やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。 作:鮑旭
サクヤとの交渉が成立した翌日。
ポーションなどの消耗品の買い出しを既に終え、旅支度を整えた俺はリュナンの村の入り口付近に佇んでいた。昇り始めた太陽から、さんさんと陽光が降り注ぐ。
時刻は現実時間で正午過ぎ。ALOのゲーム内時間では明け方ごろを指していた。
ALOでは1日が16時間周期で巡るらしく、現実の時間とはかなりズレがある。これは夜しかゲームが出来ないようなプレイヤーでも、様々な時間設定のゲームを楽しんでもらいたいという運営からの計らいのようだ。
四季については存在しないようで、2月に差し掛かろうかという今時分でもこの辺りのフィールドはぽかぽかと温かいほどだった。気候については日によって多少差異がある他、地域によって熱帯や寒帯なども存在するらしい。
ケットシー領に近いここは温暖な地域のようで、今日は天気もいい。絶好の行楽日和と言えるだろう。世界樹に向かうのを行楽と言っていいかは微妙だが。
そんな晴れやかな陽気を全身で味わいながら、静かに佇む俺。しかし、その内心は晴れやかとは言い難いものだった。遠くの山々を眺めていた視線を戻し、隣に立つサクヤを見やる。
村の入り口。草原に面した粗雑な村の門の前では、今まさにトラブルが起ころうとしていた。
「――と、いうわけで、しばらく護衛として同行することになったハチ君だ。みんなよくしてやってくれ」
「何が『というわけで』ですか!?」
三白眼のシルフ族の男――フリックの声が、高々と周囲に響いた。その目つきの悪い瞳で、サクヤと俺を交互に睨みつける。
この場には昨日、サクヤを護衛していたシルフの面々が揃っていた。サクヤも含めて、シルフ族は総勢12人。おそらく6人パーティが2つという内訳なのだろう。フリック以外の面々は押し黙って口を開くことはなかったが、その表情を見れば俺のことを快く思っていないのは一目瞭然だった。
しかしそんな周りの空気など何処吹く風で、サクヤは飄々とした態度で口を開く。
「なんだフリック。文句があるのか?」
「ないと思ってるんですか!? こんな得体の知れない目の腐ったサラマンダーを信用出来る理由があるのなら、ぜひ教えて欲しいですねえ!!」
血管ぶち切れるんじゃないかと心配になる勢いで、フリックが喚き散らす。
まあ、彼の言っていることには割と共感できる。少なくとも俺だったらこんな会ったばかりの他種族プレイヤーは信用しない。
しかしそんな彼の剣幕にもサクヤは一切動じることなく、冷静にうんうんと頷いて口を開いた。
「それなんだがな、昨日の夜、お前たちに内緒でひとりALOにログインしたんだが」
「は?」
「そこでたまたま彼と再会して、流れで一緒に草原フィールドに行くことになって」
「はぁ!?」
「そこでケットシーのパーティに襲われたんだが」
「はぁあぁあぁッ!?」
フリックが素晴らしいリアクションでハァの三段活用を見せる。
ハァハァ三兄弟かよ! と突っ込みを入れたくなったが、何とか堪えた。結構古い漫画だし、たぶんアイシールド21ネタがわかる奴はこの場にいない。
ちらりと横目でサクヤを伺うと、冷静を装ってはいたが必死に笑いを堪えているのがわかった。おいお前、絶対こいつのリアクション見て楽しんでるだろ。
なんとなくこいつらの関係性が見えてきた。自由奔放な領主であるサクヤと、それに振り回される真面目で常識人なフリック。きっと、彼は日々苦労しているのだろう。ちょっと同情したくなってきた。
「まあそこで、ハチ君に助けてもらってね。異種族狩りを趣味にしている6人組のプレイヤーを、ひとりであっという間に全滅させてしまったんだ。はっきりと言うが、私以上の実力者だよ。その力を見込んで、事情を話して勧誘させてもらったというわけさ」
俺としては世界樹攻略についてだけ了承したつもりだったのだが、その後なし崩し的に護衛も引き受けることになってしまった。
事情を聞いたところ彼らはケットシーと同盟を結ぶための会談に向かっているところらしい。その目的地が世界樹の少し手前ということで、途中まで同行することになったのだ。
サクヤの話を聞きながら悶えるように手と口をわなわなと動かしていたフリックが、やがて大きく脱力してため息を吐く。そして恨みがましい視線をサクヤに向けて、淡々と口を開いた。
「……色々とサクヤ様に言いたいことはありますが、過ぎたことはとりあえず置いておきましょう。今はそこの男のことです」
フリックがちらりとこちらを一瞥する。居心地の悪さを感じ、俺は目を泳がせた。
ここで俺が口出しをしても事態をややこしくするだけだろう。沙汰が下るまで、ここで大人しくしていよう。そう考えて、俺はだんまりを決め込んだ。
「前領主様がサラマンダーに討たれた事件を忘れたわけではないでしょう。モーティマーは狡猾な男です。またどんな汚い策略を巡らせて、我々を狙っているのか知れたものではありません」
モーティマーとは、確かサラマンダーの領主の名前である。昨日ALOをログアウトした後、念のためサクヤがシルフの領主であることを確認しておこうとネットで調べた時にその名前を見つけたのだ。彼は《知将》などと呼ばれ謀略に長ける人物で、フリックの言う通りシルフの前領主を罠に嵌めて討ち取ったことがあるらしい。
「サクヤ様が何をもってその男を信用したのかは知りませんが、昨日今日会ったばかりのサラマンダーを仲間に引き入れるなど迂闊過ぎます。しかもこの遠征のタイミングで接触してくるなんて、作意があるとしか思えない」
フリックの進言には、断固たる意志が込められていた。絶対にサクヤを守るという意思だ。
客観的に見て、彼の言葉は正しいと言えるだろう。実際のところ俺がサクヤたちと出会ったのは完全に偶然なのだが、シルフ達の事情を知れば勘繰られるのも無理はないと納得してしまう。ナーヴギアのせいでバグったこととか色々と隠し事も多いし、それによって疑いはさらに増していることだろう。
これ、説得は無理じゃないの……? そう不安に思ってサクヤを伺うが、彼女の横顔に迷いは一切感じられなかった。
「フリック。お前が懸念するようなリスクがあることは認めよう。だがな、それを考慮に入れても、彼という戦力を引き入れることのメリットは大きい。私はシルフ領領主としてそう判断した」
「……サクヤ様の言葉を疑いたくはありませんが、にわかには信じられません。そこの
「ああ。だがまあ、これは口で説明しても伝わらないだろう。いっそここで模擬戦でもやってみるか」
「え」
だんまりを決め込むつもりが、驚いてつい声が漏れてしまった。間抜け面のまま固まる俺に向かって、サクヤが声をかける。
「どのみち戦闘テストはするつもりだったからな。ここで済ませてしまおう。構わないだろう、ハチ君?」
「いや、まあ、いいけど……」
場合によってはそのうち俺の戦闘テストもするかもしれない――そんな話は昨日のうちに聞いていた。まさか今日早々に戦うことになるとは思ってなかったけど。
まあやれと言われるのならばやるだけだ。戦闘経験を積めるのなら、むしろありがたいくらいである。昨日のケットシー戦では勝つことが出来たが、やっぱりブランクによる衰えは否めないし早めに勘を取り戻しておきたい。空中戦闘についてもまだまだ慣れていないし。
予想外の展開にもそう前向きに考えて、すわ戦闘と俺が意気込み始めたところである。さらに続いたサクヤの言葉に、すぐに出鼻を挫かれた。
「ではフリックを含めて、6人パーティで彼の相手をしてみろ。メンバーはニナと、ビクトールと――」
「え、ちょ、ちょっと待って。6対1なの? タイマンじゃなくて?」
「1対1ですぐに決着がついてしまっては、実力が判断しにくいだろう? あと、出来ればきみの戦闘能力の限界値も知っておきたいしな」
「いや、そう言われてもな……」
言いながら、ちらりとシルフの面々を横目に見る。
古森で初めて会った時の小競り合いを思い返せば、彼らは昨日のケットシーたちよりも強いのは間違いない。そもそも領主の護衛に選ばれるようなプレイヤーたちだ。その辺りのプレイヤーよりも強いのは当然だろう。
そう考えて、俺は苦い顔を浮かべて言葉を続ける。
「正直、自信ないぞ。昨日の連中は最初の不意打ちで何人か倒せたのがデカかったし」
「別に勝つ必要はないんだ。実力が証明出来ればそれでいい。あと、キルされたとしてもデスペナルティの無いようにその場で復活させるから安心してくれ。だから彼らに遠慮する必要もない」
「まあ……そういうことなら」
「……お前、俺たち6人を相手にして、勝負になると思っているのか?」
侮られたと感じたのか、フリックが敵愾心丸出しで俺を睨む。いや、言い出したのは俺じゃないからね?
「いや、だから自信ないって言ってるだろ……。けど俺は雇われてる側だし、やれって言われたらやるだけだ」
「……ふん」
社畜根性丸出しの俺の返事に納得したのかわからないが、フリックは俺を睨んだまま鼻を鳴らした。そんな彼をからかうように、サクヤがすかさず口をはさむ。
「お前らこそ油断するんじゃないぞ。昨日古森で戦った時は全員掛かりで無手の彼に翻弄されていただろう」
「あれは……!!」
おい、火に油を注ぐな。睨まれるのは俺なんだぞ。
それに俺が言うのもなんだが、昨日の遭遇戦のことはあまり参考にならない。集団戦に適していない地形だったのもあるし、そもそもフリックたちの一番の目的はサクヤの護衛だ。見晴らしの悪い森の中では周囲の警戒も怠れなかっただろうし、あの状況では全てのリソースを俺に割いていたというわけではないはずだ。
そんな理由を上げてゆけば、フリックはいくらでも自分を擁護することは出来たはずだ。しかし彼はそれをせず、一切の不満を飲み込むようにして頷いた。
「……いえ、言い訳はしません。この模擬戦でこの男を下し、傭兵など必要ないことを証明してみせます」
言って、フリックは冷静な瞳で俺を見据えた。煽り耐性が低そうに見えたが、案外そうでもないらしい。
挑発に乗って突っかかって来てくれた方が、対処はしやすかっただろう。肉体的なコンディションが存在しない仮想世界では、精神状態が大きく戦闘力に作用する。
これは、手強いかもしれない。元から侮っていたわけではないが、俺はより一層気を引き締めた。サクヤとの同行を決めたのだから、俺もそれなりに自分の有用性を証明しなければならないのだ。
その後、模擬戦の簡単なルールを決め、草原の見晴らしがいい場所に移動した。ルールとは言っても最初の立ち位置を決めたくらいで、アイテムの使用以外は基本何でもありのデスマッチだ。……デスマッチの模擬戦とはこれ如何に。
一応サクヤが用意した蘇生魔法要員への攻撃は禁じられている。1分過ぎたら蘇生できなくなるらしいから、妨害しないように気を付けなくてはならない。まあ、逆に言えば注意すべきルールはそれくらいだろう。
草原を緩やかな風が撫ぜる。周囲一帯、短い芝草ばかりだ。障害物もなく、地形を利用しての立ち回りは出来そうもない。
地力のぶつかり合いになるな。目の前に並ぶ6人パーティを眺めながら、そう分析する。お互いの腕を試すにはちょうどいいだろう。
決められた立ち位置に移動し、俺は槍を手に取った。相対する6人も真剣な表情で武器を構える。
「双方準備はいいな? では――始めっ!!」
天高く掲げたサクヤの右手が振り下ろされる。同時に、俺は槍を低く構えて駆け出した。
◆
両手槍という武器は、ALOにおいてあまり人気のない装備だ。
そもそも両手武器を扱っているプレイヤーが多くない。随意飛行を会得しなければ、飛びながら両手で武器を扱うことが出来ないからだ。
初めから随意飛行を実践出来るプレイヤーなど本当に一握りであり、多くの
かく言うフリックもALOを始めた当初からずっと片手剣を使い続けている。今では随意飛行も習得したが、変わったのは空いた左手に盾を装備するようになったことくらいだ。
そうした段階を踏んでもなお、随意飛行による空中戦に慣れるのにはフリックもかなり時間を要した。あんな
開始の合図とともに飛び立ち、奴の不慣れな空中戦で仕留める。フリックはそう考え、武器を構えた。
油断しているつもりはなかったが、この時の彼はほとんど自分の勝利を疑っていなかった。だがそんなフリックの余裕は、一瞬にして吹き飛ぶことになる。
ぬぼーっとした顔の、サラマンダーの男。目が腐っていることを除けば、何処にでも居そうな男だ。しかしそんな彼が槍を構えた瞬間、周囲の空気が変わったような感覚に陥った。
サクヤの合図とともに、サラマンダーの男が動く。虚を突かれたわけではない。しかしフリックにはその初動を捉えることが出来ず、気付けば敵は目の前へと迫っていた。
眼前に迫る青い切先。咄嗟に盾で防いだが、大きくよろめいて数歩後ずさる。速い。そして、重い。
想定外の事態に一瞬動揺したが、すぐに持ち直して追撃に備えた。だが、敵はすでにフリックの前から消えていた。
「――ぐッ!」
刹那、後方から声が上がる。振り返ると、男の持つ槍が後衛の女シルフ――ニナの胸を刺し貫いていた。次の瞬間には、彼女は薄緑色のエンドフレイムに包まれる。フリックは目を見開いて、額に冷や汗をかいた。
一撃でHPが全損――どれだけの攻撃力を持っているのだ、こいつは。いや、今はそれより倒されたニナのことだ。
まず後衛の魔術師を落とすのは、パーティ戦闘の定石だ。ニナは護衛団の中でも最も魔法に秀でたプレイヤーだった。初見でそれを悟られないように装備を偽装しているが、昨日の遭遇戦の時に彼女が魔法を使う場面は見られていた。それを覚えていたのだろう。
完全に戦い慣れしているプレイヤーの立ち回りだ。フリックは敵に対する警戒を一気に引き上げた。
「囲め!! 挟み撃ちにするんだ!!」
敵の背中に斬りかかりながら、叫んだ。幸い、深く踏み込んで来たせいで既に半分包囲するような形になっている。
フリックの剣が振り下ろされる。完璧に捉えたかと思ったが、背中に浅い傷を負わせただけに終わった。そのまま畳みかけようとしたが、サラマンダーの男は牽制するように大きく槍を振り回し、一瞬の隙をついて包囲を抜け出した。そしてすれ違いざまに、シルフのひとりに刺突を浴びせかける。2合と持たずに崩れ、薄緑色の炎が上がった。
半端な包囲では、互いにカバーが出来ずに各個撃破されてしまう。瞬時にそれを悟ったフリックは、先ほどの言葉を撤回するように新たに指示を飛ばした。
「各自散開! 上で陣形を組み直す!!」
当初の考え通り、空中戦で削る。地上戦では思わぬ不覚を取ったが、敵はまだ飛行に不慣れな
空にさえ逃げることが出来れば――そんなフリックの考えは、しかしすぐに崩れ去ることになった。
「がッ!?」
「きゃあ!?」
飛び立ったシルフ達の無防備な背中を、男の槍が貫く。赤い
陣形を組みなおすどころか合流することすら出来ず、ひとり、またひとりと仲間が打ち取られてゆく。気付けば、生き残っているのはフリックとサラマンダーの男だけになっていた。
空でフリックと向かい合いながら、サラマンダーの男は一度大きく息を吐いた。そうして息を整えて、改めて槍を構え直す。フリックは戦慄と共に、その姿を凝視する。
「まさか、お前……」
ふと、フリックの頭に過るものがあった。ここ最近、よく耳にするようになった噂話だ。
妙に強い
ALOでは運営の厳しい管理によって複数アカウントの取得が難しいため、経験者によるサブアカウントという可能性も低い。そもそもサブアカウントを作る目的の多くは他種族へのスパイ行為だ。わざわざ目立つ行動を取る必要はない。
つまり噂されている彼らは、本当に言葉通りの意味の
考えられるのは、何か他のVRゲームの熟練者たちがこのALOに流入してきているという可能性。そこまで考えが至れば、
2か月ほど前。2年間もの時を経てようやくクリアされたVRMMO。多くの人々の命を奪い、世界を震撼させたあのデスゲーム。
青い槍が煌めいた。まるで吸い込まれるように、澄んだ切先がフリックの胸を貫く。この圧倒的に不利な状況において、もはや半ば心が折れていた彼にそれを防ぐ術はなかった。
「SAO……
薄緑色のエンドフレイムに包まれながら、フリックは小さく呟いた。それは誰に届くこともなく、炎の揺らめきと共に晴天の空に消えていった。