失格負けになることは既に知っていた。というか、そもそも中学校の大会に小学生が紛れて参加する自体がアウトだ。でもって、第一に加賀の思い通りになる話に乗るのは避けたい。という訳で、大会には普通に見学者として行くことになった。
加賀の悔しそうな顔が見れて少し勝った気になる。別に加賀が嫌いという訳ではないのだが、売り言葉に買い言葉。つい喧嘩のノリになってしまう。
大会には大将が加賀。副将に筒井さん。そして、三将は加賀が学校の知り合いから碁が出来る奴を引っ張ってきてくれるとのことだ。
実力は加賀や筒井さんには及ばないものの、その人が碁が出来るだけで筒井さんが嬉しそうにしている。
海王中学校に到着して、筒井さんと加賀と合流する。
「おぅ、ちゃんと来たのか」
「俺、来るって言ったじゃんか」
だるそうにしている加賀と挨拶を交わし、そのままギャラリーの中に混じる。しかし、ギャラリーは殆どが、海王中学校の対局を見に来ており、無名校である葉瀬中を見に来ている者は居なかった。一回戦はどうやら川萩中とらしい。
「将棋部の人が大将? 何で来ているのか知らないけど、そこの部員がやった方がマシなんじゃない?」
部員と間違えられる始末だ。しかし、加賀もわざと悪ノリし「今からでもメンバー変えるか?」と言われ、筒井さんに
大会はそのまま対局が進み、一回戦を勝利。しかし、二回戦で敗退になった。
「大会に出られただけ良かったよ。ありがとう進藤君。最後に記念に海王中の対局を見ようと思うんだ」
「ったく、コイツが居たら優勝出来たっつーのに」
「ハハハ」
笑って流しつつ、暫く海王中の対局を見学し、そろそろ帰ろうかと思う。せっかくだから最後まで見てけばよいのにという筒井さんに辞退する旨を伝えて、出入り口へと向かう。扉の取っ手に手を掛け、スライドさせようとした時だった。勝手に扉が開いたのだ。
「ぅおっ、!……塔矢」
「進藤ヒカル? なぜここに?」
開かれた空間の先には校長に誘われてやって来た塔矢アキラが居た。塔矢は驚いて大きく目を見開いているが、ヒカルはキョトンとしている。
「何でって、お前と一緒だよ。大会を見学しに来たんだ。って言っても、俺は葉瀬中を見にきたんだけどな」
「そう。ところで、もし……もし……君さえ良ければこれから僕と対局してもらえないだろうか?」
ヒカルは塔矢の両側に垂れている腕の拳が震えているのをみた。その光景を前にして海王中の囲碁部員になってまで、ヒカルと対局をしようとしていた時の記憶が脳裏に
(いつになっても塔矢は塔矢なんだな)
「いいぜ、打っても。その代わり、大会の邪魔になっても悪いだろうし、あっちの隅で打とうぜ……って、勝手に碁盤使ったらマズイよな。んー、どうすっか」
ヒカルが自分もちょうど帰る所だったのだし、一旦会場を出てから違う場所でと提案しようとした時だった。塔矢が後ろを振り返り、誰かに話しかける。
「校長先生。もし出来ればなのですが、あの隅の碁盤をお借りできないでしょうか?」
「ん? あ、あぁ。隅なら大会の邪魔にならないだろうし、別に構わないよ」
「ありがとうございます」
許可を取るや否や、ヒカルの腕を引っ張って、お目当ての碁盤へと連行していく。ついでに、対局するならばと校長先生までもが後ろをついて来ていたが、全く気にする素振りすらない。ヒカルは思わず苦笑した。
◇◆◆◇
きっかけは何だっただろうか。確か、海王中の校長が来ていることに誰かが気づいたのが始まりだったのだ。なぜ、決勝戦を放ったらかし状態で他の対局を見ているんだろう。そういった疑問からのものだった。
しかし、微動だにせず、碁盤を食い入る様に見ている様を直に見て、釣られて対局を覗いた。これが二人目。二人目も、つい魅入られ、そのまま観戦者と化した。幾度となく繰り広げられる攻防や華麗な打ち回しに思わずといった風体だ。そんな中、決勝戦だというのに隅で対局をしている事に違和感を感じた者がやってきて、更に観戦者に加わった。
そんなこんなで一人、また一人とギャラリーが増えていく。ギャラリーが増えれば、どうしたことかと更に注目されのループでしかない。
一目でもそこに広がる光景を目の当たりにしたならば、碁を知る者であるなら引き寄せられずにはいられない美しさがあったのだ。
気づけば、会場の大半の者が塔矢とヒカルの対局を観戦している状態だった。すると先に決勝戦を終えた二校も異常状態に気づき、その輪に加わる。
やがて、塔矢の「ありません」の声が聞こえると、歓声が沸いた。拍手をしている者達も居る。尤も、場の注目をさらったことに対しては決勝戦を戦った二校が渋い、複雑そうな顔をしていたが。
加賀が、筒井さんにアイツが塔矢アキラだぜという声を周囲の人が拾って、ヒカルが逆に塔矢だと間違えられそうになる一幕もありながら、大会は閉会式を迎えることとなった。
ちなみに優勝した海王中学の一部の生徒はいい所を
◇◆◆◇
ヒカルは悩んでいた。囲碁部の入部の件についてだ。七月にあるプロ試験に挑む気でいた為、夏期の囲碁大会には出場が出来るかもしれないが、その後は幽霊部員になることが確定になるからである。筒井さんには返事を保留にしたままだ。
しかし、唸ってばかりで腹が空いた。道端のラーメン屋に入店し、食べていると裏の碁会所に出前を届ける話が聞こえる。
三谷、もう居るのだろうか。ふと、覗いていこうと思い席を立った。そのまま裏の碁会所へ向かう。たどり着き、扉を開けると「ありゃ、また子供かい」という言葉に出迎えられた。
しかし、場の空気がどこまでも重い。怪訝そうにヒカルは思ったがその疑問は直ぐに氷解した。
「アンタ、その制服葉瀬中だろ。……に、二〇円貸してくれないか」
「……いいよ。俺、進藤ヒカル」
「三谷祐輝」
ヒカルから二〇円を受け取ると三谷は飛び出して行った。入れ替わりで入ってきたヒカルに、声が掛かる。
「……打つのかい。子供は五〇〇円だヨ」
「うん、打つ。おじさん、俺と打たない?」
席亭に返事をするとその後、ダケに向かってそう言い放った。ダケは最初ポカンとしていたが、直ぐにニヤリと笑ってみせる。
「あんちゃん、ちょうど万札しかねェんだ。万札賭けるってなら歓迎するぜェ」
「何馬鹿な事言ってるんだヨ。こっちで両替することだって可能じゃないか」
「分かった。じゃあ、一万円でいい」
「バカ! 悪いことは言わないから辞めた方がいい」
そう言われてもヒカルは首を横に振るばかりだ。席亭がため息をついて後ろを向いたのを確認したヒカルはそのまま反対側の席についた。
「ヘッヘッ。子ども相手だからな。互先でいいだろ?」
「もちろん」
「ちゃんと一万円持っているのかよォ。後から駄々こねて出し渋るってのはなしだぜ」
そうして始まった対局。始めダケが拙い打ち方をしているのを横目に打っていく。ヒカルはいつ左利きだということを指摘しようか考えながら打ち始めた。しかし、序盤からこちらを侮って石をずらされた瞬間、反射的に叫んでいた。
「イカサマはナシだぜ! 今、石をずらしただろ。バレバレだから、もっと上手くやったら?」
「何のことだい、あんちゃん」
「誤魔化したって無駄だからな。俺にはちゃんと全部分かってるんだ」
その言葉通り、今度はずらそうと動作をした瞬間を見計らってヒカルが声をあげる。初めはマグレだとばかり思っていたダケとしては、悔しげに呻く他ない。そして、イカサマが通じない相手というのを認めたらしい。左腕をまくりあげると、目つきが鋭く変化した。
「うん、そう来なくっちゃ」
「調子に乗るなよ、あんちゃん。大人の意地ってモンを見せてやるぜ」
◇◆◆◇
街の雑踏の中、三谷は碁会所の方をぼんやりと眺めていた。浮かぶのは、席亭の修の顔だ。しばらく足を止めていたものの、そのまま
「マチな、あんちゃん」
「!」
思わず足を止めた。そこにはダケの姿があった。どこまでも警戒し、訝しげな三谷に対してダケが肩を
「ほらよ」
差し出させたのは一万円だった。馬鹿にしているのかと反射的にこみ上げてきた気持ちのまま、言い返そうとした三谷だったが、それよりもダケが言葉を話す方が早い。
「俺が言える口じゃねェんだけどな。イカサマはもう止めておけ。あとな、修さんが寂しがってたから余計だが、顔位出してやったらどうだ」
「……何でまた急にそんなこと言い出すんだ」
「うるせェ。俺だって柄じゃねェってのは分かってんだ。謝罪なんざしやしねェぜ。ただ、お前みたいな奴は賭けよりか、学校の囲碁部がお似合いだ。あとオトモダチに感謝することだな」
「友達?」
「あの気持ち悪い位にカンが鋭くて強いガキの事だ。俺の自慢の手管がパァさ。たまったモンじゃねェ。最後には意地になって真正面から本気でぶつかってみたが……」
「いいや、友達じゃないし」
「? まァ、あれだ。あそこのラーメンでも奢ってやるから吐け」
「はぁ? なんでだよ」
そのままダケに引っ張られ、三谷はラーメン屋へと連れて行かれた。そこでもひと悶着あったものの、その後は時折ラーメン屋の裏の碁会所にて、ダケが三谷に碁を教える姿が見られる様になる。
そして、有言実行とばかりに――ダケと賭けて三谷が負けた為――囲碁部に入部することが決定し、筒井さんが大喜びした。
そうして、逆に同じ学校に居るにも関わらず、ヒカルが囲碁部に入っていないことを聞くと「お前も同罪だから、囲碁部入れ!」と二〇円を返却する際に宣言される。
ヒカルは立場が逆になったと爆笑し、何れプロになるから幽霊部員でいいならなと入部が決定したのだった。