やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:鮑旭

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第34話 不吉な日

 第一層《始まりの街》

 西部に位置する公会堂。

 その一室、テニスコート2面分ほどのホールには50名以上のプレイヤーが一堂に会していた。皆一様に深刻な表情で口を真一文字に結んでおり、異様なほどの沈黙が場を支配している。

 その中心で1つの卓を囲むのは攻略組の中でも主だった面々と、攻略組ではないもののアインクラッドで有力者として名を知られているプレイヤーたちだ。

 血盟騎士団からは団長のヒースクリフと副団長のアスナ。聖竜連合からはギルドマスターのハフナーとその側近シヴァタ。組合からはエギル。風林火山からはクラインとキリト。ALFからはシンカーと雪ノ下。有力な情報屋としてアルゴもその席に着いていた。

 ちなみに俺、比企谷八幡は部屋の隅っこからそれを見守っている。最近の俺はユニークスキル《二刀流》を持ったキリトさんの腰巾着扱いなので、攻略組での発言力は強くないのだ。

 

「状況を確認しよう」

 

 険しい表情で口を開いたハフナーへと視線が集まる。前回の攻略会議では血盟騎士団が議長を務めたため、今回は臨時で聖竜連合のハフナーが議長を務める流れとなったようだった。

 

「明日9月13日の金曜、時刻は午前10時。悪魔の軍勢と呼ばれる者たちが始まりの街へと向かって侵攻するイベントが発生する。イベント中は始まりの街のアンチクリミナルコードが無効化され、場合によっては市街が戦場となる可能性がある」

 

 この場に居るプレイヤーたちにとっては既知の情報であったが、改めてそれを口に出すことで緊張が走った。

 アンチクリミナルコードの無効化――アインクラッドに住むプレイヤーたちが最も恐れていた事態である。

 アインクラッドにおける多くの街や村は、犯罪禁止(アンチクリミナル)コードと言われるシステムによって安全が約束されている。睡眠PKなどの抜け道はあるが、基本的にアンチクリミナルコードの有効圏内ではプレイヤーにダメージが発生することもなくモブが侵入してくることもないのだ。

 デスゲームとなったSAOの中で、唯一命の危険に晒されることなく休むことが出来るエリアである。それが一時的に、そして始まりの街限定のこととは言え、初めて侵されるのだ。この圏内侵攻イベントが通知された時、プレイヤーたちに走った動揺はかなりのものだった。

 

「私たちは始まりの街を守るために悪魔の軍勢と戦わなくてはならない。これは言ってみれば全プレイヤー強制参加型のグランドクエストだ。プレイヤー側の勝利条件は複数存在する敵の指揮官である黒騎士たちを全て討ち取ること。勝利すれば戦功に応じた報酬が各々に分配されるとのことだ」

 

 ハフナーが1人話を続ける。その間、誰も口を挟むことなく聞き入っていた。

 

「そして敗北条件はこの始まりの街中央に位置する黒鉄宮、その内部に黒騎士の侵入を許すこと。その瞬間始まりの街は悪魔の軍勢に占拠され、プレイヤーが使用できるそのほとんどの機能を失う。アンチクリミナルコードの無効化もそのままだ。更には全フロアの物価高騰、モブの強化など様々なペナルティが課せられる」

 

 それは重すぎるペナルティだった。始まりの街にはプレイヤーにとって有用な様々な施設が集まっており、それを当てにしてギルドホームなどの本拠を置いている者たちも多い。敵に占拠されるということは、そこを放棄しなくてはならないということだ。物価高騰も地味に痛いし、モブの強化に至っては最前線で戦いを続ける攻略組にとっては死活問題である。

 

「アインクラッド中のプレイヤーが一丸となって戦わなくてはならないイベントだ。何か補足や新たな情報はあるか?」

 

 ハフナーはそうして話を一旦締めくくり、他のプレイヤーたちへと水を向けた。

 ここまでの話は2時間程前にシステムメッセージで全プレイヤーに向けて通知された内容である。そこに必要最低限の情報は記されていたが、大規模な防衛戦となれば事前にもっと敵の情報なども手に入れておきたいところだった。

 とはいえ昨日までの情報交換では《不吉な日》関連の情報は全く上がっていない。この場ではこれ以上の情報は出ないかもしれないなと思いながら俺は成り行きを見守っていたのだが、意外なことにすぐに発言権を求めて挙手をする人物が現れた。

 

「昨日までは全然情報が手に入ってなかったんだケド、今日の通知が来てから《不吉な日》関連の情報がいくつか拾えたヨ。アレが情報解禁のトリガーになってたみたいダネ。とりあえず分かった情報だけを資料にまとめたから目を通してクレ」

 

 そう言って資料を配り始めたのはアルゴである。胡散臭い口調は相変わらずだが、今日は会議に出席しているということもあってかフードは被っていない。ライトブロンドの猫っ毛をふわふわと跳ねさせながら席を回って資料を配っていた。さすがに今日は金は取らないらしい。

 しばらくすると全員に資料が行き渡り、自分の席に戻ったアルゴが再び口を開く。

 

「敵のレベルとか特性もある程度分かってるケド、その辺は後で攻略組で話し合って貰うとしテ……とりあえず今確認しておきたいのは最初の5行ダ」

 

 渡された10枚程度の紙にはびっしりと情報が書き込まれていた。《不吉な日》イベントの通知が来てからまだ2時間も経っていないのに、どうやってこれだけの情報を手に入れたのか……。そんな思いをひとまず胸の奥にしまい込み、アルゴの言う最初の5行に目を通す。

 

 始まりの街の図書館に保管されている文献によれば、悪魔の軍勢と呼ばれる勢力は過去にも幾度か始まりの街へと侵攻してきたことがあるという設定らしい。奴らは予告してきた時刻になると何処からともなく現れ、攻撃を開始したのだという。潜伏中の悪魔の軍勢を発見するのは不可能だと文献には記されていたそうだ。

 

「詳しい説明はALFに任せた方が早いだろうナ。ユーちゃん、あとヨロシク」

 

 もう自分の仕事は終わりだとばかりに匙を投げたアルゴに、隣に座っていた雪ノ下は若干呆れたような視線を向けたが、気を取り直すように息を吐くと次いでいつもの凛とした表情で語り始めた。

 

「既にALFで第1層全域に斥候を放ちましたが、悪魔の軍勢と見られるエネミーは今のところ発見出来ていません。引き続き偵察は続けますが、ここにあるアルゴさんの情報と照らし合わせても明日のイベント開始前にエネミーを発見出来る可能性は低いと考えています」

「なるほど。こちらから敵の拠点に奇襲をかけるような作戦はとれないということか。明日のイベント開始と同時に、始まりの街周辺または内部に敵が湧くと想定しておいた方が良さそうだ」

 

 雪ノ下の意図するところを理解したヒースクリフが呟くように口を開く。

 これは逆に考えれば明日のイベント開始時刻まで絶対に戦闘になることはないということだ。予告された時刻まで猶予はないが、残された時間は全て準備に当てることができる。

 

「ひとまず防衛のための部隊を整える班と、始まりの街のプレイヤーの避難誘導を行う班に分けようと思う。他に何か意見があるものは居るか?」

 

 しばらく黙って話を聞いていたハフナーが、そうして全体の流れを決める。異を唱える者はおらず、ハフナーは続けて指示を出すように口を開いた。

 

「では避難誘導の班はシンカーさんたちに一任したい。始まりの街に根を張るALFならば適任だろう。もちろんALFの中で戦う意思のある者が居ればこちらに回してくれて構わない。防衛部隊については軽く攻略組で案を煮詰めてから戦力を募集しよう。おそらくいつもの50人弱のメンバーだけでは始まりの街全域をカバーすることは難しいからな。一般のプレイヤーに向けて触れを出すのもその時だ」

 

 ハフナーの言葉に従ってプレイヤーたちが慌ただしく動き出す。

 ALFのメンバーやアルゴはそれぞれに与えられた役割をこなすためにすぐにその場を後にして行った。作戦本部はここに置くということが決まり、その後は残った攻略組たちだけで明日の作戦が練られていく。

 防衛部隊編成の基礎案は簡単なものだったので特に揉めることもなく速やかに決定した。その後、一般のプレイヤーに向けて攻略組の声明を発表して戦力を募集。そうして最終的な編成は改めて夜に行われたのだった。

 

 攻略組に籍を置く俺とキリトは当然のことながら、今回はクラインを含む風林火山の中でも一部の高レベルプレイヤーは防衛戦に参加することが決定していた。事前の情報によれば敵部隊の一般兵はレベル60から70程度ということだったので、準攻略組レベルに位置するクラインたちでも十分に戦力になるだろうという見込みである。さすがに相手指揮官の黒騎士を含む部隊を相手にするのは厳しいと思われるので、そこは上手く攻略組が当たることになっている。

 そうして普段ボス攻略には参加しない層のプレイヤーたちを加え、防衛部隊の総数は200人を越える規模になっていた。戦闘には参加出来ないプレイヤーたちからも消費アイテムなどの支援物資が届けられたりと、イベントクエスト《不吉な日》はいよいよアインクラッドに住むプレイヤーたちの総力戦となっていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 23時にまで及んだ作戦会議もようやく終了し、公会堂を後にした俺とキリトはプレイヤーのほとんど居なくなった夜の始まりの街を歩いていた。

 多くのプレイヤーは他の層に避難しているのに加え、明日のイベントの影響なのかNPCさえその姿が見えない。ぽつぽつと周りを歩くのは俺たちと同じように会議を終えて帰宅の途につく攻略組のプレイヤーばかりだった。

 俺たちも今日はもうギルドホームへと帰り、明日に備えてゆっくりと休む予定である。クラインたちは第1層で運営していた孤児院の避難誘導などもあったので、割と早い段階で公会堂を後にしていた。

 

 始まりの街は広いので転移門までの道のりもそこそこある。長時間に及ぶ作戦会議で凝り固まった体をほぐしながら、俺たちはゆっくりと転移門を目指していた。

 しばらく行ったところで、俺は徐に周囲を見回して他のプレイヤーが居ないことを確認する。そこでようやく俺は会議中ずっと気になっていたことを口にしたのだった。

 

「……おい。あいつ会議中ずっとお前のこと睨んでたぞ」

「あいつ?」

 

 首を傾げるキリトの視線を受けながら、俺は頭に手を当てて必死に記憶を掘り起す。

 

「えーっと……ほら、あいつだよあいつ。この前お前が決闘(デュエル)で剣をぶち折った血盟騎士団の奴。アスナの護衛だった……名前何て言ったっけか。クラ、クラ……クライヴ?」

「ああ、クラディールな」

「あ、そうそう、そいつだ」

 

 キリトの言葉にちょっとしたアハ体験を覚えつつ、頷く。

 先日キリトに決闘(デュエル)でコテンパンにやられたクラディールだが、準攻略組レベルの力はあるので今日の会議の夜の部には出席していた。まあ特に発言権はなく本当に居ただけだったが、その間ずっと部屋の隅っこからキリトのことを忌々し気に睨み付けていたのだ。

 

「あれは絶対根に持つタイプだぞ。如何にも陰湿な顔してるし」

「うーん。ハチが言うと説得力があるな……」

「おい。どういう意味だそれ」

 

 そう言いつつもキリトはあまり深刻には考えていない様子だった。俺もそこまで心配しているわけではないが、少しだけ気になったので一応忠告しておく。

 

「まあ明日は部隊も別だから大丈夫だろうけど、油断してるとそのうち後ろから刺されるぞ」

「恐いこと言うなよ……。というかハチこそ大丈夫なのかよ。明日は1人だけヒースクリフの部隊配属だろ? 血盟騎士団の奴らとちゃんとやれるのか?」

「安心しろ。最近は黒の双剣士様が目立ってくれるお蔭で俺の影が薄かったからな。トラブルの火種になるようなものがない。というか認知されていないまである」

 

 混ぜっ返すキリトに、俺も茶化しながら言葉を返した。キリトのお蔭で最近俺の影が薄かったのは事実である。色々と事情があって明日はキリトとは別にヒースクリフの指揮下に入ることになっているが、それほどの摩擦は起こらないだろうと俺は思っていた。

 

「けどわざわざ俺と別の部隊を志願したってことは、明日はアレ使うつもりなんだよな? ヒースクリフの神聖剣は集団戦にはあまり向いてないだろうし……」

 

 不意に真面目な表情を浮かべたキリトがこちらを覗き見る。「アレ」などとぼかした言い方をしたが、俺にはそれが何を指しているのかすぐに分かった。

 

「……まあな。けど状況次第だ。そんなに使い勝手の良いもんでもないし」

「ズルいよなぁ。俺の二刀流は隠さずに使えって言ったくせに、自分はそうやって……」

「別に隠してたわけじゃないぞ。俺のは大型ボスとか相手にしても役に立たないし、使いどころがなかっただけだ。それにそもそも実戦で使えるレベルになったのも最近だし」

 

 そんなやり取りをしながら、しばらく歩く。もう転移門広場のすぐ近くまで来ていた。

 

「ハチと別れて、本気で戦うっていうのも久しぶりだな」

 

 ぼんやりと空を眺めながら歩いていたキリトが呟く。

 確かに、イレギュラーでもない限り俺たちが本気で戦う時はだいたい2人一緒だった。もちろんお互い1人では戦えないということはないのだが、多少の不安はある。

 それでも既に決まってしまったことだ。後は全力を尽くすのみである。俺は改めて腹を括りながら、隣を歩くキリトの顔へと視線をやった。

 

「……死ぬなよ」

「そっちこそ」

 

 言って、良い顔をしたキリトが拳を突き出す。

 ……こいつ、意外とこういうの好きだよな。俺は柄じゃないから勘弁して欲しんだけど……まあ、たまには付き合ってやるか。

 少し目を逸らしながら、俺も右の拳を突き出した。小さな音と共に、拳が打ち合わされる。触れた拳の先から、何かジンジンと熱いものが伝わってくる気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部隊は大きく4つに分かれていた。

 始まりの街はフロアの最南端に位置し、外縁部に張り付くようにして出来た半円状の街である。周囲は堅固な外壁に囲まれ、街に入るための道は東門、西門、北門の3つしかない。その門をそれぞれ守る部隊が合わせて3隊と、黒鉄宮を中心に市街地を守る部隊が1隊という内訳となっていた。

 

 北門を守るのはギルドマスターのハフナーが率いる聖竜連合。その数50名弱。ギルドのほぼ総力である。1つのギルドで統一された隊なので集団戦での連携は取りやすく、安定した戦いが臨めるだろう。

 東門を守るのは混成部隊だ。主な構成員はキリトとクラインを含む《風林火山》の面々と、エギル率いる《組合》のプレイヤー、コーバッツというプレイヤーが率いる《軍》のプレイヤーたちである。この隊には攻略組の最大戦力の1人であるキリトが配属されているので、他の隊との戦力のバランスをはかるために準攻略組のプレイヤーが多めに割り振られている。

 西門を守るのはヒールクリフ率いる一部の血盟騎士団のプレイヤーたちと、主要なギルドに属さないプレイヤーたちである。今回は俺もここに含まれている。ヒースクリフもキリトと並んで攻略組の最大戦力であるが、あいつの持つ神聖剣は今回のような集団戦では相性が悪い。血盟騎士団の精鋭たちを中心に堅実に戦っていくことになるだろう。

 そして黒鉄宮を含む市街地を守るのは、アスナ率いる残りの血盟騎士団のメンバーたちと一部の軍のプレイヤーたちだ。今回のイベントの最終防衛ラインになるが、実際に戦いになる可能性は低いと考えられている。そのため構成員もいつも攻略には参加していない若干レベルが低いプレイヤーたちが多かった。

 

「まあ黒鉄宮を空けるわけにもいかないし、必要な部隊だっていうのは分かってるんだけど……。それでもやっぱり私だけ市街地に配置されてるのは納得いかないわ」

「いや、それを俺に言われてもな」

 

 《不吉な日》当日の朝。隣に立つアスナがそう愚痴を溢していた。

 始まりの街、その大広場である。イベント開始時刻まではまだ1時間以上あったが、既に多くのプレイヤーたちが集まっている。おおよそ部隊やギルド別に分かれており、戦いの前の緊張した空気が場を支配していた。

 そんな中で血盟騎士団のプレイヤーに交じってポツリと佇むプレイヤーが1人。俺である。こんな集団の中でもぼっちになれるとは、俺のぼっち力もまだまだ捨てたもんじゃないな、などとふざけたことを考えていたところ、俺を発見したアスナがこちらに接触してきたのだった。

 どうやらアスナは自分が受け持った部隊が前線から離れていることが気に入らないらしい。本当にどうしてこんなに血の気が多いんだこいつは。少しでも戦功を上げて良い報酬が欲しいというプレイヤーがいるのはわかるが、多分こいつは単に前線で戦いたいだけだ。

 アスナはじとっとした目線をこちらに向けると、軽くため息を吐く。

 

「どうせハチ君も今日はアレ使って好き勝手に暴れまわるんでしょう? 小型モンスター相手なら相性いいものね。私も久しぶりに本気のハチ君を見たかったわ」

「俺がいつも手抜いてるみたいな言い方やめろ。与えられた仕事にはいつも全力だからな。なるべく仕事を与えられないようにしてるだけで」

 

 さすがに命懸けの戦いで手を抜けるほど図太い神経はしていない。そう思って反論したが、アスナには「はいはい」と適当に頷いて流された。

 

「それで、わざわざそんな愚痴こぼしに来たのか?」

「違うわよ。準備も終わったから、予定よりも早めに出発するって団長が。ちゃんと伝えたわよ」

「ああ、了解」

 

 お互い、あまり時間に余裕があるわけでもない。システムウィンドウで時間を確認したアスナは気合いを入れ直すように「よしっ」と声を上げ、改めてこちらに向き直った。

 

「あまり心配はしてないけど、気を付けてね。いつもと色々状況が違うし」

「お前もな。あの部隊まとめ上げるのはちょっとめんどくさそうだぞ」

 

 クラディールを筆頭に色々と問題のあるプレイヤーが多いと聞いていた。加えて今回は軍のプレイヤーも数名混じっているようだし……と考えながら視線をアスナの後方、彼女が受け持つその部隊へと向ける。

 当然ながら、知らない顔が多い。軍所属のプレイヤーに至っては全員知らないプレイヤーだ。だがランクの高そうな装備やその落ち着き払った態度を見るに、それなりに戦えそうな雰囲気ではある。

 そうして俺が軍のプレイヤーを遠巻きに観察していると、視線に気付いたのか、その中の1人がこちらに振り向いた。軍で揃いの灰色の兜を目深に被った、小柄な男。そいつは俺の方を見ながら、口を微かに歪めて笑ったような気がした。

 

「――ハチ君? どうかした?」

「え? あ、いや……。なんでもない」

「ちょっと、しっかりしてよね」

 

 言ってアスナが俺の肩を叩く。それに「大丈夫だ」と答えながら、俺は気持ちを切り替えた。

 

「じゃあ、お互い頑張りましょう」

「……おう」

 

 何かを確かめるように、お互いに頷き合う。そしてアスナは俺に別れを告げ、すぐに自分の部隊へと戻って行ったのだった。

 その後、俺はなんとなく先ほどの男を探したが、もう人ごみに紛れてしまって見つけることは出来なかった。

 軍の男の妙な態度が少しだけ気にかかったが、俺はすぐにその懸念を振り払う。今は些事に気を取られている場合ではないだろう。時刻を確認し、俺も自分に与えられた仕事を全うすべく動き出したのだった。

 

 

 その後すぐに部隊は動き始め、それぞれが防衛を担当する地点へと散っていった。俺はヒースクリフ率いる血盟騎士団員と、十数名の他ギルドのプレイヤーと共に西門へと向かう。フロアボス戦と違いパーティ数などの制限はないので、特に誰とパーティを組むこともなかった。

 始まりの街の周辺は基本的に広大な草原フィールドとなっている。西門から北西に抜けた地点には深い森が広がっているが、さすがにそこまで戦線が伸びることはないだろう。

 作戦の基本は、野戦に打って出て敵の指揮官である黒騎士たちを討ち取ることである。外壁と門を利用して籠城戦のように戦う選択肢もあるのだが、プレイヤー側の勝利条件が全黒騎士の討伐なので防衛戦とは言いつつも基本的にはこちらから攻める方針だった。

 

 隣に立つヒースクリフは地形を確認するように周囲を見回している。普段ならばフレンジーボアと呼ばれるイノシシ型のモブが点々と生息しているのだが、イベントの影響か今は見渡す限り1匹も存在しなかった。

 

「意外だったよ。君がこちらの部隊に志願するとはね」

 

 遠くに視線をやったままのヒースクリフがおもむろに口を開いた。急に話しかけられたことに若干きょどりながらも、俺はその横顔をちらりと盗み見て言葉を返す。

 

「ああ、うん。俺もそう思う。出来れば部屋で寝てたいところだったんだけど」

「ふっ。面白い冗談だ」

 

 いや、9割くらい本気なんだけど……。

 そうして笑みを浮かべていたヒースクリフだったが、不意に真剣な表情をこちらに向ける。

 

「君のことだから何かあるんだろう?」

 

 全てを見透かしたようなヒースクリフの瞳が俺を見つめる。

 これだからこいつは苦手なのだ。とは思いつつも、今回だけは話が早くて助かった。どうせ既に色々とバレているのだろう。アレは今まであまり使う機会がなかっただけで、別段隠そうとしていたわけでもないのだ。そう思いながら、俺は正直に口を開く。

 

「新しいスキルがある。大型モブ以外なら、多分かなりの数の敵を同時に相手に出来る奴だ。昨日も言ったけど、状況見て動きたいから俺は遊撃扱いってことでいいんだよな?」

「ああ。元より兵法など何もない、乱戦覚悟で野戦に打って出るつもりだったところだ。ソロで好きに動いてくれたまえ。他の隊の者にもそう伝えておこう」

「助かる」

 

 ヒースクリフは二つ返事で俺の要請に頷いた。この度量が血盟騎士団でカリスマと称される所以だろうか。

 こうして俺は希望通り遊撃扱いとなり、戦場の中を自由に動くことが許された。元々おみそ扱いの兵隊だったので、周りも俺が居ない方が連携を取りやすいだろう。

 

「さて……そろそろか」

 

 システムウィンドウで時間を確認したヒースクリフが呟く。次いで自分の後ろに整列する部隊のプレイヤーたちに目を向けた。

 

「諸君、間もなく刻限だ。なに、そう固くなる必要はない。我々の力を以ってすれば必ずや勝利を手にすることが出来るだろう」

 

 静まり返った平原にヒースクリフの落ち着いた声は良く通る。プレイヤーたちは無言で頷いただけだったが、静かに闘気が満ちていくのを俺は感じていた。

 ヒースクリフがタワーシールドを左手に取り、右手で剣を抜き放つ。強者の余裕なのか、その顔は不敵に笑っていた。

 

「総員、戦闘体勢を取れ! 来るぞ!」

 

 ヒースクリフが檄を飛ばしたのと同時、その視線の先、だだっ広い草原の真ん中に巨大な黒い靄が降りる。次の瞬間には靄は払われ、そこには黒い具足に身を包んだモンスターの軍勢が立っていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クライン、突っ込むぞ!」

 

 走りながら二刀を構えたキリトが叫ぶ。部隊から1人突出していたキリトは、クラインの返事も待たずに目の前の軍勢へと斬り込んで行った。

 指揮官クラスの敵は未だ奥に控えているようで、そこに居並ぶのはゴブリンやオークと言った兵隊クラスの亜人系モブだ。レベルもそう高くないので、キリトにとって1体1体は全く脅威にはならない。ソードスキルによって紙細工のようにモブが蹴散らされる。しかし押し寄せる軍勢はまるで雪崩のようで、やがてソードスキルによる連撃が終了するとキリトを押し包むようにモブが展開した。

 そこでようやく後続のクラインたちがキリトへと追い付く。クラインの部隊が崩れた敵の陣形に楔を打つようにしてさらに突き崩し、他の部隊のプレイヤーたちもそれに追随して敵部隊を押し込んだ。

 踏み止まろうとするモブたちとしばらく押し合いが続いたが、地力の差もありやがて敵部隊は潰走を始めた。しかしプレイヤーたちも深追いはせず、一旦下がって部隊を整えるのだった。

 

 荒い息を整えながら、クラインは周囲を見回した。普段の戦闘とは勝手が全く異なるが、何とか戦えている。色々と不安材料もあったが、今のところは戦死者もなく善戦していた。

 だがそれも結果論だ。クラインは先ほど敵軍に1人で突っ込んで行った風林火山の問題児その1を睨み付ける。

 

「おいっ、キリト! オレらに合わせろとは言わねぇけど、あんまり1人で突っ込むなよ!」

 

 クラインはキリトの頭にぐりぐりと拳骨を押し付けた。キリトは身をよじってそれから逃げながら罰の悪そうな表情を浮かべる。

 

「悪い悪い。ついハチと一緒に戦ってる時の癖でさ」

「オレらじゃあいつほどキリトに合わせらんねぇんだからな」

「いや、十分助かってるよ」

 

 そう言って笑うキリトの顔を見ながらクラインはため息を吐く。頭を切り替えて、敵の陣営を見渡した。

 

「しかし本当に(いくさ)って感じだな」

「ああ。モブのアルゴリズムも変わってるみたいだ。普通ならプレイヤーから逃げることなんてそうそうないし」

「一応このまま門を守ってれば負けることはねぇんだろうけど……」

「それじゃあ勝ちもないからな。このまま消耗戦になったら不利になるのはこっちだ。あっちは疲れ知らずだし、どこかで勝負をかけて黒騎士を討ち取らないと」

「だな。ちょっと作戦考えるか」

 

 経験値はおいしいのだが、さすがに何時間もこんな戦いを続けることは難しい。やはりどこかで勝負をかけるべきだ。

 キリトとの会話でクラインはその結論に至り、頭を捻って作戦を考え始める。敵の軍勢は崩れた部隊を編成し直しているようだったので、こちらから攻めない限りはしばらく戦闘にはならないだろう。

 その後近くに展開していたエギルたちとも1度合流し、今後について話し合う。しかし作戦とは言っても既に正面から向き合ってしまった状態では取れる選択肢もかなり限られていた。エギルの部隊が後退しながら敵を引きつけ、横合いからキリトが切り込むという単純な作戦に落ち着きかけたところで、クラインの後方から怒号が響いたのだった。

 

「おい! 何故先ほどあのまま追撃しなかったのだ!!」

 

 振り返ると、そこに立っていたのは《軍》のプレイヤーのパーティリーダーであるコーバッツという男だった。目深に被った鈍色の兜のせいで表情は読み取り辛いが、癇癪を起したように喚きたてるその様子からは明らかな不満と怒りが見て取れた。

 

「あんたには奥の敵本隊が見えないのか? 下手に突っ込めば囲まれて終わりだぞ。数は向こうの方が多いんだ」

「レベルはこちらの方が高いのだろう? そのまま敵本隊に攻撃を掛けて黒騎士を討ち取れば終わりではないか!」

「いや、そんな単純な話じゃ……」

「ふんっ、もういい!」

 

 キリトの言葉にも聞く耳を持たず、コーバッツは踵を返す。

 

「お前たちが攻略組とは名ばかりの腑抜け揃いだということはよくわかった! 我々は好きにやらせてもらうぞ!!」

「あ、おいっ」

 

 《軍》の部隊へと戻っていくコーバッツの背中を呆然と見つめながら、微妙な沈黙が場を支配する。剃り上げた頭をポリポリと掻きながら、やがてエギルが口を開いた。

 

「おい。どうする、あいつら」

「あの様子じゃあどうしようもないだろ。下手に足並みを合わせた方が危険だ。ある程度のところまでは好きにさせよう」

「それしかないか……」

「しっかしよ、混成部隊にしたのは間違いだったんじゃねぇのかコレ」

「戦力のバランス的には間違ってないんだけどな」

「他のところもトラブルになってなきゃいいけどよ」

 

 3人でそんなやり取りをしながら、クラインはここには居ない人物に想いを馳せる。風林火山の問題児その2。あいつがアスナ以外の血盟騎士団のプレイヤーと上手くやっているヴィジョンが全く持てない。やはり1人で行かせたのは間違いだったのではないだろうか。

 しばらく腕を組んでそんなことを考えていたが、やがて頭を振ってその思考を振り払った。今は目の前のことに集中するべき時だ。

 

「ま、やれるだけやるっきゃないか。気合い入れて行こうぜ!」

「ああ。じゃあエギル、囮役頼んだぜ」

「おう。任せとけ」

 

 巨大な戦斧を肩に担ぎながら、エギルが不敵な笑みを浮かべた。それを見てクラインとキリトも頷き合い、それぞれの持ち場へと散っていく。敵部隊も隊列を整え、攻撃の構えを取り始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 濁流の中に打ち込まれた、一本の杭のようだ。

 全体の戦況に目を配っていたヒースクリフが抱いたのは、そんな感想だった。

 押し寄せるモブの軍勢の中、彼は1人その場に留まり続けていた。ヒースクリフが率いる部隊とは別方面から1人で敵軍へ攻撃を仕掛けている遊撃手、ハチである。敵の軍勢に視界を遮られて彼の戦いぶりは他の者からほとんど見えなかったが、遠目にも舞い上がる青白いエフェクトが確認でき、相当な数のモブを屠っているだろうことは容易に見て取れた。

 

 ヒースクリフ率いる本隊が正面から当たり、左方から敵軍に食い込んだハチが陣形を乱す。細かく打ち合わせをしたわけではないが、即興でのその作戦は上手く回っていた。これで2度目のぶつかり合いになるが、始終プレイヤー側が圧倒していた。

 ヒースクリフは最前線で剣を振るいながらも、1人で戦うハチを意識して薄く笑う。

 

 ヒースクリフは、彼のことを中々に気に入っていた。際立って非凡な才能を持つというわけではない。それなりに優秀だとは言っていいだろうが、そういった意味では才能の塊であるキリトのような人間とは比べるべくもなかった。むしろ彼を彼たらしめているのは、持たざる者故の自罰的な人間性とその矜持である。そんな彼がこの世界で足掻く様は、常々ヒースクリフを興じさせた。

 だが、だからと言って彼にばかり功を譲るつもりはない。

 

「押せ! 黒騎士はすぐそこだ!!」

 

 戦いは佳境へと迫っていた。左方から圧力をかけるハチのお蔭で敵中央の守りが薄くなっている。ヒースクリフの檄に応えるように雄叫びを上げながら、プレイヤーたちは敵の軍勢の中を突き進んだ。

 そうして怒涛の勢いで進撃するヒースクリフたちだったが、いくらもしないうちに強大な敵の塊と突き当たった。

 

 立ちはだかるのは、黒の甲冑に巨大な両手剣を携えたボスクラスの敵。悪魔の軍勢の指揮官である《黒騎士》である。さらにその周囲を、直属の部隊と思われる人型モブ《レッサーヴァンパイア》が固めている。劣等(レッサー)とは言っても、今まで戦っていたゴブリンやオークとは一線を画す強さの敵だった。

 

「黒騎士は私と麾下の者で討つ! 他の者は纏まって近くの敵へと当たれ!」

 

 予め決まっていた指示を飛ばし、ヒースクリフが先頭となって黒騎士直属の部隊に躍りかかった。敵軍勢の懐深くへと押し込み、ほとんど包囲されたような不利な状況だったが、黒騎士さえ討ち取ればその指揮下の敵は崩れるはずである。ここを押し切れるかどうかが勝負の分水嶺だった。

 

 士気はかつてないほどに高まっている。血盟騎士団の精鋭たちは言わずもがな、今回飛び入りで参加した無所属の者たちも思いのほか練度の高いプレイヤーであった。

 憂いはない。ヒースクリフは意図せず笑みを浮かべながら、高くソードスキルを構える。

 

 ――刹那、背中に衝撃が走った。

 

「なッ……!?」

 

 背後からの不意打ちによって、技がキャンセルされる。右手の剣を取り落としそうになるのは何とか堪えたが、いかにヒースクリフと言えどもペナルティによる体の硬直を回避する術はなかった。

 

「だ、団長ッ!?」

「貴様ァ! 何をしているッ!?」

 

 麾下の者数名の怒号が飛ぶ。なんとか状況を確認しようと、ヒースクリフは視線だけを背後へと向けた。

 彼の目が捉えたのは、自分の左脇腹に深々と突き刺さるダガー。そしてそれを強く握り込みながら、愉快そうに口を歪める1人のプレイヤーだった。


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