ストライク・スリー! ~大振りエースは砕けない~ 作:デスフロイ
ついに9回表。9対7、青道のリード。
二軍ばかりの下位打線は、三橋を捉えきれない。あっさり2アウトに持ち込まれる。打順は9番の沢村に回った。
「うぐぐ……! やはりクセ球使いを打ち崩すのは、一試合では無理ってことか!」
あっけなく三振して悔しがる沢村の台詞を、阿部はベンチに戻りながら聞き流した。
(何試合かけても、あのデタラメなスイングじゃ当たらねーよ。バントだけはうまいけどな。あっちのチームも、ヘンテコなピッチャーばっかりで大変だな)
「阿部君! 9回、投げられた。阿部君の、おかげだ」
(こっちのピッチャーも、大概ヘンテコだからな。人のことは言えねーか)
「泣いても笑っても、後はこっちの攻撃だけだ。お前がトップバッターだけど、無理はするなよ……え!?」
阿部は、目を見張った。
ずっと控えにいた西広が、ネクストバッターサークルで素振りを始めていたのだ。
「何で!? どうして、西広君が? 代打? オレ、替えられるの!?」
ベンチに駆け込んだ三橋が、モモカンに詰め寄った。
「聞いて。三橋君」
優しく、モモカンが言った。
「私たちは、一年チームとはいえ、あの青道を追い詰めている。点差はたった2点。降谷君を攻略することは、不可能じゃないと私は思ってる。あなたたち、喰ってみたいと思わない? 青道を……!」
獲物を見据える雌ライオンの瞳に、三橋も阿部も飲まれている。
「そのためには、全ての戦力を注ぎ込む。三橋君、申し訳ないけど、打撃では西広君の方が上だと思う。あなたは9回まで一人で投げて、体力も集中力もずいぶん擦り切れている。ここまで青道と戦えたのは、あなたが辛抱強く投げてくれたからよ。誰もが、そのことを感謝している」
モモカンが、一息ついた。
「だから、ここからは他のみんなに頼っていいのよ。……沖君!」
「は、はい!?」
「投球練習始めなさい。もし万が一、2点止まりで終わってしまったら、延長戦になる。そこからは、あなたが投げなさい。阿部君、付き合ってあげて」
「え、え!?」
(俺が、あの打線相手に投げるの!? 打ち込まれるに決まってる! 交代したくないのはこっちだよ!)
沖は、進退極まったという表情で、モモカンと、絶望に苛まれている様子の三橋を見比べている。
「三橋君、そんな顔しないで。あくまで沖君は保険。このチームのエースは三橋君以外にいない。もしサヨナラ勝ちすれば、沖君があのマウンドに上がることはないのだから」
モモカンのあまりの強気っぷりに、その場の全員が言葉を失っていた。
「阿部君、あなたは分かるわよね? 私が、沖君に投球練習をさせる意味が」
「……分かる、気がします」
(別のピッチャーが、投球練習始めた!?)
サードの守備位置についた金丸が、すぐ傍にある西浦側のブルペンを見て驚いた。
(ピッチャーに代打出すのは分かるけど、次のピッチャーに準備させるって、延長戦前提ってことだろ? 降谷の球を、まともに打ってるヤツが誰もいないってのに。アイツから2点取れるつもりか。っていうか、もういい加減諦めろよ!)
呆れるのを通り越して、疲労感すら金丸は覚えていた。
「望むところだ! 降谷、延長になったら俺が投げてやるからな! お前は9回までって取り決めだからな。聞いてんのかコラ!」
「そこのファースト。大声で、チームの取り決めをバラすな」
落合は沢村を黙らせて、こきこきと首を鳴らした。
「監督代行!」
ベンチに控えていた金田が問いかけた。
「もし仮に同点になったら、延長するってことになってるんですか?」
「……決めるの忘れてた」
頭をかく落合に、は? という表情の金田。
「まさか、そこまでもつれこむと思ってなかったんでな。だけど、引き分けでいいから試合終わりましょ、って言えるか? 青道が。あっちは最後までやる気だぞ」
金田が黙って首を横に振るのを眺めつつ、落合は思った。
(ま、こちらにプレッシャーを与えたいんだろうがな。あのピッチャーが三橋と同等の力があれば、6、7回くらいでとうに替えている。おそらく簡単に打ち込めるだろう。もっとも、西浦打線が降谷から2点取れればの話だが……)
代打の西広が、打席に入った。
(出られたのはいいけど、あの球をどうにかできるのか、俺に?)
1球目のストレート。胸元に来て、西広はのけ反った。判定はボール。
(打てるわけあるか、こんなの! だ、だけど、せめて3球、思いっきり振ろう。代打の務めとして)
2球目、3球目と連続でデタラメに振り、当然かすりもしない。
4球目。
外角低めに投げられたストレートを、西広は空振りした。
「西広、走れ!」
花井の声に、西広は一瞬後ろを見た。
狩場が球を逸らし、しかも見失っている。
西広は一目散に一塁へ走り、頭から滑り込んだ。ほぼ同時に、ファーストの沢村が捕球した音が聞こえた。
「セーフ!」
(やった……! 出塁できれば、ヒットと同じだよな? 一応、代打の役目は果たしたか)
そして打順は頭に戻り、1番の泉となった。
泉は、モモカンのサインを見た。
(送りバントか。俺も打てる気なんかしねーから、それはいいんだけど。だけど、普通にはやらねーぞ。2点差をひっくり返すんだからな!)
1球目。泉は、普通に送りバントの構えをした。
春市と金丸、それに降谷が、投球と同時に間合いを詰めてきた。
泉はバットを引く。
(よし、普通に送ると思ってくれてるな。次でやってやるか)
2球目。
またも送りバントの構え。降谷も突っ込んできた。
(当てるだけなら、俺にも何とかできる!)
泉は、あえて芯に当てにいった。同時にバットを少し突き出す。
プッシュバントだ。
が、やはり芯に当てきれず、ふわりと降谷の頭上に上がってしまった。泉の手も、剛球で少し痺れている。
不意を突かれた降谷が足を止め、グラブを球に差し上げた。
(高い! 取り損なえ!)
泉が、願いながら走る。
グラブの先端が、上がった球に触れかけた。
しかし、無理に伸び上がった降谷が、バランスを崩した。球を取れないまま、背中から倒れこむ。
頭から一塁に飛び込んだ泉は起き上がり、やっと半身を起こした降谷を睨んだ。
(どうだ! そっちも、土まみれにしてやったぜ……!)
「タイム!」
沢村が、塁審に声をかけて、マウンドに駆け寄っていった。
「降谷! 大丈夫か!?」
「ああ。どこも痛めてない」
「ほれ、起きろ!」
「別に手を貸してもらわなくても、自分で起きれる……」
降谷が立ち上がると、狩場や他の内野の面々も集まってきた。
「気にすんなって降谷。あんなの、苦し紛れの奇襲だって。お前の球が打てないもんだから」
「そうそう。残り三人、一気に決めちまえ」
狩場と金丸が、口々に言う。
「……お前ら、まだそんなこと言ってるのか?」
沢村の、いつになく険しい声音に、二人がぎょっとした。
「9回裏でノーアウト一、二塁だぞ! 2点差だぞ! ランナーがどっちも帰ったら同点なんだぞ! 何で、そんなにノンキなこと言ってるんだよ! 練習試合だからって、気を抜いてるのか!?」
「栄純君……」
春市が沢村を止めようとするが、お構いなしに続ける。
「大体、お前らだって降谷の状態は知ってるだろ!? 何で俺だけしか、大丈夫かって聞いてやらないんだよ! お前ら、降谷一人で戦わせて、自分は高みの見物か! 投手はな、バックを信じてるから投げられるんだよ! 野球は9人でやるもんだろうが! 降谷を一人ぼっちにしてんじゃねえよ!!」
その場にいた、全員がおし黙った。
「……沢村の、言う通りだ」
金丸が、静かに言った。
「正直に言う。俺は、この試合を簡単に考えてた。一年生だけの新設チーム相手だ。桐青に勝ったとかいうのもどうせマグレだろう、軽くひねってやればいいってな。それが、あのザマだ」
スコアボードを、金丸は指さした。
「病み上がりの降谷一人に頼り切って、それですませていい状況じゃない。確かに、俺の物言いが甘かった。俺たち全員で、降谷を守って戦わなきゃ、してやられるぞ」
「……もう認めようよ、みんな」
春市が、口を開いた。
「西浦は、強い。一人一人が、予想以上の実力を持ってる。ピンチになっても崩れず、踏みとどまる。チーム一丸となって、必死で食らいついてくる。急造チームの僕たちが、簡単に勝てる相手じゃないよ」
「俺たちが、本気で相手するくらいの価値はある敵だ、ってことか」
狩場も、顔を引き締めた。
金丸が、その場の全員を見回した。
「俺たちは、青道の名前背負ってるんだ。このまま、西浦に好き放題させたまんまで帰していいわけがねえよな、みんな!」
「おう!」
「降谷、俺たちが全力でバックアップする。任せろよ!」
「もし球が飛んできたら、よろしく頼む」
降谷も、素直に応じた。
後はお前が締めろ、と、金丸が沢村に目で合図を送った。
内野全員が円陣を組み、沢村が大声をあげた。
「本物の青道野球やるぞ! 西浦を、全力で倒す!」
「おうっ!」
内野が、降谷を中心に散っていった。
その様子を、三橋はじっと見つめていた。
(オレは……三星で、ずっと一人ぼっちだった)
三橋のいた三星学園中等部は、彼の祖父がオーナーであった。そのために、野球部ではヒイキでエースとなったと言われ、しかもマウンドに固執して譲らなかったために、三橋はチームメイトの誰にも相手にされなかった。キャッチャーはサインを出してくれず、他のナインも言葉すらかけてくれなかった。自分の身から出た錆、と思ってはいても、あまりにも辛い日々だった。
『投手はな、バックを信じてるから投げられるんだよ!』
まるで沢村が、自分のために叫んでくれていたようにすら、思えていた。
「三橋君」
モモカンの声に、三橋ははっと我に返った。
いつの間にか、涙ぐんでいたことにやっと気づき、拳でぐいぐい目元を拭いた。
その様子を眺めていたモモカンは、優しく語りかけた。
「今の、見てた?」
「は、はいっ」
「たとえマウンドにいなくても、エースとしての振る舞いはできる……」
「……!」
「沢村君は、チームの精神的な柱となる、エースの器よ。彼をただの2番手投手だと思い込んでいたのは、大きな間違いだったわ。あのチームのキーマンは、沢村君よ」
「マウンドに、いなくても、エース……!」
三橋が、初めて出会った概念だった。
(オ、オレは……マウンドに、しがみついて、いただけ、だった。エースは、チームのために、何ができるか、常に考えないと、いけないんだ……!)
打席についた栄口は、青道内野陣の様子が、明らかに変わっているのに気付いていた。
(どいつも、食いついてきそうな面構えになってんじゃないかよ……青道が、ついに本気になってきやがったんだ)
ぐっ、と歯を食いしばる栄口。
(くそっ、俺だって、まだ何の結果も出してないんだ! 自分の仕事だけは、何としてもやってみせないと)
送りバントの構え。だが、青道内野陣はあまり前に出ない。泉がプッシュバントをやったばかりなので、警戒している。
1球目。低めのスプリット。ボール。
2球目は高めのストレート。栄口はバットに当てた。途端に、サード金丸とセカンド春市が突っ込んでくる。が、小さく上がったファウル。狩場がミットを伸ばしたが、届かなかった。
栄口は今の突進に感じたプレッシャーをこらえるように、もう一度守備位置を確認した。やはり前に出る様子はない。
(警戒されたままか。だけど、ストレートは速いけど、案外怖くない。セットポジションで投げてるせいか?)
3球目、低めのストレート。
これを、栄口はバントした。勢いを殺された球が、三塁側を転がる。
「金丸! ボール1つ……」
狩場の指示の前に、金丸がボールを素手で掴むや、三塁に投げつけた。
ベースに入ったショートがキャッチ。間一髪、西広は間に合わなかった。
「やらせねーんだよ……!」
金丸がそう吐き捨てた。
(くっ! 強引に三塁を封じてきた。バント自体は成功したのに!)
一塁上で栄口が臍を噛む。
ネットの向こうでも、青道二年生らが固唾を飲んで見守っていた。
「この緊迫した状況で、いいバントしやがるぜ。何とか押さえ込んだけどな」
倉持が唸った。
「ここからが問題だ。ワンアウト一、二塁で、出てくるのは西浦最強打者の田島。いろいろな仕掛け方が考えられる。送りバント、ヒットエンドラン、ダブルスチール……どう来るかな?」
眼鏡の下の目を光らせる御幸。
白洲が口を開いた。
「こちらは田島を敬遠して満塁にする策もあるぞ。渡辺、次のバッターの今日の成績は?」
「4番花井は、今日は4打席ノーヒット。8回に降谷と対決して、三振してる」
「甘く見たらアカンて! ここまで打ててないからいうて、次も打てんとは限らん。4番を任されてノーヒットや。ここで取り返そうとして、気合入れてくるで!」
身に覚えのある前園が、自分のことのようにいきり立つ。
御幸は、自軍ベンチの方を見つめていた。
「落合監督代行は、敬遠策が好みかもしれないな。だけど俺は、必ずしも敬遠策がベストとは思ってないんだな。さて、両軍ともどう出るか」