やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:鮑旭

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第4話 手がかり

「落ち着いたか?」

「……ああ」

 

 ジンジンと痛みを放つ頬を氷嚢で冷やしながら、頷いた。

 キリトの自室である。モノトーン調のベッドと机以外あまり物が置かれていない、キリトらしい簡素な部屋だ。

 庭先でのひと悶着の後、シャワーを借りて汚れた道着から着替えた俺は、キリトに「見せたいものがある」と部屋に招かれたのだった。

 

「けどお前、もうちょっと加減しろよな……。めっちゃ腫れてきてんだけど」

「あはは。悪い悪い。けど、気合いは入っただろ?」

「まあな……」

 

 一応抗議はしてみたが、俺も本気でキリトに文句があるわけではなかった。正直、さっきまでの自分は殴られても仕方ないほどの腑抜けだったと思う。それに頬は痛むが、心は随分と軽くなったように感じる。憑き物が落ちたようだった。

 ただ1つ納得がいかないのは、俺に殴られたはずのキリトがまるで堪えた様子もなくピンピンとしていることだ。キリトが一発だけだったのに対し、俺は何度も殴りつけたはずなので、むしろあっちの方がダメージを負っていていいはずなのだが……え? 俺の腕力、低すぎ……?

 

「エギルが、妙なスクショを送ってきたんだ」

 

 デスクトップPCを立ち上げながら、キリトが口にした。俺は意識を切り替え、視線をそちらに送る。

 

「妙なスクショ?」

「ああ。つーかハチ、皆とメールのやり取りしてないだろ。アドレス教えてやったのに」

「あー、うん。まあそのうちな」

「……まあいいや。とりあえず、これ見てくれ」

 

 キャスター付きの椅子で、キリトが体をスライドさせる。ディスプレイを覗き込んだ俺の目に映ったのは、画質の荒い一枚の写真だった。

 一見しただけで、現実世界で撮った画像ではないということは分かった。キリトがスクショと言った通り、ゲームか何かの画像、見たところおそらくポリゴン製の仮想世界の映像だろう。

 手前一面には、装飾された金色の格子が並んでいた。その向こう、偶然映り込むようにして撮られていたのは、白い椅子に腰かける1人の女性。その横顔を目に捉えた瞬間、俺は息を飲んだ。

 

「アスナ……?」

「やっぱり、ハチもそう思うか」

 

 知らず、彼女の名前を呟いていた。

 いや、確信はない。かなり荒い画像だ。おそらく、スクリーンショットの一部を拡大した画像なのだろう。個人を識別出来るほどの画質ではない。

 しかし、この凛とした横顔。栗色の髪。身体を形作るなだらかなライン。その1つ1つが、よく見知った彼女を想起させた。

 

「何の写真なんだこれは!?」

「落ち着け。ちゃんと全部話すから」

 

 気付けば、指が食い込むほどに強くキリトの肩を掴んでいた。冷静なキリトの言葉に我に返り、手を離す。悪い、と一言謝罪して後ずさった。そんな俺にひとつ頷き返してから、キリトが説明を始める。

 

Alfheim Online(アルヴヘイム・オンライン)。今人気のVRMMOだそうだ」

「アルヴ……?」

「アルヴヘイム。妖精の国って意味らしい。まあ、名前の割にそんなほのぼのしたゲームじゃないらしいけど」

 

 言いながら、キリトがインターネットブラウザを開く。そのままブックマークをクリックすると、(くだん)のゲームの公式ホームページらしきサイトが画面いっぱいに開かれた。

 トップ絵では背中から虫っぽい(はね)の生えた人型のアバターが、幾人も舞うように空を飛んでいた。これが妖精だろうか。それぞれ髪の色や(はね)の作りが違うので、多分いくつかの種族があるのだろう。

 

「PK推奨、プレイヤースキル重視。結構ハードなゲームみたいだぜ」

「え、何その殺伐としたゲーム……。絶対やりたくないんだけど。つーか、そんなゲームが流行ってんのかよ」

「ああ。なんでも、一番の売りは《飛べる》ことらしい。フライト・エンジンってのを搭載してて、慣れるとコントローラなしでも自由に飛びまわれるんだってさ」

「へえ……」

「へえって……反応薄いな。これ、結構凄い技術なんだぞ。人には元々(はね)はないから、任意でそれを動かすのに――」

「あー、そういうのはいいから。さっさと本題に入ってくれ」

「……わかったよ」

 

 こいつにこういう話を語らせ始めると長くなる。俺が急かすように口を挟むと、キリトは若干残念そうな表情を浮かべつつも頷いた。

 

「さっきのスクショが撮られたのは……ここ。世界樹ってエリアだ」

 

 ゲームの公式サイトをスクロールしたキリトが、出てきたマップの中央を指さした。

 

「全プレイヤーの当面の目標は、他の種族に先駆けてこの世界樹の上にある城に到達することらしい」

「ふーん……ん? そんなん飛んでいけば一発じゃないのか?」

「なんでも滞空時間が決まってるらしくて、無限には飛べないんだと。普通に飛んだらこの樹の一番下の枝にも到底たどり着けない。けどまあ、何処にでもこういうルールの抜け穴を突く奴はいるもんで」

 

 話しながら、キリトがディスプレイに向けていた視線をこちらに寄越す。

 

「5人のプレイヤーが体格順に肩車して、多段ロケット方式で樹の枝を目指したんだ。目論見は成功して、枝にかなり近付いたらしい。まあ結局ぎりぎり届かなかったみたいだけどな。その後すぐに緊急メンテで修正が入って同じことは出来なくなったけど、例の5人目のプレイヤーが最高到達高度の証明にしようと何枚も撮った写真がネットに上がって、一時期話題になったってわけだ」

「じゃあそれに写り込んでたのが、さっきの……」

「ああ。拡大する前の写真は、枝からぶら下がるでかい鳥籠だったって話だ」

「鳥籠……?」

 

 その不穏な響きに、俺は眉を顰めた。

 仮想世界で鳥籠に囚われている、アスナに似た女性。現実世界でナーヴギアを被り、眠り続ける彼女。

 根拠も証拠もない。だが、俺にはどうしてもその2つに繋がりがあるように思えてならなかった。

 

「300人の未帰還者、その原因は色々と憶測が飛び交ってるけど、世間じゃ3つの説がよく取り上げられてる」

 

 キリトが、唐突に話を変えた。目をやると、キリトは真剣な表情で指を1つ立てる。

 

「1つは、茅場の陰謀が続いてるって説。ニュースとかだとこれが一番有力視されてるけど……個人的には、それはないと思ってる」

「まあ、俺も同意見だな」

 

 例の画像から頭を切り替えながら、キリトの話に相槌を打つ。思い出すのは崩壊するアインクラッドを前に、長年抱え続けてきた想いを吐露(とろ)する茅場晶彦の姿だった。敵同士ではあったが、俺たちと茅場の間には妙な信頼関係があった。この期に及んで、あいつは俺たちを謀るような真似はしないだろう。

 俺の同意を得られたところで、キリトは2本目の指を立てながら話を続ける。

 

「2つ目、単なるシステム的な不具合によるもの。これはまあ、あり得ないとは言い切れないけど、個人的には可能性は低いと思う。SAO事件が起こった当初、世界中のエンジニアが集まって人質の解放に当たったって聞いてる。2年以上もそれを阻止し続けた茅場が、最後だけそんなミスをやらかすとは思えない」

 

 技術的な話は、俺にわかるものではない。しかしキリトの言にはそれなりの説得力があるように思えて、俺は黙って話の先を促した。そしてキリトはゆっくりと3本目の指を立てる。

 

「だから、俺が支持するのは3つ目――第三者の介入による意図的なもの」

 

 瞬間、俺たちの間に緊張が走った。

 第三者の介入による意図的なもの――つまり、アスナの精神は悪意ある何者かの手によって囚われていると、キリトはそう言っているのだ。

 鳥籠の中に囚われているという、白い服の女性の画像に再び目をやった。

 

「それで、ここまでの話を踏まえて、これを見てほしい」

 

 そう言ってキリトがデスク横の棚から取り出したのは、ゲームのパッケージらしきプラスチック製の薄い箱だった。受け取り、それをまじまじと見つめる。描かれているのは、先ほどPCのサイトで見た妖精たちの姿だ。

 

「これは……」

「アルヴヘイム・オンラインのパッケージだ。裏のメーカーのところを見てくれ」

 

 言われるがまま、パッケージを裏返す。右下に印字されていた会社名は、どこか既視感のあるものだった。

 

「レクト、プログレス?」

「ああ。調べてみたら、レクトの子会社みたいだ。……関係ないと思うか?」

「……須郷」

 

 知らず、呟いていた。

 300人の未帰還者。眠り続けるアスナ。この状況が何者かが意図したものだとすれば、それによって利を得ている存在がいるということだ。キリトによれば、レクトに所属するあの男はアスナの昏睡状態を利用して結城家に取り入るつもりらしい。

 そこまで考えて、しかし俺は自分の推論を否定するように(かぶり)を振った。

 

「いや……いやいや、さすがにあり得ないだろ。結城の家に取り入るためだけに、300人も巻き込むか? リスクがでかすぎる。そんな馬鹿な奴には見えなかったぞ」

「ああ。仮に須郷がこの事件に絡んでいるとしても、目的はそれだけじゃないと思う。事件の規模的に単独犯とも考えにくいし、協力者はいるはずだ。だからきっと、組織的な旨味がある」

「組織的な旨味?」

「考えたくもないけど……。300人の生きている人間のサンプルがあるんだ。ナーヴギアを使えば人間の脳に直接干渉できる。倫理的な問題さえ無視すれば、いくらでも利用価値はある」

「それは……人体実験ってことか?」

 

 キリトは言葉を返さなかった。ただ、厳しい表情を浮かべるだけだ。

 腹の底で、どす黒い激情が渦巻いた。アスナの身体(からだ)が、精神(こころ)が、悪意ある者の手によって弄ばれている。考えただけで、怒りで気が狂いそうだった。

 そんな激情を、しかし俺は咄嗟に押さえつけた。拳を握りしめ、歯を食いしばって大きく息をつく。

 アスナを救うためなら、鬼にでも悪魔にでもなる覚悟はある。だが、それは今ではない。今は状況を見極めなければならない時だ。

 荒くなっていた呼吸を整えると、段々と冷静な思考が戻ってきた。右手に持っていたゲームのパッケージを再びまじまじと見つめる。

 

「……お前は未帰還者たちの件に、レクトが絡んでると考えてるんだな?」

「ああ。アーガスが潰れた後、SAOのサーバー維持を委託されたのはレクトだ。この写真や須郷のことを抜きにしても、まず疑うべきはそこだろう」

 

 筋は通っている。というか、300人の未帰還者の件で利を得ている存在がいるとすれば、現状それは茅場晶彦かレクトしか考えられなかった。

 

「この話、警察には?」

「いや。ただの推察で、証拠も何もない話だしな……。というか俺がこんな簡単に考え付く可能性に、警察が気付かないはずないよ。それでも尻尾を掴ませないってことは、本当にレクトは関係ないか、あるいは相当上手く隠してるんだと思う。だから、俺たちは警察とは違うアプローチで攻めてみようと思うんだ」

「違うアプローチ?」

 

 俺が問い返すと、キリトはニヤリと笑みを浮かべて答えた。

 

「ゲームを攻略して、彼女に会おう。死んでもいいゲームなんて、俺たちにはぬるすぎるくらいだろ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、おかえりお兄ちゃん。ねえ、なんかお兄ちゃん宛てに大きい荷物が――って、どうしたのその顔!?」

 

 キリトの家から帰宅した俺を迎えたのは、驚愕する小町の声だった。たまたま玄関を開けたところで鉢合わせをした小町は、青く腫れあがった俺の左頬を見つめてポカンと口を開けている。

 如何にも『殴られました』と言うような痣だ。普段喧嘩どころか虫も殺さないような俺がそんな傷をこさえて帰ってきたとなれば驚きもするだろう。

 小町を心配させてしまうのは本意ではないが、さすがに今日の出来事を仔細説明するのは気恥ずかしい。俺は腫れた頬を隠すように小町から顔を逸らし、靴を脱ぎながらその場を誤魔化すように口を開いた。

 

「いや、なんつーか、その……青春してきた」

「せ、青春……? 夕暮れの河川敷でマブダチと殴り合ってきたってこと……?」

 

 俺が口にした適当な台詞に、小町はそんな呟きを返した。我が妹ながら、青春のイメージがステレオタイプ過ぎる。今日日マブダチなんて言葉聞かねーぞ。まあ、シチュエーション以外はそう間違ってもいないんだけど……。

 

「……いや、冗談だ。大丈夫、ちょっと転んだだけだよ」

「ふーん……? ホントに大丈夫?」

「大丈夫だ、問題ない」

「それってダメな時の台詞じゃない?」

 

 そんなやり取りを交わしながら、リビングに上がる。小町はずっと疑わし気な視線を向けて後ろをついてきたが、俺はあえて無視してリビングの中を見回す。目当ての物はすぐ隣、ドアの横に置いてあった。

 

「荷物ってのはこれか」

「あ、うん」

 

 小町の声を背中に受けながら、大きなダンボールに張られた送り状に目を落とす。依頼主の欄には『総務省総合通信基盤局高度通信網振興課第二分室』という見慣れない文字が並んでいた。物々しいにも程がある。

 確か、通称『仮想課』とか言われる部署だったはずだ。SAO事件の調査やその他VRMMO世界の監視などを行っている……と、キリトが言っていた。

 

「なんか送り主の名前のところが凄いことになってるんだけど……。お兄ちゃん、何かしたの?」

「いや俺がっていうより、桐ケ谷がな……」

「桐ケ谷さん?」

「ま、色々あんだよ」

 

 誤魔化しながら、荷物を持ち上げる。見た目の大きさほど重くはない。最近リハビリを怠っている俺でも十分持ち運べる重さだ。

 

「悪いけど、ちょっとやることあるからしばらく部屋籠るわ。晩飯には降りてくるから」

「え、あ、うん。わかった」

 

 言って、そそくさと歩き出す。小町からは始終こちらを窺うような視線を感じたが、呼び止められるようなことはなかった。しかしリビングを後にする直前、俺は少し考えて足を止める。

 小町にはSAOの事情は何も話していないし、俺が抱える問題も極力悟られないようにしてきたつもりだ。しかし兄妹だからだろうか、それとも小町が特別敏いのか、最近は何かを察したように俺を気遣ってくれることが多かった。

 問題が解決したわけではないが、ひとまず俺の心の中では一区切りついたつもりだ。これ以上小町に心配をかけないためにも、ここは一言言っておくのが義理というものかもしれない。そんなことを考えながら、口を開く。

 

「あー……、小町。最近は色々心配かけて、悪かったな。もう大丈夫……ってわけでもないけど、とりあえずお兄ちゃん頑張ってみるから」

「え、何、急に。素直なお兄ちゃんとか、ちょっと気持ち悪い……」

「……」

 

 引き気味の小町から、冷たい視線が飛んでくる。解せぬ。さっきまでの兄を気遣う優しい妹は何処に行ったんだ……。

 そうして俺が閉口していると、しかし小町はやがて堪えきれないように笑みをこぼした。

 

「けど……うんっ。小町的にはポイント高いよ! なんかわかんないけど、頑張ってねお兄ちゃん」

「……おう」

 

 

 

 

 

 

 

 

「あいつ、マジでやったのか……」

 

 自室に戻り、早速届いたダンボールを開封した俺は、思わずそう独り言ちた。

 丸めた厚紙の緩衝材とともにダンボールの中に収められていたのは、少し古ぼけたヘッドギア型ゲーム機器。それは忘れもしない……2年前、俺たちをデスゲームと化したSAOへと誘い、閉じ込め続けた悪魔の機械――ナーヴギアだった。

 

 ダンボールから取り出し、繁々とそれを見つめる。元は濃紺に輝いていた外装は所々塗装が剥げてしまっていて、小さい傷も散在しているが、一見するとまだ十分使えそうである。まあ、あの茅場晶彦がデスゲームのために開発した機械だ。そう簡単に壊れるものではないだろう。

 本来ならこんな一般家庭にあっていいものではないのだが……ALOをプレイするためにキリトが調達したものだ。どんな手を使ったのか知らないが、俺とキリトが使用していたものを総務省から奪い返したらしい。

 

『どうせアミュスフィア買う金なんかないだろ? それにスペック調べた感じだとナーヴギアから安全面を強化しただけみたいだし……むしろ出力を抑えてない分、ナーヴギアの方が性能はいいんだぜ。解像度とか』

 

 そんなことをいい笑顔でのたまっていたキリトのことを思い出す。ゲームオタクであり機械オタクでもあるキリトにとっては、安全面より解像度の方が大事らしい。SAO被害者に対してナーヴギア送り付けるとか、頭おかしいんじゃないのあいつ。

 とは言ったものの、正直なところ俺はナーヴギアそのものに対してトラウマだとか、恐怖を抱いたりするようなことは特になかった。SAOに囚われていた間ナーヴギアを意識するようなことはなかったし、世間のイメージとは裏腹にSAO事件当事者である俺たちにとってはナーヴギアが恐ろしい機械だといわれてもあまり実感はないのだ。

 

 それでも世間的には多くの人間を死に至らしめた悪魔の機械である。安全性に問題ありということで国に押収されていたのだが、今回キリトのお節介によって手元に戻ってきた。これ、他所にバレたら結構やばいんじゃないだろうか。

 実のところSAO事件の慰謝料の一部を両親から受け取っていたので、アミュスフィアを買う程度の資金はないこともなかったのだが、まあ節約できるに越したことはない。ここはありがたく使わせてもらうとしよう。

 

 既にALOのソフトは用意してある。準備のいいキリトが『この春、友達と一緒にALOを始めよう! お得なダブルパック!』とやらを購入していたらしく、その片割れを譲り受けてきたのだ。

 パッケージから取り出したソフトを差し込み、ナーヴギアを装着する。電源に接続して起動ボタンを押すと、問題なく稼働を始めた。Wi-Fiなどの設定を手早く済ませ、ベッドに横になってひとつ息をつく。

 トラウマなどはない――などと言っておきながら、いざとなるとちょっと緊張してきた。それでも、今の俺に逃げるという選択肢はない。もう一度大きく息を吐き、ゆっくりと目をつむった。

 

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 ALOについては帰りの電車の中、スマホを使って色々と調べた。

 アルヴヘイムという大陸を舞台とした今人気のVRMMOであり、いわゆるキャラクターごとの《レベル》は存在しない。そのためプレイヤーごとにステータスの差が大きく開くということはなく、戦闘能力はプレイヤーの運動能力に大きく依存するという仕様だ。各種スキルは反復使用で上昇していくようだが、それもステータスにはほとんど影響しないらしい。

 個人的には普段手を出さないようなハードなゲームだ。だが今回だけは、さっさと世界樹の攻略に向かいたい俺とキリトにとってありがたい仕様である。

 プレイヤーの最終目標が世界(ワールド)の中心にある世界樹を攻略することだというのは既にキリトから聞いていた通りだ。だが調べていくうちに、その攻略の得点というのが中々きな臭いものだということがわかった。

 

 まず大前提として、プレイヤーが作成できるキャラクターには9つの種族が存在する。

 

 武器の扱いと攻撃に長け、主に火属性魔法が得意な火妖精族(サラマンダー)

 飛行速度と聴力に長け、風属性魔法が得意な風妖精族(シルフ)

 回復魔法と水中活動に長け、水属性魔法が得意な水妖精族(ウンディーネ)

 トレジャーハントと幻惑に長け、幻影魔法が得意な影妖精族(スプリガン)

 武器生産及び各種細工を生産することに特化した工匠妖精族(レプラコーン)

 敏捷性に長け、モンスターのテイミングを得意とする猫妖精族(ケットシー)

 耐久力と金属等の採掘に長け、土属性魔法が得意な土妖精族(ノーム)

 暗視・暗中飛行に長けた闇妖精族(インプ)

 歌唱、楽器演奏による支援魔法に長けた音楽妖精族(プーカ)

 

 このうち、世界樹を攻略し、その上に住まうという妖精王オベイロンと一番最初に謁見を果たした種族だけが光妖精族(アルフ)と呼ばれる上位種族に進化することができ、飛行時間の制限がなくなるらしい。

 そう、クリア特典を受け取ることが出来るのは『一番最初にオベイロンと謁見を果たした種族だけ』なのである。これでは他の種族と協力プレイなど出来るはずもないし、むしろ蹴落としあうのが道理だ。他でもない運営が種族間の対立を煽っているのだ。他種族のPK推奨などと言われる所以(ゆえん)である。

 しかし個人的に、これはゲームデザインとして不自然なように思う。武器戦闘が得意な種族、回復が得意な種族、サポートが得意な種族など、明らかに他種族同士での協力プレイを意識した作りになっているにも関わらず、実質種族混合でのパーティプレイが出来ないようになっているのだ。

 

 これがただの運営のミスなのか、それとも意図したものなのか。意図したものだとすれば、その目的は何なのか。

 ネットでは世界樹の攻略は難易度が高すぎて、単一種族での攻略は不可能だなんて言っている奴もいた。あえて種族間の協力を妨害しているのだとしたら、運営はまだプレイヤーたちに世界樹を攻略させるつもりがないのかもしれない。

 

 そんな状況で、俺とキリトは世界樹の攻略を目指さなければならないというわけだ。キリトは「死んでもいいゲームなんてぬるすぎるぜ!」などと決め顔で言っていたが、そう簡単な話ではないかもしれない。

 まあやる前から状況を憂いていても仕方ない。とりあえず情報収集しながら世界樹を目指し、一度ダメ元で挑戦してみるべきだろう。それこそ死んでもいいゲームなのだから。

 

「キリトはスプリガンにするとか言ってたか。あいつ、ホント黒いのが好きだよな……」

 

 ゲームのオープニングをすっ飛ばし、初期設定入力画面までたどり着いた俺はそう呟いた。

 キリトはこういうのは案外直感で決めるタイプである。ネットで評判を見た感じだとスプリガンはあまり人気がないようだったが、まああいつならどの種族でも使いこなしてみせるだろう。

 ちなみに俺はキャラメイクには時間をかけるタイプだ。モンハンではハンターのみならずオトモアイルー、オトモガルクともに拘って作ったものだ。その無駄な拘りのせいでプレイするまでに数時間かかるのだが。

 幸いALOは種族と名前だけ決めたらプレイヤーのアバターはランダム生成してくれるタイプである。余計な時間を食うこともないだろう。

 

 360度、見渡す限り続く霞色(かすみいろ)の空間の中、目の前に突然光るキーボードが出現する。俺は女性の合成音声に従ってそのキーボードを操作し、アカウント設定などを手早く済ませた。次いでキャラクターネームの入力画面となり、手を止める。少し迷ってから、俺は結局《Hachi》と入力することに決めた。

 この名前は、SAOでは少し有名になり過ぎた。だから変えておきたいという気持ちも若干あるのだが……。まあSAO内の情報は基本的に秘匿されているし、他の場所で同じ名前を使ったところで実害はないはずだ。それにTVゲームならともかく、VRゲームでは馴染みのない名前にすると混乱するし、結局どんな名前にしたところでキリトは俺のことをハチと呼ぶだろう。ならばここで時間を使って考えるだけ無駄である。

 

 ネカマプレイをする気もないので性別は迷わず男性を選ぶ。次に合成音声はキャラクターの作成を促した。とは言ってもここで出来るのは種族の選択だけだ。見本アバターなのだろう9体の妖精族が目の前に出現する。……ちょっとビビったのは内緒だ。

 それで、肝心のどの種族を選ぶのかだが……正直、まだ決めあぐねている。

 キリトと同じスプリガンを選ぶというのも、まず1つの選択肢だ。新規プレイヤーはそれぞれの種族の領土からスタートすることになるらしいので、同じ種類を選べばすぐに合流出来るというのは利点だろう。しかし、やはり単一の種族ではお互いの不得意な部分をカバーすることが出来ないので、最終的に世界樹の攻略を目指すことを考えれば別種族で始めた方がいいように思う。

 となると他の選択肢は、単独での戦闘力が高いと思われるサラマンダー、シルフ、ケットシーあたりだ。ケットシーの一番の強みはテイミングなので、モンスターの育成などを考えると大器晩成型になる。今回はなるべく早く世界樹の攻略にかかりたいので、まずケットシーは除外となる。

 

 飛ぶことが出来るゲームでシルフの飛行速度に優れるという特性は結構なアドバンテージだろう。ただ、空中戦闘については相応の慣れかセンスが必要という話であり、個人的にその辺りはあまり自信がない。もし空中戦闘に適性がないということになれば、宝の持ち腐れということにもなりかねない。

 そうなると、武器戦闘に長けるというシンプルに強い種族であるサラマンダーが一番か。序盤から終盤まで腐りにくい個性だし、勢力的にもサラマンダーは今最も力を持っていると聞いた。その恩恵に与れるのも大きいだろう。

 赤いし暑苦しそうな種族だからあまり好みではないのだが……まあ、ここは大人しく実利を優先しよう。

 

 キーボードを操作してサラマンダーの種族を選択をする。キャラメイクのやり直しはきかないらしいので、しつこいくらい確認の選択肢が出てきたが、俺は適当に連打して先に進める。

 ようやく全ての初期設定が終わったらしく、「幸運を祈ります」という合成音声に送られて、俺は光の渦に包まれた。床の感覚が消え、妙な浮遊感の中、徐々に視界が開けてくる。

 眼下に広がるのは、月明かりに照らされた広大な砂漠だ。なだらかな砂丘が続く中、俺の目を引いたのは異様な存在感を放つ巨大な都市。四方で大きなかがり火を焚く様はまるで城砦のようだった。

 あれがサラマンダーのホームタウンか。まずは装備を整えるところから始めないとな、などとのんきに考えているうちに、視界はぐんぐんと都市へと近づいていき――。

 その時、唐突に全ての映像がフリーズした。 

 

「な、なんだ……!?」

 

 困惑する俺に追い打ちをかけるように、視界にはノイズが走り始める。さらにモザイク状に視界がぼやけていき、やがて世界が解け崩れていくように消えて、視界が暗転した。同時に、身体を支配していた浮遊感が消えて猛烈な落下の不快感が襲ってくる。気付けば俺は途方もなく広い暗闇の中を、果てしなく落ち続けていた。

 

「どうなってんだぁぁぁぁぁ」

 

 誰に届くわけでもない俺の叫び声が、虚空の中にむなしく溶けていった。


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