自分を投げた張本人――元凶を、恨めしげに()め付ける。

 

 

「あなたという人は!!」

 

「分かってる、後でうんと謝るよ! だから!」

 

 

 

 今は、優先すべきことを善処する。

 降りた位置は、なぎ倒された大小異なる木々が特に散乱する、森と更地の境目。そこからさらに辿れば目標はもう目と鼻の先。

 

 

(だからこそ――ッ!)

 

 

 背後から響く咆哮、怒号、地を蹴る音、砂の擦れる音、這いずる音。

 全てを置き去りにして――、

 

 

「このまま、突っ切るぞ!!」

 

 

 彼等は、森の奥へと消えていった。

 

 

 

 

 

        ▼        ▼        ▼

 

 

 

 

 

 風が吹き荒ぶ。木々は葉と葉の摩擦で子の泣くような不気味な音を発し、清閑を妨げる者の不在な森に新たな音を交えた。

 しかし先程まで死屍累々を目の当たりにし、その中心を疾駆した二人には、心に安寧を送る(いとま)はない。

 進んだ先に小さく開けた空間を見つけ、相馬は足を止める。後方、上空にそれらしい追手の気配はない。どうやら追撃の回避には成功したようだ。

 ふぅ、と小さく漏れた息。自分が出したのだと気づいたのは、彼女に指摘されてからだった。 

 

 

「安心するのは早計よ? もうすぐ着くとは言ってもまだ後方の憂いは完全に消えてないんだから」

 

「 ……あぁ、そうだな。すまん……っ」

 

「?」

 

 

 彼女が訝しげに首を傾げる。が、相馬は応対しない。応対する力が、余裕が、意思が、決定的に欠けてる。むしろ、削がれている。

 幸い辺りは暗い為に本人には気づかれずに済んでいるが、それが精々今の限界。支える腕は倦怠感が襲い、足は枷でも付いてるように重く、全身に脂汗が滲み出る。辺りが明るければ、恐らくは青ざめている自分の表情もばれてしまうだろう。それに何より――、

 

 

(何、だ? 頭が、痛ぇ……っ?)

 

 

 唐突だった。

 隠密に、且つその状態で出せるトップスピードを算出する勢いで地上を走り、後ろから迫る不可視の脅威が大分遠のいたと感じた直後、後頭部を槌で殴られたような鈍痛が予想だにせず降り掛かった。その時は気づかぬ内に距離を詰められ不意打ちを受けたかと動揺したが、彼女の方を見ればこれといって特筆すべき変化はなかった。振向いても、あるのは木と葉のみ。空は月と星が照らすだけだ。

 それ以来、次第に身体は重くなり、視界はぼやけ、うなじ周辺が痺れだし、頭痛は増すばかり。そして、今に至る。

 

 

(攻撃を受けたから? 違う、それらしいのは……じゃあ、あの『蛇』が遅効性の毒を持っていたとか……っ)

 

 

 思考が望まぬ刺激で中断させられる。

 頭が回らない。

 ぐらぐら揺らされる脳に身体がついていかない。

 ついには吐き気を催し、食道が焼けるように熱くなる。込み上げる異物をぶちまけまいと歯を食いしばり耐える。しかし、それでも声が漏れてしまった。

 

 

「ぅ……」

 

「? どこか痛むの?」

 

「……いや――」

 

 

 大丈夫と言おうとした。平静を装い旨を伝えようとした。しかし、出来なかった。

 

 

「――っ!?」

 

「え? ぅあっ!?」

 

 

 突如、視界が暗転したかと思えば、バタリと、相馬は彼女ごと地面に前のめりに倒れた。何が起こったのか、彼女にも、倒れた本人にすら理解が及んでいない。特に今彼の中では、それ以上に深刻な事態が望まずして起きていた。

 

 

(なに、が……っ!? 何かが、溢れ――ぐぉぉぉぉッ!?)

 

 

 狼狽する彼女から這うようにして離れ、頭を抱え蹲る。

 身に覚えのない単語が、情報が、脳を苛む。

 詳細不明、正体不明の激痛と、得体の知れない膨大な情報量が彼のキャパシティへ毒となり無理やり浸透しようとする。脳に直接鉄球を打ち付けるようなそれに、逃避しようと身を捩る。が、それでも痛みは消えず、増すばかり。絶えず流れ込んでくる。

 彼女が消耗した身体を鞭打ち駆け寄って来る。

 

 

「ちょっと、どうしたの!? やっぱりどこか痛むんじゃ――」

 

 

 聞こえない。彼女の声が、内で湧き出る情報で塗り替えられ――――

 

 

(――かの、じょ……?)

 

 

 彼女とは誰だ? いや、それは知っている。目の前の女の事だ。何もおかしいことはない。なら、何故自分は疑念を持った?なぜ――――、

 

 

(俺は――彼女を知っている?)

 

 

 その時。

 ようやく、ようやっと。

 自分でも驚くくらい『不自然に度外視していた』彼女の様相へと、相馬の意識は向かれる事となった。暗闇でも、注視すればよく見える。

 

 三つ編結いの一つに纏めた艶やかな銀髪に、赤十字らしき記号の付いたナースキャップのような帽子。

 赤と青を基調にした奇抜な配色をした柄の、星座の刺繍が刻まれた服装。

 同年代に見える美麗な、()()()()()()()()()()()()()姿()

 

 分かる。彼女のことが、何故だかは見当も付かないのに、分かってしまう。比例して、痛みが身体を、頭を蝕んでゆく。

 限界。それでも、彼女へと問う。

 

 

「オマエ……、は、誰だ……?」

 

 

 唐突な言葉に眼前の、血に塗れた『少女』が戸惑う。構わず、問う。

 

 

「オマエの、名前……」

 

「……名前?」

 

 

 状況を掴めず少女が動転する。それでも、彼は構わず問う。

 否、答えた。

 

 

「オマエは――――

 

 

 

 

   ――――『八意**』……か?」

 

 

 今度こそ、少女はその大きな瞳を見開く事となった。ただただ、唖然とした。

 応答は、一言。

 

 

「あなたは、一体……?」

 

「俺、は――」

 

 

 返す言葉はなかった。返せなかった。

 直後。

 言葉を遮り、痛みが許容を超過した。

 

 

「――」

 

「!? 相馬!?」

 

 

 呼ぶ声が聞こえる。しかし、彼には届かない。もう何も、届かない。

 

 

 

 あっけなく、彼の意識は表層より深く、底へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どこか、すぐ間近で、フッと、何かが消える音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




感想、アドバイスなどをしていただけたら幸いです。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。