やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:鮑旭

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第48話 約束

 翌朝、時刻は午前7時。既に支度を済ませ、俺は風林火山のギルドホームを後にしようとしていた。

 どうせ今日は一緒に行くのだからとアスナもここに泊まっていくように勧めたのだが、準備もあるし一度自宅に戻ると言って、彼女は昨日のうちに帰っていった。そんなわけで、アスナとは第73層の転移門で待ち合わせることになっている。

 

 ギルドホームの中は仕事の準備に動き出したギルメンたちでもう大分騒がしくなっていたが、一歩通りに出ると打って変わって静かなものである。既に日は登り始めているが、まだNPCや他のプレイヤーたちは活動していないようで、朝特有の静寂が街を支配していた。

 10月も下旬になり、朝晩はそれなりに冷え込む。ギルドホームの玄関から俺を見送りに来た雪ノ下も肩にショールのようなものを掛けており、不意に通りを吹き抜けた風に少しだけ目を細めていた。

 しかしそんな寒さの中でも彼女の所作に淀みはなく、手に持っていたカラフルな薬剤の入った小瓶を1つ1つ俺に確認させて、丁寧に説明を口にする。

 

「はい、ハチ君。こっちの3本はストックもまだ沢山あるから気にせず使ってね。赤い瓶が各種ステータス増強、黄色い瓶が状態異常予防、青い瓶が獲得経験値アップの効果よ。効果時間は1時間だから、タイマーをセットするなりして上手く使って。こっちの緑の瓶はHPの回復量を倍増させるポーションだけど、効果時間が10分だしあまり数もないから使う場面は選んでね」

 

 口早に言い終えると、雪ノ下は持っていた小瓶を一旦ストレージにしまって、合計50本ほどになる各種ポーションをこちらに送る。俺は少し圧倒されながら、それを受け取った。

 

「お、おう。サンキュー。……しかし、改めて聞くと凄まじいなこれ。《錬金術》スキルだっけか」

「ええ。有用なのは確かだけど、あまり量が作れないのが難点ね。しばらくはテストも兼ねてハチ君に使って貰うのが精々かしら」

 

 先日、雪ノ下が発現させた生産系のエクストラスキル《錬金術》。《調合》スキルの上位互換だと思われるそれは、恐ろしいほどの性能を有していた。

 特記すべきは先ほどの説明にもあった、獲得経験値アップのポーションと、HP回復量倍増のポーションだろう。経験値アップの数値は5%と微々たる量だが、使うのと使わないのとでは長い目でみれば馬鹿にならない差になる。そしてHP回復量倍増の効果も、バトルヒーリングスキルと組み合わせれば、もう他に回復手段要らないんじゃないかってレベルの効果を発揮するだろう。

 ちなみに、どちらも今まで同系統の効果を持ったアイテムは確認されていない。最前線で戦うプレイヤーたちからすれば、喉から手が出るほどのアイテムである。

 

 視覚系統の不具合によって戦闘行為が実質不可能である雪ノ下は、ギルドでの仕事以外にも、こういった生産系スキルによるサポートでゲーム攻略に貢献しようとしてくれている。《軍》に所属するよりももっと前、シンカーが立ち上げた《MTD》に居た頃から、《調合》や《料理》と言った生産系スキルのレベルを上げていたようだ。

 

 《調合》はSAOに数ある生産系スキルの中でも、不遇とされている不人気スキルである。

 安価に消費アイテムが自作出来るという利点はあるものの、その効果は店売りのアイテムより少し性能が良い程度で、《調合》でしか手に入らないようなアイテムは今のところほとんど存在しない。

 そうして得られる恩恵が少ないくせに、《調合》を行うには色々と設備が必要だったり、スキル行使の工程が複雑だったりで、今までアインクラッドでは《調合》を使い込んでいるプレイヤーはあまりいなかった。

 

 雪ノ下は《調合》が不遇スキルと知りつつも、随所にゲームバランスのこだわりの見られるSAOで、ただ使い勝手が悪いだけのスキルが存在するのかどうか、そう言った検証も兼ねて《調合》を使っていたらしい。そんな地道な努力が実を結び、先日《錬金術》スキルを発現したと言うわけである。

 既に《錬金術》スキルの存在は《Weekly Argo》によって公表されている。その有用性を目の当たりにした多くのプレイヤーたちの後追いにより、今アインクラッドでは空前の《調合》ブームが起こっているそうだ。しかし今のところ、雪ノ下以外に《錬金術》スキルを発現したというプレイヤーの噂は聞かない。

 

「生産系ギルドに掛け合ってスキルの発現条件も調べてもらっているけど、今のところ成果は上がっていないのよね。せめて攻略組に行き渡るくらいの数を揃えるためにも、同じスキルを使える人間がもっと欲しいのだけれど……」

「まだお前しかこのスキル持ってないんだよな。下手したらユニークなんじゃねーの?」

「可能性は否定出来ないわね。けどそうなると……頭の痛い話だわ」

「……まあ、ほどほどにな」

 

 ため息を吐く雪ノ下に、俺は労わるように声を掛けた。

 これほど有用なアイテムである。他ギルドのプレイヤーから販売の要請も多く、全く生産が間に合っていない状態だった。雪ノ下自身はここ数日、寝る間も惜しんでアイテム製作に取り組んでいるようだが、それでも俺が使う分と一部の攻略ギルドにサンプル品として渡す程度の数しか作れていない。

 見栄っ張りな雪ノ下のことである。あまりそうとは見せないのだが、過密なスケジュールのせいで疲れているのは確実だった。《錬金術》がユニークスキルとなれば、雪ノ下は今後ずっとそんな生活を続けなくてはならなくなるだろう。

 しかしそんな俺の危惧をよそに、雪ノ下は気丈にも笑顔を見せた。

 

「心配してくれているのね、ありがとう。けど、最前線で命をかけているあなたたちに比べれば何ということはないわ。それに、私嬉しいのよ? こうやってあなたの力になれるんだから」

「……いや、そんなん今さらだろ。いつだってお前、誰かしらのためになることしてたし」

「不特定多数の誰かのためにはね。でも私、特定の誰かに何かをしてあげたいって思ったこと、あまりないのよ。だから、あなたは特別」

 

 言いながら、雪ノ下はアイテムストレージから何かを取り出した。手のひら2つ分くらいの四角い箱が、可愛らしい猫の柄のクロスに包まれている。

 

「というわけで、はい。あなたのために作った愛妻弁当よ。味わって食べてね」

「いや、おま……愛妻って」

「冗談よ」

 

 いたずらに笑う雪ノ下から弁当を受け取る。俺はどぎまぎしながらも、内心の気恥ずかしさを誤魔化すようになんとか言葉を返した。

 

「雪ノ下……お前、キャラ変わり過ぎだろ」

「ただ素直になっただけよ。言ったでしょう。私、好きな相手には案外尽くすタイプなの」

 

 以前も聞いた雪ノ下のその言葉に、偽りはなかった。高校時代、こいつの由比ヶ浜に対する態度から何となく察していたが、一度気を許した相手にはとことん甘くなるタイプだ。最近はもう俺に対しても甲斐甲斐しく世話を焼いている。このままではダメ人間になってしまうと、この俺が危惧するレベルだ。

 

「それと前から気になっていたのだけれど、その『雪ノ下』と呼ぶのはやめてくれないかしら。マナー違反よ」

「え、ああ、悪い……。いや、けど今は俺たちしかいないし、別にいいだろ? さすがに他に誰かいる時はその名前で呼ばないぞ」

「何処に人の目があるかなんてわからないじゃない。あの物陰に私のストーカーが潜んでいる可能性だってあるのよ」

「それはまあ確かに否定できないが……」

 

 今さら言うまでもないことだが、雪ノ下は自他共に認めるほどの美少女だ。言い寄ってくる男性プレイヤーなどすげなくあしらっているらしいが、それでも彼女に好意を寄せる人間は後を絶たない。むしろその冷たい態度がたまらないという変態もいるようだし、ストーカーの1人や2人いてもおかしくはないだろう。

 街中ということで《索敵》のスキルも使っていなかったし、確かにここで『雪ノ下』と呼ぶのはちょっと不用心だったな、と俺は少し反省する。

 

「それにあなた、咄嗟の時いつも私のこと本名で呼ぼうとするじゃない。普段からプレイヤーネームで呼ぶ癖を付けておいた方が良いわ」

「いやプレイヤーネームってかお前、そっちも本名じゃねえか。しかも下の名前。……呼びにくいんだよ、察しろ。つーかオンゲの名前に本名使っちゃうとか、お前のネットリテラシーどうなってんの?」

「それについては反省しているわ。そもそもこのゲームをそれほどやり込むつもりもなかったから、軽くサインするつもりで名前を入力してしまったのよ。当初は軽くVRというものを体験してみるだけのつもりだったし……」

 

 混ぜっ返す俺の言葉に、雪ノ下はばつが悪そうに顔を歪めていた。まあこの場ではこちらにも非があったので、俺はこれ以上追及することもなく会話を打ち切る。

 

「まあ、名前の件はこれから気を付ける。それじゃ、そろそろ行くわ」

「ええ、気を付けて行ってらっしゃい。アスナさんにもよろしくね」

 

 軽く手を振る雪ノ下に見送られ、俺はようやくその場を後にする。

 思ったより随分と話し込んでしまったようだ。アスナを待たせると後が怖い。システムウインドウに映る時間を確認し、俺は足早に転移門へと向かっていったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第73層の大部分には草木も生えぬ不毛な大地が広がっており、所々に荒廃した機械都市や遺跡が点在している。

 基本ファンタジーテイストな作りが多いSAOでは珍しい雰囲気のフロアだ。出現するモブの多くも古びたロボットのような姿をしており、これが中々手ごわい。挙動が生物的なセオリーから外れたものが多く動きが読み難い上に、金属なのか石なのかよくわからない物質で出来たボディは斬撃での攻撃が通りにくい。しかも機体によっては遠距離攻撃可能な銃火器を搭載しているという鬼畜仕様である。

 まあ敵が強い分、実入りは良い。ドロップするロボットのパーツはNPCの商店で高値で売れるし、貰える経験値も多かった。

 

「こうして戦ってると、やっぱりレベルの違いを実感するわね」

 

 荒野フィールドで何度目かの戦闘を終えた後、アスナが言った。

 彼女の言う『レベルの違い』というのは、言葉通り俺とのレベル差のことだろう。現在、俺のレベルが98でアスナは91である。これだけ差があればステータスにもそれなりに違いが出てくるのは仕方のないことだ。それでも決してアスナが足を引っ張っているというわけではない。

 第73層で合流した俺とアスナは、現在特に目的地を決めずに適当にマッピングをしながら狩りをしていた。敵は手ごわいものの今のところ危なげなく戦えていたので、俺は彼女とパーティを組んでよかったと感じていたのだが、本人的には思うところがあるようだった。

 

「いや、まあ実際レベルの差もあるし、最近は装備にも金使ってるからな。あと、ドーピング効果もでかい」

「ユキノさんが作ったバフポーションのこと? 《錬金術》だっけ? あれ、凄いわよね」

「ああ。つーか、本当にお前は使わなくて良いのか? 今なら何本か渡せるぞ」

「ユキノさんがハチ君のために作った物なんでしょう? 貰えないわよ」

「んな細かいこと気にする奴じゃねえって。まず実益を優先するタイプだぞあいつは」

「ふぅん……。なんか、分かり合ってるって感じ?」

 

 何か勘繰るような視線でこちらを見つめるアスナ。俺はそれを一蹴するようにかぶりを振った。

 

「ちげーっつの。あいつが分かりやすいだけだ」

「そう。でも、やっぱりやめておくわ。まだあんまり量産出来ないみたいだし、中途半端に使うとバフに体を慣れさせるのが大変だもの」

 

 敏捷性(アジリティ)が一時的に上昇するバフアイテムなどは、体を動かす感覚が変わってくるのであえて使わないプレイヤーも多い。俺の場合は常用出来るから良いが、そうでないなら早さの調整に苦労するだろう。

 それを理解していた俺はこれ以上アスナにバフポーションを勧めることはせず、マップを確認して探索を再開した。

 

「とりあえず、あっちの山の方行ってみるか。ぱっと見、他にはなんもないし」

「そうね。南西に遺跡があるって街のNPCが言ってたし、探してみましょう」

 

 そうしてどちらともなく、遠くに見える山の方へと歩き出した。

 本来ならある程度範囲を絞って狩場とする方が、効率面でも安全面でも良いとされる。だがこの第73層は解放されてから日も浅く、効率的なレベリングスポットもまだ見つかっていなかったので俺たちはまず探索を優先していた。迷宮区に向かう道筋には他の攻略組プレイヤーが集中しており、消去法でひとまず違う方面へと歩を進めていたのだった。

 

 向かった先は赤土のはげ山で、荒野フィールドと同様ほとんど生き物の気配は感じられない。やはり出現する敵は基本的にロボット系モブで、あとは稀に穴倉から出現する大型のネズミのようなモブを相手にする程度である。

 

 ちまちまとした戦闘を繰り返し、山の谷間に遺跡の入口を見つけた俺たちはさらに探索を続け、気付けば遺跡の最深部と見られる場所まで辿り着いていた。

 

「やっぱりあんまり大きくないダンジョンだったみたいね」

「だな。まあNPCの話じゃこの辺は小さい遺跡が点々としてるみたいだったし、デカいダンジョンはもっと南にあるんだろ」

 

 セーフティゾーンの小部屋で手ごろな岩に腰かけながら、アスナと言葉を交わす。時間も良いタイミングだったので、俺たちはここで昼休憩を取ることにしたのだった。

 

「どうする? 休憩したらもっと南に行ってみる?」

「いや、今日はとりあえずこの辺でレベリングして終わろうぜ。エリアボスと遭遇(エンカ)したら俺らだけじゃ火力不足だしな」

「そう? 時間さえかければいけると思うけど……」

「あんま効率よくないだろそれ。俺のスキル的に大物狙いより、雑魚を虐殺(スローター)した方がいいし。どっちにしろ南のダンジョンはもう少し情報集めてからにしようぜ」

「そうね……。まあ最初からハチ君のレベリングに付き合うって話だったし、それでいいわ」

「この辺でレベリングするなら……とりあえずさっきのネズミが大量に出てきたところ試してみるか」

 

 ここに来る少し前に通った大部屋で、ドーム状の天井にびっしりと並んだ巣穴からネズミ型モブが大量に降ってくるというハプニングに遭遇した。ド○えもんだったらショック死するレベルの光景だったが、モンスターハウス系の罠には慣れていた俺たちは慌てず騒がず閉じ込め系の罠でないことを確認して、邪魔な敵だけを蹴散らしながらさっさとその場を後にしたのだった。

 急なことだったのであの時はとりあえず撤退してしまったが、準備して臨めばモブを殲滅することも可能だろう。ロボット系の敵に比べて、ネズミ型のモブは耐久力も低くそれほど厄介な敵と言うわけでもない。

 俺の頭の中ではそんな結論に至っていたのだが、しかしアスナは驚いた表情で声を上げた。

 

「え、あんなところ!? あれって(トラップ)でしょ? さっきだって2人で逃げてきたじゃない」

「まあさっきは準備も何もしてなかったからな。HP回復量倍増ポーション……名前なげえなコレ……まあ例のポーション使えばゴリ押し出来るだろ」

 

 俺がそう反論するとアスナは一瞬言葉に詰まり、その後脱力しながら大きく息をついた。

 

「キリトくんと2人で、そういう無理なレベリングばっかりしてきたのね……。レベルも離されるはずだわ」

「いや、あれくらいならそんなに危なくもないだろ。やばくなっても地形的に逃げるのは難しくないし」

「……なんだかもっと危ないレベリングしてきたみたいな言い方ね」

「……さて、とりあえず飯にするか」

 

 訝しむアスナの視線を切って、俺は弁当を取り出した。明らかに不自然な話題転換だったが、ありがたいことにアスナはそれ以上追及してこなかった。その代わり、どうやら彼女の興味は俺の取り出した弁当の方に移ったようだった。

 雪ノ下の手作り弁当だと知られると妙な勘繰りをされるかもしれないので、弁当箱を包んであった可愛らしい猫のクロスは予め取ってある。だが俺が開いた弁当をチラリと覗き見ると、アスナは少し驚いた表情で口を開いた。

 

「そのお弁当……もしかして、ユキノさんが作ったの?」

「……よくわかったな」

 

 どう答えたものか一瞬迷ったが、結局俺は正直に頷いた。嘘を吐いた方が、何かやましいことがあるのだと勘繰られてしまうだろう。

 

「だって、なんだか女の子っぽいもの。おかずとか、配置とか」

「そ、そうか」

 

 女の観察力って怖い。俺、浮気とか絶対バレる自信があるわ。いや、浮気とかしないけど。つーかそもそも浮気どころか本気もないけど。

 ちなみに風林火山の構成メンバーはほとんどが男で、調理担当に至っては全員が男だ。うちに所属する女プレイヤーの中で料理スキルを取っているのは雪ノ下だけなので、アスナはその辺りから俺の弁当の制作者に当たりを付けたのだろう。

 

「ユキノさんとは、リアルでの友達なんだよね?」

「友達というか……まあ、知り合いだな」

 

 互いに昼食を食べ進めながら、言葉を交わす。

 もう雪ノ下のことをただの知り合いだなどとは思っていないが、今さら友達と言い表すのも何となくしっくりこない。だから俺としては、とりあえず今まで通りの距離感でいるのが心地よかった。まあ最近、雪ノ下からは今までの距離感どころか、もはやゼロ距離でグイグイと押し寄せてくるのだが……。

 しかし、アスナからこういった現実世界の話を聞いてくるのは珍しいな。そう思いながら視線をやると、少し思い詰めたような表情の彼女と目が合った。

 

「ねえ、マナー違反かもしれないけど……ハチ君のリアルの話、聞かせてくれない?」

「は? いや、俺のリアルの話なんて、何も面白くねえぞ」

「聞きたいの。お願い」

「いや……そう言われてもな……」

 

 別に、俺のリアルについてアスナに知られるのが嫌なわけじゃない。ただ、こうして改まって話すのが気恥ずかしいだけだ。

 そうして渋る俺の顔を、アスナがジトっとした目で見つめる。

 

「……私のリアルの話は聞いたくせに」

「は!? い、いや、あれは酔ったお前が勝手に……つーか、お前あれ覚えてたのかよ」

 

 思い返すのは、第55層のドワーフの集落でのこと。

 ある日武器製作用のインゴットを求めて出かけたらしいキリトと女鍛冶屋の2人は、陽が落ちても中々フィールドから戻らず、それを心配した俺とアスナは彼らを追って雪山フィールドへと赴いた。その途中辿り着いたのがドワーフの集落であり、成り行きで発生した強制イベントによって俺たちは宴会への参加を余儀なくされたのだ。

 ゲーム内の酒でも、個人差はあるが大体のプレイヤーは『酒を飲んだ』という思い込みによって酔ってしまう。アスナもその例に漏れずかなり酔っぱらってしまい、話の流れで自分の本名やら住んでいる場所やら通っていた学校のことなどを暴露していた。

 しかし宴会以降その話題に触れることはなかったので、酔いとともにあの日の出来事は忘れてしまったのだとばかり思っていたが……まさかしっかり覚えていたとは。

 

 予想外の追及にしろどろもどろになった俺を、アスナはじっと見つめていた。しかしやがて彼女は大きくため息を吐くと、力なくかぶりを振った。

 

「……ごめんなさい。やっぱり、こういうの良くないわよね。今の話、忘れて」

 

 言った彼女の横顔はどこか寂し気に見えて、俺の胸に小さな罪悪感が湧いてくる。いや、冷静に考えて俺は悪くないはずなのだが……。しかし、アスナにこんな顔をさせてしまうのは本意ではなかった。

 俺は数秒間悩んだ末に、ガシガシと頭を掻きながら唸るように声を上げた。

 

「……先に言っとくけど、俺のリアルの話なんて、マジでなんも面白いもんじゃないからな」

 

 言い訳をするようにそう前置きをして、俺はアスナの反応も待たずに話し始めた。

 

 高校入学直後に事故にあったこと。

 それによって高校生活のスタートダッシュに乗り遅れ――元からほぼ確定していたのだが――高校ぼっちが完全に確定したということ。

 そうしてぼっちのまま日々を過ごし、高校2年になって『高校生活を振り返って』という作文でリア充爆発しろなどと舐め腐った内容を書いた俺は、生活指導担当である平塚先生に奉仕部と言う部活に強制入部させられたこと。

 その部活動の中で、雪ノ下や由比ヶ浜という生徒たちと知り合い、幾度もすれ違いを繰り返しながらも、様々な依頼を通して彼女たちという人間を知っていったこと。

 しかし些細な行き違いによって、やがて俺たちの間には決定的な溝が出来上がってしまったこと。

 そして、それを解消することが出来ないまま、SAOへと囚われてしまったこと。

 

 雪ノ下の話題から派生したのだから、アスナが聞きたいとすればきっとこの辺りの話だろう。そう当たりを付けて、俺は内容を選びながら口を開いた。

 アスナは時々相槌を打ちながら、始終興味深そうに話を聞いていた。

 

「平塚先生って、いい先生ね。私の行ってた学校にはそういう面白い先生は居なかったなあ」

「まあ、そうだな。拳でのスキンシップがちょっと過激なのと、婚期を逃している以外は基本いい先生だ」

「婚期って……そんなことばっかり言ってるから怒られるんでしょ。ハチ君って、絶対子供の頃好きな女の子に意地悪してたタイプよね」

「……ノーコメントで」

 

 呆れた視線を向けるアスナから目を逸らし、俺は食後の自作MAXコーヒーもどきを口にした。小学生の頃に気になっていた女の子にちょっかいを掛けて、帰りの会で「本当にやめてほしい」と女子陣から本気のバッシングを食らった苦い記憶が頭を過ったが、コーヒーの甘さでなんとかそれを押し流した。やっぱり人生が苦い分、コーヒーは甘くなくちゃいけない。

 

「……ねえ」

 

 しばしの沈黙の後、改まってそう呼びかけたアスナは、しかしすぐには次の言葉を口にしなかった。どうしたのかとチラリとアスナを伺うと、真剣な表情の彼女と視線が交わる。

 

「やっぱりハチ君はさ、ユキノさんのことが好きなんじゃないの?」

 

 唐突な問いに、俺は言葉に詰まった。

 動揺とともに様々な思いが頭を過ったが、俺はとりあえず質問には答えずに問い返す。

 

「お前、もしかしてあれのこと知ってんのか?」

「……うん。ごめんね、聞いちゃったの」

「そうか」

 

 舌足らずなやり取りだったが、互いに意味は通じただろう。あれのこと、とは言わずもがな雪ノ下の告白の件である。

 あまり周りには知られないようにしていたのだが、アスナまでもが知っているということは案外広まってしまっているのかもしれない。そんなことを考えながら、俺は言い訳がましく口を開いた。

 

「いや、つーかあれは俺がどうとかじゃなくて……。あいつが、ちょっと血迷っただけだ。そもそもありえないだろ。あいつと俺が……なんて。ぶちスライムとダークドレアムを配合するようなもんだぞ」

「えっと、ごめんなさい、その例えはよくわからないけど……要は2人じゃ釣り合わないってことよね? 私はそうは思わないけど」

 

 アスナにドラクエネタは通じなかったようだ。知らないなりに意味を理解し、フォローするようなことを言ってくれたが、しかし正直これはあまり意味のないやりとりである。内心どう思っていても、馬鹿正直に「そうだね、2人じゃ釣り合わないね」なんて言う奴はまずいないからだ。鼻っ柱は強くとも、アスナは根っこの部分では人一倍優しい女の子だった。

 まあ本気で釣り合いがどうとか、そういったことを気にしているわけじゃない。全く気にならないと言えば嘘になるが、少なくとも1番の問題ではなかった。

 

「……ねえ、じゃあもしもさ。もし私が――」

「ん? あっ。ちょっと待ってくれ」

 

 アスナが何事か言いかけたが、俺はそれを遮って声を上げた。

 なんとなく気まずくて目を泳がせていた先。陽の差さないダンジョンの中で視界を明るく照らしていた、光るコケ。単なる環境オブジェクトだろうとこれまであまり気にしていなかったのだが、手慰みにそれを撫でていたところ、唐突にアイテムテキストが表示されたのだった。

 

「妙に明るいと思ってたけど……これ、採取可能オブジェクトなのか。上手く加工出来れば……使えるかもしれないな。煙幕と組み合わせて……」

「……使えるって、何に?」

 

 ぶつぶつと呟く俺の顔を、アスナが怪訝な表情で覗き込む。

 

「ああ、ヒースク――じゃなかった。『例のあいつ』と戦う時用にな。色々と小細工を考えてんだよ」

 

 ヒースクリフとの決戦に備えて、ただステータスを強化する以外にも俺は細々とした作戦をいくつか用意していた。本命はキリトによる不意打ちだが、それより前に少しでもあいつのHPを削っておくに越したことはない。煙幕やら音爆弾やら、使えそうなものは何でも使うつもりである。

 ちなみにヒースクリフと言いかけて『例のあいつ』と言い直したのは、あまり外でこの話題をしない方が良いと話し合ったからだった。そんなわけで俺たちの間で今ヒースクリフは『名前を呼んではいけないあの人』扱いである。決闘する時はちゃんとお辞儀をしなければいけないな。

 あと、どうでも良いけどハリポタ映画の日本語吹き替え版でヴォルデモート卿の一人称を『俺様』にした奴は頭おかしいと思う。

 

 そうして脳内で話が完全に脱線したところで、俺は何やら難しい顔をして黙り込むアスナに気付いた。

 

「ああ、わり。最近ずっとなんか使えるもんないかと思って探してたから……。なんの話だったっけ?」

「……ううん。何でもない」

 

 アスナは力なく首を横に振ると、大きくため息を吐いた。そうしてそのまま項垂れて、何故か恥じ入るように両手で顔を隠してしまった。

 

「それよりなんか、もう……ごめんなさい」

「は? いや、何の謝罪?」

「うん……なんていうか、ホントもう、ごめんね……」

「いや、だから何の話だよ」

 

 要領を得ない返答に困惑しながら、俺は再度聞き返した。するとアスナは顔を覆っていた両手を下ろし、申し訳なさそうにこちらに視線を向ける。

 

「そうだよね。ハチ君、今あの人との戦いで頭がいっぱいなんだよね。こんな時に、変なことばっかり聞いてごめん」

「ああ、そういう……。いや、別に変な気を回さなくていいから。それにどっちかって言うといつも通りでいてくれた方が楽だし」

「うん……けど、やっぱりこの話はもうやめておくわ」

「そうか。まあ、別にいいけど」

 

 アスナが良いと言うのなら、俺に異存はない。言いかけて途中でやめられるとちょっと気になるが、わざわざ蒸し返すほどのことではなかった。

 

「なんだか、ちょっと焦ってたみたい。最近あんまりハチ君と話せなかったし……。色々聞きたいことが多くて」

「ふーん……。まあ好きに聞けよ。聞くだけならタダだからな。答えるかは分からんけど」

「その言い方、全然答えてくれる気がなさそうなんだけど……。けど、そうね。何でも聞くだけならタダよね」

 

 何事か少し考え込んでいたアスナは、ややあって座っていた岩から腰を上げた。それから服についた砂埃を軽く払って、こちらに振り返る。

 

「じゃあさ、ハチ君。1つ、約束しない?」

「約束?」

「うん、約束」

 

 見上げると、頷く彼女と目があった。

 

「私ね、私たちの関係が、この世界だけのことだなんて思ってないし、思いたくない。だからもし全部が上手くいって、現実世界に帰れたら……また、あっちで会いましょう。それから初めましてって言って、自己紹介するの。他の皆も一緒にね」

 

 アスナの真っ直ぐな瞳が、じっと俺を見つめていた。その大きな瞳に飲み込まれてしまうような錯覚に陥りながら、しばし呆然としてしまう。

 

 彼女は、いつだって俺の先を歩んでいる。

 

 俺だって、俺たちの関係がこの世界だけのことだなんて思いたくはなかった。現実世界に帰ったとしても、この関係を終わらせたくはなかった。だが、それをちゃんと言葉にすることは酷く恐ろしいことのように思われた。

 それでも、いずれはどこかで言わなければならないとずっと考えていた。正直に、自分の心の内を伝えなければならないと。それを厭って、今まで何度も失敗してきたのだから。

 だが俺は、まだ時間はある、今はタイミングが悪いと、ずるずると問題を先延ばしにしてきてしまった。キリト相手にさえ、ゲームクリア後の話をまだ具体的にはしていない。

 

 そうして俺が避けて通ってきた道を、この少女は瑕疵のない笑みすら浮かべて切り開いたのだ。その眩しさに圧倒され、そして自分の矮小さを改めて自覚し、なんだか可笑しくなってきてしまった俺は吹き出すようにして笑った。

 

「……今さら、自己紹介かよ」

「大事なことでしょ? だって私たち、また始めなきゃいけないんだから」

「まあ、そうだな。……わかった。覚えとく」

 

 俺がそうして頷くと、アスナは花が咲くような笑みを浮かべて返した。

 

「よし、じゃあ約束ね。はい、手出して」

「手?」

 

 言われるがまま、咄嗟に右手を差し出す。するとアスナはするりと自分の小指を俺の小指へと絡めた。こちらが驚く間もなく、アスナはさらにその手を軽く上下へと振る。

 

「はい、指切りげんまん。嘘ついたらリニアー千本だからね」

「……ぜ、善処します」

 

 満面の笑みで恐ろしいことを口にするアスナに対し、俺は戦慄をもって頷いた。

 ちなみに指切りげんまんの『げんまん』とは『拳万』という漢字を書く。つまり『嘘をついたら拳骨を1万発食らわせますよ』ということで、さらにリニアー千本ともなれば実質的に殺害予告のようなものである。なにそれこわい。

 

 いや、まあ、さすがに言葉の綾のようなものだろう。かつて《狂戦士》という2つ名を冠していたアスナだが、いくらなんでも現実世界でそんなことはしないはずだ。……しないよね?

 

「じゃあ、もう十分休憩も取ったし、そろそろ行きましょう。今日はここでレベリングするんでしょ?」

「お、おう。そうだな。……あ、ちょっと待ってくれ。この辺の光るコケ採取してく」

「そう言えばそれ、具体的にどう使うの?」

「ああ。これはな――」

 

 その後、休憩を切り上げた俺たちは予定通り大量のネズミを相手にレベリングを夜まで行い、この日は解散となった。しばらくは最前線の街に泊まりながら、探索とレベリングを繰り返していくことになるだろう。アスナも数日はこちらに付き合ってくれるようなので、その間にソロになっても安定してレベリングを行えるポイントを見つけるつもりである。そろそろ最終決戦に向けて体調も調整していかなければならないため、今後は今までほどきついレベリングにはしない予定だった。

 

 ――もし全部が上手くいって、現実世界に帰れたら……また、あっちで会いましょう。それから初めましてって言って、自己紹介するの。

 

 その日の夜。宿屋のベッドに横になりながら、俺は何度も何度もその言葉を反芻した。

 

 アスナと交わした約束。それは俺にとって福音となった。

 SAOという世界で暮らすことへの慣れ。そして現実世界への帰還という恐怖。今アインクラッドで暮らすプレイヤーたちには誰しも、多かれ少なかれそれがあるはずだ。

 長く牢獄で過ごした囚人たちは、塀の外へ出ることを恐れるようになる。それと同じだ。普通の社会に戻った時、そこに適応出来るのか。1度社会の歯車から外れてしまった自分たちに、帰る場所などあるのか。そんな不安が、囚人たちの心を牢獄(安心できる場所)へと押し込める。

 当然、俺にもその気持ちはあった。以前ドワーフの集落でのアスナとの会話でその不安の大部分は解消されたものの、それでも未だ現実世界に戻ることに対する一抹の不安は消えなかった。

 ゲームからの解放を願い行動しながらも、そうして胸の内に抱えていた矛盾。その矛盾した心が、ヒースクリフとの戦いで足を引っ張るのではないかと俺は危惧していた。

 

 しかし今はただ、現実世界に帰りたいと強く思う。誰1人欠けることなく。

 アスナと交わした約束が、矛盾する心を吹き飛ばした。不安を、恐怖を、未来への期待が塗り潰してくれた。

 

 この日から、俺はじっと自分の右手を見つめることが多くなった。その度に、彼女と約束を結んだ小指が熱を帯びるような感覚を覚えるのだった。


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