岩壁の街
後日、彼らは山岳地帯にいた。この辺一帯の空気は薄く、また肌寒かった。二人は外套をまとい、息を荒くしながらも山道を進む。山の傾斜はさほどないが、代わりに岩場は凹凸が激しく起伏に富み、足を取られやすく危険だった。
そのため、体の鍛えられたヴァンが先頭を歩き、安全を確認、その後にルナが続くという形で歩いていた。
街から森を抜けて、北へと進む。森の中では、猪、野犬などの野生生物に出くわすこともあったが、大抵は息を殺してやり過ごした。どうしても戦闘になってしまった場合は、ヴァンが請け負って戦った。勝敗は…言うまでもない。
「この山を越えて、降りたところに街があるらしいわ。そこでひとまず休みしましょう」
レヴァンティウスに貰ったこの地方の詳細地図を広げつつ、ルナは言った。
「そうだな。そろそろ休みも必要か」
移動は、馬車などを利用することもあったが、基本的に徒歩だった。
街を出て六日、休めそうな場所を探して野宿をはさんできたが、どうしても疲労は溜まる。ルナにおいては、平然な顔をしているがやはり疲れが見える。慣れていないため、当然だ。互いの荷物も少ないわけではなく、負担は大きい。
そういったことも含めて、どこかで休みたい気持ちはヴァンにもあった。
「それに、食料調達と…あとは資金集めだな」
ヴァンの狩りを行って得た資金は、放浪生活に当てられる。決して十分なわけではない。ルナにおいては、長年貯めていた資金があるものの、それでも満足というわけではない。マメに収入を得ていかなければ、旅はできない。野垂れ死にしてしまう。
「受け入れてもらえればいいんだけどね」
ルナは苦笑しながら言った。ここまでの道中、集落へ足を運んだこともあったが、どれも歓迎されていた様子はなく、むしろ居心地の悪さ、ひいては身の危険さえも感じることもあった。ルナにおいては、女性という事が判った後は、男どもに性的な視線を送られることもあった。ヴァンが見張り難を逃れたが、つまりそういうこともあってか、彼女はやや弱気になってしまっている。部分的なストレスももちろんのこと、総合的な疲れのせいもあるのだろう。
しかしそれでも、彼女は弱音を吐かない。
真剣な彼女のためにも、自分の目的のためにも、ここで一つまとまった休みが欲しいところだった。
「大丈夫さ、なんとかなる。次はきっと」
ヴァンは呟いて、先を急いだ。
二人はそれからしばらくは、言葉を交わさなかった。その内霧が出始め、二人は時折手をつないだ。無意識に。それでも言葉は交わさない。
黙々と歩いて、歩いて…そしてようやく山の折り返し地点、山頂付近にたどり着いた頃に。
「見えてきたね」
ルナが先に口を開いた。
見下ろした――絶景。
風によって削り取られ、複雑な形状になった岩が点々と、遥か先まで並んでいる。そしてその先に小さく、街の全貌があった。ルナは地図を広げて、地形を当てはめる。
「間違いないみたい」
そして安堵するように言った。ヴァンもほっとした様子でため息をつく。
「しかし、いい眺めだな」
ヴァンは静かに呟いた。
広大な大地と、天。その全てが収まって、彼らの視界にある。一人旅で感じもしなかった、感動。ヴァンはそんな不思議な感覚に浸る。
「…小休憩してから降りよう」
「ええ」
二人は遠くに瞳を馳せる。
砂嵐が吹き荒れたあと、もうそこに彼等の姿はなかった。
◇
砂漠地帯の手前、壁に覆われたこの街。
中央広場へ到着すると、二人はまず最寄りの宿屋を探すことにした。おもにヴァンが情報掲示板や、人づてを頼りにして情報を仕入れる。その際不思議なことに、これといって拒絶されることもなく話は進んだ。差別の眼差しも感じられない。
ヴァンは「意外だな」と思った。そういえば、ここは移民よって作られた街であった。そのために民族差別などはほとんどないのだ。まあ、ここへ来る前に出会った商人の話が本当ならばだが。
他にも、掲示板から察したというところもある。あの掲示板はご丁寧に、文字が何種類も用意されていて、他所から来た人間にも読めるように細工してあった。自分は東出身で、放浪生活のためにもおおよそ二カ国、ないし三カ国ほど言語に知識がある。まあすべてをマスターしているわけではないが、自分の覚えている限りの文字がそこにいくつかあったのが、決め手だ。
そもそもとして、大きな街ほど旅人には寛容である。遠方から訪れた、観光客や旅人により利益を得るという風習がある。ここまでの道中の集落は皆、来客を受け入れる余裕は無いようだったが、今回は上手くいくかもしれない。いや、ほぼうまくいったといっていいだろう。
「たぶんこの街は一つの国として、僕たちのような者でも受け入れてくれるようだ。だから君も堂々としていればいいと思う。」
ヴァンは、この事をルナにも伝える。しかし彼女はそれでも厄介事を避けたいらしく。
「そうかもね。でも……私はなるべく姿を見せ無いように頑張るわ」
と言って、外套をかぶるのだった。口元しか見えない状態である。
確かに龍血よりは、彼女は奇怪な外見かも知れない。過度に気を使うルナに対して、ヴァンはよくは思わなかった。苛立ちではない。
良い意味で、もっとその姿をさらけ出してもいいのではないか。そう思ったのだ。
しかし、それは僕のエゴだろう。
「ああ、頼む」
彼女の気持ちを考えて、彼はそう返しておいた。
さて、話をしているうちに目的地の宿屋に到着したわけだが、これがまた質素という言葉が似合いすぎるほどに素っ気ない外装で、仕事上の滞在に特化した宿である事がすぐにわかる。少なくとも、いや確実に観光向けでは無かった。
宿屋の入口をくぐり抜けると、小奇麗な女性が受付を担当していた。手続きを手早く済ませたいヴァンは、早速宿泊や滞在日数の旨を伝えて、渡された契約書に目を通し始める。ほどなくしてからペンを取り、なれた手つきで文字を書いてゆく。
因みに滞在日数は三日にした。
かりかり。かりかり。
かりかり。かりかり。
素早く走らせた、羽ペンの乾いた音だけが沈黙の中に響いていた。その間、ルナは目を外套から覗かせて宿屋の天井を、何を考えることなく眺めみている。
やがてヴァンがサインを書き終えると、後ろを向いてひとつ頷いた。それを見てルナも小さく頷くと、椅子から立ち上がって。
「はい。ありがとうございます。では、ごゆっくりと」
妖しげな声色をした受付の女性は、ヴァンを見据えて薄く微笑んだ。それが仕事のための笑顔だと知っているヴァンは、特に何を思うこともなくそのままその場を離れる。
「よし、いくぞ」
「…うん」
ルナは静かに返答すると、自分の手荷物を持って二人は荷物を抱えて、宿屋の二階へ上っていった。
質素な渡り廊下はどこか寂しげで、間隔の狭い灰色の壁は、冷たさと息苦しさを与えてくる。
部屋まで黙々と歩くが、二人にはそれがやけに長く感じていた。
「さみしげな場所ね」
「まあ、かなり安いところだからな」
二人には資金の余裕はないし、何より観光できたわけじゃない。客人を招き入れるのに恥ずかしくない、外装や内装、手入れの行き届いた個室が並んでいる、クラスの高い宿屋には用は無かった。
ここを選択したのは妥当な判断だ。その点については、双方了承の上で決定した事なので文句はない。
しかし。
「でも、いつかはいいところにも泊まってみたいね」
ルナはふと、そんなことを言った。
「そうだな」
いつかとは、いつなのだろう。ヴァンは正直なところ実感は持てなかったが、成り行きでそう答える。
部屋に入ると、すぐにふたりは荷物を下ろした。
個室内はやはり殺風景だ。小汚くはないが寂しい。ベッドと棚、そして照明は設けられている。一人部屋のため広くなく、二人居れば少し窮屈だ。昼時のため、光が窓から降り注いできていた。その光は部屋の中央を通り抜け、入り口付近へと落ちる。二人は部屋を進み、その光に交互に当たった。
そしてヴァンは椅子に、ルナはベッドにそれぞれ腰掛け、お互いに向き合う形になる。
「やっと一休みできるのね」
ルナが羽織った外套を外す。小一時間ぶりに煌く白金の髪の毛と、真紅の瞳が顕になる。一瞬、ヴァンは目を奪われてしまう。
「私がどうかした?」
視線を感じたのか、ルナがそう言った。
彼女と出会ってから、始終一緒にいる。見慣れてきたはずなのだが、それでもどうしてもどきりとしてしまうのだ。
「いや…なんでもない。それより、これからどうする」
ヴァンは本題に乗り出す。
「まずはドラゴンスケイルを取りに行きましょう。まず、あれがないといけないわけだから」
鎧――この場合ブルースケイルとなるが、あれがなければ始まらない。しかし、ヴァンには不安要素がいくつもあった。道中、情報を持った人間には全く出会えなかったからだ。
「まあ、前提としてあれが必要なことは分かっているが、場所も特定できないのにどう動けばいい?君は龍を見つけることができるが、鎧は探せないんだろ」
「確かにそうだけど。そのことについては心配しないで」
「あてがあるのか?」
ルナはヴァンの瞳を見据えて、ゆっくりと頷いた。
「場所は大体分かっているの。この山を越えた先に遺跡があって。ああ、前にも話したけど、龍の秘宝というものが隠されているという場所ね」
小声で話す必要もないが、二人は自然と声を潜めながら会話していた。
「やっぱり、そのお宝ってやつが鎧なのか」
「多分ね。前に剣が引き抜かれていたというのは話したよね」
ヴァンは無言でこくりと頷く。
「あの場所に足を踏み入れた探索者の一人が、遠眼鏡で、確認できる範囲だけど遺跡の内部をくまなく調べ上げたらしいの。そうしたら、以前あった剣が無くなっていて、驚いた――らしいわ。なにせずっと前からそこにあったものが、忽然と無くなったんだからね」
にわかに信じがたい、というよりは現実味のない話だが、これが作り話ではない事は旅立つ前の約束が証明してくれている。”互を信頼し、嘘はつかない”という約束。二人のルール。そしてそれはほかでもない彼女からの願いだからだ。
「随分詳しいな。剣が抜かれたのはいつごろだ?」
「半年くらい前かな」
「半年…か」
そう呟いてみたものの、ヴァンが知っていることや関連情報は何もなかった。ただ判ることは、この自分の剣――受け継いだブルークラウンが、その例の引き抜かれたものではないという事くらいだ。
「で、その剣の見た目なんだけど…実は君のそれとそっくりらしいの」
「僕のブルークラウンに?」
「ええ。その剣、鍔の形状が独特でしょ?」
確かにこの剣の特徴の一つが鍔の形状だ。冠を模した円形の鍔は、相手の剣を巻き込んで固定しガードする盾の役割と、また細身の剣ならば折ってしまうソートブレイカーとしての機能がある。一般的な剣にはあまり見られない意匠だ。
尤も、ヴァンは剣の傷みを気にして滅多に使ってこなかった。小盾を持っているのもその為だ。
「同じ形状だったのか。これと」
ヴァンは鞘に収まったブルークラウンを手元に置いた。
「うん。珍しい形だし、色も美しい群青だって聞いていたから…私は、最初は君があの剣を引き抜いたと考えたわけだけど、ベンチで話を出した時に君は何も反応しなかったから、違うと確信したの」
「なるほど。そうすればそっちの剣は、レプリカか…もしくは」
「もう一本」
しばしの沈黙が続く。
「…もしかすると、今後同じ剣を所持した誰かに出会うかも知れないわ。それが味方か敵かはわからないけど、注意したほうがいいね。おそらく鎧か、その他の何かを狙っている誰かだから」
「そうだな。僕もこれで斬られたらたぶん無事じゃすまない」
ブルークラウンの持つ力は特殊だ。龍と見なすものを斬りつけると、相手に耐え難い激痛を与える。これは、いわゆる龍殺しの武器の一種だ。龍の血は刀身に触れると青い炎を上げ、瞬く間に蒸発してしまうらしい。
この青の剣は、全ての龍の天敵として恐れられている。つまり龍の血を持つ、ヴァンも例外ではないということだ。
そのリスクを知った上で、彼はこれを扱っている。これで斬られた時の事も想像できる。そしてそれは絶対に避けたい、いや避けなければならない事態なのだ。
「ところで…そんな情報を一体どこで手に入れたんだ」
「前に、狩猟団のキャンプに忍び込んで色々と聴いたの」
「無茶な事をするな…」
「まあ、好奇心が旺盛なのかも。見つからなかったから良かったけどね」
冒険家な彼女には、ヴァンも時折驚かされる。
「程々にしてくれよ」
「はーい」
彼女は本当に反省しているのか否か、呑気な返答だなとヴァンは思った。
「そんなことよりも。ルナ、何故そんな重要なことを黙っていたんだ」
「訊かれなかったから、かな?」
無邪気に返答されてしまい、ヴァンは言葉を失った。そしてそれからしばし後、低い声で唸った。彼女は微笑んでから肩をすくめる。
それを見て、おそらくだが先刻の答えは冗談――いや建前なのだろうとヴァンは悟る。
「本当は、君が暴走するんじゃないかって不安だっただけなのかも。それと、私自身確信もない情報で動きたくなかった、というのが理由かな。曖昧なこと言って、ごめんね」
別に謝る必要はない。そうヴァンは返答した。
「…僕こそ、積極的に訊かなくて悪かったよ。今後からは、マメに意見交換しよう」
「そうね」
その言葉を最後に、この話題は終を告げた。