統制機構諜報部のハザマさん   作:作者さん

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ステージ10

 手元に戻ってきた二丁の拳銃、ベルヴェルグに視線を向けて、ノエルはぼんやりとした頭を動かした。半壊していた思考は再構築され、戦闘が可能になるようにと、精神が安定を図ろうとしているのが分かった。

 目の前では先ほど自分が戦っていた得体のしれない存在であるνと、指名手配されている犯罪者、ラグナ=ザ=ブラッドエッジが戦っている。危ないから逃げろと、そのようなニュアンスの言葉を言われたような気がする。なのに自分の身体は動く様子は無かった。

 足が震えて動かないのではない。酸素を取り入れ息を整え術式で傷を癒し、戦闘を続行するために頭の中で勝手にその行動を起こしていたのだ。目の前にはラグナ=ザ=ブラッドエッジがいる。彼に戦闘を任せ自分は態勢を整える。その思考は自分の行っていることの様に感じることは無かった。

 かちり、かちりと頭の中の思考が組み立てられていく。その過程でノエルはなぜ、と自分自身に問いかけていた。

 どうして私は彼、ラグナに対して、心を動かしていたのだろう。

 それはアークエネミーであるベルヴェルグが勝手に起こした感情なのだろうか。その問いに自分自身で違うと回答を出した。ラグナ=ザ=ブラッドエッジのことを考えた。それだけで顔に熱が上り、心臓は鼓動を激しくしていた。思考はぼんやりとして、恥ずかしさのようなものも感じていた。

 変だった。自分がまるで恋でもしたかのような感情をラグナへと向けている。

 

「なにしてるんだろう、私」

 

 その言葉をノエルは自分の意思で口から零してた。

 本来ならそんなことを考える事も無く、ただノエルはその光景を見ているだけであった。しかしその手にはベルヴェルグが存在し、整理されていく精神はノエル自身の自我を持つ余裕があるほどには回復していた。

 ノエルは心が沈みながらも高揚しているという、不思議な状態だった。ラグナに対して惹かれているということは事実であり、それを怖いと感じている自分もいる。ラグナの身体を飛来した剣が傷を作るたびに、心が痛んでいるのを感じ、それは確かにノエルにとっては本心であった。それでもと感じているのは、いったい誰なのだろうか。

 私はいったいなんなのか。

 哲学的な話をしたいわけでもなく、ただ純粋にノエルはそう思った。戦闘のための精神構築をしている自分と、ラグナに対して惹かれている自分と、それに違和感を覚える自分。どれも自分であるはずなのにそれがすべて同じと言うには無理がある。

 

「私は、」

 

 ぎゅっとベルヴェルグのグリップを握りしめて、見下ろしていた顔を上げた。ラグナ=ザ=ブラッドエッジとνはまだ戦っている。時折隙を見つけてラグナは斬りかかりに走るが、無数の剣にそれを遮られ、攻めあぐねているようだった。そこにはノエルへと攻撃を向かわせないように配慮していて、余裕は見えなかった。そんな状態であってもνは余裕げな表情を崩さず、ラグナの肌を飛来した剣が撫でて傷をつけている。

 そんな様子に、ラグナが傷つく様子に心を痛めているという自覚があった。それでもノエルは見ているだけだった。

 怖いのだ。傷つくことに。子供のような思考であると自分自身で理解しているはずなのに、自分の身体は動いてくれない。戦闘を行うための思考は、ラグナに任せることを是としている。どちらが勝ったとしても消耗させるべきだと判断している。だから動かない。自分の意見はすでに固まっていた。

 

 

 本当は、私はどうしたいのだろう。

 

 自分で自分が情けなくなってくる。なりたいと思って衛士になったわけではない。戦いたいなどと思った事も無い。ただ自分の両親のため、そう思った時の自分は確かに自分で決めたはずなのに、どうして今、自分は子供の様に泣きじゃくっているのだろう。自分のせいでラグナは傷ついている。どうして自分はラグナのお荷物になっているのだろう。

 悔しいとノエルが思ったのは久しぶりだった。少し前に、ノエルの親友であるマコトの見舞に行ったとき、そのマコトの諦めたような表情に思わず手を握りしめていたのをノエルは覚えていた。そして今も、自分の無力に手を握りしめるしかなかった。

 

「だって、しかたないじゃないですか。私にはどうしようもないんだから」

 

 本当に?

 

 今の私は、ただ震えているだけの子供なの?

 

 大切かもしれないものが、目の前で壊されているのに、わたしはなにもできないの?

 

 生きてきた意味なんて分かるわけがない、自分がそんなことを理解できるほど経験を積んできたわけでもない。それでも、自分が今此処に居る理由が、恐怖に潰されて、指名手配犯に自分の代わりに戦わせて、ただ震えていることだけなのか。

 自分の親友の一人に言った。衛士に信頼して仕事を任せられるような、そんな風に頑張ると、自分は確かにマコトへと言ったはずだった。

 自分の親友は常に正義足らんと、美しい信念を抱いていた。そんなツバキのことを、今の自分は親友と呼べるのだろうか。

 

 すっと、無言でノエルは身体を起こしていた。

 術式を発動、治癒は既に完了し、障壁の構築を開始する。カタカタと震える腕を抑え、自分がマコトに言った言葉を思い出していた。

 最悪だ、と思わず自嘲する。自分は友人との約束を理由にしなければ、自分から動くことだってできない。約束を都合のいい理由にするよりも、ラグナが今傷ついていくことの方が嫌だったのだ。心の中でマコトに謝り、抑えていた腕を放した。今度は、震えは出なかった。

 本当は幼い自分の出した判断にも関わらず、戦闘のために構築された精神、ベルヴェルクはこの行為を止めようとはしない。

 声を出した。それは、とても小さいものだった。

 

 

―――――――――

「……っざってぇんだよ!」

 

 正面から飛来する剣を避け、後ろからの剣は自身の大剣を振り回すようにして弾きつつ、ラグナはνを睨んで叫んだ。ラグナに遠距離から攻撃する手段は無く、前に出ようと試みれば的確に剣はその道を遮った。νの笑顔は苦々しい表情をするラグナを笑っているようにも見え、癇に障っていた。

 鉄でできた地面を蹴り飛ばし、蒼の魔導書を限定的に解放する。蒼の力は右腕へ小手の様に纏われ、それは赤黒い巨大な獣の爪の様にも見える。顔面に飛来した剣は頭を下げることで躱し、避けきれない物は右腕で払い逸らした。若干ではあるがνの表情に驚きが見えた。νの周りに浮かぶ剣が迎撃に走るが、ラグナは大剣を縦に一閃し纏めて叩き伏せる。そしてそのまま切り上げる形でνへと剣を走らせた。

 

「コイツで――!?」

 

 肉を切り裂く手ごたえを感じ、間を置かずにνの切り裂かれた胸部から血が溢れる。だがそれでも傷は浅い。身体に付けられた傷を無視して、ラグナへとνは手を伸ばした。手の甲のブレードが浅くラグナの頬を裂いて、そのまま身体を掴もうとするνの腹を、ラグナは足の裏で蹴り飛ばして転がるように距離を取る。

 

「……ふふ、あはははははははは。無駄だよラグナ。ラグナじゃνは殺せない、この破滅への物語は誰にも変えることはできないんだよ?」

 

 ブレードに付着したラグナの血を舐め、歪んだ表情でνは笑う。過去の思いでさえも塗り潰してしまいそうなその笑顔向かって、ラグナは力の限り大剣を叩き込んだ。

 

「いちいちウルセェんだよ、どいつもこいつも! テメェが俺のことを勝手に決めてんじゃねぇよ!」

 

 変えられない。ラグナが子供だったころ、目の前で自分の世界が壊されていくことを止められなかったように、ハクメンがラグナへと言ったように、ラグナの力では何も変えることができない。イラついた。自分が無力であると言われて何も思わないほどラグナは気が長くは無かった。

 ラグナの大剣をνは、両腕に装着されたブレードで交差する様に構えて受け止める。ラグナの顔と数十センチの場所で視線が重なり合い、νは嬉しそうに語りかけた。

 

「ねぇラグナ。ずっとこうしていたいな。ラグナがνのことを見て、νがラグナのことを見て、そしてずっとずっと一緒に居るの。それってとても素敵なことだよね?」

 

「ウルセェって言ってんだろうが!」

 

 新しく付ける傷よりも早く、ラグナの目の前でνの身体は再生を始めていた。ラグナの知っている吸血鬼であるレイチェルですら、傷がそんなにも早く再生するところを見たことは無い。ラグナにはそれが、まるでνがその姿で世界に居なければならないと、世界から強制されているようにも思えた。

 弾かれまた距離を取られ、埒が明かないと忌々しそうに舌打ちし、νの牽制を捌きつつ考える。

 νの発動しているムラクモユニット、ソードサモナーという術式は、一度に大量に発生させられるものではなく、一定時間経てば消えてしまう。そもそも魔素の物質化自体が個人レベルではほぼ不可能であると言えるだろう。形状を変化させるのと生み出すのとでは必要なエネルギーや式の量が違う。

 νの再生能力は元々の素体にあるはずのものではない、でなければ自分が他の支部で他の素体を破壊することなどできるはずがないのだ。精錬された結果だと言ってしまえばそれまでであるが、現に対峙している以上破壊する方法を考えなければならない。

 術式であるのならばその術式を壊す、もしくは発動させている本人自身を破壊、つまり殺すことだ。

 

「うざってぇな……」

 

 どんなに考えようとやるべきことは変わらないのだ。考える頭が無ければ術式は発動できず、身体を動かすのなら心臓を潰すのが一番だと決まっている。結果的に目の前の存在を殺すことは変わらない。

 

「楽しくないの? νはすごく楽しいよ? ラグナとこうしてずっと躍っていられるなんて、思ってなかったもん」

 

 νが手をかざし術式で宙に剣を作り出すと、ラグナに向かってそれは飛んでいった。ラグナがそれらに対し、切り上げるように剣を動かせば、それらの剣を蒼の力で作り出された獣の顔が全て喰らい尽くす。一振りで全て落とされたことに、驚いたようにνの表情が、笑顔から機械的な無表情へと変化する。

 ここだ、とラグナは内心で叫ぶ。術式で剣を生み出せば、少なからずラグが出る。νの言葉を無視し迫るラグナに対して、新たに術式で迎撃する手段は無く、迎撃にはνの周りに浮かぶ剣を使う。

 使うと言う選択だけしか取らないことをラグナは戦闘中に理解し、迎撃に走る剣へ向かって叩きつけるつもりだった。

 

「フィールド発生」

 

 走るラグナへと押し付けられるような負荷が現れたのは、νがその言葉を呟いてからだった。グラビティシードと呼ばれるその術式は、局地的に重力を発生させ対象の動きを捉えていた。

 

「っ!?」

 

 思わず膝を着くほどの圧力にラグナは足を取られ、一瞬ではあったがラグナはνから目を離してしまっていた。だがその一瞬にνが、第666拘束機関解放、と呟いたことだけは理解し視線はすぐに戻された。

 辺りの空気が淀み出したのは、大量の魔素を使った大型の術式の前兆だった。並みの魔導書であればオーバーフローするほどの式であり、境界に接続し出力を上げたものだろう。ほんの数秒も置かずに作られた巨大な剣は、今にも射出されようとしている。

 

「我が魂に帰する場所にて根源より生まれ出でし剣よ」

 

 たった一人を狩るためには大きすぎるその術式を前に、ラグナは逆に好機であると判断して、地面を蹴り飛ばす。

 

「全てを無に帰する刃を我が前に示せ」

 

 グラビティシードで足を取られたが、どのような状態であるかを理解してしまえば、抜け出せないほどの負荷ではなかった。またその範囲も数メートルという程度であり、抜け出すことは可能である。

 もしも自分が防ごうと複雑な術式障壁を作り出していたのなら、それごと砕いてミンチにするだろうその一撃も、自身に当たらなければ何の意味もない。

 

「(……? なんだ?)」

 

 グラビティシールドを抜け出したラグナの視界に入ったのは、機械的な剣が外された、水色のインナーの姿のνだった。

 

「(なんでか知らねーが、戦闘状態を解除している? ……あの術式の発動のためのギミックの一つか? どっちにしても、好都合だ!)」

 

 大型の術式を発動するために、他の術式を発動する余裕がなくなったのか。何であれ、νに纏われていた剣が目をそらした一瞬で消えており、目覚めたばかりのインナーの姿でνは立っている。術式を発動した数秒後、装備を装着し直す時間もなく、νを守る剣も無いとなれば無防備であることは間違いない。

 殺す。剣を構えνの心臓を捉えたラグナは、真っ直ぐに大剣をその心臓へと突き立てた。

 

 

「あは、ラグナつかまえた―」

 

 

 確かに心臓を突き立てたはずだった。皮膚よりも固い臓器を破る感触は確かにあり、血も確かに流れている。

ふと、νの瞳と目があった。

 

「!? っぁああああ!!!」

 

 突如現れた自身の存在を脅かすような恐怖に、ラグナは言葉にならない叫びをあげ、νから離れようと自身の大剣を引き抜いた。

 νの手がラグナの赤いコートを掴む。νの後ろに見えたのは、飛来する大剣だった。νの身体に装着されていた八本の剣は今や一つの大剣となり、ラグナの前から、νの背後から迫ってくる。大型の術式はラグナを近づかせて捕まえるための罠だったのだ。

 そしてそれらが、恐怖の根源だった。ν自身にも迫っていると言うのに、νにそれを気にした様子は無い。あの大剣をνと共に受けてしまうのは“まずい”。戦闘をしているうちに身に着いたラグナの直感だったが、理解していてもνに掴まれその場を離れるには時間が足りない。

 

「いっしょになろう、ラグナ?」

 

 それは二人が黒き獣となるための生贄であり、儀式でもある。

 νがラグナに微笑みかける。機械のような、女神のような、恥じらう乙女のような表情を見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オブティックバレル!」

 

 

 

 

 瞬間、空間が歪み小爆発が起こった。

 偶然か否か、νから離れようとしたラグナには被害が無く、大剣をνから引き抜き後方に飛ばされるも、姿勢は崩さず目の前の現状を把握した。

 術式による小爆発はνに直撃し、二人の間にνの剣は突き刺さる。その確認もそこそこにラグナは術式を発動。蒼の力を部分的に解放してνへと迫り、大剣へと蒼の力を纏わせ振り下ろした。

 

「ラグ……ナ?」

 

「仕舞だッ!」

 

 ざん、という音と共にνへと刃が走る。身体に対して斜めに走った剣筋はνの喉と心臓を無視して突き進んだ。

 ふらりと身体を揺らしたのはνだった。糸を切った操り人形の様に、あっけなく地面に倒れる。そこまでたってラグナは大きく息を吐き出した。

 

 

―――――――――

 

「(……終わり、か?)」

 

 数秒経ってもνの身体が再生する様子は無い。呼吸音も聞こえず、身体を皮一枚ほどつながる程度には、切り伏せた感触が手に残っている。あれで生きていると考えるほうが難しい。

 νにとって心臓へ突き立てた時点で致命傷であったとラグナは判断した。その時の状態がなんであろうと、νとラグナがムラクモユニットと共に大剣で貫かれれば、それで事は済んでいたのだから。

 

「っ……ぁ……はぁ……はぁ……っ」

 

 後ろを振り向けばそこには、子供の様に震えていたはずの存在が居た。涙目で、肩で息を吐いてはいても、決してしゃがみ込んではいない。目の前に恐怖があり、ソレに抗っているのは明白で、毒気を抜かれたようにラグナは頭を掻いた。どーすっか、と呟き目の前の統制機構の衛士でもあるその存在について考える。

 一目見たときに思ってはいたが、小さくなっている姿を見てもラグナの妹であるサヤを思い出す。他人の空似とはいえ、同一視してしまった自分に嫌悪感が溢れてくる。

 戦闘するのか。こんなふうに子ウサギみたいに震えているやつを?

 面倒だ、とため息を吐き出した。どうして自分が統制機構の衛士相手にこんなに悩まなければならないのか。

 

「せ、戦闘を止めてください!」

 

「……はぁ?」

 

 そう考えていたラグナはノエルの言葉を待っていたが、どんな言葉が飛び出したかと思えば、どこか気が抜けるような言葉だった。

 戦闘、νと戦っていたことだろうか。それならもう終了している。まさか死ぬのが怖いから戦わないでくれとでも言うつもりか。ラグナはそんな意味での言葉であったのではないかと考える。

 

「こ、こちらは統制機構第四師団所属少尉、ノエル=ヴァーミリオンです! ここは統制機構支部の立ち入り禁止地区となっています! これ以上の戦闘行為は貴方の立場を悪くするだけですよ!? 両者ともに投降するのなら裁判を受ける権利は確立させて見せます! 命に従えないのなら、拘束し……って、そうじゃなくて!」

 

「……いや、青いのお前馬鹿か? 頭大丈夫か?」

 

 両者、と言ったようにどうやら前者だったらしい。涙目で状況が見えていないのか、時々ごしごしと手で目を擦る様を見ても、戦闘に紛れ込んで、ごっこ遊びをしている子供にしか見えなかった。そもそも裁判など受けても、死に方が変わるだけだろう。

 焦って顔を赤くするノエルに、ラグナは思わず気を抜いてしまっていた。ラグナが今まで接してきた衛士という人種の中でも、このような反応をするのは初めてだった。

 

「ななっ、人に対して馬鹿だとか青いのだとか、失礼ですよ!? ラグナ=ザ=ブラッドエッジ!」

 

「違います、人違いです」

 

「嘘つかないでください! 白い髪に赤いコート、それに白い大剣、どう見ても指名手配所に書かれた特徴とピッタリじゃないですか!」

 

「おーすげぇな、俺のそっくりさんが指名手配犯だったなんて、びっくりだー、ろくでもねーな」

 

「ごまかさないでください! ひょっとしなくてもからかってますよね!?」

 

 ラグナ自身、衛士と言葉を交わすつもりではなかったはずだが、なぜかノエルに対して強く出ていないことに気が付く。

 一方ノエルはラグナへと話しかけてから、体の震えも止まり、ノエルの心の熱は落ち着いたものになってきていた。それはνという脅威がなくなったことからの余裕だろう。

 一度大きく息を吐いてラグナへと視線を向けた。それをラグナは戦闘の意思があると見たのだろう。腰の大剣に手をかけると、ノエルに向かって睨む。

 

 

「……で、やるなら相手になる。それが嫌ならさっさと帰れ」

 

「違います! そうじゃなくてえっと……」

 

 ラグナの言葉にノエルは思わず強い口調で返していた。

 自分はいったいどうしたかったのか。ベルヴェルグで術式を放った時は無我夢中だった。ただラグナが傷ついていくことが嫌だ、という理由で放った術式は結果的にラグナを助けることとなった。

 それでも自分は衛士で、目の前に居るのは指名手配者で、衛士なら拘束するために言葉をかけて、いやもう言ったんだった。だから戦わなくちゃならなくて。

 なにを言えば良いのか分からなくなり、ノエルは黙ってしまった。話したい、一緒に居たい、そんな欲求は自分の中にあった筈なのに、言葉になって出てこない。ただ一言、当たり障りのない言葉を呟いた

 

「……私は、その、お礼を言いたくて」

 

「……あー」

 

 ノエルが言ったのは、最初にラグナがνの攻撃に対して割って入ったことだろう。

 対して困ってしまったのはラグナの方だ。お礼を言われたことなどあまり経験もなく、それが敵対している統制機構の衛士となればなおさらだった。一度もない。

 

「あーっと、なんだ? どういたしまして、のついでに帰らせてくんね?」

 

「ダメですラグナ=ザ=ブラッドエッジ! おとなしくお縄につきなさい!」

 

 やっぱり仕方ないか、とため息を吐いてラグナは剣を構える。どうも目の前の衛士を殺す気にはならない。さっさと気絶させて、さっさと支部を破壊してその辺の病院に捨てとけばいいか、と頭を掻きながら考えた。

 

「はー、なんなんだよこの馬鹿が。面倒くせぇから馬鹿やってねぇでさっさとこい」

 

「バカバカ言わないでください! バカって言った方がバカなんです!」

 

 ノエルもはっと顔を起こして銃を構える。茶化すような物言いに、ノエルの調子も戻ってきていた。戦闘中でも話せる、考えられる。自分がどうしたいのか、拘束してから考えても遅くは無い。頭の中が混乱したノエルの結論は、とりあえず殴ってから考える、だった。

 

 牽制のための術式を構築する、ラグナは着弾点から回避しようと駆け出す。

 

 二人が空気の違和感を感じたのは、ほぼ同時だった。

 

 

 

 

「データ再構築、問題なし、術式構成完了、再起動」

 

 

 

 

 

「ラグナさん!?」

 

「っ!?」

 

 両者とも術式の構成を中断し、その場を散開する。両者とも立っていた地点に降り注いだのは、術式で作られた赤銅色の大剣だった。

 銃を、大剣を構え見つめる先には、ムラクモユニットを装着したνが、無傷の姿でその場所に立っている。

 

「…………」

 

 バイザーによってνの瞳は見えず、それでも押し黙る姿から、そこに存在するのは何も映していない瞳であろうことは想像できる。

 

 

「ねぇ、ラグナ。そんなにνの事が嫌い?」

 

 

 なんの感情も籠っていない、冷たい声にノエルは背筋が寒くなるのを感じていた。目の前に居るのは人の形をしていると言うのに、あれではまるで機械音声を当て嵌めただけの人形だ。そう思わずにはいられなかった。

 だが、と。ノエルは考える。

 

「はっ、あれ位じゃ壊れねぇってか」

 

 下唇を舐めて、ラグナは蒼の魔導書を解放しようとして、思わず目を見開いた。

 νが再起動して、とっくに逃げていると思った統制機構の衛士、ノエルが銃を構え、νから庇うようにラグナの前に立っていたのだ。

 

「下がってください」

 

「ああ? 何言ってやがるこの馬鹿が! あれが拘束できるような相手だと思ってんのか!?」

 

 後ろも見ずに言ったノエルに、ラグナはすぐに聞き返していた。ノエルにνを殺そうと言う意思が見られない。だが、拘束させられるほどの相手でもない。

 それ以前に、ノエルはνと戦って、そのあとは戦意喪失して震えていただけの衛士、それがラグナの印象だった。そんな状態の人間を戦わせようとは思わない。第一、

 

「それに、そいつを片づけるのは俺の役目だ」

 

 

「ダメです、貴方には戦わせられません」

 

 そっけなく返すノエルの言葉に思わず頭に血があがった。

 そこまで拒絶されれば、ラグナであったとしてもノエルが何か意図があるのではないかと勘繰るのも無理はなかった。秘密裏に素体を処分するための衛士か、ラグナの頭に浮かんだのはその存在だった。νを壊すのは自分の役目だ、それを譲るわけにはいかない。

 

「ふざけんな! なんの意図があって言うかは知らねぇが、図書館の衛士が言ってることを信用できるか!」

 

「だから、そうじゃなくて! 衛士がどうとかじゃなくてですね!」

 

 横目でノエルはラグナを見て、そこで視線が改めて重なり合った。

 ノエルが立ち上がる理由にしたのは、確かに衛士であるという都合のいい言葉だった。だがそれ以上に、心の中で燻っていたものがある。

 

 

「貴方の事が心配なんです! 言わせないでください!」

 

 

 吐き出すように言った瞬間、戦闘になると言うのに微かに顔に血が上ったことがノエルには分かった。ラグナ唖然としたような表情が一瞬見えてそれは加速しかけるが、戦闘のための思考に流されていく。

 νはまだ動かない。防壁術式の構築は終了し、いつでも戦うことができる。

 だがその前にノエルの隣に誰かが並んだ。大剣の柄に手をかけて、もう片方の手で面倒くさそうに頭を掻いている。驚きはしたものの、なんとなくという程度ではあったが心が落ち着いていくのが分かった。

 

「……アレは生体兵器だ。人間と思って戦うな。テメェが生き残れなくなるぞ」

 

 ぶっきらぼうに言ってはいたが、ラグナの言葉にはどこかノエルを気遣うものがあった。聞いている方が恥ずかしくなるような発言に、ラグナも思うところはあったのだろう。

 

「俺が前に出る。テメェが援護しろ、ノエル」

 

「! ……分かりました。貴方も無茶はしないでください、ラグナさん」

 

 二人は単純に考えれば衛士と指名手配犯という関係であり、また決してこの時間で交わることとはなかった。だが、今は仮とは言えどもνに対して戦う意思を見せた。

 

 だから二人は気が付かない。無表情だったνの顔に、僅かではあったが不快の色が浮かんでいた。

 

 


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