ストライク・スリー! ~大振りエースは砕けない~ 作:デスフロイ
沢村は、マウンドで大きく深呼吸した。
そして振り返り、両手を挙げた。
「バックの皆さん!」
もはや恒例となっている大声が、グランドに響き渡る。
「ちょっとばかりリードされてますが、そんな流れがあるのもまた野球! 我がチームの本領発揮はこれからですよこれから! しょぼくれてないで、元気出していきましょう!」
「お前が必要以上に元気すぎるんだよ!」
倉持がヤジを飛ばす。実のところ、寮でも同室の倉持は、沢村を最もかわいがっている先輩の一人である。
「余計な茶々は置いといて! 今日も景気よく、ガンガン打たせていくんでよろしくぅ!」
その様子を眺めていた阿部は、絞り出すように溜息をついた。
「やっぱりバカの塊だこいつ……マウンドを演説場にしてんなよな」
「打たせてくれるって言ってるんだから、お言葉に甘えようぜ。泉、頼んだぞ!」
「おう!」
「ただし泉君?」
モモカンが口を挟んだ。
「この前言ったこと、忘れてないわよね?」
「分かってますよ。1番打者として、敵ピッチャーの球筋見てこいってんでしょ」
泉は打ち気が強く、難しいボールでも手を出してしまう癖がある。選球眼を養うために、ここ最近はあえて探り役を務めるよう、モモカンは命じていた。
(コイツは秋大で完投してんだよな……まずはお手並み拝見といくか)
右のバッターボックスで構えて、泉はマウンド上の沢村を睨みつけた。
すると。
沢村の口元が、だらしなく開いた。
(何だコイツ? バカにしてんのか)
少しムッとしている泉。
沢村は、口元はそのままで振りかぶり、大きく足をあげた。
そこから思い切りよく踏み込む。後ろに引きつけられた左腕が、ムチのようにしなやかに、かつ鋭く振りぬかれた。
「!?」
泉が、目を見張った。
アウトローに、ストレートが飛び込んで行くが、泉は動けない。
「ストラーイク!」
(な、何だ今の!? 投げる左腕がほとんど見えなかった……いきなり球が飛んできた!)
泉は、今度は左打席に入り直した。少しでも角度を変えて、沢村のピッチングを確認したかったのだ。
「ほほー、あいつもスイッチバッターかよ。沢村のタマ見て仰天してるぜ。キヒヒ……」
倉持が、楽しそうに笑う。
(さあ来いよ! しっかり見てやる……!)
泉が、その目に気合を込める。
泉の打席が変わっているのも構わず、沢村の投げ込んだ球は、鋭く突き刺さった。
身をよじった、泉の背中に。
「ぐえっ!」
顔色を変える西浦ナインを手で制して、泉は背中を押さえつつ一塁に進んだ。
「さーせん!」
帽子を取って頭を下げる沢村を、泉はじろっと睨みつけた。
(避けきれなかった……どうしてあいつが一年で抜擢されたのか分かったよ! バカ野郎!)
そして、2番の栄口が打席に入る。
俊足の泉は、隙あらばとリードを取る。
が、サウスポーの沢村が真正面を向いていて、じーっ、と泉を見つめている。
(そんなにじっくり見んな! やりにくいな)
その時、沢村が素早く牽制球を放ってきた。
慌てて戻る泉。
「セーフ!」
(ちっ、牽制も得意そうだな。塁に出たら出たでこれかよ! 本当に厄介なヤツだ)
第一打席では盗塁を決めていた泉だが、今回は自重して栄口に任せることにした。
が。
バント名人の栄口が、スリーバントまで失敗。
戻りつつ、栄口はネクストサークルの田島に囁いた。
「ボールが、手元でグネグネ動く。フォームもタイミング取りづらい」
「ムービング、かな?」
田島が、打席に向かった。
その姿を、沢村は見据える。
(この田島だけは要注意って話だったな……一打浴びればタイムリーもある。絶対押さえてやる!)
セットポジションから、沢村は気合を入れて投げ込んだ。
やや外側に逸れた。判定はボール。
(やっぱり動いてる。コイツもクセ球使いだ!)
田島の口元が、一瞬笑った。
(おもしれー! ムービングピッチャーなんて、対戦するの始めてだ! 打つぞー!)
二球目。
内角高めに、ストレートが来た。
田島が、バットを振り込む。
ボールはバットの上をかすめ、バックネットにぶち当たった。
(真後ろ!? もう沢村の球に、タイミングを合わせてきてる! やっぱりコイツは別格だ)
狩場は、マスクの下で戦慄した。
(ムービングだけじゃない。栄口の言うとおり、フォームも独特だ。コイツ、こんな手強いヤツだったんだ! さすが青道の一軍だな)
気を引き締め直し、本気で集中を高めていく田島。
相対する沢村の目にも、鋭さが宿る。
(生半可は、コイツには通用しない。俺はせいぜい後1回しかコイツとは対戦しない。出し惜しみはしねーからな!)
沢村と、田島。
二人の視線が、交錯した。
次の球は、インローへの高速チェンジアップ。
田島のバットが、空を切った。
(次で、勝負だ!)
(来い! ゲンミツに打ってやる!)
4球目。
沢村の足が、左に大きく踏み込まれた。
(え!? そんなに内側に踏み込んだら、腕を振りきれな……!)
沢村の左腕が、勢いよく振り切られた。
内側いっぱいから、アウトコースへと、対角線のように斬りこんでいくボール。
(クロスファイヤー!)
田島が踏み込み、腕を伸ばしながら打ちにいく。
が。
その手元で、さらにボールが外側に曲がった。
クロスファイヤー・カットボール。
沢村の、ウイニングショットの一つだった。
(なっ……!)
田島は、当てるのが精一杯だった。
ボールは大きく弾み、サードの金丸を飛び越そうとした。
「やあっ!」
金丸は大きくジャンプ。ギリギリでキャッチした。
バランスを崩しながら着地。転びそうになるのを何とか踏みこらえ、二塁に投げようとしたが、泉はもうベースのすぐ側だ。
すぐさま、一塁に投げ直した。
が、田島は泉と同等の俊足だ。送球より、わずかに早く駆け抜けていた。
はあはあ、と、荒い息をしながら、田島は帰塁した。
(あんな球投げられるのか。これじゃ、打ち取られたのと変わんねーな……!)
「す、すまん沢村!」
「いや、捕ってくれてありがとな! 次もいいプレー頼むぜ」
ニカッ、と笑って沢村は金丸に親指を立てた。
(ひょっとして、コイツって根はいいヤツか?)
泉は、沢村の背中を見つめた。
モモカンは、打席に入る花井にサインを送る。
(ここは花井君に任せる! 送りバントって手もあるけど、花井君より5番の巣山君が確実って保証はない。あのピッチャーなら尚更。4番の仕事してらっしゃい!)
その、任された花井は、どぎまぎしていた。
(ミート上手の田島でも、当てるのがやっとなのに。だ、だけど俺が4番なんだ。田島より、結果残してみせなきゃ!)
構える花井。
(コイツ、大柄だし、結構飛ばしそうな感じだな。田島を押さえて4番打つくらいだから、ナメてはかかれねーぞ)
ピンチになっても、動じないのが沢村の真骨頂だ。
1球目。
アウトローの球を、ライトフェンスにぶつけるファウルボール。
(ミートは田島より数段下だな。これなら沢村は討ちとれるだろ)
狩場が送るサインに、頷く沢村。
今度は、インローにストレートが投げ込まれた。
「くっ!」
わずかに沈んだボールを、花井はバットに当てた。
当たりは鋭いが、ショート真正面。
「ゲッツー一丁上がり、だな」
落合は、余裕綽々で見守った。
だが。
なんと、ショートの股の間を、打球があっさり抜けていったのだ。
「え?」
落合の動きが止まった。
「レ、レフトー!」
沢村が叫ぶ。
え?という顔になった降谷が、転がっていく打球を、慌てて取りに行った。
だがしかし。誰も予想しないことが起こるのが、野球の怖ろしさである。
降谷の差し出したグローブの真下を、ボールがすり抜け、さらに奥へと転がっていったのだ。
「ええっ!?」
さすがに落合も、小さな目をひん剥いた。
「降谷ーっ!!」
「やった、クソレフトー!!」
沢村の怒号と、阿部のヤジが連続して響き渡った。
泉、続いて田島が足を活かしてホームイン。花井も三塁を目指そうとした。
が、やっと打球に追いついた降谷が、強肩を惜しげもなく振るった。猛烈な送球が、ショートに帰る。
慌てて、花井は二塁に戻った。
(何だあの肩!? あ、あれが本来のエースなんだよな? マウンドであんな球投げられて、打てるのか俺?)
戦慄する花井であった。
「ふふん、やってくれるぜエース様! やっぱクソレフトはいい仕事してくれるぜ。なー水谷」
「何で、そこで俺に振るわけ?」
ノンキな水谷も、阿部をジト目で睨んだ。
「いやいや、気にするな。あっちは力の2号だからな。お前の技には適わねーよ」
「何の1号2号だよっ!」
が、西浦の進攻もそこまで。
フォアボールでランナーは出すものの、続くヒットが出ず、それ以上の得点は入れられなかった。
「ま、あれはさすがにお前の責任じゃないな」
ベンチに戻ってきた沢村を、落合は慰めた。
やや遅れて、クソレフト2号が戻ってくる。
「おう、まー気を落とすなよ降谷! 点はまたみんなが取ってくれるから!」
「……すまなかった」
降谷は、沢村に深々と頭を下げた。
「集中できてなかった部分もあるし、プレーが雑になったのは確かだ」
「いや、だから切り替えて」
「だけど!」
じろっ、と降谷が沢村を睨む。
「だからって、クソレフトはないだろ?」
「え……?」
「聞こえたよ。降谷ー、やったなクソレフトー、って」
「え、え!? 俺、クソレフトなんて言ってないぞ!」
「いや、俺も聞こえたような気が」
東条が、よせばいいのに言葉を添える。
「向こうのチームのヤジじゃない? あの時、向こうも何か叫んでたから」
春市が、とりなすように口を挟んだ。
「きっとそうだ! 俺が、そんなこと言う男に見えるか!?」
「じゃ、そう思っておく……」
立ち昇るオーラが、言葉を裏切っていた。