やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:鮑旭

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第4話 サチの決意

 私たちがこのゲームに囚われてから、5ヶ月が経ちました。

 始めのうちはケイタたちも恐がっていたんだけど……今はもうその恐怖心も薄れて、このゲームを楽しんでいるように見えます。

 みんな根っからのゲーム好きだし、男の子だもんね。

 私は……ちょっと無理かな。

 命がかかっているって思うと、モンスターの前に立つのがすごく恐い。体が竦んで、動けなくなる。

 ケイタたちはレベルを上げて、いつか月夜の黒猫団で攻略に参加したいって言ってるけど……私は攻略になんて参加したくない。ホントはずっと街の中に閉じこもっていたい。

 でも頑張っているみんなの前ではそんなこと言えないし、1人だけ安全な場所に閉じこもっているなんて、そんな自分勝手許されるわけない。

 そんな状況で誰にも相談出来ずに、私の心は少しずつ消耗していった。

 私はもう駄目かもしれない。そう思った。

 そんな時に、この世界で一冊の本に出会ったの。

 

 『hachiという漢』

 

 有志のプレイヤーたちが自費出版で無料配布した本で、そこにはハチという男の人が第一層攻略の裏でどんな活動をしていたかが綴られていた。

 タイトルがちょっとアレで、最初は敬遠していたんだけど……読んでみると、その内容に私は衝撃を受けた。

 私たちがこの世界に囚われた時、ハチさんはまず他のプレイヤーたちのために自分に何が出来るか考えたそうだ。

 そして彼は元βテスターである自分の知識を使って、ビギナー向けのガイドブックを作った。その傍ら、ハチさん自身も攻略に参加し、ボスとの戦いでも大活躍したらしい。

 でも、最後にはボス攻略について言いがかりをつけられた友人を庇って、自ら汚名を被って仲間たちの前から消えてしまうのだ。

 この本を読んだ時、私はこの世界にきて初めて涙を流して泣いた。

 誰よりも気高いハチさんのことを思って。そして自分の情けなさに。

 私たちがただ怯えていたその時、同い年のその男の子は人知れずずっと誰かのために闘っていたのだ。

 私は決意した。

 私もハチさんのように、この世界と闘おう、と。

 いや、彼のようには無理でも、自分に出来ることを精一杯やろうと。

 モンスターとの戦いはまだ恐いけれど。それでも逃げないで立ち向かっていこう。

 そうして私は初めて自分の足で歩き出せた。

 未だ見たことのない、彼の背中を追って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第1層。始まりの街。

 商業区から少し離れた一角に、風林火山のギルドホームは存在する。

 その一室。ダイニング。

 諸用でクラインを訪ねていた俺とキリトが部屋に入ると、テーブルに向かって何か作業をしていたトウジが顔を上げた。

 

「あ、2人とも帰ってきてたんですね。攻略の方は一段落ついたんですか?」

 

 トウジは作業の手を止めて、俺たちに尋ねた。

 

「ああ。レベリングも限界だったから一旦帰ってきたんだ」

 

 そのキリトの答えに、俺が渋面を作ってさらに話を続ける。

 

「まあ、またすぐ出かけるんだけどな。クラインの奴、厄介な仕事押し付けやがって……。久しぶりにだらだら出来ると思ったのに……」

 

 俺の愚痴にトウジは苦笑いしていたが、すぐに何かを思い出したように話を変えた。

 

「あ、そういえば、またハチさん宛にファンレターが沢山着てますよ。しばらく帰って来なかったので、どうしようかと思ってたんですけど……」

 

「……全部燃やしといてくれ」

 

 トウジの話に俺はさらに憂鬱になりつつ、そう答えた。そんな俺の気も知らず、キリトはしみじみとした様子で頷く。

 

「ファンレターか……。ハチも有名になったもんだなあ」

 

「おまえ、他人事だと思って……」

 

「でもホントに大人気ですよ。この前もALS所属の女性の方から熱烈な……」

 

「もういいっつーの……。つーか、何であの本、俺だけ実名なんだよ。お前らは偽名で登場してるくせに……」

 

 あの本とは言うまでもなく、『hachiという漢』のことだ。

 その本は俺の許可なく出版した上、俺だけ実名、他の登場人物は全員偽名と言う嫌がらせとしか思えない仕様となっていたのだ。

 そのため俺の苦言は当然とも言えるものだったのだが、その著者であるトウジは特に悪びれる様子もなかった。

 

「当初の目的はハチさんの悪評をなくすことでしたからね。ハチさんが偽名じゃ意味ないですから。他の方が偽名なのはプライバシーの観点からですね」

 

「おい、俺のプライバシーは……」

 

 トウジの発言にさらに抗議をぶつけようとした俺を、キリトがなだめる。

 

「今さら言ってもしょうがないだろ。ま、恥ずかしいことは何もしてないんだから、堂々としてればいいんだよ」

 

 キリトの発言に納得したわけではなかったが、確かに今さら言ってもどうにもならないことではあるので、俺はため息をついて口を閉じた。

 しかし、トウジの前に積まれた紙の束が目に入り、すぐにまた口を開く。

 

「……それ、お前は何してんだ?」

 

「ああ、これは『hachiという漢 第4巻』を執筆中でして……あっ! ちょっとハチさん!? 何するんですか!?」

 

 破り捨てようと原稿に手を伸ばした俺からそれを守りつつ、トウジは必死に弁明する。

 

「し、仕方ないじゃないですか! 続編を望む声が凄いんですよ! ハチという漢を、読者が待ってるんです!」

 

「そんな奴らは一生待たせといていい!」

 

 そう言って詰め寄る俺をキリトが遮った。

 

「ハチ、もう手遅れだ、諦めろ。 ……というか、放っておいたら逆に収拾がつかなくなるぞ。既にハチを題材にした二次創作とか出回ってるし」

 

 その衝撃の事実に俺の思考は停止し、その場に立ち尽くした。

 

「ほら、もう行こう。仕事があるんだから」

 

 そう言うキリトに背中を押され、俺はその場を後にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺がキリトたちと合流してから3ヶ月半……ゲーム開始からは5ヶ月ほどが経っていた。その間、様々なことがあった。

 

 クエストをこなしてギルドを作ったり

 妙に人間らしいNPCと出会ったり

 アスナに罵倒されたり

 攻略に復帰した俺とキバオウの間で一悶着あったり

 『hachiという漢』の続編が出版されたり

 アスナに罵倒されたり

 贖罪クエストを受けたり

 ギルドメンバーの勧誘をしたり

 アスナに罵倒されたり

 攻略組の中で少しトラブルがあったり

 アスナに罵倒されたり

 

 アスナに罵倒され過ぎだろ俺……。

 まあそんな日々を過ごしながら、アインクラッド攻略は概ね順調に進んでいき、現在俺たちは第23層まで到達していた。

 ここまで攻略が押し進められたのは、3つのトップギルドの存在が大きかったと言えるだろう。

 

 1つは、リンド率いる《ドラゴンナイツブリゲート》……通称DKB。

 リンドというのはディアベルの後継者を自称している男で、彼は第一層攻略後からディアベルの率いていた勢力を受け継ぎ、そのまま攻略組として活躍してきた。

 

 次にキバオウ率いる《アインクラッド解放隊》……通称ALS。

 キバオウについては……まあ、言わずもがなだ。相変わらず元βテスターについては良く思ってないようだが……キバオウ本人は、意外と面倒見の良い性格らしい。ビギナーを中心に勢力を増やし、数だけで言えばALSは現時点でSAO内の最大ギルドだ。

 

 そして最後に、クライン率いる《風林火山》

 現在のメンバーは、クラインのリア友4人に加えてキリトと俺が幹部として存在し、他十数名のプレイヤーが在籍している。

 トップギルドのうちの1つと言っても、風林火山は他の2つのギルドとは少し毛色が違う。

 まず、攻略における貢献度はそれほど高くない。ボス攻略に参加しているのはキリトと俺だけだ。

 では何が風林火山をトップギルドたらしめているのかと言うと、ガイドブック制作と、それと並行して行なっている中層以下のプレイヤーの支援が充実している点だったりする。

 具体的な活動内容については多岐に渡るため、ここでの説明は割愛するが……今、俺もその中層プレイヤーの支援活動に駆り出されていた。

 俺とキリトは攻略組として活動しているのでそっちの仕事はある程度免除されているのだが、攻略のペースに余裕があったりするとお鉢が回ってくる。

 今回の仕事内容は、オファーがあった中層のプレイヤーの元に赴き、狩りや攻略についてレクチャーすると言うものだった。

 お世辞にもコミュ力が高いとは言えない俺にとって、非常に苦手とする類いの仕事だ。

 正直逃げだしたい気持ちでいっぱいだったのだが、上司の命令には逆らえない程度の社畜根性を持つ俺は渋々ながらその仕事を受け持つことになったのだった。

 

「ここか……」

 

 そう独りごちた俺が見つめるのは、一軒の民家だ。クラインの話によると、ここに住む《月夜の黒猫団》というギルドが俺の受け持ちらしい。

 ちなみにキリトとは別行動だ。胃が痛い。

 そこで大きく深呼吸をした俺は、意を決してドアをノックしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第11層。タクト。

 そこに私たちのギルド《月夜の黒猫団》が借りている家があり、私を含めて5人のギルドメンバーが生活している。

 今日はここで人を待っていたので、みんな居間で各々時間を過ごしていた。

 その中で私だけが忙しなく家の中を歩き回り、何度も時間を確認し、逸る気持ちを抑えようと深呼吸を繰り返しーーと、朝からずっと落ち着かない様子でそわそわしていた。

 そんな私を見兼ねて、月夜の黒猫団のリーダーであるケイタが口を開く。

 

「少しは落ち着けよ、サチ。時間まではまだ少しあるし、そもそも“あの人”が来てくれるとも限らないんだぞ?」

 

 私はようやく足を止めて、ソファに腰掛けるケイタに体を向けた。

 

「それはわかってるんだけど……もし、あのハチさんが来てくれたらって思うと……」

 

 そう言った私は、かつてないほどに高揚していた。自分でも頬が紅潮しているのがわかる。そんな私の様子に、ケイタは苦笑いで答えた。

 

「サチはホントにハチさんのことが好きだなぁ……ま、気持ちはわかるけどさ」

 

「す、好きと言うか……その、憧れなの。ハチさんみたいになりたいって…」

 

 私が慌ててそう答えると、ケイタの隣に座っていたダッカーが茶化すように口を開いた。

 

「そりゃあ無理だろ。サチはビビりだしな」

 

 そう言うと、他のみんなも同意するように笑っていた。

 

「何よ、みんなして人をみそっかすみたいに……」

 

 私がみんなに抗議の顔を向けたその時、部屋にノックの音が響いた。みんなの視線が玄関に集まる。

 

「僕が出るよ」

 

 ドアに1番近い位置に居たケイタがすぐに席を立って、ドアノブに手をかけた。開かれるドアの先を、私は息を飲んで見つめる。

 

「あー……ども。風林火山のもんなんだけど、月夜の黒猫団ってギルドはここでいいのか?」

 

 そこに立っていたのは、私たちと同い年くらいの男の人だった。外装はスピード重視の軽装備で、背中には身の丈以上の長さの槍を背負っている。

 それは本に出てくるハチさんの特徴と同じだった。ちょっとアレな感じの目も、本に書いてあった通りだ。

 そこまで見てとった私の鼓動は、早鐘のように鳴り打っていた。

 もしかして、ホントに――

 

「あ、はい、うちであってます。今日は来て頂いてありがとうございます。それじゃあ……」

 

 緊張する私をよそに、礼儀正しく応接するケイタ。しかし、どうしても気持ちを押さえ切れなくなってしまった私は、ケイタを押しのけて彼に詰め寄った。

 

「あ、あの! もしかして……風林火山の、ハチさんですか?」

 

「お、おい、サチ……!」

 

 諌めるようなケイタの言葉など耳に入らず、私は彼の返事を待っていた。やがて彼は頭をかきながら口を開く。

 

「あー……期待してたところ申し訳ないんだが、俺はハチじゃない。エイトだ」

 

「あ……そうですか……」

 

 違った……。

 呟いた言葉と一緒に、私の中で膨らんでいた気持ちは萎んでいった。

 

「おい、サチ! エイトさんに失礼だぞ!」

 

「え……あっ!」

 

 ケイタの声に現実に引き戻された私は、今さらながらに自分の行動を省みて全身から血の気が引いた。

 

「す、すみません! 決してエイトさんが不満だったとかではなく、その……!」

 

 そう言って私は何度も頭を下げた。もしかしたら怒って帰ってしまうかもしれない。しかしそんな私の心配をよそに、当のエイトさんは特に気にした様子もなく答えた。

 

「別にいいよ。ハチが人気なのは知ってるし。むしろ悪かったな、期待させちまって」

 

「いえ、そんなことは……」

 

 一瞬、微妙な空気が漂ったが、すぐにケイタが場をとりもつ様に口を開いた。

 

「立ち話もなんですから、とりあえず入ってください。何か飲みますか? お茶とコーヒーと、オレンジジュースがありますけど……」

 

「あー、じゃあコーヒーを……」

 

 そう言ってケイタがエイトさんを奥のダイニングへと促していった。私はそれを見てホッとしつつ、その後ろについていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 例の本がこの世界に普及してから、俺は一躍有名人となった。

 『hachiという漢 第1巻』は最終的に4000部以上も配布したらしい。その続編である2巻と3巻は2000コルでの販売となったが、それも2000部ほどずつ売れたそうだ。

 ちなみにこの2巻と3巻について、販売前に俺に相談はなかった。というか、クラインとトウジが俺に隠れて計画を進めていたらしい。

 それについて一悶着あり、あわやギルド内部分裂の危機という事態にまで発展したのだが……まあ、ここでは割愛しよう。

 そんな経緯により、期せずして俺はSAO内で最も有名なプレイヤーになったのだが……正直、居心地の悪いことこの上ない。

 あの本では俺の言動に過大な脚色が施されているのだ。身元がバレれて好奇の目に晒されるのも嫌だが、俺の実態を知って失望されるのも胃が痛い。

 そんな事態を避けるべく、俺は第3層以降から偽名を使っていた。

 風林火山のエイト。それが今の俺の名前だ。

 まあ、パーティを組んだりすればすぐに偽名だとわかるのだが、ボス攻略を除いて俺がキリトやアスナ以外の人間とパーティを組むことはないので問題ない。

 そういった訳で、俺は月夜の黒猫団の面々に対しても同様の偽名を名乗っていた。

 そんなことなど露知らず、彼らは俺を風林火山のエイトとして家のダイニングに招き、話し始める。

 

「じゃあとりあえず自己紹介しますね。僕はケイタ。うちのギルド《月夜の黒猫団》のリーダーです」

 

 それに続いて男が3人と女が1人、自己紹介する。

 背の高い男がテツオ。チビ金髪がダッカー。特に特徴のない男がササマル。大人しそうな女がサチと言うらしい。みんな歳は俺と同じくらいか。

 

「みんなリアルで同じパソコン部だったんです」

 

「へぇ……」

 

 俺は出されたコーヒーを啜りながらそれを聞いていたが、1つ気になることがあり、口を開く。

 

「先に言っとくけど、別に畏まらなくてもいいぞ。歳も近いし。そういうの、疲れるだろ?」

 

 俺の言葉に、ケイタたちは顔を見合わせた。しかしすぐに表情を緩ませて、俺に向き直る。

 

「……そうだな。じゃあ堅苦しいのはなしにしよう。エイトって呼ばせて貰うよ」

 

 その後、他の面子も同じように頷いた。それに俺も適当に頷いて答え、本題に入るために話題を変える。

 

「それじゃあまず確認したいんだが、今回は戦闘訓練の依頼ってことでいいんだよな?」

 

「うん。最近、サチが槍から盾持ち片手剣に転向したんだけど……上手くいかなくてさ。そこも含めて、僕ら全体を指導して欲しいんだ」

 

 ケイタはそう言って隣に座るサチに視線を向けた。話に上がったサチは、申し訳なさそうに顔を伏せている。

 

「ふーん……。まあ、パーティのバランス的にはタンクが居た方がいいし、間違ってはいないと思うが……」

 

「何か問題があんの?」

 

 俺の含みのある言い方に、ダッカーが突っ込んだ。

 正直、俺は男4人女1人のパーティでわざわざ女にタンクを押し付けるのが気に食わなかったのだが……まあ、本人たちがそれで納得しているなら、俺が口を出すようなことじゃない。

 そう自己完結した俺は、首を振って答える。

 

「……いや、何でもない。とりあえず、メンバーの情報聞いていいか? レベルとか、武器とか。その後、手頃なフィールドへ行こう」

 

「わかった。ええと、まずみんなのレベルだけど……」

 

 その後、俺はケイタや他のメンバーから話を聞き、必要な情報を確認した後12層のフィールドへと出かけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「参考までに聞きたいんだけど、エイトのレベルはいくつなんだ?」

 

 狩場へと向かう道すがら、ケイタがそんなことを聞いてきた。

 

「今は38だな」

 

「38!? スッゲー……俺らの倍近いんだな……」

 

 隣にいたダッカーがそう言って大袈裟にリアクションをとる。第1印象で何となくわかっていたが、こいつはお調子者タイプのようだ。

 

「他の風林火山の人たちもそんなに高いのかい?」

 

 ケイタは優等生タイプだな――などと詮ないことを考えながら、俺は質問に答える。

 

「いや、うちは攻略組は多くないし……俺とキリトって奴が高いだけで他は30いかない位だな」

 

 その俺の言葉に何かひっかかったようで、後ろにいたサチが声をあげた。

 

「あれ? ハチさんは攻略組なんじゃないの?」

 

 ……やべ。

 サチのセリフに俺はピクリと反応しつつ、努めて冷静にそれに答える。

 

「え、ああ……そうだな。ハチも俺と同じくらいのレベルだったわ」

 

 幸い、みんな俺の言葉に疑問は感じなかったようで、各々頷いていた。その後、少し緊張したようすのサチが俺に尋ねる。

 

「あの、ハチさんって、どんな人なのかな?」

 

「どんな人……?」

 

「サチはハチさんの大ファンなんだよな」

 

 サチの隣で、テツオがそう補足した。

 なるほど、こいつもあの本に影響されてしまったクチか……。

 

「フ、ファンって言うか……その、尊敬してるの。凄い人だなって……」

 

「えーっと……すまんな。俺は風林火山だと新参だから、あんまりハチのことは知らないんだ」

 

「そっか……」

 

 俺の言葉にサチは俯き、わかりやすく落ち込んでいた。

 こいつは重症っぽいな……。

 そう思った俺は、それとなく釘を刺しておくことにした。

 

「けど、見た感じパッとしない奴だったぞ? あの自費出版の本を読んだんだろうけど……あれ、かなり脚色して作ったらしいし」

 

 まさか自分で自分のネガティブキャンペーンをすることになるとは……と、俺は少し悲しい気分になってきたが、頑張って話を続ける。

 

「あんまり過剰な期待はしない方がいい。実際にはハチなんてーー」

 

「そんなことない! 私、色んな人に話を聞いて調べたんだから!」

 

 俺が最後まで言い切る前に、声を荒げたサチに話を遮られた。

 

「お、おい、サチ……。ごめんな、エイト。あいつ本当にハチさんに心酔してて……気を悪くしないでくれ」

 

「ああ、いや……」

 

 俺はサチの剣幕に少しビビりつつ、頷いた。

 

「ほら、サチも落ち着けよ。これから俺らはエイトに色々教えて貰うんだ。そんなに喧嘩腰じゃあ……」

 

 ケイタに宥められてサチも少し冷静になったようで、頷き、小さくごめんなさいと呟いた。

 だが、その後も納得出来ない様子で俺に目線を送っていた。やがて、再び呟くように口を開く。

 

「エイトは、ハチさんのこと嫌いなの?」

 

 非常に答えづらい質問だった。いや、正直に言えば俺は自分のことが大好きなのだが……。

 

「嫌いと言うか、何と言うか……。まあ、色々あんだよ」

 

 結局俺はそうやって言葉を濁し、適当に誤魔化したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目的の草原フィールドについた俺たちは、早速狩りを始めた。

 この辺りに沸くモブは、全長2mほどのカマキリ型モブ《キラーマンティス》のみだ。現在の月夜の黒猫団でも十分に戦えるレベルの敵だったので、ひとまず俺は離れて様子を見ることにする。

 単体のキラーマンティスを見つけたケイタたちが、気合いを入れて戦闘に臨んでいった。

 それなりにパーティ戦闘の心得はあるようで、定石通りの隊列を組み、モブに着実にダメージを与えていく。

 しかし、しばらくすると問題が起こった。

 

「きゃあっ!」

 

 モブの攻撃を受け、サチは何とか盾でそれを弾きながらも、尻もちをついてしまう。

 

「サチ! 下がれ!」

 

 テツオがとっさに前に出てサチを庇った。しかし、それによって隊列は崩れ、対面していた敵がその隙をついて後衛へと襲いかかる。

 ……ここまでだな。

 そう判断し、俺はケイタたちとモブの間に立った。

 するとカマキリが奇声をあげ、右手にあたる大きな鎌を振りかぶって、俺に襲いかかってくる。俺はその大振りな攻撃を大きく踏み込んで外側に躱しつつ、横からソードスキルを放った。 俺の槍がカマキリの弱点部位である腹を貫き、その攻撃によってHPを大きく削られたそいつは、断末魔をあげることもなく無数のガラス片となって砕け散ったのだった。

 その後、俺は一息ついて周りを見渡す。ケイタたちはへたり込み、厳しい表情をしていた。

 

「……とりあえず、今の戦闘だけでも問題点がいくつかわかった。早いけど、一旦街に戻ろう」

 

 ここへ来てまだ戦闘を一回行っただけだったが、街からそう距離もなかったので俺はそう提案した。俺の言葉に、いち早く姿勢を正したケイタが答える。

 

「……わかった。みんな、行こう」

 

「一応、全員ポーション飲んどけよ」

 

 そう声をかけ、俺が先導して歩きだした。みんなそれぞれ思うところがあるようで、移動の間は誰も口を開くことはなかった。

 そうして歩くこと5分。第12層の中心部である、キルギスの街に到着した。

 キルギスの街はアインクラッドに存在する街の中では特に特徴のないごく一般的な街並みをしており、始まりの街と似たような石造りの建造物が並んでいる。正門から見て手前が居住区、奥が商業区となっていた。

 俺たちは正門から街へと入り、広場に休憩用と思われるテーブルと椅子を見つけてそこに落ち着いた。俺はテーブルを挟んで向かい合うケイタたちを見回し、話を切り出す。

 

「ここら辺にいるカマキリは、特別強い敵じゃない。ケイタたちのレベルと装備だったら、問題なく狩れるレベルのモブだ」

 

 ケイタたちは真面目な表情で俺の話を聞いていた。

 

「それなのに、さっきはピンチになった。原因は……まあ立ち回りの問題だな。それぞれ問題点をいくつか見つけたが……それは後で細かく指摘するとして、とりあえず1番の問題は……」

 

 そこで俺はケイタの横に座っていたサチに目を向ける。

 

「サチ、お前だ」

 

 サチも何か言われるのは覚悟していたようで、申し訳なさそうな顔をしながらも俺から目を逸らさなかった。しかし、続く俺の言葉によって、サチの表情は凍りついた。

 

「はっきり言うぞ。サチにタンクは……いや、戦闘は向いてない。この先上の層に上がって行きたいなら、パーティメンバーから考え直すべきだな」

 

 少し遠回しな言い方だったが、要はサチをパーティメンバーから外せということだ。

 何か建設的なアドバイスを貰えるだろうことを期待していたケイタたちは、突き放すような俺の言葉に、一瞬呆気に取られた。しかしすぐに我に返り、俺に抗議するような視線を向ける。

 

「ちょっと待てよ! そんな言い方ないだろ! だいたい、それを何とかするためにあんたを呼んだんじゃないか!」

 

 ササマルは怒気を孕んだ声でそう言ったが、俺は怯むことなく話を続ける。

 

「性格的に戦いに向かない奴がいるんだよ。そういう奴は大抵、どれだけ訓練しても土壇場で動けなくなる。まあ、俺の経験則だけどな」

 

 俺の見立てでは、サチは間違いなくそのタイプだった。戦いに対する恐怖心が克復出来ていない。

 

「足手まといが1人居ればパーティ全員が危険に晒される。遊びじゃないんだ。ただの仲良しパーティのままじゃ、すぐに限界がくるぞ」

 

 俺としては至極当然のアドバイスだったのだが、言い方が気に食わなかったのか、ダッカーが椅子から立ち上がって怒声をあげた。

 

「何だよお前! 好き勝手言いやがって……攻略組がそんなに偉いのかよ! 俺らだってなあ!」

 

「ダッカー。やめろ」

 

 声を荒げるダッカーを、ケイタが止めた。

 

「でもケイタ、こいつ……!」

 

「おい、少し落ち着けよ」

 

 ダッカーは未だに気が収まらない様子だったが、隣のテツオにも宥められてようやく腰を下ろした。

 

「あー……何か気に障ったんなら謝るけどな、別に俺はお前らを馬鹿にしたつもりはないぞ。むしろ、良くやってると思う」

 

 俺は険悪になったこの場を取り持つように、一応のフォローを入れた。俺だって別にこいつらを怒らせようと思って言った訳ではないのだ。

 

「だけど、今までのやり方じゃもうすぐ限界が来る。お前らもそれを感じてたから俺を呼んだんだろ?」

 

 そう言われて、ササマルとダッカーも渋い顔で俯いた。

 

「技術的なことならいくらでも教えられるが、サチの問題はそれ以前のものだ。悪いけど、俺にはそれを解決するようなアドバイスは出来ない」

 

 俺がそう言うと、それきりみんな黙り込んだ。嫌な沈黙が流れる。

 

「わ、私……」

 

 静寂を破ったのはサチだった。

 

「私、恐がりだけど……。その……強くなりたいって、そう思ってるの……だから……」

 

 絞り出したような声は段々と萎んでいき、最後の言葉は聞き取れなかった。そのサチの言葉は明らかに強がりだったが、嘘ではないのだろう。

 だが……と思い、俺は口を開く。

 

「悪いが――」

 

「エイト。今日は、ここまでにしないか」

 

 立ち上がったケイタが、俺の言葉を遮った。みんなを見回して、ケイタは話を続ける。

 

「僕らの認識が甘かったみたいだ……。みんな、今日は先に帰っていてくれ。僕はエイトと2人で少し話がしたい。エイトも、いいかな?」

 

 その提案に、俺も含めて全員が意表を突かれた。まあ俺にはそれを拒否する理由も特になかったので適当に頷くと、それを認めたケイタが話を続ける。

 

「みんなも色々言いたいことはあるだろうけど……ひとまず、僕に任せてくれないか?」

 

 ダッカーとササマルは訝しげな顔でケイタを見ていたが、1人冷静な様子で今までのやりとりを見ていたテツオが口を開いた。

 

「……ケイタ、何か考えがあるんだな?」

 

 その問いに、ケイタは神妙な様子で頷く。

 

「ああ……帰ったら、ちゃんと説明する」

 

 テツオはしばらくケイタの顔を見つめ、息をついた。

 

「わかった。みんな、行こう」

 

 ダッカーとササマルはまだ納得のいかない顔をしていたが、テツオに促されて不承不承と言った様子で歩き出した。俯いていたサチも、それに続くように歩き出す。俺とケイタは黙ってそれを見送った。

 しばらくして彼らの姿が見えなくなったところで、ケイタがゆっくりとこちらに向き直る。そして真剣な顔で口を開いた。

 

「エイト……いや、ハチ。腹を割って話をしよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前……知ってたのか?」

 

 俺のことを『ハチ』と呼んだケイタに、俺は少なからず動揺していた。

 

「クラインさんにこの件を依頼した時に聞いたんだ。多分、ハチが偽名を名乗るだろうってこともね」

 

 クラインの奴め、余計なことを……。つーか、最初から知っていたのか……とんだピエロだ。まさかみんな最初から知っていて、エイトを演じる俺を眺めていたのだろうか。何それ、めっちゃ恥ずかしい。

 そんな俺の危惧を見抜いたように、ケイタが口を開く。

 

「あ、安心して。他のみんなには言ってないから」

 

 表情には出さなかったが、その言葉に俺は心の底で安堵した。

 

「それで、その時クラインさんに言われたんだ。ハチは言い方はきついかもしれないけど、必ず僕らの為になる助言をくれるから、冷静に話を聞いてやって欲しいってさ」

 

「……あいつはホント世話焼きだな」

 

 俺のぼやきにケイタは笑って応えたが、すぐに神妙な顔になって口を開く。

 

「それでハチは……サチを戦いに参加させるべきじゃないって、そう思ってるんだよね?」

 

「ああ。……っていうか、むしろ何であんなに怖がってるのに、未だに一緒に戦わせてんの?」

 

 俺はケイタの問いに対し、逆に問い返した。

 

「そう言われると耳が痛いんだけど……。でもサチ自身は弱音を吐かなかったから……」

 

「アホか。そんなんお前らに気を使ってるからに決まってんだろ」

 

 俺は即行でそう突っ込んだ。その言葉に苦い顔をしたケイタは、俯いて黙り込んでしまった。俺はそれに構わず話を続ける。

 

「プレイヤーの男女比を考慮に入れても、上層から中層の狩場に女プレイヤーは多くない。命をかけて戦おうって女は少ないんだよ」

 

 このデータは俺の主観に基づいたものだったが、それなりに信用出来るものだと自分では思っていた。

 

「俺は……俺たちは、サチに、無理をさせてきたのかな……?」

 

 俯いたままのケイタは、弱々しい声でそう言った。

 

「……まあ、あいつがホントのところどう思ってるのかなんてわかんねーけどな。どっちみち、今のままじゃこの先の層には行けないのは確かだ」

 

 俺はそこで言葉を切り、次いで迫るようにケイタへと言い放つ。

 

「お前らが選べる選択肢は2つ。サチをパーティから外すか、上の層を目指すのをやめるかだ」

 

 それから、しばらく沈黙が訪れた。俯いたケイタの表情を伺い知ることは出来なかったが、握りしめた拳から、こいつの葛藤が見て取れた。

 

「……まあ、別に今すぐ決めなきゃいけないことじゃない。とりあえずギルドで話してみればいいんじゃねーの?」

 

 俺がそう言うとケイタはため息をつき、ようやく顔を上げた。

 

「……そう、だな。うん。みんなと話してみるよ」

 

 とりあえず話が一段落ついたので、俺は椅子の背もたれに身体を預けながら伸びをした。珍しく真面目な話をしたので、凄い疲れた気がする。

 

「あ、済まない。ちょっとメッセージが着たから確認させてくれ」

 

 そう言いながらケイタがシステムウインドウを呼び出す。そしてメッセージを読んでいたケイタの顔が歪むのがわかった。

 

「……何かあったのか?」

 

 その様子を横から眺めていた俺がそう尋ねると、ケイタは焦った様子で立ち上がって言った。

 

「サチが、何処かに居なくなったって……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私なりに、ここまで頑張ってきたつもりだった。

 少しでも、ハチさんのようになりたくて。

 少しでも、強い自分になりたくて。

 弱い自分を叱咤して、ここまで頑張ってきたつもりだった。

 

 でも、今日。

 エイトに、私の怯懦を見抜かれた。

 

 あんなにモンスターと戦ってきたのに。

 レベルだってそれなりに上がったのに。

 本当の私は、何ひとつ変わってはいなかったのだ。

 弱虫の私は、一歩だって前に進めてはいなかったのだ。

 このままじゃダメだ。今変わらなきゃ、私は一生変われない。

 

 気付いた時には、私は駆け出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ホームに戻ってくるまでは一緒に居たんだけど……。その後、いつの間にか居なくなってたんだ……」

 

 俺とケイタが11層にある月夜の黒猫団のホームに駆けつけると、焦った様子のササマルが状況を説明してくれた。

 彼らがサチの失踪に気付いたのは10分ほど前だそうだ。ホームの中やその周辺を探しても見つからず、これはまずいと思ったダッカーがケイタに連絡を取ったらしい。

 俺とケイタが事情を把握すると、眉を釣り上げたダッカーが俺に掴みかかって来た。

 

「あんたが、サチにあんな事言ったからだ! もしサチに何かあったら……!!」

 

「やめろ、ダッカー! エイトを責めてもどうしようもないだろ!」

 

 そう言ってケイタが間に入ったが、俺はダッカーの言葉を取り合うこともなく、口を開いた。

 

「……サチはまだパーティに入ってるのか?」

 

「え、ああ、うん。……HPも満タンのままだし、今はなんともなさそうだけど……」

 

 ケイタは視線を左斜め上に向けながら、そう言った。

 

「そうか……。じゃあ、俺をパーティに入れてくれ」

 

 その言葉に、ケイタたちは訝しむ顔をして俺を見た。彼らの疑問に答えるために、俺はさらに言葉を紡ぐ。

 

「俺は《追跡》スキルを使える。パーティメンバーの位置ならそれで追えるんだ」

 

 エクストラスキル《追跡》

 索敵スキルがある程度の熟練度に達すると修得出来るスキルで、その名の通り、対象としたものの痕跡を視認し、追跡することが出来るのだ。

 俺はまだスキルの熟練度が低いので、フレンドかパーティメンバーしか対象に出来ない上に、層を跨いでの追跡は出来ないのだが……この場ではこのスキルに頼るしかない。

 

「……わかった。今招待する」

 

 俺の言葉に頷いたケイタがすぐにシステムウインドウを操作し、俺をパーティへと招待する。俺はそれを受諾し、次いで追跡スキルを発動しようとすると、隣に居たササマルが困惑の表情を浮かべた。

 

「あれ……名前の表示が、ハチって……?」

 

 そう言えば、偽名のこと忘れてたわ……まあ、仕方ない。緊急事態だし。

 

「あー……すまん。その辺の説明は後でな」

 

 俺はそう言いながらシステムウインドウへと目を戻し、すぐさま追跡スキルを発動した。すると、地面に薄緑の足跡が浮かんでくる。サチの足跡だ。

 点々と続く彼女の足跡は、月夜の黒猫団のホームから真っ直ぐに街の正門へと向かっていた。

 

「……圏外に居るみたいだな」

 

 俺が呟いたその言葉に、ケイタたちは顔を歪めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 不思議な洞窟だった。

 地中深くだって言うのに、視界は悪くない。洞窟の中、点々と岩壁から突き出す様に水晶があって、それが青白い光を放っているみたいだ。今までに見たことのない、美しい光景だった。

 

 ここで、私は死ぬのかもしれない。

 

 街を飛び出した私は、結局何も出来なかった。モンスターとまともに戦うことも出来ずに逃げ出し、追ってくるモンスターをやり過ごそうと岩山の麓に身を潜めた時、そこで私は足を滑らせたのだ。急な傾斜になっていた洞窟の入り口を私は滑り台のように滑り落ちてゆき、気が付けば地中深くのこの洞窟へと迷い込んでいた。

 来た道を戻ることも試みたけど、どうしても途中で滑り落ちてしまう。恐らく、この入り口は一方通行なのだろう。となればここから出るには出口を探して前に進むしかないのだろうけど……。

 多分この洞窟は、ダンジョンだ。ダンジョンに生息するモンスターは、フィールドのものより強いというのがこの世界での常識だった。だからここでモンスターと遭遇すれば、きっと私では生き残れない。

 そんな死に対する恐怖が足を竦ませ、私は入り口から一歩も進むことが出来なかった。

 でも、ここでじっとしていても安全だと言う保証はない。

 そして、そんな私の不安は的中した。

 

 洞窟の奥からもぞもぞと、何かが這いずる音が聞こえてくる。私は洞窟内の窪みに身を潜めながら、その音の先を注視していた。そこに現れたのは、体長1mほどの巨大なダンゴムシのようなモンスターだった。

 

《アシッドクロウラー》

 

 視界には聞いたことのないモンスター名が表示されていた。

 こちらに向かってくるそのモンスターを見て、震えながらもなんとか覚悟を決めた私は剣を抜いた。

 見たところあのモンスターの動きは遅い。もしかしたら私でもなんとか戦えるかもしれない。

 しかしそんな私の淡い期待は、すぐに打ち砕かれた。

 

「群れ……!?」

 

 先ほど目視したアシッドクロウラーの後ろに、続々と同じモンスターが現れたのだ。その数5体。

 それを見た瞬間、私の頭は真っ白になった。複数のモンスターとの戦闘経験なんてない。あんな数のモンスター、私に相手が出来るわけがなかった。

 手に持った剣も盾も落として、私は尻もちをついてしまう。

 ――ああ、そうか。私はここで死ぬんだ。

 そう悟った私は、ゆっくりと目を閉じようとした。

 その時――

 

「うぉぉぉおぉ!?」

 

 絶叫と共に、私の後ろに誰かが滑り落ちてきた。勢いそのままに隣にあった岩に激突する。

 

「いった……くはないか……。あー、ビビった……」

 

 そう独り言ちたその人物は、体のホコリを落とす動作をしながら立ち上り……それを見つめる私と目が合った。

 

「……エ、エイト?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺がサチに追いついた時、状況はかなり切迫していた。

 剣と盾を放り出して尻もちをついたサチを囲む様に、俺も見たことのないダンゴムシのようなモンスターたちが迫っていたのだ。

 

「……エ、エイト?」

 

 駆け付けた俺を認め、サチが惚けた声をあげた。

 

「話は後だ」

 

 そう言って俺は槍を構えて駆け出した。相手は6体。動きは遅い。見た目からして、恐らく何らかの特殊攻撃をしてくるタイプだろう。

 そこまで分析しつつ、サチの横を駆け抜けた俺は群の中で突出していた一体に刺突を食らわせ、敵のHPを注視する。

 通常攻撃でHPを3分の1ほど削れたようだ。これならソードスキルを使えばギリギリ一撃で屠れるだろう。

 そう考えて俺は横薙ぎに広範囲を攻撃出来るソードスキルを使おうとしーーその時、周りのモブが一斉に粘液の様な物を吐きかけてきた。キモい。

 俺はそれを反射的に避けようとしたが、すぐ後ろに座り込むサチを思い出して踏みとどまった。虫の粘液を頭から被るのはかなり生理的な嫌悪感があったが……この状況ではやむを得ない。

 モブの粘液攻撃を甘んじて受けつつ、俺はソードスキルを構えた。攻撃を受け切り、状態異常もなく大したダメージも負わなかったことに安堵して、俺は技を放つ。

 横薙ぎの一閃。その攻撃は、俺を中心に半円状に並んでいたモブたちを正確に捉えた。

 狙い通り綺麗にHPを削り切り、6体のアシッドクロウラーたちはガラス片となって消えていったのだった。

 

「す、凄い……」

 

 槍を収めて一息ついた俺を迎えたのは、感嘆するサチの声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何でエイトがここに……?」

 

 戦闘が終了してからしばらく経って、ようやく少し落ち着いた様子のサチはそんな疑問を口にした。その質問に俺はため息混じりで答える。

 

「そりゃ、こっちのセリフだっつーの……。俺は追跡スキルでお前を追ってきたんだよ」

 

 俺の言葉に、サチは申し訳なさそうな顔を作って俯いた。

 

「あ、そうか……。その……ごめんなさい、私……何かしなくちゃって、焦って飛び出してきちゃって……」

 

 やっぱり、俺に言われたことを気にして飛び出したのか……。

 そのことに俺はちょっと罪悪感を感じつつも、大事に至らなかったことに安堵して口を開く。

 

「……ま、その話は戻ってからでいい。コレやるから、さっさと帰るぞ。使い方はわかるな?」

 

 言い淀むサチの言葉を遮った俺は、アイテムストレージから取り出した青い石……転移結晶を彼女に手渡した。

 

「え……? こ、こんな高価な物貰えないよ……!」

 

「んなこと言ってる場合じゃねーだろ。いいから使えよ」

 

「う、うん……」

 

 俺が強めにそう言うと、サチは躊躇いがちに頷いた。そして右手に持つ転移結晶を掲げて、口を開く。

 

「転移、タクト! ……あれ?」

 

 サチの言葉は、洞窟内に虚しく響き渡った。転移結晶はピクリとも反応していない。もう一度試みたが、やはり転移結晶は使用出来ず、サチは困った様に俺の顔を見つめた。

 ……マジか。

 俺は憂鬱な気持ちになりながら口を開く。

 

「転移結晶使用禁止エリアか……こんなん初めてだな」

 

「う、うそ……そんなこと、あるの?」

 

「まあ、いつかはこんなこともあるだろうとは思ってたけど……」

 

 一方通行の入り口に、転移結晶使用禁止エリアか……かなり性格の悪い作りをしたダンジョンだな。

 

「自力で脱出するしかないってことか……厄介だな」

 

「ごめんなさい、私のせいで……」

 

「さっきも言ったけど、そういう話は帰ってからにするぞ。今はここから出ることを考えねーと……」

 

「うん……あ、これ返しておくね」

 

 サチはそう言って持っていた転移結晶を俺に渡した。俺はそれを受け取ってアイテムストレージにしまいつつ、頭を捻る。

 

「しかし、どうしたもんか……」

 

 そう言って渋面を作った俺を見て、サチは不安そうに尋ねる。

 

「このダンジョンって、そんなに難しいところなの? エイトのレベルでも?」

 

「んー……多分レベル的には余裕なんだが、ちょっと問題がな……これ見てみろ」

 

 そう言って俺は自分のシステムウインドウをサチに見せた。開いていたのは武器防具のステータス欄で、俺は防具の耐久値の部分を指差す。

 無防備に俺に密着してウインドウを覗くサチにドギマギしつつ、俺はなるべく冷静に説明した。

 

「……今日の朝、装備のメンテナンスをしたんだ。だからここに来るまでは防具の耐久値はほぼ100%だったんだが……今は34%しかない」

 

「一気に耐久値が削られたってこと……? あ、そうか。アシッドクロウラー……アシッドって、確か酸のことだから……」

 

 そう、恐らくサチの読み通り、さっきのモブの攻撃によって一気に防具の耐久値が削られたのだ。虫タイプのモブはなんらかの効果を持った特殊攻撃を使うことが多い。あのダンゴムシの吐いた粘液は、防具の耐久値を削る特殊攻撃だったのだろう。

 

「まあ、そういうことだろうな……。さっきのダンゴムシは弱かったが、流石に全部の攻撃を避けるのは厳しいし、多分あと何回か戦闘したら耐久値が0になる。予備の防具は用意してないし……防具なしで戦える程レベルに余裕もないし……」

 

 ……あれ? 詰んでね?

 いや、落ち着け。ダンジョンであるならどれだけ性格の悪い作りをしていても、何らかの攻略法があるはずだ。

 

「防具……? それなら……あ、でも……」

 

「何かあるのか?」

 

 何やら言い淀んだサチに、俺は発言を促した。今はどんな情報でも欲しい。

 

「えっと……私一応、裁縫スキルを持ってて、素材さえあれば皮か布の防具なら作れるんだけど……」

 

「裁縫スキル……?」

 

 意外な言葉が出てきたので、俺は思わず問い返してしまった。

 裁縫スキルとは生産系スキルの1つで、素材を消費して衣類や小物を作成出来るスキルだったはずだ。今まで裁縫スキルで作った物はビジュアル重視で実用性皆無のアバター装備しか見たことがなかったが……そうか、素材があれば防具も作れるのか。

 

「あ、でも針はあるけど、今は生地になる物も糸も持ってないから、あんまり意味ないかも……ごめんなさい……」

 

 サチはそう言ってまた俯いた。しかし、彼女の言葉に少し思い当たることがあった俺は、すぐさま自分のアイテムストレージを確認した。

 確か、さっきのダンゴムシがドロップしたアイテムがあったはずだ。

 ストレージの中に目当てのアイテムを見つけた俺は、それをタップしてアイテムの説明を読んだ。

 

「あー……そういうことか……」

 

 その時、俺の中にあった様々な疑問が一気に解消され、思わずニヤつきながらそう呟いた。ついついキモい笑みを浮かべてしまったのだが、サチはそんな俺に引くこともなく可愛く小首を傾げて不思議そうに俺を見ている。

 俺は咳払いをして真面目な表情を作り直し、サチに向かって口を開いた。

 

「サチ。俺たちがここから生きて出られるかどうかは、お前に掛かってるみたいだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺の記憶が正しければ、以前この層に来た時にこんなダンジョンは存在しなかった。

 第11層を攻略していた当時、この辺りのフィールドはくまなくマッピングしたので、見落としがあったとも思えない。

 ならば、考えられる可能性は1つ。

 この洞窟が《エクストラダンジョン》だと言うことだ。

 エクストラダンジョンとは、その出現や入場に特殊な条件があるダンジョンのことである。

 例えば、プレイヤーがある程度のレベルに達していなければダンジョンが出現しなかったり、また、あるスキルを所持していなければ入場出来なかったりする仕掛けがしてあるのだ。

 今回、サチがここに迷い込んだということは、彼女が何らかの条件を満たしていたと考えられる。俺がここに入ることが出来たのは、同じパーティだったからだろう。

 

「えーっと……つまり、私が裁縫スキルを持っていたから、このダンジョンに入っちゃったってこと?」

 

 俺の説明を聞いていたサチが、針仕事をしながらこちらを向いて質問した。手元を見なくていいのか、と俺は一瞬思ったが、どうやらスキルを使用すれば後は勝手にやってくれるらしい。

 

「まあ推測だけど、多分間違いない。そんで、スキルが入場の条件になってる場合、そのスキルがダンジョン攻略の鍵になっていることが多いんだ」

 

 以前、調合スキルを持った者しか入れないダンジョンが見つかったが、そこに生息するモブは特殊な毒攻撃をするものばかりで、その毒は調合スキルによって作られた薬でしか解毒出来ないものだった。

 

「へえ……エイトは色んなこと知ってるね」

 

「まあ、風林火山には色々と情報が集まってくるからな」

 

 そう答えつつ、俺は今更ながらにあることに気付いた。

 こいつ、まだ俺のことをエイトだと思ってるのか。

 まあ、パーティメンバーの表示は視界の端っこにちょびっと載ってるだけだし、気付かないのも無理はない。うん。わざわざ話して気まずくなるのもアレだし、このまま誤魔化すことにしよう。

 

「……ふう。エイト、終わったよ」

 

 裁縫スキルによって防具の作成をしていたサチは、そう言って出来上がった物を俺に差し出した。

 

「一応、エイトから貰った素材で、言われた通りに作ったけど……」

 

 俺がサチに渡した素材とは、先のアシッドクロウラーがドロップしたアイテムだ。

 《アシッドクロウラーの外皮》と《粘着糸》

 俺の予想が正しければ、これで……。

 そんな祈る様な思いで、俺はアイテムの情報を確かめるべくそれをタップした。

 

《クロウラークイラス》

 

 体装備

 

 STR+12 防御力+29 強酸+30

 

「マ、マジか……」

 

 無意識に、俺はそんな声をあげてしまった。

 

「や、やっぱり何かダメだったかな……?」

 

 心配そうに俺の顔を覗いたサチに、俺は慌てて首を振った。

 

「いや、なんつーか……。俺の予想より、かなり強い」

 

 恐らく、強酸+○○というのが、あのダンゴムシの特殊攻撃に対する抵抗力なのだろう。俺はその抵抗力さえあれば他はそれなりでいいと思っていたのだが……。

 

「今、俺が装備してる防具よりも性能が良い……。最前線から10層以上も離れてるのに、これは異常だぞ……」

 

「そ、そんなに強いんだ……」

 

 俺の説明で、ようやく事態を理解したサチも驚きの声をあげた。

 

「サチ、渡した素材はまだ残ってるか?」

 

「うん。あと1つくらいなら何か作れると思うけど……」

 

「じゃあ、下衣を頼む」

 

「う、うん。わかった」

 

 そう言ってサチはウインドウを操作する。裁縫スキルを起動し、先ほどと同じ様にチクチクと針仕事を始めた。

 俺はその作業をしばらく見つめていたのだが、サチが何やらもじもじとしながら口を開く。

 

「その……じっと見られてると、恥ずかしいんだけど……」

 

「え、あ、おお……スマン」

 

 俺は慌てて目を逸らしたが、なんだか微妙な空気になってしまった。しばらく沈黙が訪れる。しかし、すぐにサチが場を取り持つ様に口を開いた。

 

「そ、そう言えば、ギルドの皆はどうしたのかな……? 私、何も言わずに出てきちゃったし……」

 

 俺はサチから目を逸らしたまま、その問いに答える。

 

「ああ、あいつらも俺について来ようとしてたんだが……正直足手まといだったからな。置いてきた」

 

「あはは……。やっぱりエイトは凄いね」

 

 サチは笑ってそう言っていたが、横目に見たそれはどこか自嘲するような笑みに見えた。

 

「……別に、凄くなんかねえよ。足手まといなんて言ったけどな、実際俺とあいつらの違いなんて、レベルと、戦闘のちょっとしたコツを知ってるかどうかだけだ」

 

 仮想世界とは言え、結局はゲームの世界なのだ。その中での強さなど、所詮はその程度のものでしかない。

 俺は本心からそう思っていたのだが、その話を聞いていたサチは首を横に振った。

 

「ううん。エイトは凄いよ。こうやって私みたいなプレイヤーを助けながら、攻略にも参加してるんだもの……本の中のハチさんみたい。私には、絶対真似出来ないよ……」

 

 ハチという名前が出てきて一瞬ドキッとした俺は、動揺を顔に出さないように瞑目した。そのままサチの発言について考え、俺は口を開く。

 

「……別に、真似する必要なんかねーだろ」

 

 その言葉に、ずっと手元を見ていたサチが顔を上げて、俺の目を見つめた。俺はサチから目線を逸らしつつ、話を続ける。

 

「……言っとくけど、俺がこんなことしてるのは、ただの成り行きだぞ? 別に立派な志がある訳じゃない。たまたま戦うのが少し得意で、こういうことになっただけだ。俺はただ出来ることをやっただけ。むしろ苦手なことを必死になってやろうとしたお前の方が、俺より断然凄いだろ」

 

 俺の座右の銘は、『押して駄目なら諦めろ』だ。サチのように、諦めずに頑張ったことなどない。

 しかしそんな俺の言葉など慰めにもならなかったようで、サチは苦々しい顔をして俯いた。

 

「でも、結局私何も出来なかったし……」

 

「何も出来なかったってことはねーだろ。一応この層まで来れたんだしな。まあ、戦うのは向いてないって良く分かったんだし、もう辞めても良いんじゃねーの?」

 

 そんな俺の提案に、サチは明確な拒絶を示した。

 

「そんな、ダメだよ……私だけ逃げるなんて……」

 

 別に逃げても良いと思うんだが……まあ、それじゃあこいつは納得しないんだろうな。

 そこで俺は少し考えて、別の提案をしてみる。

 

「じゃあ、違う形でアプローチをかけてみればいい。そうだな……裁縫師でも開業すれば良いんじゃないか? 布とか皮の装備も割と需要あるし」

 

 俺がそう言うと、サチは間の抜けた顔をしていた。そんな彼女に、俺はさらに言葉を続ける。

 

「別に、出来ないことを無理にやろうとする必要はないだろ。やれることだけやってりゃいい」

 

「私……」

 

 そう言って俯いたサチの手は止まっていた。

 俺は防具の作成が終わったのを見てとり、ゆっくりとサチに近づいた。そしてサチの手から、彼女が作り上げた装備を拾い上げる。

 

「お前が作った装備が、俺の命を守るんだ。それは逃げなんかじゃねーだろ」

 

 そこで俺を見上げるサチと目が合った。俺は気恥ずかしくなってきて目を逸らしつつも、なんとか言葉を続ける。

 

「……後はまあ、俺みたいなのに任せとけばいい。お前は良く頑張ったよ」

 

「……ゔん」

 

 頷いたサチは、堰を切ったように泣き出した。

 何か、このパターン前にもあった気がする……。

 大丈夫。俺は学ぶ男だ。もうこんな状況でもキョドったりしない。

 

「……エイト……」

 

「は、はい?」

 

 余裕ぶっていた脳内とは裏腹に、口をついて出た言葉は盛大に裏返った。死にたい。

 だが、サチはそれを気にした様子もなく俺の顔を見つめて言葉を続けた。

 

「ありがとう……」

 

「……おう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サチが落ち着くのを待って俺たちは洞窟内の探索を始めた。しばらく歩き回ったが、今のところ遭遇したモブはあのダンゴムシだけだ。

 防具は対ダンゴムシ用に新調したし、サチを安全な場所に避難させて対応したので戦闘において特に問題は起きなかった。

 そうやって追加で手に入れた素材で俺の手足の防具や、一応サチ用の防具なども作成し、俺たちはさらにダンジョンの奥に進んで行く。

 俺の勘だとそろそろ出口が見つかるはずなんだが……と思った所で、一際大きな空間に行き当たった俺は“それ”を見つけた。サチも同じものを見つけたようで、緊張した面持ちで口を開く。

 

「ねえ、エイト……あれって……」

 

 そう言ってサチは視線の先にあるものを指差した。

 

「多分、エリアボスの類いだな。しかし、デカイな……」

 

 俺たちの視線の先にいたもの、それは超巨大なダンゴムシだ。全長15mくらいだろうか。あれに赤い目とか付けたら、多分ジ○リに訴えられるな。

 

「エイト、どうする……?」

 

「あれ、何とかしないと先に進めないからな……。まあサイズ的にあそこの空間から出て来れないだろうし、お前はここで待ってろ」

 

「う、うん」

 

 不安そうなサチをおいて、俺は槍を構えて進んで行った。超巨大なダンゴムシはすぐにこちらに気付き、近づいてくる。その下には《キングクロウラー》と名前が表示されていた。

 彼我の距離20mといったところで、俺は全力で駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、エリアボスとの戦闘は時間こそかかったものの、特に苦戦することもなく終了した。

 隙の少ない単発のソードスキルをボスの巨体に打ち込み、すぐに逃げ、また隙を見て打ち込み、すぐに逃げ、というチキンな……いや、頭脳的な戦法で俺は勝利を得たのだ。

 そしてエリアボス撃破後、さらに奥に進んで行った俺たちは、水晶の放つ淡い光とは違う、強い光が洞窟内に差し込んでいるのを見つけた。俺はそれに安堵しつつ、口を開く。

 

「ようやく出口か……」

 

 俺はそこでため息をつき、光が差す方へと向かった。しかし――

 

「あ、エイトッ、足元……!」

 

「ん……? うぉぉおぉぉ!?」

 

 外の強い光に目が眩んでいた俺は、出口が急斜面になっていることに気付かずに足を滑らせた。

 

「エイト! ……きゃあ!」

 

 滑り落ちて行こうとする俺を掴もうとしたサチも、俺の体重を支えきれずに巻き添えを食らったのだった。俺たちは絡み合って斜面を滑って行き、20mほど行ったところでやっと止まった。

 俺は仰向けに倒れ込み、その俺に覆い被さるようにサチが地面に手をついている。見つめ合う俺たち。その距離、数センチほど。

 やばいとは思ったが、俺は下手に動けなかった。俺の方から動けば、ハラスメント警告を受けて最悪の場合《黒鉄宮》行きだ。

 だから俺はサチがどいてくれるのを待っていたのだが……何を思ったのか、サチはそのままの体勢で話し始めた。

 

「エイト……」

 

「は、はい?」

 

 頬を上気させたサチが、テンパる俺を正面から見つめて言葉を紡ぐ。

 

「今日は、その、ありがとう……。私、エイトのおかげで、今度こそ前に進めると思う……」

 

 サチはそこで一呼吸置いて、さらに続けた。

 

「エイト。あのね、私――」

 

「ハチ君。あなた、何してるのかしら?」

 

 サチの言葉を遮ったその声は、妙に聞き覚えのあるものだった。俺は嫌な予感がしつつ、左右に首を巡らせる。

 そこで初めて、俺はここがタクトの街の目の前だと言うことに気付いたのだが……そんなことよりも、今俺たちの隣に立っている人物が目に入り、俺は衝撃を受けた。

 

「ア、アスナ……?」

 

 そこに立って居たのは、静かな笑みを湛えたアスナだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第11層。タクト。

 何とかダンジョンから脱出した俺とサチは、突然現れたアスナに月夜の黒猫団のホームまで連れて来られたのだった。

 サチの無事を喜ぶケイタたちを尻目に、俺はアスナ、キリト、クラインの3人と話をしていた。

 

「ふぅん……。それで、私たちが心配して探し回ってる時に、ハチ君は可愛い女の子と親睦を深めていたわけね。へぇ……」

 

 微笑を湛えるアスナ。でも目が笑ってない。怖い。

 

「いや、その、違くて……あれはその……事故で……」

 

 しどろもどろになって答える俺の横で、苦笑を浮かべたキリトが口を開く。

 

「ア、アスナ? それくらいにしてやろうぜ? ハチだって悪気があった訳じゃないんだし……」

 

「何が? 私、別に怒ってなんかないけど?」

 

 キリトの言葉も、アスナの微笑を崩すには至らなかった。

 つーか、何なのこの状況……。どうして俺がいびられてんの……?

 

「まあ、何事もなかったんだしよ、今はハチとサチちゃんの無事を喜ぼうぜ?」

 

 クラインの言葉に、アスナもようやく気を収めてくれたようで、大きくため息をついた。

 

「まあ、そうね……。2人とも無事で良かったわ」

 

 ひとまずアスナの怒りが収まったことにホッとした俺は、ずっと気になっていたことを尋ねた。

 

「それで、お前ら何でここにいんの?」

 

「ケイタから緊急事態だって連絡を貰ってな。たまたまウチのホームに来てたアスナと、ちょうど帰ってきてたキリトと一緒にハチたちを探しに来たってワケだ」

 

 俺の疑問に、クラインがそう答えた。

 

「あー……悪かったな、世話かけたみたいで」

 

「良いってことよ! 俺らの仲だろ?」

 

 クラインはそういいながら俺の背中をバシバシと叩いた。痛い痛い。

 いつもならここで苦言の1つでも言ってやるんだが……まあ、今回は割と本気で迷惑を掛けたようなので、俺は甘んじてそれを受け入れた。

 

「あ、あの……!」

 

 俺たちがそんなやり取りをしていると、いつの間にか月夜の黒猫団の連中が後ろに立っていた。その中で少し前に出たサチが、緊張した様子で口を開く。

 

「皆さん、今日はご迷惑をお掛けして、本当にすみませんでした!」

 

 そう言って頭を下げたサチに続いて、他のメンバーも謝っていった。

 

「いいのよ。全部ハチ君が悪いんだから」

 

 そう言って微笑むアスナ。どうやら先ほどの怒りはまだ収まっていなかったらしい。

 まあ正直なところ今回の件は俺の落ち度も多分に含まれているので、何も言い返せなかった。

 だが顔を上げたサチが、俺をフォローするように口を開く。

 

「いえ、その……むしろハチさんには凄く助けて頂いて……」

 

 ちなみにアスナと出会ったところで、なし崩し的に俺の偽名はサチにバレてしまっている。意外なことに彼女はそれほど驚かなかったのだが、それから言葉遣いなどは妙によそよそしくなってしまったのだった。

 そんな様子にどうにも居心地の悪さを感じてしまい、俺はサチに声を掛けた。

 

「あー……サチ、そんな畏まらなくていい。むしろそこのヒゲ面とか、罵倒してくれていいから」

 

「うぉいっ!? ……まあ、罵倒は言い過ぎだけどよ。もっと気楽にやろうぜ。あ、ちなみにオレ、クラインっていいます。24歳独身、ただいま彼女募集中で――」

 

「おい、おっさん。高校生に手出したら条例違反だぞ」

 

 キメ顔でサチに視線を送っていたクラインに、俺は一応釘を刺しておいた。俺の発言に顔を歪めたクラインは、頭を抱えて机に突っ伏す。

 

「くそっ……! こんなに可愛い女の子を前にして……! どうしてオレは高校生じゃないんだっ……!」

 

「まあ、おふざけはこれくらいにして……俺たちは全然気にしてないから、ケイタたちも気にしないでくれ」

 

 キリトがそう言って話をまとめたが……多分、クラインは大真面目だったと思うぞ。

 

「それでケイタ。これからのことは話したのか?」

 

 そう言って俺が目線を送ると、ケイタは頷いて口を開いた。

 

「ああ。サチは戦線から外すことにしたよ。今まで、サチには無理させてきちゃったし……」

 

 そこで言葉を切るケイタに続いて、サチが口を開く。

 

「私、裁縫師になろうと思うの。私が作った装備で、誰かを支えられたらいいなって思うから……」

 

 そう言ってサチは俺を見つめた。その瞳に迷いはなく、出会った時よりも随分と生き生きしているように見えた。

 

「……そうか。じゃ、これやるよ。餞別だ」

 

 そう言って俺は、アイテムストレージから取り出したある物を手渡す。

 

「これって……」

 

 両手で丁寧にそれを受けとったサチが、目を見開いた。小さなサチの手の平に乗せられたのは、一本の縫い針だ。ガラスのように透き通るそれは、淡く光を放っていた。

 

 《瞬き水晶の針》

 

「あの馬鹿でかいダンゴムシのドロップ品だ。俺が持ってても意味ないし」

 

「え、で、でも……」

 

 戸惑ったように口を開くサチを遮り、俺は言葉を続けた。

 

「ま、それでまたいつか、俺の装備も作ってくれ」

 

 その一言に、サチは押し黙って俺を見つめる。そしてやがて決心したように、強く頷いたのだった。

 

「……うん! 私、頑張る……いつか、ハチのために最高の装備を作るから!」

 

 

 

 

 

 この一件の後、サチはアスナの紹介で中層の女鍛冶屋と一緒に店を始めたそうだ。まだプレイヤーの武器防具はドロップ品が主流だったが、徐々に客は増えているらしく順調のようだった。

 戦線のメンバーが減ったケイタたちも、その後また風林火山の指導を受けたようで特に問題は起こらなかったそうだ。俺とキリトはあの後すぐに攻略に戻ってしまったので詳しいことはわからなかったが、風林火山の指導の下、順調にレベルアップしているらしい。

 最前線に戻った俺とキリトは、すぐに23層のボス攻略へと駆り出されたのだが、それについても何の問題もなく、1人の死者もなくボスを撃破した。

 

 この時まで、全てのことが順調にいっているような気がしていた。

 しかし、それがただの幻想に過ぎなかったことを、俺たちはすぐに思い知ることになるのだった。


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