「あと少しで着くから」
ときは夕暮れ。ルナ・ルークは振り返り、そう切り出した。
「意外だな」と思った。
「ここから近くなのか?」
辺りを見回すが、家らしき建物は一件もない。あるとすれば――
「ここが私のホームです」
くるりと半回転して、彼女はヴァンの方を向いた。柔らかな白銀の髪がふわりと舞い、夕日を集め光り輝く。
彼女の背中には門。その先に見えるのは十字架――そこは教会だ。大きくはないが、確かに立派だ。
やっぱりか。
「彼女が家を持つことに疑問を抱く」予感は的中した。思ってみればずっと、それ以外に考えがなかったじゃないか。着替えの際教会方面へ向かった彼女を思い出し、ヴァンはため息をついた。
「ついてきて」
ああ。と答え。敷地内を彼女の後をついて歩く。芝生は切り揃えられ、道の左右に植えられた木々も形を整えられている。やがて建物の扉の前に着くと、こちらが開く前に自然と扉が開いた……ように見えたが、同時向こう側で誰かが開けたのだ。
半分開いた扉から、小さな少女が顔を覗かせている。前髪の切り揃えられた赤毛のショートカットが印象的だ。彼女は丸い目を輝かせ、好奇心のあふれる視線をこちらへ向けていた。
「おねえちゃん、その人は?」
「旅人さんよ。森で会って、少しの間この町にいることになったの。ほら、挨拶して?」
道理で彼女の様子は「お姉さん」らしいと思ったわけだ。口調はあの時同様優しく、表情も柔らかい。そのさまはまさに修道女と呼ぶにふさわしいのかもしれない。
「私はマリーです。よろしくね」
「僕はヴァン。よろしくな」
「おねえちゃんは旅人さんなんだね。すごいね」
「凄くはないよ…あれ、おねえ・・・ちゃん?」
「ふふふ。勘違いされているみたいね」
ルナはほくそ笑んでいる。
「あのなマリー。僕は男だ」
「えっそうなの?」
マリーは目を丸くして言った。そこまで驚かなくてもいいというのに。確かに女物の服を着ているけれども…声変わりしていないのもひとつの原因なのか。ルナは彼女と少し話し、それに頷いたマリーは向こう側へ駆けていった。
そして再び、二人となった。
「質問いいか?」
「なに?」
「・・・ルナ、君は何歳なんだ」
女性にこれを問うのは失礼と心得てはいる。しかしどうしても気になっていた事なので、ここぞとばかりにさりげなく、どさくさに紛れて訊いてみた。
「私は十六。君よりひとつ年上になるのかな」
彼女は表情を曇らせることなく、快活に答えてくれた。
なるほど、やっぱり年上だったのか。
「そうか。やっぱり同世代だったんだな」
「そうね。気を遣わなくていいでしょ。まあ、私にしてみたらちょっと嬉しいかも」
「嬉しい?なぜ」
彼女の言葉に少し顔をしかめる。
「同世代の子供はこの町にもいるけど、あんまり仲良くはないの」
――あと、大人もね。
ルナは苦笑しながら言った。その表情が、網膜に張り付いて離れない。
「なるほど」
彼女は無邪気に遊ぶ子供たちを眺めていた。たぶん、幼い彼らは意識しないのだろうけど、やはり彼女は一般人から見て特異な存在なのだろう。時計塔のシルファが言っていた事もわかる。
純白の肌と白髪、そして真紅の瞳という出で立ちは、好奇と、そして異形の対象そのものだ。
彼女には悪いが、自分まだその奇怪な姿に慣れていない。
今は気丈に振舞っているが、幼い頃はひどい扱いをされたんだろう。そして、それは推測ではなく事実であるということも、おおかた検討がついている。彼女が無意識に大人を避けて歩いていたのも、気がついていた。
彼女と僕は、違うだろう。
「彼がお客さんかい?」
「うん」
向こうから、マリーに促されてやって来た黒服の男性がいた。言わずともわかるその出で立ち、ここの神父さんだ。黒のロングコートはすらりと長い手足を更にスマートに見せている。短く切り揃えられた黒髪は清潔さをかもしだしていた。
「彼女が客人を招くのは珍しくないが、これまた若いな」
「ヴァン・グリセルークです。彼女には何かとお世話になりました」
「私はレヴァンティス。呼びにくければレヴァでいい。ここの神父と、まあ・・・子供たちの父親替わりをやっている」
落ち着いた出で立ちに似合って、彼は低いトーンの声で言った。
「あの、レヴァ神父。彼は秘宝について知りたいということで、この町へ来たらしいんです。私の知ることは教えようと思うんですけど、多分、あまり力にはなれないと思うんです。だから彼の手助けになってくれませんか」
「そうか。なるほど」
「ヴァン君。君は神を信じるか?」
「?」
「わかりません。もし神がいたのなら、あの時僕だけを生き残らせたのは何故なのか。ひと思いに殺しておくべきが、僕を救う方法ではなかったのだろうかと思うのです」
それを聞いて、レヴァは少しだけ眉を寄せる。
「なるほど。ルナ、君は席を外してくれないか?これは彼について踏み込む話になりそうだ。なるべく、彼と私と二人で話したい」
「分かりました」
そう言って彼女は去った。ルナのあの顔、本意ではないという感じだった。力になれないのを悔やんでいるのか、ほかに真意があるのか定かではないが。
「さて。先ほどの続きだ。君だけが生き残った…それは酷な運命かもしれないな。しかしさだめでもあるかも知れない」
「すわりたまえ」身振りで近場にある椅子に座るよう促されるが、ヴァンは首を横に振った。
「君が龍に刃向かえない体なのは、知っている。私の友人も龍血だったから。そして私自身も、混血で随分と薄まってしまっているが、血を受け継いでいるんだ。――これが起因で苦労する。まったく、我々も人間だというのにな」
やれやれというように首をかしげる。彼も龍血ということで苦労したのだろう。
「――アンチドラゴンメイル、ブルースケイル。君が手にしたいのはそれだな?」
たやすく、彼はあれの「正式な名」を発言した。ヴァンの「どうして」という顔を見透かしたのか、レヴァはさらに続ける。
「私がこの役職についたのは、もちろん自身で選んだこともあるが・・・成り行きが大きな要因となっている。自分で言うのもなんだが、高位な者には情報が与えられている・・・もしくは知る権限がある。だからそんなことも知っている。知らなくてもいいことも」
「君の成すことはなんにせよ復讐だ。そこには相手に対して慈悲の感情を持たない。そういった者は研ぎ澄まされ強いだろうが、決定的な弱点もある」
「それは?」
ヴァンは訊く。
「自分の足跡が見えないことさ。そこに何を残したか、どんなことをしてきたか、前へ進むことがあっても振り返らない。振り返れば進めなくなるからだ。傷つけた人にも、ひょっとしたら気づけないかもしれない」
「決めたことだ。僕はやり遂げるつもりです」
「そうか」
しかし――でも。と、ヴァンはそう口をはさんで。
「でも僕は振り返るつもりだよ。やったことからは目を逸らさない。そこにかかわった人たちも忘れない。犠牲も」
レヴァは言葉に詰まった。
「一人で行動するのは犠牲を出さないためか?」
「そう。僕はもう誰がやられるにせよ、あんな光景は見たくはない」
「わかった。どうにも私のもとに集まる子供は、退かない子ばかりみたいだな。私でよければ力を貸すよ」
瞬間、ヴァンの鋭い表情が消えた。
「そっか……ありがとう」
少年の顔になった彼に、神父は微笑んだ。
お互い椅子に腰を下ろした二人。
「黒い鉄のようなウロコを持つ龍だった」
まず、ヴァンが口を開く。
「それはあれだな。黒鉄龍だ」
「分かることがあるんですか?」
「少しばかりな。翼を持たず、空を飛べず、地表を移動するために足腰が発達しているということと、硬化した黒い鱗を持っていることだ。ギルドの記事を見る限り、ここ数年は全くと言っていいほど目撃されていない。奇妙なことに。それでも地方では…話はあるらしい。討たれてはいないということだ」
「詳しいですね」
「ああ。実のところを言うとね、龍血に関わるものにはパイプ役がいくつもありそこから情報が集まりやすいんだ。君も同じく我々の仲間だからね。教えておく」
「レヴァ神父…僕はあんたに会えてよかった」
感嘆の声を上げるヴァン。
「大げさだな君は。間違うなよ?事実は君が確かめるんだってことを」
「判っています」
ヴァンは目を細める。
「鎧の場所については、教えておく。私の一族が血を受け継いでいるおかげで、それについて知る権利があるんでね。あとで地図を渡すよ」
「感謝します」
「ただ」
神父は顔をしかめる。
「伝承のとおりそれを手にしたものはいない。山賊、盗賊、宝探しどもが、墓を荒らそうとも、それは見つかることはなかった。太古からそこを守護する墓守がいるのではいう噂も聞く。果たして、どうか」
「それでもやるさ…」
ヴァンは言い切る。
「さて、話はここまでだ。これをどう捉えようとも、君の自由だよ」
「レヴァ神父。他にも聞きたいことがあるのですが」
「まだ何か?話はこれで終わり…」
「いや、ルナについて」
「彼女が気になるか?」
「それもありますが。でも、今は彼女の言ったことが気になっています。さっきの黒鉄龍についての話の他、彼女は肩に大剣が刺さっていることということを知っていたので」
レヴァは眉をひそめる。
「私の知らぬ情報を?商人からでも聞いたのかね」
そんな簡単な問題だろうか。
龍血を受け継ぎ、ギルドやその手の情勢に詳しいレヴァを差し置いて、彼女はあれについての詳細を語った。それははたして、商人づてや書物だけで手に入れられるものなのだろうか。
彼女にはまだ色々と訊く必要がありそうだ。
「レヴァ神父、地図はすぐに用意できますか」
「このあとすぐに用意する」
「明日、明朝――5時に出発する予定です。その前に、ここへ来たいのですが・・・大丈夫だろうか?」
「わかった。その時間帯には私も起きている。用意して待っているよ。ただ、鐘は鳴らさないでくれ。子供たちが目覚めてしまう」
「分かりました。情報を本当にありがとう」
「気をつけてな」
ヴァンは軽く会釈し、レヴァと別れる。
ドアを開くと、椅子に座っていたルナが振り返り、真紅の瞳と目が合った。
「いたのか?」
「ええ」
ルナは心配そうな顔をしていた。ヴァンがその隣を無言で通過する。すると彼女は立ち上がってヴァンの肩を掴んだ。
ヴァンは振り返る。
「なんだ?」
「何を話したかは訊かない。でも、あまり先を急がない方がいいと思う」
影が濃くなったヴァンの表情を感じ取ったのか、彼女はそんなことを口走った。
「気遣いは感謝するよ。でも僕は、早く僕の平穏を取り戻したいんだ」
「平穏か。そう――わかった」
諦めたのか、彼女は笑顔になった。
「――ところで夕食は?」
「食材屋でパンでも買って、宿屋で食事をとる」
「私がご馳走してあげようと思ったのに」
「そんな。お金を使わせるわけにはいかない。申し訳ないけど」
「安上がりな手料理でも?」
「それは……まあ、またいつかお願いしたいな」
いつかがあれば、だが。いい加減な返答をした自分が少しだけ嫌になった。
明日に出発し鎧を探し出して、それから――敵を討つ。
そうしてその後……彼女と再会の機会は、果たしてあるだろうか。そもそも、僕は彼女と再び会う気などあるのだろうか。覚えているのだろうか。
しばし考えてから、
「失礼だと思うけど、一つ聞いていいか」
「なに?」
「君は、僕が去ったあと、寂しく思うか」
「もちろん。そうね、さみしいわ。でも、その質問は失礼とは思わないよ。失礼じゃないし、恥ずかしいことでもないと思う」
やはり、自意識過剰だったろうか。彼女のフォローに少々苦笑する。でも、聞かなかったら後悔したとも思う。
「明日、朝六時には出発する。それまではゆっくりしていくつもりだ」
「うん。じゃあおやすみなさい」
「おやすみ」
その言葉を最後にして、ヴァンは教会をあとにした。それからは店を転々とし、必要なものを揃えた。
夕日は沈みかけていて、夜が今まさに顔を表す――というところで、丁度宿屋の扉を開いた。カウンターに主の姿はなく、ヴァンはそのまま二階へ上がった。廊下には電灯があるらしい。光っていなかっただけに、昼間は全く気がつかなかった。自室の鍵を出して扉を開ける。
部屋についてすぐ、ヴァンは乾かしていた衣服を取り込みベッドの隅に並べた。それが終わる頃、あたりは漆黒の闇に飲まれていた。わずかに残る夕焼けの名残を頼りにあるものを探す。この個室には電灯は無い。
「これか?」
あたりだ。ヴァンが探していたのはマッチだった。確認すると、火を起こし机の上の燭台に火を灯した。それから、帰りに夕市にて買った食べ物を机に並べた。内容は先程彼女の前で公言したとおり、パンだった。塩気が若干きいている、特別美味しくもないパンだ。それを先程とは違う用途で、ヴァンはただ、生命の維持のためだけに食べた。
手早く食事をとったあと、燭台の火を一息でかき消した。それからすぐ、ヴァンはベッドに横になった。
青白い月明かりが部屋の外郭を照らす。何が何なのか……それがかろうじてわかる程度の弱い光だ。
見上げていた天井は木製だった。石造りで無い分、温かみがあって落ち着く気がする。
静寂の中では意図せずとも耳に音が入ってくるもので、他に客がいるのだろうか、先程から渡り廊下が軋む音がくり返し聞こえてきていた。
そのことについて特に深くも考えず、いくらかの時間が過ぎ、疲れていたのだろう――彼はすぐに眠りについた。