Encounter-佐為の目覚め-   作:鈴木_

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初日の対局が全て終わり、日本代表は大将のアキラが勝ったことで、二勝一敗として中国を下した。

去年はアキラ以外、一局も勝てなかったことを考えれば大躍進だろう。

大盤解説会場で対局を見学していた客たちも日本が勝ったことに満足したようで帰っていった。このまま勢いに乗って韓国も倒せるのではと、選手たちを余所に騒ぐ客たちもいて、スタッフが静かにするよう注意する場面もあったと知らされた時は、嬉しいような面映い気持ちになった。

しかし日本チームに一勝を貢献したヒカルの表情は決して明るいものではなく、気が沈んだように伏せ目がちなまま、ホテルの部屋に戻ろうとして、

 

「塔矢、朝の続きだけど……」

 

ヒカルが言い出しにくそうに口を開いた。

 

「佐為は、佐為は俺にとってすごく大事な友人なんだ。二度と失くしたくない。その佐為を裏切るなんて、俺には出来ない」

 

自身がsaiであることを知られたくないと佐為が言うのであれば、いくらアキラであってもヒカルがsaiについて教えることはどうしても出来ないのだ。

佐為の悲しむ顔は見たくない。今日のヒカルの対局後、笑ってくれた佐為の笑顔をまた失いたくない。せっかく自分の下に再びやって来てくれた佐為が、ネットのsaiであることをヒカルが誰かに話したことで、また傍から消えてしまったらと思うと怖くてたまらなくなる。

 

「……そうか」

 

「ごめん」

 

「君が謝る必要なんてどこにもないだろう。別に嘘をついたわけじゃない。正直に君の気持ちを僕に言っただけだ。明日、僕らに対局はないが、中国対韓国戦だ。寝坊するなよ」

 

ヒカルの返事を待たず、アキラは自室の中に入ってしまった。

アキラはヒカルを責めなかった。かといって礼などもっての他で、すぐに話の矛先さえ変えられてしまった。

予想外なほど話は簡単に終わってしまったが、胸の奥にやりきれなさだけが蟠り残る。

 

(コレでよかったんだよな、佐為)

 

一人廊下に取り残されたヒカルは、自分で自分に言い聞かせることで納得するしかなかった。

 

 

 

 

二日目の中国対韓国戦は、大方の予想通りだろう。

高永夏の頭を一つも二つも抜いた強さは言うに及ばず、副将の林日煥、三将の洪秀英と、この一年で韓国選手は着実に力をつけてきている。もし中国が勝てるチャンスがあるとするなら、三将の趙石と秀英の対局だろうか。盤面は秀英が若干優勢で、この後の展開次第で逆転の可能性は十分ある。

 

(今年は3位も本気で考えないといかんな)

 

本当に3位になって中国棋院に帰ったら、棋院のみんなに何を言われるか分からないと、楊海は頭を抱えた。

 

「秀英ツケてきた!?」

 

ヒカルが声を上げる。

 

「ツケぇ?ちょっと強引過ぎやしないか?」

 

秀英の以外な一手に楊海が顎を撫で唸る。若さゆえだろうか、多少の損など目をくれず攻めの姿勢を崩さない。

そこを危なっかしいと思うのは、自身の碁が熟してきた者の身勝手な感傷なのだろう。若い力がぶつかり合う様は、いつになっても心躍ることに変わりないのだから。

検討の合間に、手洗いで部屋の外に行洋が出れば、関係者が世話しなく動いていると同時に、選手が一手打つごとに大盤解説の会場から『おお』と歓声が上がる。

 

その大盤解説会場の正面扉が開き、会場内が廊下から直接見えないよう配置されている仕切りにもたれかかって、中継画面を腕を組みじっと見ている人物を見つけ、行洋は歩みの方向を切り替えた。

仕切りと背中合わせした形で、独り言のように話し始める。

 

「こんなところで一人立って中継画面を見るだけとは、少しさびしくないかね?」

 

突然背後から話しかけられた佐為も、一瞬相手が誰で、どこから話しかけているのか戸惑ったものの、見知った声からすぐに行洋が仕切り越しの背後に立っているのだと悟る。

 

「……来ていらしゃったのですね。でもさびしいも何も、こうしていられることすら神に感謝しなくては。それに一応スポンサーも大会関係者ですので、何かあったときのためにスタッフから連絡の取りやすい場所にいないと」

 

お互い相手に向かい合わず、仕切り越しの背中合わせに会話を続ける。

本来なら、佐為は検討室の中心で検討をしていてもおかしくない実力者だ。

 

(勿体無い)

 

なのに、大盤解説の会場で一人黙々と中継画面を見てるだけという現状に、行洋は静かに目を伏せた。

 

「進藤君の昨日の対局は見事だった」

 

「私の目から見ても、本当にいい碁だったと思います。けれどいつの間にか私が傍にいなくてもヒカルは成長しているのだと思うと、少しさびしい気持ちにもなりました。勝手ですよね」

 

「本当に君はそう思っているのか?」

 

「私が傍にいれなかった間も、ヒカルがちゃんと一人歩いて前に進んだ結果です」

 

「そうかな?君が傍にいることで成長出来た部分があるのと同じくらいに、傍にいれないからこそ成長できた部分があると私は思う。進藤君と同じく、君の強さを追いかけている私だからこそ分かる」

 

「だといいのですが……。でも塔矢先生に追いかけられるというのは、……なんだか、かなり怖いです」

 

ヒカルと行洋の二人に後から走って追いかけられている光景を想わず想像してしまい、佐為はくすくす肩を揺らす。

ややあって込み上げる笑みが落ち着いてから

 

「先日の対局は途中で中断してしまい残念でした」

 

「私はパソコンに詳しくないのだが、ああいうこともあるのだな。最初何が起こっているのか分からなかった」

 

「次は途中で中断することがないよう何か対策を立てましょう」

 

「ああ、そうしてもらえると……」

 

言いながら行洋は口を閉ざし、視線の方向を斜め先に向けた。そこには行洋の姿に気づき、こちらを凝視している客らしき者たちが二人いたからだ。

一般に顔と名前を知られていない佐為と違い、行洋は引退しても囲碁ファンの間で高い人気があり顔が知られている。ここで騒がれては解説の邪魔になる。下手に騒がれないうちに退散したほうがいいだろう。

 

「また連絡してくれ」

 

それだけ言うと、行洋は佐為の返事を待たず、検討室へ戻った。

結局は、ヒカルが声を上げたツケの一手が勝敗の別れとなり、趙石が秀英に逆転し勝ちを収めた。やはり強引過ぎたのだ。だが対局内容としては始終見応えのある碁で決して悪いものではなかった。

そして残りの大将、副将戦は高永夏と林日煥が勝ちを収め、チームとしては韓国の勝ちとなる。

 

普通なら負けた選手が一番落ち込むものだが、今回は団長の楊海が見るからに落ち込んでいた。これで中国チームは2敗。中国棋院に戻れば皆に叩かれるだろう。

中国対韓国の対局全てが終わり、明日の対局と出場選手の対局カードを決めるミーティングを行うため、ホテルの部屋に戻ろうとして、

 

「あっ、先行ってて!すぐ行くから!」

 

「進藤?」

 

団長の緒方が止める間もなく、ヒカルは駆け足で走っていく。

 

「塔矢先生っ!」

 

「進藤君?」

 

行洋の元へヒカルは走り駆け寄り、キョロキョロと周囲に誰もいないか確かめて、

 

「そのっ、佐為のことなんですけど、ネットのsaiじゃなく、藤原佐為の方……」

 

「藤原佐為とは?私には覚えのない名前だが」

 

「あっ……そか、なんでもないです……」

 

話は聞こえてないかもしれなくても、二人が向き合い会話をしていることは遠くからでも分かるだろうし、佐為と行洋が既に面識ある知り合いだということは、内緒にしてあると佐為から言われていたことをヒカルは思い出す。

それらを踏まえてボロを出さないよう気をつけながら、ゆっくりと言葉を選ぶ。

 

「塔矢先生は……もしネットのsaiが目の前にいたら、やっぱり打ちたいって思いますよね?」

 

「思うよ」

 

行洋は即答した。

 

「saiも同じように塔矢先生と打ちたいって思ってると思いますか?」

 

「saiにも同じように思って貰えたら光栄だ」

 

そこでヒカルは少し悩みつつ俯き加減に

 

「もしsaiが塔矢先生じゃなくて、でも塔矢先生と同じくらいに強い棋士に対局を望まれて、本当は嬉しいのに、でも対局を断るのはどうしてだと思いますか?きっと内心はすごく打ちたいと思っているはずなんだ」

 

佐為の部屋を訪ねてまで、対局を強く望み申し込んだ緒方。

そして佐為は緒方についてヒカルに何も言うことはないが、対局申し込みを断っている。それも自身がネットのsaiということすら認めていない。

幽霊だったときと違い、今の佐為には肉体があり生活がある。そして幽霊だったことを思いだす前の人生があり、ヒカルの知る『藤原佐為』と全く同じでないことはもう分かっている。

だが、根本的な部分の『碁が打ちたい』という気持ちは決して変わっていない筈なのだ。

 

「対局申し込みを断るだけの理由があるのだろうね。私はsaiが誰かの誠意ある申し込みを軽い気持ちで断る人間とは思えない。断るだけの、断ってまで守りたい何かがsaiにはあるのだと思うよ」

 

「打ちたいのに、断ってまで守りたい何かって?」

 

最初こそネットのsaiについて話すことに、慣れない言葉を選び警戒しながらしどろもどろに話していたのに、ヒカルは話が進むにつれてそんなことなど忘れてしまったように素直な眼差しを向けて話しかけてくる。

同じ歳でも大人に囲まれ、遠まわしに話すことにも慣れているアキラと、佐為が育てたヒカルの微笑ましい未熟さに、思わず苦笑がこぼれそうになる。

 

「さぁ。そこまでは、私には分からないな。何しろsaiとはネット碁でしか対局したことがないのだからね」

 

このまま会話を続けていれば、ヒカルが佐為の名前を出しかねないと、行洋は話に区切りを打つ。

それでようやくヒカルは初めの前提を思い出したのか、はっとして口を右手で覆い閉ざした。

 

「話はもう終わりでよかっただろうか?」

 

「は、はい!すいません!あと、塔矢先生は明日もここ来られるんですよね?」

 

「ああ、そのつもりだが?」

 

「絶対!絶対来てくださいね!きっと楽しいことがあるから!ありがとうございました!」

 

自分の言いたいことだけ言ってしまえば、深々とお辞儀をして、嵐が去るかのようにヒカルは走り去っていく。

 

(楽しいこと?)

 

ヒカルの最後の言葉の意味が分からず、疑問符を浮かべたが、ヒカルの後姿を目で追いっていた行洋は、離れたところから緒方がヒカルを待つ素振りを見せながら、自分を見ていることに気がつく。

恐らく行洋とヒカルが会話しているのを、緒方は会話など聞こえないのにずっとあそこで見ていたのだ。

 


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