ストライク・スリー! ~大振りエースは砕けない~ 作:デスフロイ
6回裏。5対6、西浦のリード。
(何としても、ここだけは塁に出ないと!)
巣山は、悲壮な決意でバットを握り直した。
自分たちのミスが、結果的には1点差にまで追い上げられるきっかけになってしまったのだ。かろうじて同点にはされていないものの、まだエースを温存している青道相手に、危機的状況なのは間違いなかった。
(打ち気満々だな。それなら、コイツで揺さぶるか)
狩場のサインに、沢村が頷く。
待ち構える巣山のところへ、沢村はしっかりと腕を振り込んだ。
「!」
巣山のバットがスイングされた後で、ゆっくりした球が通過していった。
「チェンジアップか! 巣山のヤツ、沢村に完全に翻弄されてるな」
阿部が呻く横で、三橋は沢村を眺めていた。
(オレと、同じ、クセ球使い……だけど、沢村……君、の、方が、球速い。緩急も、効果高いんだ……田島君も、当てるのが、やっとだったし……)
「何だ三橋? 同じクセ球使いのアイツに敵わないって、思ってるのか?」
阿部は、三橋の表情を読み取っていた。
「じゃ、もし沢村が西浦に行ってたら、沢村に背番号1番くれてやるのか?」
「イ、イヤだ! 1番は、渡さない……」
三橋は、自分のユニフォームを抱きしめた。
「アイツと競うんだな?」
「き、競う、よ!」
「ならしょぼくれたツラするな。なに、コントロールはお前の方が全然上だ。それに、俺達が、アイツを打ってお前に点をプレゼントしてやるよ」
「う、うん!」
(とは言うものの。アレを打つのも厄介なのに、まだ降谷が控えてる。厳しいな)
「ボール、フォア!」
巣山が、バットを放り出して一塁へ向かいだしていた。マウンドの沢村が、大きなアクションで頭を抱えている。
阿部が、バットを持ってネクストサークルに向かった。
打席には、6番の沖。
沢村が、何度も一塁を牽制するが、巣山はヘッドスライディングで戻る。
モモカンはその様子を見て、唇を結んだ。
(打順は下位になっていく。あの沢村君を打つのは、水谷君や三橋君では難しい。最低でも、阿部君で点を取らないといけない。ランナーを、先の塁に進めないと)
ヒットエンドランのサインを、モモカンは送った。バント名人の栄口が失敗するくらいのクセ球を、沖にバントさせても失敗の可能性がある。どの道リスクを負うなら、強硬策に出ることにしたのだ。内野ゴロでも、巣山が生き残る可能性が出てくる。
2球目。
巣山が、沢村のクイックをちらりと見て、走り出した。
「!」
沖が、バットを合わせに行く。
が、やはり当たり損ねてピッチャー前。
沢村がそれを取って、二塁に投げようとした。が、巣山が頭から二塁に突っ込んでいく。
諦めて、一塁に投げた。こちらは楽々アウト。
荒い息をしながら、巣山が立ちあがった。
(お……送りバントと、変わらねーな……・阿部、後は頼んだぞ)
ギャインッ!
バットが、明らかに不細工な音を立てた。
ファウルボールが、レフト側のネットにぶち当たる。
(またファウルかよ……カット打法やってる感じじゃねーけど、これで4発目だぞ。どうせなら、フェアグランドに打てよ)
沢村が、眉根を寄せていた。
阿部も、真似をするように眉根を寄せていた。
(本当に、手元で動く……タイミングは取りづらいし、ここまで厄介だとはな……って、もう投げるのかよ!)
インローギリギリの高速チェンジアップ。阿部は、手が出なかった。
が、球審の判定はボール。これで2ボール2ストライクだ。
(た、助かった……投げるテンポ速すぎるんだよ!)
(ストライクでも、おかしくないコースだぞ。コイツ、確かキャッチャーだよな。選球眼はいいってことか)
続いて、インハイのストレート。
「くそっ!」
阿部は、ほとんど執念で、かろうじてファウル。
「た、タイム!」
足場をならしつつ、何とか沢村のテンポをいったんリセットしようとする。
(いい加減にしろよ! ピッチャーの嫌がることは分ってるってか? 目つきも悪いし、絶対にコイツ、私生活でもネチネチしてるだろ)
沢村は、阿部の性格を正確に推察していた。
一方の阿部も。
(ちくしょー……! どう見てもバカのくせに、いざマウンドに立たせるとこれかよ。タチが悪すぎるんだよ)
そして二人は、謀らずも、同時に思っていた。
(コイツとだけは、バッテリー組みたくねー!)
だが、阿部は、大きく息をついた。
(三橋に、点取ってやるって言っちまったんだ)
ちらりと、ベンチの三橋を見やる。
(このままじゃ、ラチが空かない。そろそろ、チェンジアップを投げてくるかもしれないな。ヤマ張っていくか。裏目に出たら、ゴメンナサイだ)
この二人の勝負を、御幸はじっと見ていた。
「沢村や狩場が焦れなけりゃ、何とか打ちとれるとは思うがな……」
そう言う御幸の視界の中で、狩場のサインを見つめる沢村が、え?という表情を見せた。
「おい、まさか。狩場、お前」
沢村が頷き、投げた。
その瞬間。
「バカ! それだけはダメだって!」
御幸の叫びを追いかけるように、阿部のバットから快音が鳴り響いた。
三遊間を抜けていく打球。巣山が、貴重な追加点のホームを踏んだ。
「あのバカは……チェンジアップ狙ってるのがミエミエだろうが……」
狩場に、後でキツ目の教育的指導を入れることを、御幸は決意した。
続く水谷は、あっさりとダブルプレーに終わった。
ベンチに戻るバッテリーに、落合が言った。
「あのチェンジアップだけは、絶対ダメだろ。狩場、後で御幸に大目玉をくらうぞ」
狩場は、先ほど御幸が叫んでいたのを耳にしている。青ざめ、へなへなと膝から崩れ落ちた。
「申し訳ありません! 次の回からは、完璧に押さえてみせます!」
「お前、イニングくらい確認しておけ。お前の出番は、予定通り6回で終わり。ここからは降谷でいくから」
がっくりと肩を落とす沢村。
「それで沢村、お前はファーストで入れ」
「え?」
「降谷の足が、万一思わしくなかったら、また投げてもらわないといかんからな。金田も下げちまったし」
「はい監督代行! 降谷、足は痛くないか!? 痛むだろ!? 痛いなら痛いって言え!」
「全っ然痛くないから。ここから9イニングだって投げられるから」
「ここから9イニングもあるか! ってゆーか、お前9イニング投げたことないだろ!?」
沢村のツッコミを、つーん、と無視している降谷を、落合は眺めていた。
(ま、足さえ大丈夫なら、降谷の球はあのチームじゃどうにもならんだろ。かろうじて注意しなきゃならんのは、3番の田島だけだ。あとはこちらが逆転すれば勝てる)
7回表。
西浦は、同点に追い付かれた。
ツーランを打った東条が、ゆっくりとホームに帰ってきた。
(“まっすぐ”を、打たれた)
三橋が、呆然としている。
(さっきは、小湊、君、にも打たれた。オレの、“まっすぐ”は、見切られだしてる。せっかく、阿部君が、取ってくれた、点が)
「こっから押さえていくぞ! しまっていこー!」
阿部が、景気づけにナインに声をかける。
が。
次の降谷にも、外野に運ばれた。フェンス直撃の2ベース。
6番は、どうにか三振に仕留めた。続いて、7番狩場。
カーブを、強引に引っ張った。三塁線にボールが落ち、水谷が駆けつけて行く。
三塁を回った降谷が、ホームを駆け抜けた。打った狩場も二塁に到達。8対7、ついに青道がリードを奪った。
阿部が、わずかに苦悶の表情を浮かべる。
(これ以上の追加点はまずい! “まっすぐ”を出し惜しみしてられない。下位打線の連中なら、そうそう打てないだろ)
8番は、2球目の“まっすぐ”に手を出したが、当たり損ねて一塁に小さく打ち上げ、突っ込む沖の前で、地面にバウンドした。
が。
強いスピンがかかっていたらしく、沖の左側へと方向を変えて跳ねた。沖は慌ててミットを出すが届かない。
しかも、その打球が、一塁ベースに直撃した。
「そ、そんな!?」
予想もしない方向に転がるボールを沖が追いかけ、拾い上げた時には、バッターは一塁を駆け抜け、狩場が三塁からホームに向かっていた。
沖がホームに送球したが、狩場がうまく回り込んでホームイン。点差が2点に広がった。
西浦は、ツキにも見放されているかのようだった。
内野陣が、マウンドに集まっていった。
「ここまでだな。投球練習させてるピッチャーはいないようだが、守備の誰かと交代させるかもしれんな」
落合は、ベンチから西広が伝令として、マウンドに駆け寄ってくるのを見た。
「引導を渡しに来たか。これで三橋は交……」
「オレ、交代、しないよ!! まだオレ、投げられる!!」
三橋の声が、青道のベンチにまで聞こえてきた。西広が、のけぞっている。
「なんとまあ。心が折れてると思ったのに、見かけによらんな」
半ば呆れ顔の落合。
打席の前で、バットを手にした沢村は、そんな三橋を見つめていた。
(アイツ……俺や降谷と同じ人種だ)
いかにも頼りなさそうな三橋が血相を変えて西広に詰め寄り、阿部に押しとどめられている。
(得意ダマ打たれて、点も取られて、負け越してるのに。それでもマウンドから降りたくないんだ。降りたら、もうエースじゃなくなる。そう思いつめてるんだろ?)
沢村自身にも、身に覚えがあった。
イップスに苦しんでいた頃、打ち込まれて、絶望に苛まれながら、マウンドを降りた、みじめな記憶。
ドクン、と、沢村の胸に、鼓動が響いた。
ふとベンチを見ると、降谷が、腕を組んで何度も頷いている。
(降谷にも、分かるんだ。アイツの気持ちが)
やがて、マウンドにとどまる三橋を中心に、西浦ナインが散らばっていった。
「続投か。選手層の薄さが、辛いトコだろうな」
落合はそう呟いた。
そして、沢村が打席に入った。
(俺は、打つ! それがあのピッチャーに対する礼儀ってモンだ)
顔を引き締める沢村に、落合からサインが送られた。
(お、送りバント!? ここは打たせてもらいたいのに!)
沢村の表情を見た落合は、親指と人差し指を上に立てて、くるくると回す。
(嫌なら交代させるってか!? うぐぐ……)
「そりゃそーだろ」
金丸が、ネクストサークルからツッコミを入れた。
しぶしぶ、沢村はバント。“まっすぐ”を絶妙に一塁線に転がし、ランナーを進めた。これで2アウト二塁。
モモカンは、マウンドで肩で息をしている三橋と、キャッチャーボックスの阿部を見た。
(これ以上連打を浴びたら、さすがの三橋君でも耐えられるかどうか。阿部君、頼むわよ)
その阿部と三橋は、
(金丸には、もう長打を浴びている。コイツとの勝負は避ける)
(2番と、勝負だね。まだ、金丸君や、小湊君よりは、怖くない)
阿吽の呼吸で、金丸を歩かせた。
が。
続く2番が、内角のシュートを強打した。強くバウンドした打球が三遊間を抜ける、かに見えた。
「させるか!」
巣山が地面を蹴って、斜めにジャンプ。捕れはしないものの、グラブがボールを弾き、横に転がした。それを、田島が方向転換して、駆け寄って拾う。
しかし、その時にはもう三塁にランナーが滑りこんでいる。田島は他の塁も見たが、間に合う状態ではなかった。
「あの当たり止めて、追加点阻止しよったか! なかなかしぶといな、コイツら」
前園が、感嘆した。
「ベースにも迷いなく入れてるし、カバーもきちんとできてるな。動きが整然としてやがる。崩れ切っても、おかしくない局面なのによ。コイツら本当に全員一年か?」
倉橋の言葉に、御幸も頷いた。
「おそらく、この手のピンチは何度も潜ってるんだろう。……だが、おそらく次のバッターが、あの三橋には最悪の相手だぞ」
打席に入ったのは、3番の小湊だった。
(よりによって、この場面でコイツかよ!)
阿部が、心中で呻いた。
「小湊は、あの三橋に対して4打数4安打だ。変化球も、クセ球も打っている」
青道ベンチでは、落合が目を細めていた。
「歩かせたいところだろうが、満塁ではそれもできまい。押し出しに目をつぶっても、さらに4番の東条だからな。嫌でも勝負するしかない。三橋も、できれば逃げ出したいだろうな」
その傍らで沢村は、三橋を見た。
三橋の表情は、変わらず笑みを浮かべている。顔色も変っている様子がない。
(逃げたがっている……? 本当に、そうか? 俺には、そうは思えない……)
当の三橋は。
(怖い。小湊君が。……だけど、阿部君が、サインくれる。オレは、戦える)
だが、その阿部は、必死で突破口を探している状態だった。
(……アレを、使うしかないか。まだ未完成品だけど、うまくいけば仕留められるかもしれない。何とか2ストライクまでもっていかないと)
阿部は、三橋にサインを送った。
頷いた三橋は、投げた。外角高め、本当にギリギリをかすめるカーブ。
(打ってもファールだ。ここまで回が進んでも、コントロールが乱れない)
春市は、唇を引き締めた。
続いて、内角にわずかに外したシュート。
これも見逃し、判定はボール。
(よく見てやがる。さて、次がちっと怖いが、何とかカウントを稼ぎたい)
(内角高め、に、“まっすぐ”)
三橋が、投げた。
春市がバットを振った。
三塁線の外側を、打球が走る。ファール。
(やっぱり“まっすぐ”の高さを見切ってやがる。だけど、これでアレを使える!)
阿部の出したサインに、三橋は目を見張った。
(ア、アレを投げるの? この、小湊君に? コントロールしきれるか、分からないよ?)
(ギャンブルを仕掛けなくて、コイツを打ちとれるか! 自信持っていけ!)
バンッ、と、阿部は自分のミットを叩いてみせた。
三橋は、頷いた。
人差し指と中指を曲げ、親指と薬指で握る。
(ナックルカーブ……!)
振りかぶると、三橋は、投げた。
内角に、やや速い球が入っていく。
(あのストレートか? いやスライダーか)
春市は、見覚えた軌道を追うように、バットを振りこもうとした。
が。
(軌道が違う!?)
春市の、非凡な才能がここで発揮された。鋭い角度で落ちる球を、咄嗟にバットをコントロールして、かろうじて当てたのだ。
「ファール!」
バランスを崩して、膝立ちになる春市に、球審の声が聞こえた。
(あ、危なかった……今の、何? 縦スラ? あんな球を、まだ隠し持っていた……!)
一方の阿部は、愕然としていた。
(体勢崩してただろうが! 今のをカットするなよ! ……もう、ナックルカーブの軌道は見られた。コイツに2球目は通用しない。やられた……)
だが、投げさせないことには、どうにもならない。
阿部は、マウンド上の三橋を見た。
(ナックルカーブも、見られた……もう、投げる球が、ないよ)
打たれた球種を、三橋は考えていた。
(……いや。まだ、1球、ある)
阿部のサインは、スライダーだった。苦し紛れのサインだ。
三橋は、首を振った。
阿部が少し考えて、ナックルカーブのサイン。
しかし、これにも首を振る。
(これをもう一度試したいとかじゃないのか? 一体何を……おい、まさかこれか!?)
出したサインは、“まっすぐ”速い球。
三橋が、頷いた。
(正気か!? “まっすぐ”は、もう打たれてるだろうが)
(あれは、普通の“まっすぐ”だった、よね? 速い“まっすぐ”は、小湊君には、ほとんど投げてない)
(普通の“まっすぐ”ならともかく、速い方だと、ジャストミートされたら長打だぞ。試合が決まっちまう……)
だが、もうサインを出してしまった。第一、阿部にも他の妙案などない。
(分かったよ、もう! 俺も一緒に、腹切ればいいんだろ? その代わり、ハンパな球は投げるなよ!)
バンッ、と、もう一度阿部はミットを叩いた。三橋を受け止めるかのように、大きく腕を広げて見せ、そして構え直した。
三橋が、動いた。
ランナーがいるにも関わらず、大きく振りかぶったワインドアップ。
(……来る!)
春市は三橋に対して、言いようのない雰囲気を感じ取っていた。
(アイツ、何かやるつもりだ!)
ベンチの沢村も、息を飲んだ。
(阿部君は、オレを、信じてくれている)
すぅっと、三橋の足が上がった。軸足から地面に根っこが生えたように、一瞬静止する。
(阿部君が、信じてくれるなら、何も、怖くない! オレは)
左足が、踏み込まれた。軸足が、プレートに強く押し付けられる。右腕が、後ろに引きつけられる。
足から腰、そして腕へと、力が連動していき、指先一点に達した瞬間。
(オレは、投げられる!!)
渾身の“まっすぐ”が、放たれた。
外角やや低め。
(コースはよし!)
そう思った阿部の表情が、凍った。
春市が、思い切りよく踏み込んできたのだ。
(読まれた! やられる!)
(捉えた!)
が。
春市の狙ったコースより、ボールがわずかに上の空間を切り裂いていく。
(伸びた!?)
チッ!
パァン……!!
ボールをバットが、かすめる小さな音。一瞬遅れて、ミットの音が、高らかに鳴った。
「シビれるぜ……!」
阿部が、ミットに目をやりながら、思わず呟いていた。
「ストライーク! バッター、アウト!」
球審のコールと共に、西浦ナインが歓声を上げた。
駆け寄る仲間たちに飛びつかれ、よろめく三橋。
「ナイスボール……!」
フェンスの外から思わず呟いた御幸を、倉持が呆れた目で見ていた。
(今までで、一番いいボールが来た……負けた)
打席を去りながら、春市は思った。
(土壇場で、最高の力が出せるんだ……まるで、栄純君みたいだ)
「春っち! あれは仕方ねえよ」
その沢村が、ベンチに戻った春市に声をかけた。
「俺もそうだけど、球威のないヤツが真っ向勝負するのって、すっげー勇気いるんだ。ギリギリまで追い込まれた中で、気力振り絞った球を投げてきたんだ。大したヤツだよ。あの三橋は」
春市は、ただ静かに頷いた。