ドラゴン・バラッド-龍血の龍討者-   作:雪国裕

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ふたりの距離

 二人は今、青白く鈍く光る砂漠を歩いていた。

 情報を手に入れたあと、まもなくして二人は街を発った。二頭のラクダを用いた貨車を利用し、砂漠を横断した。それなりに広い荷台の上には他の乗客もなく貸し切り状態だった。

 一日と少々の間それで移動し、途中で情報屋の指示通りに貨車を降りて、それから徒歩で目的の場所を目指した。

「もうそろそろ、見えてきてもいい頃だけど」

 少し疲れを感じる声でルナは言う。

 夜間のみたどり着けると言われたその場所は、白い岩を目印にして行くとあると言われていた。指示通りの白い岩を見つけ、それらが見られる地帯を慎重に進む。ルナは暗い手元を簡素なランプで照らした。

 広げた地図と、磁石を使って進むべき方向を導き出す。

「あの岩場の向こう側…たぶんそこにあると思う」

「わかった。あと少し、頑張ろう」

 再び彼らは歩き出す。月光に照らされた薄暗い白き大地に、かすかな風音と砂を踏む音だけが響いていた。

 吐く息は白かった。

 日が暮れると、砂漠は昼間の灼熱が嘘だったかのように冷え込み極寒の地となった。あらゆる桓温生物の侵入を拒む、そんな砂漠の過酷な環境下。二人はそれに震え、耐えながらひたすら進み続けた。頼りない手元の明かりが、彼らの心境を現してかのようだ。行先の分からぬ不安に苛まれながらも、”二人でいる”それだけを胸に彼らは足を進めていた。

 絆は確かに生まれ始めていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 唐突に感じた眩しさに、彼女は瞳を開けた。瞼を数回瞬きしてようやく状況を理解する。

 一つ、大きく深呼吸をし、澄んだ空気を体に取り入れる。

「――おはよう」

 すると、離れた場所から声が掛かった。

 先に目覚めていた彼が、少し離れた場所に立っていた。彼女――ルナはゆっくりと起き上がり、まだ少し眠い目を擦った。

 彼の姿を見据えた。ぼんやりと、次第に鮮明になる相方の姿。青い髪は朝日を浴びて青白く煌く。ふと目が合ってから、彼は次第にこちらへ近づいてきた。

「おはよう。ルナ」

「おはよう。ここは…」

 そこまで口にして「そういえば」、とルナは昨夜のことを思い起こす。あのあと無事に目的地へとたどり着くことができたのだが…何故か急に襲ってきた疲労で、直ぐに眠りについてしまったのだ。その事を思い出した。

 自分の周りを見回すと、木々や鋼材で作られた柱があり、天井には布で屋根が施されていあった。簡素だが備え付けの――今、自分が横たわっているベッドもあった。

 どうやら、ここはキャンプのようだ。

「これはキミが?」

「いや、僕じゃないよ」

 ヴァンは否定すると、視線を外しどこか斜め上を見た。

「他の人が立てたものだろうな。結構新しいものだから、同じ目的の誰かが最近ここを訪れたってことになる」

 辺りを伺う様子でヴァンは話した。彼は剣を腰に携えていて、額には少し汗をかいていた。素振りをしていたのだろうか。

 ルナはテント内から出て、外の光景を目の当たりにした。

「綺麗な場所…」

 瞬きを忘れる程の景色に、彼女は思わずそんな言葉を口にしていた。小鳥たちの歌が耳に届き、気持ちのいい風が頬を掠める。そして確かに聞こえる水のせせらぎ。泉が湧き出す音が、どこか遠くから耳に届いてくる。

 そこは、砂漠のオアシスだった。

 一面が砂に覆われたあの死地の真ん中に、緑が生い茂ったこのような場所が存在している。信じられないというのが本音だ。

「驚いたか?まるで森だよな」

 ヴァンが調子の狂った様子で言った。彼も相当驚いたに違いない。

「そういえば、あのあとここまで私を運んでくれたの?」

「ああ、まあ。荷物がかさばって時間はかかったが、全部移動した」

「そう…」

 暗闇の中よく動けたものだとルナは感心した。ヴァンは夜でも割と目が利くことの旨を伝えた。龍血は身体能力に優れているほかに、夜間動ける龍の特性をも受け継いでいるらしい。

「ありがとうね。運んでくれて」

 ルナは感謝の気持ちを言葉にした。

「いや。それより…急に倒れるから心配した。表情も、切羽詰まった様子だったからな。何か起きたのかと…」

 そう。ルナはここへ来て間もなく倒れたのだ。本人は睡魔だと思っているようだが、ヴァンにはそうは見えなかったようだ。

「ええ、心配をかけました。でも大丈夫、もうすっかり平気だから!」

 ルナは手を縦横に動かせてみせた。

「そうか。なら大丈夫だな」

 それを見てヴァンも安堵の表情を見せる。隠しきれない「杞憂ならいいが」という言葉はなんとか飲み込んでおいた。

「お目覚めですか」

 唐突に掛けられた第三者の声。

 それは男のものだった。ルナは瞬時に声の方向へ振り返る。

「あなたは誰?」

 訝しげに訊く。声の主は恰幅のいい男で、年齢は40代半ば。そして顔には、少々驚いたような表情が浮かんでいた。困惑とも捉えられる。

「もうしわけない。驚かせてしまったかね?」

「いや、大丈夫だ」

 男とヴァンのやり取りを聞いて、ルナはきょとんとした表情をする。

「明け方に会ったんだ。敵じゃないから安心していい。ここらの取りまとめ役、だそうだ」

「そう、びっくりした」

 ざっくばらんな説明だったが、ルナは安心したように胸をなでおろした。

「私はこの周辺の長をしているものです。ヴァンさんからお話を伺いたいとのことで、あなたの目覚めを待っておりました。では私の家へ案内いたします」

 そう言った男に連れられるまま、少し歩いた。美しい景色を眺めつつ、二人は木々の向こうに見える遺跡の片鱗に視線を向ける。あの場所におそらく鎧があるのだろう。

 しばらく進み、やがて小さな集落が見えてきた。

 ここにも村がある。ただ、その文明レベルは遅れていると感じる。衣服はかろうじてまとっているものの、家の造りは古代的で、全体的に外部から先進技術を全く感じさせない。それもそのはずであろう。外部との関わりは一切ない。そういっても過言じゃないほどに、この場所の存在は幻に近かった。

 だが幸い、言葉は通じる。全てではないが、共通の単語やニュアンスを変えて話せば意思疎通は可能だった。でなければこうやって和解しているはずもない。

「驚きましたか?」

 長はヴァンに問う。

「ああ。未開の地、未踏の地だと思っていたよ」

「でしょうね。ここを訪れたものは皆そう言います」

 ふと村人の一人が、こちらを見て頭を垂れた。ヴァンはその深々とした礼に疑問を浮かべる。

「何をしているんだ?僕らを見てやっているようだが」

 長は微かな笑みを浮かべる。

「ふふ。この場所では、龍血は特別な存在として崇められています。あなたは今、龍の化身で高貴な存在、ブルー・ブラッドとして見られているのですね」

 龍血であることを崇めている。信じられないことにここはそのような信仰があるらしい。

「つきましたよ」

 長の一言で、ふたりは足を止める。目前には石造りの家が、小高い丘の上に建っていた。二人は順番に入口を通り抜け、室内にお邪魔することになった。

 やはり長ともあってか一般の家とは違って作りも豪華で、室内には高そうな食器が飾られていた。その他に武器も幾つか展示されている。短剣と槍、弓などがあった。

「さて、早速ですが疑問を投げかけても良いですか?」

 椅子に座ったところで、長は口を開いた。

「ああ」

「よく、この場所に気がつきましたね。昼間は見ることもかなわないと言うのに。どうやって?」

「夜に来た」

「そうでしたか。なるほど。その情報は誰から」

「危ない情報屋から」

「ふむ…目的があるようですが」

「ああ、ちょっとした探し物が」

 率直に伝えると何か面倒事になりそうだったため控えておいたが、恐らくこちらの狙いについて、先方はおおよそ見当が付いているだろうとヴァンは踏んだ。そのあとは、このような調子でお互いに尋問のごとく質問を投げかけ続けた。ルナは始終黙り込んで、二人の会話を聞いていた。

「妙に疲れたな」

 村長との話を終えて、二人は外で一息ついていた。

 ルナは家から少し離れた――草原の上にある低い岩の上に腰掛ける。

「私、あの人は苦手だわ」

 率直な意見だった。

「ああ、僕も同じだ」

 彼も同じ気持ちだったらしい。

「なるべく早く片付けたい。長居は無用だ。とっとと鎧を手にして、ここを立ち去ろう」

 彼は親切すぎる対応に、窮屈さと疑念を抱いていた。家での会話も事務的なやりとりに過ぎず、信頼における人物ではないと判断できた。しかしこれが、この場所なりの外部から来る敵を欺き、対抗する術なのだろう。刃を向けられないだけ、まだ自分たちは救われている。

「遺跡の奥へ行くつもりですか」

 先程から気がついていたが――後ろに立っていた少女が、二人――正確に言うとヴァンへ声をかけた。先ほどの話を聞いていたのだろう、何か言いたそうな顔をしていた。

「二人きりで、ってかんじね」

 ルナは少し残念そうな顔をしてから言って、ヴァンの肩を優しく叩いてその場から外れた。

「悪いな」

 気を使える相棒だとヴァンは感心する。遠くへはいかないのだろうが、彼女はどこかへ向かう…恐らくキャンプ方面だ。

 後ろ姿を見送ってから、ヴァンは少女を見据えた。褐色の肌に黒髪、瞳は深いグリーンをしている。村人の中ではかなり綺麗な顔立ちをしており、年頃は恐らくこちらより下だと感じる。

「さて、話があるようだが」

「はい」

 近場の木陰に移動してから、彼女は口を開いた。

「この場所は誰にも見つかることもなく、ひっそりとしています。ですが時折、遺跡を探索する者や、盗賊、墓荒らしなどがやってきます。だから懐疑的なのです。何事に対しても皆」

「ああ、知っている」

 怯えとも言えるような目を少女はしている。それは、ヴァンにもわかる。懐疑的に捉えられるのが、自分も例外ではない事もわかる。

 ――たとえそれが、崇めるべき龍血であったとしても。

「貴方はそれを承知でここへ?」

 ヴァンは無言で頷く。少女は悲しそうな顔をしてから、再び口を開いた。

「我々は物騒な輩に怯え、身を潜めて――そのようにやり過ごし、難を逃れて生きてきました」

 少女は暗い表情のまま続ける。

「遺跡の入口付近で探索をやめ、戻ってきたものは血相を変えていて、ひたすら怯えていました…奥地へ進んだものは皆、帰ってきませんでした」

「この場所は呪われています。できれば、奥へ進まないで欲しい。奥地には、守り人がいます。守り人は…蒼き鎧を守る、龍の…」

 少女の声色は、怯えにも似た何かを含んでいた。

「僕が龍血だから警告するのか?」

 ヴァンが問うと、少女はしばし何かを考えているようだった。

「それは…そうです。私たちにとって、あなたは尊い存在だから。死んで欲しくないのです」

 そして、そんなツギハギだらけの言葉を紡ぎ出した。

「それは君の言葉か?」

 ヴァンは強い口調で言った。しばらく、少女は何も言えなかった。

「それは…いえ、本当はあなたを…」

 その言葉を最後にして、長い沈黙が続いた。

「申し訳ないが僕には時間がない。また今度にしてくれ」

 そう切り出して、ヴァンは踵を返した。少女には二度と振り返らない。互いに交わす言葉もない。

 

 今度が無いことは知っている。

 彼女が葛藤の中で生きることも、また分かっている。

 しかし、互いの生き方を許容するには距離が遠すぎた。

 僕には何もできない。今は何も。

 彼は、彼女が旅に出ることを願った。いつか真新しい世界に触れ、この場所のしきたりから解放され生きていく。

 自分がそうであったように。

 

 

 ◇

 

 

「おかえり」

 キャンプに戻ると、先に戻っていたルナが出迎えてくれた。彼女は火をおこして、食用の野草を湯掻いていた。肉や鶏卵も既に調理してあった。いつのまにか、村で購入していたのだろうか。とにかくありがたかった。

「どうやら、ここじゃ僕らは神様に近い存在らしい」

 腰掛けてから暗い声で、ヴァンは言った。皮肉も込めていたかもしれない。

「そういう考えの人も少ないけど確かにいるわね」

 ルナはお湯をかき混ぜながら言った。揺れる焔に照らされた彼女の顔、目は、どこか優しい。

 そういえば、ルナも最初会った時に自分のことを「誇り高き一族」と言った。彼女もまた、龍血に対して良い感情を持っている人間だった。

 人は、自身より遥かに優れた者を貶めるか、あるいは神格化する性質がある。彼の出会った多くは前者であった。しかし後者もまた、彼女の言う通り存在する。

 だが「神」という言葉が似合うというのならば、自分よりも寧ろ彼女のほうが適していると思う。

 神秘性を凝縮したような外見と、その身に備えた特殊な力。それが何よりもそれを裏付ける。

 しかしここの人間は彼女には優しくない。第三者である自分ですらそれを肌で感じていた。居心地が悪そうで、こちらも申し訳なさを感じてしまうほどだ。

 だから、それを和らげてやりたかった。しかし、どうすればいいかわからなかった。ヴァンは考えるよりも先に、口を開いた。

「君の過去のこと、話してくれないか。出会ってからまだ、せいぜい二週間くらいしか経ってないけど、今聞いておきたいんだ」

 情報屋に話した内容かどうかは分からないが、気にかかっていたこと。

 段階的にとは思っていたが、もっと彼女との距離を縮めたいという思いが、そんな言葉を口走らせた。

「少し嫌な話かもしれないけど、いい?」

「なんでも聞くよ」

 ヴァンが返答すると、ルナは口を開いてゆっくりと、次第にはっきりと言葉を紡ぎ始めた。

「出生のわからない私は、孤児院の園長に引き取られて育った。かなり小さい頃。あそこには親友がいた。私と同じ髪色と瞳の女の子だった…」

 ルナの表情が陰る。

「でもある日、そこは賊に襲撃された。院長さんはドアを開けてすぐ、殺された。それから、みんな急いで隠れた。その時、私を護った彼女が殺された」

 次第に濁っていく彼女の表情。

「自警団の人が来たのはそれからすぐ。生き残ったのは、私と、ごく僅かの子供達。再び行くあてのなくなった私たちは、里親を探す組合に一旦預けられた」

「でもね、私は残ってしまった。こんな見た目だから、みんな気味悪がってね。でもある日、私の事を物珍しいと聞きつけて、どこかの貴族の人がやってきた。けど……あの人、私を育てて玩具にする気だって、言葉の意味もよくわからないあの時の私でも、判った」

 ルナは顔を上げてため息をついた。

「意思なんて関係なかった。私は嫌がったけど、その貴族はもう“買取り”の準備を進めていた。私はいよいよあとに引けなくなって、逃げ出した。そんな私を、あの人は救ってくれた」

 そこで彼女の瞳に光が宿る。そして――懐かしむように言葉を紡いだ。

「橋の上だったかな。飛び降りる寸前のところを、大きな手のひらで引き戻された。不思議な格好をした背の高い、若い男の人。彼は泣きじゃくった私をなだめてくれた。事情を話すと、彼はその貴族がどうやっても出せない額のお金と、宝物を組合に提供したの。私はその人に拾われ、一緒に育った」

 それが羅音という人物である事は、すぐに察しがついた。

「実を言うとね。昔のことはあまり思い出せないの。引き取られる以前はどこで何をしていたのか、何をしてきたのか…今でも、自分の本当の名前すらわからないままなの」

「本当の名が?」

「ええ。だから、”代わり”にあの子の名前を名乗っている。ルナ・ルーク。ごめんね、君には伝えていなかった…いえ、たぶん自分から伝えるのが怖かったのかもしれない。私が話せることといえばこれくらい。あとは、彼と旅をした事かな」

 ルナはそう言って、話を締めくくった。

 ――なんだか、私って何もかもが紛い物みたいだよね。

 そう言って苦笑いする彼女が、ヴァンにはとても痛々しく見えた。かける言葉は、今は見つからない。長い沈黙が、彼女に苦痛を与えていることが手に取るようにわかる。

 

 僕ができることは、ただ一つだ。

 沈黙を破り、彼は口を開いた。

「僕のことも話していいか」

 今自分ができること。

 互いの距離を縮める、唯一の手段。

 

 揺れる焔は、彼が話し終えるまで燃え続けていた。

 朝日が顔を出し始める。

 肩を寄せ合って眠るふたりの距離は、次第に縮まっていく。

 


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