やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:鮑旭

51 / 62
第50話 決戦

 耳が痛いほどの静寂が場を支配していた。

 麻痺によって拘束されている周りのプレイヤーたちも、固唾を飲んで趨勢を見守っている。今この瞬間、この交渉にSAOクリアが掛かっているということに、彼らも気付いているのだろう。

 そんな中、俺は沈黙する茅場を静かに見つめ、槍を構え続ける。

 

 ――乗ってこい。

 

 平静を装ったまま、心の中で叫んだ。

 茅場に対する俺の挑発は、全くの的外れというわけではないはずだ。奴がこの提案に乗ってくる可能性は低くない……はずである。

 緊張で、口の中が渇いてきた。胃も痛い。いや、どっちの感覚もシステム的には感じないはずだから、ただの錯覚なのだが。

 

 この場の全員が、茅場の一挙一動に注目している。沈黙の中、どれだけの時間が経っただろう。ようやく反応を見せた茅場が発したのは、大きな笑い声だった。愉快そうな表情を顔に張り付けたまま、言葉を続ける。

 

「最高の口説き文句じゃないか。まさか君のような少年に、そこまで看破されるとは……。ああ、君の言う通り、その葛藤は常に私の中にあった」

 

 葛藤――デスゲームの中にありながら、1人安全圏に立っていたということ。この状況を作り上げた張本人でありながら、本質的には部外者であったということに対する忸怩たる思いだろう。

 

「ゲームを完成させるためには、アインクラッド第100層の最終ボスであるこの私が途中退場するわけにはいかない。しかし、この世界で生きる君たちの息吹を間近で感じたいという欲求は日々大きくなっていった。だから1つの演出として、私もこのゲームに参加することにしたのだよ」

 

 茅場自身が、このゲームの最終ボス。なるほど、それなら確かに途中退場は許されない。道中のモブに倒されてラスボスが不在になる、などという間抜けな終わり方はゲームとして到底許容できるものではない。

 

「先ほども言ったが、第95層をクリアした時点で私は自分の正体を明かすつもりだった。長らく攻略組を率いてきたトッププレイヤーの1人である私が、一転して最強の敵となる。ベタだが、悪くない演出だろう?」

「悪趣味だな」

「見解の相違だね」

 

 茅場がおどけたように首を振る。まあゲームの演出としてはともかく、アインクラッド攻略終盤でそんなことが起きればプレイヤーたちに与える衝撃は相当なものとなっただろう。

 

「まあ、それもただの建前さ。ただ眺めているのが退屈だったから参加した。君たちに交じってゲーム攻略に邁進する日々は楽しいものだったが……虚しくもあった。君の言う通り、私だけがこの世界で偽物だったからだろう」

 

 息を継ぐように、茅場はしばし沈黙した。そしてやがて大きな決断を下すように、大きく頷く。

 

「君の申し出、喜んで受けさせてもらおう」

 

 ――食いついた。

 

 俺は興奮して目を見開いたが、すぐに努めて頭を冷やした。まだ細かい条件を詰めていない。この場で勝負し、茅場を倒したところで、結局SAOがクリアされないのならば意味はないのだ。

 

「一応確認しとくけど、お前を倒したらゲームクリア……ってことでいいんだよな?」

「ああ、安心したまえ。SAOの最終目的はアインクラッド第100層《紅玉宮》の主たるこの私を打倒すること。随分なショートカットとなるが、私さえ倒すことが出来ればゲームはクリアとなる。その場合、現時点で生き残っている全プレイヤーたちを速やかにこの世界から解放することを約束しよう」

「……わかった」

 

 黙って趨勢を見守っていたプレイヤーたちが、騒めきだした。無理もない。2年間あれだけ切望していたSAOからの解放が、いまや手を伸ばせば届く場所にあるのだ。

 

決闘(デュエル)の形をとるかね?」

「いや、いらないだろ。どうせどっちも降参(リザイン)なんかしないんだ。死んだ奴の負け。その方がわかりやすいだろ?」

「……いいだろう」

 

 茅場は少し考える様子を見せたが、やがてはそうして頷いたのだった。

 死んだ奴の負け。細かいルールについての言及はない。そして俺は今まで一言も『()()勝負しろ』とは言っていない。もし俺以外のプレイヤーがこの場に乱入して茅場を倒したとしても、奴が死にさえすれば俺たちの勝利である。

 

 これで、全ての条件はクリアされた。

 

 小躍りしたくなるような気持ちが胸に広がったが、それを飲み込んで大きく息を吐いた。まだ前提条件をクリアしただけだ。本当の戦いはここからである。

 用意した全ての手札を以ってして、ここで茅場晶彦を倒さなければ――いや、殺さなければならない。

 不意に、麻痺によって蹲るアスナと目が合った。その瞳からは明らかな不安が見て取れたが、彼女をなるべく安心させるように、力強く頷いてみせた。

 俺は今、1人でこの舞台に立っているわけじゃない。だからきっと、大丈夫だ。

 

 構えていた槍を軽く握り直し、茅場へと視線を戻す。まだ剣も抜いていないことを確認し、俺は腰に装着されたポーチから素早く虹色の飴玉を取り出して口に放り込んだ。小さなそれを奥歯で噛み砕くと、奇妙な味が口の中に広がるのと同時に、視界の左上、HPバーの横に各種バフが付与された証である様々なマークが表示された。

 雪ノ下お手製の、各種バフ効果を持つ飴玉である。《錬金術》スキルの熟練度が上がったことで、数種類のポーションを混ぜ合わせて固形化することが出来るようになったのだ。この状態ならば戦闘中だったとしても、一瞬の隙を見て飴玉を口に放り込むことが出来るので重宝している。

 

 ――死ぬことは、許さないわよ。

 

 この飴玉を手渡した時の、雪ノ下の言葉を思い出す。言葉だけは高圧的だが、その眼差しも声音も俺への気遣いで溢れていた。

 アスナにしろ雪ノ下にしろ、このSAOがクリア出来るかどうかという瀬戸際で、人の心配ばかりだ。本当に、俺には勿体ないような仲間たちだった。

 

 ちらりと、茅場がこちらを伺う様子を見せる。さすがに奴も俺が何か口にしたのは気付いただろうが、特に見咎められることはなかった。まあ、ちょっとバフを盛ったくらいで、今まで本当の意味でチートを使っていた奴に文句なんて言われたくないが。

 

「準備は終わったかね。さて、では始めようか」

「ああ」

「しかし、開始の合図がないと言うのはどうにも締まらないな。月並みに、コインでも投げてそれが地面に落ちたら勝負開始としようか」

「西部劇かよ……。お前、意外とそういうお約束が好きだよな」

「ふっ。童心を忘れない質なのでね」

 

 キザな笑みを浮かべた茅場が、ストレージから銀色のコインを取り出した。よく見えるようにコインを掲げながら、俺から少し距離を取るように数歩後ずさる。彼我の距離10メートルというところで立ち止まった茅場は、ガントレットを付けたままの指で器用にコインを宙へと弾き飛ばした。

 

「では、尋常に」

 

 コインが高く放物線を描く中、茅場が静かに剣を抜き、盾を構えた。

 悪いが、尋常な勝負に付き合ってやるつもりはない。心の中で俺はそう毒突いた。どんな手を使ってでも、お前を殺す。その覚悟を決めて、ここに来たのだ。

 

 コインが落下していく様子は、心なしかゆっくりに思えた。茅場の姿を真っ直ぐに見据え、コインの行方を目の端で捉えながら、俺は槍を一層低く構える。

 銀色の軌跡が視界を縦断していった。やがてか細い金属音が、部屋に響き渡る。

 

 最後の戦いは、そうして静かに始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本命はキリトによる不意打ちではあるが、俺は俺で茅場を倒すために全力を出さなくてはならない。最初から囮のつもりで戦えば、勘の良い相手にはすぐに他に狙いがあることを悟られてしまうだろう。本気でやるからこそ、囮は囮になりえるのだ。ジャンプの某バレーボール漫画でもそんなことを言っていたから間違いない。

 だがしかし、ある程度の時間は稼がなければいけないと言うのも事実だ。迷宮区の中から街に居るプレイヤーと連絡を取る手段はない。だからキリトは特に合図などはなく、予め決めておいた時間に回廊結晶を使ってここに来る手筈となっている。

 茅場に勝負を仕掛ける前に時計を確認しておいたが、約束の時間までまだあと5分以上はあった。少なくともそれだけの時間は稼がなければならない。

 

 初めから無限槍で勝負を仕掛けるのは、少し難しいだろう。死域に入れば恐らく5分程度なら問題なくソードスキルを使い続けられるだろうが、茅場が相手では絶対の自信はない。1度でもミスをすれば技後硬直にカウンターを食らい、ゲームオーバーである。神聖剣は特別攻撃力の高いスキルではないはずだが、それでも軽装備アタッカーである俺の紙装甲など貫通して一気にHPを全損させるだろう。

 まあそもそも、初っ端から切り札を切ることが本気で戦うということではない。探りを入れ、崩しにかかり、ここぞと言うところで渾身の攻撃を仕掛けるのが俺のスタイルだ。むしろいきなりイチかバチかの攻撃に出れば、逆に勘ぐられそうなものである。

 

 長々と語ってしまったが、まあ要はいつも通り戦うべきだということだ。

 いつも通りしつこく、いやらしく、ねちっこく、汚い手を使って戦うのである。その為に、今日は色々と準備をしてきてある。

 

 コインの落ちた音が耳に届いた瞬間、駆け出した。対する茅場は動かない。

 10メートル程度の距離など、現在の攻略組アタッカーからすればあってないようなものだ。次の瞬間にはぶつかり合い、勢いそのままに俺は茅場の頭上を通過しながら槍を振るう。刹那、鈍い金属音が三度響いた。着地し、さらに探りを入れるように攻撃を加える。

 

 やはり、容易に茅場の防御を抜くことは出来ない。神聖剣による破格の防御性能に加え、茅場自身の盾の扱いも巧みだ。初手以降も俺は走り回り、少しでも相手の体勢を崩そうと何度か仕掛けたが、茅場はほとんどその場から動きもせずに全ての攻撃をいなした。まあ、想定通りだ。ソードスキルを使えなければ、どうしても決め手に欠ける。

 

「ふむ。いつの間にか、随分とステータスが強化されているな。かなり無茶なレベリングをしたのではないかね?」

「おかげ、さまで、な!」

 

 俺の攻撃に剣を合わせながら、茅場が言った。その余裕な態度に少し腹が立った俺は悪態を返しながら槍を振るい、最後に鬱憤を晴らすように、槍の柄を茅場の盾へと思い切り叩き付ける。その反動に乗って、一旦大きく距離を取った。

 茅場は、追って来なかった。自分から仕掛けてくるつもりはないらしい。静かに剣と盾を構えたまま、薄く笑みを浮かべている。

 

「私を倒すために、水面下で準備を進めてきたと言うわけか……。ふっ、これは気を引き締めてかからねばならないようだ」

「……その割に随分と余裕そうだな」

「そういう性分なのでね。気を悪くしたなら申し訳ないが」

 

 そう言って、茅場はくつくつと笑った。この状況を楽しんでいるのは間違いないようである。

 茅場の言う通り、俺はこの場に臨むために短期間で相当なステータス強化を行っている。現在、俺のプレイヤーレベルは105。これは間違いなく今SAOにいる全プレイヤーの中でトップの数値のはずだ。対する茅場のレベルは――奴がデータの改ざんを行っていないというのが大前提だが――高く見積もっても恐らく100は超えないはずである。

 トウジと雪ノ下を引き込んだことにより、ギルドの予算をかなり横流しして装備も整えている。錬金術スキルによるバフアイテムの効果も高い。数値上のステータスだけで言えば、俺は茅場のそれを大きく上回るはずだった。

 

 だが、今のところのそのステータス差を実感できるほどの手ごたえはない。ちょっと神聖剣強すぎませんかね……。まあ心の中で愚痴っていても仕方がないので、俺はすぐに頭を切り替える。

 

 正直、あまりのんびり構えている余裕はないのだ。奇襲の成功率を上げるためにも、茅場の意識はなるべく俺に集中させておきたかった。探り合いはこれくらいにして、そろそろ仕掛けなければならない。この時のために、とっておきの小細工を用意したのだから。

 

 茅場を中心に円を描くように、俺は駆け出した。同時にレッグシースに差された投擲用ナイフを右手で抜き取り、そのまま振り上げて茅場に向かって投げる。ソードスキルは使用していなかったが、その攻撃は正確に茅場の体を捉えていた。

 着弾を確認する間もなく、俺は次々にナイフを投擲する。システムアシストの掛かっていない投剣など直撃しても大したダメージにはならないだろう。だが茅場は訝し気な表情を浮かべながらも、律儀にそれを盾で受け止める選択をしたようだった。硬質的な音が、断続して辺りに響く。

 

「戦法を変えてきたようだが、こんなものでは牽制にもならないぞ。なんの意図が……む?」

 

 パシャンッ、という場違いな水音が響いた。その瞬間、俺は足を止めてほくそ笑む。投擲ナイフの中に紛れ込ませた本命のアイテム――蛍光玉が、茅場の盾にヒットしたのだ。

 蛍光玉は、言ってみれば強い光を放つ防犯用のカラーボールのようなものである。多数の同一モブを相手にする際、その中の1体を集中的に攻撃したい場合などに目印として使用されることがあるが、まあ使える状況がかなり限定的なのもあってあまりプレイヤーには認知されていない。だが、使いどころを考えれば中々有用なアイテムである。

 ちなみにこの蛍光玉は例によって雪ノ下の《錬金術》スキルによる特別製であり、発する光の強さも従来のものより大分強くなっている。

 

「これは、蛍光玉か? 一体何を――」

 

 疑問を口にする茅場を無視し、俺はさらにポーチからアイテムを取り出した。

 直径5センチ程度の、白い布の帯でグルグルに巻かれた玉。それを3つ、茅場を囲むように放り投げる。次の瞬間、小さな破裂音と共に白い煙が発生し、瞬く間に周囲を飲み込んで行った――煙幕である。

 次いで俺はシステムウインドウを開き、クイックチェンジによる装備セット変更のショートカットを選択する。軽やかなシステム音と共に白いマントが出現し、周囲に白い煙が立ち込める中、その存在を隠すように俺の体を包み込んだ。

 

「なるほど……これは、少しまずいな」

 

 珍しく、少し焦りを孕んだ茅場の呟きが聞こえた。

 そう、俺が作り出したかったのは、この状況だ。薄暗いダンジョンの大部屋に、立ち込める煙幕。加えて保護色のマントで身を包み非常に視認しにくくなっている俺に対し、爛々と輝く蛍光玉の塗料によって茅場の位置は丸わかりである。

 常にパーティで行動し、斥候系スキルを周囲のプレイヤーたちに任せていた茅場が索敵スキルを所持していないことは調べがついている。奴はこの状況で、五感によって俺の位置を探るしかないのだ。

 

 間を置かず、俺は攻撃を仕掛けるべく動き出した。悠長にしていては、茅場も何か対策を講じてしまうだろう。仮に蛍光塗料の付着した装備を変更されてしまえば、この場での俺のアドバンテージはほとんどなくなってしまう。

 そんな隙は与えてはいけない。奴が少しでも動揺しているうちに、仕留めるのだ。

 

 音を殺し、回り込むようにして茅場へと肉薄した。煙幕とは言っても、さすがに槍が届く距離まで来れば薄っすらとその姿が確認できる。無防備に晒された茅場の背中へと向かって、俺はこの戦いで初めて《無限槍》のソードスキルを放った。

 刹那、俺の接近に気付いた茅場が身を捻る。初撃は肩を掠り、二撃目が二の腕を浅く刈った。三撃目が胸を貫こうとした瞬間、茅場の持つ剣に光が宿り、すんでのところで俺の槍を跳ね上げた。

 

 この状況で、これだけの反応を見せるとは。やはりユニークスキルやステータスを差し引いても、茅場は強い。俺は一段と警戒心を強め、技後硬直が解けた瞬間、再び茅場から距離を取った。

 

「ふはははははははっ!! 今のは少し危なかったな!!」

 

 何だか妙にハイになっている茅場を無視し、白い煙幕が立ち込める中、俺はヒット&アウェイを繰り返す。恐ろしい対応力を見せる茅場に対し、俺は致命的な一撃を与えることこそ出来なかったが、軽微なダメージによって奴のHPは削られていった。

 茅場は《戦闘中常時回復(バトルヒーリング)》スキルを持っていない。そのためHPを回復するにはアイテムを使用するしかないが、1対1での戦いのさなかにそんな余裕を与えるほど俺も迂闊ではない。

 

「この昂揚感! そして死に対する一抹の不安! なるほど、これがこの世界で本当に生きるということか!!」

「ごちゃごちゃうるせぇよ!」

 

 再び茅場に肉薄する俺の槍を、奴の剣が弾く。なんとか上手く盾を使わせないように立ち回り、カウンターを食らうことはなかったが、やはり攻め切ることも出来なかった。

 戦況は悪くない。しかし蛍光玉も煙幕も、そろそろ効果が切れる頃合いだった。アイテム自体はまだ持っているが、同じ手が何度も通用するような相手ではないだろう。

 

 アイテムの効果が残っているうちに、最後にもう1度だけ勝負を仕掛ける。

 茅場から再度距離を取った俺は、システムウインドウを開いてクイックチェンジを発動した。新たな装備セットが俺の身を包んだ瞬間、右手に持つ槍に光が灯る。俺はそれを担ぐようにして構え、未だ煙幕が立ち込める中、塗料によって強い光を放っている茅場目がけて槍を投擲した。

 

「――む!?」

 

 困惑する茅場の声が響く。

 それはそうだろう。槍による投擲スキル《ジャベリンスロー》は技後硬直13秒という、リスクの大きすぎる技だ。俺は装備品によって多少その時間を短縮しているが、それでも1対1の戦いにおいて使用するような技ではない。

 煙幕の中と言えど、光を伴って投擲される槍を察知することは難しくない。攻撃の方向から俺の位置も割り出せるだろう。投げられた槍を盾で防ぐか避けるかすれば、後は数秒間動けない俺が残るだけである。茅場にしてみれば唐突に勝利が転がり込んできたようなもの――だと考えるはずだ。

 

 煙幕の中、鈍い金属音が響いた。茅場が投げられた槍を盾で防いだのだろう。

 その音が耳に入った時――俺は、既に駆け出していた。

 

「軽い……!? これは――ッ!!」

 

 再びクイックチェンジによって装備を戻す。青い輝きを放つ愛槍、フェイクネスピアスを手に取り、茅場へと肉薄した。

 《ジャベリンスロー》は、フェイクだ。茅場の油断を誘うための。

 大きくステータスをダウンさせる代わりに、武器を光らせるというよくわからない効果を持った指輪――キリトが第65層の温泉街の射的屋で手に入れたアクセサリーである。完全なネタ装備だと思っていたものが、まさか対茅場戦で役に立つとは……人生、何があるかわからない。

 

 本物のソードスキルの光を灯した槍が、茅場を捉える。次の瞬間、鋭い切先が茅場の肩を深く貫いた。その衝撃に、茅場は大きく体勢を崩す。

 

 ――押し切れる。

 

 この機を逃すまいと、俺はさらにソードスキルを繋げた。

 放たれた2度目の攻撃は、倒れ込むようにして身を捻った茅場に回避された。しかし、もはやここから体勢を立て直すことは不可能である。

 無防備に晒された胸元。隙と見た瞬間、渾身の突きを放った。茅場の命を絶つことに、今さら何の躊躇いもない。

 

「ぬおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 似合わぬ雄叫びと共に、茅場の持つタワーシールドに光が灯った。重量級の盾が物理的にはありえない加速を得て横薙ぎに振るわれる。茅場の心臓に届こうとしていた槍の切先が、あと数センチというところで大きく跳ね上げられた。

 地面へと倒れ込む茅場と、ノックバックを受けた俺の視線が交差する。追撃は――無理だ。技後硬直から立ち直った茅場は既に盾を構えてその陰に身を隠していた。

 攻め切れなかったことを悟った俺は、その口惜しさを腹の底に沈めて一旦距離を取った。息を整えながら、ゆっくりと状況を分析する。

 

 盾を用いた攻撃スキル――初めて見る技だった。まず間違いなく、神聖剣のスキルの1つだろう。その一撃には、両手斧スキルに匹敵するほどの衝撃があった。

 何か隠し玉を持っているだろうことは想定していたが、知らないソードスキルなど正直警戒のしようもなかった。まあ手札を一枚切らせたと言うことで、ここはひとまず満足するべきだろう。

 

 とはいえ、用意しておいた渾身の小細工が凌がれてしまった。その事実に俺は大きく息を吐いた。まだいくつか細々とした嫌がらせグッズは用意しているが、ここまでの茅場の対応力を見るに、おそらく大した効果は見込めない。

 まあ、俺の戦いなどただの前哨戦である。本命はキリトによる奇襲だ。ここを凌がれてしまうのも計算のうちだし、全く持って問題ない――そう心の中で唱えて、俺は何とか気持ちを持ち直した。……いや、全然負け惜しみとかじゃないし。

 

「ふっ、今のはさすがに私もヒヤリとしたよ。つい柄にもなく、熱くなってしまった。これが、命を懸けた戦いというものか」

 

 アイテムの効果切れによって、煙幕が晴れていった。大部屋の中、未だ麻痺によって蹲るプレイヤーたちと、剣を構える茅場の姿が視界に映る。ほくそ笑む茅場の瞳が、じっとこちらを見つめていた。

 

「さて、第二ラウンドと行こうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、皆さん。ちょっといいですか?」

 

 トウジの声が、表通りに響いた。

 第62層主街区パストラル。風林火山ギルドホーム前。

 第75層フロアボス攻略に臨む――という体の――ハチを見送ったすぐ後のことである。その場にはまだ風林火山のギルドメンバーの他、親交のある他ギルドのプレイヤーたちや情報屋アルゴの姿もあった。

 第75層(クォーターポイント)のフロアボスという強敵を前に、ここに居残るプレイヤーたちの間にも緊張感が漂っていた。ハチの前では努めて明るく振る舞っていたが、その姿が見えなくなると皆一様に神妙な顔つきで黙り込んだ。

 そんな空気の中でのトウジの言葉である。何事かと、その場の全員の注目が彼に集まった。

 

「大事なお話があります。このSAOの攻略に関する、とても重要な話です。風林火山のメンバーは全員ダイニングに集まってください。他ギルドの方々も、よろしければご同席下さい。強制するつもりはありませんが、聞いておくことをお勧めします」

「は? いや、おま……ゲーム攻略に関するって」

「申し訳ないですが、ここではこれ以上お話し出来ません。詳細を聞きたい方は中にお願いします」

 

 問いただそうとするクラインに対してにべもなくそう返すと、トウジはそそくさとギルドホームの中へと入っていってしまった。残されたプレイヤーたちは皆戸惑う様子を見せたが、やがてはその場の全員がトウジの後を追うようにしてギルドホームの玄関をくぐっていった。

 

「皆さんご出席頂けたみたいですね」

 

 ダイニングの奥で待っていたトウジが、集まった全員の顔を見回して言った。近くまで歩いてきたクラインが少し呆れた表情を浮かべる。

 

「そりゃあ、あんな思わせぶりなこと言ったらみんな気になるっつの。んで、重要な話ってのは?」

「まあそう焦らないで下さい。今お茶を用意させるので、皆さんお好きな席にお掛けになってお待ち下さい」

 

 いつの間にかキッチンでお茶の準備をしてたらしいユキノが、お盆に大量のティーカップを乗せて現れた。それを見たクラインは腑に落ちない表情を浮かべながらも、ひとまず頷いて近くの席に腰を掛ける。

 風林火山に所属するプレイヤー、そのほぼ全員に加えて、他ギルドのプレイヤーなど20名ほどがこの一室に集まっている。総勢70人近い人数ともなれば給仕するのも一苦労で、全てのテーブルにお茶が行き届くころには10分ほどの時間が経っていた。

 

「……そろそろいいかな」

 

 システムウインドウで時間を確認していたトウジが、そう呟いた。訝し気な顔をするクラインを横目に、トウジが改まって声を上げる。

 

「皆さん、お待たせしました。それじゃあ、話を始めさせて頂きたいと思います」

 

 場が静まり、トウジに注目が集まる。至極真剣な表情で、トウジは口を開いた。

 

「まず初めに……今日、第75層のフロアボスが攻略されることは、まずないでしょう。おそらく、あと少ししたら攻略組はそれどころではなくなるはずです」

「……はあ?」

 

 クラインが呆けた声を上げた。集まった他のプレイヤーたちの間にも騒めきが起こったが、トウジはそれを無視して話を続ける。

 

「2ヶ月ほど前から、僕たちは皆さんに隠れて1つの計画を進めてきました。今日これから、その作戦が決行されます」

「……僕たち、というのはどなたのことでしょうか? そしてその作戦というのはどういったもので?」

 

 ゆっくりと手を挙げて問いを返したのは《軍》のギルドマスター、シンカーである。トウジは1つ頷き、ダイニングの中央を横切るようにして歩き出した。歩を進めながら、トウジはシンカーの疑問に答える。

 

「作戦に関わっているのは、僕を含めて5人です。ハチさん、アスナさん、ユキノさん、そして――どうぞ、入ってきて下さい」

 

 話しながらダイニングの入り口まで辿り着いたトウジが、おもむろにドアを開け放った。そうしてその人物を部屋に招き入れた瞬間、再び場に動揺が走る。

 

「キリト!? おめぇ、今まともに動けねぇはずじゃ……」

 

 背中に白と黒の二刀を背負い、完全武装を済ませたキリトの姿がそこにあった。キリトはその場で深く頭を下げて、謝罪を口にする。

 

「みんな、騙すようなことしてごめん。俺が戦線離脱するのも、作戦のうちだったんだ」

「さ、作戦? じゃあ、調子がわりぃってのは嘘だったのか?」

「詳しいことは僕が説明します」

 

 放っておけばキリトが質問攻めにあうのは目に見えていたので、トウジが割って入るようにしてそう口にした。それからトウジは簡潔に、ここまでの経緯を説明したのだった。

 

 ヒースクリフが茅場晶彦その人なのではないかと疑いを持ったこと。

 その正体を暴いて交渉に持ち込み、直接対決によってゲームをクリアしようという計画を立てたこと。

 茅場晶彦に勝利するために、この2ヶ月間レベリングや装備品収集によってハチとキリトのステータスを強化していたこと。

 病気と偽ってキリトを戦線離脱させ、茅場晶彦との直接対決における奇襲要員として温存していたこと。

 そしてその計画の実行が、本日、第75層フロアボス攻略の直前――まさに今なのだということ。

 

「作戦が上手くゆけば、あと数分のうちにSAOはクリアされます。さすがに全てを隠したままゲームクリアを迎えるのは不義理だと思いまして、今日この席を設けさせて頂きました」

 

 トウジはそう言って話を締めくくった。騒めいていたプレイヤーたちはいつの間にか水を打ったように静まり返っている。

 この降って湧いたような話を、皆どう受け止めたらよいのか分からなかった。ゲームがクリアされるのなら、喜ばしいことなのは間違いない。だがあまりに現実感がなく、手放しに喜べるような状況ではなかった。

 しばらく奇妙な沈黙が続いた。そんな中、呟くように言葉を発したのはクラインだった。その体はだらしなく、椅子の背もたれにしな垂れかかっている。

 

「ヒースクリフが茅場晶彦? んで、上手くすりゃあ今すぐゲームがクリアされるかもしれねえって? ははっ……話がぶっ飛び過ぎてて、頭がパンクしそうだぜ……」

 

 力なく笑顔を浮かべるクライン。しかしやがて椅子の背もたれから体を起こすと、真剣な表情でトウジとキリトへと視線を向けた。

 

「それで、あいつは……ハチは今、1人で戦ってんのか?」

 

 冷静になって事態を受け止めてみれば、真っ先に思い浮かぶのは茅場晶彦と対峙するハチの姿である。あいつはまたひとりで無茶をやらかすのではないかと、クラインは不安を覚えていた。

 

「いや、そうじゃない」

 

 強い言葉で、キリトはそれを否定した。しかし先のトウジの説明通りなら、今ハチは茅場晶彦と一対一で対峙しているはずである。

 それを理解してなお、キリトは力強く首を横に振った。ハチも自分も、1人でここまで来たわけじゃない。キリトは、本気でそう思っていた。

 

「色んな奴の協力があって、今俺たちはここに立ってる。まあ、計画のことは隠してて悪かったけどさ……それでも、ここにいる皆の助けがあったからここまでこれたんだ。だから、ハチは1人で戦ってるわけじゃない」

 

 装備品やアイテムと言った実利的な部分でも、精神的な部分においても、ハチとキリトの2人は周りからの多くのサポートを受けてきた。その上で1人で戦っている気になれるほど、2人は傲慢ではなかった。

 ポーチから、黄色のクリスタル――回廊結晶を取り出す。中に赤い光が宿ったそれをクラインへと見せながら、キリトは茶化すようにして言葉を続けた。

 

「それに、俺もこれから合流するしな。……もう約束の時間だ。黙ってて悪かったな、クライン。みんな、また現実世界で会おう」

「……おうっ」

 

 咄嗟に口にしかけた「オレも行く」という言葉を飲み込んで、クラインは頷いた。ついて行ったところで、自分では足手まといになるだけである。クラインはそれを十分理解していた。

 クラインに続いて、この場に居合わせたプレイヤーたちから怒涛のように声が上がった。激励、感謝、再会を願う別れの言葉。波のように押し寄せるそれを全身で受け止めて、キリトは力強く笑顔を返した。

 

「じゃあ、行ってくる! コリドーオープン!」

 

 キリトが回廊結晶を掲げて声を上げる。そして右手に持った黄色のクリスタルが砕け、目の前に眩い光を放つ門が現れる――はずであった。

 しかし、掲げられた回廊結晶は沈黙したままである。

 息を飲むような静寂が、部屋に広がった。キリトは焦った表情を浮かべて、再びボイスコマンドを口にする。

 

「コリドーオープン! コリドーオープンッ! オープンッ! まさか……クソッ!!」

 

 最悪の想像がキリトの頭を過り、血の気が引いた。

 回廊結晶の地点登録は確実に済ませてある。これが発動しないということはシステムの不具合か、あるいはシステム管理者による意図的な妨害である。今この状況で考えられるのは、間違いなく後者だった。

 回廊結晶の無効化。計画が、自分の奇襲が、どこかで勘付かれた。あの茅場晶彦に。

 

 ――ハチ。

 

 過ったのは、相棒の顔だった。回廊結晶が使えなかったとしても、このまま、ただここで待つことなど出来るわけもない。不測の事態が起こった場合ハチは茅場との戦いを放棄する手筈になっているが、茅場がハチを見逃すとは限らないし、そもそもハチが計画通りに白旗を上げるとも限らない。

 

「アルゴ! 75層の地図(マップ)は――」

「持っていきナ!!」

 

 キリトが言い終わるよりも早く、アルゴから地図(マップ)データが送られてきた。礼を言いながらそれを受け取り、回廊結晶を放り投げるようにして手放したキリトはポーチから青い転移結晶を取り出した。

 

「転移! コリニア!!」

 

 転移結晶も使用できない可能性はあったが、幸いにして、手にした青いクリスタルはキリトのボイスコマンドに反応して砕け散った。一瞬の後にその体を青白い光が包み込み、キリトはその場から姿を消したのだった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。