ドラゴン・バラッド-龍血の龍討者-   作:雪国裕

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龍血

 遺跡周辺は、ここが砂漠地帯の一端であることが信じられないほど、緑が生い茂った場所だった。小規模なジャングルとも言えるだろう。乾燥地帯では到底考えられない植物、数は多くはないが野生生物が存在している。

 ここに潜伏して数日、常に気の抜けない状態が続いた。当然詳細地図はない。意外と広いこのジャングルを、小刻みに移動するのは骨が折れた。

 獲物――龍の秘宝を狙う外敵は思いのほか多い。そしてその一部が既にこの地へ潜入している。その裏付け、痕跡もいくつか見つかった。大多数の足跡や食事の形跡。そして個人とみられる足跡、野宿を行ったとみられる跡地。

 予想通り、盗賊団と一個人がここを訪れていることが伺える。運悪く偶然、タイミングが重なってしまったわけだ。彼らは戦闘にならぬよう、隠密行動に徹することにした。必要最低限の装備で密林を移動、目立たぬように努めた。

 問題は食料。ポーチの中には携帯食料を詰め込んだものの。十分ではない。食べられるものを探しては摂っているが、それにも限界がある。

 そう長くはいられない。

「あれが遺跡の、入口か」

 大木を背にして、ヴァンは向こう側を窺った。鬱蒼としたジャングルの中では、当然見晴らしは悪く向こう側を確りと見据えることはできない。しかし彼の視界では一部、木々の合間から大きな建物が顔を覗かせていた。そしてそこは建物の開口部、入口らしき場所であることも判明した。

「敵もいるようだ」

 声を潜めて言う。人数は…確認できるだけで五人。おそらく盗賊団だろう。武装は、前に襲われたときにも扱っていた弓とショートソード、そして斧。皆獣の毛皮を合わせた鎧を着込んでいる。比較的軽装の部類に入るだろう。盗賊は皆どこか疲弊した様子で、遺跡の階段部分に腰を降ろしていたり、柱に寄りかかったりしていた。ともかく、入口からの正面突破は難しそうだ。

「奴ら、一体何を探しに来たんだろうな」

 ヴァンはふと、そんな疑問を口にした。

「何って、宝探しじゃないの」

 ルナがそう返すと、ヴァンは俯いてから視線を横にし、考えた。

「…それは剣か?鎧か?」

「どういうこと?」

「龍と戦うことが目的でここを訪れたなら、それは剣が目的ということだ。しかしそれが引き抜かれた今は、残っているとされるのは鎧だけ。奴らが持っていても特に意味はない」

「だとしたら、誰かに売りつけるのかな」

 ヴァンは首を振った。

「いや。転売目的なら効率が悪すぎる。真にあれを欲しがる人間は限られている。僕のような、特殊な目的を持たなければ、龍血であっても欲しくはならないだろう。価値が判る輩も、見つけること自体が難しい」

「そうだね…確かに」

 「ガーディアンの話が本当なら、犠牲は絶対に出るだろう。それも少なくはないはず。いや、もう出ているかもしれない。そんな多くの犠牲を出してまで、奴らはあれを手に入れる意味があるのか」

 ヴァンには、盗賊団の一連の行動に何かが引っかかっているようだった。

 しかし、今はそれを気にしていては行動に支障をきたすのも事実だ。

「まあ、考えていても仕方ないよ」

 ルナも、そしてヴァンも。そのことを分かっている。

「ああ。今は目的を優先するべきだな。ごめん、今の話は忘れてくれ」

 二人は迂回して別のルートを探すことにした。誰かと鉢合わせないよう、慎重に。息を潜め、かつ迅速に。

「まって。遠くからだけど、かすかに物音が聞こえるわ」

 ルナがヴァンを制止する。二人は顔を見合わせてから頷くと、視線を辺りに向けてゆっくりと見回した。

「見てみろ。あれを…」

 先にそれを見つけたのはヴァンだった。彼はルナにひと声をかけてから、更に足を進める。

 あくまで慎重に。

「あれがガーディアン…?」

 ルナが震えたような声で言う。

 ソレからは生命の息吹を感じなかった。

 まるで中身など存在しないかのように。

 ただただ、それは無機質すぎた。

 ガシャン…ガシャン。

 甲冑姿の何者かが遺跡の周りを徘徊していた。冷たい金属音が、一歩大地を踏みしめるたびに聞こえてくる。大きさはおおよそ大柄な男ほど。全身を白銀の鎧で武装しており、手には肉厚の長剣を携えている。鎧は所々錆で覆われており、破損箇所も見られる。決して小綺麗な外見ではない。だが、武器は錆びてはいなかった。木々の間から差した光が、剣先に反射し鋭く輝く。

「入口付近でガードをしていないということは、こっちが正解ってことか……なんとかやり過ごせないものか」

「難しい…かもね。どちらかが引き付ければ、一人は奥へ進めるだろうけど。そのあとは…」

「私が囮になるから。ヴァン君は…」

「いやまて」

 ガーディアン周辺――地面に目を凝らす。そこには、この場にふさわしくない何かが投げ捨てられていた。

 あれは、人間の――腕。目を凝らせば、辺りには幾つも死体が転がっていた。ヴァンはうっすらと額に汗をかいた。もうすでに戦闘が行われていたということか。

「ルナ。その役回りは僕が引き受ける」

「え?どうして…」

 彼女は拍子抜けとばかりに声を上げる。

「やらせてくれないか」

 強い口調で言うと、彼女は渋々頷いた。彼女を信用していないわけじゃない。この方が適任だと感じていたからこそ、だ。ヴァンは、おそらく彼女のほうが早く入口を探し当てると思っていた……というのは言い訳かも知れない。彼はただ、自分の直感に従った。

「注意を引いているうちに隠れながら入口を探してくれ。見つけたら飛び出して、君がその先に進む。その際に合図が欲しい。僕は、常に視界のどこかに君を入れておく」

「わかったわ」

 ルナの返事を皮切りに、ヴァンは飛び出す。走りながら背中の小盾を左手に装備し、ブルークラウンを素早く抜刀する。

 騎士と彼は対峙した。注意はこちらに向いている。ルナが動き出したのを確認すると、ヴァンは剣を構えた。

 それに応じるように騎士は両手で剣を持ち、その鋒を彼へ向け構えを取る。

 騎士が、こちら目掛けて突進してくる。重い突きの攻撃。それを盾で受け流す。ビリビリとした衝撃が、左腕を駆け抜けていく。すかさず、ヴァンは反撃に転じる。同じくして、騎士もまた一撃を繰り出していた。一撃目ほどではないが、勢いのある縦斬りだ。ヴァンは相手の剣撃の勢いを、長剣の鋒から鍔側に滑らせるようにして殺した。

 二人は鍔迫り合いの形になった。互いの剣はギリギリと音を立て、踏ん張った足が地面に埋もれた。ヴァンは龍血の力を解放する。そうしないと、力で押されてしまうからだ。群青の髪は青白さを帯びて逆立ち、瞳は猛禽類の如く鋭く、金色に変化した。

「お前が、ここを護るガーディアンか?」

 ヴァンが騎士に訊く。しかし返事はない。相手の兜の先は漆黒の闇で、あたかも深淵を見据えているかのような感覚だった。何を考えているのかなど、到底読み取れない。ヴァンはブルークラウンを前方へ押し込み、潰されそうになっていた体勢を立て直す。

 その際に騎士とさらに顔が近づいた。ヴァンは金色の瞳で騎士の顔を見据える。やはり兜の先は漆黒の闇。

 だが、その内から視線を感じた。

 視線の先は――

(ブルークラウン?)

 その時一瞬、相手の剣の重みが消えた。ヴァンはすかさず力を込め、相手の剣を跳ね飛ばす。そして騎士の足元へ潜り込み、向こう脛に蹴りを入れた。体勢を崩した騎士の頭に、廻し蹴りで攻撃を加えると、ぐらついた背中に両足を当てて――跳躍した。相手はよろめき地面に倒れ伏す。ヴァンは、跳躍した勢いで大きく距離をとった。受身をとり、何回か体を転がすと、起き上がって騎士と向き合う。その時、視界に一つの輝きが見えた。

 ルナの合図だ。彼女は、刀を抜き払い陽光を反射させていた。

 ヴァンは全力で駆け出した。しかし、彼が交差すると同時、騎士は起き上がる。ヴァンは警戒を怠らぬまま、その横を走り抜けた。追撃が来ることを予測し、ジグザグに動く。また、木々を利用して相手の行動を制限しようとした。

 だがしかし、結局騎士は彼を追ってこなかった。

「大丈夫?」

 遺跡内部へ侵入したヴァンに、ルナは声をかけた。

「ああ。あの甲冑、途中から僕への攻撃をやめたんだ。おかげで切り抜けられた」

「そう…無事でなにより」

「まともにやりあったら、かなり危なかったかもしれないな」

 そういうヴァンの表情には、言葉のとおり余裕は無かった。

「先を急ごう」

 彼の言葉を皮切りに、二人は走り出した。

 おそらく鎧は上層にあると思われる。これは直感だったが、二人は迷うことなくそこを目指した。

 途中、徘徊する人影を確認した。おそらく先ほどのガーディアンだろう。

 取り逃がした自分たちを追っているのか、それともそれ以外の誰かを探しているのか。

 いずれにせよ、ここには自分たち以外の誰かも侵入していることは確かだった。各所に痕跡があったのだ。例えばこの、苔むした床に残った多数の足跡…古くはない。つい最近付けられたものだ。それを頼りにして彼らは上を目指す。

 途中、開けた場所に出た。天井の一点から差し込む光が、部屋の中央へ降りている。静寂が満ちた場所だ。二人は歩く速度を緩めて、辺りを見回した。柱の後ろ側などに、誰かが潜んでいるかもしれない。

「この匂い…何か」

 ふと、ヴァンが何かに気がついた。この独特の匂い…硝煙のような…

 そして同時、微かに聞こえる断続的な乾いた音。

 音の位置をたどる。

 中央部付近。

 柱の裏側。

 そこを覗いて刹那、彼は目を見開いた。

「中央部から離れろ!」

 それから直ぐ、大爆発が起きた。爆音とともに柱が破壊され、倒れ伏す。その衝撃で当たりの柱も倒れ、巻き込まれて壁もまた崩れる。視界を全て塞ぐほどの土煙が立ち、それがおさまった後、ヴァンは起き上がった。

「爆発物か…!」

 誰の仕業だろうか。追跡を逃れるための手段か。あわよくば巻き込んで、こちらを亡き者にしようとしたのだろう。

「ルナ!大丈夫か!」

 瓦礫を跳ね除けながら、ヴァンは問うた。

「大丈夫!少し足を痛めたけど無事よ!」

 返事に安堵する。壁は破壊され、瓦礫によって分断されてしまった。自分はこの先へ回避行動をとった。しかし彼女は入口側に回避したため、この先には進めない。

「そうか…君は何とか迂回して進んでくれ。後で落ち合おう」

「わかったわ」

 彼女のことも気にかかる。しかしヴァンは先を急ぐことにした。彼自身も爆発のダメージを受けており、足を軽く引きずりながらもこの先の階段を上った。

「しまったな…」

 ヴァンはため息混じりに呟いて、足を進める。

 途中、青い剣を携えた男が上階へ向かうのが見えた。先を越されるかもしれない。ヴァンは焦燥に駆られ、更に足を速めた。

 上層への階段を上りきり、次のエリアへ到達した刹那、唐突に左から盗賊の一人が飛び出した。大柄な男は斧を振り上げ、瞬時に振り下ろす。

 予想していなかった出来事に、ヴァンは攻撃の回避が遅れた。厚く鋭い刃は、彼の左肩を掠め、衣服を剥ぎとった。その内の装甲がむき出しとなる。傷は無いが衝撃はあった。立て続けに蹴りを受け、ヴァンはガードするも反動でよろめく。が、すぐに体勢を立て直して反撃する。

 ――お前に構っている時間はない。

「どけ!」

 蹴りが男の横腹を直撃すると、吹き飛んで壁に激突した。そして、それきり動かない。彼はその姿を振り返ることもなく、走り去る。そしておそらく最上階の奥地だろう。その場所にたどり着いた。

 中央に石碑と、青い鎧。そこを取り囲むように、柱が何本もそびえ立っている。ヴァンは歩みを遅くして、石碑へと近づいていった。

「これが、鎧…」

 突如、背後に気配を感じ振り返る。放たれた太刀筋を、ヴァンは剣で受け止めた。

「ほう。やるね」

 男は自分と同じ、蒼の冠をその手に携えていた。その剣がブルークラウンだと気がついたヴァンは、鋭い視線を男へ送った。

「お前…!もうひとりか!」

「もうひとり、ということは足跡を掴まれていたようだね。やはりあの情報屋、始末しておくべきだったかな」

 この状況で、男は能天気な声で言った。内容は至って物騒な事であったが。

 男の容姿は変わっていた。だが、それは見慣れたものだった。

 髪は白色で、瞳の色は真紅の色合いをしていた。

 ――彼女と同じ。ヴァンは反射的に、龍血の力を使ってしまった。

 男はにやりと笑い、ヴァンを蹴り飛ばした。衝撃で宙を舞った彼に、斬撃を繰り出す。まともなガードも取れず、ヴァンは左腕に斬撃を食らってしまった。傷は浅い…が、傷口から青い炎が上がり、とたん耐え難い激痛が走った。

「ぐあぁぁああ!!」

 ヴァンは思わず叫び声をあげた。これが、龍殺しの武器で切られた痛みなのか。それはヴァンの想像をはるかに超えた苦痛だった。彼は痛みが引かぬまま、何とか立ち上がろうとする。

「…お前は、鎧をどうするつもりだ」

 男は龍血ではないのは確かだ。だとすれば、鎧など必要もないはずだ。

「君と同じ用途さ」

 だが、白髪の男はそう言った。

「それは違うだろ」

 ヴァンは片膝をつきながら反論した。

「同じさ。時期が違うだけだよ」

 男は曖昧かつ、意味深な発言をした。

「盗賊団と鉢合わせて、よく無事でいられたな」

 ヴァンはどこか挑発するように言った。虚勢を張っていることは、自分でもわかった。

「気がついていなかったようだね。あれは私が手配したんだよ」

「なに?」

 ヴァンは眉をひそめる。

「金品の一部を前金として手渡した。その後随時、情報を掴んだとされる度に報酬を支払った…そうして、徐々に信用を培った。もちろん、私はそれよりも早く情報を手に入れ、奴らより先にこの場所を探索した」

「剣だけがないのは目的のためか」

「剣は必要だったからね。通常武器ではまともにやりあえない。私がいくら鍛え抜かれていようともね。だから、私には戦う術が必要だった。ただ、鎧を手にするには少々骨が折れる。あのガーディアン…あれは少々苦手でね。前にも戦ったんだが、苦戦を強いられた。それで安全かつ確実な方法として、賊に情報を与え、ここに足が追いつくまで待ったという事だよ」

 男は、自らが仕込んだからくりを愉しそうに語る。

「まあ、偶然君たちもここに到達したということで、陽動してもらったわけだけども。おかげさまでこうして鎧を手にすることもできた。ありがとう」

 抗龍鎧・ブルースケイル。蒼いプレート状の装甲と、ウロコ状の装甲が合わさった美しくも禍々しいそれを、男はなでる。鎧はまだ石碑に固定された状態だ。しかし、それをやつが手にし、立ち去るまでは時間の問題だろう。

「まあ今はまだ、身に付ける必要もないがね。いずれは必要となるだろう」

 意味深な台詞に、ヴァンは一瞬だが嫌な考えが浮かんだ。おそらく無意識だったろう、ヴァンは言葉を紡いだ。

「お前…何を考えている?」

 男の口が、三日月型に歪んだ。

「ドラゴンの血を受け入れ…私は人を超越する」

 その声には、憧れを含んだような嬉々に満ち溢れ、そして深い狂気に満ちていた。

 龍血は元々、その身に人ならざる力を秘めている。それが遺伝以外で現れることはない。しかし、血縁のない者――一般人がその力を後天的に手に入れる方法が一つだけある。

 それは、龍の”心臓を喰らう”こと。

 すなわち、その血を取り込み、肉体を龍と同化させるのだ。成功確率は決して高くはない。その場で死に絶えたものもいる。が、確かにそれで力を得た戦士もいる。得た力は強大であり、オリジナルの龍血を凌ぐこともあるという。このことを目的にしてドラゴンバスターを目指すものも多いのも事実だった。

 この男も、それが目的だったのか。

「鎧はその後のためか。だが、僕はお前が黒鉄を倒せるなんで思えないね。お前は対象に弱った”奴”を選んだつもりだろうが、生物はそういう時が一番手ごわい」

 ヴァンの言葉を耳にし、男は鼻で笑った。そして、高速で踏み込みブルークラウンを一閃した。それが、ヴァンの横腹に直撃する。ダメージを受けていたがために、そして先刻の戦闘で消耗していた彼は、龍血の反応速度をもってしてもその攻撃を避けられなかった。鎖帷子はひしゃげ、無残に裂かれる。内側のインナーもろとも、その一撃は腹をえぐった。大量の出血を強いられた彼は、斬られた痛みの後にもう一度苦痛を味わう。

「う、ぐぁああああああ…」

 青い炎が煌めいたあと、ヴァンは激痛に悶え苦しんだ。しばらくのたうち回り、その内体を痙攣させて、彼はその場に嘔吐した。苦い胃液に混じって、浅黒い血液も吐き出した。青白く光る髪は元の群青に戻り、瞳は鉄色に戻った。

 その姿を見下した男が、嘲笑も混じった声で言う。

「どの口が言う。君は私よりも脆いじゃないか。鎧がなければまともに龍と戦うこともできない。そんな君がどうして奴を狩れるというのだ」

 ただその場にある、残酷な事実を告げるのだった。

「お互い要らぬ消耗もしたくないだろう?君も弱っているようだし。例のドラゴンに関しては私に任せるといい。そしていずれ、また会うとしよう。そうだな。君は脆いが優秀そうだ。部下にしてもいいな」

「ふざ…けるな」

 ヴァンは男を睨みつける。この男が目的を果たした次に何を仕出かすか。大体予想がつく。

 力を追い求め、それを手に入れて、権力を握り、国を持ち、やがて戦争を起こす。そしてまた力を求めるだろう。

 この男は潜在的に戦いを求めてやまないと、ヴァンは直感した。私利私欲のためだけに他人を利用し、罠に嵌め、人を殺めた。この男は間違いなく、世界に混沌を生む存在だ。

 ――この男に龍を討たせてはならない。

(止めなければ…)

 しかし、今の自分では奴を止めることも、たとえ万全で挑んだとして勝てる見込みもない。愉しげに嘲笑する相手の様を、無様に見上げることしかできない。地面に這いつくばった彼は、悔しさに拳を、地面を握り締めた。

「ヴァン!?」

 ルナの声が聞こえた。幻聴ではない。確かに、視界にも彼女の姿が映っていた。

「ル…ナ…気を…つけろ、こいつは…」

 必死に言葉を紡ぐヴァンの背中を、男は踏みつける。

「遅かったようだね。今、私は彼と対話をしていたところだったんだよ。紹介が遅れたが、私はリュース。君も、私にすべてを任せるといい。」

 リュースと言う男は軽い自己紹介を兼ねて、そうルナへ提案を持ちかける。

「断るわ。悪いけど、その鎧は彼が着るものよ」

 しかし当然ながら、彼女がそれをのむことはなかった。

「じゃあ、奪い取って見せるといい」

 リュースはまた先ほどのような、狂気に満ちた笑みを浮かべる。

「ルナ…やめ…ろ!」

「任せて…心配はいらない」

 男は剣を腰に収めて、彼の上から退いた。眼前に立つ男の両脚の合間から、構えを取る彼女が見えていた。戦闘は即開始され、鋭い拳や蹴りが幾度となく交わされた。

 ヴァンにはこの光景が、永遠にも似て長く感じた。

 まだ互いに決定的なダメージを与えてはいない。しかし言えることは、この男もまた彼女のごとく、優れた者であるということだ。

「なかなかやるね」

「舐めないで」

 リュースは後ろへ大きく飛び、ルナは後転した。そうして互いに一旦、距離をとる形となる。

「さて、そろそろ終いにしようか」

 リュースはもうひとつのブルークラウンを抜刀し、ルナへと突きつける。彼女は臆することなく、構えを取った。

 その時だ。

 ――復讐心を煽る外道よ。この地を汚した貴様…俺は許さん。

 ヴァンにはそう、聞こえた気がした。

 突如現れた白銀の”甲冑”がリュースを攻撃した。唐突の事態に、リュースは攻撃を受けきれずに吹き飛ばされる。遺跡の壁に叩きつけられ、地面に伏した。だが直ぐに、よろめきながらも剣を杖にして立ち上がる。

 そこに、ルナの回し蹴りが直撃する。リュースは左手でガードするが、とてつもない衝撃に勢いを殺しきれなかった。左手は力なく垂れ下がっている。

 残った右手でブルークラウンを振りかざす。ルナはそれを、鞘から少しだけ抜刀した刀の峰で受け止めてから、左手で、相手の手の上からブルークラウンの柄を握った。

 彼女は剣を取り戻そうとした。

 その瞬間、青い稲妻が走った。ふたりは衝撃に吹き飛ばされ、地面を転がった。リュースが先に、次にルナが立ち上がる。

「まさか…お前も…」

 片腕を抑えながら、リュースは苦し紛れに呟いた。そして後ずさりした後、遺跡の縁から飛び降りる。ルナはその姿を追うも、下を覗いた時は既にその姿はなく、男は瞬く間に密林の中に姿を消してしまった。

 そして、鎧だけが残された。

「さっきの甲冑…よね」

 ルナは振り返り、白銀の鎧を見据えた。言うまでもなく、眼前の鎧に話しかけている。

「少女よ。俺の言葉が聞こえるか」

 甲冑が言葉を発した。ルナは驚くが、直ぐに自分のペースを取り戻す。

「ええ…」

「そうか。聞こえるのだな。やはり君は特別か」

「貴方は一体何者?」

「俺か…俺はもう人ではない。この鎧と長くいこと一緒に居すぎたんだ。亡霊と変わらない」

 鎧を着ているせいで、声は反響している。低く安心する、どこか耳に心地よい声質だった。

「敵ではないのね?」

「ああ。俺は今、君たちを味方と判断した」

 甲冑は、膝をついて二人に一礼した。

「なら彼を助けて…血が止まらないの…どうすれば…」

 どんどん顔色が悪くなるヴァンを、ルナは震える手で抱き抱えて言った。その身から真っ赤な血が流れ出て行くたびに、彼の生命の灯火は確実に弱くなっていく。

「鎧を纏え。止血できる」

 甲冑は、冷静にそう言った。

「そんな…そんなことで…」

「本当だ。その少年を救いたいなら、俺の言葉を信じろ」

 ルナは男の言うとおり、急いで石碑から鎧を外し、ヴァンに着せた。すると、とても彼のサイズと合っていなかった鎧が、瞬く間に彼の体に吸い付くかのように縮小し”張り付いた”。その様は、この鎧がまるで生き物であるかのようであった。すると、流れ出す血が止まり彼の表情は穏やかになった。

 不気味ではあるが、この男の言葉は迷いがなく効力がまことであることを物語っている。

「長く着ていれば悪影響を及ぼす。俺と同じように…戻れなくなる、とまではいかないが、しばらく目覚められなくなる。ある程度時間を待ったら外すといい」

 ルナは安堵して、頷いた。それから近場へ彼を寝かせると、彼女は甲冑と向き合って口を開いた。

「――あのリュースという男は…以前にもここへ?」

 甲冑はぎこちなく頷いた。

「ああ。その通りだ。奴は今回を含め二度、ここを襲撃してきた。一度目…あの時も、奴は相当数の賊を寄越した。俺一人では処理しきれないほどの、な。どさくさに紛れ、剣は奪い去られてしまった……恐ろしく狡猾な男だ」

 己の戦闘能力。莫大な金と、人を動かす潜在的な力。王の資質を持った男に違いない。しかし、それは悪逆の王だと、甲冑は言う。

「いつか鎧、そして剣を渡すに相応しいものが現れた時、お前が私の目となり見定めろ」

「どういうこと?」

「俺の君主が残した言葉だ。俺は俺の目で、彼が適任者であると見定めた。王となるかはわからないが、その少年は鎧を手渡すに相応しい器量を持っている。少なくとも俺は総判断した」

 甲冑は、ヴァンの方を見た。

「お願いがあるわ」

「なんだ」

「脱出を手伝って欲しいの。私たちは、この後砂漠を越えて街まで戻らなくちゃいけない」

「それはできない」

「なぜ?」

「俺は君主にここを守れと命じられた。剣と、鎧を」

「なら、あなたが果たすべき目的はもうないじゃない。あなたは自由よ」

 彼女の言うとおり確かにもう、この騎士を縛り付けるものはないのだろう。

「そう思えればいいとは思う。しかしそれは許されない。魂だけになった俺には、ここを離れられない。縛り付けられていなければ、俺はここに存在できないんだ」

 理由としては、どこか不確かなものだとルナは思った。それはまるでこじつけにも似た、そんな彼自身の思いがあるのだと。

「それに…まだあるんだ、護るものが」

 甲冑は、穏やかな声で言った。

「それ、聞いてもいいもの?」

「ああ」

 甲冑は、立ち上がって近場の石碑を指さした。そこには、韻を踏んだ文章が書かれていた。作詞もした事のないような人物が描いた、不器用なストーリー。しかし、思いは確かに感じられる。

 その内容は、はかなげな恋の歌だった。

「この歌、覚えてもいい?」

「構わない」

 甲冑は穏やかな声で言った。

 ルナは、ポーチの中にしまっておいた紙と、ペンを取り出して歌詞を書き写した。なんとなくだが、この歌には惹かれた。

「この歌は、君主が離れた恋人に向けたものだった。詳しくは言えないが、彼女と君主は、世間的には認められない間柄にあった。身分の差とは違った、厄介なしがらみに囚われていたんだ」

「それで、離ればなれになったのね」

 ルナは歌詞からそれを読み取って、そう呟く。

「一つ、訊いておきたいことがある。お前とこの少年はどういう関係だ?」

 甲冑は唐突に質問した。それに対し彼女は一瞬面食らうものの直ぐに口を開く。

「同じ目的を持って、行動する仲間よ。私たちは同じ龍を追っている。それを討つために」

「そうか…だがもし、その関係がそれ以上のものになったのなら……どうかそれを諦めないで欲しい」

「それは…どういう?」

「そのままの意味だ。いずれわかる」

 ルナは首をかしげつつも、甲冑の言葉に頷いた。

 

 

「密林の出口まで案内しよう。そこからは君たちで行くが良い」

 

 

 ◇

 

 

 どこからともなく小鳥達のさえずりが聞こえてくる。辺りには泉が湧き出ていて、その音もまた耳に心地よい。

 朝日が昇る頃。ジャングルの端っこ、彼らは別れを告げようとしていた。

「俺が動けるのはせいぜい、ここまでが限界だ」

 甲冑はそう言って、ヴァンを地面に下ろした。未だ意識が戻らない彼は、どこか安らかな顔を浮かべている。

「助かったわ。ありがとう、護衛してくれて」

 ルナはリュースの襲撃を危惧していたが、それはなかった。それであっても、この甲冑がいたことは大きかった。彼女一人では、怪我をした彼と鎧を運ぶことはできなかったからだ。

「礼には及ばない。俺はガーディアンだからな。これからもここを護り続けていくつもりだ」

 与えられた使命はもうない。甲冑は、自らの使命に従っていた。

「さらばだ。君たちの旅に幸福が訪れんことを、願っている」

 そう言い残し、白銀の騎士は踵を返した。一歩ごとに鈍い金属音を響かせて、彼は密林の中へ消えていく。それを見送りながら、ルナは切なげな表情を浮かべていた。

 

 彼女はふと、あの歌を口ずさんだ。

 とある龍血が創った、悲しき恋の歌を。

 


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