クチャクチャ グチュクチャ
不快な咀嚼音が洞窟内に響く中、尾が感情を隠さずに悪態を吐いた。
『前言撤回だ。お前と奴らは似ていない。こんな悪趣味な奴らと似てたまるか』
「ハハッ、ビビッタ? ビビッタノ?」
戦艦レ級が頬を歪ませ、歪な笑みをぶつけてくる。
愉快に奇怪。周囲の戦艦レ級たちが、一斉に嘲笑を木霊させる。
残響する笑い声、
反響する咀嚼音、
響動する混濁音。
空間全体が震え、――恐怖に――、どんな種族も禁忌と考える行為に、――狂気に――、世界が身を縮こまる。
これが最悪だ。
と、その深海棲艦は語るように。
これが最狂だ。
と、誰からも忌避される理由のように。
世界が否定し拒否する。
どんな大規模な戦争が起ころうとも、どれほど総戦力を賭けた戦争になろうとも、決して仲間に呼ばれず戦地に訪れない、この世で最も戦から遠く、この世で最も戦に適した存在。
戦艦レ級。
代名詞とも言える最悪なる狂気の行動に、普通の、他の生物なら怖気を感じる。
例えそれが同じ深海棲艦だろうとも、その行為に好意を持つことなどない。
確実に不快を覚え、不愉快な感情を持つ。
だが、同一の存在であるレ級だけは違った。
違ったのだ。
「ナンダヨ、今度ノ奴ハ、ビビリダナァ」
レ級の目の前でイ級の咀嚼を止めない戦艦レ級は、ニマニマと優位性を感じつつ上下関係を教えていた。例え同じ存在だろうと、新参のお前はこの中じゃ下っ端だと。どんなグループでもチームでも、組織でも見る光景。
まずは立場を解らせて、役割を教え込む。どんなアホウでも理解させられる、陳腐で歪んだ関係性。友情の中にでさえ存在する、落胆させられる感情。言葉を変えればイジメとも似ている儀式を見せつける。
だが、時たま空気の読めない奴はいる。
そういった者はグループに入れず仲間外れにされ、蚊帳の外で孤独を感じさせられるのだ。
だが、空気の読めない奴は強い。
我を通す術を教わるのではなく無意識に行う。
だからこそ孤立してしまうのだが、それはまさに戦艦レ級に相応しい単語だろう。
深海棲艦の中でも嫌われる、世界の嫌われ者。
だからこそ、レ級はここにいる。
「コッチモ美味シイヨ」
食事と嘲笑を止めない戦艦レ級に、レ級は臆することなく、空気を読まずにそんなことを言った。空気が読めないというより、空気が何か解っていないのかもしれない。
レ級がおもむろにポケットから取り出したのは、いつか誰かから貰ったドーナッツ。
半分齧ってあり、半分欠けた月のよう。
それをレ級はさらに半分に割って、目前の、イ級を食する戦艦レ級に差しだした。
「ナンダソレ?」
「人間ノゴ飯」
「ハァ? 人間ノ飯ナンカ食エルカヨ」
「デモ美味シイヨ?」
「美味イ訳ナ美味イ!」
レ級から受け取ったドーナッツを、戦艦レ級が訝しみながら口に含んだ瞬間叫んだ。
目を見開き驚愕している。
「美味イゾコレ!」
「ネ、美味シイデショ」
「ナンダコレ! 美味イ!」
「イ級ヨリ美味シイ?」
「イ級ナンカヨリ全然美味イ!」
もぐもぐと口を動かしながら頷く戦艦レ級。頬に手を当てその場で飛び跳ねていた。
その様子を、ここまで案内してきた戦艦レ級は気に入らない様子で眺めていた。
案内した戦艦レ級は気に食わない。彼女らは迫害され除け者にされた集まり。どんな奴が来ようとも、最初は大抵どいつも似た反応でパターンだったのだ。
世界から外された自分達に仲間が出来ることを喜ぶ者。
誰も仲間はいないと敵対心を隠さず喚く者。
深海棲艦からも隠れ、艦娘からも逃げる生活に疲れ安堵する者。
そんな孤立した集まりの安住の地が、ここなのだ。
だから案内した戦艦レ級は、毎回同じことをする。
この中で生きるには何をしなくてはならないのか、この中に入るにはどういう態度を取ればいいのか。
空気で解らせ、最後には武力で持って理解させる。
戦艦レ級の巣が敵になるという、最大災厄の不幸を持って、解らせる。
イ級を食するのを拒んだ者など大半だ。中には平然と食べた者もいるが、大体は顔を歪ませる。
だが最後には同じ存在だと納得させる。
ここにいる戦艦レ級全員で襲い掛かり、半殺しにして解らせる。
だから、こんな風に空気を読まず、さりとて他者から避けられずに中心に立ちそうなレ級が現れるのに、戦艦レ級は望んでいなかった。
もう嫌だった。もうたくさんだ。
嫌われるのは、独りきりになるのは、もうこりごりだった。
だから〈ここ〉を作った。
怯えず隠れず安心できる〈居場所〉を。
誰からも石を投げられず、誰からも拒否されない〈ここ〉を。
ここは世界の奥地、ある種の神聖な土地。
神々が人に関わりながらも姿を現さぬように、戦艦レ級たちも生きるために、生き残る為になくてはならない場所。
このまま和やかに穏やかに、レ級が迎え入れられるのは、案内した戦艦レ級にとって、望まぬことだった。
「オイ」
案内した戦艦レ級、ここを創った戦艦レ級なので主とでも呼ぼうか、主は不機嫌さを隠さない。その声色を聞いて、周囲にいる戦艦レ級たちはゾクリと背筋を凍らせた。同じ存在だとしても、彼女らの中で主は少しだけ特殊だった。ここを創った、安らかに暮らせる居場所を創ってくれた、いわば中心的立ち位置に等しい存在であり、来訪者を袋叩きにする凶悪なボスなのだ。
主が睨みつけながら、レ級に告げる。
「オイ……オ前、喰エヨ」
「? 何ヲ?」
「ソレダヨ」
主が指した先、そこには喰いかけのイ級の死体。
仲間になりたければ同じことをしろ、と言外に語っている。
だが、そんな単純なことを、レ級が理解できるわけもない。
言葉の外にある意味を理解する頭があれば、レ級はここにはいなかった。
「ワタシ達ハ、コレヲ喰ッテルンダ。人間ナンカノ飯ヲ、喰ッテルワケジャナイ。ワタシ達ヲ弾キ出シタ奴等ヲ喰ッテ、生キテルンダ」
それは憎しみに似ていながらも、どこか泣いているようにも見えた。
同じ深海棲艦でありながら、裏切られたことに対する絶望にも見えた。
同族を食べることによって、吐き出す感情。
行き場のない怒りを、ぶつける先のように。
「コレカラ〈ココ〉デ生キルナラ、ソレヲ喰エ」
「ンー」
主の言葉に、レ級は首を傾げ唸った後、頷いた。
「ワカッタ」
「ヨシ、ソレデイ」
「出テク」
「……ハ?」
「ズットココニ居ルノハ嫌ナノ。イ級ヨリコッチノ方ガ、美味シイシ」
「ナ、何ヲ言ッテル? ワタシ達ニ居場所ナンカナイ! 〈ココ〉以外ニ、安全ニ暮ラセル場所ナンテナインダゾ!」
絶叫する主。
中心になりそうなレ級が去るのは、本来であれば主にとって悪くはない話だった。
だが、去る理由が問題だった。
追い出した結果、去るなら問題ない。
仲間になる素質がないと判断した結果、いなくなるなら問題はない。
だが、美味い美味くない程度で、食することを拒否をするのは、少し違った。
同族を食べる否定の感情からではなく、単純に別にここでなくても平気という感想は、受け入れられない。
受け入れては、いけない。
それは、〈ここ〉の崩壊に繋がる言葉なのだ。
それでは外への希望に繋がってしまう。
絶望しかない外への、見切りをつけて見限ったはずの外へと。
自分が行けなかった場所へと、行けてしまう――希望に――絶望に――。
淡い夢を、裏切る夢を、魅せられてしまう。
「……フン、ビビッテルンダロウ」
主は腕を組み、戦艦レ級の巣の中でも異質さを感じさせるレ級に対し、貼り付ける。
ビビってる、同じ戦艦レ級でありながらも、下位の立場であると周囲に植え付けるように。
「オ前ナンカ戦艦レ級ジャナイ。オ前ミタイナ弱イ奴ハ、〈ココ〉ニハイラナイ」
「ウン、ワカッタ。出テク」
「ダガ」
主の尾が咆哮をあげた。
空気を叩きつける迫力と圧力が、辺りを震撼させる。
戦艦レ級の尾の眼光が、灯る。
赤く、紅く。
圧縮された恐怖が、冷気となった洞窟内を満たしていく。
「オ前ミタイナ弱イ奴ガ、艦娘ヤ他ノ深海棲艦ニヤラレルノハ困ル。戦艦レ級ガ弱イナンテ思ワレルノハ困ル。〈ココ〉ノ場所ヲ喋ラレタラ困ル」
「言ワナイヨ」
「信ジラレルカ。信用デキルカ。オ前ミタイナハグレ者、誰ガ信頼スルカ。ダカラ――」
点在し存在する周囲の戦艦レ級達も、主が何をするつもりなのか察した。
恐怖による、死に寄る威圧。
一人でノコノコと〈ここ〉へ来た、愚か者に対する制裁。
レ級も彼女らと何ら変わらない、一人では生きていくのが困難なのだと、仲間が必要なのだと理解させる儀式。
強がりも大概に、空気が読めないのもいい加減に、協力して生き延びることを解れと、主は操る。操ろうとする。
ここにいる、他の戦艦レ級達のように。
それが事実でもあるのだから、従う戦艦レ級達のように。
解っているからこそ、理解しているからこそ、彼女らはここに居た。ここに居て、何をすべきなのか、悪質な幻想を破壊すべきなのか、知っていた。
現実を叩きつけてやれ――戦艦レ級達は、主が発する空気を読む。
誰でも解る敵意を、どんなアホウでも勘づく気配を。
世界に満たし、知らしめる。
ただ、一人を除いて。
「オ前ハココデ殺ス。殺シテ喰ッテヤル」
「ワカッタ」
「命乞イヲスルナラ今ダ……エ?」
「初メテ。ドキドキスル」
レ級は、ただ一人除かれたレ級は、笑顔でそう言った。
何を言っているのか理解できない主は、ぽかんと、茫然とレ級を見る。周囲で殺気を放つ戦艦レ級達も同様に、何が起こっているのか、何が起こっていないのか、思考が追い付いていなかった。
圧倒的兵力差。
それも格下の相手ではなく、同等の戦力を一人一人が持ち、どう考えても勝ち目のない状況で、レ級は承諾したのだ。
戦うことを、戦争を。
たった一人で戦争を巻き起こすことが出来る、深海棲艦。
砲撃戦ができ、雷撃戦ができ、航空戦ができる、一人でありながら艦隊である存在。
戦争だけではない、路地裏の喧嘩でさえ、どんなに力のある者でも一対多では不利でしかない。どれほど腕に覚えがある者でも、武芸を嗜むからこそ理解している数の暴力。
それを、そんな状況を。
レ級はドキドキと、楽しみだと言うように、嗤っていた。
「ウン、シヨウ。戦争ヲシヨウ。ボク等ダケガデキル、コンナ戦争、滅多ニデキナイヨ」
「オ、オ前……」
「ドキドキスル。エ、ワクワクッテ言ウノ? ジャア、ワクワクスル。楽シミ、愉シミダナァ。ボクハマダ、戦争ガデキルンダ」
「オ前ハ! 何ナンダ!」
主の問いに、叫びに。
レ級は応える。
「ボクハ君ラト一緒デ違ウッテ尾ガ言ッテル。デモボクニハ解ラナイカラ、ダカラ――戦争シテミヨ?」
同じかどうか、確かめる為に。
そう、言い切った。
狂っている。
どう考えても、誰が考えても狂っている。
頭がおかしい、もはや生物として末期の状態だ。末期症状の、自殺志願者でしかない。
生き物は意味もなく戦わない。縄張りや、生きる為に戦うのが生き物なのだ。
深海棲艦と言えども、そこは変わらない。戦うのが好きだとしても、目的の為の手段として、彼女らは戦うのだ。
唯一、生物の中で人間だけが、快楽の為に戦うと言われている。だから人間同士の争いはなくならいと。
ならば、レ級はどうなんだろうか。
深海棲艦でありながら、人間のように戦うことだけを愉しむことができる、レ級は。
もはや同じ戦艦レ級に見えず、それこそ艦娘が言うように、畏怖するように、名付けた名が、主の脳裏に浮かび上がっていた。
同じ名を冠した、同じ姿形の、同じ存在に対して。
「意味解ラナイ事ヲ言ウナ! ココニハオ前一人ダ! 尾ガ言ッテルトカ、変ナ事ヲ言ウナ!」
「? ナンカ怒ッテル? エ? 挑発ナンカシテナイヨ? エ? 今ノガ挑発ナノ?」
レ級が何も言わぬ尾に向かい相槌を打つ。
その様子を、そんな様子を見て。
主の我慢は、限界を迎えた。
いや、我慢というよりも、それは――。
「変ナ奴! 変ナ奴! 変ナ奴! 止メロッ! ソンナ一人芝居ハ止メロ!」
「? 尾ガイルヨ? 一人ダケド独リジャナイヨ?」
「ヤメロヤメロヤメロッ! 喋ルナ喋ルナ喋ルナッ!」
頭を掻きむしり、主が怒鳴る。
身体を震わし、心を乱し、悲鳴を上げ。
瞳を浮き出し、歯を食いしばり、全身をもって。
主は――戦艦レ級は、絶叫した。
「ソイツヲ! ソノ〈化け物〉ヲ殺セェッッ!!」
――それは、恐怖の限界、だったのかもしれない。